7月3日(日)に、「羽曳野の家〈リノベーション〉」のオープンハウスを開催します。
お時間ある方は、是非遊びに来て下さい。
前回は、海南市訪問を書きました。帰りに、熊野古道の入り口ものぞいてきました。
海南ICすぐそばにある藤白神社。
熊野古道沿いにあり、元は藤白王子社と呼ばれていました。
「王子」とは熊野古道途中にある神社のこと。
ここは九十九王子の中でも、五体王子の一つとして特に格式が高かったそうです。
神社の入り口にある鳥居の横には石碑があり、
「三熊野一の鳥居」
「これより熊野路のはじめ」
と書かれています。
三熊野(みくまの)とは、熊野本宮大社、熊野那智神社、熊野速玉神社(新宮)を指し、ここが熊野古道の入り口だと示しているのです。
鳥居を守るように生える楠は樹齢千年。
長きに渡って、蟻の熊野詣を見守ってきました。
和歌山平野を北から見下ろすと、地理が分かり易いかもしれません。
紀の川を中心とする和歌山平野が終わり、本格的に山岳地帯が始まるのが海南市あたり。
和歌山城から熊野街道を南下すると、藤白神社付近で熊野古道と合流するのです。
また、この神社のすぐ近くに「鈴木屋敷」という建物があります。全国二百万と言われる「鈴木姓」のルーツと言われているそうです。
平安末期(1150年頃)、上皇や法皇の熊野参詣が盛んになりました。
その頃、熊野の鈴木氏がこの地に移り住み、熊野三山への案内役をつとめました。
そして、熊野信仰の普及につとめたと伝えられているのです。
特に鈴木三郎重家と亀井六郎重清の兄弟が有名で、幼少の頃、源義経と遊んだと伝えられます。
後には義経の家臣となりました。
その鈴木の宗家を後世に残そうと、保存活動をしているのです。
街のスズキのショップにも「全国鈴木姓発祥のまち海南」という大きな看板がかかっていました。
今回、燃費データ改ざん事件の後でもあり、複雑な気持ちで眺めます。
司馬遼太郎は、関東一円の坂東武士の「名こそ惜しけれ」という精神が、日本人には受け継がれていると言いました。簡単に言えば、はずかしいことをするな、という意味です。
その「痛々しいまでの清潔さが」明治の近代化を押し進めたとも言っています。
鈴木さんにはなんの恨みも無いのですが、日本のメーカーがそんな不正をするとは……と、憤りを感じます。
そもそも、メイド・イン・ジャパンはそういったことの無いブランドという安心感が、世界に受け入れられていたはずです。
民間企業という言葉がありますが、その集合体が国家を形成しているので、誰もが自国を背負っていると言えるのです。
開高健は、「名」について、ユーモアたっぷりに書いています。
金を儲けようとすると逃げていきよる。結果として手にするんならええんヤ。そんなもんより名だ、名を惜しむんヤ。いいか、いい仕事しなくてはいかんゾ。
法や道徳観には、他者からの視線が常に根底にあります。大切なのは、自らが自らを律する美意識だと思うのです。