「なにわ七幸めぐり」をしよう‐1767‐


 昨日こんなメールが届きました。

 Best of Houzz 2021 のご受賞おめでとうございます!

 「全世界の Houzz 専門家のうち約3%の方々にしか授与されないこの特別な賞」とあります。

 Houzzは建築の専門家紹介サイトです。

  当社の受賞写真はこちら。

 「中庭のある無垢な珪藻土の家」のキッチン横からの写真です。

  他の受賞写真をみると格好よいものばかりなので、「当社にも、もっと格好のよい写真があったのに」と思ったり、思わなかったり……

 しかし実際の特徴はもっと違ったところにあります。実は、昨年もこの写真で
「Best of Houzz 2020」を受賞しているのです。

 2年続けて上位3%に入ったということで、これはもう自慢してよいことのような気がします。

 

 先日、建築士の定期講習を受けた会場が、太融寺のすぐ近くでした。
 

 昼休みに少し歩いてきました。

 「なにわ七幸めぐり」という立て看板があります。

 心願成就とある、四条畷神社だけは行ったことがありません。

 太融寺は無病息災。人類が今最も欲しているもので、何ともタイミングがよい。

 都会の真ん中にある神社はとかく見下ろされがちなのです。

 

 名前も、場所も知っていましたが、境内に入ったのは初めてかもしれません。

 

 経車(マニ車)がありましたが、ネパールからの寄贈とあります。

 中にお経が納められているので、一回まわすとお経を一巻お唱えする功徳があるとありました。

 

 北西角には「淀殿之墓」がありました。

 大阪夏の陣の際に秀頼と自害したとされますが、豊臣家とゆかりのあるこの寺に移ってきたようです。

 信長を裏切り鯖街道を退却させてた浅井長政の長女なので本名は浅井茶々。

 母親は絶世の美女と言われた、信長の妹お市の方で、美しい人だったのでしょう。
 
 戦国時代の真っ只中を生きますが、後半生は苦難が重なります。

 秀吉が切望していた長男、鶴松を早くに亡くし、また秀吉亡き後は、つねに頼りなく描かれる秀頼とともに自らの命を絶った人生は、どのようなものだったのか……

 「なにわ七幸」の看板を意訳してみます。

①勉強ができる
②運がよい
③願いがかなう
④芸事、技術が上達する
⑤健康
⑥仕事がうまくいく
⑦家族の仲がよい

 冒頭に、「もっと格好のよい写真が……」と書きましたが、反対の意味も込めています。

 なぜこの写真が、2年も支持されたのか。

  「見せたいもの」と「見たいもの」は違うということだと思います。

 プロ側が「格好いいでしょう」と思っていても、多くの「幸せな家を建てたい」と思っている人は、もっと役に立つ、もっと快適に暮らせるヒントを真剣に探しているのです。

 「Best of Houzz 2021」でも、圧倒的に格好のよい写真の方が多いので、全てがこの基準だという訳ではありません。

 便利で効率のよいものだけを求めるなら、私の出番はないので、この両立を追求することが私の生きる道だと思っているのです。

  勉強ができ、運がよく、願いはかなえ、芸事が上達、健康で、家族の仲がよいから、商売がうまくいく。

 今年は「なにわ七幸めぐり」をしようかなと思います。

■■■12月28日発売『suumoリフォーム(関西版)』にインタビュー記事掲載

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【News】
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■9月11日発売『リフォームデザイン2020』「回遊できる家」掲載
■5月16日『homify』(英語)の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■5月10日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行に巻頭インタビュー掲載
■2月13日 『Best of Houzz』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

着こなし、住みこなし‐1766‐

 

 昨年秋のことですが、「黒壁の家」を訪れました。

 南から日を受けてマッシブ(塊的)な外観が青空に映えています。

  2014年完成ですが、敷地がかなり特徴的でこのようなプランになりました。

  下が南ですが、建物は南に対してどう開くかが重要です。

 西側正面からの外観は、当社の作品の中でも「格好いいランキング」を付けたなら、かなり上位に入ると思います。

 正面は来客用の駐車スペースで、その横にある自転車置場の屋根が、この建物の印象を決定づけていると思います。

 計画の当初、奥さんは「私あまり植物を育てるのが得意じゃないんです」と。

 それなら「そんなに水やりを気にしなくて良い方法を考えます」と提案したのが、この屋根の開口部です。
 

自転車置場の屋根が全てここに落ちるよう考えたもの。



 現場へ出したスケッチが図面に貼り付けてあります。

 その効果があったのかなかったのか。ブルーベリーは立派に育っていました。

 いずれにせよ、結果良ければ全て良しなのです。

 室内も、とても美しく保たれていました。

 庇の位置、大きさも入念に検討しました。

 人は感情に左右されますが、太陽の動きは常にルール通り。

 
 旗竿敷地に、F型プランはとても相性が良いのです。 

 久し振りに寄せて貰ったのですが、家族が増えていました。 

 これだけ好きな色が統一されていると気持ち良いのですが、まさかワンチャンの毛色まで一緒とは。

 奥さんが「守谷さんが、好きな色があるなら合せていくのもひとつの方法ですと言っていたので」と。

 言うは易し、行うは難しなのです。 

 中庭にあるのはイロハモミジです。

 

 とても良い感じに育っていましたが、お隣との目隠しは、正面の窓に対してだけでした。

 出来ればもっとプライバシーを保ちたいとのことで、建築会社と一緒に訪問したのでした。

 その塀が完成したので遊びに来て下さいと声を掛けて貰い、土曜日に再訪しました。

 打って変わって雨模様でしたが、晴れ空とは違った趣があります。

 この日は、ご主人、お子さんとも会えました。

 完成時は3歳だった娘さんが小学5年生。お兄ちゃんは中学2年生で、見違える程背が高くなっていました。

 近況報告を兼ねて、ご夫妻と色々な話をしていましたが、「近所の人は、中がどうなってるんだろうと思っているみたいですよ」と言う話が一番面白かったです。

 あっという間に1時間半が経ち、昼ご飯前には失礼することにしました。

 

 帰り際、服や靴が大好きなご主人のコレクションを見せて貰ったのですが、さらに充実度が増しています。

 建物に拘りのある方は、おしゃれな方が多いのですが、ファッションなら「着こなし」という表現があります。

 ご家族の為だけに設計しているので、必ずフィットすると思っていますが、その表現を借りるなら、「住みこなし」というの言葉がぴたりとくるかもしれません。

 拘りはあるが、良いと思えば人の意見も素直に聞ける。そういったご夫妻のキャラクターが、この幸せの景色を作っているんだろうな、などと考えていました。

 物創りこそが我が人生です。

 「さあ現場!」と気合を入れ、そのまま移動したのです。

■■■12月28日発売『suumoリフォーム(関西版)』にインタビュー記事掲載

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【News】
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■9月11日発売『リフォームデザイン2020』「回遊できる家」掲載
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■2月13日 『Best of Houzz』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

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建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

一発合格したければ‐1765‐

 「大阪のど真ん中」と言われれば、思い浮かべる場所はそれぞれだと思います。

  私にとっては「阪急前」「阪神前」あたりでしょうか。

 阪神百貨店前にある「梅田換気塔」は、大阪が誇る建築家、村野藤吾の代表作のひとつ。1963年の完成です。

 ラビリンスと言われる、梅田地下街のシュノーケルのようなもの。有機的なデザインを得意とした村野の真骨頂と言えるでしょう。

 建築設計を仕事とするなら、必要になるのが建築士資格です。2010年以前なら一度取得すれば一生使える資格でした。

 しかし2004年に起こった構造計算偽装問題から信頼が失墜。ということで3年に一度、定期講習を受けなさいとなったのです。

 そのお勉強と終了考査を受けに梅田にやってきました。

 左手にHEPナビオを見ながら、扇町通を東へ向かいます。

 東隣にあるOSビルも、同じように舳先のようなフォルムが特徴です。

 東通商店街の入口と言えば分かり易いかもしれません。

 東へ歩いていると、歩道を仕切り、ゴンドラに作業員が乗り込んでいるところでした。

 見上げると遙かかなたに、ゴンドラを吊るすアームが見えます。

 2010年完成の富国生命ビルは、フランスの建築家、ドミニク・ペローの設計です。
 
 最新の技術が投入されたインテリジェンスビルでも、やはり人力に頼るところは頼るしかないよう。高所が大嫌いな私は、見ているだけで身震いしていました。

 お初天神通りを右手に見ながら更に東へ。

 新御堂筋と交差するところで横断歩道が途切れており、地下に降りました。

 泉の広場から泉が消えたのはいつだったか。

 正直、以前の方が雰囲気があったかなと思います。色々な意味で……

 オフィスビルの8階が会場でしたが、こういった講習は資格試験予備校が請け負っていることが殆どです。

 建築士資格用の教室らしく、様々な貼り紙が見えます。

 勝ちたいという思いが強いほうが勝つ!!

 「絶対合格」という強い気持ちを!!

 初志貫徹  言いわけ無用

 こちらは、プロとアマの違いを書いたロングバージョン。

 成功し続ける

 変化がなければ人生なにも変わらない

 撮り忘れてしまいましたが、1日1%成長し続ければ1年で37倍成長できるというものもありました。

 予備校ですから、モチベート、アジテートしてくれる場所と言ってよいでしょう。そういう意味では、これらの貼り紙を見るのはかなり楽しかったのです。

 昨年、コロナの影響もあって、初めて建築士試験の監理員を務めました。
 
 広い意味では後輩のようにも感じるので、スターバックスの元CEO、ハワード・シュルツ言葉「耳に痛い意見にヒントがある」を紹介したのです。

 もう少し踏み込んで、勉強と仕事の違いも書いてみたいと思います。

 正解があるのが勉強。答えはないのが仕事。

 これが私の持論です。「答えがない」というのは、これをしておけば間違いないという、絶対的な正解がないという意味です。評価はクライアントが下すものなので、パーソナリティ、環境、時間軸によっても変わって当然です。

 答えのない答えを模索していくことこそが、仕事の醍醐味と言って良いのかもしれません。

 また、本気の目的を持っていれば、他人にモチベートして貰う必要も、アジテートして貰う必要も全くありません。イチロー選手は現役時代「モチベーションが落ちることはない」とはっきり言っていました。

 「世界で一番多くのヒットを打ちたい」が目的なら、モチベーションが落ちることがないのは当たり前です。

 あとは自分に相談せず、他人に左右されず覚悟を決めるだけです。

 今年の受験者がこの日記を読んでいる可能性は低いと思いますが、一発合格したければ、間違っても「一級建築士試験は難しい」などという言葉は使わないことです。

 その声は一番近くで、自分の脳が聞いているからです。

 これは私が通ったから言う訳ではありません。私の登録番号は、確か27万番代だったと思います。
 
 何年掛けての番号かは知りませんが、難しい資格に何十万人も通る訳はありませんから。

■■■12月28日発売『suumoリフォーム(関西版)』にインタビュー記事掲載

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光と言葉‐1764‐

  
 12月は師が走り回るから師走。

 1月は近しい人達が集まり、仲睦(なかむつ)まじいから睦月(むつき)というのが有力な説だそうです。全く知りませんでした。

 クライアントの皆さんも、今年は親族の集まりなどは控えたという方が大半でした。来年こそは睦まじい本当の睦月となることを願います。

 今日は晴れた割には温かい朝でした。

 冬至から1ヵ月程経ち、日の光も少し強さが増してきました。

 土曜日はクライアントとの定例打合せが2件あったので、先に現場回り。

 残念ながら日が差しておらず、脱型後初めて訪れた「打放し H型プランの平屋」の美しさがもうひとつ伝わらずで……

 などと思っていると、雨も降り始めました。

 ずぶ濡れになる前に数枚撮影し、建物内に入ったのです。

 木造や鉄骨造と違い、鉄筋コンクリート造は強度がでるまでに時間が掛かります。

 それで、このようなポストの森となるのですが、これはこれで現場らしい雰囲気があります。

 まだ水分を多く含んでいるコンクリートは黒っぽく、まるで御影石のような美しさと光沢があります。

 「地球の歩き方」よろしく、もし「現場の歩き方」を出版するのなら、この構造体なら、どのタイミングで現場へ行けば、こんな景色を見れますと、かなり正確に予想することができます。

 そうこうしていると、南の開口から日が差してきました。 

 現場は、まだ窓の無い粗削りな空間だからこそ、ハッとするくらい美しい瞬間があるのです。

 急いで足場を登り、再度撮影。

 少し日が差すだけで、随分と印象がかわるものです。

 午後に移動した「The Longing House」も、南から日を受け、平屋部のフォルムがはっきりしてきました。

  25畳程あるLDKはトップライトを備えています。

 最後の最後まで、採用と不採用を揺れていましたが、施工できるギリギリのタイミングで、採用が決定しました。

 クライアントは「やっぱり採用して良かった」と。

  

 昨日、中学生の娘が卓球の大会で3位になったとメールがありました。

 この状況なので観戦は不可。よって詳細は娘から聞くしかありません。小躍りするように会社を出たのです。

 お祝いの為、久し振りにシャンパンを買って。(勿論、私が飲むため)


  近代建築の巨匠、ル・コルビュジエはこんな言葉で建築を語りました。

 建築は光のもとで繰り広げられる、巧みで正確で壮麗なボリュームの戯れである。

 旧約聖書の冒頭には「光あれ」とあるそうです。また、新約聖書の冒頭には「初めに言葉ありき」とあるそうです。

 光と言葉。

 健全で、幸せな暮らしに最も必要なものはこの2つかもしれません。

 建築設計とは哲学すること。探求の旅には勿論終わりはありません。

■■■12月28日発売『suumoリフォーム(関西版)』にインタビュー記事掲載

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蜃気楼とレンブラント考‐1763‐

 年始から、あっという間に2週間がたちました。

 2度目の緊急事態宣言もあり、落ち着かないところもありますが、するべきことを粛々と進めるだけです。

 寒い日が続きましたが、昨日今日と幾分寒さが緩みました。

 建築設計の仕事は、大きく分けると3つの段階があります。

①企画提案から基本設計

②実施設計と見積り調整

③現場監理

 この他に「建築確認申請業務」等もありますが、概ね各プロジェクトは、3つの段階に分散しています。

 ①②はアトリエにて、③は現場へ。

 現場も増えてきたので、2008年から「現場日記」として独立したブログとしたのです。

 車で行く場合も多いのですが、景色的には電車よりも変化があります。

 天満橋から中之島を見返す景色は、水都大阪らしいもの。

 一本西の天神橋筋も目に楽しい通りです。

 関テレ本社とハトのシルエットがなかなかのものでしょうと自画自賛。

 もう少し北へ行けばJR天満駅あたりのガードをくぐります。

 安くて美味しい店が沢山あったなと、若干懐かしい気さえしてくるのです。

 晴れの日ばかりではないので、普段から日記用にパシャパシャ撮るのが習慣になっています。

 その甲斐あってか、年始の東京行きでは蜃気楼を撮影できました。

 広辞苑で蜃気楼を引くとこうあります。

 地表近くの気温が場所によって異なる時、空気の密度の違いによって光線が屈折するため、地上の物体が空中にう案で見えたり、あるいは地面に反射するように見えたり、遠方の物体が近くに見えたりする現象。砂漠・海上、その他空気が局部的に、また層をなして、温度差をもつ時などに現れやすい。富山湾で春に見られるのが有名。

 これまでに蜃気楼の写真は、2回UPしていました。

 1回目は2014年9月15日の琵琶湖

 2回目は2019年1月10日の相模湾です。

 どちらも、実際の景色は素晴らしかったのですが、写真でみるといまひとつで……

 今回は、はっきり写っていました。

 千葉側の工場地帯の景色だと思いますが、東京湾はよく蜃気楼が見れるのでしょうか。

 タンカーも完全に浮いており、私的には納得の写真です。

 光と空気の織りなすショーは儚く、美しいものでした。

 『自画像』 1658年

 その日あったこと、あるいは感じたこと考えたことを形に残さなければ、何もなかったことと同じになる。

-レンブラント- 画家

 もしこの日記を書いていなければ、写真を撮る張り合い、メモを取る頻度、もっと言えば全てのことに対する興味まで、全く違ったものになっていたかもしれません。

 そう考えると、オランダ史上最高の画家、レンブラントにも少し胸を張って「それだけはやってます」と言えそうです。

 ただ、日々劇的なことが起こる訳ではないので、日常の風景をどう切り取るかで、何かしらの「論」を書くことは出来ると思っています。

 大切なのはカメラ位置とアングルです。

 小さな説を書くのは小説家。

 建築を創るのが建築家。

 小さな論を勝手に唱えるので、小論家とも言えます。

 何かを誰かに伝えたい、分かち合いたいという気持ちは、おそらく本能ですが、だからと言って、勝手にその能力が向上することはありません。

 レンブラントが極めて美しい光を描けるのは、そのことを誰より分かっていたからだと、その言葉が物語ってます。

 光の画家の作品が中之島の国立国際美術館に来ています。何とか時間を作って訪れたいと思っているのです。

■■■12月28日発売『suumoリフォーム(関西版)』にインタビュー記事掲載

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
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アトリエmの現場日記

人生は総懺悔‐1762‐

 今日は成人の日ですが、式典の延期や中止の報道もありました。

 新成人の方々は忸怩たる思いだと思いますが、まずは生きていればこそ。その忍耐は、必ず活かされる時がやってくると思います。

 彼らだけでなく、今は我慢の時です。

 年末のことですが、大坂七墓のひとつだった長柄墓地(現在は大阪市設北霊園)に立ち寄る機会がありました。

 昨年は梅田墓地の発掘調査の話も取り上げましたが、現代の大阪の真ん中に、これだけ大きな墓地があるのかと驚きました。

 それでも往時の2/5の規模だそうです。

 お盆あたりと年始くらいは毎年墓参りに帰っていたのですが、今年も難しいかもしれません。

 年末から画像だけ上げていた、12月28日発売の『suumoリフォーム(関西版)』

 内容には触れていませんでした。

 今回、作品掲載はないのですが、「満足度アップのために、デザイン力のある会社を選ぶコツ」という私のインタビュー記事が掲載されました。

 一昨年発売された『suumoリフォーム 実例&会社が見つかる本 関西版』 では「回遊できる家」が掲載されました。

 その取材に来てくれたライターさんが「守谷さんの話しが、フラットで分かりやすかったから」と編集部に推してくれたようです。

 お代を頂いての取材は、やはり光栄なことです。

 ところが発売の少し前に、編集部から「suumoリフォーム情報誌シリーズを休刊します」という案内が届きました。

 よって今回が最終号なのです。

 私は紙媒体が大好きですが、web全盛の時代になり、さらに非接触が加速する中、時代の変化は誰にも止められません。

 これは他人事でなく、自分達も進歩、変化していかなければ、時代の藻屑と消えてしまうのです。

 紙媒体と言えば、年賀状も減る一方というニュースばかりです。

 アトリエmとしては、お世話になった方々に、「一所懸命に頑張っています」という報告のつもりで、出来る限り出すようにしています。

 今年の作品は結構迷いましたが、年末にUPしたばかりの「ときめく紺色の家」にしました。

 家族用は、夏の八ヶ岳行きにしました。

 高槻中学、高校の同窓会の幹事を引き受けているのですが、昨年末の開催予定が、この状況でひとまず1年延期しました。

 恩師や同級生からの年賀状にも、同窓会に関してのコメントをいくつも貰ったのです。

 「オリンピックもどうなるか分からないので、難しそうですね」

 「楽しみにしているので、是非開催してください」

 概ねのこのような意見でしたが、こんなコメントもありました。

 「考え方を変えて、デイキャンプ形式にしてみてはどうですか?」

 なるほど、そんな考え方もあるのかと思ったのです。

 秋までには方針を決めなければなりませんが、私なりに全力で判断しようと思います。

 幹事をしている関係から、『高槻の歩み つたえる・つながる・つくる』の編集部から、昨年の夏にお亡くなりになった、澤田先生への追悼メッセージを貰えませんかと連絡を貰ったのが10月のこと。

 こちらは年末に冊子が届きました。

 悪かった自慢をしたい訳ではなく、素直に澤田先生へ気持ちを綴ったつもりです。

 中学1、2年の担任だった澤田先生は国語の中でも古文が専門でした。

 源氏物語、方丈記、徒然草と、当時はろくに授業も聞かずで、成績も最低。

 何故あれ程魅力的な古典を、しっかり澤田先生から学んでおかなかったのか……

 行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。 

 たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。

 『方丈記』 鴨長明

 川の流れはとどまることなく、元のままということはない。よどみに浮かぶ泡は、消えたり、生まれたりで長くとどまることもない。この世の人も住みかも同じようなものである。

 美しい都に軒を連ね、住まいで格を争う、身分の高い人も、低い人もがいるのはいつの世も変わらぬものだが、昔からある家は稀である。ある家は去年焼けて今年新築してある。大きな家はなくなり小さな家となっている。住む人も同じようなものだ。住む所が変わらない人も多くはいるが、ずっと昔から代々住んでいる人は2、30人のうち僅かににひとりかふたりだ。朝亡くなり、夕方に生まれる、水の泡と同じようなものなのだ。

 私なりに意訳してみました。答えは見ていないので、澤田先生に採点して貰おうと思います。

 中高の成績は270人中、大体が下から2番目でした。

 もう1人強者(表現がおかしい!)が居たのですが、中学で辞めてしまったので、もしかすると高校時は最下位だったのかもしれません。

 そんな私が幹事の代表をしているのは、総懺悔に他なりません。

 迷惑を掛けた先生、手を出してしまった同級生、通学中に喧嘩になった他校の……

 もうきりがありません。

 アトリエmを興してから少し経った時、何故か「人生は総懺悔」という言葉が頭に浮かびました。それから気持ちが楽になりました。

 お詫び、お詫び、お詫び。

 働く、働く、働く。

 もうこれしかありません。

 澤田先生とともに、ご迷惑をお掛けした先生、同級生には総懺悔し、精一杯働くことを年始にお誓い申し上げるのです。

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違和感センサーを信じろin東京‐1761‐

 初めて東京を訪れたのは、6、7歳の頃だと思います。

 上野動物園へ、初代パンダのカンカン、ランランを見に行きました。

 かなり長い行列に並び、一瞬でパンダエリアを通過した(させられた)ことを覚えています。

 40年前、パンダ詣での後に東京タワーにも上りました。

 子供達もなぜかスカイツリーより東京タワーに興味を示します。

 今回良い写真が撮れませんでしたが、名古屋テレビ塔、通天閣と内藤多仲設計のタワーは魅力があるのです。

 今回の目的は大学巡り。

 折角ならと日本の最高峰、東大の赤門を訪ねますが「在校生のみ入校できます」とつれない返事。

 少し北にある正門から遠く安田大講堂を眺め、本郷を後にしました。

 そのまま南下して、御茶ノ水にある明治大学へ。

 当時憧れていたビートたけしの母校でもあり、2度受験しました。

 よって、このあたりが青年守谷の初めての東京体験になります。

 18歳、19歳の頃、何を思っていたのだろうと懐かしいのです。

 西に5km程行くと早稲田大学。

 初めて訪れましたが、すぐ手前に日本のガウディこと梵寿綱(ぼん・じゅこう)さん設計の「和世陀(Waseda el Drado)」がありました。

 こんな驚きも、街歩きの醍醐味です。

 大隈記念講堂は凛として美しく。

 初代総長、大隈重信像も初めて実物を見ました。

 普段は子供に「口角を上げて」と言いますが、への字口もなかなかにチャーミングなものです。

 私設はとバスツアーで、子供達の反応が意外に良かったのが国会議事堂と警視庁。

 名探偵コナンで見たからだそう。

 岡田新一設計の最高裁判所は妻が高評価。

 反対に東京駅への反応は今ひとつでした。

 辰野金吾の魅力はなかなか伝わらないようです。

 一番興味深そうだったのが皇居です。

 元は江戸城であることと、現在は皇族の住まいだと伝えると、こんなに大きいんだと驚いていました。

 桜田門外の変もポイントのようです。

 その皇居の横を抜けて、首都高速へ。

 自分の車で本格的に東京を走るのは初めてで、それも楽しみにしていたのです。

 狭い高速は大阪で慣れていると思っていましたが、首都高は想像以上に狭くて複雑。

 トンネルが多いことも聞き知っていましたが、分岐が多くてまるでアーケードゲームのようでした。

 ブラモリタニ東京編の開催中、やってしまいました。

 交通違反キップを切られ、-2点で罰金9千円。

 罪状は「信号無視」です。

 場所は「壱岐坂(いきざか)交番前」。

 東大へ向かう際、本郷三丁目から右折北進ができず。

 一旦行き過ぎて、東京ドーム前で左折し壱岐坂通りに西から入り直しました。

 安全運転を心掛けているつもりなので「信号無視」と言われ、あっけにとられました。

 ただこの交差点、まるでトリックです。

 空撮で見ると、左が東京ドーム。

 東(右)に進むと、まず「壱岐坂交番前」手前の信号を通過します。

 この時信号は青。

 しかし「交差点内」に侵入すると、次の信号が黄色に変わりました。

 何だか変な景色だなとは感じたのですが、その先に白バイが見えていたので、更にスローダウンすると、信号をくぐる際には赤に。

 すると、身振りで路肩へ誘導されたのです。

 「信号で止まってください!と合図していたのですが、停止線に気付かれませんでしたか?」と。

 空撮で見ると確かにあります。

 ここは交差点でなく、2つの信号続いているだけなので、赤なら停止しなければならないので、信号無視だと。

 これが正しい風景ですが、どうしても交差点内に止るという感覚になります。

 「四丁目の家」やseven dreamers 「ginza Tokyo」「 shibakouen tokyo」の仕事をしていた際、このあたりの宿が安く良く泊まっていました。

 街を歩いていても「東京は信号のない交差点が結構多いな」とか、「間延びした交差点が多いな」とか思っていたのです。

 この交差点も歩いたことがあるので、何か違和感を感じていたかもしれません……

 説明を聞くと抵抗しても無駄と分かりました。

 「ここはお上りさんには辛いわあ」と言うと、「都会は標識も多いので、よく注意して走って下さいね」と。

 「大阪も標識は結構あるけどね」と返しておきましたが。

 言い訳する訳ではありませんが、ここは間違いなく彼らの「猟場」です。

 「停止線」が手前にあるので言い逃れは不可能です。

 ただ、本当に「止まれ」というのなら、停止線の横で大きなジェスチャーで伝えてくれれば良いのですが。

 車の異音にしても、ボートのステアリングのガタつきにしても、何か「違和感」を感じたなら、やはり何か起こります。

 本田宗一郎がヘリコプターで移動し、目的地に到着しました。

 ヘリコプターから降りる際、パイロットに「ローターリーの○○の部品が摩耗しているから変えておいた方がいい」とアドバイスしました。

 実際にバラしてみるとその通りだった、という話を聞いたことがあります。

 人の感じる能力はここまで伸ばせるということですが、感じるセンサーが敏感でることに加え、自分を信じる勇気も必要になってきます。

 何かしらの違和感を、しかも数年に渡って持っていたのを、実際の行動に置きかえれずで、悔しいのひとことです。

 今回の件で、ゴールド免許がまた普通の色に戻ってしまいました。

 先月、東京行きを迷いに迷っていると書きました。

 その回で、ビートたけしの出世作「赤信号、みんな渡れば怖くない」を紹介してしまいました。

 この場では、ネガティブなことを書かないと決めているのですが、若干違和感を感じながらも書いてしまったのです。

 その結果がこれ。

 人生は本当に心のままに導かれますが、まるでコントのようなオチがつきました。全ては自分の心の産物だったのです。

 東京の人は皆知っているのだと思いますが、「壱岐坂交番前」は要注意なのです。

■■■12月28日発売『suumoリフォーム(関西版)』にインタビュー記事掲載

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■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
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■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行に巻頭インタビュー掲載
■2月13日 『Best of Houzz』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

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家康が愛した街、家康が愛された理由‐1760‐

 新年あけましておめでとうございます。

 2021年は年始から穏やかな好天に恵まれました。

 状況が状況なので迷いましたが、このタイミングしかないと思い、静岡、東京行きを決めました。

 1月2日の早朝に大阪を発ちました。

 東名を走っていると、静岡側からの富士山が見えてきました。

 大阪から300km。静岡インターで高速を降ります。

 静岡県は何度も来たことがありますが、市内は初めてだと思います。

 1時間程で所用を済ませました。

 地図を見ると、「三保松原」の文字が見えたので、海沿いまで走ってみました。

 近くに御穂(みほ)神社があったので、まずは初詣で。

 やはり人出は少な目です。

 一年の健康と安全を祈念してから「神の道」を歩きますが、これがなかなか雰囲気があるのです。

 10分位歩くと、駿河湾が見えてきました。

 青い海に白い波。

 そして一筋の雲に冠雪した霊峰富士。

 まさに絶景でした。

 駿府城公園にも立ち寄りました。

 櫓は見えますが、残念ながら天守閣は残っていません。

 徳川家康は三たび駿府に入り、最後の地に選んだことでも知られます。

 中心街のすぐ北にありますが、現在は広大な公園として開放されています。

 正月らしく、凧揚げをしている家族がいました。

 中央部あたりにある家康像です。

 鷹狩りを好んだ家康らしく、左手には鷹が止まっていました。

 戦国時代、駿府城は強大な勢力を誇った今川家の城でしたが、家康は人質にとられ、7歳から18歳までをここで暮らしました。

 しかし、信長が桶狭間の戦いで今川義元を討つと、今川家は急速に衰え、1568年武田家に追放されます。

 1582年、今度は家康が武田家を追放し駿府に戻ります。

 ところが今度は秀吉の時代となり、1590年に関東へ移封され再びこの城を出ることになるのです。

 秀吉が世を去り、関ヶ原の戦いで勝利した家康は、1603年、征夷大将軍に任じられ江戸幕府を開きます。

 パックストクガワーナとも呼ばれる、270年に及ぶ太平の世の礎を築いた家康は、1607年に秀忠に征夷大将軍を譲り、大御所となって三たび駿府に戻ったのです。

 そして75歳という長寿の人生をこの地で終えました。

 静岡の人は家康がこの地を愛した理由を4つのキーワードで語るそうです。

 水、空気、海、そして雪が降らない

 十分に感じることが出来ましたが、今度は水を知る為に、何か地の物を食べてみたいと思います。

 関西での暮らしが好きですが、山のある景色だけは少し物足りないかもしれません。

 富士山、磐梯山、岩木山に開聞岳。

 「良い山がある町から大人物が育つ」と聞いたことがあります。

 家康が天下を収めた理由は富士山だけではないと思いますが、単純に顔が上を向くだけでも、人生が違ったものになるとも思うのです。

 評論家、谷沢永一は著書「人間通」でこんなことを書いています。

 彼奴には至らんところが多いけれど、なにしろ可愛気があるから大目に見てやれよ、と寛大に許される場合が殆どである。(中略)才能も智恵も努力も業績も身持ちも忠誠も、すべてを引っくるめたところで、ただ可愛気があるというだけの奴には叶わない。人は実績に基づいてではなく性格によって評価される。

(中略)

 可愛気の次に人から好まれる素質、それは、律気、である。秀吉は可愛気、家康は律気、それを以て天下の人心を収攬した。律気なら努めて達し得るであろう。律気を磨きあげれば殆ど可愛気に近づくのである。

 可愛気は全く自信がないのですが、律気なら何とかできそうな気がします。

 磨きあげれば、殆ど可愛気に近づくという言葉には随分救われた気がします。


 
 先程東京から戻ったのですが、ひとつやらかしてしまいました。

 続きは木曜日にUPします。

 今年も一年、宜しくお願いいたします。

■■■12月28日発売『suumoリフォーム(関西版)』にインタビュー記事掲載

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