コラム

 今日は昭和の日で祝日。ゴールデンウィークの初日です。快晴で最高の出だしになりました。

 花の主役は桜からハナミズキへ。

 紅が新緑に映えます。

 3日、4日、5日は三連休にして、出かけるつもりですが、未だホテルはキャンセル待ち。どこに行くかは決まっていません。

 仕事上、住宅雑誌は良く見ます。様々なタイプが発刊されていますが、これからはwebとの両立を目指すようです。

 創刊50年を迎える老舗雑誌「住まいの設計」も、webサイトを3月23日にリニューアルしました。

 2、3の「ゲツモク日記」と「現場日記」をUPして数日経った頃、編集部から連絡がありました。「公認コラムニストとして記事を書いてみないか」というものでした。

 コラムとしては「現場日記」の「伊東内科クリニック編」のみですが、始めに声を掛けて貰ったのは単純に嬉しいことです。現在はトップページにも告知が出ています。

 コラムとは元々建築の用語で円柱のこと。それが縦に囲まれた記事を意味するものに転じ、決まった型をもつ記事となったようです。

 条件はいくつかあるのですが、内容が相応しく無い場合は打ち切りもあるとのこと。しかし、あまり考え過ぎず、感じた事を脚色せずに書きたいと思います。

 プロフィールには「公認コラムニスト」の文字も。気恥ずかしくも、誇らしくもあります。 

上野と本郷

 日曜日は、東京で打合せがありました。

 行きの新幹線からは、富士山のが完全な姿が。

 2世帯住宅の設計は、最終段階に入りました。昼からの打合せを終え、その日の夜はホテル泊。

 今日は朝から所轄の官庁廻り。それが終わると、街を見て廻ります。

 最後が上野付近だったので、今回は西郷隆盛像からスタートです。

 小さい頃、パンダを見に来て以来だと思います。

 西郷さんは以外に小さいんだな、という印象でした。

 夕方にさしかかっていたので、前川國男の東京文化会館はフォルムのみ。

 それでも前川らしいと分かります。

 月曜日だったので、安藤忠雄が保存、再生した国際子供図書館は休館日でした。

 その他、コルビュジエの西洋美術館も休館。

 一番楽しみにしていた、谷口吉生の国立博物館の法隆寺宝物館にも入れず。

 入れないとなると余計に見たくるもので、塀によじ登って1枚だけ。

 しかし残念です。

 本郷は東京大学のある街。中に入って来ました。

 一番感激したのが、安田講堂。内田祥三の設計でした。

 学生運動によってよって占拠され、機動隊が強制排除している場面は、何度も映像で見ました。

 すぐそばには、槇文彦の法学系教育棟、安藤忠雄の福武ホールがありました。

 2人の作品が並んでいるのは、東大構内だからこそでしょう。

 2つの建物を行き過ぎると、赤門がありました。

 東大と言えば赤門です。門の前で高1くらいの女の子が、自分を入れて一人で写真を撮っていました。

 高校生の頃、先生が「自分の行きたい大学を実際に見に行って来なさい」と言っていました。

 明確な目標がなかった私は「なぜわざわざ」と思っていましたが、今なら理解できます。

 本当にそこに行きたいなら、その姿を明確にイメージできるほうが、圧倒的に良いからです。彼女は数年先、ここに来るのでしょうか。

 人事ではありません。受験勉強では大した結果が残せなかった私ですかから、今は明確な夢を持って、日々精進です。

大阪城とOBP

 時間などの制約がなければ、車での移動は楽しみです。

 城東区の現場からの移動する時は、大阪城の北側を西へ抜けて行きます。この辺り、戦時中は広大な砲兵工場がありました。

 それらの大部分は空襲で破壊され、戦後はいち早くバラックが建ち並びます。アパッチ族なるものが出没した、非常に治安の悪い所だったそうです。

 現在は再開発によってOBP(大阪ビジネスパーク)と呼ばれ、大阪で最も整備されたオフィス街と言えます。

 その中でも、ひときわ目を引くのがクリスタルタワー。竹中工務店の設計施工です。

 最も美しいオフィスビルだと思います。

 研ぎ澄まされたディティールは、手が切れそうなほど。

 クリスタルタワーに向かって西進。右折すると土佐堀通りに出ます。左折して西へ向かうと大阪城が見えてきます。

 この辺りは、全てのスケールが一変し、景色もダイナミックに変化して行くのです。

 400年以上前、この石垣を人力で作り上げました。

 気の遠くなる作業だったと思いますが、美しい曲線はそれ自体がアートです。

 現在の天守閣は、徳川デザインと言われます。

 大阪夏の陣で消失したものを徳川幕府が再建したのですが、秀吉のオリジナルデザインも見てみたいものです。

 土佐堀通りを西に向かう時、大手門の前を通る脇道があります。車から天守閣と石垣が一番美しく見えるルート。

 石垣の美しさや重量感は、なかなか写真では伝わりません。必見は石垣です。

斜面

 3月中旬、最後の外観撮影が終わった「池を望む家」。

 昨日は、家族で遊びに行ってきました。昼食をご馳走になったのです

 こちらの家は裏庭があります。

 すぐ前は池。

 5歳の長男は、デッキから飛び降りて遊びだしました。

 その度に、芝生がズルッとめくれるのです。

 こちらは「やめなさい!」となりますが、ご主人は笑って遊ばせてくれました。

 下の池から上がってきたのか、小さなトカゲも見つけていました。

 傾斜はもとの形状のままです。ここは手をつけないでおこうと思っていました。
 
 斜面は視界を下にも広げ、自然に人を並ばせます。

 面と向かうより、並んで何かを見ているほうが、話し易いと思うのです。

 例えば鴨川の土手に並ぶカップルのように。

マーフィーの法則

 そう呼ばれるものには、2つあるようです。

 一つは、ウキペディアにもある、若干ネガティブなもの。もう一つは、ジョゼフ・マーフィ博士の成功法則。

 「あなたの人生はあなたの心に思い描いたとおりになる」

 という限りなく前向きなものです。

 自己啓発セミナーみたいですが、順に進めると納得できるかもしれません。正確に言うと思うだけでは駄目で「心に描き、それが潜在意識に受け入れられれば」実現するという考えです。その手順まであり、方法は以下の通り。

A. 自分の望むことをうまく想像すること(image)
B. その事を考えつづけること(think)
C. 実現を信じること(believe)
D. 行動すること(do)

 加えて注意点もあります。

a. 潜在意識は休みなく働いている。
b. 潜在意識には善悪の区別が無いので、判断、選択はできない。

 よって、間違った考え方が、潜在意識化されると……恐ろしい結果になるのです。

 以前の繰り返しになりますが、潜在意識はフロイトによって、その存在が証明されました。氷山に例えれば、心という海の水面上にあり、意識できるのが顕在意識。水面下にあるのが潜在意識です。マーフィ博士はこの比率を1:9としました。

 思い描いたものが潜在意識に受け入れられたなら、常に9人力で実現に向かっていることになります。

 成果を残している人たちは、発言、行動にいつも筋が通っています。もしこの法則を信じるなら、潜在意識まで、その考えが至っているからと言えるでしょう。

 ある時はポジティブに、ある時はネガティブにとはならないのです。

icetee

 4/10(土)、11(日)は長野県の志賀高原へ行って来ました。

 スキーの試合にエントリーしていたのです。

 宿はジャイアントスキー場が正面に見える、ホテルイタクラ

 土曜日は快晴。最高の景色です。

 幼稚園から高校2年まで、年末はここで過ごしました。

 父が友人達と作っていたスキークラブの定宿だったのです。

 父は20年振りで流石に懐かしそうにしていました。

 この試合は、学生時代の友人達が「全てのワクを超えて、楽しみ戦えるステージを」という理念で立ち上げた団体、iceteeが主催しています。

 ハンディキャップを抱えたチェアスキーの選手も、同じ条件で試合をするのです。

 スキー板一本で、果敢に滑って行きます。

 転倒した時は、見た目にもヒヤッとしますが、皆が同じステージで戦うのです。

 日曜日は、長男もレースに初出場しました。

 最初は渋っていたのですが、まわりに触発されて、自分で出ると決めました。無事完走して17人中15位。

 最年少だったので、立派な成績だと思います。

 私の成績は、初日が19人中13番と12番。

 2日目は途中でスキー板が外れて転倒。唇を切ってしまいました。

 久し振りだったので、甘くはなかったのですが、まだまだ燃えるものがありました。

 時間が許す限り、家族を連れてこの試合に出ようと思います。

 スポーツ、真剣勝負、車椅子でここまで試合に来る人達。伝えたいことが沢山あるのです。

家康と幸村

 事務所のある平野は大阪市の南東部にあります。

 大阪城(大坂城)から9km離れていますが、大坂夏の陣では戦場になっています。その時の家康伝説が残っているのです。1600年の関ヶ原の戦いで勝利を納めた家康は、天下を我が物とし、更に豊臣家の滅亡を目指します。

 鐘の文字が不吉だと難癖をつけ、大坂の陣になだれこんでいく下りは有名ですが、一方的にやりこめられた豊臣方で、一人気を吐いたのは真田幸村です。
 六文銭のノボリと、赤備え(朱に塗った鎧)で有名な真田家は長野県上田の藩主でした。ノボリの六文銭は三途の川の通行料。それをも恐れない勇猛さでならし、戦国時代随一の戦上手で知られていました。

 1614年の冬の陣では、城外に真田丸という出城を築き、家康方をかく乱します。この場所は、現在も真田山という地名で残っているのです。

 猿飛佐助、霧隠才蔵に代表される、真田十勇士は、太平の世が続いた江戸時代に、講談として脚色さてたものですが、その実力は間違いありません。

 さて平野の話です。翌年の夏の陣で、家康はここに陣を構えました。

 「八尾若江の戦」「道明寺の戦」で大敗を喫した豊臣方の真田幸村は、家康がこの地を通ると読み、地雷をしかけました。カマドに火を入れると爆発する仕掛けでしたが、偶然家康が用足しに立った時に爆発。

 同時に、真田軍が一斉攻撃を仕掛けると、家康軍は散走します。家康最大の危機でした。その爆発でお堂にあった地蔵の首が400m先の全興寺(せんこうじ)まで飛んで行き、現在も祭られているのです。

 そのお堂は、環濠都市平野の樋尻口地蔵堂。

 全興寺も朝のジョギングコースなので、お地蔵さんの頭が飛んで行く距離では……と思いますが、家康を追い詰めたのは事実のようです。

 真田家と徳川家の因縁は浅からぬものがあります。

 これに詳しいのは、池波正太郎の「真田太平記」。文庫本で12巻とかなり読み応えはありますが、気になる人は是非。

コピーの功罪

 この週末、妻と子供は高槻の実家に帰っていました。

 日曜日の夕方迎えに行くと、どの公園も花見客で賑わっていました。

 桜は撮るのが難しい花です。淡いピンクのイメージで撮っていても、出来上がりは極めて白に近くものになります。

 イメージで言えば、蕾のほうが近いかもしれません。

 話は変わりますが、先週の水曜日、散髪に行っていました。

 この日だけは夜の9時まで受け付けてくれるのです。

 店長のDさんは45歳くらいで、イタリア人のように明るい人です。しかも馴れ馴れし過ぎず、よそよそし過ぎず。いつも話すのを楽しみにしています。この日は珍しく愚痴っぽい話でした。

 「最近、見習いって言わなくなりましたね。僕らの頃はその字の通りで、見て習え。ほとんど教えてくれません。でも頼めば、11時を過ぎても付き合ってくれました。終わったあとは最敬礼で、有難うございました!という感じでしたね」と。

 よく聞こえてくる話ですが、何故変わったのだろうと考えていました。

 写真、更に進んで動画が出来る前は、目の前で起ることが全てだったはずです。動画の前に、同じものを複製、再生できるようになって、その場、その時間、その人の価値が希薄になって行ったのかもしれません。そこが分岐点なのかなと思い、調べてみました。

 写真の発明
 ジョセフ・ニエプス(フランス) 1822~24年頃

 映写機の発明
 トーマス・エジソン(アメリカ) 1891年

 コピー機の発明
 チェスター・カールソン(アメリカ)1948年

 コピー機が一番最後でした。

 実は先々週まで、事務所にはコピー機がありませんでした。どうしても必要な時は、近くのコンビニまで走っていました。

 伝えると大概は驚かれましたが、無くてもなんとかなって来ましたし、簡単にコピーを取ることが、あまり良いことではないと思っていたのです。

 ついにお下がりのコピー機がやってきました。何でもそうですが、その功罪は確かにあると思うのです。

出演

 今日から新年度が始まりました。

 先々週、地下鉄に乗った時のこと。夜の9時半頃、30代半ばのビジネスマンが、取引先と思われる年配の男性に「良いお年を!」と挨拶していました。

 赤ら顔でしたが、ふざけている感はなかったので、年度末をそう扱う風習があるのかなと思ったのです。その事を思い出し、スタッフに聞くと、やはり聞いたことがないと。あれは一体何だったのか、未だに気になっているのです。

 昨年の秋に竣工した、かやしま写真スタジオOhana。昨日クライアントの日記を見ると、テレビ出演したとありました。

 今日は定休日で、確認は出来ていないのですが、先週も京阪萱島付近を取り上げているので、この番組に間違いなさそうです。

 地デジ11chとあるので、家のテレビで確認すると「アンテナが接続されておりません」とメッセージが。ケーブルテレビなので、やはり契約しないと見れないようです。

 放送は3/29(月)から4/4(日)の間で、(月)~(金) 朝 8:30~、昼 12:30~が基本。その他は(木)19:00~、(土)8:00~ 12:30~ 19:00~、(日)12:30~ 20:00~。

 視聴可能な方で、伺っても良いという方は声をかけて下さい。HDDレコーダーを持って駆けつけます。何とか見てみたい!

 こちらのクライアント、とても写して貰いやすい方です。見て貰えれば一目瞭然、のはず。入園式、入学式の記念写真は、是非ともOhanaへ。