一級建築士事務所アトリエm 守谷 昌紀 のすべての投稿

大阪市平野区、設計事務所。建築家 守谷昌紀

池原詣では哲学の道‐2320‐

先週末は、奈良県下北山村の池原ダムへ行っていました。

およそ1年振りの池原詣でです。

ゴールデンウイーク最終盤につき、トボトスロープも大盛況。

スロープは勿論のこと、場外にまで車があふれています。

世田谷ナンバーの車が止まっていました。

バスフィッシングの聖地に、全国から釣り人が集まってくるのです。

1枚目の写真が、閑散とした桟橋なのは皆が出船した後だからでした。

ボートは屋外に駐艇しているので、雨、風、雪と過酷な条件にさらされています。

1年振りだったので、何度セルを回してもエンジンが掛からず……

赤と黄のパーツ、ディレイが壊れていたそうで、湖上で修理して貰いました。
本当にありがたい限りです。

気持ちよいエンジン音に満足しながら、遅ればせながら出船です。

湖上には多くのボートが浮いていますが、これもゴールデンウイークならではの風景。

たまにしか来れない人も居ると思うので、邪魔にならないよう、慎重にポイントをセレクトしました。

しかし、ここに通って30年。それなりの引き出しは持っているつもりです。

およそ1年振りの池原フィッシュは、慎重にネットで取り込みました。

43cm、1kg弱の美しい魚でした。

その後、40cm足らずを数匹。

初日はこれで終了です。

2日間で最大は45cmでした。

できれば記録級、最低でも50cmアップを狙いますが、40cm中盤でも満足です。

この景色があれば。

湖上に浮いているだけで、体と心がフレッシュになっていく感じがするのです。

2日目は早めに上り、帰路につきました。

片道2時間ちょっとの道程のうち、半分は山中を抜ける169号線です。

途中、美しい山村を抜け。

奈良盆地を横断し。

大阪に戻ります。

この何百回と通った道は、私にとっての哲学の道です。

軽くハンドルを握り、流れる景色を眺める贅沢な時間。

仕事のこと、家族のこと、今後のこと、そして次回釣行のプランと、思いつくままに物思いにふけるのです。

久し振りに池原に行き、やっぱり釣りが好きなのだと実感しましたが、行き帰りの5時間が一番好きなのかもしれません。

せわしない現代社会、スマホやパソコンを物理的に触れない時間を、積極的に確保しにいく必要があるのかもしれません。

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

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安曇野水鏡‐2319‐

今年のゴールデンウィークは、雨の上高地からスタート。

5月4日の夕方、上諏訪温泉のホテルに到着したところまで書きました。

翌5月5日は朝から快晴です。

客室の窓を開けると、諏訪湖越しの穂高岳を望む眺望で、朝からテンションが上がります。

長女は、休みたくない授業があるというので、早朝の特急あずさで先に帰京することに。

せめて上諏訪駅まで送り届けてきました。

連泊だったので、遅めに出発して信濃路をのんびり北上します。

地元ラジオでDJが「安曇野水鏡」という言葉を使っていました。

稲が成長する前の水田に、安曇野の風景が写り込んでいる様を指すよう。
なるほど、この時期しか見られない景色です。

冠雪した北アルプスが水田に写りこみ、倍の奥行きを感じさせるのです。

今回は、久し振りに「るるぶ」を購入しました。

前から2番目に取り上げられていた「大王わさび農場」へ向かうと、2km弱の渋滞です。

麦畑の中に咲くのはポピーでしょうか。

これもゴールデンウィークと、景色を眺めながらのんびりと1時間15分程車列に並んで入場しました。

「大王わさび農場」は広大な敷地にわさびが栽培されています。

こどもの日らしく鯉のぼりも。

扇状地に湧き出る豊かな伏流水がわさび栽培に適しており、日本一の規模を誇ります。

大量の澄んだ水が必要なのは、わさび自身から出る毒を絶えず洗い流すためでした。

殺菌効果は自身にも影響を与えるとは、禅問答のような植物です。

農場の名前は、安曇野を治めていた魏石鬼八面大王という怪力無双の首領からとったものと説明書きがありました。

桓武天皇の頃、全国統一を目指す中央政権は、東北侵略の足掛かりとして坂上田村麻呂を派遣し、怪力無双の八面大王と戦うことになります。

最後は兵器で劣る八面大王が力尽きるのですが、あまりに強かったため、再び生き返らぬようにと遺体をバラバラにして埋められました。

農場の一角には胴体が埋められたと言われ、大王神社として祀られています。その故事にちなんでつけられたのです。

前日は雨だったので、川の水は濁っていますが、農場内の伏流水はどこも澄んでいます。

日本一、わさび栽培に適していることが視覚で納得できました。

1時間半並ぶ程の人出で、場内もかなり賑わっています。

1軒のレストランに長男が並び、もう1軒のレストランに妻が並んでいたのですが、妻の並んでいたレストランで何とか昼食にありつくことができました。

本わさびと信州太郎ぽーく、2250円です。

山盛りのわさびをたっぷり付けて頂きます。

わさびソフト2種は、650円と550円。

わさびとソフトクリームがこれほど合うとは、というお味でした。

非常に満足してホテルに帰りましたが、贅沢ついでにオプションメニューを追加しました。

妻には金目鯛の煮付け。

長男には信州プレミアム牛のしゃぶしゃぶ。
たまにしか会えないので、ちょっと奮発してみました。

家庭を持つようになると、旅行に行く機会さえなくなるでしょう。
それがいつになるのかは分かりませんが……

長男は大学4回生、長女は大学1回生です。

それぞれに大きな分岐点に立っています。
親として、仕事人の先輩として、アドバイスできることが色々あるかなと思っていたのですが、結局皆無でした。

それぞれの人生に、親の意思が入る余地などありませんし、その必要がないこともよく分かったのです。

安曇野水鏡。

冠雪のある北アルプスを写す西側も素晴らしかったですが、東側の長野市側を写す緑一色も捨てがたい美しさでした。

京セラ創業者、稲盛和夫さんに盛和塾で教えてもらった言葉です。

子育ては人生の復習だと思っていましたが、それほど簡単に片づけられるものではないようです。

悩みは若者の特権です。悩み、考え、何かしらの答えを出して欲しいと思います。

水面に映る安曇野の風景のように、美しい人生を思い描いて欲しいと願うのです。

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Japan alps 上高地‐2318‐

今日は早朝に大阪を出発。

400km程走って、長野県松本市までやってきました。

アルピコ交通上高地線の新村駅です。

駅前に車を止め、上高地の玄関口にあたる新島々(しんしましま)駅でバスに乗り換えます。

何とも気になる駅名ですが。

マイカー規制があるので、登山バスを予約していました。

1時間程かけて上高地に到着。

しかし残念ながら天気は曇り。

長女は帰省していたので、一緒に行動していたのですが、長男は東京からで、現地で合流しました。

まずは家族写真をということで兄妹の撮影。
昭和の芸人というコンセプトです。

雄大な景色ですが、雲、雲、雲。

前日から大雨でしたが、水は意外にも澄んでいました。

明神池まではバスターミナルから1時間程。

これぞ上高地という景色です。

しかし、帰路は雨が降り出し、4人ともずぶ濡れ。

帰りのバスで暖をとり、ようやく一息ついたのです。

雨の上高地から、先ほど諏訪湖沿いの宿に到着しました。

明治政府が雇った英国人技師が、1877年(明治10)に槍ヶ岳に登った記録を雑誌で紹介しました。

その際に「Japan alps」という表現を使ったことが、今日の「日本アルプス」の語源となったそうです。

子供たちに「Japan alps」を堪能してもらい、絶景の家族写真を撮るつもりでしたが、残念ながらまたの機会に持ち越しです。

今回の旅は2泊3日。

続きは、木曜日にお伝えしたいと思います。

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原尞「私が殺した少女」読了‐2317‐

昨日は昭和の日だったので、すでにゴールデンウイークに突入しています。

打合せの花瓶にはヤマブキ。
ヤマブキ色の通り鮮やかな黄色で、社内も春の装いです。

先週末からゴールデンウィークだという話もあり、昭和世代からすると隔世の感は否めませんが、いずれにしても長期休暇は嬉しいものです。

その先週末、長女の東京での住まいがようやく決まり、妻が引越しの手伝いに行っていました。

私は大阪に残っていたので、少し料理でもしようと空堀商店街へ。

「あそこは安い」と聞いていたスーパーへ行くと、閉店間際のよう。

鮮魚コーナーでセールが始まり、若干殺気立っています。

物価高の世の中、普段からこの競争の中で買い物をしているのだなと、僅かながら妻の苦労を知りました。

今回の住まい探しは、長男が一緒に不動産会社に行ってくれたり、引越しも手伝ってくれたりと、本当に助かりました。

住まいが決まるまで、妹を泊めてくれたことが一番で、兄妹が東京にいるありがたさを、身に染みて感じていました。

新しい住まいは、築年数はそれなりですが、リノベーション後なので気に入っているそう。

バブル期の建物らしく、対面、独立キッチンです。

一通りそろえるのには、それなりの金額が掛かりますが、健康のことも考えて、できるだけ自炊して欲しいと思います。

兄妹とも、中学生に入るまではかなりの本好きでした。

そうなって欲しいと思い、面白そうな本を揃え、欲しいと言えば何でも買い与えていました。
それが、スマホを手にしてからは……どこの家庭でもある話なので書くのは止めておきます。

東京から戻った妻が言うには、長男は最近は結構本を読んでいるとのこと。
本を貸してくれる友人が居るらしいのです。

本に関しての主張は一貫していて「面白い本を読む」に限ると思っています。

先日読了した、原尞(はら りょう)の「私が殺した少女」はなかなか良かったです。

日経新聞の「私の履歴書」で、早川書房の社長が原尞に触れていました。
それなら凄い作家なのだろうと思い読んでみたのですが、読んだ後、直木賞受賞作だと知りました。

作者の経歴が特異でした。

フリージャズ・ピアニストでしたが、レイモンド・チャンドラーに傾倒して、小説家に転身。
生涯作品は10作に満たず、寡作の作家ですが、全て10万部以上の売上。

1946年生まれで、2023年に76歳で福岡で逝去されたようです。

「私が殺した少女」1989年(平成元年)発表の長編ハードボイルド小説で2作目。
私立探偵の沢崎が、裕福な家庭で起こった誘拐殺人事件に関わり、その真相を解き明かしていくというストーリーです。

修飾語を何度も重ね、繊細に描写する文体は、英語文学の翻訳書の趣きもありますが、チャンドラーの影響でしょう。

それでも読みづらくないのは、作者の力量だと思います。

面白い本を見つける方法は、「教えてもらう」か「探す」しかありません。
「教えてもらう」を超えて「貸してもらう」とはなかなかのものです。

5月4日からは数年振りの家族旅行の予定です。
5月病という言葉も聞こえてきますが5月健康で行きたいと思います。

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未来に漕ぎ出す‐2316‐

本町橋のすぐ西にある大阪産業創造館は、合併で無くなった東区役所があった場所でした。

外壁にボートのモニュメントがある建物と言えばすぐに伝わると思います。

2000年完成の大阪産業創造館は東畑建築事務所の設計です。

「産創館」と呼ばれることが殆んどでしょうか。

本町通沿いのハナミズキも満開です。

こちらは紅。

正面には白。

ハナミズキ越しに見上げてみます。

東畑建築事務所のWebサイトを見ると「未来に漕ぎ出す大阪の企業家をイメージした」とあります。

こういった直喩は陳腐な表現になりがちですが、このアートモニュメントがしっくりきているのは、波の表現が繊細で美しいからだと思います。

外壁の板金仕事が、組織事務所のそれとは思えないほど大胆。

この日は、ドローンに関するセミナーに参加してきました。
2年前に2等の国家資格を取得しましたが、法律の変化が目まぐるしい分野です。

どんどん情報を更新していかないと、時代に置いていかれそうです。

セミナーの後、日本建築家協会近畿支部の総会がありました。

大先輩の話を聞かせて貰い、一生勉強だなと背筋がピンと伸びました。

4月頭に研修生としてやってきたD君は、3日でアルバイトに昇格してもらいました。

やる気と実力があれば、年齢は関係ありません。
早い時期に正社員になって貰おうと思っています。

親族が、タケノコ掘りに行ってきたそうで、水に漬けた状態でアトリエまで持ってきてくれました。

オリーブオイルで炒めただけで、最高のつまみになりました。
タケノコにおいては、新鮮を上回るものは何もありません。

こちらは、妻が地元の知人に頂いた「大阪焼酎」。

炭酸とレモンで割ろうとすると、「レモンは入れずに飲んでみて」と妻。

確かに、焼酎というよりは日本酒よりの味わいでした。
後味はまるでラムネのように甘かったのです。

子供の頃はしょっちゅう飲んでいた瓶入りのラムネですが、あのビー玉で栓をしてある瓶に誘われて買ってしまうのですが、内容量は極めて少なかった気がします。

むしろそれが健康の為には良かったのかもしれませんが。

旬を活かす。
常に勉強を続ける。

食と職の話ですが、「未来に漕ぎ出す」ための共通項だと思います。

そもそも、食と職は音だけでなく、本質はほぼ同じなのかもしれません。

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ほめちぎる伊勢‐2315‐

昨日は、始発の近鉄特急、賢島行きに乗りました。

三重県の盆地帯を抜ける際の風景は、何とも穏か。

アーバンライナーの2階席、北側からの風景でした。

伊勢神宮の外宮近くにある宇治山田駅に到着したのが8時前。

駅前でレンタカーの手続きを済ませ、計画地へ向かいました。

計画地は海のすぐ近くにあります。

最高のロケーションですが、青空の写真とはいきませんでした。

ただ、晴れ間の日差しは強烈で、海沿いの緑は力強さを感じます。

クライアント企業の担当者の方に案内して頂き、敷地をくまなく歩いて回りました。

十分把握してから関連行政へ事前相談に向ったのです。

まずは三重県の伊勢庁舎。

建築関連法規は、県が判断権限を持っている分野と、市が権限を持っている分野があります。

国定公園法などは国が判断権限を持っており、関係省庁は多岐に渡ります。

県で都市計画法の打ち合わせをした後は伊勢市役所に移動しました。

こちらでもみっちり打ち合わせ。終わった時は3時を回っていました。

上下水道関係の調査をするためにすぐ移動し、調査が終わったとろで、閉庁時間となりました。

伊勢庁舎の食堂に、伊勢うどんがあったのでさっと昼食にしました。

特徴は、甘辛、太麺、柔らかい。

これが唯一、「伊勢」を体感した場面でしたが、500円は有難い限りです。

宇治山田駅に戻ってくると、すでにライトアップが始まっています。

この駅舎は有形登録文化財に指定されており、NHKの『ブラタモリ』でもフォーカスされていました。

昭和6年の完成で、設計者は久野節(くの みさお)。
高島屋大阪店も彼の作品です。

一日駆けずり回って働き、帰路につく駅舎が美しいと、心が温かくなるのです。

帰りは、伊勢志摩ライナーでした。

車両が格好良いと気分も上がります。
ただ、4時起きだったので、座った瞬間に寝落ちでした。

実は2022年に、同じく伊勢市でかなり大きなプロジェクトの相談がありました。

敷地面積も過去最大なら、建物の面積、棟数も過去最大。

難易度の高い計画でしたが、各所へ事前相談に奔走した結果、「何とか要望通りに建てられそう」というところまでこぎつけました。

しかし、計画自体が先方の事情で頓挫してしまいます。

残念ではありましたが、その時の経験が、昨日もかなり活きたと思います。

移動中「ほめちぎる教習所 伊勢」という看板が見えました。

思わず笑ってしまいましたが、伊勢市役所の人も、三重県庁の人も、もしかすると私をほめちぎってくれるかもしれません。

それが叶わないなら、私がほめちぎってさしあげます。

クライアント企業の皆さんに、完成したあとにほめちぎってもらえることをイメージしながら、今はやるべきことをひとつ地道に進めていきたいと思います。

ほめちぎる伊勢

とってもいい響きなので、このプロジェクトのテーマにしていきたいと思います。

次回の伊勢行きを今から楽しみにしています。

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■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

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高島野十郎が描く、やるせないほどの美しさ‐2314‐

日曜日は、3月初め以来の完全オフ。

のんびりと、大阪中之島美術館の『没後50年 髙島野十郎展』へ行ってきました。

天気はもうひとつでしたが、暑くもなく寒くもなく。

髙島野十郎は、昨年の夏放送されたNHKの『日曜美術館』で知りました。

絵画はやはりブランド力が大きくものを言います。
誰も知らない絵を観る機会はほぼ無いからです。

しかし、テレビを通してでも感じ入るものがありました。
存命中は無名だったと知り、とても気になっていたのです。

「絡子をかけたる自画像」 大正9(1920)年

高島野十郎は、明治23(1890)年に福岡県久留米市の裕福な酒造家の5男として生まれます。

そして中学生の頃、絵に目覚めます。
東京帝国大学農学部水産学科を主席卒業するという秀才ですが、皆が驚くなか、画家の道を選ぶのです。

独学、独身、美術団体にも属さない、孤高の人でした。

「壺とりんご」 大正12(1923)年

「世の画壇とまったく無縁になることが小生の研究と精進です」と知人への手紙に書き残しています。

明治末期には様々な西洋絵画の情報が日本に入ってきました。

雑誌『白樺』が盛んに紹介したこともあって、多くの若い画家がフィンセント・ファン・ゴッホの影響を受けます。
野十郎もそのひとりでした。

「イーストリバーとウィリアムズブリッジ」 昭和5(1930)年

昭和5(1930)年にヨーロッパ視察の旅に出ています。

その前に立ち寄ったニューヨークで描いた1枚ですが、印象派の影響も色濃く受けていることを感じさせます。

「ひまわりとりんご」 大正時代(1912~1926)頃

ゴッホの象徴とも言えるひまわりに、りんごを加えているところも何だか愛らしいのですが。

「からすうり」 昭和10(1935)年

しかしその筆致はここまで進化します。

遺構ノートが見つかったことで、彼の考えを言葉で知ることができます。

「からすうり」はやるせないほどの美しさでした。

学生時代は魚類の感覚に関する研究を行っていました。

その時のスケッチが公開されていました。

食材としても高級魚のオニカサゴ。もう美味しそうでさえあるのです。

左:「雨 法隆寺塔」  昭和40(1965)年  右:「法隆寺塔」  昭和33(1958)年

詩人だった兄の影響からか、仏教に深く傾倒していました。

写実的な描写が慈悲の実践と考えていたので、絵を描くこと自体が仏の教えに迫ることだったのです。

「積る」 昭和23(1948)年以降

一方、その画風は多彩を極めます。

点描画のような表現が、雪の軽さと、豪雪地帯の雪の過酷さを同時に表現しているようです。

解説には、好んで通った山形である可能性が高いとありました。

最後の展示エリアは、凄い演出でした。

野十郎が生涯に渡って書き続けた、「蠟燭」と「月」が、ほぼ真っ暗な中で展示されています。

「蝋燭」 昭和23(1948)年以降

「蝋燭」 はかなりの点数が展示されていましたが、個展で発表されることもなく、親しい友人や知人に感謝の気持ちとともに手渡された贈り物でした。

「満月」 昭和38(1963)年頃

光を描くという意味では同じ主題ともいえる「月」。

最初は月夜の風景を描いていたのが、晩年はただ闇夜に輝く満月だけを描くようになっていきます。

主役は闇でした。

存命中はほぼ無名だった野十郎ですが、没後5年経った昭和55(1980)年の「近代洋画と福岡県」という展覧会で評価がはじまります。

そして没後50年の、この展覧会に至るのです

独学、独身、孤高ということばで語られますが、不思議と悲壮感は全く感じません。
そこは育ちの良さと、頭の良さからくるのでしょうか。

展示作品は約150点にも関わらず、ほぼ全ての作品に解説があり、全く飽きることはありませんでした。
この展覧会を主催した人達の熱意も伝わってきます。

撮影可能な作品をいくつか紹介しましたが、実物はこの比ではありません。

6月21日(日)まで会期があるので、まだの方に絶賛お勧めしておきます。

孤独ではない孤高の人。

何だかヒントを貰ったような気持ちになりました。

「月」 昭和37(1962)年

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■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

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ディープ大阪「天下茶屋」編‐2313‐

昨日の雨に反して、今朝はカラッと晴れました。

水たまりが日を受けてキラキラと美しい朝でした。

雨の昨日ですが、敷地調査に向うため、天下茶屋で地下鉄から南海高野線に乗り換えました。

ラピートを駅でみるとやはりテンションが上がります。

地下鉄堺筋線のインバウンド比率の高さに驚きましたが、こちらのラピートはマレーシア観光をアピールするラッピング車両でした。

マレーシアの人は日本人を見て「インバウンド客の多さ」に驚いているのでしょうか。

現地へ向かう電車から「天下茶屋駅前商店街」のアーケードが見えたので、帰りに寄ってみました。

雨の昼過ぎというのもあるでしょうか、アーケードの人通りは多くもなく、少なくもなくといったところ。

ただ、お店は下町感満載です。

店名だけでは何屋さんか分かりませんが、何が好きかは誰にも伝わってきます。

アーケードを抜けると、道をはさんでもうひとつのアーケードが見えてきました。

こちらは「天下茶屋商店会」とあります。

道路を渡ると、入口の2店舗は絶賛営業中。

が、その奥は閉まっている店が大半です。

一番奥のミートショップは営業中でした。

唐揚げが300円、コロッケは80円だったかなと思います。

昼食を済ませていなければ、買い食いしていたのですが……

ウロウロしていると頬に冷たいものを感じました。

見上げると、換気機能付きアーケードでした。

雨の日に、ちょっと雨を感じるのも悪くないものです。

商店街でなく、商店会というのも何だか腑に落ちたのです。

大阪市のWebサイトにはこうあります。

天下茶屋は、秀吉の時代には最先端のカフェがあっただけでなく、カフェ文化を根付かせた街と言っても良さそうです。

時代とともに、街は振り子のように盛衰を繰り返すものですが、雅俗も含めてなのでしょうか。

西成区のど真ん中、天下茶屋でディープ大阪を満喫してきました。

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上町界隈の名店⑥「大阪の味 割烹とんぼ」‐2312‐

実施設計の最終段階にはいったプロジェクトが「どんな日でも遊べる家」です。

クライアントから、CG公開のOKを貰ったのでUPしてみます。

なぜどんな日でも遊べるかを、良ければご覧ください。

昨日の昼食は、近所にある「割烹 とんぼ」へ行っていました。

創業180年の老舗割烹に行ったのは、日曜日の昼食くらいは贅沢しようと決めたので……というのは冗談で、町内会の総会があったからです。

集会場が少し遠く、町内にある「割烹 とんぼ」で昼食を取りながらが恒例だそうです。

こちらに越してきてすぐに買った「あまから手帖」の2025年1月号。

表紙がこの店の料理だったので、とても楽しみにしていました。

豆ごはんセット2420円、かき天丼1760円、うなぎ丼2750円のメニュー札が掛かっていました。

嫌が上でも期待は高まります。

2階の堀ごたつ形式の和室で、18名での会食でした。

ほたるイカからスタート。

お造り。

煮物と続きます。

そして鯛の煮付け。

煮物はどれも甘めで、箸が進みます。

男性陣は飲んでいる人が大半でしたが、戻ってから仕事があるので、ここはグッと我慢です。

両隣りは面識がありましたが、ほぼ皆さん初対面です。

長くこの地に住んでいる方が大半で、上品な方ばかり。

私達でも「若い」部類に入るということで、とても暖かく迎えてもらいました。

店前のメニューにかき天丼がありましたが、かきの天ぷらは味が凝縮した感じで、大変美味しゅうございました。

「包丁一本晒にまいて」で始まる「月の法善寺横丁」のモデルはこの店の先代だという話や、作家・藤本義一がこの店を贔屓にしていたとか、江夏豊など阪神の選手もよく来ていたとか、面白い話を沢山聞かせてもらいました。

女将さんに「何が一番お勧めですか?」と聞くと、「タコの桜煮です」と。

あまから手帖の表紙になるくらいなので、それはそのはずです。

タコの煮ものがあったのは分かっていたのですが、おしゃべりに夢中で、写真を撮り忘れてしまいました。

痛恨の極みですが、来年も参加する理由ができました。

クライアントから新築しするための土地探しから相談を受けることもありますが、「ご近所さんは選べないので、できれば頑張ってコンタクトを取ってみてください」と伝えます。

しかし、自分が購入した時は、言ったことを全く実行していませんでした。

雰囲気を見ただけで、絶対に良い人ばかりに違いないと確信していました。

自分が住む街を好きな人が多ければ多いほど、街の雰囲気はよくなります。それを実感できた町内会の総会でした。

本の中では4ページに渡って、由緒が紹介されています。

現在の大将は5代目で、息子さんである6代目に引き継ぐのもそれ程先ではなさそうです。

大阪の味を繋ぐ「割烹 とんぼ」。

私の手絡では全くありませんが、そんな店が町内にあることを誇らしく思います。

帰り道も、街の説明をしてくださるご近所さん。

私の直感が正しかったことを確信できた日になりました。

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100万円、宇宙の旅‐2311‐

アトリエの周りは高い建物に囲まれていますが、4階の屋上に出ると視界が開けています。

南側が長堀通なので、煩いと言えば煩いですが、空が大きいのはとても気分がよいものです。

長堀通を少し東に行くと清水谷高校があります。

缶詰で仕事をしていたので、外にでるのは3日振りでした。屋上を除いてですが。

気が付けば、正門脇の桜は、満開を少し過ぎていました。

朝、屋上から上弦の月が見えていました。

先日のニュースで、約半世紀振りに月への有人飛行が成功したというニュースがありました。

月の裏側を回る際に通信が途切れること、人類が最も地球から離れたという点において「歴史的」成功だったという内容でした。

後者においては「歴史的」だと分かりますが、半世紀前に「アポロ計画」で人が月に降り立っていることの凄みを、より感じてしまうのは私だけでしょうか。

1969年7月のことなので、私が生まれる1年前。

日本においては、乗用車の保有率が21.3%、エアコンは5.4%、カラーテレビは21.1%という時代に、です。

今回の「アルテミス計画」が、特別な人が、特別な条件で月を訪れるのでなく、普通の人が、普通の条件で月を訪れることができる1歩なら、「歴史的」という点も大いに納得できます。

現在のエアコンの保有率は90%以上。

その数字を見れば、実現しないほうがおかしい気さえしてきます。

宇宙には縁のない、外野席からのヤジでしかありませんが、100万円くらいで行けるなら、考えるかもしれません。

人によっては500万、1千万と様々だと思いますが、「普通の人が」なら、最大で200万円以下かなと思います。

そんな時代がやってくればと、楽しみにしておきます。

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