今年もあと2日、兎にも角にも、2004年は終わります。-年が暮れる-なんとも美しい表現だなと、気が付きました。
今年は私の設計事務所のホームページをリニューアルすると共に、この日記を始めました。日々思うことを、少しでも文章として残せたら、という気持ちと、自分の見た美しい自然の風景を見て貰いたいという気持ちからでした。
私の勝手な考えを見てくれる人はいるんだろうか、と思っていましたが、いろんな人に訪れて頂き、何人かの人からは「いい話もあるね」なんていう感想を貰ったりした時は、なんとも嬉しいものでした。
見て貰えるというのは、大変うれしく、励みになります。考えを素直に伝えたいという気持ちもあります。日記は今後も出来る限り続けて行きたいと思いますので、気が向いた時はまた立ち寄ってください。
今年は、私の作品を初めてテレビで紹介してもらったり、本への掲載が決まったりと、いくつかのご褒美を貰ったような気がします。まだまだ勉強しなければならない事は山積みですが、仕事納めを終えた今日だけは、「精一杯やったじゃないか」と自分に言ってあげたいと思います。
そして、新たな気持ちで、新年を迎えようと。
今年も一年、本当にありがとうございました。2005年が、みなさんにとって素晴らしい一年となりますよう。
守谷昌紀
今年も休日は可能な限り、釣りに行ったのでかなりの回数になりますし、相当な数の魚を釣ったことになると思います。ですが、今年一番記憶に残っている魚は、やはり逃がした魚です。
それは、今年の最終釣行の1回前、11月の中旬、かなり寒くなってからのことでした。事前情報は、急激な冷え込みで、状況はたいへん厳しい。けれども、もし釣れれば大物。岸際の倒木などの障害物の中のほうに魚が隠れており、一日中、そんな場所を狙って投げ続ければ、可能性があるというものでした。
夕方まで、投げて投げて投げまくって、数千回、その時は唐突に訪れました。岸から、倒れた木が複雑に交差している木の間にルアーを投げ込んで、少しアクションを与えた瞬間、ブルッ、ブルンブルンという生命感が、明確に大きく、伝わってきました。9時間投げ続けて初めての”アタリ”。
反射的に竿を大きくあおり、針をしっかり食い込ませ、素早くリールで巻き取ろうとすると、なおグングンと水中に潜ろうと抵抗します。強引に巻き上げて来ると、水面近くで反転した魚影がギラっと光りました。「デカイっ!」その直後、大きな魚体を躍らせて水面を割って大きくジャンプ。その姿は山間の低い夕日を浴び、水しぶきと共に、キラキラと光り躍動していました。が、糸が少し緩んだその瞬間、魚は頭を大きく左右に振り、針は外れ、バシャンと大きな波紋を残し、再び水中へと消えて行きました。
逃がした魚は大きいと言いますがゆうに50センチは超えていたと思います。
しばし呆然とした後、誰もいないのを確認したあと、ボートのデッキを踏み鳴らして、悔しさのあまり咆哮していました。帰りの車のなかでも、その光景と後悔の繰り返し。「なんで、一瞬緩んだんやろ、強引に取り込めへんかったんやろ・・・・・」数日間、同じことが繰り返されるのです。
今でもその引きの感触は手に残っていますが、悔しさは薄れ、あの魚への愛おしさへと変わっています。そして、これからもずっと私の心の中で泳ぎ続けるんだと思います。
これが今年一番記憶に残る「私の魚」です。
この感情が異常なものと思わないひとは、間違いなく釣りキチです。それ以外の人は、「こんな人もいるんだ」くらいに思ってそっとしておいて下さい。
今年は今頃になって、やっとし寒くなって来ましたが、例年と比べるとまだまだ暖かく、スキーなどは、この国からは無くなってしまうんじゃないか?と心配になります。
近所で見かけてたモミジはクリスマスなのに真っ赤に染まっていました。
今年も、もうあと1週間。一生懸命過ごせたかな、とか、やり残した事はなかとか、この時期になると毎年あい変わらずです。自分自身のこと、家族のことなどの身近なことから、日本、地球のことまで、考えることはいろいろありますが、今朝、東南アジアで発生した地震と津波のニュースが伝わって来ました。
被害の詳細はまだ分りませんが、多くの方が亡くなったようです。自然は常に人の望むようにあるものではありませんが、傷ついた子供や、涙する親の姿を見るとやりきれない思いがします。
こんな時は、ただ平穏な日々が訪れるよう祈るだけです。同時に、本当に人、例えば私が望むものって何なんだろう、と考えさせられます。
映画を観るときや、本を選ぶときの基準で一番大切にしているのは、誰かの推薦です。中でも「まだ、この本を読んでいないなんて、羨ましい」といった類の感想を聞いた作品は必ず読んだり、観たりします。
私の好きなタレントさんが、そんなコメントをしていたのが、ジェフリー・アーチャーの「ケインとアベル」(新潮文庫)です。
1906年4月18日に、アメリカとポーランドの全く異なる環境に生まれたケインとアベルが出会い、互いに成功し、互いに憎しみあいながら、互いの成功を妨害します。その一方で、知らないところで相手の人生の危機を何度も救ったりもします。ストーリーは交錯しては離れ、二重奏のように複雑に展開していく2人の男の人生を描いています。
歯ごたえがありそうで、楽しませてくれそうな小説は、いつも探しています。小説はフィクションであるからこそ、作家の全てを注ぎ込み、言い訳無用の潔さと人生を感じるからです。
読んでいる時間を楽しませてくれれば十分なんですが、その話の中には、必ず心に引っかかるところがあります。たとえば「ケインとアベル」の場合は次の一節です。
「運命は勇者に微笑む」 ジェフリー・アーチャー著『ケインとアベル』より
日本語の漢字は一般的には、5万字くらいと言われているそうですが、そのうち、名前に使える漢字は1945文字の常用漢字と、2004年に新しく493文字増えた人名用漢字983文字を合わせて2928文字あります。
私の名前は”昌紀”と書きますが、正直に言うと、すごく気に入っているというわけではありませんでした。”昌”は女性にもよく使われる文字という印象があったので、すこし女性っぽいと感じていたからです。
名前に関する本を読んでいた時に、そういえばと思って調べてみると、
昌:勢いが盛ん。栄える。美しい。太陽が光り輝くさまを表す。
快活でエネルギッシュ。周囲を明るく照らすような子に。
紀:はじめ。道筋。決まり。要。年代。書き記す。柔らかい印象に。
とありました。「ん?だいぶイメージと違うな。そういえば、太陽が2つもあるんだから、明るくて、いいに決まってるじゃないか。はじめに照らす、か、そうありたいナ。」などと一人納得していました。
私の名前は、父方の祖父母がいくつか候補を考え、そこから両親が選んだそうです。もう連れ添って34年になる、自分の名前という一生涯のパートナーの事を何も知らなかったことに、なにやら恥ずかしいような、情けないような・・・・・・。
これから、署名をする時の気分はきっと、晴れ晴れとしたものになるだろうと思いますし、少し自分の目指す像の輪郭が見えたような気がします。
私は大阪市平野区の喜連という町に住んでいるのですが、いまでもかなり古い建物が残っています。
喜連という町は、戦国時代の堺郷や平野郷が自らの町を環濠で守ったように、環濠に囲まれていたそうです。その名残に、5つあった村への出入り口には、今でも祠(ほこら)が残っています
古代、大阪湾は内部に深く侵食し、河内湾、河内湖を形成していましたが、現在の平野区は上町大地に続く高台にあり、常に陸地でした。近くには瓜破遺跡があることからもそのことはうかがえます。
私は小学生までしか地域の学校に行っていなかったので、一昨年、この地域に事務所を移してから、今頃になってこの町を勉強中です。
ですから、少し散歩に行くだけで、いろんな発見があり、結構楽しんでいるところです。
先週末の新聞に『一流の顔』という本の著者の岡野宏さんという方のお話が載っていました。
元NHKの美粧師の岡野さんは、NHKのアート美粧部で40年間
ざっと10万人の顔をこしらえてきた。・・・中略・・・女優松たか子のお父さん松本幸四郎氏から手紙が届いた。「とにかく、つくり込まないでくれ・・・」娘を思う親心。幸四郎氏の助言を心に留めて、初々しさとさわやかさを生かそうと決めた。このとき、岡野さんは「必要以上に手を加えないことも大切である」と悟ったという。
男の化粧に対する関心はここ数年、高まっているが、こんな意識とは裏腹な事にも時々出くわす。「先日、プロ野球の球団から金銭授受のあった今年プロ野球入りする選手が謝罪する
映像がテレビに出ていました。深く頭を下げているのに、なぜか誠意が伝わってこない。よく観察していると、あのまゆ毛がいけないと直感したんです。手入れされたまゆがかえって軽いイメ
ージをつくり、彼の謝罪する気持ちを正確に伝えていなかった」「まゆは知性、目は心、鼻筋は気質を表す」”一流の顔”と長年向き合っていた岡野さんの持論だ。
私も松たか子さんは他の女優さんとは少し違う印象を受けていましが、自分、もしくはその周りの人々の明確な意識を持ってプロデュースしていることで納得できました。
また、その選手の謝罪会見を見たときに、イメージが軽いかどうかは別にして、何か心に引っかかるものはありました。
人によって感じ方はそれぞれですが、奴隷解放宣言で有名な第16代アメリカ大統領リンカーンは「男は40歳になったら、自分の顔に責任を持て」と言ったそうです。
久しぶりに鏡に映る「顔」をマジマジと見てみました。
先週末、母の郷里の香川県へ行ってきました。
小学生の頃、父と母は商売が忙しく、私たち兄弟は夏休みの大半をそれぞれの郷里で過ごしたので、いろんな思い出があります。
夏でも朝、顔を洗う井戸水がとても冷たかったこと。山から、街の光に向かってカブトムシが飛んで来るので、早起きすればモゾモゾ動いているカブトムシを拾うだけで、虫カゴが一杯になったことなど。
小学校の頃、夏休みの宿題に絵日記がありました。
ある朝、庭の松の木に乳白色のセミの幼虫を見つけました。脱皮したカラは何度も見たことがありましたが、生まれる前の幼虫は初めてだったので、観察していると、ナント背中が割れて羽化を始めたのです。
何時間かかって成虫になったかは覚えていませんが、時間が経つのも忘れて観察し、その日の絵日記に5日分のページを使って書きました。小学校の先生が1文字づつに○を付けてくれたことを良く覚えています。
今は祖母ひとりになりましたが、とても穏やかな顔をしています。小さくなったように感じる家と、庭の松の木を見ながらそんな事を思い出していました。
妻の実家では、昔から犬を飼っています。
犬の年齢は人に置き換えるとおよそ7倍くらいと言われていて、「マナ」はもうすぐ12歳なので、84歳のおばあちゃん犬です。
妻の実家は4人ともに犬好きで、こと「マナ」のことなると、無条件にかわいがり、自慢します。また、犬を飼っている家族同士の会話などは、私が聞いていると、ちょっと信じられないような会話です。「うちの○○は、こんなこんなで~・・・で、こんなに賢くて・・・~ねっ、かわいいでしょ!」なんて話が延々と続くのです。
初めはちょっと引いていたんですが、確かにかわいいしなアなどと思っていると、どうやら、犬の自慢はどんなにしても、されても楽しいようなのです。
2ヶ月に1回会うか会わないかの、新しく増えた家族はいつ、どんな時間に行ってもものすごい勢いで、しっぽを振って迎え入れてくれます。いつの間にか私も、そんな自慢を始めるようになるのでしょうか?
先週の11月23日にテレビで『平野西の家』を紹介されたのですが、どのくらいの人が見てくれたのだろうと少し調べてみました。
2004年7月現在の日本の人口は1億2767万人で、およそ4700万世帯が暮しています。
近畿の2府4県にはそのうち19%の約786万世帯が集中しています。
視聴者数はサンプル調査なので、正確には分らないようですが、統計的には、およそ90万世帯の方が番組を見ていたことになるようです。付けていただけの人も多いでしょうから、一概に見てくれたとは言えませんが、どんな人が見てくれたんだろう、とか、どんな感想を持ったのだろう、とか、空想は膨らみます。
ですが、それを私がするすべはありません。テレ=遠くの ヴィジョン=見る がテレビの語源だったと思います。身近にあって、遠いもの、それがテレビなのかな等と、考えていました。
建築家がゲツモクに綴るブログ、動画。人、建築、街、自然・・・・・・ぜひご覧ください