米と米騒動3選‐2232‐

「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」 ですが、1階の駐車場が完成しておらず、まだ車をこちらに持ってきていません。

昨日は、久し振りに自分の車に乗りましたが、2ヵ月振りだったでしょうか。

ハイラックスサーフからディスカバリーに変えて14年経ちますが、急に運転すると、いまだにウインカーとワイパーを間違ってしまうのには、我ながら驚きます。

行き先は奈良盆地の西端、葛城市。

葛城市の真ん中を南北に貫く山麓線は、南阪和道ができるまでよく使っていました。

のどかな風景の中を走る快適かつお気に入りのルートです。

所用を済ませると、ちょっと辺りを散策しました。

小さな水路ですが、澄んだ水が豊富に流れています。

葛城山系の麓まで続く棚田を潤しているのが分かります。

暑くはありますが、古い街並みにほっとするのです。

二塚古墳は景色がよいとあったので、少し登ってみました。

6世紀中頃に造られた前方後円墳です。

大きな尾根を削ってつくられたので、見晴らしがよいのですが、かつては「銭取塚」と呼ばれていたそう。

よほどお金が掛かったことが、1500年の時を超えて伝えられてきたのでしょうか。

 二塚古墳の上にもまだまだ棚田が続きます。

シンガポールの屋上絶景プールのような景色、とは言いすぎでしょうか。

こちらが棚田100選に選ばれているのかは知りませんが、やはり日本は米の国です。

天保の大飢饉の際には、豪商が米を買い占めて高騰。それを不服として大塩平八郎の乱がおこります。

大塩平八郎は奉行所の役人でしたが、奉行所の政治を良しとせず乱を起こしたのですが、失敗に終わり自決することになりました。

米に職と命を賭したのです。

また、昨年から今年にかけての高騰は、令和の米騒動とも呼ばれます。


大臣が辞任したりもしましたが、備蓄米の放出、海外米の輸入などで、政府も沈静化を図っています。

もうひとつの令和の米騒動が2023年に起こっていました。

当時、中日ドラゴンズの立浪監督が「試合前の食事会場から炊飯器を撤去した」という報道に端を発します。

後に「試合前に食べすぎるなと言っただけ」と語りましたが、「何本かの指に入るくらい叩かれた」とも述懐しています。

これだけ、米の話となると日本人は熱くなってしまうのですが、スポーツ新聞的なこのニュースが何だか妙に好きなのです。

米は大好きですが、好きすぎて普段はあまり食べないようにしています。

それだけに、たまに食べる白米は完全にご馳走です。卵、納豆、梅干しがあれば、他に望みはありません。

我ながら、なんとリーズナブルなのかと褒めてあげたくなるのです。

■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

絶妙、ケユカ‐2231‐

今日17時頃、兵庫県の太子町を出ました。

地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」の定例会議でした。

ようやく足場が取れたので、また【ゲンバ日記チャンネル】もUPしたいと思います。

大阪駅まで戻ってきたのは19時半でした。

夏至を過ぎたばかりなので、まだ日が残っています。

グランフロント前の喧騒とは、全く違う景色の地下1階です。

緑のくまが見えています。

地上から、地下へ水が流れる景色は、目にも涼やか。

しかし実際は、湿気十分の熱風が吹き下ろしてきます。

景色と熱風のコントラストが、より体感温度を上げるのです。

今日も本当に暑い一日でした。

その脇にあるケユカ。

建築金物のメーカー、カワジュンが立ち上げたブランドだそうです。

カワジュンは、インターホンを隠すカバーをよく使っています。

レバーハンドルや、戸当たり金物もセンスがよいなと思っていました。

妻が評判を聞きつけて、買い物するのに付きあったのですが、ついこのマグカップを買ってしまいました。

合せて、このボトルも。どちらも990円です。

非常に使い勝手がよいのです。

まず、汚れるとやっかいなパッキン類を、最小にする努力を感じます。

取り外しもしやすく、かつ密着するギリギリを狙っているのも伝わってきます。

こういった生活雑貨は、無印良品という先駆者であり大巨人がいます。

多くのブランドがそうであるように、意識しない訳にはいきません。それは、ケユカからも感じましたが、合わせてオリジナリティも感じたのです。

蓋付きマグカップやボトルに関しては、ホームセンターなどで売っている2、3千円くらいの物を買ってみたのですが、しっくりきていませんでした。

その点でも、絶妙な値段設定だと思います。

何より、思わず手にとってしまった一番の理由は、フォルムと色だと思います。

そこを徹底せずに、良いものが生まれてくることはないと思います。

このタイプのグレーは本当に繊細で、赤味と黄色味の配分で、すぐに品を失ってしまうのです。

今回の満足で、ケユカに対する私のブランド価値は大きく上がりました。

と言うか、すでにファンになっているのだと思います。

1号店は2000年とありました。

すでに四半世紀の実績があるにも関らず、全く接点がなく失礼しました。

これからは注視していきたいと思います。

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贈り物のエース、あごひげがある蝶のような蘭‐2230‐

6月27日(金)に「近畿地方が梅雨明けしたとみられる」と発表がありました。

観測史上最速です。

6月の梅雨明けはちょっと記憶にありません。

梅雨の期間中に、雨濡れたアジサイをUPしようと、近所をリサーチしていましたが、その機会もなくなってしまいました。

今週も35℃超えの予報が続き、移動する時は日影を探します。

そう言えば、「日よけルート検索アプリ」なるものを聞いたことがあります。

探してみると……ありました。

しかし、残念ながらinShadeは東京23区限定でした。

アジサイは庭木としてかなり使われているので、探すのには苦労しません。

しかし、最近の家には、茎の長いアジサイのような花が結構植わっています。

アガパンサスという花でした。

南アフリカ原産の種とあり、あまり手間が掛からないようです。

確かに、今までにはあまり無かったタイプの花かもしれません。

移転は完了していますが、まだ工事中のアトリエm移転計画「上町のアトリエ付き住宅 〈リノベーション〉」

なのですが、先日お祝いの花が届きました。

店舗やクリニックのオープン時には沢山の胡蝶蘭が届くので、その光景はよく見てきましたが、贈られる側になったのは初めて。

やはり嬉しいものです。

高価なものなので、どちらの建て主も「気を使わないでくださいね」と皆さんに伝えますが、やはり胡蝶蘭が一番多く届きます。

まじまじと見たことは無かったのですが、何とも面白い花弁です。

胡蝶蘭は東南アジアが原産で、木の枝や皮に寄生して育つので、少ない水でも生きていけるとありました。

繊細な印象もありますが、基本的には生命力の強い種のようで、花持ちがよいのも分かります。

胡蝶蘭の「胡」はあごひげ を意味するので、あごひげがある蝶のような蘭となります。

確かに龍のような髭があり、ある種、威厳も感じるのです。

「胡」 はえびすと読んだり、長寿の意味もあるので、そのあたりも贈り物として重用される理由かもしれません。

調べてみて、贈り物のエースである理由に納得しました。

まだ、アトリエ付き住宅内で上階に移動したり、下階に戻ったりしながら工事を進めています。

落ち着いたら本の森の中で、緑でも育ててみようかなと思っているのです。

そんな余裕が持てるかは分かりませんが、持ちたいと思える歳になったのだとは思います。

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メディアへの露出は打ち上げ花火のようなもの‐2229‐

昨日も暑い一日でしたが、守口市役所へ計画地の法規調査へ行ってきました。

初めて訪れましたが、かなり立派なビルです。

エントランス回りの外構も好感がもてます。

エントランスもゆったりしていますし、点字ブロックもステンレス製ですっきりまとめられています。

エントランス横にはシンボルキャラクターの「もり吉」像がありました。

公募で決まったようですが、色がついているとちょっと印象が違ってきます。

首に回しているのは守口大根でしょうか。

建築関係の調査は、5階のワンフロアで済みました。

内部も明るく、カラフルな内装です。

少し前の市役所と言えばこんな感じ。

少し前と書きましたが、こちらは現役の市役所。どこかを書くのは控えておきます。

地下鉄守口駅から歩いたのですが、途中にはイオンタウンがあり、便利そうな町でした。

下水道の調査は市役所で出来たのですが、上水道調査をする水道局は別庁舎。

結構離れており、歩いて30分程かかりましたが、なぜかこういったケースが多いのです。

歩くのが嫌ならタクシーを拾えばよいですが、それも勿体ないし、歩けば色々な街の情報が得られるというのもあります。

途中、阪神高速守口線の高架下を歩けるところがありました。

高速下と言えば、駐車場などが多いですが、この暑い時期は格好の日よけつき遊歩道になります。

脇に水路もあり、目にも涼やか。この使い方は絶賛推薦しておきます。

僅かに田んぼも残っていましたが、びっしりと家が詰まった住宅街が大半でした。

水道局が淀川のすぐ南側だったので、堤防の上まで上がってみました。

残念ながら水面は見えずでしたが、解放感はなかなかのものです。

はじめに書いた守口市役所の庁舎ですが、帰って調べてみると、旧三洋電機の本社ビルでした。

2000年の完成で、設計は日建設計。

それを守口市が取得、改修し2016年に運用が開始されたとありました。

三洋電機は、松下幸之助の義弟、井植歳男が松下電器を退社し、設立した会社です。

2011年にパナソニックの子会社となるまで、創業以来68年守口市に本社を置いていたそうです。

門真市のパナソニックと守口市の三洋電機が、しのぎを削ってきた訳です。

こうして町の歴史を知るのはとても面白いのですし、設計者としていっそう愛着も沸いてくるのです。

そういえば、先週日曜日、BSフジの『もしもで考える…森田健作のなるほど!なっとく塾』で、私が提供した写真が使われていたはずです。

Webサイトを見ると、出演者は以下の通り。

塾長:森田健作 
塾生筆頭:京本政樹
塾生:小野真弓/酒井法子/鈴木希依子/千葉宗幸/にしおかすみこ/みずか/森林永理奈(五十音順)
秘書:水野悠希

6月初めに制作会社の方から、以下の日記の「写真を使わせて貰えないでしょうか」という連絡がありました。

写真は以下の3枚です。

何の変哲もない、JR大阪駅まわりの写真ですが、できるだけ分かりやすく、美しく撮るよう心掛けているつもりです。

もしそれが、制作会社の方に伝わったなら嬉しいですし、誰かが見てくれると思うのでこだわって写真を撮り、文章を書くのです。

そう言えば、一番近いメディアへの露出は、2023年の4月までさかのぼります。

 『かんさい情報ネットten.』でしたが、作品でなく私の出演でした。

そろそろ作品も何か取り上げてもらいたいと思っています。

メディアへの露出は、打ち上げ花火のようなもの。

「私はここにいます。見つけて下さい」的なものでしょうか。

もうすぐ花火の季節。何かよい出会いがあればよいのですが。

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天満の天神さん、何かいいことありそう‐2228‐

昨日の日曜日は、晴れ間を狙って自転車で出掛けました。

天神橋は天満橋の一本西に掛かる橋です。

天神橋の南詰、「天神橋」交差点を境に、北は天神橋筋で、南は松屋町筋に変わります。

このあたりの位置関係は、自転車で通って初めて把握できました。

北詰には、立派な橋名飾板があります。

大阪市のWebサイトには「天満橋・難波橋とともに浪華の三大橋と親しまれた」とありました。

天神橋から北へ向かうと、車道は西に蛇行していますが、自転車ならそのまま直進できる道もあります。

日本一長い天神橋筋商店街の南端にぶつかりました。

参道道とあるように、大阪天満宮の参道として、また天満青物市場がこのあたりにあったことから、ここまで大きな商店街となったようです。

商店街を北に進み、一つ目の交差点を東に曲がります。

すると大阪天満宮の表大門が見えてきました。

大阪の中心部にありながら、広大な境内にはびっくりしました。

訪れたのは初めてなのだと思います。

天満宮なので、祀られているのは菅原道真公です。

もちろん牛も鎮座。

学問の神様ですから、絵馬も多く奉納されていました。

子供の受験の年は、正月三が日に北野天満宮へ参ってきました。

兄妹とも、これまで全て第一希望へ合格できたので、心から北野天満宮に感謝しています。信仰していると言っても間違いありません。

しかしこれだけ近くに天満の天神さんがあるとなると……さてどうするべきか。

娘の大学受験の時は、熟考しなければなりません。

境内を北に抜けると、星合池という小さな池に橋が架かっていました。

縁結びの橋とされているようです。

その橋を渡ると、 あの橋名飾板が。

向かい合わせの一対のようですが、特に説明はありませんでした。

なぜここにあるのでしょうか。とても気になります。

周囲をぐるりと回って戻ってきました。

北西角には天満天神繁昌亭があります。

上方落語の定席ですが、境内の一角といった位置にあるのです。

道をはさんで、たこ焼き屋さんも。

このあたり、何とも楽しそうな界隈でした。

天神さんには6つの門があり、それぞれに独自の用途と由来があるとあります。

こちらは「戎門」にある御神酒笑姿像。

その表情を見ているだけで、何とも幸せな気分になります。

「えびす像の盃にお酒を入れるのはご遠慮下さい」の張り紙には笑ってしまいましたが。

その後、グランフロントまで妻の買い物に付き合いましたが、大汗でした。

自転車で行くのは、季節の良い時だけにすべきのようです。

長男から、父の日のLINEギフトが届いていました。

普段はスーパードライですが、味のしっかりしたエビスビールも大好きです。

先ほどのえびす像、御神酒笑姿(おみきえびす)で、御神酒戎ではありませんでした。

お酒と笑う姿。こんな最強タッグはありません。

そうそう、私は意外に耳たぶが大きいのです。

何かいいことがあるよう、笑顔を心掛けたいと思います。

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物、移動、風景、街、そして人‐2227‐

今日は朝から地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」の現場へ行ってきました。

JR大阪駅から新快速に乗る際、山側に座るか、海側に座るかは大問題です。

山側の席からは、六甲の山並みが楽しめます。

駅越しの景色もそれぞれ特徴があるものです。

一方、海側の魅力は、やはり海。

須磨あたりから明石海峡を越えたあたりまでが見所です。

それで、晴れた日はどちらに座るか、かなり迷うのです。

加古川の手前、稲美あたりは文字通り美しい田んぼが広がります。

海側に「いなみため池ミュージアム」という看板が見えています。

東播磨らしい景色を楽しめるのです。

現場のある太子町は、西播磨に属します。

このあたりも平野の広い穏かな景色が広がっています。

左の「ささき整形外科クリニック」は私の設計ではありませんが、右の「ささき整形外科デイケアセンター」は私の設計です。

「ささき整形外科クリニック」のリハビリスペースが足りなくなり、院長は増築を考え始めたのですが、その計画を任せて貰ったのです。

フルリノベーションはかなりの数を経験しましたが、これだけ本格的な増築は初めてでした。

なかなか、歯ごたえ十分の計画ですが、間もなく足場がとれるところまでやってきました。

院長からは、リハビリスペースの拡張と共に、スタッフの皆さんがリラックスできる空間を作りたいという要望もありました。

近隣に高い建物がないので、増築棟の3階、4階からの景色はなかなかのもの。

4階の外部空間や、3階のカフェのような空間を楽しんで貰えたらと思っています。

完成すれば、「ささき整形外科村」と言えるようなエリアになります。

今年に入ってからも、色々な場所で、様々な計画の相談がありました。

物、移動、風景、街。

私の好きなものです。

ここに人を加えると、建築設計の仕事そのものと言ってよいかもしれません。

全てが実現するかは別としても、色々な場所で様々な計画を相談して貰えることは、建築家冥利につきます。

その計画を思い描いている時が、私の人生の中で最もワクワクする時間なのだと思います。

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さくらんぼとビールと天下人‐2226‐

先週の水曜日に、大阪も梅雨入りしました。

しかし、今週はほぼ晴れの予報です。

ありがたいことなので、晴れた日はできるだけジョギングにでています。上町のアトリエを中心に、今日は東、今日は南といった感じで。

比較的、大阪城のある北が多めになるのは、やはり信号が少ないから。

しかし、大阪城は近くに行くと意外に天守閣が見えにくいのです。

正門である大手門をくぐると正面に見える「大手口桝形の巨石」。

表面が29畳もある巨石が使われているのは、自らの力を誇示するためです。

大阪城内でも4番目の巨石ですが、これは豊臣時代のものでなく、徳川時代に築かれたものとありました。

とは言え、信長の草履とりから日本初の天下人となった秀吉の功績は、大阪にとって計り知れないものがあります。

たとえ現天守閣が、徳川時代の再現だったとしてもです。

天守閣が良く見えるのは南東の森ノ宮あたりと、北西の京橋口あたりでしょうか。

周囲をくまなく回っていますが、京橋口あたりの内掘越しの天守閣はなかなかの迫力です。

内堀はお掘めぐりのツアーもありますが、若干人も少な目。

とても気に入っているのです。

先週末、宅急便から旧事務所へ届け物があると連絡があり、受け取りに行くと山形のさくらんぼでした。

りんご、さくらんぼと、この数年、あるご縁で宮城の社会保険労務士の方から頂きっぱなしで……

申し訳ないという気持ちとは裏腹に、口に入れると何とも言えない上品な甘さが広がります。

とびきり美味しいのです。

と思っていたら、夕方には、長男からLINEギフトが届きました。

そう言えば、昨日は父の日でした。

母の日に、妻へプレゼントを贈っていたので「父の日はいらないよ。自分のために使って」と言っておいたのですが、エビスビールを贈ってくれました。

子供には、出来るかぎり伝えたいことは伝えたつもりですが、プレゼントについても話したことがあります。

「物は、好みが本当に難しいから、無くなるものにしなさい。食べ物とか、花が一番いいと思う」

それを覚えているのか、いないのか分かりませんが、やはり嬉しいものです。

お礼とともに「就活しっかり頑張って」と返しておきました。

社員も相当数雇用し、子供と同じ熱量で伝えてきたつもりですが、現在残っている社員はひとりもいません。

京セラ創業者の稲盛和夫さんは、京セラフィロソフィーの中で「大家族主義で経営する」と謳っていますが、このような説明があります。

創業時にはお金も技術もないものだから、心を頼りにしていくしかない。ただ「心」といっても漠然と不安なので、いちばん固く結びついているものは何かと考えたところ、それは家族の絆だと思い付いた。

それでは、家族と社員とでは何が違ったのでしょうか。

熱量はむしろ社員の方が注いだかもしれません。しかし、愛情が少なかったのだと思います。

そこは真摯に認めて反省するしかありません。

さくらんぼとビール。

これは現実に目のまえにあるものです。(エビスビールはまだ届いていませんが)

あるものとないものをしっかり見極めて、第3ステージと位置付ける、この地で結果を残したいと思います。

天下人になれるかは別にして、目指すのは、誰にも許されるはずですから。

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関西万博<後編>ガンダムで締め‐2225‐

日曜日にはじめて訪れた、関西万博の後編です。

ほとんど予備知識無しにいったので、気になった建築をピックアップしてみます。

日本館はいい感じですが、ややさっぱりしているなあと思っていたら、日建設計の設計でした。

ただ、デザイナーの佐藤ナオキのプロデュースでした。

万博らしい建築だなと思ったのはシャインハット。

伊東豊雄でした。

1970年の万博を意識したとありましたが、確かにクラッシックな感じがします。

東ゲートから入ると、大屋根リングをくぐると正面に見えてくるのが、左からフランス館とアメリカ館。

それぞれ、大国の威信をかけ、有名建築家の仕事ですがそこまでのインパクトは無かったでしょうか。

すぐ近くにある、マレーシア館は隈研吾だろうなと思ったらその通りでした。

永山裕子が2つのパビリオンを設計していて凄いと書きましたが、隈研吾に至っては4つを担当していました。

その数字を見ても、彼が現時点で日本のトップ建築家であることは間違いありません。

ただ、レジェンドも黙っていません。

飯田グループホールディングス✕大阪公立大学のパビリオンは高松伸の設計です。

今回、安藤忠雄の作品がないなか、76歳での担当は流石です。

西ゲート近くにはミャクミャクとよしもと館。

そしてパソナグループ館。

らしさがでていて、良かったと思います。

アイデア賞はタイ館でしょうか。

半分だけで全部とは笑ってしまいました。

夕方になり列が短くなってきたので、少し並んで入れそうなパビリオンに入ってみました。

ロシアとイランに挟まれ、天然資源に恵まれた国です。

アゼルバイジャン館はスイスの設計事務所ベルプラット・パートナー。

内部は、360度スクリーンに写される映像ショーがメインです。

続けて、会期中に完成したインド館へ。

かなり混んでいましたが、入れたのをよしとしなければなりません。

少し後には、再び入場制限をしてましたから。

ただ、並んで入るほどでは……

この情報化社会です。面白いところが、簡単に空くことはないはずです。

西ゲート近くには、実物大ガンダムが。

目が光り、胸から煙をだす姿をみるだけで満足です。

一日歩き回ったので、ドローンショーはパスして帰ることにしました。

天気は雨が降ったりもしましたが、最後は夕焼けに。

この日の入場者数は12万6千人。収支ラインは約15万人とのことですが、これくらいが目一杯ではと思いました。

残念ながら、パビリン内部に入れたのは数えるほどでしたが、大屋根リングとガンダムはよかったです。


建築設計を生業とするものとして、1970年の万博の年に生まれ、55年後に向かえたこの地元開催で、全く関われなかったことに悔しさはありますが、おおいに刺激を受けました。

私にとっての関西万博はこれで終わり。

日常に戻って頑張っています。

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関西万博<前編>やっぱり大屋根リング?‐2224‐

昨日の日曜日、ようやく関西万博へ行ってきました。

11時からの入場枠でしたが、夢洲駅はかなりの人でした。

噂通り、東ゲートはかなりの列でしたが、それでも並んだのは35分くらいだったでしょうか。

入場すると、まずは大屋根リングが出迎えてくれます。

設計は藤本壮介。

開催寸前まで、行くかどうかも決めていませんでしたが、折角の地元開催ということで、7月18日まで1回入場できる前期券を寸前に購入しました。

事前にいくつかのパビリオンに入る権利を持っていたのですが、2回の日程変更でそれらは消滅。

よって、基本は歩いて、歩いて、歩くのみのウォーキングデーになったのです。

大屋根リングはかなりの迫力で、海にせり出したこのあたりの景色が一番気に入りました。

まったく事前調査はしていませんでしたが、それでも耳に入ってくるのは、こちらのパナソニックグループパビリオン。

設計は、永山祐子。

ウーマンズパビリオンも同じく永山祐子の設計です。

2つのパビリオンを設計しているのです。凄い、の一言につきます。

「コモンズ」は、小さなブースが集まったパビリオン。

このスペースで、1国を紹介するのはちょっと大変でしょうか。

反対に、シグニチャー館のひとつ、落合陽一プロデュースの「Null2」は、外から見ただけでも流石だなという感じでした。

以前の万博において、建築は主役でもありましたが、その役割は大きく変わっていくのだと思います。

仮設であることが大前提ということは、建築との相性が決して良いと言えないからです。

岡本太郎の太陽の塔や、前川國男設計の鉄鋼館は現存していることからもよく分かります。

当日、空きができると募集するパビリオンがいくつかあり、「電力館」だけ入場することができました。

入場すると卵型の装置を首からさげます。

そして色々な体験をし、その情報がその装置に記録されるしくみです。

最後は、圧巻の照明と音楽のショーで締め括られます。

ニュースで、皇族の愛子様も体験した、結構な人気パビリオンですが、妻が当日の応募で何とか確保してくれました。

十分凄くはありましたが、ディズニーランドやUSJを体験している今の世代の人たちは、万博に何を求めるのだろうと考えていました。

そうそう、こちらも何度か話題になっていたネパール館。

まだ工事が続いているのか、もう諦めたのか分かりませんが、天井の断熱材がむき出しでした。

正面にあるこちらの像は、「べー」と舌を出しているようにもみえます。

こんなことも含めて万博なのでしょう。

雨も少し降ったこともあり、「大屋根リング」が一番楽しめたでしょうか。

誰にも頼まれていませんが、私ならもう少し海を取りこみたいと思ったのと、大屋根の中央にある白いシート部が気になりました。

元の設計ではこの部分は解放されていたのかなと考えていました。

この日の入場者数は12万6千人。最多ではないものの、かなりの人数だったようです。

次回の木曜日の後編で完結したいと思います。

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職人の道具と、本当の天才・長嶋茂雄‐2223‐

6月3日、長嶋茂雄さんがお亡くなりになりました。

王さんの現役時代は、はっきり覚えていますが、ミスタープロ野球の現役は記憶にありません。

1974年の引退なので私は4歳。残念ながらすれ違い世代なのです。

そんな世代でも、その多大なる影響力はヒシヒシと感じていました。

多くのメディアが特集をするなか、一番心に残ったのがこの言葉です。

「自分の持っているもの、そのすべてを出し切ったら、悔いのない一生になるはずです」

母校、立教大学の後輩へ送った言葉ですが、何と奥深い、愛情のある言葉なのかと感じ入ってしまいました。

造作建具も、造作家具も、大量生産品があまりにも安価なので、採用する機会が減っています。

しかし、現在キッチンを造作しており、その制作現場へ潜入してきました。

大阪市内、かつ地下鉄の駅がすぐそばで「こんなに駅チカなの」と驚いてしまいました。

1階の作業場ではそのキッチンの組み立てをしている最中でした。

一番奥にはプレス機があります。

2階には、ホームセンターにあるような巨大な切断機も。

機械を見るだけでワクワクしてきます。

3階でも、2人の職人が作業中でした。

奥にはベテランが1人。

手前の若い職人は、カンナ掛けをしていました。

思ったような削れ方をしないのか、金づちで刃の加減を調整し、再度細やかな仕事をしていました。

それを見ているだけで、来た甲斐があるというものです。

金額調整で既製品を選択しなければならない場面は多々ありますが、もう少し粘り強く減額案を考えようと思ったのです。

ノコの刃、カンナ、砥石と、整理整頓された道具に職人魂が見えるというものです。

長嶋さんの言葉で、2番目に心に残ったのは次の言葉です。

「僕はバットは何でもいいんですよ~!」

王さんが、ずっと同じバットにこだわっていると言ったすぐ後の発言です。思わず頬が緩んでしまいました。

イチローも落合も、そして今年バットを1インチ長くした大谷も、皆バットにはかなり繊細なこだわりを持っているはずです。

その中で「何でもいい」とは、全く別次元で、聞いたことがありません。

本当の天才が、そこ抜けの明るさで、誰もを魅了し続けた一旦を垣間見ました。

誰もが長嶋さんになりたい、でもなれない……

心からご冥福をお祈りいたします。

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