ナニワ生まれのナニワ育ち

 私は自分の誕生日を、かなり気に入っています。7月生まれの獅子座。百獣の王ですからかなり強そう、とかも思っています。

 7月は英語でJuly(ジュライ)。

 ローマ帝国以前の暦にJuly(ジュライ)とAugust(オーガスト)はありません。紀元前一世紀、栄華を極めたローマ帝国では、英雄ジュリアス・シーザーを表すJuly(ジュライ)と初代皇帝のアウグスティヌスを表すAugust(オーガスト)が、一年の真ん中に割り込んだ暦を使うようになりました。

 そのユリウス暦(ジュリアスのラテン読み)が進化した暦が、現在でも使われている訳です。
その証拠に、7月、8月以降はふた月づつずれています。10月を表すOctober(オクトーバー)のOctはラテン語で8ですから、元8月だったのです。
 
 高校の世界史で、確かこんな事を習ったと思いますが、なんとも強引な話です。しかし、そんなJuly(ジュライ)も大好きです。

 ずっと前に、祖母は私の誕生日を覚えてるのかなと思って聞いた事があります。「マサキちゃんは、ナニワ生まれの7月28日」とつぶやいてから答えてくれました。

 1970年7月28日生まれ。ナニワ生まれのナニワ育ち。今日は私の誕生日です。

スパイダーマン2

 レンタルビデオ店から、会員登録期間がもうすぐ終了するので、延長に来てくださいというはがきが来ました。

 猶予期間は1ヶ月でそれを過ぎると、新規登録となり料金が発生しますとのこと。
 
 余計にお金がかかるのは嫌なので、お店に行き更新登録を済ませると店員さんが「1本旧作が無料になります」と。

 何を借りようかなと悩んだ末、家族で気楽に観れる作品がいいなアと思い、お店で昨年度人気ランキング2位となっていた「スパイダーマン2」を借りました。

 第1作目の「スパイダーマン」も含めて初めて観たのですが、これが予想を大きく上回る、痛快エンターテイメント作品でした。

 原作は、アメリカンコミックなので、ストーリーはビックリするくらいシンプル。冴えない学生が、実は大都会を守るスパーダーマンで、その秘密を打ち明けられないガールフレンドがいて、悪者が出てきて、それをやっつけて、ガールフレンドに「実は僕の正体は・・・・・・」というだけの話です。

 しかし、スパイダーマンが手から放つクモの糸を使って、摩天楼を自由に飛び回る様は、観ている自分もお尻が浮いてしまうくらいの、「浮遊感」を味あわせてくれました。実際には飛んでおらず、クモの糸の一端をビルに粘着させ、振り子の原理で、次のビルへ近づくと、またその次のビルにクモの糸を粘着させる、という動作の繰り返しでビルの谷間を滑空します。

 これが微妙にクモの糸の弾力を感じさせたり、重力を利用しながら空中を滑るようで、見ていて非常に気持ちいいのです。なんとなくリアリティーを感じるのは、あながち無理ではないと、思っているからでしょうか。空を滑るような映像は一見の価値ありです。 

 重力を描くなんて、映画を創るって、楽しい仕事なんでだろうナ。

あ~夏休み

 いよいよ最高気温が35℃前後になってきました。今日から夏休みにはいる小学校も多いようです。

 

 

 

 

 1ヶ月半の長期休暇なんて、仕事を止めるまで、多分取れないでしょう。子供の頃の、夏休みって一体何をしていたんでしょうか?

 夏休みに入ったと浮かれていると、誕生日がやって来て更に浮かれます。そのうち、父母の実家のある岡山と香川に弟と2人で行って、祖父母に会ってもっと浮かれます。

 

 

 

 

 高校野球が始まる頃には、時間が加速し始め、お盆のお墓参りには両親も帰省します。田舎の朝夕が少し涼しくなりだすと、そろそろ宿題に追われ出し、祖父母と一緒に大阪に帰って来ると、もう休みが5日も無い事に気付いて、寂しくなる。

 大体こんな感じだった様な気がします。
朝顔、ひまわり、花火、井上陽水の「少年時代」。今年も夏本番。私にとっては35回目。

ゴッホとペリ

 先週末、大阪の中之島にある国立国際美術館に行ってきました。目的は2つあって、1つは「ゴッホ展」。もうひとつは、シーザー・ペリ設計の国立国際美術館そのものです。

 ペリは日本の竹をイメージして、エントランス部をデザインしたようですが、私には昆虫のように映りました。彼は、世界の最前線にいる建築家で、面白い建築をいくつも手がけています。関西なら、大阪NHKも彼の作品です。その上で言えば、写真で見るような竹の繊細な感じは受けませんでした。

 以前読んだことがあるのですが、日本人は世界で一番「印象派」が好きな民族だそうです。とりわけゴッホ人気は強く、彼の作品がバブル期に凄い値段で、日本人が競り落とした事は、世界的なニュースになりました。しかし、そういう私も日本人だからなのか、ゴッホが大好きです。

 今回、有名なところでは、「夜のカフェテラス」が来ていました。ゴッホの良さを語るのは野暮なことですが、私の経験で言えば、力強い黄色で描く、ひまわりや麦畑は、どんな空間に置かれても、常にひときわ輝き、その空間を支配していました。今回ならカフェテラスを照らす光を黄色(ゴッホは硫黄色と淡いレモン色と言っている)で描かれていていたのですが、夜空の紺色が、その光をいっそう引き立てていました。私はその黄色が見れれば、目的のほとんどは、果した気分になります。

 ゴッホは、その鮮やかで躍動感のある色使いとは裏腹に、生前は本当に評価の低い、孤独な画家でした。理解者も弟のテオくらいで、最後にはピストル自殺で生涯を終えます。

 「残念だが、私の作品が売れないのはどうしよもないことだ。いつの日か、人々がこの作品についている値段以上の価値があることがわかるだろう」という言葉を残しています。

 不遇の天才は、そのもどかしさの中でも創作を続けました。そして現実は、彼の言った通りになりました。彼だけは、自分作品の素晴らしさに確固たる自信もをもち、人がなんと言おうと、そのスタイルを貫き通したのです。自ら命を絶つ程までに・・・・・・

 それが「孤高」「情熱」「炎」の画家と言われるゆえんで、私達はそんな彼の人生も作品の後ろに見ているので、より思い入れが強くなるのかもしれません。

十三で「アナライフ」

 先週の土曜日、大阪の十三にある七藝(ななげい)という映画館へ、以前も紹介した合田健二監督作品「アナライフ」の大阪ロードショウを観に行ってきました。

 合田監督とは中高の同級生ということもあり、以前の試写会に招待してもらったのですが、ロードショウ初日は、「オーマイキー」で有名な石橋監督とのトークショウーがあり、こっちが目当てでした。

 壇上でスポットライトを浴びて話す合田監督は、照れくさそうでもあり、嬉々としているようでもありましたが、至極幸せな時間だったろうと思います。ちょっと羨ましい。また新しい作品を撮りたい、言っていたので、期待して待つことにします。内容については、かなりアブノーマルなものなので、webサイトを参照して下さい。但し映像は、止め処なく溢れて来るので1時間半、飽きることはありませんでした。

 十三は、19歳の時に通っていた予備校が有ったので、とても懐かしい街です。予備校が淀川のすぐ北側にあり、授業が終わると、いつも河川敷で野球をしていて、真っ黒に日焼けしていました。

 おまけに、9月の最終日曜日に、クラス対抗の大ソフトボール大会があり、四十数チームのトーナメント戦で優勝してました。お昼から野球好きのクラスメイトを集めて、毎日、日が暮れるまで練習に励んでいたので、まあ、当然といえば当然の結果かもしれません。楽しい思い出でばかりで、本当に何をしに行っていたのか、今考えると、ちょっと親に申し訳無かったという気もします。

 まあ、いろんな経験のもと、今の自分があるわけで、全く無駄な事は無いと思うのですが、親になった今、もし子供が同じことをしていたら、どんな気分で真っ黒な予備校生を見るんだろう、と考えてしまいます。そうならない事を、ただ祈るだけで・・・・・・

子供の髪型

 うちの子供はよく近所の人に「綺麗に散髪してるね」と言われるのですが、実は違うんです。

 後頭部の上のほうと、えりあしの髪だけ長くそれ以外は刈り込まれているように見えます。私の経験から言えば、この髪型を好むのは、ヤンキー夫婦と、プロレスラーくらい。

 私と妻にそういう趣味は無いのですが、そうなってしまうのは、彼が自分で「むしりとって」しまうからなのです。生後2ヶ月を超えた頃から、手をかなり意識するようで、初めは拳を口に突っ込んだりしていたのですが、モノが掴めるようになると、眠い時に、やたらと髪の毛をむしるようになってしまいました。

 で、どうしても届かないのが後頭部の上のほうと、えりあしの髪だけなので、その部分のみ長いという変な髪型になってしまいました。おまけに手をしゃぶるので、ウンコの中には多量の髪の毛が・・・・・・。

 まあ、そのうち止めるだろうと思っているのですが、人と会う時はその度に髪型の言い訳をしています。

近所の夏祭り

 今日は七夕。今年も夏祭りの季節がやってきました。

 妻は高槻市の高台にある住宅街の出身で、地元のお祭りに行ったことが無いと言うので、今年は、近所の楯原神社の夏祭りから行くことにしました。

 7月5日の火曜日はあいにくの雨でしたが、狭い境内はたくさんの子供で賑わっていました。


 お祭りと言えばやっぱり、金魚すくい。水槽の中の金魚を、小学生くらいの女の子が懸命に追い回していました。見るだけでも涼しげです。

 その他にも、焼きとうもろこし、ミルクせんべい、たこ焼き、くじ引き、スーパーボールすくい、そしてお面の屋台が出ていて、見ているだけでも楽しめます。何故お祭りの時には、みんなお面を買うのでしょうか?そして手にはりんご飴。

 やっぱり、大阪ならお好み焼き、と値段を見ると、なんと200円。お好み焼きで一杯やろうと、ビールを探したのですが、ビールが売っていません。小学生以来、二十数年ぶりに訪れたのですが、そういえば昔からお酒を飲んでいる大人は居なかったような・・・・・・

 子供の為の縁日だったわけです。

 結局お好み焼きを5枚を千円で買って、家に帰ってから晩酌することにしました。

国宝 -待庵-

 

 

 

 

 

 

 先週末に、京都の大山崎にある妙喜庵というお寺の茶室-待庵-に行って来ました。傷みが激しいとの事で、残念ながら、内部は撮影できませんでした。

 待庵は、侘茶の祖、「千利休」の唯一の遺構と言われています。創建については諸説あるようですが、1582年、明智光秀との天王山の合戦に挑む豊臣秀吉が利休を陣中に招き、二畳の茶室を作らせたものを、1610年に現在地に移築したというのが、一般的なようです。

 待庵はわずか二畳の茶室ですが、広めの「躙口(にじりぐち)」の正面には「室床」が見えます。

 利休は、無駄を排除した茶室が、二畳になっても、亭主が客人をもてなす心を伝える「床」は必要と考えていました。豪華な名品を飾るのではなく、心を込めて、野花を一輪生ければ良いとしたのは、もてなす心を追求して行った「侘茶」の精神をよく表しています。

 壁は、わらすさを見せた荒壁仕上げで、所々で「すさ」が白く光ったように見えます。壁や天井の隅は、土壁を塗り回して、この小空間に出来る限りの広がりを与え、さながら「二畳の小宇宙」と言ったところでしょうか。
こうして、利休は、茶道を極めることによって、多くの大名に愛されました。ところが、それが強い影響力を持ちすぎる事になり、危機感を感じた秀吉は、最終的には、切腹を言い渡します。

 非情なまでに、「茶」を追求した、求道者の悲しい最期になってしまいました。
梅雨空のもとに佇む-待庵-は、400年の時が経っても、そんな求道者の悲しみを併せ持った、悲しくも大変美しい建築でした。