週末、松原へ出掛ける用事がありました。
妻の買物中、周辺を歩いていると迫力満点の建物をみつけました。
松原市民図書館は、池の真ん中に建っています。
池を望む席は特等席。
今度は内部ものぞいてみたいと思います。
309号線をさらに南に下ると黒姫山古墳があります。
5世紀中頃の前方後円墳です。
周りには堀も残っていました。
周辺には陪塚跡も発見され、あたりはひとつの「墓域」を形成していたことが分かっています。
隣あう公園はクローバーの花が咲き乱れ、さながらモンゴルの草原のようでした。
行ったことはありませんが。
近くにある「M・Cみはら」では、 黒姫山古墳 の出土品がみることができます。
Museum(博物館)とCommunity(交流)のM・Cだそう。
24領もの甲冑が発見されたそうです。
この地域に住んだ丹比(たじひ)氏は、強大な権力を持っていました。
これらの出土品がそれらを物語っているとありました。
また、平安時代から鎌倉時代にかけて、堺市美原区・東区、松原市などには、 河内鋳物師 (かわちいもじ)といわれる鋳物師集団が活動していました。
鋳物は鉄や銅を溶かして型に流しこむ方法です。
彼らが製造した梵鐘が、西日本各地に残っているそうです。
鎌倉幕府の成立をきっかけに、関東でも鋳物技術の需要が生まれます。
多くの河内鋳物師が移住しましたが、鎌倉の大仏にも彼らが関わりました。
ヒッタイト王国は、オリエントで初めて鉄製の武器を使用したと言われます。
その製造方法は国家機密とされていました。
馬と戦車の扱いにもすぐれ、前16世紀には強国だった古バビロニアを滅亡においやります。
しかし鉄製武器はオリエント全域に広まります。前12世紀、海の民によってヒッタイトは滅ぼされるのです。
力による支配は、いつか終わりがくるのは歴史上、疑いようのない真実。なのに歴史はなぜ繰り返されるのか……
おそらく武器の製造によって進歩した鋳物の技術を、梵鐘や鍋釜の製造に活かした河内鋳物師。
軍需産業が、多くの進歩と、多くの富を生むのは間違いないところです。
技術は独占しておきたい。しかしそれは難しいのです。ならどう生きるか。
そこで鐘を金に換えるとは……流石は関西人。勉強させてもらいました。
■■5月13日『住まいの設計6月号』に「おいでよ House」掲載
■ 『建築家・守谷昌紀TV』 開設
■ 『ESSE-online』にコラム連載
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」
■■1月6日『Best of Houzz 2022』を「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞
■5月13日『homify』の特集記事に「アンティーク雑貨のある家」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載