フィンランドの旅③ <人、街、番外編 >‐1303‐ 

 8月も最後の月曜日になりました。

 少し時間が空きましたが、フィンランドで出会った人のことも少し書いておきたいと思います。

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 フィンランドの首都ヘルシンキは、港町であり、観光都市でもあります。人も優しく、旅行者には大変過ごしやすい街でした。

 8月25日にフィンランド政府は「ベーシック・インカム(最低所得保障)」制度を導入すると発表しました。560ユーロ(約6万円)を一律に支給するという制度です。

 北欧は社会福祉が充実していますが、それらは28%という高い税率によって支えられています。よって、物価は日本よりやや高め。

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 国鉄は、全て人と物が集まるヘルシンキの中央駅と結ばれています。

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 2日目には電車で3時間半、北東300kmにあるユバスキュラへ行きました。

 アルヴァ・アアルト設計のタウンホールを見に行きましたが、ここは彼の出身地でもあります。

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 バックパックを背負ってウロウロしていると、日本人の青年が声を掛けてくれました。

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 ここには、アアルト本人が泊まる為に設計した部屋があるそうで「泊まっているので見て行きますか」と。

 東京で大手組織事務所に勤める26歳の青年でした。

 好感の持てる若者で、ラッキーだったなと思いながら、バス停で待っていると、80歳くらいのお婆さんが話しかけてきました。

 「若い頃イギリスに留学していた。アアルトは街の誇りだ。フィンランドは戦争が多かった。日本は伝統のある興味深い国だ」などと言っているようです。

 私は建築家でアアルトを尊敬していると言うと「バスが来るまで時間があるから、家に来てお茶を飲まないか」と言います。

 バスの時刻を正確に把握しておらず、気長に待つつもりだったので迷いましたが、行ってみることにしました。

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 どうも、家ではなく知り合いの画家が個展を開いているので、お茶もあるから観に行かないか、と言っていたようです。

 彼女は漢字がデザインされたスカーフをしていました。

 旅行者の相手をしてくれるのは、お年寄りか子供だけ。こういったふれあいが旅に何かを付け加えてくれるのです。

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 何故か、多くのフィンランド人のお年寄りに見送られながらバスに乗り、次の目的地「夏の家」に到着しました。

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 20人くらいのツアーで、ガイドが説明をしてくれます。

 イタリアで建築出版をしているという、黒いサングラスをしている女性も「アンドウ、クマ、イトオは素晴らしい」と言って、話しかけてくれました。

 日本人も4名程おり、愛媛で設計をしているという女性と、現場監督を20年しているという女性2人組が参加していました。

 私がここにくるまで25年掛かっているので、立派だなあと感心していたのです。

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 その日はタンペレという内陸の街に泊まり、翌朝ポリという西端にある街まで電車で1時間半。

 「マイレア邸」を見る為です。

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 ポリで会ったおじさんの傘がなかなかお洒落。

 前日、ユバスキュラで会った26歳の青年も同じガイドツアーに予約しており、大分から来たという女性2人組も電車で一緒になりました。

 雨がひどいので、4人でタクシーをシェアすることにしたのです。

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 1時間のガイドツアーが終わり、バスでポリ駅に戻ったのも私達4人だけでした。

 さあヘルシンキに帰ろうと切符売り場へ行くとクローズ。

 前日、自動券売機で購入していた私は「こんな時はこの券売機で買えば……」と張り切って説明していると、何故かこちらもクローズ。

 電車の出発が近付いてきたので、とにかく乗り込み、車掌からチケットを買うことになりました。

 すると行きのチケットの倍以上の値段で、しかも席代は別と言います。それならと、食堂車で帰ることにしたのです。

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 この時、おそらく4人の中で一番英語力のある青年が、車掌といろいろ交渉をしてくれました。

 仕事をしていて、若者を見た時に「立派だなあ」と思う機会は正直なかなかありません。

 キャリアが違うので、当たり前なのですが、旅先で出会った私より若い世代の人は、積極的に英語で話しかけていました。

 こういった姿を見ると、日本の若者も頼もしいなと感じるのです。

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 大分から来た女性は、1人が建築設計、1人は美容室の経営者。

 あとはヘルシンキに帰るだけでしたが、初対面の人も居るのでコーヒーを頼むと、美容師の女性はビールを。

 日本人の女性はいつも逞しいのですが、大分の女性は更に逞しいのでした。

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 最終日は、ヘルシンキ郊外にあるアアルトの仕事場、自邸を回りました。

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 ヘルシンキ郊外と言う事もあり、日本人の参加者が8人程いました。

 私と同年代の男性が流暢な英語で質問しているので少し聞いてみると、大学で英語を教えているとのこと。

 厚かましく、いくつかガイドに質問して貰ったのですが「専門家に解説して貰えて光栄だ」と喜んでくれたのです。

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 京都でデザインの仕事をしているという女性も参加していました。25、6歳でしょうか。

 「北欧って、ホントお洒落ですよね。でもこれを日本に持ち帰っても浮いてしまうし、ビビッドなカラーでも、北欧の空気なら映えるんですよね」

 彼女だけではなく、そんな話しは何度か聞きました。

 日本の若者が逞しいと思う反面、日本に自信を持っていないことも少し気になります。

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 例えば建築においても、大阪府の人口にも満たないフィンランドの建築は、とても平均点が高いのです。

 一般的な共同住宅も、しっかりとデザインされているものが殆どでした。

 しかし、北欧が良くて、日本が駄目という訳ではありません。反対も同じです。

 風土、民族性、経済状況、また法律などまで合わせて、文化は構築されていくものです。

 一朝一夕に出来上がるものではないから、それを見に旅に出るのだと思うのです。

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 先週末、大分の女性から、お礼にとカボスのジュースが送られて来ました。

 コーヒーの後、2杯程ビールをご馳走しただけなのに、申し訳ない気もしますが、有り難く受け取ることにしました。

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  24歳で初めて海外へでて、30歳の頃東南アジアを渡り歩いた時も、バックパック一つが私の旅のスタイルでした。

 バックパッカーのバイブル、沢木耕太郎の「深夜特急」を20代前半に読んでからですが、それが私に合っていると思っていたのです。

 良いホテルに泊まるより、美味しい食べ物を食べるより、少しでも色々な街を渡り歩きたい私にとって、バックパック1つの旅が性に合っていました。

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 しかし私も46歳。まだまだ元気なつもりですが、そろそろ、バックパックの重さが堪えるようになってきました。

 一番の理由は体力的な問題ですが、50歳になった時、その姿が見れないかなと思うようにもなりました。

 私のフィンランド行きを誰かに聞いて、大学時代の後輩から連絡がありました。

 2日目に泊まった、タンペレで働いているそうです。

 分かっていれば現地で会えたかもしれず残念ですが、仕事の舞台は世界なんだと意識させてくれます。

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 ヘルシンキは港町で、街中でもカモメがいます。

 ウィーン、メキシコシティ、オスロ、アムステルダム……

 行きたい街は沢山ありますが、ひとまずバックパックでの巨匠巡礼は今回で一区切りです。

 新しい旅のスタイルを模索します。

心に感じることは間違わない‐1302‐ 

 先週末は  「松虫の長屋」『住人十色』の撮影がありました。

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 土曜、日曜とあったので、少しでも顔をだしたかったのですが、私は函館行きで現場へ行けず。

 スタッフの田辺が写真を撮ってきてくれました。

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 ディレクターをはじめ撮影チーム5名と、リポーターの女性タレントは東京からの来阪でした。

 『ビフォーアフター』の時もそうでしたが、製作の人達は番組内の「クイズ」にかなり力を入れます。

 良いクイズだとスタジオのタレントさん(今回なら松尾貴史さんと三船美佳さん)の集中力が増すのかなと、私は想像しています。

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 こちらの奥さんが「先週も豪邸でしたが、我が家で番組になるんでしょうか」と言っていました。

 しかしそれは大丈夫です。(私が担保するのも何ですが)

 撮影チームはプロ集団ですし、この番組も9年続く人気番組。撮影に来てくれるのは、番組の経験値による基準を満たしている証拠です。

 また、30分の番組を製作するのに、2日間みっちり撮影を行います。

 見方を変えれば、人気番組だから良いスポンサーが付き、しっかりと製作費が出る訳です。

 料理と同じで、素材がなければ良い番組はできません。この時点で、ほぼ勝負が決まるのではないでしょうか。

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 皆でお弁当を食べるのも、撮影現場に一体感を持たせるための手法かもしれません。

 奥さんから「とても疲れましたが、あんな経験は二度と出来ないので良かったです」とメールがありました。

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 撮影後、カメラマンを中心に遊ぶお子さん達の写真を送ってくれました。

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 夏休みの思い出になってくれれば嬉しいのです。

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 忙しい仕事の合間を縫って、撮影に参加してくれたご主人。

 笑顔の写真が送られてくるだけで、救われる気がします。

 余程恵まれた人なら別ですが、一所懸命働いていなければ、こだわりの家を建てることは出来ません。

 もし、大富豪のご子息で、働く意欲はないが、豪邸を建てて欲しいとオファーが来ても断ります。(来たことはありませんが)

 懸命に働く人の力になりたいと思うから、私達も仕事に打ち込めるのです。

 いつからか、思っていないことはやらない方が良い、と思うようになりました。

  目で見、耳で聞き、心に感じることは間違わない。

  間違うのは判断だ。

  ゲーテ

 こちらのご家族と仕事が出来たことは、本当に幸せだったと思います。

函館2人旅‐1301‐ 

 北海道は昨年のゴールデンウィーク以来です。

 今回は、所用と兼ねて長男と2人旅。

 函館は、北海道の南端、渡島半島(おしまはんとう)の南東に位置する港町です。

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 空港に着陸する直前に、五稜郭が見えてきました。

 前回函館を訪れたのは高校1年生の時で、およそ30年振り。

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 見えたついでに、五稜郭タワーへ行ってきました。

 市内は路面電車で移動します。

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 五稜郭は日本で初めての西洋式城郭で、明治維新最後の激戦地でもあります。

 江戸城への無血開城をよしとしない旧幕府軍は、海軍の副総裁だった榎本武揚をリーダーとし、五稜郭を占領します。

 陸軍は土方歳三が率い、新政府軍と戦ったのが箱館戦争です。

 結局、土方は倒れ、旧幕府軍は降伏するのですが、榎本武揚はその後の明治政府でも要職を務めます。

 政府も能力のある人材が必要とは言え、なかなか理解しにくいものもあります。

 しかし、このような過程を経て、日本の近代化は、諸外国が驚く程のスピードで進んで行ったのです。

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 20日(土)の夜、近くにある湯の川温泉で花火大会があると教えて貰いました。

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 今年は花火に行けていなかったので、長男には良い息抜きになったでしょうか。

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 翌、21日(日)は函館の朝市へ。

 朝から台風の影響で雨が降っており、帰阪できるのか心配しながら天気予報を見守っていました。

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 赤レンガ倉庫群も歩いてきました。

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 最近レンガづいているのですが、これらの倉庫もレンガ造りの壁に、木造の屋根が掛かっています。

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 レンガという原始的な材料を積み上げ、木造の屋根を掛けるという建て方が、大空間を作るに適していたのです。

 倉庫という用途から言えば、防火の意味合いも大きかったでしょう。

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 函館は坂の街ですが、この幅の広さは延焼を防ぐために整備されたものでした。

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 それらの坂を登ると、多くの教会が競うように建っています。

 こちらは函館ハリスト正教会で、日本最古のロシア正教の教会。

 後ろに見える、玉ねぎ型の屋根がロシア正教独特の建築様式です。

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 すぐ近くにはカトリック元町教会。

 祭壇はローマ法王から贈られたものだそうです。こちらはゴシック様式です。

 1853年にペリーが来航し、翌1854年に結ばれた日米和親条約により、箱館(当時)と下田の2港が開港しました。

 横浜・長崎よりも、最も早くに異国の文化が入って来た街なのです。

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 今でも多くの洋館が立ち並び、現役で使われています。

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 ベイエリアにある「カリフォルニアベイビー」はその走りのような店舗だそう。

 函館出身のミュージシャン「GLAYのメンバーもお気に入り」とどこかに書いてありました。

 今回は時間がなくてパス。

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 函館なので、海の幸と行きたいところですが、長男が海鮮嫌いのため、ラーメンとウニが食べれる店を探しました。

 行列が出来る名店、という感じではないですが、十分満足しました。

 日曜日は、3つの台風が日本に迫っていましたが、その間を縫って無事大阪に戻れたのです。

 函館で見ても、開国と共に様々な宗派の宣教師が来日し、布教を始めています。そして、一等地に教会を建てました。

 これらの積極性が、異文化との交流を生み、現実となったのが港町です。

 積極性と融合が、他の街と違う雰囲気を醸し出しているのです。

 路面電車に乗っていると、バックパッカーの女性が英語で訪ねて来ました。宿の場所を教えて欲しいと言います。

 私の適当な英語で、行き方を教えてあげ、運転手には「○○に着いたら、この人に声を掛けて」と伝えました。

 長男が「お父さん、あんなに英語がしゃべれて凄い」と言い出しました。

 これは英語が必要だと知って貰う大チャンス。

” Where are you from? ”

 と聞くと「タイランド」と言います。

 私が「バンコクには長く滞在したことがある」と言うと、「???」という感じになりました。そこで私達の駅に着きました。

” Have a nice trip!”

 と私達は下車したのです。

 「タイランド」と聞こえてのですが、もしかすると「タイワン」と言ったのかもしれません。

 それでも良いのです。旅の恥はかきすてですから。

フィンランドの旅② <アアルトと近代・現代建築編>‐1300‐ 

 前回は8月12日(木)の夜、フィンランド第2の街、タンペレに着いたところまで書きました。

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 8月13日(金)の朝、タンペレを発ったのですが、駅前通りには前衛的な建築物がありました。

 用途は分かりませんが、フィンランドにはこのような自由な空気があります。

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 髪の毛を、ピンク、グリーン、オレンジに染めている女性を沢山みました。

 良いか悪いかは別にして、タトゥーや全身にピアスを付けている若者が、とても多いのです。

 1時間半ほど電車に乗り、9時半頃ポリという街に到着しました。目的はアアルトの代表作、「マイレア邸」に行くため。

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 この日は残念ながらかなりの雨でした。

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 前日、セイナッツァロのタウンホールで会った、26歳の青年とも電車で再会しました。

 また、大分から来たという女性2人も同じ電車で、タクシーをシェアすることにしたのです。

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 「夏の家」は名作に多い、「小さいな」という印象でした。「マイレア邸」は全く逆。豪邸でした。

 1939年の完成なのでアアルト初期の代表作と言えます。

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 ガイドツアーを予約していたので、1時間程時間がありました。

 本降りになってきたので、この有機的なフォルムをしたポーチで、旅や建築の話をしていたのです。

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 玄関の小窓は繊細なデザインです。

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 いよいよガイドツアー開始で、ドアが開きました。

 玄関すぐにあったトップライトを撮りましたが、内部の撮影は不可とのこと。

 マイレア邸は、現在も実際に暮らしており、人が居ない時だけ公開されているようです。

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 正直、とても残念でしたが、絵画も、カンディンスキー、ブラック、ミロと本物が飾られ、見せて貰えるだけで有り難いと思わなければなりません。

 しかしやっぱり残念。

 この日は、ヘルシンキまで3時間半掛けて電車で戻ったのです。

 8月14日(土)も朝から雨で、昼からヘルシンキ市内を回りました。

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 市内西部にある、テンペリアウオキ教会は、岩をくりぬいて建てられて教会で「ロックチャーチ」と呼ばれます。

 スオマライネン兄弟の設計によって、1969年に完成しました。

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 内部は圧巻です。

 特別なしつらえなど無くても、岩の壁に囲まれ、全周から光が差し込めば、荘厳意外の言葉が見当たりません。

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 お椀のような屋根の周りが、360度トップライトになっているのです。

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 それを支えるのは、よく見ると薄い鉄筋コンクリートでした。

 あまりの薄さに目を疑いましたが、近代建築の粋を集めた空間と言えるでしょう。

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 市内中心部にも、現代建築の教会があります。

 カンピ礼拝堂は、設計事務所K2Sの設計で2012年に完成しました。

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 内壁、外壁とも木でできており、ロック・チャーチとは対極の素材です。

 しかし、コンセプトは非常に似ています。

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 何かを付け加える訳でなく、徹底的に削ぎ落としたデザインです。

 例えば、ミラノのドゥーモの装飾をみて、凄いと言わない人は居ません。反対にシンプライズされた建築には、様々な解釈が可能です。

 日本でも国立競技場の騒動があったように、多くの批判も起り得ます。

 2つの教会も、おそらく賛否両論があったでしょう。

 その中で、こうして実現に至っていることに、この国のデザインに対するキャパシテーを感じるのです。

 現在でも誕生100年という若い国で、北欧デザインの先駆者として活躍したのが、アルヴァ・アアルトに他ならないのです。

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 そのアアルトを巡る旅もいよいよ最終日になりました。

 残すはアトリエと自邸だけ。郊外の高級住宅街まで、トラムで20分程でした。

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 1956年完成のアトリエが見えてきました。

 私の心をもてあそぶように、曇ったり、晴れたりの一日でしたが、何とか日が差してくれました。

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 私にとっては一生に一回かもしれないアアルト巡礼なのです。

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 現在でも、アアルト基金の人達がこの製図室で働いていました。

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 当時はT定規。私にとっても懐かしい製図道具です。

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 そして、庭に対して湾曲した壁をもつアトリエは、羨みたくなるような空間でした。

 「ここで働いたら、いい仕事ができるだろうな」と。

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 誇らしげにアアルトデザインの照明が。

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 木製の模型もありましたが、この大きなプロジェクトになると、アトリエ一杯の模型が作られたようです。

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 ペンキ補修をしているお姉さんはご愛敬として、円形の庭へ目線が誘われます。

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 所員と家庭的な付き合いを望んだアアルトは、この中庭を屋外劇場として様々な用途に使ったそうです。

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 そして最後は、1935年完成の自邸です。アトリエから歩いて15分程。

 レンガの質感がすけるような白のペンキ仕上げは、アアルトの好んだ表現です。

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 アトリエが出来るまでは、ここが仕事場も兼ねていました。

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 アアルトが実際に、家族4人で暮らしたリビングです。

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 どう表現すれば良いのか、アアルトの優しさが溢れています。

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 建築、家具、照明等、彼の手に掛かれば、優しく、可愛げに、形を変えていきます。

 しかし決して過剰ではないのです。

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 長く、暗い北欧の冬を楽しく過ごすため、家具はカラフルにデザインされました。

 アルネ・ヤコブセンのアンツチェアやセブンチェアに代表されます。

 また光源が目に入らず、食べ物が美味しく見え、かつ部屋が明るくなるようにデザインされがのがPHランプ

 ポールヘニングセンの作品です。共にデンマーク出身。

 フィンランドはヨーロッパの北東端にあり、現在でも、国民は500万人程です。

 様々な国に支配された歴史もあり、誤解を恐れず書けば、弱小国家と言えます。

 その小国から、ヨーロッパ、アメリカと世界に影響を与えた、国民的デザイナーは皆の希望の星だったはずなのです。

 アアルトは、建築においては世界最高レベルにあるMIT(マサチューセッツ工科大学)で教員を務めたことがあります。

 しかし、最終的にはヘルシンキに戻ってきます。勝手な想像ですが、アメリカの空気、もっと言えばコマーシャリズムに合わなかったのではと思っています。

 優しさ、フィンランド、キャンティを愛したのがアアルト。とにかく空間が暖かいのです。

 この旅で一番感じたのは、目だった産業がある訳ではない、フィンランドのデザインは、日本の本気度をはるかに上回るものだと言う事です。

 もし、日本経済の裏付けがなかったとしたら、日本人建築家がここまで活躍できたのだろうかとも思うのです。

 そして、私がアアルトの空間が本当に好きなのだと確認できました。好きすぎて、最長の日記になってしまいましたが。

フィンランドの旅① <ヘルシンキ、ユバスキュラ編>‐1299‐ 

 8月11日(木)の現地時間の午後6時頃、ヘルシンキに到着しました。

 日本との時差はー6時間です。

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 飛行機からみれば「森と湖の国」は一目瞭然でした。

 山地のない風景は、私たちにとっては新鮮な景色です。

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 夜の長い北欧は夕方とは思えない明るさでした。

 ヴァンター国際空港から電車で30分ほど。ヘルシンキ中央駅に到着しました。

 駅舎は1919年、エリエル・サーリネンの設計です。

 旅行者を初めに迎えてくれるのはいつも中央駅。その街の印象として強く残るものです。

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 ヴォールト屋根のオーソドックスな様式ですが、それゆえ、100年の歳月を感じさせません。

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 チェックインの前に、さっと街中を歩いてみました。

 ヘルシンキの建築は、中世、モダニズム、現代建築が入り乱れています。

 歴史的には、ロシアやスウェーデンに統治され、ナチスの侵攻を受けたこともあります。

 1917年のロシア革命の際に念願の独立を果たした、非常に若い国なのです。

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 また、寺院建築もロシア正教のウスベンスキー教会。

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 ルーテル派のヘルシンキ大聖堂と多様です。このあたりも、歴史の痕跡と言ってよいでしょう。

 しかし、街から混沌とした印象は受けませんでした。

 結論を先に言うと、北欧のデザインに対する考え方が、非常に高いのだと実感しました。

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 アルヴァ・アアルトの作品からも見てとれます。

 中央駅を南に下るとすぐにある、1969年完成のアカデミア書店。隣両隣には、前時代の建築が建ちますが、違和感はありません。

 高さを合わせるだけではなく、美しく、優しいのです。

 西ヨーロッパの街並みが、保存を基本とするなら、共存を求めるのがヘルシンキの街並みだと感じました。

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 アカデミア書店にはトップライトが3つあり、下に向かってガラスが張り出しています。

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 冬が長く暗いため、光を求める工夫がいたるところになされているのです。

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 2階には彼の家具が使われている、カフェ・アアルトがありました。

 この日はここまでにして、ホテルに戻ったのです。

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 8月12日(金)は早朝から電車で、アアルト故郷、ユバスキュラを目指します。

 ユバスキュラはヘルシンキから北に300kmほどで、電車で3時間半。

 この街にはたくさんのアアルト作品が残っています。

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 まずはアアルト美術館。

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 内部は彼のデザインした家具の製作工程などが展示されていました。

 ここから次の目的地まで、路線バスに乗って30分ほど。

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 セイナッツァロのタウンホールに着きました。

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 本当に素晴らしいものでした。

 特に議会場は今まで経験したことのないものでした。

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 レンガのみで構成されて空間が、こうまで美しいものかと。

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 また、「ルーバーとは光源を見せずに柔らかい光を演出するためのものなんだよ」と語りかけてくるようです。

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 久しぶりに、夢中でシャッターを切ったのです。

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 そこから更にバスに乗って10分。湖のほとりを走ると「夏の家(コエタロ)」に到着しました。

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 25年前から、写真集では何度も見てきたこの作品。

 アアルトが夏を過ごす別荘として設計された、実験住宅なのです。

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 その証拠に、レンガ、タイルなど、様々なパターンで壁面が構成されています。

 私が設計したSpoon Cafeで、濃い青のワンポイントを入れたのは、この影響かもしれません。

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 この空間の上部に、中2階のような彼のアトリエが見えます。

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 吊り構造になっているため、柱がないのです。

 この床を持ち上げる軽やかなディティールも、何度も写真で目にしたもの。やっと本物を見ることができました。

 この技術自体は、全く難しいものではありません。しかし、実現するかは全く別の話です。

 松葉のような吊り柱が、床梁を挟み、吊り上げているのですが、僅かに隙間があるのが印象的でした。

 「隙間があってもいいんだ。挑戦することが大事なんだ」と、再び巨匠の声が聞こえてきます。フィンランド語はわかりませんが。

 納得、満足、反省など、複雑な気持ちで再びバスでユバスキュラの駅に戻ったのです。

 翌13日(土)は、「マイレア邸」のあるポリへ向かいます。

 ポリはフィンランド西端の田舎町らしく、中間点にあるタンペレで一泊することにしていました。

 駅のチケット売り場で、「窓際の席はあるか」と聞くと「とんでもない、乗れるかどうかわからない」のような感じなのです。

 「どんな席でもいいから」というと、何か言っているのですが理解できず、「問題ない」と伝えました。

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 どうもペット専用席だと言っていたようです。

 若い女の子のペットの彼と、なぜか2時間半向かい合わせの旅に。別に嫌な訳ではないですが。

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 タンペレはフィンランド第2の都市で、工業都市でした。

 サイナッツァロでもそうでしたが、煙突の多くがレンガで出来ています。

 この高さをレンガだけで作るのは難しいはずなので、おそらく鉄筋コンクリートの上に貼っているのだと思います。

 それでもレンガか、そうでないかでは全く印象が変わります。

 デザインといえば、実用的ではなく、コストがかかるものという印象が、日本にはまだ強く残っている気がします。

 しかし北欧では、テキスタイル(織物)であれ、家具であれ、建築であれ、美しくあるべきだという思想が、かなり強いのではないかと思います。

 その大きな理由がやはり、風土気候にありそうです。

 今回はここまでにして、続きは木曜日に。

最後の巨匠に触れる‐1298‐ 

今日から夏季休暇で、10:35の飛行機でフィンランドへ行って来ます。

フィンエアは国旗と同じ白と青の機体。青は湖や池、白は雪を表します。

フライトは約10時間。日本から一番近いヨーロッパとありました。

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フィンランドは北緯60度以北にあり、気温は最高気温が20℃くらいのようです。

日本で言えば3月くらいの感じでしょうか。このあたりは行ってみないと正直ピンと来ません。

フィンランド人は自分達のことを「スオミ」と呼ぶそうです。フィンランド共和国の別名はスオミ共和国。

スオミは湖や池を指します。国土の68%が森林、10%が湖沼や河川、8%が耕地。その名の通り森と湖の国なのです。

アイスランドに次いでの世界最北の国、消費税は概ね24%、ユーロが使えること位は調べましたが、それ以外は正直全く分かっていません。

私にとって、残された最後の巨匠、アルヴァ・アアルトの建築に触れるのが目的です。

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フィンランドの国民的建築家、アアルトの建築がどれだけ私に影響を与えたかは以前書きました。

彼はワインをこよなく愛したそうで、お気に入りはキャンティー。彼の建築が好きなのですが、それを知り、さらに親近感が湧きました。

私もワインはキャンティが一番好きです。ルビーのように色が美しく、飲みやすいが味わいがある。私が目指す建築もこのようなものかもしれません。

「これと、これと、これが見たい」と妻に伝え、ホテルを予約して貰いました。

その道中にある街をみるのも楽しみですが、行き帰りの飛行機が分かっている程度で、正直どこに行くか、もう一つ分かっていません。

ギリギリまで働き、飛行機の中で旅先の猛勉強。大体いつもそんな感じですが、今までで一番準備ができていないかもしれません。

それでも、知らない街におり立てるだけで良いのですが。

15日が月曜日で、現地からUPする予定です。良ければのぞきに来て下さい。

『住人十色』取材打合せの場面にて‐1297‐

 先週土曜日は、「阿倍野の長屋」へ行っていました。

 5月の見学会以来ですが、 今回は、毎日放送『住人十色』の取材打合せでした。

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 ご主人は仕事中で、まずは奥さん、ご主人のお母さんが、ディレクター、構成作家と打合せです。

 6月に、番組の方から連絡があり、その後、7月後半に取材決定となりました。

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 私が居なくても全く問題ないですが、クライアントから「出来れば立ち会って欲しい」と。

 3時間半同席させて貰いましたが、テレビとは本当に多くの時間を掛けて製作されているメディアです。

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 そうこうしているうちに、ご主人が戻って来てくれました。

 忙しいし仕事の合間を縫っての帰宅で、感謝しかありません。

 オンエアが終われば「とても良い記念になった」と言って貰えると思いますが、この時点では、負担と不安しかないはずです。

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 3ヵ月振りに会うお子さん2人も、初めこそ盛り上がってくれます。

 しかし、大人の都合ばかりで、間違いなく退屈。

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 お兄ちゃんはお気に入りの場所で、ゴロゴロして本を読み始めました。

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 すると、奥さんがプラバンをお子さんに渡し、兄弟はお絵かきを始めました。

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 それをオーブンで焼き、縮んだところを見計らって、すぐに分厚い本で挟みます。

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 少し冷ますと、プラバンキーホルダーが出来上がりました。

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 次男君が飽きてきたら、光庭のプールで水遊び。

 「これが一番長持ちするんです」と。

 全て、取材を受けながら、更に子供にご飯を食べさせながらです。

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 他人の私から見れば、広い視野をもち、てきぱきと神業のようでした。

 奥さん方はいつもこのような事をしている訳です。しかし、男は仕事に出て、普段それを見れないのです。

 改めて関心した男性は、今日、奥さんに感謝の意思を示しましょう。

 恐らく、私は一番出来ていない部類ですが。

 リサーチャーの方によると、「住人十色」には、年間1000から1500件程オファーがあるそうです。その中で選んで貰ったのは、とても嬉しいことです。

 番組のサブタイトルは「家の数だけある家族のかたち」。それが上手く伝われば良いなと思います。 

 放送は10月15日(土)の予定で、レポーターは、有名な女性タレントの方だそうです。

 どんどん宣伝して構わないとのことで、取材の様子も含め、追って報告して行きます。

言葉とは、尽きることのない魔法の源‐1296‐

 日曜日は大和郡山と天王寺へ行ったと書きました。

 丁度その間は、春日大社あたりを散策していました。

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 春日大社は20年に一度の、式年造替(しきねんぞうたい)が行われている真っ最中でした。

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 檜皮葺きの屋根は、1300年に渡ってのこの儀式が続けられてきた賜物です。

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 その式年造替だからか、奥の社でお参り出来るとのことでした。

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 日本の様式美は、連続によって成り立っているものが多々あります。

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 社の下にある空間は、真っ暗な中釣り灯篭に明かりが灯り、幻想的な空間になっていました。

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 「下の禰宜道(ねぎみち)」は、かつての禰宜(神官)の通勤路です。

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 この小路を春日大社から南へ下ること5分。

 高畑(たかばたけ)という社家町に出ます。古くは神官の居住地でした。

 その高畑は、大正から昭和にかけて、自然豊かで文化人あこがれの街でした。

 現在も、白樺派の志賀直哉邸が残っています。「暗夜行路」はここで書き上げた作品です。

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 志賀直哉本人が設計し、京都の大工に建てさせたというこの住宅。

 20年振りくらいに訪れましたが、本当に良い家です。

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 2階にある客間は庭を見下ろし、窓は北と東に向いています。

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 茶室は南に開口がありますが、深い軒が庭の景色をくっきりと切り取ります。

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 ディティールも、小説家の設計と言われると、本業としては困ってしまうのです。

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 特に、北側に面した書斎が素晴らしい。

 彼は、「書斎は北に限る」と言っていたそうです。

 開口の取り方が的確なのです。

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 基本は数寄屋建築ですが、食堂横には洋風のサロンがあります。

 ここに多くの文人、画家などが集ったのです。

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 この時代にこれだけの天窓は、あまり見たことがありません。

 自邸だからこそ出来たのかもしれませんが、娘はその下で熱心にアンケートを書いていました。

 この日は、一日娘と行動しました。金魚もゴッホも志賀直哉も、全て私の興味です。

 娘の主張は一貫しており、大体いつも「枚方パーク」か「USJ」。

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 娘をあれやこれやと誘っていると「鹿」でヒットしました。

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 「鹿にせんべいをあげれるなら行く」という話しになったのです。

 動機も大体こんな感じで、どこに連れていくのも詐欺みたいなものです。

 ハリーポッターの最終回で、アルバス・タンブルドアがこう言いました。

 ことばとは、言わせて貰うなら、尽きることのない魔法の源じゃ 

 魔法を駆使して、あちらこちらへと連れ出すのです。

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野外へ出て、顔を上げよう‐1295‐

 泉佐野市で、金魚を放流するというイベントが物議をかもしていました。

 生態系を乱すという論調でしたが、ネットを張るという対策をした上で開催されたようです。

 川に入って金魚のつかみ取り。子供たちは楽しかったはずです。

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 奈良の大和郡山市は金魚の産地として知られます。

 近くに行く用事があり、金魚資料館なるものをのぞいてきました。

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 この地域は、灌漑用の溜池が利用され、この産業が発展してきたようです。

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 金魚は、中国のフナが突然変異したものが起源で、日本には室町時代に渡ってきたとありました。

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 江戸時代、夏の涼をとるために天井に水槽をつくり、金魚を泳がせた豪商の話しが有名です。

 一般家庭で多く飼われるようになったのは、明治に入ってから。

 現代は夏祭りの主役といったところでしょうか。

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 資料館と言っても、珍しい金魚が水槽にいるだけでした。

 無料なので勿論何も言えないのですが。

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 オランダシシガシラ。

 しかし、まあ不思議な形をしているものです。

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 同じ系統だったか、ポニョみたいなのもいました。

 その後、奈良市を散策したのですが、帰りに大阪市立美術館に寄ってきました。

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 現在はデトロイト美術館展が開催中です。

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 娘が「20分なら付き合う」と言いました。

ゴッホ、ピカソ、モディリアーニ、カンディンスキーと充実していましたが、10点程観てきました。

 中でも、ピカソ、青の時代の少年の絵は、多くの人が立ち止まっていました。

 A4くらいの小さな人物画ですが、影のある少年の表情は、鬼気迫るものがあります。その目に射すくめられそう。

 たかが絵、されど絵。世界最高峰を見るのはやはり楽しいものです。

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 帰りに天王寺公園を歩いていると、なかなか面白いアトラクションができていました。

 単管で組まれた塔から、反対の塔まで、高さ10m程を滑空するのです。

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 子供2人が、凄いスピードで滑り下りて行きました。

 これはかなり楽しそう。高い所が苦手な私は遠慮しておきます。

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 公園内は、かなりの暑さにも関わらず、沢山の人が座っていました。

 話題の「ポケモンGO」をしているようです。でなければ、沢山の人が炎天下にいることは無いと思います。

 私はこういったゲームをあまり良く思っていませんが、これだけの人を外に連れ出す力があることに驚愕します。

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 地下街に降りると、縁日イベントを開催しており、本場、大和郡山で叶わなかった、金魚すくいも出来ました。

 娘はかなり満足して家に帰ったのです。

 ヒトラーがユダヤ人を迫害したのは、自身もその系譜にあるからという説があります。

 このような繊細な問題と比べるのは間違っているかもしれませんが、私がゲームやテレビをあまり好きでないのは、小さい頃に多くの時間を費やしたからだと思います。

 小学校からゲームウォッチを持っており、中学1年でファミコンを買って貰いました。テレビも大好きで、ビデオで予約録画をして、好きな番組は欠かさず見ていました。

 今でも気になる番組はいくつか観ますが、当時はその時間が長いほど、幸せだと思っていたのです。

 しかし、その膨大な時間を、もっと違った体験に使うべきだったと、今は後悔しかありません。

 週末の30分と決めていても、子供がゲームをしている姿を見るのが、やはり嬉しくないのです。

 できたらそれを忘れさせてるくらい、夢中になれる提案をしたいのです。

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 この縁日イベントでは、サイコロくじもあり、ゾロ目の2で娘が2等賞を当てました。

 これはラッキー。フラフープを貰いました。

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 子供は、こんな単純な遊びで、30分くらいは夢中になれるもの。

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 野外にでれば花も咲いています。そして空は無限に変化します。

 何があるんだろうと、いつも顔を上げていて欲しいのです。

 子供との真剣勝負の時間も、残り少なくなってきたことを実感しています。