TOKIO‐1049‐

 昨日は、昼過ぎに東京着。

 午後はずっと「セブンドリーマーズ銀座店」にいました。

 宝石のようにディスプレイされるカーボンシャフト。その棚自体も、ドライカーボンで作られています。 

 この店舗は、カーボンのギャラリーでもあるのです。 

 28日(金)からのオープニングセレモニーは好天が続きました。しかし、この日はあいにくの雨。

 それでも、途切れることなく来客があります。

 シャンパン、ピールと準備万端。

 フラッグと、花に誘われて。

 最高級のプレミアムシャフトは1200万円。完全オリジナル設計のシャフトが18万円です。

 近くへ出かけた際は、気軽にのぞいて下さい。 

 その品質の高さを説明する社長。30年来の友人でもあります。

 彼から声を掛けて貰い、芝公園ラボとの2店舗をデザインすることになりました。

 もともと本社は稲城市にあります。今回、セブンドリーマーズを立ち上げるにあたり、都内に2拠点を持つことになったのです。

 その価値、手応えを感じている彼は、私にも「是非、東京にもでてくるべきだ」と言います。

 日本の中心は東京。また、海外でも仕事がしたいなら、東京を素通りする訳にはいきません。

 夜8時を過ぎ、3日間のオープニングセレモニーが終わりました。スタッフの皆さんも、ホッと一息の時間。

 欲しいなら何もかも その手にできるぜ A TO Z

 沢田研二の「TOKIO」は1980年のヒット曲。

 ちょっと古いですが、今もなお、東京は奇跡を生み出すスーパーシティーなのか。
 
 ここ数年、関東圏での仕事も増え、手ごたえは感じています。しかし「機が熟してから」では遅いのは間違いありません。

おもてなしin銀座ギャラリー‐1048‐

 明日から3日間、 「セブンドリーマーズ銀座店」のオープニングセレモニーが開催されます。

3月28日(金)-30日(日) 11:00-20:00
104-0061
東京都中央区銀座5-8-3

 この期間中、銀座店~芝公園ラボ間でシャトル運行があり、宇宙技術カーボンゴルフシャフトを試打出来ます。すでにかなりの反響で、生産がおいつかない状態とのこと。

 芝公園ラボ、銀座ギャラリーとも、当事務所が基本デザインを担当しました。30日(日)の14:00-17:00は私も銀座店へ伺います。ゴルフ好きの方は、是非遊びに来てください。

 銀座店は「ギャラリー」の名の通り。宝石のように美しい、カーボンシャフトを見て貰うところです。

 この日曜日に現場へ行った際は、まだ完成していませんでした。

 「お・も・て・な・し」で勝ち取った、2020東京オリンピック。消費税アップも控え、関東の建築業界は活気付いています。

 昨年後半から、好景気を超え、完全に供給不足に陥っていたのです。

 関東圏には全く職人がおらず、関西からも吸い上げられている状態。私が考えていた施工会社も、結局お手上げ、となったのです。

 その窮地を救ったのが、親会社であるスーパーレジン工業の方々。

 職人がいないなら、自分達がやるまで。23日(日)も現地で働く姿がありました。大きなチームである企業を、これほど羨ましく思ったことはありません。

 社長から仕入れた情報によると、アルコールのサービスもあるという話。宇宙品質を誇るメーカーが新たんび立ち上げたブランド「seven dreamers」。そのおもてなしを是非体感下さい。

すべてはドリームショトのために‐1047‐

 週末は、千葉、東京へ出張へ行っていました。

 土曜日は泊りがけで柏の家の撮影でした。日曜日は「芝公園ラボ」の撮影。

 前回は、手直し工事の最中だったので、完成形を見れたのは今回が初めてです。

 宇宙品質のクラブを世に送り出すのがこのプロジェクトの使命。やはり打っている絵がないと様になりません。

 スタッフの方に頼んだのですが、服装の雰囲気から、私が打つことになりました。

 ゴルフクラブを握るのは、およそ10年振りか。芝公園ラボには、最新の計測設備があります。

 その計測技術によって、完璧なオリジナルクラブを生み出せるのです。

 弾道は、正確にスクリーンへ描かれます。
  
 写真だけなので、形になっていればよいのですが、つい力が入ります。

 1打目はトップ。3打目だったか、完璧に捕らえた感触がありました。270ヤードを超え、スライス、フック無しで、コースのど真ん中。気分は最高です。

 映像とはいえ、以前の感覚が蘇ってきます。その後、大したショットは出ませんでしたが。

 父がゴルフ好きで、中学生くらいからコースにもでていました。自分の中では得意なスポーツだったのです。

 しかし、コースに出る前だけ、血豆が出来るほど練習し、体裁を保つのに疲れてきたのが30歳頃。

 中途半端は嫌いなので結局辞めてしまいました。

 ルネサンス期の3大発明といえば、火薬、活版印刷、羅針盤です。

 これによって、文明は飛躍的に発展しました。

 羅針盤によって、航海技術は発展。大航海時代がやってきたのです。

 FOR YOUR DREAM SHOT-すべてはドリームショトのために-

 この言葉を見た時、このプロジェクトの成功を確信しました。

 仕事、人生とは、未知の大陸を目指す航海のようなもの。

 そこにあると信じるものが、心の中の羅針盤を信じ、船を出すのです。

 「柏の家」の撮影は、宿泊、食事まで提供して貰いました。こちらはまたの機会に。 

晴るかす‐1046‐

 3月7日にオープンした「あべのハルカス」。

 以前、天王寺の密集した街に高層ビルは似合わない、と書きました。

 もし、ブルジュ・ハリファ(ドバイ)のように、大平原に建つなら別です。

 天王寺動物園、サバンナゾーンからの構図です。

 おぼつかなく思いつめたること、すこしはるかさむ
 (胸の思いをあなたに打ち明けて晴らしたい)

 名前の由来となった「伊勢物語」の一節です。

 「晴るかす」は「晴らす、晴れ晴れとさせる」という意味と、公式サイトにありました。

 ロゴを決め、後付の理由が多い中、意味合い、響きとも好感がもてます。

 春香す。 

 春化す。

 春ではなく晴るでしたが、天王寺界隈はこの世の春といったところ。

 「去る」3月を逃がさないよう、年度末までラストスパートです。

 わが心晴るかさむように。

頑張れ新弟子君‐1045‐

 先週は東大寺のお水取り。関西で、春を告げる行事といえば大相撲もその一つ。

 しかし、今まで相撲を見る機会は殆どありませんでした。

 妻から「東関部屋」ののぼりが立っていると聞いたのが昨年。近所に、宿舎が移ったのです。

 東関部屋といえば、引退しましたが高見盛が有名でした。顔をたたき、気合を入れる姿から、ロボコップと呼ばれたのです。

 現在は振分親方となり、若い衆に胸を貸していました。残念ながら、現在幕内力士はいないよう。

 稽古は朝の7時から。基本的に見学は自由です。 

 大きな関取が、ぶつかり合う稽古は圧巻。

 元は神事だったという大相撲。厳粛な空気に包まれます。様式美と言ってよいでしょう。

 まだマゲを結っていない若者も数人居ました。先輩衆が指導をするのですが、流石に稽古は厳しいものです。

 シコ、また割りと基本練習を繰り返します。特にまた割りは、悲鳴を揚げるほど厳しいものでした。

 しかし、相撲の世界で生き残りたいなら、やるしかありません。

 最も若い新弟子は16才くらいでしょうか。文字通りの「泣き言」がもれ続きます。仕方ないのでしょうが、ネガティブオーラが発散されています。

 勝手な想像ですが、以前ならすぐにゲンコツの一つも飛んでたのでは。

 甘えた新弟子君、目がギラギラとした出世頭の26歳、この世界に20年は居るベテランのアンコ型力士。間近で、大男たちの痛み、うめき、汗を見て、同じ人間だと分かります。

 力士を支援する人達がタニマチ。大阪の谷町に住んでいたことが由来とされます。

 そこまではいきませんが、この不器用そうな大男を、少し応援してあげたいと感じたのです。
 
 特に、頑張れ新弟子君。そして、社会にいる多くの新弟子君達。

 腹をくくった瞬間、目の前にあるものが、天職となるはず。 

 人呼んで「荒れる春場所」。彼らが、府立体育館の土俵を席巻する日を楽しみにしています。

ロバにはロバの‐1044‐

 昨日の最高気温は15℃。急に春めいてきました。

 一桁台から、一気に世界が変わります。

 スイセンが咲き始めています。

 美少年ナルシスは、水面に映る自分の姿恋焦がれ、そのまま花になりました。

 スイセンをナルシスと呼ぶ由来ですが、古代人の想像力には感服するほかありません。

blog_import_5417c1a529cb4
 昨年の春、クライアントのお子さんが、浪人すると聞きました。再チャレンジの今年。見事、関西の国立大学に合格したのです。

 初期のクライアントだったので、打ち合わせ当時、彼は2、3才でした。
あれから16年。会う機会はめっきり減りましたが、立派な青年になったんだなあと、感慨深いものがあります。

 希望大学に合格し、心から喜んだという経験が、私にはありません。それに値する努力をしていなかったからです。

 感慨深いと書きましたが、そんな悠長なことを言える立場でもありません。エリートをサラブレッドと呼ぶなら、当事務所などロバ軍団です。ロバの説明にはこうありました。

 体は頑丈で粗食・労役に耐える。

 若い頃の努力が足りていない分、少々の労苦には耐える覚悟です。ロバ軍団は前に進むほかないのです。

 しかし、本当の春を迎えた方々には、心からお祝い申し上げます。そして、尊敬します。やるべき事を、やるべき時にやる人が、最も素晴らしいのですから。

青春のカップヌードルストーリー‐1043‐

 2月初め、宝塚へ行った帰りに、池田で途中下車しました。

 インスタントラーメン発明記念館へ行くと、マイカップヌードルファクトリーは100分待ちという表示。

 300円でオリジナルカップヌードルを作るというサービスが人気なのです。「100分待ち」と言われると行きたくなるのが心情。

 長男と再度訪れました。

 まずはカップに絵付け。

 そして、スープ、具材をセレクト。

 お土産は完成。

 日清食品の創業者、安藤百福(ももふく)が、「チキンラーメン」を発売したのは1958年。

 戦後の食糧難を体験し「食足りて世は平らか」という哲学に至ります。天ぷらをヒントに瞬間油熱乾燥法を発明。

 強い信念のもと、世界初のインスタントラーメンは池田の地で誕生しました。

 更に手軽に。お湯さえあればどこでも食べられるカップヌードルの発売は1971年。当初、売り上げは伸びませんでした。

 1972年2月、連合赤軍が人質をとり長野県の山荘に立てこもります。この「浅間山荘事件」の救出作戦は全国に生中継されました。寒い雪の中、隊員たちが湯気を上げながらカップヌードル食べる姿が映し出され、問い合わせが殺到。爆発的に売れ始めたのです。

 結果が出なかった頃、販売チームは、製品とお湯の入ったポットを持ち、警察、消防署という夜勤の多い所を回っていました。初めての顧客になったのが自衛隊。地道な営業が実を結んだのです。

 1985年、パリ・ダカールラリーの映像に、HOUND DOGの「ff(フォルテシモ)」が流れるCMがありました。最後に「ハングリアン民族、カップヌードル」というコピー。

 これによってHOUND DOGは人気バンドの仲間入りを果たします。

 世がバンドブームだったこの頃、サクセスストーリーを歩みだすその姿がかっこ良くみえました。高校の頃、彼らのコピーバンドをしていたのです。

 インスタントラーメンなど、食べないに越したことはありません。しかし、その裏に隠された膨大な努力と創意に満ちた物語を知ると、同じ年代を生きたことを、誇らしくさえ感じます。

 恥ずかしながら「ff(フォルテシモ)」は今も私の十八番。そして、ほんのたまにですが聴きたくなるのです。我が青春のカップヌードルストーリーでした。

うぶな眼‐1042‐

 心の琴線に触れる、という言葉があります。

 そんな言葉を、2005年からまとめてきました。その2つ目は、魯山人の言葉です。

 美の源泉は自然にある。自然なら美しいか。
 花を雨、日で育てるのも自然。
 木を一瞬にして焼き払うのも自然。
 自然がなにを目指しないを行わんとするか。 
 けだし我々人智のよく量りえるところではない。
           
-北大路魯山人- 書家・陶芸家

 答えがあるようでない。極めているようで、諦めているようでもある。解釈が幾通りも出来る言葉です。

 彼は、漫画「美味しんぼ」に登場する海原雄山のモデルとされています。書、陶芸、食とあらゆるものに通じ、一家言もっている。しかし、憎まれ口も叩き敵も多かったようです。

 先日読んだ、白洲正子の著書「ものを創る」にこうありました。

 結局、魯山人の芸術の特徴は、その素人的な所にあったと思います。素人というと、誤解を招くおそれがありますが、技巧におぼれず、物のはじめの姿というものを、大づかみにとらえていた。

 物を見る(うぶ)な眼と、職人の(熟練した)手というものは、中々両立しないものですが、その両方を備えていたといえましょう。 

 熟練した手は、ひたむきに取り組めば、近づける気がします。では、うぶな眼は。

 「うぶ」を辞書で引くとこうあります。 【初々しく世間慣れしていないさま。純情】

 熟練しているのに、慣れていない。やはり簡単ではありません。

 しかし、いつも進歩したいと思う。これならできそうな気がします。うぶなとは言わないまでも、新鮮な眼くらいは持てそうだと思うのです。

 眼の輝きとはよく言ったもの。死んだ魚の眼にはならないよう。



四十にして耳従う‐1041‐

 この日記で、長男が「スノーボードもやってみたい」と書きました。

 「子供のお古があるので、差し上げますよ」と言ってくれた方がおり、「タイミングが合えば一緒に行きますか」とも。

 早速、奥伊吹スキー場で待ち合わせです。

 朝一番から練習を開始すると、足が痛いと言い出しました。

 長男は効き足が左で、スノーボードでは向きが逆になるのです。

 スキーにはない選択で、伝え忘れていたなと思っていると「ボードはどっちでもいけるんですよ」と。

 その場で、右足が前になるグーフィーにビンディングを付け替えてくれました。知らないことばかり。

 仕切りなおして、再度練習開始です。

 40過ぎからボードを始め、キャリア10年以上。初心者を教えるのも手慣れたものです。

 まずは横滑りからスタートし、半日以上付き合って貰いました。

 スケボーが得意な長男も「意外と難しいわ」と。私も全く同じ感想です。

 朝から一緒に教えて貰ったのですが、思った以上に苦戦しました。

 同じ雪上スポーツ。小さい頃からスキーをしてきたので、1日あれば普通に滑れるイメージでした。しかし、現実は……

 グローブはボトボト。ウェアの間から雪が入ってくる。ヘルメットがなければ脳震盪を起こしていただろうと思うほど、転びました。

 それでも、帰る頃には何とかターンが出来るくらいにはなったでしょうか。全くの初心者から始めるという経験は、最高に楽しいものです。 

 論語に「六十にして耳従う」という言葉があります。

 六十歳になって、初めて人の意見を素直に聞くことが出来るという意味ですが、出来ないことは四十を過ぎても素直に聞けるものです。

 今日は3月3日で桃の節句。耳の日でもあります。

 教え上手100人、聞き上手1人。とは言いえて妙。聞ける人でありたいと思うのです。