昨日は、オリンピックイヤーに開催している同窓会でした。
総勢52名。世話役の代表をしているのですが、やって良かったと思えるのは、皆に感謝の言葉を掛けて貰った時です。
今年最後の日記は、大晦日になりました。2012年を振り返ってみます。
年始は茅野、蓼科の旅行からスタートしました。
2月 「お湯」
この時は、冬までには自邸を建て替えていると思っていました。
現実は未だ設計中。
3月 「東京タワー」
四丁目の家の竣工、点検で東京へ。
出張の際は、色々な街をみる楽しみもあります。
4月 「スキーのない人生」
前週にスキーの試合に出たこともあり、自分とスキーを振り返ってみました。
ゴールデンウィークの終盤、北陸へ旅行へ。
この頃「ビフォーアフター」の撮影も終盤でした。
なかなか、あきの日が決まらず……
急遽とった宿が、和倉温泉のビジネスホテルでした。
東京で竣工した「四丁目の家」の写真撮影へ。
街歩きは上野。
7月 「匠という仕事」
半年関わった「ビフォーアフター」が無事放映されました。
ほっとしたというのが、正直なところ。
8月 「建築の詩人」
長年見たいと思っていたスカルパ、ガウディの建築を見るためにイタリア、スペインへ。
スカルパのブリオン・ベガ訪問は、今もその景色、風、のどかな田畑の匂いが蘇ってきます。
家族での海外旅行も初めて。
9月 「話して観て食べる広島」
テレビのおかげで、今年は講演を沢山させて貰いました。
仕事で、色々な街へ行くのは特に楽しいのです。
広島のお好み焼きは、やはり美味しかった。
10月 「青春から朱夏へ」
後輩の結婚の事を書きました。
そのアクセスにお多さも驚きましたが、思いがけない後輩からも連絡があり。
彼の結婚は来春です。
11月 「24年振り、わが母校」
全ての講演の中で、最も嬉しかったのが母校での講演。
ラーメンの味、食堂のおばちゃんまで全く変わらず。
12月 「ちょっとピンボケ」
忘年会で飛田新地の「鯛よし百番」へ。大阪にも、知らないところがまだまだあります。
いよいよ今年も今日で終わりです。
何とか仕事に区切りをつけ、ややほっとしているところです。
そんな中、先週金曜日に松井秀喜引退のニュースが入ってきました。その驚きと共に、私は松井秀樹が本当に好きだったんだなと分りました。
その日はニュースのある時間に帰ろうと決めたのです。最も印象に残っている事はという質問に、彼はこう答えました。
「長嶋監督と素振りをした時間が印象に残っている。プロの心構え、連練習から試合への取り組みを学んだ。それが20年間、自分を支えた」
充血した目を見て、私ももらい泣きしました。その長嶋監督が発表したコメントは以下の通り。
「これまでは飛躍を妨げないよう、あえて称賛することを控えてきたつもりだが、ユニホームを脱いだ今は、『現代で最高のホームランバッターだった』という言葉を贈りたい」
これを聞き、更に涙してしまいました。
松井選手の調子が悪いとき、電話口の前で素振りをし、その音を長嶋監督が聞きアドバイスをしたという話は有名です。これも、半分笑い話なのだろうと思っていたのです。
しかし、18歳の松井を見た時から、球界を背負って立つと解っていた長嶋監督は、超一流同志にしか分らないレベルの指導、会話をしていたのでは、と今は想像しています。
意はと聞かれると「来たボールを打つだけ」というコメントが象徴する通り、文字通りの天才だからです。
しかし、松井を支えたのは長嶋監督との時間だったというコメントを聞き、高みを知る人間にしか分らないものがあるのだと感じたのでです。
自分に置き換えるなら、限りなく高い目標を目指したいと思いますし、その機会を貰っているようにも感じます。
願わくば、松井秀喜がヤンキースタジアムに立つ姿を、直接この目で観たかった。イチローがヤンキースへ移籍した今、同じ様な悔いを残さない為にも……
来年も全力で働きます。
ことし1年、このゲツモク日記にお付き合い頂き有難うございました。皆さんにとって、来年が更に素晴らしい1年となりますよう、心からお祈り申し上げます。
2012年12月31日 守谷昌紀
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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました