ヘビイチゴ?

 昨日は、妻からの「マイナスイオンの出ているところに行きたい」というリクエストで、家族3人で、大阪の南のほうへと出かけました。

 初めは、金剛山のロープウェイに乗って、山上まで行ってみようという事になり、駐車所までいったのですが、駐車所から乗り場まで、未舗装の山道を10分歩くとの事。ベビーカーは無理そうなので断念しました。

 そこから地図で、「どこか、マイナスイオンの出てるとこ・・・・・・」と探していると、近くに「滝畑ダム」があったので、行ってみました。



 堰堤の上を歩いて行くと公園へと続く遊歩道がありました。散歩していると、「ヘビイチゴ」を見つけました。小さい頃からそう呼んでいるのですが、合っているのでしょうか?

 もう ひとつ、目を引く花がありました。大きさや、咲き方はアジサイのような形ですが、花弁に模様が入っていて、とてもかわいらしい花でした。

 つぼみは小さい頃大好きだった、”アポロチョコレート”みたいでとっても美味しそうです。この花、何という花か、知って方がいたら是非教えて下さい。

初めての海


 この間の休みに、子供を連れて初めての遠出をしました。やっぱり、初めは海ダナ。和歌山市は越えてもう少し南のほうまで行きたいナ・・・・・・くらいの感じで昼前に大阪を出ました。

 阪和道の「吉備」というインターチェンジでおりて、少し走ると釣具屋さんがあったので、「子供を連れて行ける足場のいい港ってありませんか?」と聞くと「すぐソコの港がエエかな」と。

 のんびりと海を見ながら、少し波止から釣りをしました。釣果は小さなガシラが4匹と30cmくらいのベラ1匹でしたが、空は快晴で久しぶりの潮風は爽快でした。
子供も大変機嫌がよく、眠そうにしながらも笑っていました。

 私は学生時代から、「モリヤ」というアダナで呼ばれる事が多く、友人の多くは現在でもそう呼びます。10年程前の夏、アメリカに留学していた友人が、ロシア人の同僚を連れて帰国していました。ロシア人の彼も一緒に海辺の民宿に泊まりに行くことになりました。

 体重100kgはゆうに超える彼は、ウォッカで鍛えられてきた、「ザル」です。夕食の後も延々とお酒を飲みながら、いい気分になって、カタコトの英語で話をしていると、夏だったこともあり「オレ、海が好き」という話になりました。すると彼は「そりゃソウだろ。”モーリヤ”はロシア語で”海”だもん」と。

 その時は「そうか、そうか、前世から決まってたんだ。オレも筋金入りダナ」なんて思っていました。という事はウチの子も・・・・・・

 私の思惑通り、いつも一緒に海に行ってくれる、親孝行な子供になってくれればいいのですが。

ヒントを探すはずが

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 設計で悩んでいる時は、朝早くにウロウロと散歩へでかけます。

 建築は生活の産物なので「ヒントは必ず実生活にある」との考えからです。なので、必ずしも名建築を見るだけが、勉強とは思っていません。それは、海外の街でも同じことなので、名建築と下町の路地、寺院と市場の両方を見て廻ります。個人的には、知らない街の怪しい市場が一番面白いのですが。

 その日の朝も、行き詰まっていた計画のことを「アーでもない、コーでもない」と頭をグルグルさせながら歩いていると、家から少し離れた、昨年9月に完成した「つるみ歯科クリニック」の近くまで来ていました。久しぶりに寄ってみると、「キソケイ」の小振りな黄色い花が咲いていました。

 自分が設計した建築ですから、かなり贔屓目は入っていますが、「ウン!美しい、とっても合っている。やっぱり、キソケイで良かった」などと早朝から、ひとり納得して、ブツブツと・・・・・・

「欧風カレー工房 チロル」 ヒストリー

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 大阪の地下鉄谷町線の四天王寺前夕陽丘から、「四天王寺さん」へ向かう参道を南へ少し下ると、”欧風カレー工房 チロル”があります。

 店主は、大学生時代から現在に至るまで、競技スキーで競ってきた、同級生です。現在は夫婦でお店に立っていますが、彼も経営者のご多分に漏れず、ちょっと変わり者です。

 有名大学をでてから25才までは、大手の企業に勤めていました。ある日、会社を辞めて飲食業の世界に入りました。経営者に信頼さた彼は、あるお店を任されるようになり、横浜まで行っていた事もありました。

 29才の時、結婚を期に大阪に帰ってくると、朝は、知人の八百屋さんの手伝い、昼はトラックの運転手という生活が続きましたが、昼のトラックの運転手のみ辞めて、今度は夫婦でカレーの車上販売を始めたのです。”チロル”車の上店の誕生です。今から5年前のことです。

  車上販売で、お昼時にオフィス街などを回ると、結構な評判を得て、雑誌やテレビ等でも取り上げられました。しかし車での販売は、規制も多く、3年前にこの地に”チロル”地上店をOPENすることになりました。

 初めての店作りの時には、私も友人として、少しは相談に乗りましたが、ガラス屋さんのお父さんのツテを頼って、ほとんど手作りで、お店を作り上げました。それから3年間、2人は懸命に頑張って、お店の基盤も出来て、正面部分をリニューアルしようという事になり、私に設計の依頼が来た訳です。

 友人ですから、許してくれると思いますが、予算的にも規模的にも、設計が入るには厳しいものでしたが、店主には私が仕事を始めて一番大変だった時期に、いろいろとお世話になっていたこともあり、お手伝いさせて貰おうと決めました。

 彼らの仕事は非常に丁寧です。食材の安全性については”そこまで!”というくらいに、こだわっています。また、主役のカレーのバリエーションはもちろんですが、洋風のお惣菜から、デザートまで、多彩な品揃えです。デザートも、「かぼちゃのチーズケーキ」や「アールグレイのババロア」など種類も豊富。しかも全て手作りで、かなり安い!そして美味しい!

 力説するほど、野暮ったくなるので、このあたりで止めておきますが、カボチャのチーズケーキを作っているカレー屋さんって、ちょっと無いのでは?

 現在休みは日曜日だけで、平日は11:00am~8:00pmまで営業しているので、是非一度、お立ち寄りあれ。そして、私が保証する、人柄に触れてみて下さい。

住所:大阪市天王寺区四天王寺1-12-4南ビル1F
TEL:06-6773-0149

現在は高山に移転し、営業されています。

人の為?

 ある経営者の方とお話していました。

「今までは、家族のため、社員のため、と思って頑張ってきたけど、これからは、家族と共に、社員と共に、頑張らなアカン!」と仰っていました。「共生」の思想です。

 自宅のダイニングには、書家「相田みつを」の作品が、ひと月分の31枚が綴られた、日めくりカレンダーを掛けています。

 10日の作品には、ちょっとドキッとさせられます。

 人の為と書いて、いつわりと読むんだねえ みつを

 仕事をするのは、 自分の為?家族の為?クライアントの為?多分、誰かの為にする事じゃないんだろうな、って思います。

 そう考えるようになったのは、「京セラ」の稲盛元会長の“社会こそが、自分を磨く最高の道場”という言葉を聞いてからです。

 仕事をするという事は、修行をするということなのです。

鯉のぼりと八十八夜

 今日は、長男の初節句。

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 義父母からの贈り物です。なぜ五月五日は「鯉のぼり」何でしょう?

 端午の節句に「鯉の吹流し」を立て、「武者人形(五月人形)」を 飾り男の子の前途を祝うようになったのは、徳川時代からのようです。

 室町時代には、戦のノボリが起源となって「吹き流し」を上げていたようですが、中国の故事から、“鯉の滝のぼり”は立身出世の例えとされるようになり、ノボリも鯉の柄が主流をしめるようになったようです。

 五月五日という日の起源は中国から伝わったという説、元寇の勝ち戦が五月五日だったとか、足利尊氏の天下統一の日だったという説もあるようです。

 しかし、今年のゴールデンウィークは天気が良くて、本当に爽やか!半村良の小説に「八十八夜物語」というあるホステスの人生を描いた、傑作があります。“女の一生を一年に例えるなら、八十八夜の頃が一番良い”というくだりがありました。

 八十八夜は、立春からかぞえて八十八日目、現在の暦で言うと5月2日。人の年齢に換算すると、二十代前半頃でしょうか。正に一年の中でも、人生の中でも最高の時期かもしれません。

 と、いう訳で、仕事が残ってしまい、自分が遊びに行けないとなると、羨ましさも一層です。ワタクシ、現在、百五十九夜。

お風呂と便利

 現在、ゴールデンウィークの真っ只中。しかし、幸せにも、残念にも、私は仕事であります。

 この間、母に「風呂場で、子供にオシッコを掛けられた」という話をしていると、「そう言えば小さい頃、銭湯の湯船の中でウンコをしてしまって、プカプカと浮かんで来た時は、慌ててタオルで隠したワ」と笑っていました。私の小さい頃の話です。

 ん。という事は、風呂が無かったということ?

 父は今も、ガラス屋を営んでいますが、私が1歳になるころ、現在の場所に引っ越して来ました。それまでは、四畳半と三畳、二間きりの長屋を借りて、四畳半の部屋を仕事場に改造し、三畳間で父、母、父の従兄弟の3人で生活をしながら、ガラス屋を始めました。考えてみれば風呂などあるはずも無かったのです。

 1970年、昭和45年の話です。大阪万博が開催され、高度成長期の真っ只中で、仕事も本当に忙しく、大阪には活気が漲っていたそうです。

 当時の色あせた写真を見ると、大阪の下町の風景が見て取れます。舗装されていない道路、所々に残る田んぼ、角ばった無骨な車、そして華奢な家々。家同士は密集しており、道が広いわけでも無いのに、何故か街はゆったりとしていて、開放感があるのは、家が軒並み2階建てだからでしょうか。

 建築の設計をしていると、いつも繰り返し考えます。「街も家もどんどん便利になっていく。しかし、良くなったんだろうか」ということです。

 私の家も含めてですが、多くの事が家の中で完結できるようになると、地域との関係は自然と粗になって行きます。ご近所に頼らなくても、何とか暮らせるからです。お風呂屋さんに行かなくても良いし、映画館に行かずとも、テレビでも結構な画質と音でDVDを観ることができます。便利で快適ですが、本当に良い事だけなのかな、とも思います。

 懐古的な発想だけでは、前には進めませんし、クライアントの要求に応えるのが、職業建築家の仕事です。しかし、便利さによって失なうものがあるかもしれない、という気持ちは常に持っていないと、もっと大きなものを失うかもしれません。明快な答えと方法が有るのかと言われれば、口ごもってしまう部分もありますが、建築を通して、自分なりの提案はして行きたい、と。

 親が風呂の無かった昔を思い出し、大変だった事を、嬉しそうに話すのを見て、そんな事を考えました。