カテゴリー別アーカイブ: 16 上町界隈

疲れてしまった時、水面を‐2274‐

今日から12月に入りました。

誰もが同じだと思いますが、12月に入ると、急にするべきことが増えるのは何故でしょうか。

大阪城公園のイチョウは今が見頃。

濃い黄色が眩しいほどです。

公園の北西角に「大手前」という交差点があります。

正門である大手門の前なので大手前。

交差点の歩道橋から南を見ると、丁度真ん中あたりにあるのが、大手前高等学校です。

府立高校の雄といってよいでしょう。

歩道橋から反対の北を見ると、私立の追手門学院大手前中高等学校があります。

幕末までは追手門とも呼ばれていたことが関係しているようです。

西外堀が目の前に広がる景色は、このあたりの見所のひとつ。

どちらの学校も、誰もが羨むロケーションなのです。

約20年前、初期相談に来られたクライアントが、高校時代の経験を語ってくれました。

「疲れてしまった時、水面をずっと眺めていました。見ていていると落ち着いてくるんです」と。

そして、水面が見える土地を探してこられ、住宅を建てました。

それが「池を望む家」です。

リビングが、北側の池に向かって大きく張り出しています。

3方が天井までガラスになっており、視野は180度以上。

そこからの景色は素晴らしいものでした。

勉強家のご主人から、池を望みながら勉強できる机が欲しい、という要望も貰っていました。

1階廊下の突き当り、対岸の桜も愛でることができる勉強机をデザインしたのです。

水面を愛でる暮らしの素晴らしさを、教えて貰いました。

水は命の源です。
そして植物は、命を持続する酸素の源と言ってよいでしょう。

掘と色付いた樹々を眺めていると、私も心が落ち着いていくことが分かります。

建築家・出江寛は「建築とは哲学すること」と言いました。

約30年、クライアントと一緒に、私なりに哲学してきました。少しずつでも成長してきたと思いたいのです。

年末にかけて、更に色々な計画が動き出しました。

日々、その真価を問われますが、落ち着くべき時は、水面を見に行くのです。

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■

株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV

なぜか投函、ネコジャラシ‐2265‐

この時期、8時頃になると屋上に日が差してきます。

ジョギングから戻ると、屋上で軽くストレッチして、少し瞑想します。

街中なので空は小さいですが、それでも南がある程度開けているのは気持ちが良いものです。

長堀通は車道が19m、歩道が4mあります。

歩道沿いには、ほぼ街路樹が植わっています。

アトリエの斜め前にもありますが、トウネズミモチでしょうか。

街路樹は毎年ばっさり剪定されるので、愛想のある樹形ではありませんが、それでも緑が見えると嬉しいものです。

恥ずかしいことに、まだ1階部分が完成しておらず……

普段はシャッターを下ろしていることが大半です。

小さなシャッターポストが付いているので、このような感じで投函されるのです。

1階に降りたついでに郵便物の確認に行くと、葉っぱのようなものが落ちています。

近付いてみると、いわゆるネコジャラシでした。正確な名前はエノコログサ。
アワの原種ともされる、イネ科の植物です。

私には必要のないものですし、投函してもらうべきものではありません。

しかし、腹も立ちませんし、嫌な気持に全くならなかったのです。

思い描いたストーリーはこうです。

夕方、仕事を終えた若いお母さんが、谷町6丁目の駅で降りて、保育園に子供を迎えに行きます。

2人で自宅マンションに向って歩いて帰る途中、3歳になる男の子が街路樹の足元に生えているネコジャラシを引き抜きました。

お母さんは「〇〇君、それはお家までもって帰れないね」と。

「うん、分かった」といった〇〇君は、丁度目のまえにあった、小さなシャッターポストを見付け、そこに捨てたのです。

お母さんは若干慌てましたが、わざわざインターホンを押すほどでもないと思い、「そこは人の家なので、捨てるところではないのよ」と彼に言い、苦笑いしながら家路を急いだのです。

全くの想像ですが、何となくそのようなストーリーが浮かんできました。

ただ、物事の解釈は、こちらの考え方次第なのだなとも思ったのです。

もし、タバコの吸い殻が捨てられていたらそうは思えなかったかもしれません。

しかし、反対に言えば、どんな事があったとしても、やたらと神経をすり減らすことはないかなとも考えたのです。

「現代人が1日に受け取る情報量は、平安時代の人の一生分」と聞いたことがあります。

真偽の程は分かりませんが、もしそうだとしたら、受け取る側も何か工夫する必要がありそうです。

大谷翔平選手をはじめ、多くの一流アスリートは「自分の出来ることに集中する」と繰り返します。

ネコジャラシの件で、その一端を自分なりに感じることが出来たような気がしたのです。

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■■■8月1日(金)患者さんでなくても立ち寄ってほしい「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」JIA(日本建築家協会)のトップページに掲載されました■■■

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高津宮の葦舟‐2264‐

谷町筋の西側は、概ね上町台地の西端にあたるので、松屋町に向って下っていきます。

千日前通の1本北を西に2ブロック下ると、北側に高津宮(こうづぐう)の鳥居が見えてきます。

石畳が続く参道を早朝通ると、とても気持ちが良いのです。

土曜日に通ると、普段は何もない石段に、巨大な何かが置かれています。

26日(日)に「高津宮とこしえ秋祭り」が開催されるようです。

巨大な葦船でした。

『とこしえの船(高津の葦船)』は、芸術家の伊原セイチ氏により奉納されたもので、舟の骨格は天川村の杉を使い、船体は滋賀県近江舞子の「内湖を愛する会」から提供された葦を使用しています。

舟の中央には、2万年前の神代杉を乗せ、舟がとこしえ(永遠)へと向かう原動力となっているとありました。

高津宮のWebにはこうあります。

当宮は浪速の地を皇都(高津宮たかつのみや)と定められ大阪隆昌の基を築かれた仁徳天皇を主神と仰ぐ神社であります。 仁徳天皇が高殿に昇られて人家の炊煙の乏しいのを見られて人民の窮乏を察し直ちに諸税を止めて庶民を救済されました御仁政はあまねく国民の敬慕する処であります。 その御仁政を慕い平安期の初期清和天皇の貞観八年(866年)勅命(天皇の命令)によって旧都の遺跡を探索して社地を定め社殿を築いてお祭りしたのを創始といたします。

かまどの煙が乏しいのを見て、減税に踏み切ったという逸話は、この地から生まれたものかもしれないと知り、感慨深いものがあります。

翌日曜日は小雨が降っていましたが、気になってのぞきにやってきました。

境内には沢山の屋台がでています。

前日には無かった、神代杉も鎮座していました。

本殿では、拳法の演武だったり、和太鼓の演奏があったりと、賑わっています。

屋台もよく見ると、プロの店は一軒も無いようです。

リーズナブルで、体に優しそうなものが並んでいます。

参加者の人に聞くと「別に秋祭りはあるんだけど、宮司さんを慕っての集まりみたいなものなんです」とのことでした。

確かに、ほんわかとしたアットホームな空気感が漂っていました。

「祈りの結び」 どなたも幸せを願い、葦舟に縄も結んでいただけます、と説明書きもあります。

少し心づけをして、縄を取り。

家族の健康と、間もなく受験が始まる娘の合格を祈って、結んできました。

高津宮は、土地のロケーションが凄かったり、それを活かした縁結びの坂があったり、大阪大空襲から神輿蔵を守った龍神さまがいたりと、見所がいっぱいです。

縁結びの坂があれば縁切り坂まであり、また詳しく描きたいと思います。

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チンドン屋が奏でる哀愁の「秋桜」が似合う空堀商店街‐2260‐

普段買い物をするのが「空堀商店街」です。

谷町筋を挟んで、東の「空堀ど~り商店街」は、上町筋まで続きます。

西の「空堀商店街」とあわせると、東西800mにおよぶ商店街です。

今日はスポーツの日で3連休ですが、基本仕事で缶詰状態でした。

気分転換に妻の買い物についていくことに。

「空堀商店街」の西端は松屋町通とぶつかります。

正確には「まつやまち」ですが、アーケードの看板も「まっちゃまち」です。

この辺りが、丁度上町台地の西端にあたります。

上町筋まで緩やかな上り坂が続く、ちょっと珍しい商店街ですが、なかなかに活気があるのです。

インバウンド客も多いですが、このお茶屋さんが人気で、よく並んでいるそう。

妻情報です。

遠くから、クラリネットが奏でる「秋桜」のメロディが聞こえてきました。

チンドン屋が、イベントを宣伝しながらねり歩いてきたのです。

曲のセレクトが昭和で、レトロな感じがたまりません。

物悲しい音色に、もう胸熱です。

こちらは普段買い物にくるという鳥肉屋さん。

鳥のむね肉がグラム108円でした。

こちらは昔ながらの豆腐屋さん。

厚揚げ盛りが一皿200円でした。

妻が「これ貰えますか」と指をさすと、「お金は貰うことになりますが(笑)」と。

「ハイ、おつり800万円」は出ませんでしたが、そんなやりとりも商店街ならでは。

庶民の財布にも、人も優しい、イカした商店街でした。

シャッター商店街化するところもありますが、天神橋筋商店街や駒川商店街など、活気のあるところもあります。

その差は、やはりお得感と人だと思います。

普段使いの店だけでなく、飲食店もかなり充実しています。

次回はそちらを書いてみたいと思います。

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天井スピーカーの魅力‐2259‐

上町のアトリエの外観は、黒一色です。

それで、内部空間も基本は黒とグレーで構成しています。

昨日は打合せがありました。

ピクチャーレールで作品のパネルを飾ってみたり。

本棚には作品を掲載して貰った書籍をディスプレイしています。

結構沢山の書籍に掲載して貰ったなと、1人悦にいっているのですが。

以前からラジオや音楽を天井スピーカーから流したいと思っていたので、スピーカーも黒で揃えました。

現在は生産中止になってしまいましたが、BOSEのDS16FBです。

ハイインピーダンスとローインピーダンスのどちらにも対応し、それほど高くないので廃版は残念です。

ようやくアンプを購入し、接続しました。

SONYのSTR-DH190は2018年の発売なので、高性能と言い難いですが3万円弱。

Bluetooth、FM、PCからの外部入力もできるので十分でした。

打合せをA、アトリエをBとするなら、その2系統を、A、B、A+Bと切り替えできるのが最も必要な機能でした。

配線コードの種類まではこだわっていませんが、音質的には十分だと思います。

普段はは小さめの音でFMですが、時々、Apple Music で、お気に入りのプレイリストを流します。

3階LDKにも同じスピーカーを付けました。

2022年にPanasonicから、住宅用火災報知器の黒が発売されました。

エアコンはグレーの幕板で隠し、スピーカー、住宅用火災報知器、照明器具が黒で統一できました。

3階LDKのアンプは、DENONのAVRX1800Hにしました。

DENONの7.2ch AVアンプシリーズでは最も低価格で、6万円弱でした。

Bluetooth、FMは勿論ですが、テレビの音声も臨場感あるサウンドシステムを構築したいと思っています。

まだまだこれからですが。

これまで、音楽にこだわりがあり、天井スピーカーを付けられたクライアントが何人かいました。

それを見ていなければ、設置しなかったかもしれません。

天井スピーカーの魅力は、まずは空間がすっきりすることです。

また、上からものを言われるのは嫌なものですが、音楽は上から聞こえる方が気分がよいのは何故でしょうか。

音源が離れているのも、耳に優しい気がします。

新築、リノベーション時には、もし悩むようなら設置をお勧めします。

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難波宮跡で中秋節を‐2258‐

日曜日は、近所の難波宮跡で開催されていた「中秋明月祭大阪2025」に行ってきました。

雨が降ったり止んだりでしたが結構な人出。

開催概要に、以下の説明がありました。

今年2025年の中秋の名月は10月6日がその日にあたり、中国ではいわゆる旧正月の「春節」と同様に最も盛んな節句の一つで「中秋節」(zhongqiujie)と言います。

この中秋節は、中国ではこの日に家族、友人が集まり、杯を傾け、幸せを謳歌し、遠く離れた人々を思い、共に同じ時を楽しみ祝います。そのため家族団らんを意味する「団円節」(Tuanyuanjie)とも言います。

関西地域の日本の方々や華僑華人の仲間達と共に、中国を中心とした芸術をお楽しみいただき、「交流して友好を築き、ともに調和を成す」の理念のもとで、文化交流を軸にしたイベントとして参りたいと思っております。

中国はまだ行ったことがありませんが、何となく現地の雰囲気を感じることができます。

地域住民と関西在住の華僑・華人が交流を深め、日中友好の輪を広げることを目的とした国際交流イベントとある通り、基本飛び交うのは中国語です。

雨が降ってきても食事できるよう、広いテントのスペースも準備されています。

昼過ぎに帰ってきた娘も連れて3人で訪れました。

まずは昼食ですが、大きな焼き餃子は300円程。

水餃子も同じく300円程。

タレは日本の醤油ベースとは全く違う風味です。

黒酢でしょうか。

ラムの串焼きを売っている店もいくつかありました。

6本1000円、中国ではラムもよく食べるのでしょうか。

どれも大変美味しかったです。

これは麻辣湯(マーラータン)、500円。

本来はとても辛い料理のようですが、日本用にマイルドにしてあるようです。

そこまで辛くなく、平たい麺がとても美味しかったのです。

本格食材のような物も沢山売っていましたが、こちらは私たち日本人には少しハードルが高いかも(笑)

一番奥にあるステージでは、中国の伝統的な音楽や舞踊なども披露されています。

胡弓の調べが聞こえてきました。

地域住民と関西在住の華僑・華人が交流を深め、日中友好の輪を広げるという目的は十分に達成されていると感じました。

楽しかったなと会場を出ようとすると、入口のゲートの裏側を見ると以下のメッセージが記されていました。

「過去を鑑に、今を知り、未来を創ろう」

近隣国と一切の揉め事がなく、独立している国は無いでしょう。

日本と中国の関係も、かなり複雑です。

ただ、楽しい、美味しいは世界共通の幸せ。

観て、食べて、中国のことを知れる機会は貴重です。

次回は、本格食材にもトライしてみようかなと思っているのです。

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橋の中の橋、「大坂橋」‐2256‐

暑かった夏も一段落し、朝夕は本当に気持ちのよい気候になりました。

ジョギングするにはもってこいの季節です。

最近、大阪城公園を北に抜けて、京橋あたりまで足を伸ばしています。

夜の京橋もよいですが、朝の京橋もなかなかです。

このあたりの地形は本当に面白いのです。

京橋へ向かう時は、大阪城公園の北西角を北に抜けると京橋(こちらは橋の名前)にでます。

その上には、人道橋が架かっているのですが、ここからの景色が抜群なのです。

大阪ビジネスパークのシンボルと言ってよい、クリスタルタワーが最も美しく見える場所だと思います。

タグボートが台船を引いて右手の第二寝屋川を上っていきました。

この橋は「大坂橋」。

大阪城築城の翌々年、天正13年(1585年)に架けられた元の大坂橋は、その後の消息は定ではありません。

大正末期に東横堀川を浚渫した際に、末吉橋と九之助橋の間の川底から「大坂橋 天正拾三年」(1585年)の銘が刻された銅製の擬宝珠が発見されました。

この擬宝珠は、昭和6年に再建された大阪城天守閣に保存され、市民に公開されていました。

しかし、終戦の混乱期に行方不明になり、橋の所在と共に幻の擬宝珠となってしまいます。

昭和48年、その由緒をしのんで、土偏の坂を用いて「大坂橋」と命名されたのがこの橋なのです。

縦横の河川と運河が大阪の水運を支え、天下の台所と呼ばれた大阪。

八百八橋と呼ばれる程、多くの橋がありますが、「なにわの三大橋」と言えばライオン橋で知られる「難波橋」、天満の天神さんのすぐ南にある「天神橋」、そして「大坂城」建設の際に架橋されたと言われる「天満橋」です。

橋の上からは、最も東にある「天満橋」が見えています。

三大橋を上回る景色と名前を持つのがこの「大阪橋」でした。

本気のランナーは、大阪城公園を猛スピードで駆け抜けていきますが、私は街の中を北へ西へと、歩くようなスピードで巡るのが健康法で、毎日の楽しみなのです。

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大阪最古の神社、いくたまさんはお得感半端なし‐2254‐

谷町9丁目あたりも、何となく生活圏なのでよく出掛けます。

谷町筋から西をみると、難波へ向けて下っているのがよく分かります。

千日前通との交差点が「谷町9」の交差点ですが、すぐ北にある緑のビルは、フィリップ・スタルクの設計です。

1992年完成の「バロンヴェール」。

学生時代はスタルクがお気に入りだったので、すぐ見に行きました。

少し錆びているのと、塗り直した部分の色が違うのがかなり残念。

千日前通りを難波へ向いて下っていくと、松屋町筋との交差点の南側に鳥居が見えてきます。

生國魂(いくたま)神社の鳥居です。

大阪最古とありますが、その足元がかなり気になっていました。

「崖縁占(がけっぷちうらない)」とあるのです。

近くはよく通りますが、参拝したのは初めてだと思います。

谷町筋から100m程西に入りますが、一段高い敷地はかなり広大です。

その広い敷地を活かし、本殿の北側には、上町台地の縁をなどるように段差を活かしながら、10程の社があります。

ぐるりと回れるように「いくたま参り道」が整備されているのです。

皇大神社、精鎮社、稲荷神社、源九郎稲荷神社、鴫野神社。

城方向(きたむき)八幡宮、鞴(ふいご)神社、家造祖(いえづくりみおや)神社、浄瑠璃神社。

ぱっと見渡しただけでこれだけあるのです。

ここで4千句を読み上げたという井原西鶴像。

生國魂神社近くで生まれたという織田作之助像も。

大阪の偉人大集合なのです。

そして西の端、まさに上町台地崖っぷちでようやく発見しました。

「崖縁占(がけっぷちうらない)」です。生玉鑑定所ともあります。

その音に惹かれてやってきたのですが、ちょっと想像とは違ったので、看板だけにしておきます(笑)

気になる人は直接確認ください。

大阪最古の神社、いくたまさんは、そのごった煮感が凄かったのですが、合わせてお得感も半端ありませんでした。

ただ、上本町駅から西に延びる参道は、谷町筋で完全に遮断されています。

歩道橋こそありますが、信号や横断歩道はありません。

谷町筋東側も、趣がある参道が残っています。

神社の格式、立地、エンターテイメント性も含めて、間違いなく大阪の宝と判断しました。

これは何とかならないものかと思うのです。

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夏の終わりのピースおおさか‐2247‐

エレベーターのあるリハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」【ゲンバ日記チャンネル】Episode4を、昨日公開しました。

9月28日(日)に内覧会が開催されますので、よろしければお越しください。

予約などは不要です。

長男が大阪に帰ってきていた夏季休暇中に、ピースおおさかへ行ってきました。

終戦から80年、直接戦争は知りませんが、祖父母世代からは直接話を聞きました。

子供たちにはその経験もないので、戦争はより遠い存在だと思います。

終戦記念日の前に、長男を伴って訪問してみました。

開館して34年経ちますが、この建物はシーラカンスの設計です。

学生時代にコンペが開催されたはずなので、記憶に残っています。

「大阪空襲を語り継ぐ平和ミュージアム」とあり、多くの画像、資料でその戦禍を伝える施設です。

大阪への大空襲は1945年3月13日から終戦前日の8月14日まで、計8回実施されています。

大空襲の定義は大型爆撃機のB-29が100機以上飛来した空襲を指すので、実際にはもっと多くの空襲があったのです。

焼夷弾によって大阪の街を焼き尽くし、1万人以上の市民が亡くなりました。

大阪城の東には、東洋一の規模をもった大阪砲兵工廠があり、そういった軍事施設も徹底的に狙われています。

天守閣の北にある山里丸石垣には、機銃の掃射痕が残っています。

80年の時間を経ても、石はその痕跡を生々しく残しています。

多くの一般市民が焼け死ぬ様子や、機銃掃射を避けようと、線路のガード下に人が殺到し、圧死した状況などを語る映像や一般市民が描いた絵は、目を背けたくなるようなものばかりでした。

長男はかなりしっかり各展示を見て回っていました。

順路の一番最後に、戦争後を伝える展示エリアもありました。

復興を遂げる1960年代の心斎橋筋商店街の写真です。

「中華そば 55円」とあります。


戦争は遠い過去となりつつありますが、ウクライナでも中東でも実際に戦争は続いています。

戦争が無く、思想的にも自由な社会は、頑張れば結果がでますし、そうでなければ淘汰されます。

自由に感謝し、仕事人として責任を持たなければ。

そんなことを感じた、夏の終わりのピース大阪でした。

戦争とは全く違いますが、罪のない市民が大きな被害を受けるのが天災です。

今週末、2024年1月1日に起こった能登半島地震の災害復興まちづくり支援のボランティアに行ってきます。

何ができるか分かりませんが、精一杯役割を果たしてきたいと思います。

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家族写真 in 大阪城‐2243‐

今日は朝から、家族で大阪城の天守閣へ。

本丸の正門にあたる桜門まで行くと、天守閣が見えてきます。

長男が東京から帰省していたタイミングで、家族写真を撮りに行ってきました。

昨年は、初めて4人で行った旅行先、白浜で撮りました。

今年は娘が受験ということもあり、塾へ行く前に大阪城で撮ることにしました。

昨日を予定日にしていましたが、生憎の曇天。

長男には一日滞在を伸ばしてもらったので、晴れてくれて助かりました。

日中は観光客でごった返す天守閣前も、朝の7時台はガラガラ。

思ったところで撮影できました。

これだけの蝉時雨が響くのもあと少しでしょう。

撮影した後の画像チェックの図です。

4人で撮った後は、恒例にしている兄妹のカット。

子達が仲が良いのは嬉しい限りです。

初めに書いた、桜門を入ってすぐの所には、蛸石と呼ばれる巨石があります。

大阪城内でも最大で、面積は約36畳、重さは108トンと推定されています。

大阪城は極めて立派な城ですが、間近でみて驚くのは石垣です。

石垣と言う、巨大な基礎があってこその大阪城なのだと分かります。

長男は大学3年生、長女は高校3年生。まさに仕事人への基礎を築く年代です。

石垣は傾斜が急すぎれば倒壊しますし、緩すぎれば、敷地を無駄使いした上に、労力ばかり掛かります。

程よい角度が美しいのは、人生も同じ。

自分が登れる最大角度を目指して欲しいと思います。

段々勾配が緩くなる石垣など全く美しくありません。

長男は、仕事を決めるべき時期にはいりました。

自分が人生を掛けてみたい仕事のなかで、一番厳しいと思うものを選んでほしいと願っています。

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■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■