私は夏生まれということもあってか、夏が大好きです。まだ、夏バテを体験したこともありませんし、小さな頃から泳ぐのも大好きでした。
夏の一番初めに地平線から、ムクムクと立ち上って行く積乱雲(入道雲)を見つけると、“今年も夏がやって来た”、とココロときめます。
ここ最近の過ぎた暑さもあまり気にならず、週末が近づいてくると、行きの車で聞く夏用のCDを用意したり、あの道具はあったかな、などとソワソワしてきます。日本海に大好きな場所があり、そこで水の中を泳ぐのが大好きなのです。澄んだ海の中は、多くの生き物が暮していて、とてもカラフルで、少し怖かったりもします。
海の中は普段とは違う音が聞こえたり、水面越しのキラキラした太陽を見上げたり、軽くなった自分の体を、自由に動かして、イルカになった気分で泳いでいます。
夏は大好きですが、夏の終わりの夕暮れはもっと好きです。特に暑か
った夏も終盤にさしかかり朝夕が過ごし易くなってくると、その夕暮れ時は、いくつになっても、行く夏を惜しむ、少しセンチメンタルな気分になります。夏は短いので、暑い暑いと言っていないで充分楽しもうと思っています。
ただ何よりの大問題は、まだこの夏一度も日本海に行っていないということです。ん~、海に行きたい!
7月にはいると、関西では大きなお祭りがいくつか行われます。祇園祭、天神祭りそして地域で行われる多くの夏祭り。私の住む、大阪の平野でも杭全神社を中心に夏祭りが始まります。
だんじりは岸和田が有名ですが、平野のだんじりも大阪市内では、一番大きな規模だと言われており、町内を曳き回します。
夏祭りを迎え、これから盛夏に入ってゆくのですが、季節にはもともと色がひっついていたそうです。
青春、朱夏、白秋、玄冬。
シュカ 暑そう!
先日、義父の還暦のお祝いに三重県の伊勢志摩の湾内に浮かぶ離れ小島のホテルに宿泊しました。
伊勢志摩は、太平洋に突き出した紀伊半島の一番東に張り出した位置にあり、複雑なリアス式の海岸線に直接海流があたるため、イセエビでも有名なように、海産物が大変豊富です。私達のホテルも、期待通りの食事で、海の幸を充分に満喫できました。
島に渡る時に疑問が浮かびました。渡船が出る本州側の村は小さな集落で、見渡しても大きな集落は有りませんでした。島のほうは南北、東西とも1キロに満たない小さな島にも係らず、狭い平地に所狭しと、ホテル、旅館、民家が軒を連ねています。ホテルの方に疑問をぶつけてみると、すぐに納得できました。
この小島には昔、遊郭があったそうです。海産物が豊富で、天然の要害としても優れているこの地域ではその財産を守るため、漁師が自衛のために武器を持ち、組織をつくり水軍や海賊になって行きました。
瀬戸内海の村上水軍、熊野灘の水軍と共に、このあたりの九鬼水軍は有名で、織田信長が天下統一を目指し、大阪の石山本願寺を大阪湾から攻める際も、九鬼水軍の力に寄るところが大きかったと言います。
戦国時代の蒸し暑い夏の夕暮れ。狭い小道を髭をたくわえた海賊が、コソコソと目当ての店に急いでいる姿を夢想していると、なんだか楽しい気分になってきました。
6月の後半に、現在工事中の建築の2つが、上棟式を迎えました。上棟式とは、建築物の構造体(骨組み)が出来上がった際の、昔から執り行われて来た、お祝いの儀式です。
行う、行わないを含めて、方法は全く自由なものですが、行われた時の喜びに満ちたクイライアントの顔を見ていると、何よりの幸せを感じますし、自分の仕事を少し誇らしく思ったりもします。
この時期になると、時間をかけ、クライアントと納得いくまで話し合った建築が、ようやく空間を形成しだします。建築家としての私の気持ちは、<ようやく形になった喜び>と、<この建築を世に送り出す責任感>で一杯になります。
上棟式に多くのクライアントが仰る言葉があります。「基礎工事をしている時は小さいと思ったけど、建ち上がると大きいね」という言葉です。基礎工事の段階では、平面(2次元)ですが、構造体(3次元)が出来上がって、初めてその建築が空間を主張し始めます。言葉遊びではありませんが、まさに次元の違う話なのです。
建築は、自然、または宇宙の中から特定の人の為に空間を切り取る行為といえます。それは、責任の大きいことだと思いますし、そのダイナミズムは設計の何よりの魅力だと思います。
現在工事中の歯科医院です。新たに生まれてくるこの歯科医院の中で、行われる、医療、会話、生活・・・に、貢献できるような、より良い建築を創るために、多くの愛情を注いでゆきたいと思っています。
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