マクドナルド

 先週の土曜日、外で打合せがありました。

 昼過ぎに終わった後、当事務所のスタッフと食事へ。何が食べたいか聞くと「マクドナルド」と。なんと言っても、外食産業売り上げ日本一。圧倒的な数字は伊達ではありません。

 学生時代には、おやつ感覚なら食べていました。当時のイメージは昼食にするには量がちょっと……。なので、食べるのは久し振りです。

 駐車場のある路面店で、ほぼ満車の状態。


 店内も9割方は埋まっていました。

 スタッフの女の子はメール会員で、結構な割引があるのです。

 私はジューシーチキン赤とうがらしとポテトM、飲み物のセットとチーズバーガー。800円弱が600円ほどになりました。

 スタッフが何を頼んだかは聞きません。

 感想は、チキンが驚くほど辛かったのですが、予想以上の美味しさでした。何ならビールのあてになるくらい。

 昔は無かったと思うのですが、レタスが入っていました。

 サラダが無かったのも、あまり足が向かなかった理由。今はサラダもメニューにありました。

 会員には、新たなクーポンが出た時にメールがあるそうです。それが月1回程度。

 メールアドレスなど一切書きたくない、何たら会員恐怖症の人も多いと思います。そこはさすが日本一。本当に欲しいものが、邪魔にならない程度に来るようです。

 スマイル 0円、サンキューセット (390円)、ハンバーガー65円と、安売り路線一直線と思っていましたが、どんどん進化しているようです。

二人で釣り

 およそ2年振りに奈良県と三重県にまたがる七色ダムへ行って来ました。

 何ともロマンティックな名前ですが、その名に負けない美しさです。

 大阪からは、南阪和道、国道169号線を使って2時間程。

 もう少し南下すれば熊野灘です。169号線は元々熊野大社へ向かう熊野街道だったのです。

 トンネル開通、道路の整備などで、15年前から比べると、一時間は短縮されました。
 
 今回は初めて長男と2人での釣行です。

 ボートのセッティング中など、じっとしていられるか気掛かりでしたが、なんとか無事湖上へ。

 まずは子供へのサービスも兼ねて、クルージング。

 湖底に沈んだ小学校を見に。

 湖の場合はルアーで釣ります。しかし今回は禁を破りました。子供の針にはミミズ。
 
 その甲斐あって、連続ヒット。なかなかに楽しんでいました。

 釣りに飽きたら、スピードを出して湖を大きく移動。風を切るのが楽しいようです。

 このパターンで朝の8時から昼頃まで、何とか一緒に釣りが出来ました。

 まずは、第一段階突破です。何と言っても釣りは私の趣味。徐々に段階を上げていくつもりです。

 午前中は何とか持った天気も、帰る頃には大雨。なんと言っても日本一雨の多い地域です。

 帰りの車で聞くと、やはり恐竜博物館のほうが良かったと言っていました。まあそのうち……

チエちゃんの住んだ街

 先週の新聞だったか「じゃりン子チエ」の母校が無くなるかも、という話題がありました。

 勿論モデルになった、です。

 大阪の下町にあるホルモン焼き屋を小学生が切り盛りするという人情漫画。

 アニメ版は時々観ていました。

 その程度ですが、テツ、小鉄、アントニオ、ヒラメちゃんなどスッと名前が出てくるものです。

 舞台は通天閣のすぐ近く。今でも新世界のシンボルです。

 近くを通ったので一枚撮ってみました。

 近くにはホルモン焼き屋まで。漫画の世界とは随分趣が違いますが。

 このあたりも、数少ない街の景色を持っている場所と言えます。作者のはるき悦巳氏は大阪市西成区出身で1947年(昭和22年)生まれ。

 記事には、自身が通っていた萩之茶屋小を想像させるのでモデルとみられる、となっていました。

 舞台は昭和50年代の設定となっていましたが、漫画の中の街の風景は、おそらく作者の幼少期、昭和30年台前半から、40年代前半までの記憶だと思います。

 私は昭和45年生まれですから、幼少期が昭和50年代の中盤。この頃の景色とそれまでの景色は大きく違いがあります。

 具体的に言えば、万博のあった昭和45年以降に建った家は、多くが木造モルタル塗りの家。それ以前は、板壁か、土壁に漆喰の家が主なのです。

 さほどの分岐点には見えませんが、この間に街の風景は大きく変わったはずです。小学校だった私も、自分の暮らす街より、漫画の中に出てくる街のほうに惹かれていた気がするのです。

 工場で出来た既製品と、職人が手仕事で作ったものとでは、絶対後者のほうが好きです。自然界に均質なものなど無いからです。

 手仕事で作ったものでも、工業製品からと、自然の素材からでは圧倒的に自然素材のほうに心は惹かれます。

 万博のあった昭和45年頃を境に流通が発達し、家の外壁なら土、漆喰、木から工業製品のモルタルやペンキが主役に変わって行ったのだと思います。

 それは、何の知識も持たない子供の目にも大きな違いだったのです。

船検

 自家用車なら、車検は新車で3年、2回目からは2年毎です。

 船検というのもあって、正確には船舶検査。小型船舶の場合、中間検査と定期検査が3年ごとに繰り返しあります。

 父から引き継いだ海用のボートと、湖用のボートがあり今年は海用の中間検査。

 小型船舶は自分でするほうが一般的で、費用も随分安くつきます。

 以前は、現地まで出張してくれたのですが、港に係留していない船は、持込検査が原則なのです。

 大正区にある、日本小型船舶検査機構まで行って来ました。

 救命胴衣、浮き輪などの法定備品が装備できているか、船体に破損は無いか、エンジンの整備が出来ているか等など、検査員にチェックして貰い、40分ほどで終わりです。

 普段係留していないのでどうしているかと言うと、共に実家のガラス屋に置いてあります。

 良く使うほうは1階作業場の天井に。もう1隻は……。

 屋上に置いてあります。実家の屋上にはクレーンがあるのです。

 普通あるものではないと分かっていますが、よくよく考えれば不思議な家です。

 実家は当時の得意先だった工務店が設計して建てたのですが、よくOKしたものです。

 父はよく言えば常識にとらわれない、悪く言えばちょっとクレイジーなところがあって……

 実際これがあるおかげで、随分助かっているのですが。

住所変更

 この3月に引越しをして以来、カード、免許証等など、ありとあらゆる住所の変更をしなければなりません。

 リストを作っているのですが、その量たるやもう膨大なもの。2ヶ月近く経った今でも少し残っています。

 私は妻が仕事場にいるので、可能な限り代理で行って貰います。中には委任状が必要なものもありますが、それでも随分と助かるのです。

 今回、どうしても直接行く必要があったのが、建築士免許と小型船舶免許。

 建築士免許は何となく仕方ないかなとも思うのですが、船舶免許は車が代理で可能なのに何故?という気持ちもあります。

 以前、納得出来ないケースがありました。ある銀行の口座を閉める時です。

 財布の中のカードは増える一方。不要なものはどんどん辞めていくようにしています。その銀行は、仕事場の移転で使わなくなったので、閉めたいと相談したのです。開くときは代理人で大丈夫なのに「閉める時はどうしても本人が行かないと駄目」の一点張り。

 その銀行だけなのか、どこの銀行もそうなのかは分かりませんが、これには納得出来ませんでした。種々の事情があるのですから、何らかの方法は必要だと思います。たとえば、海外へ転勤になった場合。歳をとって行けなくなる場合。しかも初めと終わりの対応が逆。ここが一番フェアではありません。

 そんな時、決まって出てくる台詞が「当社では」「社内規定によって」等など。

 仕事としてやっている以上、まずリクエストに応えようという姿勢が必須のはず。何故、自分達の論理が優先されるのか。

 宮崎駿は言っていました。

 「自我を満足させるために映画をつくってはならない。観客の為につくらなければ」

 仕事において「私的には」は×です。私は一番後ろにすべきで、自我と個性は違うのですから。

海の中へ

 昨日は、クライアントのご主人と釣りに行っていました。昨冬、春に釣行する約束をしていてのです。

 大阪湾は夏のような日差しで快晴。しかもベタ凪。もう最高の釣り日和。紀淡海峡に浮かぶ友ケ島周り、大阪府最南端の岬町沖など数ヶ所を回り、ガシラ、ベラ、チャリコ、グチなどが30匹以上と釣果もまずまずでした。

 ご主人にも楽しんで貰え、万事良かったのですが、私が釣りをしていたのは1時間半程。あとは釣場に向かう行き帰りを含めて、大半は船室で横になっていました。

 土曜日に、先輩の結婚披露宴があり、家に帰ったのは深夜2時頃。タクシーに乗った記憶がうっすらあるくらい。記憶がほとんど無いくらい、久し振りに飲みすぎました。

 日曜日は4時起きだったので、早く帰ろうと決めていたのですが、体育会の悪しき習慣なのか、独特の濃厚なコミュニケーションなのか、ついつい……。

 釣りのほうは1時間半でも結構釣れたので、写真を何枚か撮って、明日の日記はこれでOK。ちょっと横になろうと、海水で手を洗おうとした瞬間、ライフジャケットのポケットからデジカメが……

 一年に満たない短い付き合いが終わりました。自分のライフジャケットならこんな事は無かったはずが、準備不足がこんなところに出てしまいました。

 しかし踏んだり蹴ったりという感じはありません。海上の空気はいつも綺麗ですが、気温、天候、波と条件が揃うことは滅多にありません。波に揺られて、久し振りに会うクライアントと海を眺めながら四方山話をするのは、かなり程贅な時間です。

 私が船室で寝ている間、船頭の父と雑談している声が、うっすらと船室へも聞こえていました。今回は完全に父のおんぶにだっこでした。
 

 船酔いしない為の3ヶ条。
①前日よく寝ること→2時間睡眠
②しっかり朝食をとること→二日酔いで全く受け付けません
③遠くの景色を見ること→見えるのは狭い船室の天井のみ

 それでも船酔いしなかった事が、まったくもって小さな自慢です。

 夕方は家族皆で実家へ。

 お好み焼きでした。二日酔いだったにも係わらず、すでにビールも。

 食卓にはカーネーションが。妻と義妹からのプレゼントでした。

 母の日に夕食を世話になっているのは、どう考えてもアベコベです。

 しかし母が一番喜ぶことは、皆が健康でごく普通に暮らすこと。ごく普通に暮らせるよう精一杯働きます。

 カメラはひとまず一代前が現役復帰です。

2009年 ゴールデンウィーク

この4連休の間、5/4(月)から5/6(水)で和歌山に行っていました。

 5/4(月)は朝の5時半に大阪を出発して、9時前に串本海中公園に到着。

 前は何度も通りましたが、初めて訪れました。

 グラスボートも乗りましたが、水中展望台のほうが魚をゆっくり見れます。

 このあたりはテーブルサンゴが多く残り、海の中も南国の雰囲気です。

 何故か、海中にポストがある光景をイメージしていたのですが、ここでは無かったようです。

 そのまま、本州最南端の串本大島を東に、少し行き過ぎると、名勝橋杭岩。

 この景色も、観光気分を盛り上げます。

 初日はこのままホテルのある、南紀田辺まで戻りました。

 5/5(火)はこどもの日。

 天気が今ひとつだったので、白浜アドベンチャーワールド行きを一日繰り上げました。

 前日の人出が凄かったと聞いていたのですが、3:00pm頃入園。

 混雑はしていましたが、午前中の雨で若干出足が鈍ったようです。

 動物を見るサファリパークは、列車に乗っても廻れますが、この日は歩く事に。

 歩くとエサやりで結構楽しめます。エサ代は100円から200円くらい。

 天気が悪かったのが良かったのか、いつも寝ているパンダも活発に動き回っていました。

 日が暮れるまで遊んで、園内で夕食。この日は夕食を予約していたのですが、仕方なくキャンセル。

 子供の日なので、子供優先が当たり前です。特別な日なので仕方無いんです。でもたまの外食くらい……。半分冗談で半分本気です。

 最終日の5/6(水)も曇り空。

 この日も人出は落ちていると予想して、朝から白浜の中心地へ。

 千畳敷、円月島とならぶ白浜の景勝地、三段壁へ。

 断崖絶壁が有名ですが、その下に大きな海侵洞窟があるのです。ここに降りるエレベーターが何と1200円。

 その金額に敬遠していたのですが、熊野水軍の船隠場だったと聞けば話しは別です。

 男なら、歴史ロマンを感じてしまうのは私だけではないはず。

 本当に隠されていたか、今となっては知る術もありませんが、雰囲気は満点でした。金額通りかは別にしてお勧めしておきます。

 その後ホテルに戻り、前の海で子供と磯遊び。

 1:00pm頃、田辺を出発しました。

 このゴールデンウィークの渋滞はネクスコの予想をはるかに上回るものばかりでしたが、最終日は天候の事もあり、そこまででは無かった気がします。

 4:00pmには大阪に戻って来れました。

 ずっと海のそばに居たので、できれば釣りをしたかったのですが、それは盆休みの楽しみにとっておきます。