タグ別アーカイブ: 村野藤吾

上町台地の稜線を歩く‐1978‐

土曜日は、近鉄上本町駅すぐ南の病院で、人間ドックでした。

結果は後ほど送られてくるのですが、片側の視力が1.0を切ってしまったのが、一番のショックだったのです……

それはさて置き、検査終わりで少し周辺を歩いてみました。

駅の北側に出ると、シェラトン都ホテル大阪が見えてきます。

設計は近鉄グループではお馴染みの、巨匠・村野藤吾です。

ただ村野色をしっかり感じさせるのは、エントランスまわりの曲面壁くらいでしょうか。

ややおとなしいデザインと言えます。

千日前通の南側、手前には近鉄百貨店上本町店が見えています。

上本町6丁目の交差点は、上町台地の稜線付近にあたります。

千日前通を東へ下れば鶴橋。

西に下れば難波。

フリーフォールのあったナンバヒップスが中央あたりに見えています。

南のあべのハルカスもかなり下がっているのが分かります。

時代が時代なら、見晴らしがよかっただろうなと思いながら歩いていると「熊野街道」の石碑を見つけました。

谷町9丁目と上本町6丁目の中央あたりで北を見ています。

白いビルのすぐ東側が、熊野街道だったことがわかりました。

うろうろしながら写真を撮っていると「阿倍野の長屋」のクライアントとばったり出くわしたのには驚きましたが。

北へ向かって、熊野街道を歩いてみることに。

こういった曲がった道は、新しい道にはない景色です。

ところどころに石碑が建っています。

提灯屋さんがあったり。

古い町屋が残っていたりと、旧街道だった面影が残っているものです。

「桃谷湯」と見えます。

現在は駐車場になっており、奥の壁にはタイルが残っているのが見えました。

それほど古そうには見えませんが、廃業したようです。

このあたりから大阪城へ向かっては、更に標高が上がります。

かなり急な坂が出て来ました。

ここを左に曲がると、空堀ど~り商店街。

ここで大きくクランクしているのです。

そうせざるを得なかった理由が何かあるはずです。

そのまま北上すると、東側がかなり低くなっているのが分かります。

このあたり、桃谷だったり清水谷だったりと、谷の名が残っている通り、上町台地に河内潟が切れ込んでいる場所が沢山ありました。

先程のクランクも、そのあたりが理由なのかなと考えていました。

そして谷町6丁目に到着。

西を見るとこちらも大阪湾に向かって下っていくのがわかります。

高低差は、地図では一番分かり難いですが、実際に歩くと本当によく分かるものです。

途中、旧家の玄関に手書きで「上汐町」という表示がでていました。

「うえしおまち」と読むのですが、歩いている時は「ここまで海がきれこんできていた名残では?」と勝手に確信していたのです。

しかし帰って調べてみると、大阪市のWebサイトに説明がありました。

上汐(うえしお) … 菅原道真が左遷される途中、潮待天神(潮待寺)において引潮を待ったという故事に由来する。冠称の「上」は南船場に所在した「塩町」との混同を避けるために冠したことによる。

残念ながら、私の推理は外れでした。

そんなことを調べていると、もう少し北へ行けば暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)との交差点があったことも分かりました。

上町台地をあるくシリーズで、また勝手な推理でレポートしてみたいと思います。


■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載

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巨匠の愛した、あべの近鉄村をちょっと歩き‐1976‐

今日は123の日。

本日、故アントニオ猪木さんが、従四位・旭日中綬章を授与されるという記事を先日読みました。

勿論のこと「イチ・ニー・サン・ダーッ!」にちなんでのことです。

よって昨日は122となりますが、阿倍野に買物へでていました。

妻があべのキューズモールに寄りたいと。

これは2009年5月の写真ですが、このあたりは再開発によって本当に大きく変わりました。

大阪で唯一の路面電車が、キューズモール東のあべの筋を走ります。

はす向かいはあべのハルカスですが、こちらは近鉄百貨店の本店が入っています。

その南にはあべのHoop

さらに南にはあべのandが。

ともに近鉄が母体となっているので、この界隈はまさに近鉄村なのです。

妻に何が食べたいか聞くと「滅多に食べないからラーメン」と。

長男がなかなかのラーメン好きで、富雄の人気店「みつ葉」がHoopのフードコートに入っていると聞いていました。

Webサイトを見ると「泡系ラーメン」となっています。

こちらは塩ラーメン。

こちらはしょうゆラーメン。

麺は太目で、泡だったスープは濃厚。

チャーシューはレア気味でした。

メンマもフレッシュなタケノコといった感じ。

1杯950円は安いと本田圭佑選手には怒られそうですが、適正かなと。

ラーメンを語るほど知識はありませんが、しょうゆは天下一品系の味でしょうか。

勿論のこと大変美味しゅうございました。

前近鉄百貨店本店は近鉄グループとゆかりの深い、村野藤吾の設計でした。

日本を代表する巨匠ですが、村野の仕事場がこの界隈に残っています。

現在はカフェとして再利用されているのです。

席が埋まっていたので、またの機会にしようと思いますが、中庭を望む景色を少し感じることができました。

手摺なども有機的なフォルムが、らしさを感じさせます。

何気ないところに、何故だか差異があるのです。

ウロウロしていると、昔よく来ていたお店もまだ残っていました。

天王寺は創業の地なので、いつ来ても懐かしいのです。

この道の狭さや下町感は、キタやミナミにはないものです。

村野もこの地を愛したから、ここにアトリエを構えたのだと思います。

淀屋橋か天満橋あたりあっても何の不思議もありませんし、たしか自宅は宝塚でしたから、ここまで通っていたことになります。

再開発も良いですが、この雑多な町が残ることを心から願うのです。


■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
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何とか4人の年賀状を‐1964‐

日曜日は、雨予報から曇りへと、転々と天気予報が変わりました。

昼頃は何とか雲が切れそうだと分かり、その時刻を狙って奈良までやってきました。

登美ヶ丘にある、松伯(しょうはく)美術館です。

向かいには近鉄グループ中興の祖と言われる、佐伯勇の旧邸が建っています。

いずれも、巨匠・村野藤吾の設計です。

もう12月中旬ですが、年賀状用の家族写真が撮れておらず……

慌ててやってきたのです。

松伯美術館の外壁は、村野らしいレンガの使い方ですが、エントランスがなぜか宇宙的。

ちょっと奇抜すぎる感じがします。

空間構成はコンパクトにまとめられています。

ポストカード置きがかなり勿体ないですが、中庭を中心として、立体的に展示室が配置されたプランでした。

中庭は広すぎず、明るすぎず。

そこに面して、ミュージアムショップがあります。

天井は全面ガラスですが、建物に囲まれているので、直射日光が抑え込まれていました。

夏も見てみたいところですが、名人芸と言って良いと思います。

中庭にも出られ、池の中には金魚も泳いでいます。

できればゆっくり見てみたい建物でした。

子ども達もスケジュールが詰まっており、急いで家族写真を撮って美術館を後にしたのです。

今度は急いでレストラン探し。

幹線道路沿いにイタリアンを見つけました。

チェーン店のようですが、駐車場が広いのが有り難いところです。

娘は窯焼きのピザ、長男はパスタランチを食べて、それぞれを駅に送ったのが13時半頃。

帰りの車で、子供と車で出掛けたのはいつ以来だろうと妻と話していました。

長男が大学受験なので仕方ないのですが、関東の大学へ行ったら、4人揃った年賀状は最後になるかもしれません。

何とかしつこく撮ってきたのですが。

今年のボツカットです。

顔に枝の影がかかっていることを、私が分かっていませんでした。

裏面の兄妹カットは、いつも2人でポーズを考えてくれます。

ちょっと長男が怖いということでこちらもボツ。

それでも仲が良いのは何よりです。

子どもが生まれて18年。兄妹となって15年。本当に一瞬のことのようです。

楽しみにしてくれている人がいるかは分かりませんが、何とか4人の年賀状をお届けできそうです。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載

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巨匠やさしく‐1926‐

今朝は早起きして、阪急電車で「逆瀬川」へ。

今津線に乗るのも久し振りです。

西宮北口で乗り換えましたが、よく来ていたのはもう24年も前のこと。

北に1駅行くと「門戸厄神」があります。

その駅前にある「Spoon Cafe」を設計させて貰ったのが27歳の頃でした。

先日、ついに店名が変わったようですが、それでも長く当初のコンセプト通りに使ってもらい、感謝しかありません。

「仁川」を過ぎると弁天池越しの甲山が見えてきました。

高校時代の同級生が「逆瀬川」に住んでいたので、一度だけ降りたことがあるかもしれません。

このあたりまで来ると、かなり山も近くに感じます。

目的は宝塚市役所。

市庁舎は1980年完成。大阪が誇る巨匠、村野藤吾 89歳での作品です。

村野は93歳まで生きましたが、まさに最晩年の仕事なのです。

開口部は外壁いっぱいではなく、奥まったところにあります。

それが、この時期に日射対策には特に有効です。

1階部にも回廊がめぐらされています。

贅沢とも言えますが、北東面で接する武庫川からの風が、とても気持ちよいのです。

この象徴的な円筒の空間は市議会室のようで、またの機会に見せて貰えるか交渉しようと思います。

開庁とともに入り、確認申請関係の届け出を終えたら11時になっていました。

10分程歩いて駅まで戻りました。

駅前の商業施設が一体となっていますが、昭和感満載でした。

おしゃれではないですが、こんな雰囲気の方がしっくりくるのは年代でしょうか。

「千葉の柏駅もこんな感じだったな」とか、「愛知の名鉄にもこんな駅があったな」とか考えながら歩くのが楽しいのです。

この時期の昼の日差しはまさに焼け付くよう。

先の回廊を帰り掛けにものぞくと、テーブルに突っ伏して、昼寝をしている男性がいました。

村野が巨匠と呼ばれる所以は、作品の質と共に、その多作もあると思います。

多くの人を魅了し、設計の依頼があったのは、その優しさだったのでは……などと考えながら大阪に戻りました。

長く働いてくれたスタッフが辞め、やるべきことは満載ですが、「移動すること」=「刺激」であることは間違いありません。

巨匠の優しさにそっと触れた時、この仕事の奥深さを改めて感じるのです。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記
『 建築家・守谷昌紀TV』

一発合格したければ‐1765‐

 「大阪のど真ん中」と言われれば、思い浮かべる場所はそれぞれだと思います。

  私にとっては「阪急前」「阪神前」あたりでしょうか。

 阪神百貨店前にある「梅田換気塔」は、大阪が誇る建築家、村野藤吾の代表作のひとつ。1963年の完成です。

 ラビリンスと言われる、梅田地下街のシュノーケルのようなもの。有機的なデザインを得意とした村野の真骨頂と言えるでしょう。

 建築設計を仕事とするなら、必要になるのが建築士資格です。2010年以前なら一度取得すれば一生使える資格でした。

 しかし2004年に起こった構造計算偽装問題から信頼が失墜。ということで3年に一度、定期講習を受けなさいとなったのです。

 そのお勉強と終了考査を受けに梅田にやってきました。

 左手にHEPナビオを見ながら、扇町通を東へ向かいます。

 東隣にあるOSビルも、同じように舳先のようなフォルムが特徴です。

 東通商店街の入口と言えば分かり易いかもしれません。

 東へ歩いていると、歩道を仕切り、ゴンドラに作業員が乗り込んでいるところでした。

 見上げると遙かかなたに、ゴンドラを吊るすアームが見えます。

 2010年完成の富国生命ビルは、フランスの建築家、ドミニク・ペローの設計です。
 
 最新の技術が投入されたインテリジェンスビルでも、やはり人力に頼るところは頼るしかないよう。高所が大嫌いな私は、見ているだけで身震いしていました。

 お初天神通りを右手に見ながら更に東へ。

 新御堂筋と交差するところで横断歩道が途切れており、地下に降りました。

 泉の広場から泉が消えたのはいつだったか。

 正直、以前の方が雰囲気があったかなと思います。色々な意味で……

 オフィスビルの8階が会場でしたが、こういった講習は資格試験予備校が請け負っていることが殆どです。

 建築士資格用の教室らしく、様々な貼り紙が見えます。

 勝ちたいという思いが強いほうが勝つ!!

 「絶対合格」という強い気持ちを!!

 初志貫徹  言いわけ無用

 こちらは、プロとアマの違いを書いたロングバージョン。

 成功し続ける

 変化がなければ人生なにも変わらない

 撮り忘れてしまいましたが、1日1%成長し続ければ1年で37倍成長できるというものもありました。

 予備校ですから、モチベート、アジテートしてくれる場所と言ってよいでしょう。そういう意味では、これらの貼り紙を見るのはかなり楽しかったのです。

 昨年、コロナの影響もあって、初めて建築士試験の監理員を務めました。
 
 広い意味では後輩のようにも感じるので、スターバックスの元CEO、ハワード・シュルツ言葉「耳に痛い意見にヒントがある」を紹介したのです。

 もう少し踏み込んで、勉強と仕事の違いも書いてみたいと思います。

 正解があるのが勉強。答えはないのが仕事。

 これが私の持論です。「答えがない」というのは、これをしておけば間違いないという、絶対的な正解がないという意味です。評価はクライアントが下すものなので、パーソナリティ、環境、時間軸によっても変わって当然です。

 答えのない答えを模索していくことこそが、仕事の醍醐味と言って良いのかもしれません。

 また、本気の目的を持っていれば、他人にモチベートして貰う必要も、アジテートして貰う必要も全くありません。イチロー選手は現役時代「モチベーションが落ちることはない」とはっきり言っていました。

 「世界で一番多くのヒットを打ちたい」が目的なら、モチベーションが落ちることがないのは当たり前です。

 あとは自分に相談せず、他人に左右されず覚悟を決めるだけです。

 今年の受験者がこの日記を読んでいる可能性は低いと思いますが、一発合格したければ、間違っても「一級建築士試験は難しい」などという言葉は使わないことです。

 その声は一番近くで、自分の脳が聞いているからです。

 これは私が通ったから言う訳ではありません。私の登録番号は、確か27万番代だったと思います。
 
 何年掛けての番号かは知りませんが、難しい資格に何十万人も通る訳はありませんから。

■■■12月28日発売『suumoリフォーム(関西版)』にインタビュー記事掲載

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【News】
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■9月11日発売『リフォームデザイン2020』「回遊できる家」掲載
■5月16日『homify』(英語)の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■5月10日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行に巻頭インタビュー掲載
■2月13日 『Best of Houzz』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

夢をたくした500円玉を‐1655‐

新年明けましておめでとうございます。

今年は娘が受験生につき、正月を大阪で過ごしています。

それでは長男が暇だろうと、阿倍野へ映画を観に行っていました。

あべのアポロシネマが入るアポロビル。

1972年の完成で、関西が誇る巨匠・村野藤吾の設計です。

正面のガラス横にあった有機的な装飾が特徴でしたが、すっかり普通の壁に変わっていました。

あべのハルカスの場所にあった前・近鉄百貨店も村野の設計でした。

残念ではありますが、築47年の建物が残っていることを喜ぶべきでしょうか。

長男のリクエストは『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』。

スター・ウォーズシリーズは1977年のスタートで、私達はど真ん中世代ですが、あまり観たことがありませんでした。

長男は友人の影響で、順にシリーズを観ているので、軽くレクチャーをして貰いました。

内容には触れませんが、少女が宿命を背負い、世界のために戦う姿は、『風の谷のナウシカ』も同じモチーフです。

主役のレイは、気高く、極めて美しかったのです。

相関関係があまり分かっていない私でも、文句なしに楽しめました。

大晦日も自宅に居たのですが、ほぼ初めて『紅白歌合戦』を観ました。

娘はテレビを我慢しているのですが、ビートたけしが歌うという記事を読み、「その時間帯だけ観てもいい?」と相談したのです。

22:00頃にテレビを付けました。

漫才師、芸人、俳優、映画監督、文筆家……と多くの顔をもつビートたけしですが、子供の頃からヒーローでした。

深夜ラジオの「オールナイトニッポン」は、1981年から10年間、ほぼ全て聴いたと思います。

そんなことを熱く語ると「ところでどこが面白いの?」と聞かれることもあります。

面白くないという訳ではないのですが、正直私も答えられません。

好きなことをして、人に求められ、成功して行く姿が、ただただ格好良かったのです。

テレビ番組だけでなく、本もCDも買っていました。

一番好きな曲が『浅草キッド』でした。

最近はテレビ番組をあまり観ないので、久し振りに観たビートたけしは、幾分太っていましたが、年輪とともに、歌声は深みが増している気がしました。

オケがよく聴き取れていないのか、先走ってしまう部分もありましたが、やはりとびきり格好良かったのです。

この曲は、明治大学を中退し、浅草のフランス座で貧乏をしていた時代の元相方を歌ったものです。

朴訥とした、真面目な詞がなんともよいのです。

『浅草キッド』 歌・作詞・作曲:ビートたけし

 夢をたくした100円を 投げてまじめに拝んでる

-中略-

 夢はすてたと言わないで 他に道なき2人なのに

今でも時々500円玉を投げて拝むのは、この詞があったからです。

「自分が売れたということに罪悪感がある」というコメントもありましたが、司会の内村光良が涙ぐんでいるのも印象的でした。

私の勝手な結論です。

芸人は面白いのは当たり前で、顔が命だと思います。

作家・開高健はこんなことを書いていました。

モンゴルでは風の生まれ変わりと信じられる馬を駆る少女の姿を見て「自らの美しさに全く気が付いていないその姿が美しい」と。

うる覚えなのですが、よく分かる気がします。

どう見えるとか、どう見て欲しいとか、そんなことを全て忘れるくらい懸命に生きる姿が美しく、格好よいのだと思うのです。

何か宿命を背負っている訳でもありませんが、俳優になれるような顔を持っている訳でもありませんが、今年もひたむきに、懸命に生きたいと思います。

2020年も宜しくお願いします。

■■■ 『Houzzユーザーが選んだ人気写真:スタイル別』2019年12月31日で「「中庭のある無垢な珪藻土の家」」が2位に選出

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【News】
『Houzzユーザーが選んだ人気写真:キッチン編』2019年12月3日で「「中庭のある無垢な珪藻土の家」」が5位に選出
『suumoリフォーム 実例&会社が見つかる本 関西版』2019年9月30日発売に「回遊できる家」掲載
『大改造!!劇的ビフォーアフター』7月21日(日)BS朝日で「住之江の元長屋」再放送
『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました
『homify』5月7日「碧の家」掲載
『houzz』4月15日の特集記事
「中庭のある無垢な珪藻土の家」が紹介されました
『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました

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建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
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うつりこんで横浜‐1606‐

 謦咳に触れるという言葉があります。

 立派な人なら、咳ばらいでも聞く価値があるという意味です。

 7月18日(木)は、稲盛塾長最後の講和を聴くために横浜に居ました。

 今年いっぱいでの解散が決まっている「盛和塾」

 京セラを創業、一代で一兆円越えの企業へと成長させた稲盛和夫さんに学びたい人たちが集う場所です。

 2007年に入塾させて貰い、ほぼ毎年参加してきた世界大会ですが、人数が増え2008年からパシフィコ横浜が会場となりました。

 インターコンチネンタルホテルの左にあるのが、会場となる国立大ホール。

 ホールはいつも熱気が溢れていました。

 今年は、約4800名の塾生が世界各国から集まりました。

 私の席は、端ではありますが前から12列目。直接塾長が見える距離で講話が楽しみです。

 毎年の恒例行事でもあるので、横浜の建物も見て回りました。

 当時は日本一高かったランドマークタワーです。

 横浜球場の後ろに見えるのは横浜市庁舎。

 1959年の完成で村野藤吾の設計です。

 階段を大切にした村野らしいディティールです。

 飴色になった木の手摺が妖艶でさえあります。

 しかし新市庁舎が建設中で、来年の6月には移転の予定。

 始まりがあれば、必ず終わりがあるのです。

 87歳となった稲盛塾長は体調がすぐれずで、残念ながら欠席となりました。

 講話は代読となりましたが、その中で「経営について、私の考えは語りつくしたという気持ちが強い」とありました。

 もう十分に教えて貰ったので、これからは自分の足で立ち、歩いていかなければなりません。

 私が最も印象に残ったのは次のような行です。

 世界中を塾生の皆さんと一緒に旅をし、酒を酌み交わしたことが思い出として残っています。

 皆さんのおかげで、素晴らしい人生を送ることができました。
 
 それは塾生の皆さんが私に与えてくれたのです。

 人はここまで謙虚になれるのかと思います。

 塾長の言葉に全く嘘がないことは、直接薫陶を受けた人なら誰もが分かるのです。

 反対に言えば、ここまで謙虚でなければ、ここまで心を高めることはできないのだとも思います。

 寂しくもありますが、新たな闘志をもって、横浜から帰ってきたのです。

 翌7月19日の日経新聞にも、記事がでていました。

 記事は「盛和塾が幕を閉じても、一人でも多くの人を幸せにするという経営者の使命に変わりはない」と結ばれていました。

 このアングル、どこかで見たことが……

 探してみると、一番左下に居ました。

 自分の記事ではないので、喜ぶつもりはありませんが記念にはなりました。

 稲盛さんは言います。

 舗装された歩きやすい道は、エリートが歩いて行く。そうではない者が、前に行きたければ、ぬかるんだ道を行くしかない。

 泥んこになっても、靴が脱げてしまったらそれを何とか引っこ抜いてでも、行くしかない。

 何度も聴かせて頂いたので、骨の髄までしみ込んでいます。

 何があろうと、ネバーギブアップの精神で前に進んで行く覚悟です。

 最後におまけです。

 日曜日に、友達から「再放送みてるよ」とメッセージがありました。

 『大改造!!劇的ビフォーアフター』の私の担当回が、BSで再放送されていたようです。

 プライベートサイトの情報ですが、全300回以上ある中で、2番目に多く再放送されているようです。

 やっぱり「本当は大賞だったんじゃないか」と思っているのですが、それでは謙虚さが足りないか。

■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』7月21日(日)BS朝日で「住之江の元長屋」再放送
■■■『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載

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【News】
『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました
■『homify』5月7日「碧の家」掲載
『houzz』4月15日の特集記事
「中庭のある無垢な珪藻土の家」が紹介されました
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました
大阪ガス『住まう』11月22日発行に「中庭のある無垢な珪藻土の家」掲載
『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
『homify』6月29日「回遊できる家」掲載

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派手で見栄っ張りで何が悪い<名古屋>‐1464‐

 今日、明日と晴れ空が続くようです。

 空気の冷たい快晴は、とても気持ち良いのですが、花粉症の人には辛い時期になりました。

 娘にゴーグルを与えたのですが、結構な効果があるよう。気になる方は一度試して下さい。

 (コクミンには子供用がありました)

 昨日は、早起きして今年2回目の近鉄特急。

 今回は妻と娘の3人です。

 前回は鳥羽で、今回は名古屋行き。アーバンライナーで2時間です。

 名古屋駅から栄(さかえ)エリアまで地下鉄で2駅。

 オアシス21は、錦通と久屋大通の交差点に位置するバスターミナル等の複合施設です。

 大林組の設計・施工で2002年の完成。

 水の宇宙船と呼ばれる大屋根を、ぐるりと歩けるようになっています。

 こわごわ登ってみました。

 中央は水盤になっており、素晴らしく気持ちのよい景色です。

 ガラス手摺が少し内に傾斜しているのにも、好感がもてます。

 すぐ北にあるのは名古屋テレビ塔がまた美しい。これは後で触れてみようと思います。

 「魚がいる」と娘が言うので驚いて行ってみると、地下1階のベンチが見えました。

 デザインとは、時にユーモアでもあるのです。

 地下1階から吹抜けの空間を、ユラユラと波紋を含んだ光が落ちて行き、何とも気持ちのよい空間を形成していました。

 栄駅から西に歩くと、ルイ ヴィトン名古屋。

 1999年の完成で青木淳の設計です。

 更に南西に歩くと、三越、丸栄、松坂屋と百貨店が建ち並びます。

 丸栄百貨店は、村野藤吾の設計です。

 1953年日本建築学会賞を受賞していますが、今年の6月に閉店、解体が決まっています。

 コーナー部の処理は、コルビジェを思わせるもの。

 西面のモザイクタイルは、確かに前時代を感じさせます。

 大阪の雄、村野藤吾設計の百貨店と言えば、ミナミのそごうも解体されました。

 寂しいのは寂しいですが、時代の流れはどうにもなりません。

 昼食は、ラシックという商業施設の「竹三郎」と言う店できしめんを食べました。

 味噌カツ丼とのセットはちょっと乱暴なセレクトですが、十分に美味しかったのです。

 ここで娘と妻は名古屋港水族館へ。

 私はひとりで街歩きです。

 名古屋の栄エリアは、神戸三宮の道を広くしたような街で、とても歩きやすく、また繁華街自体が大きく、歩きごたえもあります。

 こんな建物も見つけました。

 西へどんどん歩いて行くと、突然大きな球体が現れました。

 名古屋市科学館ですが、内部は次回にとっておきます。

 その後、名古屋港水族館で待ち合わせ、3人で名古屋駅に戻りました。

 駅の上にそびえるのはJRセントラルタワーズ。

 坂倉建築研究所の設計で、1999年の竣工。

 モード学園スパイラルタワーズは日建設計の設計で2008年の完成。

 造形で言えば、このビルが群を抜いて存在感を放っていました。

 夕方4時の特急に乗り、大阪に戻ったのです。

 名古屋人を称して、派手、見栄っ張り、ケチ……となかなかの言われようです。

 一日街を歩いてみて、私にはよい印象しかありません。

 正直言って、大阪のキタやミナミを歩くより面白いのではないかと感じました。

 街角で「デザイン都市・名古屋」というポスターを見かけましたが、その名に相応しいと思うのです。

 その象徴と言えるのが名古屋テレビ塔。

 東京タワー、通天閣等も担当した「塔博士」内藤多仲の設計で、1954年に完成しています。

 330mの東京タワーが赤と白に塗られているのは、航空法による決まりです。

 180mの名古屋テレビ塔がそうなっていないのは、規制の高さまで達していないからかなと思っていました。

 大阪に戻って調べてみると、60m以上の建造物がこの縛りの中に入ります。

 しかし、航空法ができる6年前にこの塔が完成していること。また、名古屋テレビ塔株式会社初代社長が抵抗し、最上部に航空障害灯をつけることで切り抜けている、とウィキペディアにでていました。

 1889年に完成した、324mあるエッフェル塔が赤と白なら、パリの印象は全く違ったものになるはずです。

 また、そうであれば近代建築の象徴とはならなかったでしょう。

 東京タワーを初めて見たときも、「美しい」と思いましたが、銀色の名古屋テレビ塔は群を抜いた美しさでした。

 抵抗した初代社長は名古屋市出身の神野金之助。

 その名前をみても、「派手で見栄っ張りで何が悪い。言いなりにはならんぞ」と書いてあるようです。

 何故だか最近、名古屋愛が止まらないのです。

■■■毎日放送『住人十色』4月14日5:00pm~5:30pm
「回遊できる家」放映

■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました

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【Events】
■4月1日「トレジャーキッズたかどの保育園」開園

【News】
『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
『関西の建築家とつくる家 Vol.2』2月1日発売「阿倍野の長家」掲載
『homify』6月29日「回遊できる家」掲載
『homify』6月2日「イタウバハウス」掲載
『houzz』5月28日の特集記事「あちこちでお茶できる家」掲載

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記<</a

階段手摺にみる物語‐1381‐ 

 今日はあいにくの雨ですが、サツキの美しい季節です。

 普段はやや愛想のない灌木ですが、この時期は見事なもの。

 先日、秋田県立美術館の階段がとても美しかったと書きました。

 館の設計は安藤忠雄。

 階段に合わせ、手摺も柔らかい曲面に沿って登っていきます。

 スチール製ですが、まるでスクリーンのような繊細さです。

 ここ数年、春先にウェスティン都ホテル京都へ行く機会があります。

 今年は4月末でしたが、なぜかいつも天気にめぐまれず、この日も花曇り。

 それでも八重桜が満開で、東山の新緑に文字通り花をそえていました。

 ホテルは、関西が誇る巨匠、村野藤吾の設計です。

 村野の芸達者は、常人には及びもつきませんが、有機的な曲線は彼の特徴といえます。

 西館にあるスチール階段は、華麗さ、美しさ、軽やかさを兼ねそろえた階段です。

 見るたびに、ため息に近いものが漏れるのです。

 逆光につき、側面からみるとその柔らかい色使いも見てとれるでしょうか。

 見下ろすと、柔らかなフォルムが一層引き立つのです。

 1段目に村野の特徴がよくでています。

 やはり階段自体が芸術品といえるのです。

 しかしこの時期の村野の作品で、トップがステンレスのものがあったかなと考えます。

 また、全体のプロポーションからすれば幾分太いようにも見えます。

 もしかすると都ホテルがウェスティンブランドになった際、改修で作り直されたのかもしれません。

 そうだとするなら、原型に近いプロポーションを追求したあとは見えます。

 しかし、デザインする側は極限まで無駄を省きたいもの。極小は常に美しいことを知っているからです。

 実際に手摺をつくる鉄工所は、当然のことですが機能を満たし、安全を担保しなければなりません。

 材が小さいとたわむ、揺れが大きくなるのではという懸念が常にあります。

 美しいや感動は、無難からは生まれません。一歩踏み込んだところにしかないのです。

 これらは全て私の想像ですが、そう思わせる迫力を一流の建築家は常に持っています。

 何かを成そうとするなら、覚悟、強い意思、勇気が必要。

 手摺と階段が、それらを如実に物語っている気がするのです。

安住の地をみつけた白鯨‐1280‐

 この日曜日は「宝塚の家」3ヵ月点検でした。

 その帰り、宝塚の市街地を回ってきました。

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 宝塚市役所は1980年の完成。

 大阪が誇る巨匠、村野藤吾の設計で、御年89歳の仕事です。

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 市役所は休みなので、目当てはカトリック宝塚教会。

 市役所から言えば一駅北にあります。こちらは1966年の完成で、村野が75歳の仕事。

 阪急沿いなので、見たことがある人も多いでしょうか。

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 アプローチは線路の反対、西側から。

 教会のパンフレットにはこうあります。

 大洋を漂いつづけていた白鯨がようやく安住の地をみつけ岸辺に打ち寄せられたとでも申しましょうか。

 詩的な表現にときめく、とでも申しましょうか。

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 モチーフは白鯨でした。

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 建物を左から覗き込むとエントランスが。

 滑らかに吸い込まれていくような形態です。

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 エントランスホール上には、聖歌隊席があり、天井が低く抑えらています。

 2m20cmくらいでしょうか。

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 歩を進めると、200席ある信者席。

 緩やかにうねる天井に包まれています。

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 祭壇付近から、尖塔に向かってぐっと空間がつまみ上げられているよう。

 神聖な空間であることの説明は不要です。

 私は、神とはそれぞれの良心なのだと思っています。

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 雨水の落とし口は、モダニズムの巨匠、コルビュジエの影響を感じさせます。

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 この教会は、まるで地面から生えているよう。

 これらの有機的な表現は、村野ならでは。圧倒的に人の手が掛かっている証明でもあります。

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 パンフレットにはこうもあります。

 四季折々の花々が咲き乱れる暖かい家庭的な雰囲気の教会堂になりますことをお祈りしています。

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 この季節、アジサイをはじめ、バラ、ポピー、キクの仲間か、沢山の花が咲き誇っていました。

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 住宅街にありながら、スケール感が素晴らしい教会で、一編の詩のような建物でした。

 本より、私が村野藤吾の批評などおこがましいのです。93歳で亡くなる前日まで働いたという、まぎれもないレジェンドですから。

 この美しい教会の後に、埃っぽい話をするのは気が引けますがもう一度だけ書きます。

 不適切ではあるが、違法ではない。

 罰せられるか、罰せられないかのギリギリに居る人が、首長である必要は全くありません。

 また、人に判断を仰ぐ必要もありません。自らの良心が全て知っているはずですから。

 前回紹介した作家・城山三郎ですが、朝は新聞を読まなかったそうです。

 理由は、腹が立ちすぎて仕事が手に付かなくなるから。

 私もこんなことで憤っているくらいなら、新聞等読まない方が良いのかもしれませんが。