今年も残すところ2日。
この「ゲツモク日記」も今年最後になりました。
最近は忘年会もめっきり少なくなりましたが、イタリアより来客がありました。
2016年の11月まで働いてくれた元スタッフのマルコです。
2014年の5月に入社試験を実施しましたが、真面目な働きぶりですぐに採用しました。
就労ビザの取得などは大変でしたが、余りあるくらい貢献してくれたのです。
イタリアではトップレベルの国立大学を卒業しており、アーキテクトの免許も持っていました。そのレベルと他の新人を比べるのは酷かもしれませんが。
今回は日本にバカンスに来ており、食事でもしようとなったのです。
アトリエ近くの焼き鳥屋さんへ。
2019年以来の再会で、2人で乾杯です。
日本語が殆ど衰えていないことにも驚きます。
彼は好き嫌いが殆どなく、日本食も大好きです。
ホタルイカの沖漬けも頼んでみましたが「美味しい!」と。
イタリアに戻って6年目の今年、ついに独立したとのこと。2人でお祝いしたのです。
互いの報告をしたり、建築談義をしていると、あっという間に3時間が経っていました。
言ってみれば同志です。今度は私たちがマルコの働くラヴェンナへ行けるとよいのですが……
そんなこんなで、私の1年も振り返ってみたいと思います。
今年の年始は、木曽福島の山荘で過ごしました。
義妹家の別荘ですが、従弟同士とても楽しそう。
ブレーキの掛かった世の中はもう少しのはず。
2月に小型船舶1級へのランクアップ試験を受けました。
受験勉強はぱっとしませんでしたが、資格試験は得意です。
1級建築士の資格と同じく、独学で一発合格しておきました。
アトリエmは1996年に天王寺にある4畳のワンルームマンションで創業しました。
あべのハルカスができ、街の雰囲気はかなり変わりましたが、変わっていないエリアもあります。
ブラタモリよろしく、ブラモリタニしてきたのです。
4月 『住まいの設計』の撮影は、セッションも爆笑も動画もあり‐1895‐
「おいでよ House」で『住まいの設計』の撮影があったのが4月。
ご夫妻のインタビュー、長男君がお気に入りの場所の撮影、そして奥さんと次男君のピアノとヴァイオリンの演奏。
家族総出で頑張ってもらいました。
5月 今なら分かるこの味‐1902‐
結局家族で出掛けたのは、ゴールデンウィークの池原ダム行きだけ。
しかも受験生の長男を除いた3人で。
来年はどこか旅行へ行けるとよいのですが……
6月 躍動の50代‐1915‐
「若い建築士の方たちに、先輩として何か役に立つ講演を」ということで、大阪府建築士会で講演をしました。
売上も含めて、洗いざらい話してきたのです。
『住まいの設計チャンネル』に「おいでよ HOUSE」登場‐1911‐
『住まいの設計』に掲載された 「おいでよ House」 ですが、『ESSE-online』と『住まいの設計チャンネル』でも公開されました。
夏の日本海行きは、必須の行事でした。
子ども達を連れて出かけていた頃が懐かしくさえあります。
孫ができたらまた頑張ります。
長年働いてくれたスタッフが6月末で退職し、するべきことがいくらでもあります。
今後も人出不足は進む一方でしょう。
一番平和な日曜日の使い方は、半日で妻と食材を買い物に行くこと。
気分転換になる上に、食卓も賑わいます。
朝市や直売所によく出かけるようになりました。
盛和塾にて経営を教えて下さった稲盛和夫塾長が亡くなったのが8月24日でした。
塾長講和を聞きながら、スケッチする時間が好きでした。
心から感謝するとともに、ご冥福をお祈りします。
工事がスタートした音楽室のある「没頭できる家」。
何と、人生初の発掘調査となりました。
そして、実際に古墳時代の土器が出土したのです。
何度か聞いたことがあった堺市にある「方違神社」。
摂津、河内、和泉の三国の境に位置するので、方角の無い聖地であると考えられたそうです。
品格と活気のある、雰囲気のある神社でした。
11月 世界最大の祭典開幕。50億人のモチベーション‐1959‐
まだワールドカップ、カタール大会の熱気は完全に冷め切っていない感じもあります。
世界を驚かせたのが、日本代表の初戦でした。
あのドイツを、後半での逆転劇でやっつけてしまうとは……
また4年、私も頑張ります。
12月 伊勢神宮、外宮前にて‐1961‐
あちらこちらと、様々な相談を頂けるのは嬉しい限りです。
12月に入ってすぐ、伊勢へ敷地を見に行ってきました。
帰り際に、外宮を参ってきました。
楽しみな計画です。
「かやしまフォトスタジオOhana」は2009年に完成しました。
12年に渡り、地域の方々に愛して貰ったのですが、道路収容のため立ち退きとなりました。
そして新たに、「森のOhana」が完成したのが、今年の1月でした。
正面の窓は、全て桟ありのデザインとしています。
親しみやすい建物になったのではと思っています。
恩師である稲盛塾長のことは今回も触れましたが、安倍元首相、アントニオ猪木も鬼籍に入りました。
命ある限り、何とか世の中に貢献できるよう、懸命に働くことを固く誓った1年でもありました。
今年1年、「ゲツモク日記」、「ゲンバ日記」、また『建築家・守谷昌紀TV』にお付き合い頂きありがとうございました。
2023年も、素晴らしい1年となることを確信しております。
■6月16日 『ESSE-online』に「おいでよ House」掲載
■ 『ESSE-online』にコラム連載
10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」
■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
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