王子動物園とパンダたち

 昨日は、天気予報が好転したので、神戸市の王子動物園に行ってきました。

 この辺りは学生時代によく来ました。六甲山の南裾野に広がる一帯は、高低さがある分、場所場所で景色が変わります。日当たりの良い南斜面と絶好の眺望は、山手の高級住宅街を生んだ訳です。

 王子動物園は、阪急・王子公園駅から北は山々幹(俗称?)まで南北に広いロケーションで、北端からは海も見渡せるのです。ミニ遊園地のようなエリアもあって大人600円。

 入口すぐにはパンダ館が。その距離5m程の距離で笹を食べる姿が見れました。寝てる時間も多く、比較的早い時間帯が良いようです。妻は初パンダで、結構喜んでいました。

 パンダと言えば1972年、日中国交正常化を記念して、東京、上野動物園に初めてやって来ました。私も祖父母と並んだ行列をうっすら覚えています。

 野生のパンダは中国に1500頭程残すのみで、動物園でも中国以外では30頭前後飼育されるだけです。日本では上野動物園1頭、白浜アドベンチャーワールド8頭、王子動物園2頭。中国以外で、世界一パンダが多い地域はななんと関西でした。参照:日本パンダ保護協会

 先日、天王寺動物園に行った時にも思いましたが、最近の動物園は本当に工夫されています。

ライオンやトラが、僅か20cmの距離で見れるのです。安全な場所から猛獣を見るのが良い事かは別にして、圧倒的に迫力があるのはやっぱりトラ。どこの動物園でも所狭しとウロウロしているのは習性でしょうか。舌なめずりする所を見るともう、縮み上がってしまいます。

 しかし、見に行っておいて何ですが、本当は草原の中で狩をしたいのだろうとか、物悲しい気分になるのも事実なのです。

『孤高の人』と伊吹山

 先日、『孤高の人』(新田次郎著)を読み終えました。

 山岳小説の傑作と聞きながら、後ろ回しにしていたのは一方の名作『武田信玄』が面白かったものの、がやや間延びした感を持っていたのと、私自身が登山をした事が無かったからです。

 話は、大正から昭和初期にかけて実在していた加藤文太朗という登山家の物語です。彼は単独行を好み、誰もが考え付かないような冬山の険しいルートを独り踏破して行きます。

 (ここから少しネタばれになります)しかし、事情あって後輩の登山家とパーティーを組み、北アルプス槍ヶ岳の最難関ルートを目指す事になります。遭難し死が迫り来る場面では、極寒の冬山、死の影と戦う心、山男の友情を、生々しく、鬼気迫る迫力で描ききっています。

 加藤文太朗は実在(実名)したと書きましたが、後輩の登山家にもモチーフがあります。この描かれ方については現実と違う、との評もあるようですが、実際の彼らが面識を持ったのは遭難の2年前、冬の伊吹山だったようです。すでに文太郎は、著名な登山家でした。

 昨日、JR北陸線から伊吹山を望みました。本州は背骨のように山脈が通っていますが、この部分だけは途切れます。遮るものが無く吹くき抜ける強い風は”伊吹おろし”と呼ばれ、昔はたたら場(鉄を作る所)として栄えました。

 冠雪し力強い岩塊のような姿は、まさに孤高の山でした。

号泣story

 DVDを観て泣きました。その映画は-ドラえもん劇場映画「おばあちゃんの思い出」-。

 期待させすぎていたらごめんなさい。

 しかし、本当に今までで一番泣きました。号泣というよりは、溢れてくるのを止められないと言う感じ。前から凄くいい話だと聞いていたのです。

 「おばあちゃんの思い出」は2000年3月11日に「のび太の太陽王伝説」と同時上映された27分の短い映画です。

 コミックス4巻に原作があり、テレビアニメでも1979年に放映され、リメイクされたようです。

 少しだけストーリーを書くと、のび太はボロボロの熊のぬいぐるみを見て、今は亡きおばあちゃんに会いたくなります。

 ”見るだけ”という条件でドラえもんと共にタイムマシンで8年前の過去へ。

 そこには、優しいおばあちゃんに我が儘ばかり言うのび太が・・・・・・

 何故涙が出るのかは書かないでおきます。

 散々泣いた後は清々しい気分になります。

 そして多分おばあちゃんに会いに行きたくなります・・・・・・

カメラを撮る

 竣工写真の撮影については何度か書きました。先週末は、今年初めての撮影でした。

いつも撮ろうと思いながら、忘れてしまう写真家の専用カメラ。10年以上の付き合いになりますが、やっと撮りました。

 フィルムのサイズから”4×5(しのご)”と言われます。通常のフィルム巾の35mmに対して、4インチ×5インチ(100mm×125mm)ですから、約3.5倍の大きさ。

 後ろから見て、アングルを決めます。しかし、真ん中のガラス部分には上下左右の反転した象が写るだけです。像なので、暗幕を頭から被らないと、はっきりとは見えません。

 本体はスイス製、レンズはドイツ製、三脚はフランス製との事。機能を追及して出来たものでしょうが、形、質感とも、なんとも言えない美しさと味わいを感じます。

 オープンデスクの学生も撮影に立ち会うと、とても喜びます。実務の体験以上に。

横に立ってシャッターを切ります。夜景を撮る時は、数分シャッターを開いている事も。その間は、人が前を通らないか、車は来ないかと気をもむ時間なのです。

 しかし、佇まいも含めて”プロの仕事だなあ”と思う瞬間です。

イサム・ノグチを読む

 最近は本を読むペースもすっかり遅くなっていますが、この本は久しぶりに先を急ぎました。

イサム・ノグチ―宿命の越境者  (著) ドウス 昌代


 

 

 

 

 イサム・ノグチの作品は大好きで、和紙と竹ひごで作られた照明”あかり”シリーズは仕事でも良く使います。晩年を過ごした香川県牟礼の庭園美術館も大好きな場所です。

 それなりに知っているつもりでしたが、彼の人生はより複雑で激しいものでした。

 明治の終わり、詩人・野口米次郎はアメリカでレオニー・ギルモアと出会います。彼は日本に戻るとレオニーを呼び寄せるのです。

 そしてレオニーは日本で英語教師を始めました。

 しかし彼女は数年後、一人故郷に帰ってしまいます。お腹に子供がいる事を米次郎には告げずに。1904年ロサンゼルスでイサムは生を受けます。そうして2つの血に翻弄される人生は始まるのです。

 その後、父に来日を拒まれ、中学生から母と離れて暮らし、両親の国が戦争を始め・・・・・・どこにも帰属できない理不尽さにさいなまれながら、イサムは創作の道を歩んで行きます。

 石ノミを入れるとき、普通の人は飛び散る破片をおそれ、本能的に顔をそむける。

 イサムはそれとは反対に、石にさらに顔を近づけ、目をこらした。

 飛び散る破片がガラス片のように目に刺さり、高松市の眼科にかけこんでも、イサムは、ノミと人間が一体となって石に挑む瞬間に目をこらすことをやめなかった。

 「石」を愛し、すべてを賭けて「石」を追いかける男・・・・・・-抜粋-

 世界を住処にし、地球に彫刻を残した偉大な芸術家、イサム・ノグチ。

 遺作とも言える札幌市にある”モエレ沼公園”に行ってみたくなりました。

風呂から上がると

 仕事始めから今日で3日目。快晴ですが寒い日が続きます。

 こんな季節はゆっくり湯船に浸りたいもの。しっかり温まり、清潔なバスタオルで体を拭くときは、なんとも言えない幸せを感じます。

 考え事をしながら風呂に入っている時です。”ああでもない、こうでもない”と風呂から上がり、頭を拭こうとすると何かおかしい。

 ヌルッとしてる!?シャンプーの後のリンスを流し忘れているです。バスタオルはベトベト。

 もう一度流さないといけないはで、気分は最悪。これを結構頻繁にやってしまうのです。

 あと、バスタオルを取ろうとした瞬間、濡れた足元に落としてしまった時も、悪態をつきたくなります。

 新しいものに変えるか、乾いた部分だけで用を済ませるのか、一人悩むのです。

 以上、風呂上りの幸せを奪う小さなトラブルでした。

信州・蓼科へ

 先の木曜日に書いた子供の風邪も回復したので、金曜日から予定を短縮して蓼科高原へ行って来ました。

 中央道と長野道の分岐点、岡谷ジャンクションを過ぎて東へ向かうと、すぐ八ヶ岳連山が見えて来ます。

 そんな景色を見ると、幾つになってもワクワクするもの。ちなみに八ヶ岳とは蓼科高原も含む一帯の総称なのです。

 

 この日は快晴。ホテル近くの”ピラタス蓼科”というスキー場へ行きました。

 ロープウェイで一気に山頂まで登ると、空気は澄みわたり、日本海に面する立山連邦まではっきりと。100km向こうという事は、大阪から天橋立を見ている計算になります。

 子供は雪初体験。不思議そうには遊んでいましたが、親が思う程はしゃがないものです。

 一緒に行った母に子守を頼み、父と妻とでゲレンデへ。風を切る感じは、やはり爽快でした。

 十分に雪の感触を楽しんだ後は、ホテルの温泉へ。湯船に入ると言葉にならない感嘆のため息ばかりで・・・・・・

 土曜日は打って変わって大雪になりました。朝はゆっくりして、昼前にチェックアウト。

 カチンカチンの路面を走るのはやや疲れましたが、夜の7時前には大阪に戻りました。

 昨年は子供が小さい事もあり一度も雪山を訪れませんでした。久し振りに行くと、やっぱりいいなと思います。

 一面の銀世界とキリリと冷えた空気は、日々の小さな問題など忘れさせてくれるのものです。

一回目の予定

 年が明け、実質的には今日が初めての日記。一回目は”雪景色の八ヶ岳で決まり”と思っていました。

 今日から2泊3日で長野県の蓼科高原へ、スキーに行く予定にしていたのです。

 ところが、1/2から子供が急にセキを始め、昨日は朝から鼻水と涙で散々の状態に。やむなく今日の宿泊はキャンセルしました。子供にとっては年末からハードスケジュールだったかもしれません。

 12/30は忘年会で、お兄ちゃん達とダンボールハウスでおおはしゃぎ。

 12/31は大好きな南海電車の特急・ラピートを見に難波へ。

 ちなみに鉄人28号を連想させるデザインは建築家・若林広幸氏によるものです。

 快晴の元旦は初詣の後、お爺ちゃんと実家の屋上でゴルフの真似事。

 その日の午後からは妻の実家でお爺ちゃん、お婆ちゃんに存分に遊んでもらい、機嫌の良い事この上なかったのです。その後は、上記の通りに・・・・・・

 しかし大分調子が良くなって来たので、明日の予定はもう少し様子を見てから決めようと思います。出来ればこの機会に初めての雪を見せてやりたいとも。

 話は変わりますが、今年の目標のひとつに”ブラインドタッチで文章を書く”を上げました。

 小さな目標ですが、最終的な動機はオープンデスクの学生のほとんどが出来るという事。
 
 今も出来るとも、出来ないともつかない感じでこの文章を書いています。妻は”無理と違う”と言うのですが、なんのなんの。結果は年末に。