心の庭に水やりを‐1417‐

 今日の明け方は、強い雨音で目が覚めました。

 長男は朝6時過ぎに起きて学校へ行くので、私が目を覚ました時はすでに家をでたあと。

 彼が電車に乗ってすぐに警報が発令され、授業は午後からになったようです。

 遠いから早くにでているのだと思ったら、クラスでも1番か2番に登校しているそう。
 
 高校の時「普段より、1本でも2本でも早い電車で登校してみたら。違った景色が見えるから」と言った先生がいました。

 誰に言われるでなくそうしているのは立派だなあと思っているのです。

 今週の前半は快晴続きでした。

 現在、建て替え計画中の敷地調査に行っていました。

 多くの庭木が育っており、どの木を残すかの打合せも兼ねてです。

 オリーブが大きな実をつけていました。

 こちらは鉢植えなので残すことに。

 愛情をかけて貰っているのが分かります。

 ひときわ鮮やかなオレンジで目を引くノウゼンカズラ。

 近所の公園から少し頂戴し、挿し木をしたとのこと。

 そういえば、周辺を歩いた際に立派なノウゼンカズラがありました。

 勿論このくらいは許される範囲でしょう。

 その公園で、隙間を縫うように生えていたのはエノコログサ。

 通称ネコジャラシは、粟(アワ)の原種で、食用にもなるそうです。

 そういえば、光を受けた様が黄金色に輝く小麦畑を連想させてくれます。

 収穫の秋です。

 先の先生は、最終的には教師を辞め、稼業のお寺を継ぎました。

 担当は数学で「別にこの定義に従う必要はない。自分で新たな定義を発見し、それが正しいことを証明すればいいのだから」と言っていました。

 一風変わった先生だなと思っていましたが、いつも原理原則から説明してくれていたのです。

 春先に種を植えたら、勝手に実がなり秋に収穫できればよいのですが、自然はそうなっていません。

 人間の心は庭のようなものです。それは知的に耕されることもあれば、野放しにされることもありますが、そこからは、どちらの場合も必ず何かが生えてきます。

 もしあなたが自分の庭に、美しい草花の種を蒔かなかったら、そこにはやがて雑草の種が無数に舞い落ち、雑草のみが生い茂ることになります。

 20世紀初頭の作家・哲学者、ジェームス・アレンの言葉です。

 必ず何かが生えてくるという言葉に、ある種の衝撃を覚えました。

 また、こうも書いています。

  植物は種から芽生えます。それは、種なくしてはあらわれることはできません。そして私たちの行いもまた、内側に密かにめぐらされて思いという種から芽生えます。

 これもまた、その種がなければ現れることがありません。意識的に行うことでも、無意識に行うことでも、ひとつとして例外はありません。

 心という庭に種をまき、水をまき、日々手入れしなければ、雑草だらけになってしまう。

 しかも、意識的であれ無意識であれ自分の思いが発芽するので例外はない。

 この原理原則を、何とか子供達に、またスタッフに伝えたいと思います。

 しかし、自分が数学の先生の話しを聞けなかったように、人の考えを受け入れるのは難しいことです。

 なら、聞きたいと思って貰えるような立派な人になるしかありません。

 親として、仕事人として道のりはいつも険しいですが、登る先が見えているのは幸せなことだと思うのです。

融通=溶けあい和合する‐1416‐

 昨日今日と、大阪は気持ちのよい秋晴れです。

 気温25度、湿度は40%をきり、1年でも最も気持ちのよい季節になりました。

 大阪市平野区で最も大きなお寺はおそらく大念仏寺です。

 歴史も古く、1127年の創建とあります。

 裏手には墓地があり、遠く目に彼岸花がみえました。

 彼岸の中日を過ぎたにもかかわらず、墓参りにいけておらず……

 ひとさまのお墓にまいるわけにはいきませんが、少し立ち入らせてもらいました。

 大念仏寺は融通念佛宗の総本山とあります。

 平安末期に広まった念仏信仰の先駆けとなり、日本最初の念仏道場だとwebサイトに紹介されていました。

 「融通念仏」については以下の説明がありました。

 融通とは溶け合い和合することです。

 砂とセメントと水は、それぞれその形も働きも異なりますが、この三者が溶け合って和合すると強固なコンクリートになるのも融通です。

 融通念仏は、念仏が相互に融通して大きな力となることをいいます。すなわち念仏を称えることによって、人と人、人と物、物と物とのすべての関係の上に融通和合の世界を自覚し、苦脳と迷いのこの世を喜びに満ち溢れ、悟りの智慧かがやく楽土(浄土)にすることをめざした教えです。

 「苦脳と迷いのこの世を」とはっきり言われると、月曜日の朝には多少重いかもしれません。

 不信心を承知でかくなら、喜びに満ち溢れ、悟りの智慧かがやく楽土(浄土)にする方法は、何でもよいと思います。

 「念仏」を唱えることで実現できればもちろんそれでよいのです。

 「融通」は、普段ネガティブ、あるいはグレーな意味でつかわれることが多いでしょうか。私は最も不得手としてきたことばだと思っています。

 「融通のきかない男だな」と人生の中で何度か言われたことがありますし、それでよいと思ってきました。

 しかし、コンクリートの説明はとても分かりやすく、ポジティブに解釈させてくれます。

 融=とけあう + 通=つうじる =  溶け合い和合する

 現時点より、成長したいなら不得手と思ってきたことを改善、克服していくしかありません。

 社員は自分の長所を伸ばせばよい、経営者は欠点を無くさなければならない。

 この言葉が身に染みたのです。

 「融通」ということばと、正面から向かい合う必要がありそうです。

 暦の無い時代、私のような不信心者にも、彼岸を知らせてくれた彼岸花。美しさと実用をかねていた訳です。

 時代を遡ることはできませんが、その意味合いは全く違ったものだったと想像するのです。

前言撤回大いに結構‐1415‐

 今日は朝から打合せにでていました。

 台風前は涼しくなったと思っていましたが、晴れるとまだまだ夏の日差しです。

 それでも草間に彼岸花をみつけました。

 気が付けば彼岸の入り迎えていました。

 現場での木材加工は、即席作業台での仕事になります。

作業台の脚に、丸を3つ組み合わせた加工がしてありましたが、思わず笑ってしまいました。
 

 ただ丸を3つ重ねるだけで、同じイメージが浮かぶことに、ディズニーの凄みを感じます。夢もロマンもない表現ですが。

 しかし、日々を楽しくするのが遊び心です。

 昨日、安室奈美恵が来年での引退を発表しました。

 40歳にして25年のキャリアということは15歳でのデビューになります。

 間違いなく時代を築いたアーティストで、他の○○ラーとは一線を画すべきでしょう。

 また、先週末には女子ゴルフの宮里藍も引退試合を終えました。

 女子メジャー最終戦で、途中まで優勝を狙える位置にいるという報道もありました。

 引退する人のパフォーマンスとは考えられないレベルです。彼女に至ってはまだ32歳。

 引退発表の会見で「100%復帰はない」と発言したそうです。

 本当の意味での引退の理由が、本人以外に分かるはずもありませんが、「休む」では駄目なのだろうかと思うのです。

 全ては努力の賜物だと思いますが、どれだけ歌、ゴルフに打ち込んだとしても、頂点まで登り詰める人はやはり才能もあるはずです。

 松任谷由実は「才能とは母乳のようなもので、出さなければ毒になる」と言っていました。

 それが、必ずしもプロである必要はないのかもしれませんが、その眩しいばかりの才能をはたしてどこで放出するのか。

 いらぬ心配ばかりしてしまうのです。

 作家・開高健がフランスにはこんな言葉があると紹介していました。

 25歳までの女は自分だけを殺す。

 35歳までの女は自分と相手を殺す。

 35歳以後の女は相手だけを殺す。

 35歳から上の女性を敵に回したくて書いているのではありません。もう少し決断を先にすれば違う景色が見えてくると思うのです。

 「スポーツ」の語源は「deportare」。ラテン語で「portare」とは運ぶという意味から仕事を指します。「de」は否定で「仕事をではない」。つまり「遊び」という意味です。

 また、音楽は文字通り音を楽しむです。

 仕事だからこそ、「楽しむ」と決めることが大切なのだと思います。

 プロレスなら60歳での復帰もありです。前言撤回大いに結構と応援したいと思うのです。

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【Events】

「R Grey」9月からの入居募集開始■
大阪市平野区平野西5-6-24

モデルルームオープン中

「さかたファミリー歯科クリニック」7月26日 OPEN■
枚方市津田西町1-24-8

【News】

■3月25日『大改造!!劇的ビフォーアフター』朝日放送(ABC)「住之江の元長屋」再放映■
■10月29日『住人十色』毎日放送(MBS)「松虫の長屋」放映■

『建築家カタログ2016』8月29日発売に「遠里小野の家」掲載

『homify』7月21日「白馬の山小屋」掲載
『homify』6月4日「松虫の長屋」掲載
『homify』5月10日「長田の家」掲載
『homify(タイ)』4月25日「加美の家」掲載
『homify(中国)』4月9日「住之江の元長屋」掲載

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

一歩進むことであってほしい‐1414‐

 日曜日は、母校高槻中学・高校の文化祭定でした。

 ここ数年「頼れる卒業生による無料相談」に参加しています。

 しかし到着してすぐ、台風による警報が発令され、11時50分での中止が決定しました。

 懸命に準備をしてきた生徒にとっては本当に悔しいことでしょう。

 新校舎も完成し、更に工事も進んでします。

 また、今年から男子校から共学にかわりました。

 学校も時代に合わせて変化しなければならない時代なのだと実感します。

 今日は、昼から時間ができたので、娘とJRで京都へ。

 台風一過の快晴でした。

 水族館というリクエストと、昼から、連休の渋滞を避ける、という条件で、京都水族館にしました。

 確か昨年も台風中に訪れた気がします。

 京都駅から歩いていけるというロケーションは重宝するのです。

 ペンギンがあわただしいので、水上階へ上がってみるとエサやり中でした。

 コミカルといえばコミカルですが、食事ショーには微妙な感じもあります。

 イルカショーは梅小路公園を背にしたプールで、夕風に吹かれながら。

 最上部の席でリラックスしながらみました。

 これまで、子供と一緒に沢山のイルカショーをみました。

 ここでは「プー」と呼ばれるストローを割った笛を皆で吹くという演出があります。

 イルカと交互に笛を吹くという場面は一体感があり、なかなか盛り上がりました。

 小学校の低学年くらいまでならまだししも、高学年になれば、行きたいと思うところしかついてきてくれません。

 一方、足水をみつけると、さっさと靴下を脱ぎ入ってしまいました。

 まだまだ子供らしいところと、ここから大人へ向かっていくんだろうなという部分の、両方を持ち合わせているのが9歳、10歳くらいでしょう。

 最近、本当によくわかったのが、怒って何かをさせることはできないということです。

 このくらいの歳になると、いくら怒っても、脅しても、いうことを聞かせるのは無理です。

 あるクライアントがこんなことを言っていました。

 「僕は子供に、できることは何でもしてあげようと思っているし、買い与えていいと思ってるんです。ただ、大人になってからもそれを叶えたかったら、自分で努力してね。そういう考えかたなんです」

 以前は、それは私の考えかたと少し違うなあと思っていました。しかし、最近はよくわかる気がします。

 最終的には、自分がしたいと思うこと以外、行動が持続することはありません。

 ここなら行きたいと思って貰える景色をできるだけ沢山見せてあげるしか、親にはできないのです。

 この点は、考え方を大きく変えたつもりです。

 勿論のこと、私は完成品ではないので、変化しつづけるしかありません。

「一日生きることは、一歩進むことでありたい」

 日本初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹博士の言葉です。

 できれば、それが進歩であってほしいと願うのです。

子供との一場面を見逃さないために‐1413‐

 前回、夏にサヨナラしました。

 しつこい人は嫌われるのですが、もう少しだけ海での話しを。

 父に連れられ、小さい頃から来ているこの海ですが、山あいにある小さな浜です。

 山の斜面がそのまま海に落ち込み、少し沖にでるとすぐ深くなっています。

 遠浅の海水浴場ではありませんが、漁港としては好立地なのです。

 その港を守る堤防が、私達の遊び場でした。

 2段になっており、これが結構高いのです。

 写真では分かり難いですが、大人でも頭から飛び込むにはちょっと勇気がいるくらい。

 中学1年生の長男は、高い方から飛び込んだことがなく、今回は雪辱戦でした。

 しかし、午前中は干潮で浅く、高い方はやめておくよう伝えていました。

 それで、低い方から繰り返し飛び込んでいました。

 ただ飛び込むという単純な遊びが、スマホのゲームより面白いと思って貰えれば嬉しいのですが。

 小学4年生の娘も、飛び込もうかやめようか、結構な時間悩んでいました。

 しかし、勇気をだして初ダイブ。

 1回だけでしたが、これも成長です。

 2010年の8月末、何家族かを誘ってここに遊びにきました。

 7年前なので娘は2歳。最高の砂場をみつけたと、1日中砂遊びに夢中でした。

 一緒にきていた友人の次男君は当時9歳。

 今の娘と同じ年齢です。

 高い方の堤防から、飛び込もうか、飛び込むまいか、かなりの時間逡巡していました。

 が、見事に飛び込んだのです。

 下で待っていた、お父さんの表情が全て。

 すがすがしい風景でした。

 長男はもう12歳なので、潮が満ちたあと、高い方から何度も何度も、飽きることなく飛び込んでいました。

 私は片づけをしながらだったので、遠目には見えていましたが、写真は撮ってやれませんでした。

 親として、どのくらい子供見ているのかを考えるとき、いつもイチローの父親の話を思い出します。

 イチローの父親は、小学3年から6年までは毎日一緒に練習をしました。また、高校卒業までは毎日欠かさず学校まで練習を見に行ったそうです。

 中学生の時、監督からバッティングフォームを矯正するよう指導を受けます。

 ずっと2人でフォームを創り上げてきたイチローの父親は「バッティングフォームだけは変えないように指導して頂けませんか」と願い出ました。

 プロに行ってからも、同じ場面はやってきます。コーチから矯正を求められるも、今度は自らそれを拒否。その結果2軍に落とされます。

 女子テニスの、杉山愛選手だったか、 沢松奈生子選手だっか忘れてしまったのですが、母親がコーチでもありました。

 玄関先でなかなか靴の紐を結べない我が子を、怒ることなく、急かすことなく、1人で結べるまでひたすら待ったといいます。

 親なり、コーチなりにできることは、これらの話しに集約されているような気がします。

 8歳から18歳まで、毎日練習を見に行くことは誰にも出来ることではありませんが、反対にいえばこれしかできないのです。

 ただただ見る。そして、必ず守るという覚悟を示す。

 リーダー業を21年、父親業を12年やってみて、私が感じたことも最終的には全く同じでした。

 イチローの父親と比べると、何10分の1しか時間を割いていないかもしれませんが、思いは全く同じです。

 ある夏の一日。

 小さな成長の場面を目にすることができました。

 私がどれだけ一緒に居たいといっても、子供に拒否されればそれまでです。

 「お父さんと過ごす休日は楽しい」と思ってもらえるよう、休日用の引き出しを開け続けるのです。

夏にサヨナラ‐1412‐

 昨日は、早朝から福井へ。

 北陸道と舞鶴若狭自動車道が繋がったのが2014年。敦賀半島へのアクセスは更によくなりました。

 今回は、敦賀南スマートICで降りてみました。

 古き良き農村の風景に、秋の気配を色濃く感じます。

 8時頃に現地着。

 小さい頃から、欠かさず訪れてきたこの海ですが、今回は2年振りです。

 大学時代の後輩と、現地で待ち合わせていました。

 まずは砂浜で水遊び。

 海好きの彼は、早速カニをつかまえてきました。

 後輩の長男君は3歳。

 海は初めてだそうですが、お父さんと同じく海好きになるのでしょうか。

 港で私達を迎えてくれたのは父の友人。

 この海をこよなく愛するSおっちゃんです。

 愛しすぎて浜に民家を借りており、半分はここの住人でもあるのです。

 一部利用者のマナーが悪く、港での船の上げ下ろしが昨年から出来なくなりました。

 自分の船を出せないこともあり、昨年は足が重かったのです。

 この日は「一緒に遊んだらええ」とおっちゃんが船をだしてくれました。

 沖にでると更に水は澄み、手つかずの自然が広がります。

 40年以上ここに来ていますが、変わりなく美しい、この豊かな海を、子供達に少しでも体感させておきたいと思うのです。

 小一時間遊んで、港に戻りました。

 港の通称テント村。

 穏やかな浜風のなか、海を眺めながらの昼食は至福の時間です。

 長男が釣った、本当に小さなカワハギですが刺身にしました。

 家で料理をする機会はめったにありませんが、小さな魚をさばくのは慣れています。

 自分で獲った獲物を、その場で食べることは、大人であれ、子供であれ、とても喜んでくれるのです。

 普段は魚嫌いの長男も、「美味しい、美味しい」と食べていました。

 小学校、中学校の夏休みは、とびきり楽しいものでなければならないと思っています。

 昨日は1ヵ月振りの休みで、ようやく子供達を海に連れていきました。

 私のスケジュール、家族のスケジュールと制限が増えるなか、子供達と過ごす夏休みはより限られてきたと実感します。

 何とか「夏の思い出」にギリギリ間に合ったでしょうか。

 すかっと晴れ、波は小さく、風も穏やか。そして気温は31°。考えてみれば、これほどのご褒美はなかったかもしれません。 

 先程後輩から、「これで、夏にサヨナラできます」とメールが届きました。

 ようやく始まったと思ったら、今年の夏はこれでサヨナラか……

 夏は毎年、足早に過ぎていくのです。

 

結果は最初に決まっている‐1411‐

 地下鉄御堂筋線、西田辺駅のすぐ東。

 シャープの本社がありました。

 駅から歩いて2分くらいで便利な場所です。

 堺工場の敷地内へ本社を移転したあと、春先から解体が始まりました。

 今日通ると、建物が完全に無くなりました。

 ここまで追い込まなければ、移転、統合が出来なかったことに、名門企業の憂鬱を感じます。

 しかし、他人事だとも思えません。規模は別にしても、後手に回ると、よい結果を生むことはありません。

 こころしなければと思います。

更に西へ行くと、万代池があります。

住宅街の中に突然現れるこの景色。

まさに都会の中のオアシスです。

 現場へ行く前に寄り道していたのですが、何故か車のあたりに多くの警官が。

 何事かと戻ると「痴漢がでて、走って逃げたんです」と。

 何も悪い事はしていませんが警察をみると、何故かドキッとするものです。(停車のつもりですが、駐車違反とも言えますが)

 今年読んだ本の中で、最も印象に残っているのが、「嫌われる勇気」です。

 アドラー心理学を書いたものですが、「今という刹那を、精一杯生きないことこそが、人生最大の罪」という結論に至るまで、哲人と若者の議論で物語りは進行していきます。

 その中で、こんな行があります。

 ある日、妻に「あなたイビキがうるさいから寝られないじゃない」といわれ喧嘩になったとします。

 しかし、イビキをかいたのは、この日だけではありません。

 「喧嘩する」と先に決めているというのです。

 こんな例えもあありました。

 レストランでウェイトレスが飲み物をこぼし、私の服にかかったとします。

 「何をしてくれているんだ!」と怒鳴る人がいれば、「いいよ、いいよ。拭くものだけ持ってきてくれる」という反応もあります。

 虫の居所が悪かったという言い方もありますが、ようするにどう行動するかは、自分が先に決めているのです。怒鳴る理由をいつも探していたから怒鳴った、という考え方です。

 この話を聞いてから、なるほどと思います。

 ある現場で一緒に解決策を模索してくれない職人がいました.

 彼に「初めから出来ないと言うゴールだけ決めて、その理由を探しているだけじゃないか」と色をなしてしまいました。

 若い職人に、そこまで言ってはならないと思うのですが、その姿勢に我慢ができなかったのです。

 反対の言い方をすれば、常にプロとしての仕事をしない彼を(私の思うプロですが)、私がいつか怒ると決めていたともいえます。

 このルールに基づけば、 個人においては自分の決めた通りの結果になります。

 では企業はどうか。

 強烈なリーダーシップをもつ、創業者がいる間はおそらくこのルール通りでしょう。

 永続的発展が企業の宿命なら、いつか代替わりがおこります。その時に、皆の考え方が最も重要になってきます。

 昨年末にマルコが辞めてから、何人もの面接、入社試験をしましたが、ことごとく採用できませんでした。もしくは短期間で辞めていきました。

 昨日、来春からですが1人採用を決めました。

 リーダーができることは、面白いと思える環境をつくることです。社員が遣り甲斐をもち、大変ながらも夢をもって働ける場。

 それが私の目指すところです。

 私は創業者なので、結果は初めから決まっています。必ずそうすると決めるだけなのです。

○○○とハサミは使いよう‐1410‐

 朝夕に限っていえば、「気持ちいい」という言葉が思わず口からもれます。

 関東は雨の多い夏だったようですが、関西は酷暑の夏でした。ようやく暑さの出口が見え、秋の気配を感じます。

 耐震偽装問題が起ったのは2005年でした。

 建築士の信頼失墜を理由に、2009年から3年に一度の講習が義務付けられています。

 建築士の資格は必要なので取得していますが、正直あまり興味はありません。その説明はさておき、中崎町で講習を受けてきました。

 中崎町は梅田から1駅東。

 立地の良さと、古い長屋が残っていることで、リノベーションした店舗が多く目につきます。

 おしゃれなエリアとしてよく取り上げられるのも分かります。

 躯体を活かせるなら、それらの費用を内装、外装にまわすことができます。

 また、梅田とは賃料も違うはずなので、商品、サービスのほうにもお金を掛けられるでしょう。

 JRの高架下も、多くの店舗が入っていました。

 梅田センタービルまでくれば、茶屋町エリアまでもうすぐです。

 講義の中で、「建築家」の悪い側の印象として「勝手に作品をつくられる」という話がありました。

 そんな職業が、この世の存在していることが不思議です。

 先日、初期相談に見えた方も同じような話をされていました。

 それでも足を運んでくれたのは、「こちら側に立って仕事をして貰えるのかなと感じて」言ってもらいました。

 自分だけが正しいことをしているとは思いませんが、「クライアントと良い関係を築いておられるんだろうなと思って」という感想は、やはり嬉しいものです。

 「建築家○○作品」ということに幸せを感じる人も居るかもしれませんが、圧倒的に少数だと思います。

 それでも建築家という職業が存在するのはなぜか。

 「何とか夢をかなえてくれるのではなか」という人がある割合で存在し、勇気をもってオファーしてくれるからです。

 法的には、ある規模以上の建物は、建築士による設計が必須ですが、建築家に頼む必要はありません。

 バカとハサミは使いようといいます。

 バカとまで卑下しませんが、ある人には役に立ち、ある人には役にたたないのが建築家という職業なのです。

 前出の建築家・出江寛はこういっています。

 「建築屋」とは本屋さんや八百屋さん、あるいは政治屋などのように『物』に携わる人。

 「建築士」とは教師や弁護士あるいは詐欺師などのように『技術』に携わる人。

 「建築家」芸術家とか音楽家など『心』に携わるの人。

 かなり身内びいきで、アイロニックな言葉ではありますが、やはり「心」に携わりたいと思っています。

 どんな職業であれ、道具であれ、目的によって使い方が変わるのは当たりまえのことですが。