小トリップ日本一、近鉄特急‐1452‐

 日曜日の朝6時半、「さあ出掛けようか」と娘を起こすと、「頭と喉が痛いからやめとく」と。

 妻、長男が風邪気味で、2人で鳥羽へ行くことにしていたのですが、体調不良なら仕方ありません。

 予約した席をキャンセルしました。

 しかし、8時頃に起きて来たあと、それ程辛そうでもなく……

 で、結局10時からの出発となりました。

 鳥羽までは、上本町から近鉄特急で2時間。

 近鉄電車は、JRを除けば路線の長さ日本一です。

 地下鉄に乗っている間に、スマホであたふたと再度予約しました。

 便利と言えば便利な世の中になりました。

 奈良盆地を横切り、伊賀上野、三重の高原地帯を抜ける景色は、小旅行と呼ぶにぴったりです。

 途中、沈下橋がありました。

 四万十川まで行かずとも見れることに、軽い感動を覚えます。

 「鳥羽水族館」は鳥羽駅から歩いて7分程。

 ミキモト真珠島を越えたところにあります。

 キャッチフレーズは「飼育種類数 日本一」。

 確かに種類は凄いものがありました。

 研究室のような雰囲気も、最近はやりのモダン系とは対照的。

 私は好感がもてます。

 ただ、「詰め込み過ぎ感」は正直否めませんが。

 人魚と間違われたと言われるジュゴン。

 胸ビレの感じが、手のようにも見えます。

 日本で飼育されているのはここだけです。

 ラッコブームは、この館から火がついたはず。

 セイウチ笑(ショー)は、なかなかに笑わせてもらいました。

 触らせてくれるのですが「思っている以上に臭いので、しっかり手を洗って下さい」と飼育員。

 笑いをとっていたのですが、若干可哀想かなとも。

 出発が遅くなったので、現地滞在は約3時間。

 帰りの電車は、ビスタカーの2階席を取りました。

 近鉄特急は帰りが混むので、予約しておく方が無難です。

 電車での行き帰りが合計5時間。

 どちらかと言えば、こちらがメインなのです。

 「車は本が読めないので、電車なら出掛けてもいい」というのが娘の意見。

 持ってきた本、4冊を全て読了しました。

 ときどき近鉄特急に乗るのですが、電車マニアでなくとも、なかなか個性的な車両が多いと分かります。

 私たちが乗ってきた「伊勢志摩ライナー」の他に、「さくらライナー」、観光特急「しまかぜ」という、豪華特急もあるようです。

 プロ野球のオーナー企業は、ひと時代前なら、鉄道会社が大多数でした。

 しかし、IT企業が増えてきたことに時代の流れを感じます。

 映画監督の井筒和幸さんがそれらを指して「虚業」としたことに、堀江貴文さんが反論したという記事を読みました。

 「ITを虚業と馬鹿にするな」という意見はもっともです。しかし、実体験は全てに勝るという思いもあります。

 長男が、スマホのゲームから離れられないという現実をみて、危機感も覚えるのです。

 機器が高性能になり、表現も多彩になっていきます。適度な困難と、適度な達成感を配置してあったとするなら、電車旅の方が面白いと納得させるのはかなり困難です。

 時間がある時、あの手、この手で誘いますが、年をおうごとに、難しくなっていくことを実感します。

 昼寝が気持ちよかった。車窓からの景色が良かった。駅弁が美味しかった。思った以上にセイウチは臭かった。

 何でも良いので、出掛けてみたいと思える情景を思い浮かべさせられるか。

 子供と私の知恵比べは続くのです。

 「ことりっぷ」は、 働く女性たちが週末に行く、2泊3日の小さな旅を提案するガイドブックです。

 我が家は日帰りなので、小トリップといったところか。

 近鉄特急を勝手に小トリップ日本一に認定します。

『住人十色』の取材の取材<回遊できる家>‐1451‐

 本当に寒い日が続きます。

 今日は朝から、今年2回目の「回遊できるの家」行きでした。

 住宅誌に続き、毎日放送「住人十色」の取材が決まり、その打合せだったのです。

 ディレクター、放送作家、アシスタントディレクターと、3名が先に見えていました。

 いつも思うのは、テレビというメディアは本当にマンパワーによって創り上げられていくものだということ。

 各エリアごと、丁寧に家づくりのストーリーをインタビューしていきます。

 特に時間を割いたのが、ロフトとキッチンでした。

 構成作家の方が女性で、キッチン回りの質問が的確で、また面白いものでした。

 その質問は、ご夫妻の出会いから、仕事のキャリア、日々の暮らしと多岐にわたっていましたが、このあたりの進め方は、私とよく似ているなと思いながら聞いていました。

 物の収納に関しては、どんな切り口になっているか、特に楽しみです。

 打合せは、3時間みっちり。

 3名が帰られたあと、私も失礼したのですが、奥さんが「この氷、子供達が帰ってくるまで残っているといいけど……」と。

 ご夫妻とも、頭がさがるほどの働き者で、かつ子供思い。

 奥さんは「ずっと先ですけど、孫も集まってきてくれたら嬉しいんですけど」と、仰っていました。

 打合せの途中、ご主人が8歳の頃の写真を見せてもらいました。

 改修前の縁側で、お婆様と撮ったものです。

 現在の長男君と同じ年頃で、あまりにそっくりで驚きました。

 花が活けられた冬の縁側で、日向ぼっこをしながら、イヌにミカンをあげている。

 これ程幸せな、昭和の風景はありません。そこに手を入れるのがリノベーションなんだと、気が引き締まる思いもありました。

 家の数だけある 家族のかたち

 番組のサブタイトルですが、それらは引き継がれていくものなのかもしれません。

 お孫さんはきっとこの家のウッドデッキに遊びにきてくれると思います。

 取材は2月中旬、放送予定は3月24日(土)です。順次ここでお知らせします。

お客様からのクレームはファンレター‐1450‐

 今日の関東は大雪のようです。

 普段降らない有り難さと、天の気まぐれを、思い知らされる一日になったかもしれません。

 今週中頃には、関西にも寒波がくるよう。雪はどうなのでしょうか。

 昨日は穏やかな晴天でした。

 寒くなるとスポッチャに行きたくなるらしく、昨年のこの時期にも、娘と2人で来ていました。

 卓球を習い出し、テニスも各段に上達していました。バックでもそこそこ返してくるのです。

 卓球は、流石にかなり腕を上げていました。

 自信がもてるものがあると、物の見方が随分変わるだろうと思います。

 お気に入りのビリヤード。

 たまに入った時の気分が忘れられないそう。

 「インスタ映え」が流行語になりましたが、美しい写真を撮りたいという気持ちは常々もっています。

 ビリヤードの球をきれいに並べてみました。

 まずは素材の美しさが一番ですが、秩序も大切な要因だと思っています。

 堺の中央環状店は途中退場が可能な店です。

 昼は近くにある、カレーうどんの「得正(とくまさ)」へ。

 ここのうどんを、娘も楽しみにしています。

 初めは甘め、その後についてくる辛さ、スパイシーさが癖になる味です。

 娘は、濃い、辛いが大の苦手。よって今回も肉うどん。

 それでも、かなり満足していました。

 大阪駅前第4ビルにもあるので、「得正」がチェーン店なのは知っていましたが、「福島上等カレー」も、同じ会社でした。

 外壁に、色々とメッセージが張られています。

 味一筋 夢一途 

 うまいの一言聞くために

 作り続けて三十年

 大阪一なら 日本一 

 生涯守るは この一品

 皆、自分の仕事に精魂込めて生きているのです。

 カレー店のトップシェアはCoCo壱番屋が圧倒的で、2位以下を大きく引き離しています。

 現在はハウス食品の子会社となったはずですが、創業者の宗次(むねつぐ)さんが一代で築いたものです。

 宗次さんと親しい方から聞いた話ですが、彼は壮絶な人生を歩んでこられたそうです。

 親の顔を知らず、兵庫県の孤児院で幼少期を過ごしました。

 その後親族に引き取られましたが、壮絶な貧困で、雑草を食べて空腹を紛らわせたこともあるそうです。

 インタビュー記事が載っているサイトがありました。

 経営者にとって、お客様は最高の先生です。お客様からのクレームはファンレターです。私は現役の経営者の時、毎日欠かさず3時間半の時間を費やして、お客様からのアンケートハガキを読んでいました。その内容が厳しければ厳しいほど、本当に役立ちました。

 そう簡単に、出てくる言葉ではありません。

 しかし、よく理解できます。

 私の仕事は、多くても年に10名程のクライアントと建築を創っていくことです。

 建築とは本当にお金が掛かるもので、やり直しはききません。よって、失敗など許されません。

 若い頃は、このプレッシャーに押し潰されそうになりました。

 しかし、「失敗しない」を目標にしていても、失敗が無くなることはありません。

 これまでの仕事人生で一度「この現場には、100%、施主の立場に立ってくれている人が居ない」と言われたことがあります。

 そこに至る過程で、言いたいこともありましたが、クライアントがそう思ったならそれが全て。それのみが真実です。

 以来、少々のことがあったとしても100%を超えられるよう「180%、クライアントの幸せのためだけに働くしかない」と思うようになりました。

 そして、どんなことがあっても退かないと決めました。

 お客様からのクレームはファンレター。

 余程暇な人なら別ですが、気にもならないのに、耳痛いアドバイスをしてくれる人は居ません。

 やはり間違いなくファンレターなのです。

信念会‐1449‐

 今日は打合せの帰りに、「さかたファミリー歯科クリニック」に寄ってきました。

 オープンが昨年の7月末なので、半年が経過しました。

 出だしとしては順調と聞いていましたが、地域の方たちにもっと知って貰えるよう、頑張っていきますとのことでした。

 「さかたファミリー歯科クリニック」は昨日、当社のwebサイトにもUPしたところ。

 サムネイルに選んだのは正面からの夕景。

 駐車場が広いのも特徴ですが、徒歩の患者さんが一番多いとのことでした。

 このあたりは、開院してみないと分からないことが色々あるものです。

 今週の日曜日は、新年会がありました。

 「しんねんかい」とキーボードに打ち込むと「信念会」と。

 信念を確認する会、というのも悪くないなと。

 大学時代の先輩宅ですが、私は浪人しているので年齢は同じ。

 私たちは今年が年男。48歳になるので、初めて会った時からは30年近くが経ちました。

 経営者あり、一部上場企業に勤める人あり、左官職人あり。

 ほんとうに人生は様々です。

 ホスト役の先輩は、鮎釣りが趣味。

 夏に釣った鮎を冷凍保存し、鮎ご飯として振る舞ってくれました。

 こうなると、やっぱり食べれる魚はいいものです。

 天然ものなので、苦味がすっきりとして、とても美味しかったのです。

 著書も2冊購入してもらっていました。

 1冊は、お父さんへのプレゼントとのこと。このお父さんが、私にとって1番目のクライアントです。

 その仕事があるので、今があります。

 2018年にはいり、年始から2組の方が初期相談に来社してくれました。毎回の打合せ、全ての作品が、私たちの真価を世に問う真剣勝負です。

 「最もクライアントの幸せを実現できる建築家でありたい」という大きな目標を掲げて今年で22年目にはいります。

 今年のテーマは以下の通り。

 会社 ⇒ 幸せのために

 個人 ⇒ ハードワークを毎日

 ゴルフなら、パットのラインを読むのは難しいことですが、仕事に関しては簡単です。

 日々のハードワーク以外に、幸せというピンにたどり着く方法はありません。

 我武者羅とか遮二無二などは、あまり好まれない時代ですが、それしか術をしらないのだから仕方がないのです。

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家は星座に似ている<回遊できるの家>‐1448‐

 2018年初めの取材は「回遊できる家」になりました。

 竣工は、2016年の6月ですが、三男君はその2ケ月後に誕生。

 webサイトにUPしている写真は更にその半年後の写真です。

 この時は、奥さんが抱っこしたり、寝かしつけをしながらご家族6人での撮影で、とても賑やかだったのです。

 その時以来の訪問で、丁度1年振り。

 このあたりは住宅街のはずれに位置し、とても環境のよいところです。

 まずは、次男君が笑顔で出迎えてくれました。

 三男君も1歳半になり、すっかり大きくなりました。

 取材クルーは、編集者、ライター、カメラマンの3名で、うち2名は東京から。

 住宅誌のライターは女性が多かったので、男性は初めてかもしれません。

 他には旅の記事も書くそうで、取材の合間に、旅話で盛り上がっていました。

 余談ですが、小笠原諸島には空港がないそうで、最もハードルが高いことが分かったのです。

 ご主人への取材は、リビングのラグの上で。

 冬でもとても暖かいと答えてもらいました。

 冬は建物奥深くまで日が差し込み、夏はできるだけ日を入れないことに拘って設計してきました。

 朝に暖房を入れると、その後は不要とのこと。

 ウッドデッキも、うまく内と外をつないでくれています。

 一旦減額で無くなったのですが、奥さんの「DIYででも」という熱意が、実現につながりました。

 ロフトにあるガラス瓦は、ライターの人も「初めて見ました」と。

 瓦屋根が減っているからだと思いますが、シンプルに光を取り入れることが出来る優れた材です。

 その奥に見えるのはご主人の書斎。

 だったのですが、次男君の遊び場となりました。

 彼は電車好きで、プラレールが常設されているのです。

 取材陣に好評だったのが、キッチン後ろの収納。

 冷蔵庫、電話も含めて、全て引戸の後ろに隠されています。

 スチールラックに2種の収納カゴで、とても上手に、美しく収納されています。

 水色のカゴは百均のものだそうですが、カラーのテイストを統一するだけで、全く違う景色になるものです。

 撮影の皆さんから色々褒めてもらいましたが、やはり奥さんの小物選びのセンスが光っていると思います。

 奥さんはいつも謙遜されるのですが。

 紺のラグ、紺のタイル、紺のクロスに紺のイス。

 水色のカゴに、水色のクロス。

 ラグ、洋服等も、チェック柄が多かったのも奥さんの好み。

 物に意思はありませんが、ストーリーを与えてやるとそれぞれが、つながり輝きだします。

 夜空の無数の星から、神話というストーリーを見つけるのに似ています。だとするなら、出来上がった家は星座といえそうです。

 ライターから奥さんへ「なぜ守谷さんを選ばれたんですか」という質問がありました。

 私が前にいては答え難いと思い、席を外そうとすると、即答でした。

 「私とお誕生日が一緒だったんです」

 365分の1なので、光栄なことですが、少しずっこけたのです。

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雪道で思う、マナーや道徳観では弱すぎる ‐1447‐

 今日は1月11日で111のゾロ目。

 何となく縁起の良い、そしてとても寒い朝ですが、少し苦言を呈してみたいと思います。

 最近ウィンカーを出さずに車線変更をする車が増えたと感じるのは、私だけでしょうか。

 スマホの影響もあると思いますが(運転中の操作はもちろん違反です)、ウィンカーは他の車に自分の意思を伝えるためのもの。

 周りもそれを察知し、スピードを緩めたりすることで、より安全な車の移動がかないます。言わば安全の相互扶助。

 車同士の距離が離れているからと、ウィンカーを出さずにいきなり車線変更をするのは身勝手な行動で、完全に間違いです。

 年末年始の東北行きで、かなり怖い場面がありました。

 1月2日(火)の深夜2時頃、娘が体調を崩して救急病院へ連れて行きました。

 蔵王温泉スキー場から山形市内の病院まで山を下り、ホテルに戻ったのが明け方の4時。娘が容体が落ち着いたのが何よりでした。

 この日は雪が降り続き、気温は-10℃。

 山形市内の路面はアイスバーン化してしました。

 学生時代から車は4WD一筋ですが、ディスカバリーはやはり悪路に対しての性能は高いと感じます。

 しかし、滑る時はやはり滑ります。

 今思えば、このとき予行演習をしておいてよかったのかもしれません。

 翌1月3日(水)は蔵王温泉から、フェリーのでる仙台まで100km程の移動です。

 夜が明けても雪は降り続き、宿を発つ際に再度雪かきをしました。気温は-9℃。

 鼻水を垂らしたようになっていますが、人が立っているのも難しいなかを、車は走るのです。

 大半の宿泊客はスキーをしてから帰るので、朝に宿をでる車は多くありません。

 山形自動車道へ通じる山道はおよそ20kmの下り。

 ナビで下見をすると、後半は九十九折のカーブが続いています。

 また、反対車線はスキー場を目指して気が急くのか、かなり飛ばしてくるのです。

 センターラインを割ってくる車両もあり、これは気を付けないと、と思っていました。

 終盤、更に雪が激しくなってきました。

 最後の峠を越える前、車を一旦脇に停めて一部凍っていたワイパーの氷を取り除きました。

 学生時代、冬の北海道での合宿中に初代サーフを電柱にぶつけた経験があります。

 雪道をどれだけ飛ばして来たかを自慢する人は結構います。

 しかし私の限られた経験でいえば、凍った道の上で制動を失った車を操る方法はありません。

 自衛したければ、ゆっくり走るしかないのです。

 また、曇ったゴーグルでは判断力が落ちるように、フロントガラスは、常に先回りをしてケアをすべきだと身をもって知りました。

 山道もこの峠を下れば終わり。

 ギアをセカンドにして、エンジンブレーキでこの坂を下り、2度程カーブを切ったその先に、下りの直線が見えました。

 反対車線を除雪車が登ってくるのが見えました。その距離およそ100m。

 その後ろに、乗用車が3台続いています。

 見えたと同時に、一番前の車両が何と除雪車に追い越しをかけてきたのです。

 ローまでギアを落として更に減速しますが、どう考えてもこのままでは正面衝突するしかありません。

 対向車は後ろの車を気にしてか、自分の車線に戻る気配はなし。

 ブレーキを踏みますが、車のABSが働くまでもない軽いグリップのみ。

 完全に滑りだしました。

 車が滑った場面を経験したことがある人なら想像してもらえると思いますが、まるでスローモーションの映像を見るようです。

 これはぶつかるかも思った瞬間、偶然左にパーキングエリアのような空間が現れました。左にハンドルをきり、何とかそこにねじ込んだのです。

 真っ白なパーキングエリアの中でも滑り続け、180度回転して運転席側のボディーを雪の壁にぶつけて、ようやく車が止まったのです。

 幸い、雪の壁に当たる時には、かなり減速していたのと、深い新雪だったので、車体には何のダメージも残りませでしたが、怒りだけが残りました。

 雪で見えない側溝に、前輪が落ちていましたが、目一杯ハンドルを切り、バックで脱出すると、心配そうに一部始終を見ていた除雪車の作業員も、車を発進させていきました。

 つまらない自慢をしたい訳ではないのですが、峠の入口で十分に減速していなければ、確実に正面衝突したと思います。

 偶然左手にスペースが現れたから良かったものの、かわす寸前の対向車との距離は1mは無かったと思います。

 しかし、その車は止まる訳でなく、そのまま蔵王へ向かって走り去っていきました。

 これを機に、ドライブレコーダーを付けることにしようと思います。

 車は2tonもある鉄の塊で、これが高速で移動するのですから完全に凶器です。

 その車を操っているという自覚を持たない、ドライバーがあまりにも多すぎると思うのです。

 ある外科の名医が、こんなことを言っていました。

 「本当のプロは、目の前に水が入ったコップがあったなら、その後ろにあるものを、無理な体勢で取ろうとはしない。

 まずは、手前にある水の入ったコップを除け、危険な要素を排除してから、その後ろにあるものを取る」

 昨年、危険運転で捕まった不届きもののドライバーは、足で運転するのを自慢していたそうです。こういった輩は、プロの対極にいる人達。

 守られた鉄の箱の中でだけ、強気になれるタイプなのです。

 また、強引な運転で割り込んでくるドライバーが、普段の仕事の中で、1分1秒を大切に生きているとは想像できません。

 普段ダラダラしている者に限って、ギリギリに家を出て、焦って危険な運転をするのです。

 最後のくだりは私の勝手な想像ですが、大きくは外していないと思います。

 「杞憂」は、昔、中国の杞の国に、天が落ちてきたらどうしよう、地面が崩れたらどこに逃げたらいいだろうと心配して、夜も眠れず、食事も喉を通らなくなった人がいたという故事によるものです。

 概ねは、取り越し苦労の意味で用いられるもの。

 しかし、ハンドルを手で握らない者や、車線の中央から追い越しをしてくる者が居るなら、杞憂では終わらせられない時代に入っていると感じるのです。

 車はとても便利なものだし、大好きですが、あの簡単な試験で、免許を与えてよい時代は終わったのかもしれません。

 不適格者には免許を与えない、勇気をもった、厳しい審査と試験が必要なのではないかと思います。

 飲酒運転やひき逃げの厳罰化は当然だと思いますが、残念ながら、マナーや道徳観に頼る時代はもう終わっているのではと思うのです。

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2008-2018「日本発見の旅」‐1446‐

 娘が生れて3ヵ月経った2008年の5月。

 家族で白浜へ出掛けました。

 4人での旅行はこれが初めて。

 2011年のゴールデンウィークに、フェリーで大分、熊本へ。

 その際に「フェリーを使えば、47都道府県を自分の車で走破できるんじゃないか」と思ったのです。

 これが「家族で47都道府県制覇」の初めの動機です。

 結局、青森と秋田、そして沖縄はレンタカーに頼りましたが、この年末年始に宮城を訪れてようやく完結。

 テーマは、家族で隈なく日本を巡りたいという単純なものですが、色々な発見がありました。

 私たちの「日本発見の旅」をまとめてみます。

1 北海道

2015年5月3日 イサム・ノグチの遺作、札幌モエレ沼公園

 札幌-稚内はさすがに遠かった。

2 青森県

2017年5月3日 美しき世界遺産、白神山地

 岩木山は津軽の良心。大人物はよい山のある街に生まれるそう。

3 岩手県

2017年5月4日 標高1,400mの藤七温泉

 泥パックでつり、家族4人で入る風呂はこれで最後。

4 宮城県

2017年12月30日 日本三景に数えられる松島

 杜の都、仙台はその名に恥じないケヤキ並木の美しい街だった。

5 秋田県

2017年5月4日 日本一深い神秘の湖、田沢湖

 秘湯、乳頭温泉はそのネーミングにユーモアあり。

6 山形県

2015年8月15日 芭蕉が立ち寄った立石寺

 閑さや 岩にしみ入る 蝉の声

7 福島県

2015年8月13日 唯一無二のフォルム、さざえ堂

 福島第一原発の困難が、必ず喜びに変わりますよう。

8 茨城県

2015年1月2日 古河市の通過のみ。

 次の機会は、水戸へ黄門さま詣でに。

9 栃木県

2015年1月2日 家康の威光の結晶、日光東照宮

 ブルーノ・タウトは日本で「ほんもの」と「いかもの」をみた。

10 群馬県

2014年12月31日 ♪一度はおいで~♪の草津温泉

 古きものは良きもの。であることが多い。

11 埼玉県

2017年11月5日 長いトロ、だから長瀞

 SLの走る風景は、ノスタルジーを感じさせる。

12 千葉県

2014年10月13日 夢の国、ディズニーランド

 期待は裏切らないし、裏切れない。

13 東京都

2014年10月14日 スカイツリーより、内藤多仲設計の東京タワーが好き。

14 神奈川県

2009年6月7日 箱根の関は芦ノ湖の湖畔に。

 旧東海道の石畳に、出女の足跡を想う。

15 新潟

2014年4月6日 大雪のシャルマン火打スキー場

 米どころ、雪どころ新潟。

16 富山県

2015年7月23日 急峻な山地に急深の海が、黒四ダム、蜃気楼、ホタルイカを生む。

17 石川県

2012年5月2日 千里浜なぎさハイウェイを自分の足で走る。

 能登半島は、松本清張の描く「ゼロの焦点」の世界のままだった。

18 福井県

2014年9月28日 愛しき敦賀の海。 

 私の夏はいつもここに。

19 山梨県

2015年1月3日 富士は日本一の山。

 一富士二鷹三茄子。日本はどこまでも富士。

20 長野県

2016年1月1日 霊峰、御嶽山

 その佇まいに、居住まいをただす。

21 岐阜県

2008年11月4日 白川郷で受け継がれるもの。

 それは茅葺の技術と、互いに助け合う「結」の思想だった。

22 静岡県

2011年6月18日 浜名湖ならやっぱり鰻。

23 愛知県

2016年9月18日 尾張名古屋は城でもつ。

 ひつまぶし、天むす、きしめん、味噌煮込みうどん……名古屋巡りは食で十分もつ。

24 三重県

2013年4月29日 女性のバイタリティを、伊勢の海女にみる。

 時代が時代なら、一生に一度のお伊勢参り。

25 滋賀県

2017年11月4日 マザーレイク琵琶湖

 関西の強さの源でもあり。

26 京都府

2016年5月22日 水面に映える金閣

 600年前の創建時なら、その美しさは海のむこうまで届いたはず。

27 大阪府

2009年7月21日 大阪のシンボルは、内藤多仲設計の通天閣

 インバウンド頼みから脱却し、大大阪を目指せ。

28 兵庫県

2014年8月13日 世界最長の吊り橋、明石大橋

 土木技術の粋が、人の流れを変えた。

29 奈良県

2013年1月14日 世界最大の木造建築、東大寺

 建築時のロープは、女性の髪の毛頼み。

30 和歌山県

2008年8月16日 白浜のシンボル円月島

 日本最古の温泉街は、海、水族館、動物園、食となんでも揃う身近な南国。

31 鳥取県

2013年8月13日  鬼太郎が生まれた境港

 家族連れに楽しい街だった。

32 島根県

2017年8月11日 神々が集う出雲大社

 庁の舎の解体は寂しいの一言。

33 岡山県

2008年7月27日 父の里、琴浦

 島々の 浮かぶは瀬戸の 美しさかな

34 広島県

2011年3月21日 世界遺産、厳島神社

 自然のリズムを知り、自然の脅威を知ったがゆえ、ここに存在するものだった。

35 山口県

2014年8月16日 維新の志士を輩出した松下村塾

 高杉晋作の辞世の句は、人生訓でもある。

 面白き こともなき世を面白く 住みなすものは 心なりけり  

36 徳島県

2008年7月27日 鳴門海峡の渦潮。

 真近でみる迫力は、ラーメンに浮かぶナルトの比にならず。

37 香川県

2008年7月27日 象の頭に似たので象頭山

 象の眼に位置する金刀比羅宮。日本一の石段がある。

38 愛媛県

2014年5月5日 東洋のマチュピチュといわれる別子銅山

 そこで感じたのは「住友」愛。ひいては、戦後の日本人の仕事愛だった。 

39 高知県

2014年5月4日 最後の清流、四万十川

 自然との共生は、ミニマリズムにある。

40 福岡県

2014年8月14日 博多名物の屋台

 味は普通、値段も普通、衛生は……それでも価値のあるものを、文明でなく文化という。

41 佐賀県

2015年9月21日 弥生時代後期の環濠集落、吉野ヶ里

 吉野ヶ里歴史公園センターも設計した、菊竹清訓ゆかりの地。佐賀はやはり、♪ SAGA さが ♪ だった。

42 長崎県

2015年9月21日 明治維新の一場面を演出したグラバー邸

 坂の街、長崎は、金沢、函館と共に、私の思う最も美しい街。

43 熊本県

2011年5月2日 阿蘇の草千里

 雄大な景色は、西日本随一。

44 大分県

2011年5月4日 地獄のある街、別府

 対して温泉には天国の趣きが。

45 宮崎県

2017年7月23日 九州北部豪雨後の高千穂峡

 水がカフェオレでも、船に乗れただけでも有り難い。

46 鹿児島県

2011年8月15日 指宿の砂風呂。

 有名観光地は、朝駆けにかぎる。
 
47 沖縄県

2017年2月12日 ふらりと寄った、浜比嘉島の民家。

 自然に滲み出す街のエッセンスこそが、旅の醍醐味。

 約10年かけて、2008-2018年の日本を巡りました。

 改めて思うのは、この国は「安全で、本当に美しい」ということです。

 先週末に亡くなった、闘将・星野仙一はこう言っていました。

 迷ったら、即行動

 これも私の人生訓とさせて貰っています。

 弘前が生んだ作家・寺山修司は「書を捨てよ、町へ出よう」と言いました。10年後、20年後の日本はまた違った景色になっているでしょう。

 当たり前ですが、今の日本は、今しか見れません。

 これにて、「家族で47都道府県制覇の旅は」の旅は全て終了。

 次からの旅のテーマは<家族で世界遺産>にしようと思います。

 今日は成人の日。10年後、娘が成人するまでには達成したいと思うのです。

<家族で世界遺産(日本)>
  15/21 【】は未訪問
 
1  法隆寺地域の仏教建造物  文化遺産 / 1993
【2】 【姫路城】 文化遺産 / 1993
【3】 【屋久島】 自然遺産 / 1993
4  白神山地 自然遺産 / 1993
5  古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市) 文化遺産 / 1994
6  白川郷・五箇山の合掌造り集落 文化遺産 / 1995
7  原爆ドーム 文化遺産 / 1996
8  厳島神社 文化遺産 / 1996
9  古都奈良の文化財 文化遺産 / 1998
10  日光の社寺 文化遺産 / 1999
11  琉球王国のグスク及び関連遺産群 文化遺産 / 2000
12  紀伊山地の霊場と参詣道 文化遺産 / 2004
【13】 【知床】 自然遺産 / 2005
14  石見銀山遺跡とその文化的景観 文化遺産 / 2007
15  平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群 文化遺産 / 2011
【16】 【小笠原諸島】 自然遺産 / 2011
17  富士山-信仰の対象と芸術の源泉 文化遺産 / 2013
18  富岡製糸場と絹産業遺産群 文化遺産 / 2014
19  明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業 文化遺産 / 2015
【20】 【ル・コルビュジエの建築作品‐近代建築運動への顕著な貢献】文化遺産 / 2016
【21】 【「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群】 文化遺産 / 2017

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家族で47都道府県制覇<美しくも大変だった山形、杜の都仙台編>‐1445‐

 2017年の大晦日は、散々な夜になりました。

 私が高熱にうなされる横で、子供たちが「笑ってはいけないアメリカンポリス」で大爆笑という地獄絵図。

 節々が痛み、頭がガンガンする横で、我が子とはいえ6時間も馬鹿笑いを聞かされるというこの屈辱感……

 普段あまりテレビを観せておらず、約束していたので仕方ありません。

【1月1日(月)】

 元旦の朝、鳴子温泉郷をあとに。

 山形盆地を 東北中央自動車道で南下します。

 昼一番に蔵王温泉に到着しました。

 頭痛が残るので、ゲレンデへ向かう子供たちを見送ると、娘が「部屋でしっかり仕事しといてや」と。

 父親としての修行はまだまだ続くのです。

 蔵王センタープラザというホテルに泊まったのですが、なかなか味わいのあるホテルです。

 外部は杉板型枠の打ち放し。

 モダニズムを念頭においた建物です。

 設計者を探してみましたが、見つけられませんでした。

 内部もコンクリート打ち放しにペンキ仕上げ。

 化粧でない型枠の荒々しさが、内部壁に質感を与えています。

 トイレ部の間仕切り壁も、コンクリートブロックにペンキ仕上げ。

 しかし、スチールの建具は結露で穴があいており。

 若干いがんでいるようで、強引に開けると、閉めるのにかなり苦労しました。

 310号室は気を付けて下さい。

【1月2日(火)】

 翌日の午前中まで静養し、昼からゲレンデへ出ました。

 ずっと雪続きでしたが、1時間ほど晴れ間がのぞいたタイミングがありました。

 蔵王温泉スキー場の広さがよく分かります。

 山頂にある地蔵尊は、遭難者が続出したために江戸時代に建立されたもの。

 以後、遭難者が減ったことから災難除けにまいる人が増え、山自体を地蔵山と呼ぶようになったそうです。

 今年の災難除けにお賽銭も奮発したのですが、賽銭箱がスキー板付きなのはちょっと笑ってしまいました。

 蔵王と言えば樹氷です。

 日本海側からの強い風雪で、樹の原型はなく、大きな石の塊のようにみえます。

  中身はトドマツだそうですが、それらが連続する景色を見るため、多くのインバウンド客も訪れていました。

 その樹氷原に間を滑る林間コースを何本か滑りました。

 今回は時間が足らずで、子供たちにスキーを教えることができませんでしたが、―9℃のパウダースノーを楽しんできたのです。

 旅のスタート時から娘がセキをしていました。

 部屋の乾燥もあってかだんだんひどくなっていき、この日の深夜は発作がありました。

 絶え間なくセキがでて、何度ももどしてしまったのです。

 あまりにも辛そうなので、救急病院に向かいました。

 深夜の2時半、山形市の救急病院に到着。

 吸入をしてもらいようやく落ち着いた様子。

 ホテルに戻ったのは明け方4時頃でしたが、それでも寝てくれてほっとしたのです。

【1月3日(水)】

 かなりの雪の中、蔵王温泉を発ちます。

 山形自動車道までの道中は、九十九折りになった山道が続きます。

 ここでかなりヒヤッとした場面があったのですが、いろいろと思うことがあり、後日に書いてみたいと思います。

 お昼前に仙台駅前に到着。

 ここでも、定禅寺通りに続くケヤキ並木が街の景観をかたちづくっていました。

 多くの人出が、東北最大の都市、仙台を体感させてくれます。

 しかし、これらのケヤキは戦後に植樹されたもの。

 「阿Q正伝」で知られる魯迅の下宿後があるのが、元武家屋敷のあったエリア。

 現在は裁判所などの官庁が集まりますが、明治以降の都市計画でよくあるケースです。

 石垣の中央は明治期に積まれたもので、左右の荒っぽい石垣はそれ以前のもの。

 中央は武家屋敷の門があった場所なのです。

 徳川家に俸禄を半減された伊達家は、武家屋敷に柿、りんご、イチジクなど、実のなる木々の植樹を奨励します。

 杜の都の源は、苦肉の策だったのです。

 全てブラタモリの受け売りですが。

 正午過ぎに仙台港に到着。

 この旅も、20時間の航海で終わり。

 午後3時半ころ、福島第1原発沖を通過しました。

 望遠レンズでのぞいてみました。

 コンクリートで固められ、多くのクレーンが見えます。

 太陽は毎日沈み、また翌朝顔をだしてくれます。

 どんな困難が起ころうとも、人は幸せを目指し生きるしかありません。

 その過程こそが私たちの人生なのです。

【1月4日(木)】

 午前7時頃、伊勢湾に入りました。

 白波の立つ中、多くの漁船が一斉に出船してきました。初仕事でしょうか。

 当社も明日から仕事。飛翔の1年にしたいと思うのです。

<目指せ、家族で47都道府県制覇>
47/47 全都道府県制覇

北海道

青森 岩手 宮城 秋田  山形 福島

茨城 栃木 群馬 埼玉 千葉 東京 神奈川

新潟県 富山 石川 福井 山梨 長野 岐阜 静岡 愛知

三重 滋賀 京都 大阪 兵庫 奈良 和歌山

鳥取 島根 岡山 広島 山口

徳島 香川 愛媛 高知

福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島

沖縄

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家族で47都道府県制覇<最後の宮城、岩手編>‐1444‐

 新年、明けましておめでとうございます。

 2018年の元旦は、宮城県鳴子温泉郷で迎えました。

 小雪舞い散るなか、初日の出を見ることができました。

 しかし、どうやらインフルエンザにかかってしまったようで……

 昨日の夕方から寒気がしだし熱も39度に。長期休暇にダウンするパターンです。

【12月28日(木)】

 7:00pmに名古屋港を出港しました。

 名古屋と、仙台、苫小牧を結ぶのが太平洋フェリーです。

【12月29日(金)】

 およそ20時間の船旅。

 4:40pmに杜の都、仙台に到着しました。

 最後となった宮城県に入り、ようやく家族で47都道府県を制覇しました。

 この日は夕食だけなので、奮発して仙台牛の焼肉へ。

 「仙台で一番厚い牛タン」がこの店の売り。

 分厚い牛タンで美味しいのはタン元だそう。

 舌の付け根にあたる部分で、どの部位でも厚ければよい訳ではないそうです。

【12月30日(土)】

 仙台は河岸段丘に、伊達政宗が築いた都市。

 町の外れまで歩くと、それがよくわかります。かなり標高が高いのです。

 「杜の都」の代名詞となっている定禅寺通り。樹齢70年になるケヤキが4列に植わっています。

 通りに面して建つのは「せんだいメディアテーク」。伊東豊雄の代表作です。

 束上になった細い柱が床を貫き、縦方向の動線であったり、光を取り入れるという機能を持たせています。

 残念ながら年末休みで、中に入ることはできませんでした。

 仙台市街を離れ、東にある松島へ。天橋立、宮島とともに日本三景のひとつとされます。

 松島四大観のひとつ、扇谷を訪ねましたが皆の反応はいまひとつ。

 これではちょっとということで、裏松島まで移動することにしました。

 石巻方向に更に東へ30分。

 途中、津波被害があったエリアという標識などもありました。

 震災から7年。2011年当時には何もできなかったことに悔いが残っていました。

 熊本地震では初めて行動を起こすことができましたが、自分の職能で社会の役に立ちたいと思うのです。

 東松島市にあるここからの景色を「壮観」というそう。

 まさに壮観。日本三景に恥じぬものでした。

 これで皆納得です。

 石巻で昼食をとり、岩手県の内陸部、平泉を目指します。

 中尊寺は私も初めてでした。

 予想通りというか、残念ながら撮影禁止。

 アプローチから望遠レンズで撮りました。

 それが許されるのかは別にして、これほどまでに撮影制限をする理由は何なのだろうかと思います。

 写真とは、感激を保存し、共有できるものだと思っています。

 しかし、奥州藤原氏の美の結晶。金色堂には幽玄の世界があったのです。

 この日は、平泉近くの一関で一泊。

【12月31日(日)】

 翌朝は、岩手を離れ国道4号線を南下。

 東北の背骨にあたる山岳地帯を目指すのですが、途中群れになって飛ぶ白い鳥を何度か見かけました。

 越冬に飛来している白鳥のようです。

 こんなところに、東北ならではの豊かな自然を感じます。

 山形の鳴子温泉に到着。

 コケシで知られます。

 この日の宿は、鳴子温泉郷にある中山平温泉でした。

 このころから悪寒がしだしたのです。

 昨年の夏休み、今回の旅とほぼ同じルートを回り「47都道府県制覇」は完結するつもりでした。

 しかし、お盆休みを使わなければ、現行プロジェクトをスケジュール内におさめるのが無理と分かり全てキャンセル。

 半年遅れになりました。

 たかが家族旅行。されど家族旅行です。それでも、テーマが旅に出る理由を与えてくれるのだと思っています。

 熱もだいぶ下がってきました。

 今日は今から蔵王へ移動します。

<目指せ、家族で47都道府県制覇>
47/47 全都道府県制覇

北海道

青森 岩手 宮城 秋田  山形 福島

茨城 栃木 群馬 埼玉 千葉 東京 神奈川

新潟県 富山 石川 福井 山梨 長野 岐阜 静岡 愛知

三重 滋賀 京都 大阪 兵庫 奈良 和歌山

鳥取 島根 岡山 広島 山口

徳島 香川 愛媛 高知

福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島

沖縄

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