カテゴリー別アーカイブ: 13 世界遺産

マスク無しでの触れあい、津堂城山古墳にて‐1980‐

昨日、現場へ行った帰りに藤井寺市にある「津堂城山古墳」に寄ってきました。

「城山古墳」と石碑が見えます。

全国には「城山」とつく古墳が多数あり、それらと区別するため 「津堂城山古墳」 と呼んでいるそうです。

古市古墳群の中で、最古の巨大古墳で最北端に位置します。

長さ210m、築造時期は4世紀後半に築かれた大型の前方後円墳です。

梅雨時に菖蒲が咲くので、何度か訪れたことがありました。


「津堂城山古墳の造営に使われた巨大建造物発見」というニュースを見て、「ああ、あそこ!」と訪れてみたのです。

この古墳はなだらかな丘のような形状になっています。

北端あたりにある、津堂八幡神社の周辺は立ち入り禁止の柵がありますが、ほぼ開放されています。

これだけ自由に入れる古墳跡は、かなり珍しいと思います。

ニュースでは「掘立柱建物跡、7棟を発見」とか「柱間は3間×2間」とあったので、行けばすぐ分かると思っていました。

全域を歩き回り、尾根上になった最頂部 からも見下ろしてみました。

かなり高く、遠く生駒山を望む景色もなかなかです。

しかし、建造物跡は全く見つかりません。

子ども連れで遊びに来ている家族が結構いました。

地元の方かなと思い、お子さんが5歳くらいの若いお父さんに聞いてみました。

「この古墳跡で、大規模建造物跡を発見というニュースを見てやって来たのですが……」

「ああ、ここから離れているんですよ。レッドウッド分かります?」

「はい、分かります」

「ここを造営する為の倉庫が、あの辺りにあったみたいです。見に行ったけど、今は何も残っていませんでしたけど」

ニコッと笑って、こう教えてくれました。

かなりの歴史好きのようで、まさにビンゴだったのです。

念の為、レッドウッドへもいってみたのですが、確かに調査跡も見ることはできませんでした。

ただ、何も分からないよりは、ずっとすっきりした気持ちで帰ってきたのです。

「津堂城山古墳」は、内部に梅林があります。

紅梅がちらほらと咲きはじめていました。

それぞれの梅の木をよく見てみると、色々なプレートが付いています。

還暦記念、成人記念などとあり、寄贈されているようです。

古墳だというのに、本当に変わった、のんびり、ゆったりした所でした。

屋外につき、マスクをしていなかったので、聞くか聞くまいか迷ったのですが、しっかり距離を取って訊ねてみて良かったです。

同じ歴史番組のファンということまで分かりましたし。

いよいよ5月8日から、新型コロナ5類引き下げが実行されそうです。

多くの人が大変で困難な約3年過ごしました。

卒業式のマスク有無を検討しているなら、3月1日からで良いのではと思います。

マスク無しでの触れあいは、やはりとても良いものでした。

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載

メディア掲載情報

プレミアムカーで、ちょっと秋の京都旅‐1956‐

先週末、時間ができたので京都まで足を伸ばしてきました。

天満橋から京阪電車に乗れば三条まで50分程です。

電車代も420円とお得ですが、少し奮発してプレミアムカーで行くことにしました。

シートも2列+1列の配置でゆったりめ。

全席に電源がついているのも嬉しいところです。

車窓からの景色は、木津川、宇治川を渡るあたりが見どころでしょうか。

追加で500円ですが、快適な電車旅でした。

三条駅に着くと、高山彦九郎が迎えてくれます。

のんびりと岡崎を目指しながら散策します。

このあたりは、岡崎のマンション<リノベーション>の仕事をしている時によく歩きました。

もう18年も前のことですが、この景色を見るのを楽しみにしていたものです。

京セラ美術館での「アンディ・ウォーホール・キョウト」が1つ目の目的。

それなりのボリュームになりそうで、こちらは木曜日に書こうと思います。

ポップアートを満喫して京セラ美術館をでました。

二条通りを西へ歩きますが、京都会館前の街路樹が見事に紅葉しています。

京都出身の友人達が、京都を出たがらないのもよくわかります。

ゆったりした大通りも、細い路地もどちらも良いのですから。

その後、下鴨神社を参る前に腹ごしらえです。

京都は食事が高いですが、リーズナブルな中華を見つけたので寄ってみました。

東大路と御陰通交差点の北、「華祥」の担々麺+炒飯・唐揚げセットは1200円程。

名物という卵白あんかけ炒飯が千円弱。

担々麺も美味しかったですが、 炒飯 はパラッパラで絶品。
卵白あんかけも、全く見た目だけではありません。

絶賛してお勧めしておきます。

デザートは妻の希望で和菓子の名店へ。

近くにある、 阿闍梨餅本舗 京菓子司「満月」です。

「満月」は、ここ本店と金閣寺店で土日にしか販売されないとか。

「満月」も美味しかったですが、私は「阿闍梨餅(あじゃりもち)」が好みでした。

ほんのり温かく、中に入っている粒餡が絶妙です。

下鴨神社は、賀茂川と高野川に囲まれ合流部にあります。

三角洲の先端には出町の飛び石。

京都も人出が戻り、沢山の人が渡っているのが見えます。

ここから、世界遺産でもある糺の森を北に向かって歩きました。

赤、黄、緑と紅葉が見事。

20分くらいは歩いたでしょうか。

結婚式を挙げている人もいました。

素晴らしい天気に恵まれ何よりですが、こちらも幸せな気分になります。

社が干支で分かれているのははじめてでした。

私は戌ですが、寅と一緒なのは相性がよいのでしょうか。

このあたりは、文豪に愛された街でもあります。

「下鴨泉川亭」は川端康成が「古都」執筆のため、住んでいた邸宅です。

また、すぐ南にある「石村亭」は谷崎潤一郎が住んでいたこともあります。

この白壁には、木が自然な形で塗りこまれていました。
何とも意味ありげなデザインです。

しかし私が一番気になったのは「湯川秀樹旧宅」です。

日本人初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹が晩年を過ごした邸宅で、現在は京都大学に寄贈されています。

長谷工コーポレーションが親族から購入して寄贈。安藤忠雄が設計し、長谷工が無償で施工をし、保存、改修をすることになっているのです。

無償とはスケールの大きな話で圧倒されてしまいます。

子供が小さい時、よく訪れていた京都青少年科学センターに湯川博士の色紙が置いてありました。

一日生きることは、一歩進むことでありたい -湯川秀樹-

この言葉を年のモットーにしたこともありました。
そのくらい好きで、かつ重たい言葉です。

晴天に恵まれた、ちょっと秋の京都旅。
妻へのサービスも含めていたので、好天で良かったです。

世界中から観光客が訪れる京都まで1時間ちょっと。

世界で最も住みやすい街ランキング、10位の大阪に住むこの幸せ。(イギリスの経済誌「エコノミスト」調べ)

先日ここで、無理やりでも「幸せだなぁ」とつぶやくべしと書きました。

しかしこれこそ「リアルガチ幸せ」(出川哲郎調べ)と言わずしてなんと言うのか。

幸せだなぁ。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

メディア掲載情報

ブラモリタニ‐1744‐

 ドラマ「3年B組金八先生」のオープニングは、荒川の土手上だったと思います。

 土手の上は景色が開け、とても気持ちが良いので好んで使います。

 大和川南の土手を東に走って行くと、石川との分岐点にぶつかります。

 ジオラマを見ると、生駒山と金剛山地の間を縫うように大阪平野に流れ込んでいるのが良く分かります。

 このあたりが柏原市(かしわらし)。

 先月ブドウを買いに来てから、本当に地形が面白いので時々ブラブラ寄っているのです。

 石川の手前で川の北側に渡ると、今度は土手下の道になります。

 近鉄電車では最も古く、1898年(明治31)年には開通していたという道明寺線をくぐると、再び土手上に。

 そのまま東へ走ると、リビエールホールと柏原市役所が見えてきました。

 ここで大和川は大きく南へカーブしています。

 先のジオラマ写真には、薄い水色で旧大和川の流れが示されています。

 功労者と言われる、中甚兵衛の像が建っている所がその交点。

 北に伸びるこの水路が旧大和川の名残なのです。

 すぐ北の丘陵地から眺めると、南に広がる古市古墳群が一望に見渡せます。

 遠くから見えている白い建物。すぐ近くに迫ってきました。

 こちらの調査はまたの機会にします。

 ジオラマは「柏原市立歴史資料館」で撮ったものでした。

 この資料館は殆どが実物展示。

 駐車場も有って無料です。

 館の方は質問にも気軽に応えてくれました。

近くに美しい竹林もあり見応え十分。かなりお勧めしておきます。

 これまでにも大和川の付け替え工事のことを取り上げたことがありました。

 いくつか理解が間違っていたことも分かりました。

 川の付け替えという大事業ですから、賛成と反対は真っ二つです。

 土地が川になってしまうエリアは勿論反対。

 氾濫がなくなる湿地帯は勿論賛成。これらの湿地は後に新田となります。

 銅像となった中甚兵衛ですが、柏原市のwebサイトでは彼をヒーロー扱いすべきではないという論調で、評価が分かれているのは面白いところです。

 しかし実際に工事現場のリーダーとして働いたようですから、功績があったのは間違いないようです。

 付け替え工事という大事業完成の翌年には仏門に入り、91歳の天寿を全うしたとするサイトもありました。

 朝のジョギング帰りに、時々会う近所の方が居ます。

 品のある方で、少しだけ会話を交わすのです。

 「お元気ですねえ」と挨拶すると「もう87歳だから、ボチボチやわ」と。

 まだ働いておられるとのことで「素晴らしい!」と言うと、「何も素晴らしいことないよ」と笑って駅へと向かって行かれました。

 流石に歩みはかなりゆっくりになりましたが、それでもかくしゃくとしたものです。

 バイデン新大統領は78歳。ブラタモリのタモリさんは75歳。

 元気だから働けるのか、働くから元気なのか。どちらもあるでしょう。

 叶わぬ夢だと思いますが、タモリさんが引退する時に、あの番組を譲ってくれないかしらと思います。

 万にひとつも無いと思いますが、その時はブラモリタニです。

 土地や街のことを紐解きながらブラブラ歩くのは最高の楽しみなのです。

■■■9月11日発売『リフォームデザイン2020』「回遊できる家」掲載
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【News】
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■5月16日『homify』(英語)の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■5月10日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行に巻頭インタビュー掲載
■2月13日 『Best of Houzz』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

土師ノ里で、逃げ恥を考える‐1704‐

 議員が直接葬儀に参加した場合の香典は合法。参加していない香典は違法。

 元法相逮捕に関連する記事にこんなことが書いてありました。法律というものは、随分細かく決められているものだと驚きます。

 他人のことは気にしませんが、「恥を知れ」と言いたくなる報道もままあるものです。

 近鉄南大阪線にある土師ノ里駅は、ちょっと見たことのない景色の中にあります。

 恥ノ里でなく、土師ノ里(はじのさと)。ということで、ただの駄洒落です。

 それはさておき、ここは古墳と古墳の間に挟まれた駅。

 古墳銀座の銀座四丁目みたいな所です。

 駅の南西にある仲津山古墳の陪塚である鍋塚古墳。

 案内には、一辺40mとありますがほぼ円形に見えます。

 頂上まで登ることもできます。

 鍋塚古墳の上から北東を見下ろすと、土師の里駅と背後に市野山古墳が見えています。

 先の仲津山古墳とともに古墳時代中期とありますから、4~5世紀のもの

 全長200m以上の古墳が、住宅街に頻出する風景はなかなか無いものです。

 世界遺産、百舌鳥・古市古墳群をまたぶらぶら歩きに来てみて下さい。

 古墳築造のスペシャリストと言われた「土師氏」に由来し、土師ノ里という地名になりました。

 それから1000年程時代を下ると覇王、織田信長が登場します。

 司馬遼太郎はこう語っています。

 信長の面白さは、桶狭間の奇襲や長篠の戦いの火力戦を創案し、同時にそれを演じたというところに象徴されてもいいが、しかし、それだけでは信長の凄みがわかりにくい。

 むしろ朽木街道を疾風のごとく退却したところにあるだろう。

 1570年、越前朝倉氏との戦いにおいて、北近江の武将、妹お市の方の夫でもある浅井長政の協力で敵陣深くに攻め入ります。

 そうして敦賀の金ケ崎に陣を構えると、浅井長政が裏切ったという一報が入ります。

 織田軍は3万、敵軍は2万と、戦う選択もありましたが、信長がとった行動は退却でした。
 
 挟み撃ちを逃れるため、唯一の逃げ道と言ってよい、朽木街道を疾風のごとく退却したのです。

 「逃げるは恥だが役に立つ」というドラマがヒット中で、「逃げ恥」と略されるそうです。

 調べて見ると、原作はコミックでハンガリーのことわざの和訳「恥ずかしい逃げ方だったとしても生き抜くことが大切」からとったそうです。

 朽木街道を疾風のごとく退却した3年後、信長は浅井長政と朝倉義景を討ち、天下統一にあと一歩のところまで迫ります。

 攻めることは副将でも可能ですが、退却だけはトップしか判断できないこと。

 全ては生き抜くため、または幸福へ向かうための決断でなければならないということです。

 日本初のキリシタンとも言われる新しいもの好きの信長ですから、ハンガリーのことわざを知っていたのかもしれません。

 やはり過去とは学びで、ロマンです。

■■■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行
巻頭インタビューが掲載されました

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【News】
■5月16日『homify』(英語)の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■5月10日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■2月13日 『Best of Houzz』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞
■2月3日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■12月3日 『Houzzユーザーが選んだ人気写真:キッチン編』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が5位に選出
■9月30日発売『suumoリフォーム 実例&会社が見つかる本 関西版』「回遊できる家」掲載
■7月21日BS朝日『大改造!!劇的ビフォーアフター』「住之江の元長屋」再放送
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

JAPAN PRIDE‐1682‐

 先日、播磨へ敷地を見に行く機会がありました。

 道程を調べると車で2時間弱ほどでした。

 早めに着いたので世界遺産・姫路城へ寄ってきました。

 前回訪れたのは、2013年の3月。

 大改修の真っ只中で、JIA(日本建築家協会)の例会でその現場を見せて貰ったのです。

 かなり楽しみにしていたのですが撮影はNG。一気にテンションが下がってしまいました。

 姫路城は、姫路駅から真っすぐ北に伸びる、大手前通りの先にあります。

 お濠に掛かる桜門橋を渡り、大手門から城内へ。

 ここでも天守閣は閉鎖中とアナウンスされていました。

 満開の桜の先には、白鷺城の名通り真っ白な天守閣が現れます。

 これだけ白く見えるのは、瓦を固定する漆喰が多く見えているからです。

 漆喰は真っ白ですが、軒の掛かった日本建築なら、壁面の汚れはそれ程でもありません。

 しかし屋根面となると話は別です。

 7年前、工事責任者の方は「どうすればこの白さをキープできるのか、数えきれない程のサンプルを作りました」と言っていました。

 工事を進めながら、現地で様々な調合を試み、それを雨風にさらし実験したのです。

 写真となると、2009年の1月まで更に遡ります。

 Ohanaのクライアントと姫路の写真館を見学に行った時の写真ですが、白さの違いがはっきり分かります。

 白さを維持する為に、多くのエネルギーと技術の粋が結集されていたのです。

 三の丸広場も立ち入りは禁止されていました。

 まさに満開でしたが、人類の道徳感、節度が問われるこの時期です。勿論仕方ありません。

 動物園は開いており、知らなかった若者達のグループが「動物園でも行く~」と言っていました。

 ソーシャルディスタンスという言葉を耳にするようになりましたが、1.8m程の距離確保でお願いします。

 公衆衛生という言葉も、この機会に初めて意識した言葉ですが、人類は何度も感染症の脅威にさらされてきました。

 それらの経験上、6フィート=304.8mm×6=1.8mの距離をとる方が良いということを学んだ訳です。

 古来からある日本の尺貫法で言っても、6尺=303.03mm×6=1.8m。

 フィート(feet)はフット(foot)から来たと言われ、尺は1歩の半分が基準になっていると言われます。

 出所が全く違うのに同じような長さなのが面白いところです。基準ありきと言うよりは、使いやすい数字を探したのではないかと想像しているのです。

 お濠の上で咲く桜。

 何故か2017年のゴールデンウィークに行った、弘前城の桜を思い出しました。

 家族で47都道府県を制覇するぞと、 躍起になっていた頃です。

 隈なく日本を巡ってみて思ったのは、「この国は本当に美しい」ということです。

 明日にも緊急事態宣言が発令されるようです。

 自由に、どこへでも出掛けられる時期が少しでも早くやってくるよう、今こそJAPAN PRIDEを見せる時です。

 変わった格好をしなくても、大きな音でバイクを走らせなくても、全日本国民が、全人類が主役になれるのです。

 私たちは危機に耐え、落ち着いて行動し、被害を最小限に食い止めたんだと孫に、後世に、伝えられる機会を貰いました。

 日本人なら出来るはずです。

 来年のこの時期、晴れ晴れとした気持ちで桜を愛でられるよう、本気の戦いが始まります。

■■■2月13日 『Best of Houzz』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【News】

■2月3日 『Houzzの特集記事』「阿倍野の長屋」が取り上げられました
■12月3日 『Houzzユーザーが選んだ人気写真:キッチン編』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が5位に選出
■9月30日発売『suumoリフォーム 実例&会社が見つかる本 関西版』「回遊できる家」掲載
■7月21日BS朝日『大改造!!劇的ビフォーアフター』「住之江の元長屋」再放送
■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました
■4月1日発売『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』「さかたファミリー歯科クリニック」掲載
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

特別扱いして貰おう‐1663‐

 車で走っている時、思わず二度見してしまいました。

 藤井寺市立生涯学習センターです。

 前面道路は6m程。狭めの二車線道路を走っていると突然現れるのです。

 良く言えば「圧巻」、悪く言えば「唐突」といった感じでしょうか。

 「アイセルシュラホール」とありますが、巨石を運ぶ修羅と、藤井寺市内で発見された船形埴輪をモチーフになっているそうです。

 館内で働く職員の方が教えてくれたのですが、この資料は世界遺産登録前のものでしょう。

 「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産に登録されたのは昨年夏のことでした。

 中百舌鳥古墳群では、世界最大と言われる仁徳天皇陵がよく知られています。

 しかし古市古墳群も密度では負けていないのです。

 その真っただ中にあるアイセル シュラ ホールは、1994年の完成で類設計の設計です。

 「ふるさと創生事業」に端を発したのだと思いますと職員の方は言っていました。

 敷地はため池の一部を埋め立てたそうで、全周から建物を見ることができる珍しいロケーションです。

 1階は憩い・集いのスペースで、喫茶コーナーがUFOのように張り出しています。

 その部分は、USJにありそうな擬岩で覆われており、屋外階段となっています。

 2階へ直接アクセスすることも出来るのです。

 西には仲哀天皇陵を望みます。

 2階は展示室になっていました。

 近鉄電車に土師(はじ)の里という駅がありますが、これは古墳築造のエキスパートとされる土師氏の本拠地だったことに由来します。

 展示室はなかなかに見応えがありましたが無料でした。

 3階は公民館活動、教育研究活動のフロアでした。

 東の池に面した側には、舳先のような窓。先に見えるのは二上山でしょう。

 外から見返すとこんな景色です。

 この部分は、船形埴輪に修羅を付加したようです。

 日本人はどちらかと言えば暗喩的な表現を好みます。

 これだけダイレクトに表現された建物は、1964年完成、丹下健三設計の香川県立体育館くらいでしょうか。

 正面に立つとまるでロボットの顔のようでもあります。

 職員さんに「凄い建物ですね」と声を掛けたら、「ちょっと古い資料ですけど」と言って、プランの入っているリーフレットを出してきてくれました。

 リーフレットを見ていると、4階は開閉式の屋根付きゲートボール場となっています。

 これは見てみたい!と思い「4階なんかは、まさか見せて貰えないですよね?」と訊ねると、「予約がないと無理なんです……」と。

 当社のモットーに「特別扱いして貰おう!」があります。

 媚びる訳でなく、お金を払う訳でなく、相手に興味を持つことで、そんなことが起るのではと思っているのです。

 ただ、調子に乗り過ぎると駄目。引き際も肝心です。

 色々教えて貰ったお礼を言うと「どうぞゆっくり見て行って下さい!」と笑顔で言ってくれました。

 この「特別扱いして貰おう」ゲーム。思いのほか効能があるので、よければ試してみて下さい。

■■■ 『Houzzユーザーが選んだ人気写真:キッチン編』2019年12月3日で「「中庭のある無垢な珪藻土の家」」が5位に選出

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【News】

『suumoリフォーム 実例&会社が見つかる本 関西版』2019年9月30日発売に「回遊できる家」掲載
『大改造!!劇的ビフォーアフター』7月21日(日)BS朝日で「住之江の元長屋」再放送
『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました
『homify』5月7日「碧の家」掲載
『houzz』4月15日の特集記事
「中庭のある無垢な珪藻土の家」が紹介されました
『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

「風情」は凄い‐1653‐

 先週木曜日に、「ならまち」を訪れたことを書きました。

 奈良市観光協会のwebサイトにはこうあります。

 ならまちは世界遺産である元興寺の旧境内を中心とする地域を指します。

 奈良の町屋全体をそう呼ぶのかなと思っていましたが、エリアを指すものでした。

 電車で言えば近鉄奈良駅から南の商店街を抜けたあたり。

 コンビニも町屋に入っています。

 三条通り沿いにある南都銀行本店。

 東京駅や奈良ホテルの設計で知られる、辰野金吾の弟子、長野宇平治の設計。多くの銀行を設計しています。

 「南都と呼ばれる社寺のまちから商業のまちへと変化していき、現在に至る」という説明もありました。

 銀行名はここからきているようです。

 広い間口の家が多く、これは京都と反対。

 ゆったりした雰囲気なのは、このあたりが影響しているでしょう。

 風習として残るのが「身代り申(さる)」。

 「庚申(こうしん)さん」のお使いである申をかたどった魔除けが軒に吊るされています。

 家の中に災難が入ってこないよう身代わりになって貰うのですが、背中には願い事も。

 良いも悪いも背負って貰い、申し訳ない感じがしなくもありませんが。

 普通の店舗にも吊るされているのが、何だかホッとします。
 

 中心である元興寺(がんごうじ)まで南に下ってきました。

 現在の何倍もの規模を持っていたようで、ならまちエリアがほぼ境内だったそうです。

 東門の先に見えるのが、国宝・極楽堂です。

 この日は来訪者も少なく、ゆっくり見ることができます。

 南に回ると、寄棟屋根であることが分かりました。

 石仏・石塔群の「浮図田」。

 石は語らずとも何かしらの意思が伝わってくると感じるのは、決して言葉遊びではありません。

 西隣に建つのは禅室。こちらも国宝です。

 極楽堂を見返すと、西面屋根の一部は色が違うのが分かります。

 元興寺は718年に飛鳥の法興寺(飛鳥寺)が平城京に移されたお寺です。

 その法興寺(飛鳥寺)は、日本最初の本格的伽藍を持つ仏教寺院で、聖徳太子と同時代を生きた蘇我馬子が593年に創建しました。

 この部分の屋根瓦は、その頃の物で1300年の時を超えて存在する「日本最古の屋根瓦」なのです。

 現存する世界最古の木造建築は法隆寺ですが、建立が607年で、火災よって再建されたのが8世紀。

 木材としては元興寺の方が古いものだという研究もあるそうです。

 それだけの風格、風合いを感じさせるものでした。

 先日の「M-1グランプリ」でも審査員を務めたダウンタウンの松本人志さん。

 彼のコメントは常にニュースになる程、最も影響力を持つ芸人です。

 その彼に誘われて放送作家になったという高須光聖さん。自身のwebサイトでこんな事を書いていました。

 「風情」は凄い。これは日本独自のもの。同じアジアの国々にも無い。

 この黙して語らぬ凛とした空気。なんとも言えぬ落ち着いた感じは日本という国にしか存在しない。

 これはたった一軒だけでは作れないここに住む多くの人が、店が、個々で感じ取って景観を作っている その一体感が風情を作っている。

 まさに空間が作り出す共同芸術なのかも。

 メモに2007年とあるので、今も掲載されているのか分かりません。また、一字一句合っていないかもしれません。

 「ダウンタウンがいなければ……」などと言う人も居ますが、彼が関わってきた番組のキャリア、そして文章を読んでいると、間違いなく一流の香りがします。

 それは、元々才能があったのか、放送作家という過酷な仕事が彼を鍛え上げたのか、幼少期から知る松本人志の影響なのか……

 おそらくその全てだろうと想像しています。

 建築においてはプロですが、風情をここまで的確に、平易な言葉で表現するのは簡単ではありません。

 街だけでなく、人の能力も感性も、ひとりでに出来上がるものではないと感じます。

 大阪で暮らし、京都で学び、奈良で風情の奥行きを知る。

 社会に対して、周辺に対して、良い影響を与えられる仕事人でありたいと思うのです。

 ただ、あれはどう考えてもコーンフレークですが。

■■■ 『Houzzユーザーが選んだ人気写真:キッチン編』2019年12月3日で「「中庭のある無垢な珪藻土の家」」が5位に選出

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【News】

『suumoリフォーム 実例&会社が見つかる本 関西版』2019年9月30日発売に「回遊できる家」掲載
『大改造!!劇的ビフォーアフター』7月21日(日)BS朝日で「住之江の元長屋」再放送
『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました
『homify』5月7日「碧の家」掲載
『houzz』4月15日の特集記事
「中庭のある無垢な珪藻土の家」が紹介されました
『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

香港・マカオの旅② <マカオ、100万ドルの夜景編>‐1631‐

月曜日は、香港に到着した10月11日(金)の夕方までをUPしました。

翌12日(土)は早起きして、まずは朝食。

「粥」と言う文字がみえたので入ってみました。

香港と言えばお粥。

麺と違ってこちらは外れなしでした。ピータン入りで30香港ドルくらい。

 ホテルのあるモンコックエリアはデモ運動が激しいようで、アンダーパスの壁にもそれらしき張り紙だらけでした。

 結局このあたりで、警察との衝突と遭遇することになるのですが、それは後程に。

 バスにのって香港理工大学のへ向かいました。

 2016年に亡くなった「アンビルド・アーキテクトの女王」と言われたザハ・ハディドの建物を見るためです。

 ここにも「反抗」の文字が。大学はそういった運動の拠点と常になる訳です。

 建物は正直凄かったのです。

 後でもう一度触れようと思っていますが、高級車のこだわりを細部にまで織り込んでいるとでも言えばよいのか。

 これはそう簡単に実現しないだろうと、納得しました。

 そのまま香港島のフェリーターミナルへ移動。

 香港は天気が悪い予報だったのと、土曜日はデモが激しいと思い、急遽マカオに行くことにしました。

 チケットは150香港ドルくらいなので2千円ちょっと。

 1時間くらいで到着します。

 マカオも同じ中国のはずですが、入国という扱いになるようです。

 市街地は比較的近く、何となくでバスに乗りましたが概ねイメージ通りの場所に着きました。

 マカオの由来となったと言われるマッコミュウ。

 このあたりは中国文化が色濃くでています。

 昼になったので食堂に入りました。

 何が特産か分からないのでひとまず「マカオのビールを」と言うと、そのままマカオビールでした。

 気温は30度を超えていたと思うので、どんなビールでも美味しいのですが、やはり地元の物に限ります。

 とても飲みやすいビールでした。

 マカオの市街地は広い範囲が世界遺産に指定されています。

 ポルトガルの統治時代の雰囲気が残るセナド広場。

 下町は香港とよく似た雰囲気です。

 マカオは観光地としてかなり人が増えているよう。

 カジノで有名ですが、私はあまり興味がないので街を見てまわります。

 結局、ヨーロッパの強国はアジアにおいての覇権を争うことになります。

 あまりダイレクトには書きにくいですが、その際にキリスト教の布教を活用しているのは間違いありません。

 信仰の自由は、誰にも認められているので良い悪いはありません。

 しかしそういった事実を踏まえ見ると、街歩きはより面白いと思っています。

 セナド広場のど真ん中、南欧の雰囲気が最も残るメインストリートに「中国建国70周年!」のような飾り付けが、派手派手しくなされていました。

 住民の気持ちはいかばかりかと思いますし、その不満が香港で今まさに噴き出しているのです。

 マカオの旧市街地はとても面白かったのですが、現代建築は目を見張るものがありました。

 カジノの街に相応しくなのか、ほぼすべて金ピカ。

 それも徹底的にです。

 帰りのバスから辛うじて撮ったこの建物。

 写真では伝わり切らないと思いますが、もう絶句する金ピカ具合だったのです。

 夕方になるので、香港に戻ったのですが、もう少し時間をとってみて見たい街でした。

 フェリーターミナルからトラムに乗って、「大館(2018年)」という施設をのぞいてきました。

 旧警察本部や監獄をリノベーションした施設で、2001年にプリツカー賞を受賞したヘルツォーク&ド・ムーロンの設計です。

 東京・青山のプラダの設計者と言えば分かりやすいでしょうか。

 こちらもまた後日に。

 そこまで天気が悪くなかったので、ピークトラムにのって香港を見下ろせる展望台を再訪します。

 やや霞が掛かっていましたが、なんとか100万ドルの夜景を収めることができました。

 ここでもペイの中国銀行ビルは目をひくのです。

 駆け足で、この日イメージしていたところを回り、最後は廟街にやってきました。

 深夜特急の作者、沢木耕太郎が香港に長居することになった要因となったのがこの場所です。

 どんな街でもそうですが、市場やマーケットは人を惹きつけるものがあります。

 一人旅なので、ならなおさらなのかもしれません。

 また、食事は屋台に限ります。

 何となく頼んだおそらく豚肉料理と、青島ビール(チンタオビール)。

 見た目とは裏腹に、酢のタレも含めてとっても美味しかったのです。

 街の屋台でその土地のビールを飲んでいる時、なんだか全てが報われるように気持ちになるのは私だけでしょうか。

 廟街ではつらつと働く女性です。

 ある映画監督が、ITをさして「虚業」と表現したことに対して、それらで成功した有名実業家は強く非難しました。

 その通りだと思います。

 ただ、夜の屋台でけなげに働く姿をとても美しいものに感じます。

 そういった場面を見る機会が、どんどん減っていることは私も危惧するのです。

 この夏、長男が海外へ出る際に「スマホは持っていかない」という約束を破りました。

 それで、帰国時に私はかなり怒りました。

 不便、不安、分からない。

 こんな価値ある体験をできるのは海外だけです。

 今回もスマホは持って行きましたが、ローミングも切り、ポケットWi-Fiの契約もしませんでした。

 バックパッカー卒業宣言を2016年の旅の際にしましたが、心はいつもバックパッカーです。

 それは、お金がなくてそうしてきたというのもありますが、それがどれだけの刺激や、充実を与えてくれるかを知っているからでもあります。

 とはいえ、ホテルに帰ると無料Wi-Fiがあり、メールチェックも、写真を上げることも可能ではあったのですが。

 金ピカマカオと100万ドルの夜景編、楽しんで頂けたでしょうか。

 明日からは、2、3話になると思いますが、旅の後編を続けてUPして行きたいと思います。

■■■『suumoリフォーム 実例&会社が見つかる本 関西版』2019年9月30日発売に「回遊できる家」掲載

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【News】
『大改造!!劇的ビフォーアフター』7月21日(日)BS朝日で「住之江の元長屋」再放送
『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました
『homify』5月7日「碧の家」掲載
『houzz』4月15日の特集記事
「中庭のある無垢な珪藻土の家」が紹介されました
『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

この世に無駄なことはない、ただ……‐1585‐

 前回は、5月5日(月)ゴールデンウィーク最後の宿に到着したところまで書きました。

 妻が見つけてきた「熊野倶楽部」。なかなかに面白い宿でした。

 広大な敷地に、1棟建ての宿泊棟がいくつも建っています。

 私達が泊まった棟は、2部屋で1棟でした。

 1室空間ですが、内部はゆったりしています。

 1棟であるメリットは、3方から光と風が取り込めることでしょう。

 高低差のある敷地を活かし、景色もよいのです。

 小物にも、なかなかに配慮が行き届いています。

 提灯は、浴室棟に向かったりするときに使うもの。

 敷地を活かし、全てがゆったりしているのです。

 地元の杉でしょうか。木材はふんだんに使われていました。

 食事も良かったのですが、一番好感がもてたのは外構が芝生でないこと。

 あたりは野草で埋め尽くされています。

 ある程度雑草は抜いているでしょうが、優しい景色になっている一番の要因だと思います。

 熊野倶楽部を後にし、世界遺産の熊野本宮大社へ向かいました。

 私も初めてかもしれません。

 最果ての地と言えば叱られそうですが、山間部に突如として現れる広い平地は、確かに神聖なものを感じます。

 急な石階段を上ると社殿が見えてきます。

 偶然ですが、令和の初詣でが熊野神宮大社となりました。

 ただ、神社建築は撮影禁止が多く、建築に関わるものとして残念ではあるのです。

 その後、紀伊半島の中央を貫く168号線を北上。

 ここも昔はよく来た二津野のダムを通過します。

 十津川温泉郷といったほうが分かりやすいかもしれません。

 子供達は多少山道に酔ってしまいましたが、最後は日本一の谷瀬の吊り橋。

 高い所が大嫌いな私はパス。

 高い所を苦にしない娘も、54mのスカスカ足下は怖かったようです。
 
 最終日ということもあり、渋滞もなく夕方6時には大阪に戻りました。

 娘が受験を控える今年は、かなり短めのGW旅行でした。

 ヒナにエサをやる燕。

 タンポポ。

 そしてワタボウシ。

 子供にはいつか巣立って貰わなければなりません。

 それでもなのか、だからこそなのか、出来る限り多くの体験をさせてやりたいとは思います。

 この世に無駄なことはない。

 ただ、無駄な人が居るだけだ。

 どこで聞いたのか忘れましたが、イギリスあたりのアイロニックジョークでしょうか。

 皮肉も悲観も嫌いです。しかしこの言葉は至言かもしれません。

 社会に求められる人になって欲しいと思うなら、まずは自分がそれを体現する必要があります。

 これだけ休ませて貰ったなら、ゴールデンウィークボケなどしている暇はないのです。

 草木は青々とし、虫たちも動き出すこの季節。色々なオファーを貰う季節でもあります。

 18歳までの昭和を「成長」、48歳までの平成を「修行」とするなら、令和は「実り」としたいと思うのです。

■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』4月7日(日)BS朝日で「住之江の元長屋」再放送
■■■『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【News】
『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました
■『homify』5月7日「碧の家」掲載
『houzz』4月15日の特集記事
「中庭のある無垢な珪藻土の家」が紹介されました
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました
大阪ガス『住まう』11月22日発行に「中庭のある無垢な珪藻土の家」掲載
『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
『homify』6月29日「回遊できる家」掲載

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

吉野に、悲運の天皇を訪ねる‐1569‐

 大阪なら、ちらほらと桜が開花しだしました。

 関西も桜の名所は多々ありますが、規模で言えばやはり「一目千本」の吉野山です。

 「下千本」を一望しますが、満開の景色は格別でしょう。

 全くの開花前ですがふと立ち寄ってきました。

 吉野山は尾根道に沿って、門前町が広がります。

 その入り口にある黒門をくぐり、緩やかな坂道をのぼって行きます。

 この閑散期、お土産店の人も時間を持て余しています。

 「4月中頃の平日に、朝6時頃一番上まで車でいかれたらよろしい。朝靄がかかった景色は、それはもう素晴らしいから!」と。

 何とか時間を捻出して、再訪したいものです。

 門前町の高台にある仁王門。

 金峯山寺は修験道の総本山で、この仁王門は大阪、京都からの信者を迎えるため、北を向いているそうです。

 そのすぐ南にある金峯山寺蔵王堂は世界遺産。

 写真ではもどかしいくらいその迫力が伝わらないのですが、総檜皮葺きでこの規模のお堂はなかなかありません。

 東大寺大仏殿に次ぐ木造大建築とありました。

 道中、見事な枝垂梅だけはみることができました。

 娘が歴史で「南北朝時代」を習っているようで、その南朝があったのがこの吉野です。

 それで、ふと訪れてみたいと思ったのですが、当時天皇家には2つの統がありました。

 交互に皇位についていましたが、相続をめぐる争いが続きます。

 京都を制圧した足利尊氏は、持明院統の天皇をたて、大覚寺統の後醍醐天皇に譲位をせまります。

 有能で政治力もあった後醍醐天皇はこの地までのがれ、吉野朝廷をおこしたのです。以来、2つの朝廷が並び立ったのが南北朝時代です。

 室町幕府は、15代義昭を信長が追放するまで240年続きました。

 後半100年の戦国時代を含め、動乱の時代でした。

 しかし、南朝を中心とするこちらの世界は比較的安定していたようです。

 修験道を中心とした戦力もあり、この地から天皇家を中心とした平和な世界を創り上げるという旗印のもと、結束は固かったようです。

 しかし、南朝は57年で消滅しました。

 日本最長の歴史書と言われる「太平記」は、この地で生涯を閉じた後醍醐天皇を悲運の天皇として描いています。

 山川出版の「日本史」を引っ張り出すと、僅か2ページの内容です。

 なのに、何か心に引っ掛かるものがあります。

 情報を独占するIT企業の躍進。生活にはなくてはならなくなった?コンビニチェーン。

 コンビニのオーナーは、命を落としてでも契約を守らなければならないのか。勿論そんなはずはありません。

 勝者と強者だけが常に正しい訳ではありません。

 判官贔屓かもしれませんが、だからこそ、太平記では敗者とも言える後醍醐天皇や楠正成を熱心に描くのだと思います。

 大和魂。

 そんな言葉が頭に浮かぶのです。

■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【News】
大阪ガス『住まう』11月22日発行に「中庭のある無垢な珪藻土の家」掲載
『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
『関西の建築家とつくる家 Vol.2』2月1日発売「阿倍野の長家」掲載
『homify』6月29日「回遊できる家」掲載
『homify』6月2日「イタウバハウス」掲載
『houzz』5月28日の特集記事「あちこちでお茶できる家」掲載

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記