タグ別アーカイブ: あべのハルカス

緑の線路は続くよ‐2019‐

地下鉄谷町線の阿倍野駅から地上にでました。

ちょっと雰囲気が違うなと思って振り返ると、仮設建築のようです。

張り紙に、「近隣建物の建築工事が始まるとこの出入口は閉鎖されます」とありました。

あたりを見回すと、商店街のアーケードともすでに縁が切れています。

時代とともに、街も駅も変化を求められるのです。

出入口のすぐ横に、「舞昆」の店舗がありました。

大阪名物にも関わらず、つい最近までその美味しさを知りませんでした。

箸が止まらず、絶賛お気に入り中です。

あべの筋の中央には阪堺電車の阿倍野駅もあります。

少し時間があったので、ホームからのぞいてみました。

何と言っても電車が近い。

なかなかの迫力です。

ハルカスのすぐ横にある、終点の天王寺駅前に向かって行きました。

良い景色だなと思いながら見ていると、昔と何だか違う?

昔はこんなところに緑は無かったはず。

線路に沿って緑化されています。最近のことでしょうか。

あべのハルカスの反対側、南に向かって歩いてみました。

阪堺電車は明治時代から大阪市民の足となってきました。

こんなレトロな電柱も年輪を感じさせます。

阿倍野駅の南側は、まだ緑化はされていませんでした。

こちらの方が見慣れた景色ですが。

夜明けが早くなってきたなと思っていたら、昨日は夏至でした。

都会のど真ん中で、植物にとって厳しい環境です。

それでも、この時期の雨と強い日差しを受けて、緑はより鮮やかになっていくでしょう。

現在は限られた区間だけのようですが、線路の緑化計画は大賛成。どんどん進めて貰いたいものです。

『線路は続くよどこまでも』 作詞・作曲:アメリカ民謡

線路は続くよ、どこまでも

野を越え 山越え 谷越えて

遙かな街まで 僕たちを

楽しい旅の夢 繋いでる

久し振りに、頭の中でこの歌が流れました。

人生にもよく例えられる線路。

それが緑の線路なら、なお素晴らしいことです。

この試み、最も線路が長いJRでもぜひ挑戦して欲しいものです。

厳密に言えば近鉄の方が長いかもしれませんが。

実現したなら、少しくらい遅延は許してさしあげますので。

『建築家・守谷昌紀TV』 ■

■■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演
■■6月9日 『住まいの設計チャンネル』 「おいでよ House」公開
■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

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巨匠の愛した、あべの近鉄村をちょっと歩き‐1976‐

今日は123の日。

本日、故アントニオ猪木さんが、従四位・旭日中綬章を授与されるという記事を先日読みました。

勿論のこと「イチ・ニー・サン・ダーッ!」にちなんでのことです。

よって昨日は122となりますが、阿倍野に買物へでていました。

妻があべのキューズモールに寄りたいと。

これは2009年5月の写真ですが、このあたりは再開発によって本当に大きく変わりました。

大阪で唯一の路面電車が、キューズモール東のあべの筋を走ります。

はす向かいはあべのハルカスですが、こちらは近鉄百貨店の本店が入っています。

その南にはあべのHoop

さらに南にはあべのandが。

ともに近鉄が母体となっているので、この界隈はまさに近鉄村なのです。

妻に何が食べたいか聞くと「滅多に食べないからラーメン」と。

長男がなかなかのラーメン好きで、富雄の人気店「みつ葉」がHoopのフードコートに入っていると聞いていました。

Webサイトを見ると「泡系ラーメン」となっています。

こちらは塩ラーメン。

こちらはしょうゆラーメン。

麺は太目で、泡だったスープは濃厚。

チャーシューはレア気味でした。

メンマもフレッシュなタケノコといった感じ。

1杯950円は安いと本田圭佑選手には怒られそうですが、適正かなと。

ラーメンを語るほど知識はありませんが、しょうゆは天下一品系の味でしょうか。

勿論のこと大変美味しゅうございました。

前近鉄百貨店本店は近鉄グループとゆかりの深い、村野藤吾の設計でした。

日本を代表する巨匠ですが、村野の仕事場がこの界隈に残っています。

現在はカフェとして再利用されているのです。

席が埋まっていたので、またの機会にしようと思いますが、中庭を望む景色を少し感じることができました。

手摺なども有機的なフォルムが、らしさを感じさせます。

何気ないところに、何故だか差異があるのです。

ウロウロしていると、昔よく来ていたお店もまだ残っていました。

天王寺は創業の地なので、いつ来ても懐かしいのです。

この道の狭さや下町感は、キタやミナミにはないものです。

村野もこの地を愛したから、ここにアトリエを構えたのだと思います。

淀屋橋か天満橋あたりあっても何の不思議もありませんし、たしか自宅は宝塚でしたから、ここまで通っていたことになります。

再開発も良いですが、この雑多な町が残ることを心から願うのです。


■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載

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小善は大悪に似たり‐1641‐

 前回は、二上山からの写真を何枚かUPしました。

 大阪平野を見下ろすと、目につく建物が色々あります。

 市内なら、やはり現在高さ日本一のあべのハルカス。

 左端は弁天町の大阪ベイタワー。元、オーク200です。

 南を見れば、富田林にあるPLの塔でしょう。

 遙か先にあるのがりんくうゲートタワービル。

 PLの塔はパーフェクトリバティー教団の平和記念塔ですが、ポツンと建っているのでよく目立ちます。

 先日近くを通ると、大規模な改修中のようでした。

 淡路島にある巨大観音像が荒れ放題という記事がでていました。

 維持するということは愛情に等しく、相応の覚悟がいるものだと肝に銘じておかなければなりません。

 そのPLの塔から西に行2km程行った所にあるのが狭山池。

 2009年の11月に訪れました。

 PLの塔と狭山池博物館の間に、小さく二上山が見えています。丁度見返している感じのアングルです。

 大阪に暮らして半世紀ですから、自分の居場所を見失うことはなさそうです。

 マガモの写真が残っていました。

 この時期、ため池には沢山の渡り鳥がやってきます。

 先日の朝、近所をジョギングをしていた時のこと。

 数羽のハトが、何かをついばんでいました。

 ハトは平和の象徴と言われるくらいですから、何となく穏やかな気分になります。

 ちょっと近づいてみると、更に数羽のハトが飛んできました。

 そうこうしているうちに、大群のハトが舞い降りてきて、取り囲まれてしまいました。

 鳥の祖先は恐竜とも言いますし、ハトとは言えちょっと怖いくらいだったのです。

 どうやら、朝ここでエサやりをしている人がいるようです。

 IBMの社是には、以下のような話が載っているそうです。

 北国の湖の畔に心優しい老人が住んでいました。湖には毎年雁の群れが飛んできて冬を過ごします。優しい老人はいつとはなしに餌を与えるようになりました。

 来る年も来る年も老人は餌を与え続け、雁の群れも越冬の糧とするようになりました。

 ある年、雁の群れが老人に餌を貰おうと水辺で待っているのですが、老人はいつまでたっても現れません。すでに亡くなっていたのです。

 その年に寒波が襲来し、湖が凍結してしまいました。老人が現れるのをひたすら待ち、自分達で餌を捕ることを忘れた雁たちはやがて皆餓死してしまったのです。

 社是には「IBMではこのような社員の育て方をしません」と書かれているそうです。

 京セラの名誉会長の稲盛和夫さんから教えて貰った話ですが、ここから「小善は大悪に似たり」という考えに行きついたそうです。

 著書等にはここまででしか書いてありませんが、実際の講話では「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」といつも言われていました。

 大善は非情に似たり

 そうでなければ、誰もがガンジーでマザー・テレサなので、心から納得できます。

 この都会で、ハトにエサをやらずともそう餓死することはないはずです。

 「あげる」という行為には、生への敬意が含まれていないといつも感じるのです。

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『大改造!!劇的ビフォーアフター』7月21日(日)BS朝日で「住之江の元長屋」再放送
『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました
『homify』5月7日「碧の家」掲載
『houzz』4月15日の特集記事
「中庭のある無垢な珪藻土の家」が紹介されました
『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載
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ペリ追悼「建築は建築家よりも大切で、都市は建築より大切なもの」‐1625‐

 前回は、秋分の日に国立国際美術館を訪れたことを書きました。


クリムトが目的でしたが、ペリ逝去の記事をみて、建物を撮りたいという気持ちもあったのです。

 しかし月曜日は小雨まじりの曇天。

 本日、梅田へ出るついでに再撮影してきました。

 人様の作品に、どれだけ時間を使うんだという話もありますが、ペリ追悼の意を示したつもりです。

 この金属細工は、日本の竹林をイメージしたものと語っていたと思います。

 この館は元々万博記念公園にありました。

 1970年の大阪万博で集まった美術品等を保管するのが目的だったそうです。

 移転した現在の館は2004年の完成で、大部分が地下となっている珍しい美術館です。

 トップライトのすぐ下、地下1階のホールには、大きな陶板らしき抽象画が展示されています。

 係員の人に「レプリカですよね?」と聞くと、「いえ、万博の開催時には大阪ガス館に飾られていた、ジョアン・ミロの作品なんですよ」と。

 これだけ大きな陶板壁画はなかなかありませんし、まさか本物とは。

 ここは誰でも入れるゾーンなので、とても得をした気分になるのです。

 地下鉄肥後橋駅に行くために、土佐堀川に掛かる「ちくぜんはし」を南に向かって渡ります。

 そこから東側を見ると、フェスティバルホールの並びに建つのが、2002年竣工の中之島三井ビルディング。

 土佐堀川と堂島川に挟まれた一等地です。

 阪神高速から見える「TORAY」のロゴが入った、格好の良いビルと言えば分かる人も居るでしょうか。

 こちらもペリの作品ですが、これ程美しい高層ビルはそうありません。

 旧中之島三井ビルディングの縦ラインが強調されてデザインを踏襲したといいます。

 ガラスのカーテンウォール、閉じた壁面、曲面、直線と、贅沢過ぎる程の材料を使っています。

 それらを、上品にまとめ上げるところに、ペリの類まれなる能力を見ることができるのです。

 OBPにあるクリスタルタワーと共に、高層ビルの傑作だと思っています。

 アルゼンチン生まれの建築家、シーザー・ペリは今年の7月に亡くなりました。享年92歳。

 イリノイ大学建築学部大学院修了し、エーロ・サーリネン事務所へ。

 サーリネンと言えば造形の美しいJFK国際空港のTWAフライトセンターが有名ですが、現在はホテルにコンバージョンされているようです。

 その後、いくつかの設計事務所を経験して、1977年シーザー・ペリ アンド アソシエイツを設立(後にペリ クラーク ペリ アーキテクツに変更)。

 同時にイエール大学の建築学部長も務めます。そして1995年AIAゴールドメダルを受賞。

 プリツカー賞こそ受賞していませんが、エリート中のエリートなのです。

 2001年に会館したNHK大阪放送会館も日本設計との共同設計者という役割です。

 しかしこのダイナミックなガラスドームは、ペリが主導したものではと想像しています。
 
 ペリはデザイン・アーキテクトという仕事を、自らの手でつくり上げたのです。

 また2014年に開業したあべのハルカスでは外装デザインに携わりました。

 「都市は建築よりも大切で、建築は建築家よりも大切なのだ」

 これは、ペリの日本法人代表を務める、光井純さんがペリから学んだ言葉として語っています。

 またイエール大学の教え子で、後に2人で事務所を開くことになるフレッド・クラークに、ペリはよくこんな話をしたそうです。

 「まだ名声が確立していないエーロは、デザインがプロジェクトごとに異なっていることへ対して非難を受けた。

 当時の建築家はスタイルを持つべきだと考えられており、敷地ごとに特化したデザインは認められていなかった。

 敷地の形状特性や歴史文化があるので、その個性をしっかりと読み取って、その場所にふさわしい形を作り上げるのが建築家の仕事である」

 初めに勤めたエーロ・サーリネン事務所での経験です。

 我が町と言ってよい、天王寺に日本一高い高層建築ができると聞き、何度か否定的な意見を書きました。
 
 あの密集した土地柄に、いまでも高層建築が必要だったとは思っていません。

 しかし建築は常にそこに存在しますし、時間と共に風景となります。

 そう考えた時、あべのハルカスが美しいことは間違いのないことであり、高層建築の外観にここまで拘り、一生をささげた建築家はそういないはずです。

 敷地の長所を探し出し、それぞれのクライアントの未来の幸せを形にするという私のポリシーは、僭越ながらペリと全く同じです。

 長年、実仕事に揉まれるなかで私もここにたどり着きました。また、そうであるから創造性が枯れることもありません。

 建築家が建築の上にくることなど勿論あり得ません。いつも思うことですが、一流の人は常に柔らかく謙虚です。

 ペリに追悼の意と、これらのことを再認識させて貰ったことに心から感謝を捧げたいと思います。

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『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
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『homify』5月7日「碧の家」掲載
『houzz』4月15日の特集記事
「中庭のある無垢な珪藻土の家」が紹介されました
『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載
「トレジャーキッズたかどの保育園」
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