2017年 暮れは元気にご挨拶‐1443‐

 一昨日、出版社より『MY HOME 100選 vol.19』が届きました。

 このムック本には、「滋賀の家」が掲載されています。

 

 また、年明け早々には、「回遊できる家」の住宅誌の撮影があります。同じく、テレビ取材も決まりました。

 これらは、私たちにとってのお年玉のようなもの。何かしら結果がでると、やはり嬉しいもの。

 「終わりよければすべてよし」とはなかなかの格言です。

 今日が今年最後の木曜日なので、日記の1年を振り返ってみたいと思います。

1月 この道は滑走路‐1344‐

 1月3日の早朝、北野天満宮へ合格祈願に行きました。

 2週間後に、長男が何とか志望校に合格。

 親ができることは、道真公へ神頼みするだけでした。

2月 沖縄の旅<前編>‐1352‐

 「家族で47都道府県制覇」の中でも、私が唯一行ったことがなかった沖縄。

 車や船旅が好きな私にとって、最も遠い日本でした。

 しかし、初めての沖縄は、美しく、美味しく、素晴らしいところでした。

3月 古希‐1358‐

 母の古希祝いに天橋立へ。

 従姉妹どうしで股のぞき。

4月 子供も楽しくなければアートじゃない‐1372‐

 アートを求め、香川県・豊島へ。

 西沢立衛設計の豊島美術館には、子供も、大人も楽しめるアートがあったのです。

5月 最後の難関、北東北<青森・秋田編>‐1375‐

 青森の日本海側にある不老ふ死温泉。

 絶景露天風呂の名にふさわしいロケーションでした。

 飛行機移動でしたが、久々のプロペラ機は怖かった。

6月 子供は小さな大人じゃない‐1385‐

 長男が中学校で卓球部に入りました。

 娘も卓球教室に通いだし、実家では卓球台を購入。

 大人と子供の違いは埋められるものではありません。しかし、理解し合う努力を続けるしか方法はないのだと思っています。

7月 7/21(金)~23(日)「さかたファミリー歯科クリニック」内覧会を開催します‐1392‐

 今年は、住宅、オフィスなど8件が竣工しました。

 そのなかで唯一のクリニックが「さかたファミリー歯科クリニック」

 庇は大樹をまもる葉のイメージです。

 クリニックにおいて、地域の方々に長く愛される以外に目的はありません。

8月 みんな寝ている松江、まずは自分が頑張れ<行ってはいるが島根編>‐1404‐

 「家族で47都道府県制覇」の中で、行ったと勘違いしていた宮崎。

 こちらは7月に弾丸フェリーで行ってきました。

 島根県も通っただけだったので、強行日帰りツアーです。

 朝が早かったため、松江では私以外誰も起きてこず。しかし、世界遺産・石見銀山で食べた団子は美味しかったそう。

9月 夏にサヨナラ‐1412‐

 12月に、海用のボートを廃船しました。

 年に1回、できれば2回はこの海へ行きたいと思っています。

 そして9月には、夏をサヨナラしに行くのです。

10月 細胞レベルで‐1421‐

 「35億」が流行語大賞にノミネートされていましたが、「細胞レベルで」のほうがインパクトがあったのではと思っています。

 人はいうまでもなく、自然を求めます。

 しかし、台風の脅威を嫌という程知らされた10月でもありました。

11月 現実はいつもひとつ<埼玉長瀞編>‐1428‐

 この月も「行ってはいるが通っただけ」を払しょくするために埼玉へ。

 「ブラタモリ」で観た長瀞にしました。

 思った以上の急流具合に、ややたじろいでしまったのです。

12月 『建築家と家を建てる、という決断』AMAZON 1位‐1439‐

 11月27日出版となっていますが、正確な発売日は12月12日でした。

 皆さんのおかげで、発売翌日、翌々日あたりまでは<民家・住宅論>というカテゴリー内ですが、amazonで1位になってくれました。

 『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀(著)

 仕事をしながらの執筆は、思った以上に時間がかかりました。

 しかし、また機会があれば、書いてみたいと思っています。

 昨年末にマルコが退職してからは3人体制で、常時10件はあるプロジェクトを引っ張ってきました。

 何とか進めてこれたのは、10年目に入った、田辺さんの成長も大きかったと思います。

 来春には、新たなスタッフがチームに加わります。

 もっともっと高い所を目指したいと思っています。

 今年一年、この日記、並びに現場日記にお付き合い頂き、本当に有難うございました。

 年始は、家族で47都道府県制覇、最後となった宮城からの予定です。

 皆さんにとって、2018年も素晴らしい一年となることを確信しています。

 2017年12月28日 守谷昌紀

■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀(著)
ギャラクシーブックスから11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました■■■

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

こんな私で良かったら、好きになって頂けませんか?‐1442‐

 私のジョギングコースには、お寺が結構沢山あります。

 平野郷にある全興寺(せんこうじ)は聖徳太子によって建立されました。

 境内のナンテンが見事に色づいています。

 赤と緑が美しく、まさにクリスマスカラー。

 幸せや平和を願う気持ちに、宗教は関係ありません。

 昨日は、我が家でもささやかなクリスマス・パーティを開催しました。

 その際に、娘が「サンタはお父さんなんでしょう」と。

 小4で9歳。そろそろ……

 いやいや、そこは「信じるものは救われる」です。

 「信じる人のところには来てくれるんじゃないかな。お父さんは信じているけど」

 今朝、枕もとにあるプレゼントを見つけ、喜々とした声を上げていました。この話題はまた来年に持ち越しです。

 夕食後、先月録画していた安室奈美恵の番組を皆で観ました。

 子供達は「HERO」が好きで、買い与えていたのです。

 番組はキャリアのスタートから引退に至るまで、順を追ってインタビューでたどっていくという構成でした。

 15歳でデビューし、小室哲哉プロデュースで一気に時代の寵児に。20歳で結婚、そして休業。

 その後、小室哲哉による楽曲提供、プロデュースは終了します。

 売り上げも低迷し、彼女は自分を見つめ直すことになりました。

 そして、得意ではないMCが全くない、2時間、歌って踊り続けるコンサートのスタイルにたどり着いたのです。

 「こんな私で良かったら、好きになって頂けませんか?」

 10代、20代、30代、40代で、ミリオンセラーを記録した、唯一無二の女性アーティスト。その彼女の言葉です。

 ずしりと響きました。

 人はここまで謙虚になれるのです。

 彼女が話す姿を、初めてまじまじと見ましたが、極めて繊細な感性を持っているのだと分かります。

 引退撤回大いに結構、という記事を一度書きました。

 「一生続けていく仕事じゃないなと思っていた」の言葉と、「もっと楽しい未来が待っていると思っている」の言葉を、僭越ながら応援したいと思います。

 今年の年末は、久し振りに紅白を観てみようかと思ったのです。

■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました■■■

1985年のサザンオールスターズ‐1441‐

 『houzz』という、建築家登録サイトがあります。

 このサイトはアメリカ発の会社で、世界展開をしています。昨日、「松虫の長屋」houzzツアーという特集記事で取り上げてもらいました。

 『houzz』からオファーがあり、ライターのkawaguchiさんから取材を受けました。

 非常に的確で、また大げさになりすぎす、とてもよい記事だと思います。

 他者に認めて貰う、特別扱いして貰うことは、仕事の遣り甲斐のなかでも、かなり大きなウェイトを占めていると思うのです。

 初めての著書を出版させて貰いましたが、出版社が月曜日にプレスリリースをしてくれました。

 産経新聞時事通信日刊工業新聞とそれぞれのweb版の中で、プレスリリース枠に掲載されていました。

 毎日、多くの企業がこれだけ沢山のプレスリリリースをしていることを初めて知りました。

 この高度情報化社会で、人に見て貰う、目に留まるということは、極めてハードルが高いことだと、反対に納得したのです。

 こちらは、少し前に新聞記事でみかけた本。妻に購入を頼んでいましたが、なかなか届かずでした。

 品薄になるくらい売れているのかも知れません。


『サザンオールスターズ1978-1985』
スージー鈴木(著)

 音楽評論の本を読んだのは初めてですが、結論でいうとかなり面白かったのです。

 「ザ・ベストテン」の「今週のスポットライト」にサザンオールスターズが登場したのが1978年8月31日。

 デビュー曲「勝手にシンドバッド」を、短パンにランニング姿で桑田佳祐が歌う映像は、何度も観たことがあります。

 当時私は小学2年生。それがリアルタイムだったのかは定かではありません。

 1982年の「チャコの海岸物語」のヒット時は6年生になっていたので、はっきり覚えています。

 1978年に衝撃の登場をしたサザンオールスターズが、1985年「メロディ」という傑作が収録されている「KAMAKURA」というアルバムを発表し、活動停止に至るまでが描かれています。

 サザンはコンサートに行くほどのファンではありませんでしたが、ここで紹介されていたアルバムの半分くらいは持っています。

 カラオケが好きという程ではないのですが、いざ歌う機会があれば、「Ya Ya 」「ミス・ブランニュー・デイ」「「Bye Bye My Love 」「メロディ」などに頼る確率は高いです。

 練習なしでそれなりに歌おうと思うと、メロディラインくらいは自然にでてこなければなりません。

 8歳から15歳の時期に、サザンの音楽はいつもまわりに流れていました。

 「勝手にシンドバッド」は沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンク・レデイーの「渚のシンドバッド」をあわせたパロディだったとは全く知りませんでした。

 コミックバンドのような扱いから、国民的バンドへと成功、成長していく過程を、日本の音楽史、洋楽の影響も含めロジカルに語られており、飽きることがありませんでした。

 特に、日本語をロックに載せた功績は、過小評価されすぎだと著者は憤っているのです。

 歌の聞き方は人それぞれです。

 私にとって流行歌(あえてそう書きますが)は、その行間に自分の人生を投影しているものだと思います。いわば音楽日記。

 この点で、鑑賞するクラッシク音楽等とは、楽しみ方が違うのではないかと考えています。

 「胸騒ぎの腰つき」から「strawberry woman Don’t you go」まで。自分なりにsweet & bitterな、前期・青春時代を振り返っていました。

 「メロディ」のイントロが流れてくると、やはり気持ちは一瞬で15歳に引き戻されます。1985年のサザンオールスターズは、1985年の自分でもあるのです。

 King of Pop、マイケル・ジャクソンは映画「THIS IS IT」の中で、こう言います。

 最初のレコーディングの音

 観客のイメージどおりの

 それに忠実にしたい

 マイケルの求道者のような姿勢がとても好きです。

 歌の中で、人は歳をとれないのかもしれません。

 彼が自邸をネバーランドと呼びました。

 アーティストは歳をとってはならない、特別な存在でありたいと、誰より願っていたのだと思うのです。

■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから11月27日出版
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建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

さらば、LOWEの14フィート‐1440‐

 先週の月曜日は、湖での話を書きました。

 今日は海の話です。

 このボートが我が家にやってきたのは1988年、私が高校2年生の時です。

 父が購入したもので、船名を「MGⅡ」といいます。会社の屋号「守谷硝子店」からとったもの。

 ちなみに先代の「MGⅠ」はエンジン付きでゴムボートでした。

 およそ30年、海に湖にと付き合ってもらいましたが、ついに廃船することになりました。

 スクラップ工場へもちこむと、再生できる金属として引き取っとくれるのです。

 ようはアルミ屑となってしまう日。

 重量が約80kg。

 90円/kg、7千円ほどで引き取られていきました。

 舳先が曲がっているのは、クレーンから落とした痕跡で、それによって亀裂が入ったところは、アルミ溶接で修理してもらいました。

 まさに満身創痍だったのです。

 計量を終えるといよいよ解体棟へ。

 フォークリフトは言ってみれば霊柩車。

 「最後のお別れをしてください」という場面です。

 LOWE(ロウ)は、アメリカのブラックバス釣り用のボートです。

 持ち運びがしやすいので、海にも使っていました。

 しかし、約10年前から船底にクラックが入りだし、海専用にしました。補修を繰り返しながら使っていたので、寿命は全うしたと思います。

 海の思い出は、ほぼこの船とともにあります。

1992年9月1日

 大学生になってからは、毎夏フル稼働。

 こんな小さな船で海にでる体験はそうないはずなので、皆が喜んでくれたのだと思います。

 クルマは初代のハイラックスサーフ。

2007年9月22日

 2歳の長男といつも船を下す港の主、Sおっちゃん。

 私の最年長の友人です。

2008年9月14日

 Sおっちゃんは、父の古い友人です。

 海でのマナー、海での遊び方を教えてもらいました。

 この日は2人で痛飲。

2009年8月23日

 娘も1歳半になり、浜遊びができるように。

2009年9月13日

 ここがSおっちゃんの海での家。

 車は2代目のハイラックスサーフに。

 この船があったおかげで、磯で魚を突いたり、タコを獲ったりできたのです。

2012年7月29日

 娘も4歳になり、船遊びの楽しさも少し分かるように。

 長男が釣ったアコウ。

 とても美味しい魚です。

 長男は7歳になり、沖で潜りはじめた頃。

2009年9月2日

 従兄弟たちと。

 海の中は、いつも極彩色です。

 子供達に一番見せたかったのは、その景色だったと思います。

 獲物の基本は、小物のガシラですが。

2014年9月14日

 沖からみる海は、いつも本当に美しいものでした。

 車は初代ディスカバリーに。

 長男は、1人で潜るようになりました。

 家族で乗ったのは、この日が最後になりました。

 荷物を満載した車4代とともに、夏の相棒でした。

 80kgある船を引きずり回しながら、積み下ろしするのが私の夏でした。

 準備は大変でしたが、それが無くなると思うと、正直寂しいものです。

 心残りは、子供2人が中学生になるまで、このボートで遊べなかったことでしょうか。

 クルーザーは持てなかったけど、海面が近いこのボートで日本海に出るのが好きでした。

 車や船が去っていく時、言葉が尽きることはありません。

 形あるものはいつか壊れる。命あるものはいつか尽きる。

 分かってはいますが、30年も私に仕えてくれて、今は感謝の気持ちしかありません。

 さらば、LOWEの14フィート。

 今は次の船をイメージできないのです。

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ギャラクシーブックスから11月27日出版
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『建築家と家を建てる、という決断』amazon 1位‐1439‐

 「一般の方と建築家が近くなる本の執筆を依頼したく……」というメールが届いたのが2015年の12月。

 あっという間に、2年が経ってしまいました。

 初めての著書、『建築家と家を建てる、という決断』がようやく出版されました。

 2017年11月27日が1版となっていますが、実際に購入できるようになったのは一昨日の12月12(火)。

 amazonのページにいくと、「なか見!検索」とあり、約20ページを見ることができます。

 これだけ先に読めるようになっているとは知りませんでした。

 昨日の午後1時に見に行くと「民家・住宅論」のカテゴリーで「1位」となっていました。

  ‹ 本 ‹ アート・建築・デザイン ‹ 民家・住宅論

 周知の通り、上記のようにカテゴリーは細分化され、1時間ごとに更新されるようですが、それでも驚きました。

 著書をだすと、これらの1位を狙うためにキャンペーンをはると聞いたこともあります。

 「そんな嘘っぽいのは嫌だな」と思っていたのです。

 ひとつ上の「建築」まで階層を上げても、昨日の2時頃は27位でした。

 この時間帯のランキングは以下のようなもの。

1位 次の「震度7」はどこか!
 角田 史雄  (著)

7位 Casa BRUTUS(カ-サブル-タス) 2017年12月号

8位 安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言
 安藤 忠雄 (著)

21位 Casa BRUTUS(カ-サブル-タス) 2017年11月号

27位 建築家と家を建てる、という決断
 守谷 昌紀 (著)

28位 安藤忠雄 仕事をつくる―私の履歴書
 安藤 忠雄 (著)

 妻が言うには、1時間前までは24位だったとのこと。小細工は嫌だと書きましたが、気にならないといえば嘘になります。

 28位の安藤の著書は、日本経済新聞の人気コラム「私の履歴書」で、しかも5年前の出版です。

 私は人気作家でもないので、本当に1番だとか、安藤より支持を得たと思っている訳ではありません。

 これまでのクライアント、知人に送ったメールだけで、これだけ購入してくれたということに、ただ感謝するだけです。

 表紙は縦長が条件で、「松虫の長屋」から選びました。

 兄弟がボルダリングで遊んでいる姿をお母さんが見守っているものです。

 裏表紙は「高台の家」の擁壁下からのカットにしました。

 「家族の物語を空間に織り込みたい」そして「モノは美しくあってほしい」という、2つの思いから選んだものです。

 文章を書くことを職業としている人に、昔から敬意をもっていました。

 webサイトのプロフィールにあげた、好きな作家は以下の通り。

 開高健、沢木耕太郎、志水辰夫、司馬遼太郎、阿佐田哲也、半村良、水上勉、白石一郎、松本清張、宮本輝、池波正太郎 

 いずれも文章が美しく、リズムがよい一流の作家ばかりです。

 しかし、ある人にとっては、この名前にもさほど興味がないかもしれません。

 建築家との家づくりを少しでも意識している人になら、価値のある本を書くことできるのではと思い、筆をとってみたのです。

 広げた風呂敷ほどの内容があったのか、全く期待外れなのか、興味のあるかたはご一読下さい。

■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから11月27日出版■■■
<民家・住宅論>amazonランキング1位

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建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
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趣味を仕事にする‐1438‐

 芸術家・岡本太郎は「私は趣味などという卑劣なものをもたない」と言いました。

 さすがは岡本太郎、といったところです。

 私の趣味は釣り。

 岡本太郎の域には達していないことになりますが、1年のうちの10日間、湖上に浮いている時間はやはり幸せです。

 妻に「休めそうなので釣りに行こうかと思う」と言うと、「この寒いのに?」と。

 確かに、明け方は氷点下。山頂部には冠雪も見えていました。

 しかし、好きや趣味に寒さは関係ないのです。

 奈良県下北山村にある池原ダムに魅せられて20年強。

 1988年、村が中心となりブラックバスを観光資源として放流しました。

 美しい大自然と共に、村が釣り客を歓迎してくれるのも、ここに通う理由です。

 放流されたのがフロリダバスという種で、 日本でも最大級の魚が釣れることでも知られます。

 そのひとつの基準が60cmオーバー。通称、ロクマルです。

 水面まで上がってきた時、久し振りに「超えたか?」と思いました。

 が、測ってみると57cm、2kg。

 残念ながら60(ロクマル)には届きませんでした。

 春、夏、秋に比べ、数が釣れない冬は基本大物狙い。

 若干濁りがあったこの日は、特大を狙って20cm以上ある巨大スプーン(ルアーの種類)でスタートしました。

 水温は低いものの、新鮮な水が流れ込んでくるエリアにいる、体力のある個体を狙いました。ここまで読みが当たるとまさに爽快。

 湖で食事をしていた時、スプーンを水中に落としてしまい、それに魚が食いついてきたのがその名の由来です。

 ルアーフィッシィングの始まりともいわれ、その後スポーツフィッシングとして、欧米で社会に浸透していきました。

 バスフィッシングにはプロの試合があり、それらに参加するのがバスプロです。

 サッカーにJ1、J2があるように、バスプロの世界にもクラスがあり、最上位のカテゴリーをTOP50と呼びます。

 昨年まで、このカテゴリーで活躍していた北山睦プロと、昼食が一緒になり、その世界での話を聞かせてもらいました。

 ちなみに、2015年に長男へルアーをプレゼントしてくれた山岡計文プロは下北山村の出身で、今年は年間3位の活躍。まさにトッププロとなりました。

 北山プロはTOP50の権利を持ちながら、諸事情で一旦撤退したそうですが、その話がとても面白かったのです。

 トップカテゴリーに参加するのにはいくらの費用がかかる、1位の賞金は数百万円で、6位は微々たるもの。

 また「この時期ならどの場所で、どんな深さを、どんなルアーで、どのようなコースを通すかで釣果は変わってくる。釣れる人と釣れない人の差があるとすればそれくらい」と。

 帰り際も、更に釣りの話を聞かせてくれました。

 トッププロだけあって、極めて論理的。聞いているだけで釣りが上手くなる気がします。

 この閑散期にやってきた甲斐がありました。

 年末年始もここで過ごすそうで、本当に釣りが好きなのだと分かります。

 サッカー少年がJリーガーになるように、好きが仕事になるのは理想的です。しかし、その道が楽であるはずがありません。

 スポーツとはそもそもが遊びや娯楽なので、行為自体に楽しみがあります。娯楽を仕事にする訳なので、もちろん競争は激しいものになります。

 また、それ自体に生産性がある訳ではないので、この大量消費社会、高度情報化社会であるからこそ、職業たりえるのです。

 「職業に貴賎なし」が大原則なので、軽んじるつもりは全くありませんが、はっきり言えば無くなったからと言って、生死に直接の影響はありません。

 若者が車を持たないなど、バスフィッシングも2000年あたりをピークに、どちらかといえば衰退傾向です。

 北山プロにしても、山岡プロにしても、そのあたりを分かっているので、裾野のファンを大切にするのです。

 大相撲の問題をみると、全く反対の印象を受けます。

 私の年代で、相撲ファンを見つけるのは相当に困難です。あまりにも低い道徳観と、世間とのギャップをみると、怒りに近いものを感じます。

 国鉄や郵便の民営化よろしく、国技という冠を外して欲しいとさえ思うのです。

 この類の話しを長男にしたとき、「建築家がいなくなっても、誰も死なないじゃない」といわれました。

 全くその通りです。だからこそ、違いを求める人達に選んで貰えるよう、仕事に打ち込むしかないのです。

 私の釣り自慢から少し話がそれました。

 元監督の野村克也は、タニマチの存在が一時、阪神の選手を駄目にしていたと言っていました。

 タニマチは相撲用語。甘やかす、は全ての巨悪の根源なのです。

 相撲協会は、勇気をもって極めて厳しい判断をしてもらいたいと思います。

 でなければ、未来はないというところまで来ていると思うのです。

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苦渋はなめつくす‐1437‐

 12月に入って、よい天気が続いています。

 昨日は、大阪ビジネスパーク(OBP)へ行っていました。

 ビジネスパークなのでビル建築ばかりですが、それを背景にした紅葉も美しいもの。

 奥にのぞいている濃いグレーの建物は「大阪東京海上日動ビルディング」。

 OBP側からはちらとしか見えませんが、1990年完成の名建築といってよいと思います。

 構造のフレームを外部に追いやり、自由な平面を実現しています。

 鹿島建設の設計施工。

 振り返って西をみると、左に1990年完成の松下IMPビル。

 そして中央も同じく1990年完成のクリスタルタワー。

 竹中工務店の設計施工ですが、高層ビルのひとつの到達点ではないかと思っています。

 2011年1月、『住まいの設計3・4月号』に「地元建築家がガイドする名建築 大阪編」というコラムを寄稿しました。

 その際も、このビルを取り上げました。

 OBP行きの目的は、ニューオータニで開催された盛和塾の勉強会でした。

 盛和塾は、京セラの名誉会長であり、KDDIの創設者、経営破綻したJALを、2年で世界最高収益航空会社へと回復させた稲盛和夫さんから経営を学ぶ場です。

 昨日も1400名以上の参加者があり、ロビーは熱気であふれていました。

 「経営を学ぶ」と書きましたが、この日の講和は西郷隆盛(南洲)の遺訓から学ぶという内容でした。

  命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。この仕末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成し得られぬなり。

 そういう人しか、リーダーはつとまらないし、リーダーになってはならない、というものでした。

 命も、名も、名誉も、お金も全く要らないとまではいえませんが、気持ちとしてはそのつもりです。

 幾たびか辛酸を歴(へ)て志始めて堅し

 これは多くの人がうなずいていたと思います。

 仕事をしていると、本当に色々なことが起ります。

 幾度も辛酸をなめ、それを越えていかなければ、志は固まらないのです。

 ミスタープロ野球、長嶋茂雄はこういっていました。

 「日々を丁寧に生きる。そして苦渋はなめつくす」

 華やかに見える成功者は、これらの過程を経てその立場にいます。

 成長したい、成功したい。しかしその覚悟があるのかという問いに、改めて身を引き締めざるをえないのです。

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色は光の代弁者‐1436‐

 私の住む家は築45年。

 毎朝、縁側から小さな庭へ向かい、瞑想の時間をとります。

 日々庭木をみているとり、太陽高度が低くなっていくさまがよくわかります。

 昨日は、気持ちの良い天気で、散髪ついでに長居公園まで足を伸ばしました。

 植物園の木々は極彩色のいろどりです。

 それでも、この時期の主役はやはりイチョウでしょうか。

 光を受けた葉は、黄金といってよい美しさです。

 光は波の要素を持っています。

 波長ごとに屈折率が違うので、水の粒子がプリズムの役割を果たし、別々に見える状態が虹です。

 虹が人に見える領域で、紫より短い紫外線等、赤より波長の長い赤外線は見ることは出来ません。

 反対に全ての波長が揃っている場合、光は白に見えます。

 波長の短い順に、紫、藍、青、緑、黄、橙、赤。

 空気中には多くのチリや粒子があり、波長が一番短く、拡散しやすいはそれらに当たって宇宙へ出ていきます。

 次に短いが空気の粒子によって最も拡散しやすく、空はく見えるのです。

 朝、夕は大気圏を長く横切るため、波長の短いの光は拡散を繰り返し、多くは地表まで届きません。

 波長が長く、拡散しにくい赤系の光だけが届くので、朝焼け、夕焼けはとなるのです。

 色というものは、直接光源を見るか、反射しているものが目に映ったもの。

 植物の葉がなのは、生物が元々海の中から生まれてきたことに理由があります。

 海の中で効率よくエネルギーを取り込もうとすると、波長の長い赤系の光から取り込むことになります。

 それらが吸収されるので、海はに見えます。

 最も効率の悪いは優先順位が低くなり、取り込まなくなったがゆえ、反射してに見えるのです。

 不要としたが、精神的にやすらぎを与えるのは逆説的で面白いところです。

吸収光の色→観察される色(補色・余色)

紫→緑黄
青→黄
緑青→橙
青緑→赤
緑 赤→紫
黄緑→紫
黄→青
橙→緑青
赤→青緑
紫赤→緑

 北欧の家具に名作が多く、かつ色鮮やかなのは、長く暗い冬を乗り切るためだといわれます。

 色とは光の中から、ある波長だけを選び出したもの。光の代弁者といえそうです。

 どんどん日が短くなり、光が恋しくなっていきます。再び太陽高度の上がりはじめる冬至までは約3週間。

 クリスマスをひとくぎりとし、ギアを1段上げてラストスパートです。