馳せ走ってもてなす、ご馳走‐1400‐

 7月も最終日になりましたが、暑さは増すばかり。

 夏に花をつける樹は限られますが、サルスベリと夾竹桃がその代表格でしょうか。

 ともに濃桃色。この気温の中で咲き誇るのですから、何ともタフな花弁です。

 昨日は、ある計画のプレゼンテーションでした。

 その際に、夏野菜のお土産をいただいたのです。


全て採れたての手作り野菜。美しいことこの上ありません。

 この暑い中、打合せ前に収穫していただいたと聞き、申し訳ないのと、有り難いのと……

 早速、その日のうちにいただきました。

 塩が少しあれば十分です。

 ゴーヤの淡い苦味は、食欲が増します。暑い地域の知恵はさすが。

 美味しい野菜の嬉しさは、若い頃の比ではありません。

 作家・水上勉は「飢餓海峡」、「雁の寺」など知られます。

 「土を喰う日々-わが精進十二カ月」は食にかんするエッセイで、軽井沢で暮らす水上氏の、四季の食卓を綴った本なのです。

 氏は家庭の事情で、小さい頃から禅寺へ修行に出されます。

 そこでの体験から、自然にあわせ、野菜と相談しながら料理をするという考えに導かれていきました。

 寺の畑に何もないような、寒い冬の来客に、心を砕いて「ご馳走」を用意する場面があります。

 「ご馳走とは、旬の素材を探し、馳せ走ってもてなすことだ」

 師のことばに、全てが表されているのです。

 精進料理の「精進」とは、精進するための料理ではなく、精進して作る料理だとありました。

 中心は自分ではなく、常に相手。

 その考えかたが心を育み、自分を成長させてくれるのでしょう。

 トマト大好きの娘は、モリモリと赤ばかり食べていました。

 これこそ幸せのいろどり。四季の味です。

 そして、心ある人になって欲しいと願うのです。

くものすくぐって‐1399‐

先週土曜日、3つの現場をまわりました。

朝一番は「中庭のある無垢な珪藻土の家」

タイル工事に手直しがあり、私も立ち会ってきました。

次は「KISHIWADA HOUSE」の1年点検。

1階の玄関を入ったところが涼しいらしく、彼はここがお気に入りとのこと。

9カ月振りの訪問でしたが、全てモノトーンでビシッときまっています。

四季を過ごし、暑さ寒さの問題もないとのことでした。

普段はテレビをみるのに、この席が一番人気だそうです。

パウダールームは、奥さんがリラックスできる空間を目指しました。

この日は残念ながら不在で、感想は聞けずでしたが。

バスルームにレインシャワーがあるのですが、うまく雨になっていないようです。

すぐに手直しの手配をしてもらいました。

最後は「さかたファミリー歯科クリニック」の内覧会。

ユニフォーム姿がとても凛々しく感じます。

廊下と待合を兼ねた空間には、ところせましと花が並びます。

受付の奥にあるのがカウンセリングルーム。

早速何組かの方が相談されていました。

妻と娘を連れていきましたが、院内をゆっくり見て回る機会はなかなかありません。

娘も興味をもってみてくれたようです。

治療体験もさせてもらいました。

私たちが居るあいだは、絶え間なく訪問がありました。

設計者としては嬉しいかぎりです。

クリニックのイメージカラー、紫の濃淡でアレンジして欲しいと、近くのフラワーショップにリクエストしました。

このあと、長男をピックアップし、バタバタと南港へ向かったのです。

無垢にこだわった木造住宅、ミニマルな2世帯住宅、ランドマークを目指したクリニックと、本当に色々な仕事をさせてもらっています。

10年程前、ある経営者に「あなたの強みは?」と質問されました。

少し考えて「必ずクライアントの夢を実現することです」と答えました。

すると「もっと何かに特化しないといけないね。差別化をはからないと」と。

私のことを思いアドバイスしてくれたので、もちろん理解できます。特化することが、ビジネス上よいこともわかります。

しかし、いくら沢山の仕事があったとしても、同じ道をたどることはさけたいし、クライアントも望んでいないと思うのです。

一度も歩いたことのない道を行くから、大変ではあるけれど楽しいのです。

「さんぽ」の歌詞にもあります。

 さかみち トンネル くさっぱら

 いっぽんばしに でこぼこじゃりみち

 くものすくぐって くだりみち

曲:さんぽ 歌詞:中川李枝子

歩きやすい道は、もっと優秀な誰かが先に歩いていきます。

デコボコ道だけが残っているし、そこに物語りの種が落ちているのだと思うのです。

弾丸フェリー<行ってなかった宮崎編>‐1398‐

 「家族で47都道府県制覇」が、家族旅行のテーマです。

 最後に宮城県を残すのみとなり、娘の誕生日以降、全県を訪れたかチェックしていると、宮崎を漏らしていたようなのです。

 急遽、船中2泊のいわゆる「弾丸フェリー」で行ってきました。

 土曜日の7:55pmに南港を出港。

 娘も小学4年になりましたが、2段ベッドを今でも十分喜んでいます。

 日曜日の7:45amに別府に到着。

 滞在時間が12時間なので、すぐに東九州自動車道を南下。宮崎へ向かいます。

 ようやく正真正銘46都道府県をまわりました。

 今回の目的地は高千穂峡。別府から車で2時間半ほど。

 このあたり、本当に渓谷が深いことに驚きます。

 この天翔大橋は、コンクリートのアーチ橋としては 日本一長い橋だそうです。

 阿蘇山の4度の噴火によってできた高千穂峡は深さが平均80m。

 7kmほどこのような景色が続きます。

 30分程待って、子供2人を手漕ぎボートに乗せました。

 7月上旬に九州北部を襲った豪雨の影響もあり、残念ながら水は濁り気味。

 それでも、日本の滝百選に選ばれた「真名井の滝」はなかなかの景色でした。

 この日も暑かったので、清水に冷えたラムネを。

 ラムネはやはりビンに限ります。

 溢れてしまう、この非効率さがよいのです。

 宮崎といえはチキン南蛮だそう。

 娘はオムライスに大満足していました。

 旅先で感じのよいカフェが見つかり、食事が美味しければいうことなしです。

 その後、大分まで戻り子供たちは体験型水族館「うみたまご」へ。

 私はカフェで所用を。

 夕方6:45pmに別府にわかれを告げ、今朝6:35amに南港に戻ってきました。

 「47都道府県制覇」を考えはじめたのが2011年5月の九州行きでした。

 普段一緒に食事をする機会もあまりないので、フェリーの旅がいいだろうと思ったのです。

 航路をみていると、九州は制覇できそう。

 東日本への航路も結構あり、全県制覇も可能だと分かりました。

 今年の盆休みに杜の都・仙台へフェリーで行き、完結する予定です。

 しかし、現在進めているプロジェクトの大きな山が8月中旬にきそうなのです。

 フェリーも宿も勿論予約をとっていますが、余談を許さない状況になってきました。

 普段、曜日は関係なく働きますが、盆、正月、ゴールデンウィークで、コツコツとつみあげてきました。

 この夏で完結できるかは、8月上旬までの頑張りに掛かってきました。

 宮崎県といえば、東国原元知事がこういいました。

 「どげんかせんといかん」

 何とかできるか。暑い夏になりそうです。

<目指せ、家族で47都道府県制覇>
46/47 【】はまだ

北海道

青森 岩手 【宮城】 秋田  山形 福島

茨城 栃木 群馬 埼玉 千葉 東京 神奈川

新潟県 富山 石川 福井 山梨 長野 岐阜 静岡 愛知

三重 滋賀 京都 大阪 兵庫 奈良 和歌山

鳥取 島根 岡山 広島 山口

徳島 香川 愛媛 高知

福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島

沖縄

13年振りにエールを送る‐1397‐

 梅雨明け宣言が話題にならない程、天気の良い日が続きます。


 
 長男はすでに夏休みに入っていますが、娘も明日から夏休み。

 今年はヘチマを育てるようです。

 今日は打合せのあと「さかたファミリー歯科クリニック」に寄ってきました。

 明日から3日間の内覧会が始まります。

 受付では2人の女性スタッフが、明日の準備をしていました。

 贈花が届き、文字通り華をそえます。

 先日、2004年9月にこの日記を始めたと書きました。これは「つるみ歯科クリニック」開院がこの時期だったからです。

 つるみ歯科クリニックの院長のお父様も医師。

 こちらの院長のご親族も、医師が沢山おられる医師一家なのです。

 廊下に掛かっていた額はお父様が描かれたものです。

 水彩でフィレンツェを描いたものですが、どんなストーリーがあるかは院長にお訪ねて下さい。

 般若心経には「色即是空(しきそくぜくう)」という言葉があります。

 色は物質的存在を指しますが、それらは固定的実態のないもので、全ては空だという考えです。

 物質的存在が全てが空だとしたら、人は何故生きるのか。

 人と人の関係性、心の中に生きるのだと思います。

 心がなければ、人とて物質の1つにすぎません。

 坂田さんのこの笑顔を見たときから、この計画は必ず上手く行くと確信していました。

 地域の皆さんに愛される、クリニックへと育てていかれるのだと思います。

 13年振りにエールを送りたいと思うのです。

おおいなる野外へ‐1396‐

 今日は海の日で祝日。

 今年も恒例の釣り合宿でした。

 奈良の最南端、池原ダムへ。

 長男と釣りにくるのは昨年の海の日以来。実に1年振りです。

 小6と中1では身長も随分違います。大きくなりました。

 暑いのは人も魚も一緒。

 水の冷たい最上流部からチェックします。

 かなり小さくはありますが、狙い通りの1匹を釣り上げました。

 釣りは自然が相手なので、いつも同じとはいきません。

 季節、天気、水温などの情報から、魚の居場所を想像し、釣りなが絞り込んでいきます。

 サイズを測ってリリースするだけですが、自分の仮説が正しかったとき、何とも言えない満足感と、清々しさを感じるのです。

 長男がテニスもしたいと言い出しました。

 高校のとき2、3ヵ月テニス部に属していただけですが、子供の相手くらいなら何とかなります。

 嫌というほど汗をかいて、夏の1日を満喫しました。

 野外好きは小さい時からで、中学生になると電車に乗って遠出するようになります。

 中2の夏、リュックにテントを詰め、釣り道具をもって4人で淡路島へ出掛けました。

 適当な浜にテントを張り、釣ってきた魚を調理し、それなりの食事をつくって2泊くらいしたでしょうか。

 ひもじそうにみえたのか、近所のおばさんが、飲み物や食べ物を差し入れてくれたのです。

 夜はすることもないので、ずっと流れ星を探していました。

 高校1年の夏、兵庫県の香住でテントを張って寝ていると、急に豪雨になりました。

 近くの高級そうなカニ旅館に駆け込み、1人2千円で食堂に雑魚寝させてもらったこともありました。

 翌朝は、少しカニ飯をサービスしてくれたのです。

 社会人2年目だったか、広島の山奥にあるダムがよく釣れると聞き、3人で向かいました。

 スロープから船を下ろして1日釣りをしたのですが、確かによく釣れるのです。

 釣りの最中、岸から半島のように張り出し、平坦な所がある場所を見つけました。

 元々どこかで野宿するつもりだったので、ここに泊まれば、夜も朝もいくらでも釣りができると思い、上陸してテントを張ることにしたのです。

 思う存分釣りを満喫し、食事をつくりビールを飲んで、大の字で寝ていたのですが、深夜に揺り起こされました。

 「いっぱいの目がこっちをみてる」と。

 テントから顔をだしてみると、真っ暗闇の中、無数の獣の目だけがこちらを見ているのです。

 こんなこともあろうかと持参していた「かんしゃく玉」を足下に叩きつけると、夜露に濡れたか蚊の鳴くような音。

 結局、追っ払えたのかも忘れてしまったのですが。

 昨今の熊情報を聞くとゾッとしますが、今こうして生きているので、全て笑い話で思い出です。

 ダラダラとした休日の午後。どんよりとした屋内ほど苦手なものはありません。

 野外へ出かければ何かしら問題が起こり、それなりに解決し、笑い話になり、少しの充実感を得る。間違いなくそうなるのです。

 開高健はこう書きました。

 木のように立ったままで私は頭から腐っていく。

 部屋の壁が倒れかかってくるように感じられる瞬間がある。

 白い紙が鋼鉄の罠に思えてくる。

 空白と沈殿で指一本持あげることもできなくなる。

 指紋で意識が混濁し、萎えきってしまう。

 そんなときである。

 だからだ。おおいなる野外へ出ていくのは。

-開高健- 『オーパ、オーパ!! 国境の南』より

 私も感性の錆を落とし、心の澱を洗い流すのが習慣になりました。

 そう、おおいなる野外へ。

人でよかった‐1395‐

 6月のある日、セミの鳴き声に気付きます。

 それが日に日に大きくなっていき。

 間もなく梅雨明けでしょうか。

 「ほぼゲツモク日記」を始めたのが2004年の9月。

 当初は書いたり書かなかったりで、20005年の10月からは、必ず月木に書くよう「ゲツモク日記」と改めました。

 その後、「現場日記」を別サイトとしたのが2008年9月でした。

 複数の現場が進むようになり、日記だけでは現場で感じたことを書ききれないと思ったからです。

 現在は、工事中の現場が5件あり、週の半分は現場へ。週の半分は会社で仕事をします。

 現場の環境も、郊外での新築あり、市街地のでリノベーションありと、本当に様々。

 やはり現場へ出ると、目にする景色が変わります。

 水を求めてかアゲハチョウが。

 あまりの暑さに、這い出してきたミミズ。


 
 目の前を疾走するトカゲ。

 エサをついばむシラサギ。

 生き物はこの暑さの中を、逞しく生きています。

 アンパンマンの作者、やなせたかしさんは兵役を経て三越のデザイナーとして働き始めました。しかし1953年(昭和28年)に退社。

 1973年(昭和48年)、54歳の時にアンパンマンを発表し、人気漫画家となるのですが、それまでは本当に仕事がなかったそうです。

 漫画の仕事がなく、何でも引き受けたとありましたが、そのひとつが「手のひらを太陽に」の作詞でした。

 あれは漫画の仕事がほとんどなくて辛い時代に、夜、懐中電灯で手のひらを透かしてみたら血管が浮き上がって見えたことからできたんです。

 自分は元気がなくても血は赤いんだなあって。

 懐中電灯ではさまにならいから、太陽にしたんですが、まさかあんなに売れるなんて思ってもみなかったですよ。

 気分とは関係なく真っ赤な血潮が流れている。

 そんな当たり前の真実を聞くだけで、元気がでてくるのだから不思議です。

 嘘か本当かは知らないのですが、明石屋さんまは愛娘の名前を「生きてるだけで丸儲け」から付けたと聞きました。

 流石は究極のオプティミストですが、それが人生の結果とした表れているのかもしれません。

 みんな友達は理解できます。

 しかし、オケラやアメンボでなく、やはり人に生まれてよかったと思うのです。

運命は勇者に微笑む‐1394‐

 昨日は、1年ぶりに「松虫の長屋」へ。

 施工会社の担当者の引継ぎがうまくいっていなかったようで、私も立ち会ってきました。

 天王寺からチンチン電車で2駅。

 ローカル感たっぷりのホームと日本一高いあべのハルカス。

 便利と暮らしやすさが、阿倍野区の魅力でしょう。

 こちらに伺うのは、昨夏「住人十色」の撮影打合せにきて以来です。

 普段使いの風景と、テレビ撮影時がまったく同じではありませんが、それほど大差はないとも言えます。

 そんな写真をあげると「ウチは無理だわ」という声が聞こえてきそうですが、日々の暮らしを楽しくするのが、空間の力だと思っているのです。

 施工会社の引継ぎが終わり、ご主人、お母様と世間話をしていました。

 そうしていると、習い事から奥さんと子供さんが帰宅し……

 いつもの定位置に。

 2人がいつも元気に迎えてくれるので、私はとても訪れやすいです。

 最近、休職、退職という言葉を本当によく聞きます。

 1年休んだことがある私がいうのも何ですが、どこで働いても、いくら休んでも、自分の生き方、考え方を変えなければ、結局何も変わらないと思います。

 その覚悟を決めるために時間が必要なら、それはそれでよいかもしれません。

 しかし、本当に困り、そして成長していくのは、残された側なのです。

 もし自分が特別な存在でないなら、同じような課題、問題は、ほぼ平等に起こっています。

 それから逃げなかった人が、少しよい結果をだしているにすぎないと思うのです。

 運命は勇者に微笑む

 ジェフリー・アーチャーの「ケインとアベル」の中にある一節です。

 人は誰しも弱いもの。だからこんな言葉をよりどころに、今日も勇気をだして働くのです。

3代かけて知るお金の使い方‐1393‐

 梅田新道の北東にある露 天神社(つゆのてんじんしゃ)。

 「お初天神」のほうがわかりよいでしょうか。

 梅雨の晴れ間に映る緑は、都心部において一服の清涼剤です。

 1703年、境内で情死した遊女「お初」の名前をとってお初天神と呼ばれるようになりました。

 この実話を題材に、近松門左衛門がえがいた人形浄瑠璃が「曽根崎心中」です。

 「曽根崎心中」の大ヒットによって広く知られ、多くの人が訪れるようになりました。詳しくは社のwebサイトに。

 南に建つのは梅新第一生命ビル。

 かなりの高さですが、神社の参道に敬意をはらい、建物がくり抜かれています。

 法的には不要だったと思いますが、共生するとはこういうことだと思うのです。

 「埋田」が「梅田」となったと言われるほど、江戸時代までキタエリアは何もなかったといいます。

 時々話題にあがる「うめきたガーデン」ですが、入園料が1000円。

 ニューヨークのセントラルパークは無料。天王寺にある「てんしば」も無料です。

 さらにお初天神が朝の6時から深夜0時まで、開いているのをみると……

 ここは大阪の顔となりえる場所。

 誰に権限があるのか知りませんが、英断を下せば喝采しか起らないと思います。

 大阪市民は、ただケチなだけではありません。どこにお金を掛けるべきかを知っていると思うのです、といっておきましょう。

 近くに広がるお初天神通り商店街は、戦後の闇市から発展していった雰囲気を残しています。

 自然発生した街のほうに、私は魅力を感じるのです。

 御堂筋沿いにある「縄すし」。この店には少し思い出があります。

 27歳の頃だったか、作家の友人が個展を開きました。そして、ある方からお祝いを貰いました。

 「こういったお金は、ひとりで使わないほうがいいから」みたいなことをいい、「寿司でも行こう」となったのです。

 独立して2年目。人におごろうと思える程のお金は勿論ありません。

 かといって、おごって貰うのも苦手で、そういう場面は極力避けていました。

 当時、彼とはたまに会うくらいだったのですが、ご馳走になることにしました。

 彼は私の知る中でも育ちがよく、おごるとかおごってもらうとかにまず執着していません。

 「お金の使い方が分かるまでは3代かかる」と言いますが、まさにその3代目。

 品とでもいえばよいのか、こういったものもそれに近い気がします。

 で、この店に連れられて来たのですが、当時1皿が100円から200円くらいだったと思います。

 この値段で、職人が握った寿司を食べられるのだと驚き、ビールで乾杯したのです。

 ゲソの握りとサンマの握りが本当に美味しかったことを舌が覚えています。

 食やお金には、人柄が顕著に表れます。そういっている時点で、まだまだお金の使い方など分かっていないのでしょう。

 お金の使い方が分かっているか。

 もし孫ができたら、彼が成人した時に、ゆっくり考えてみたいと思うのです。

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【News】

■3月25日『大改造!!劇的ビフォーアフター』朝日放送(ABC)「住之江の元長屋」再放映■
■10月29日『住人十色』毎日放送(MBS)「松虫の長屋」放映■

『建築家カタログ2016』8月29日発売に「遠里小野の家」掲載

『homify』6月4日「松虫の長屋」掲載
『homify』5月10日「長田の家」掲載
『homify(タイ)』4月25日「加美の家」掲載
『homify(中国)』4月9日「住之江の元長屋」掲載

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

7/21(金)~23(日)「さかたファミリー歯科クリニック」内覧会を開催します‐1392‐

 枚方で進めてきた「さかたファミリー歯科クリニック」

 ようやく完成が見えてきました。

 7/21(金)~23(日)には内覧会を開催します。

 医院の北側には国道307号線が通ります。

 この道路は枚方駅まで続く幹線道路で、かなりの交通量があります。

 枚方市は、京阪電車、JR学研都市線と2本の電車が通りますが、やはり車社会。

 5台の駐車スペースを確保しました。

 まずは、地域の皆さんに知ってもらうことが一番大ですが、ただ目立てばよいというものではありません。

 清潔、信頼、そして機能的でなければ、品のないものになってしまうのです。

 そして、「庇」というコンセプトに思い至りました。

 エントランスを入るとまずは受付。

 そして広い廊下は待合も兼ねます。

 各チェアに、直接アプローチできます。

 サービス動線と、患者さんの動線が交錯せず、かつプライバシーが守られているのです。

 これは、院長である坂田さんからの当初からの要望でした。

 機能的な空間に、丁寧な医療が生まれるのです。

 受付上は吹抜け。

 2階も将来は診察室となる予定です。

 今日からはオープニングスタッフによるトレーニングも始まりました。

 内覧会の詳細をまとめておきます。

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「さかたファミリー歯科クリニック」内覧会
7月21日(金)~23日(日)
11:00~17:00
枚方市津田西町1-24-8
https://goo.gl/maps/cEjeXxwGpyv
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 私は22日(土)のお昼から伺う予定です。

 

 ノボリが写っていますが、5軒となりにある「四川ラーメン」はなかなかの繁盛店です。

 はす向かいにある「香の川製麺」の讃岐うどんもなかなかです。

 近所には山田池公園、ひらかたパークも15分程。

 近くの方は、ドライブがてら是非遊びにきて下さい。