彼岸にわたる‐1363‐

 今日でお彼岸も終わり。

 暑さ寒さも彼岸までと、公園の花水木もほぼ満開です。

 そして菜の花も。

 「お彼岸」とは彼岸会(ひがんえ)の略で、春分・秋分の日を中心に前後3日間におこなう仏事を指すそうです。

 「彼岸」を広辞苑でひくと「生死の海を渡って到達する終局・理想・悟りの世界」とありました。

 反対に、生死を繰り返す迷いの世界が「此岸(しがん)」。私達が生きるこの世の中です。

 お釈迦さまは、此岸(この世)から、彼岸(悟りの世界)に到達することを波羅蜜(はらみつ)といいました。

 そのために必要な修行が六波羅蜜です。

六波羅蜜

1 布施 人を助ける。
2 持戒 戒律を守る。
3 精進 努力をする。
4 忍辱(にんにく) 耐え偲ぶ。
5 禅定(ぜんじょう) 心身をおちつける。
6 智慧 学ぶ。

 俳優の高倉健さんが亡くなる前に語っていた言葉が好きです。

 「俳優という仕事には、生き方がやっぱりでているよね。テクニックではないんでしょうね。

 柔軟体操なら、いいトレーナーにつけば体を壊さずに柔らかくなる。いい本を読めば知識はつく。

 しかし、最もでるのは普段の生き方。偉そうなことを言うようですけど」

 六波羅蜜をみれば、お釈迦さまであれ、私達一般の市民であれ、すべきことは大差ないのがよく分かります。

 それは、高倉健さんのいう日々の行いであり、一過性のものではないのでしょう。

 この陽気に誘われて、早咲き桜もポツポツと花開き始めました。

 花はすべき時に準備をし、ほこるべき時に咲きほこります。

 桃源郷という言葉がある通り、理想の世界にはいつも花であふれています。

 この時期に先祖を参るのが彼岸参り。

 岡山と香川、高槻と和歌山を訪れなければと思うのです。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【News】
■10月29日『住人十色』毎日放送(MBS)「松虫の長屋」放映■

『建築家カタログ2016』8月29日発売に「遠里小野の家」掲載
『住まいの設計07・08月号』5月21日発売に「松虫の長屋」掲載

『homify(韓国)』1月18日「柏の家」掲載
『homify(韓国)』1月17日「細工谷の家」掲載
『homify(インドネシア)』11月12日「イタウバハウス」掲載

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

白川郷でみた「結」の本質‐1362‐

 昨日は、岐阜の荘川高原スキー場に行っていました。

 東海北陸道の高鷲インターを過ぎ、ひるがの高原サービスエリアの次のインターチェンジが荘川。

 かなりローカルな感じのスキー場ですが、ここにしたのには理由があります。

 ひとつは、久し振りにスノーボードをするためです。

 長男に水をあけられたボードですが、私の練習のため、広く、すいているところがよかったのです。

 まだ時々こけますが、娘のボーゲンにはついていけるようになりました。

 ようやく長男と同じくらいまできたでしょうか。

 なんとも昭和の匂いがするレストハウス。

 このほうが落ち着くのは昭和45年生まれなので当り前か。

 席の確保に苦心する必要もなしで、気楽に午後2時まで滑りました。

 ただ「シニア券(50歳以上)」の表記にたじろいでしまいました。

 もう数年で、ついにシニアなるというのが現実なのです。

 荘川まで北上してきたもうひとつの理由は、白川郷に寄るためです。

 前回白川郷に来たのは2008年の秋。娘が生まれて半年くらいでした。

 家族で47都道府県制覇を掲げていますが、いずれも4人で回るのが前提です。

 今年の夏休みには達成できそうですが、その次は日本の世界遺産制覇にしようと思っています。

 私は満足しているけれど、子供には記憶がない。

 これでは目的を果たしていないので、記憶にないところは、再訪しなければと思っているのです。

 夕方3時半に着きましたが、この時間でも続々と観光客が訪れます。

 私達もそのひとりですが。

 2008年にも訪れた、明善寺の庫裡に入ってきました。

 1階には囲炉裏があります。

 電気やガスなど無い時代、寒い冬は炉を中心とした暮らしがありました。

 内部は5層構造になっており、中央はすのこ状の床になっています。

 囲炉裏の暖気が登ってきて、茅葺屋根の内部を燻します。

 それらは、虫を駆除する役目もはたしているのです。

 また、茅葺屋根なので、窓は妻面(屋根のかかっていない側面)にしかありません。

 光はより貴重なものだったでしょう。

 2~4階はカイコを養殖する空間です。

 長い冬、大きな屋根裏を養蚕工場として活用されていたのです。

 1階にあるこの囲炉裏は暖をとるだけのものではなく、全ての中心でした。

 茅の葺き替えは、片面だけで1千万円以上かかるそうです。

 また、100人から200人の人手も必要になってきます。

 その膨大な人出は、「結(ゆい)」という労働交換によってまかなわれます。

 豪雪地帯である白川村は、長く他の地域と隔離されるため、それぞれの家庭だけで生きていくことは不可能でした。

 互いが助けあうことが、どうしても必要だったのです。

 「結」は日本各地にありました。沖縄では「ゆいま~る」です。

 「結」という思想は、農業国であった日本の原風景といえるのです。

 彼岸をむかえ、茅葺きの屋根からは雪解け水が茅の1本1本からしみ出し、滴となってしたたり落ちます。

 村内に張り巡らされた水路の流れは、春の訪れをしめすよう。

 本格的な春を迎える彼岸は、現代とは比べられない程、待ち遠しいものだったのではと思います。

 現代社会が失ったものを、簡単に断ずることはできません。

 しかし、若者の「まずは自分の権利があってこそ」という姿をみて、果たしてそれでよいのだろうかと思います。

 その時間そこにいれば、今度の葺き替えの時に手伝って貰える訳ではありません。

 役にたってこそ、屋根を葺いてこそなのです。

 もし手伝って貰えなければ、その先にあるものはたったひとつなのですから。

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直感を信じる勇気、失敗を許容する寛容さ‐1361‐

 塾でテストがあった日、娘はたこ焼きを食べに行きたいと言います。

 大阪で、たこ焼きの昼食は「あり」ですが、娘は会社近くにある店「チャッピー」限定。

 確かに、ここのたこ焼きはまわりがサクッとしていて、なかなかに美味しいのです。

 おじさんは「ちょっといい粉を使ってます」と言っていましたが、多めの天かすも理由かもしれません。

 しかし、ここまで好きだとは分かっていませんでした。

 店のおじさんに、手紙を書くと言い出したのです。

 たこ焼きのイラスト付。

 先日「冬になってお客さんが減ったと、おじさんが言ってたよ」という話になりました。

 「あの店がなくなったら、もうあのたこ焼きが食べれない。自分が食べに行かなくては」と、気が気でなかったようなのです。

 大阪のたこ焼きで、美味しくないところもそうありませんが、よければ食べてみて下さい。

 8個300円。味は私が保障します。

 一応、地図も貼っておきます。

 おじさんは、店を辞めても手紙は置いておくよと言ってくれました。

 この高度情報化社会、SNSやインターネット網に引っかかれば勝者、そうじゃなければ敗者というような風潮です。

 娘の舌がすごく肥えているとは言いませんが、彼女にとって手紙を書きたいほどの店。

 客足が遠い現実をみて、何が正しいのだろうかと考えます。

 彼女の好物はアジの刺身で、醤油を付けずに食べます。また、味の濃いラーメンなどは「辛い、辛い」と全く食べません。

 味覚はは小学4年生くらいが最も鋭いようなので、案外一番味が分かっているのかもしれません。

 たまの外食は「やっぱり美味しかったね」が理想です。

 しかし、飛び込みの店で「見ためより美味しかったわ」や「完全に見掛け倒しだったねえ」も、もちろん「あり」です。

 誰しも失敗は嫌ですが、長い(短い)人生、失敗の数こそが、そのまま成長への係数になるような気がします。特に若い頃は。

 長男がスマホで検索する姿をみて、どうしても寛容な気持ちになれないのは、このあたりにあるのかもしれません。

 はずれの店もよし、時にはぼったくられるのもまたよしなのです。

 ネットで検索して、知ったような顔になっていないか。自分の目、直感を信じる勇気をもっているか。

 そして、多少の失敗を許容できる寛容さをもっているか。

 これらは、大人側の問題だと言えそうです。

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苦味あってこそ‐1360‐

 長男が何とか希望校に通ったので、お礼参りに行ってきました。

 北野天満宮は学問の神様、菅原道真公が祭られた、天神社の総本山です。

 言わずと知れた、ですが。

 1月3日は、混雑を避けて早朝に到着しました。

 今回は午後2時の到着でしたが、梅の名所でもあり、かなりの賑わいでした。

 朝日があたるここがいいんじゃない、と奉納させてもらった絵馬掛所の一角。

 前回より、さらに絵馬が盛り上がっています。

 後半生、不遇だった道真公はこう遺言を残したそうです。

 自らの遺体は牛に車を引かせ、立ち止まったところに葬って欲しい。

 それで、天神さまのお使いは神牛となりました。

 本人は「僕も結構頑張ったんやで」と言っていますし、もちろんそうでなければ合格しないと思います。

 それでも、少し後押しがあったように感じるのは、私が親になったからでしょうか。

 梅苑も散策してきました。

 道真公は博学であるがゆえ、時の天皇に疎まれるようになっていきます。

 そして、大宰府へ左遷されそこで一生を終えるのです。

 大宰府天満宮へは、2014年の夏に訪れました。泣き出しそうな空だったことを覚えています。

 東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花

 主なしとて 春を忘るな

 京を去る際に、詠んだ歌です。

 小ぶりな梅の花が切なげに、慎ましやかに咲き誇ります。

 梅は枝の形がさまざまで、紆余曲折のある人生のようにも見えてきます。

 梅は枝と合わせてみるものではと、この歳になって気づきました。

 今日、2時間程かけて入社試験の面談をしました。

 若い彼らに、苦味と喜びの両方を経験させてあげられたらといます。

 博学を疎まれるほどの経験がないことを、喜んではいられませんが、それなりの屈辱も経験してきました。

 しかし、ビール、コーヒー、サンマのはらわたと、苦味の無い人生は、それはそれで味気ない気がするのです。

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あべれいじ‐1359‐

 20代の後半、まだ競技スキーを本気でやっていた頃のことです。

 土曜日の夜、仕事が終わると信州のスキー場へ向かいます。

 昼過ぎに試合が終わり、大阪への帰路は500kmほど。帰りの中央道はFMを聴きながら車を走らせます。

 午後の日差しが眠気を誘うなか、DJは山下達郎、松任谷由実、福山雅治の順だったでしょうか。

 そのあと、ちょっとコミカルなラジオドラマがありました。

 2月のスキーの帰り、未だに続いていると知ったのです。

 「NISSANN あ、安部礼司」というタイトルらしく、サイトをみるとこうありました。

 この物語は、ごくごく普通であくまで平均的な45歳の安部礼司がトレンドの荒波に揉まれる姿と、それでも前向きに生きる姿を描いた勇気と成長のコメディである。

 昭和46年10月10日生45歳

 ご存知!Mr.フツー。仕事も恋も家庭も友情も、大事なことはすべてマンガから学んだと豪語する平成のお気楽サラリーマン代表。iPodには「今さらツボなセレクション」と題された懐かしい楽曲が2万曲近くも入っている。

 冬の黄昏時、ちょっと楽しみにしていたのを覚えています。

 静岡市出身の45歳、身長172cm。安部礼司=Average。作り手が思う、平均的日本人がよく分かります。

 「あ、安部礼司」は ” a   average  “か。面白いタイトルです。

 先日、元商社マンで、現在外資系の会社で働く人がこんなことを言っていました。

 「中国の平均年収は未だ日本より低いが、とびきりの金持ちが沢山いるだろう。インドネシアなんかも同じ構図だよ。平均という言葉がナンセンスだね」

 確かに、と納得したのです。

 北海道と沖縄。

 春と秋。

 夏と冬。

 都心部と農村部。

 平均することに全く意味はありません。

 「偏差値50」「一般的には」「平均寿命」と、それでも人は平均を意識するもの。勿論私も同じです。

 花をみて、どうして人間はこうも比べたがる?と槇原敬之は問いますが、やはり人間だからでしょう。

 そこから解き放たれたいし、張り合いのために基準を持っていたい。とかく人の心は複雑なのです。

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古希‐1358‐

週末は、母の古希祝いで天橋立へ行っていました。

両親、弟家族との旅行は久し振りです。

日本三景と言えば、宮島、松島、そして天橋立です。

南にある天橋立ビューランドからの景色は「飛龍観」とよばれます。

特に「股のぞき」をすれば、天に龍が舞い上がるようにみえるとのこと。

娘と姪っ子にさっそくトライしてもらいました。

娘なので失礼して。

天に舞う龍にみえるでしょうか。

父がカニが食べたいというので、夕食はカニ尽くしのコース予約していました。

そして子供には、丹波牛のしゃぶしゃぶ。

いずれも、バチがあたりそうなくらい美味しかったのですが、私はカニの刺身が一番でした。

そして、女の子チームから花をプレゼントしてもらったのです。

翌朝は、反対にある笠松公園からも股のぞきをしてきました。

こちらは昇り龍のように見えるので「昇龍観」とよぶそう。

正直、その違いは分かりませんが、股のぞき発祥の地はこちらだそうです。

集合写真には興味がないのですが、11名全員が揃う機会もなくなってきたので、昇龍の前で失礼しました。

伊根の舟屋なども回ってきましたが、天気に恵まれ、良い古希祝いになったのではと思っています。

平均寿命が80歳を超えたとはいえ、70歳まで元気でいることは当たり前のことではありません。

更に、まだ介護の仕事をしているので、感謝しなければなりません。

あまり言いたくないのですが、最近小さなに文字が見難くなってきました。

ずっと視力は2.0だったので、「早くに老眼がくる」と言われていましたが、まさか自分に限って、と思っていました。

何事も経験しなければ分からないものです。

自分が70歳になったとき、どんな視力で、どんな体力で、もしくは生きているかも定かではありません。

それでも、死ぬまで仕事は現役でいたと思っています。

昔なら、稀なことだったので「古希」。

祝い事なので「希」の字があてられているのでしょう。

どれだか体がおんぼろになっても、希望の灯だけはいつも燃やしていたいと思うのです。

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戦争と沖縄‐1357‐

終戦から72年。

戦争を、20代、30代で体験した祖父母は、すでに4人とも亡くなってしまいました。

終戦時に8歳だった人が現在80歳。戦争体験を聞く機会は、この10年でほぼ無くなってしまいます。

2月11日12日と初めて沖縄を訪れましたが、戦争についてはやはり素通りできないと思っていました。

那覇の目貫通りは国際通り。

夕方だけなのか、歩行者天国になっていました。

ある交差点では、ストリートパフォーマンスをしている若者がいます。

平和な日曜午後の風景です。

後ろに見えるのは安売りのドン・キホーテ。

この建物は安藤忠雄の設計で、もとの名は「フェスティバル」だったと思います。

今はベージュのペンキが塗られ、打ち放しの見る影もありません。しかしそれも時代の流れです。

ここに書くのはあくまで私の歴史観、戦争観です。

2ヶ所だけですが、沖縄戦の痕跡を訪ねてきました。

旧海軍司令部豪は那覇市街を見下ろす、小高い山にあります。

アメリカ軍の砲撃に耐えるため、山をくり抜いて作られた地下陣地でした。

450mあったうちの300mが公開されていました。

ここは司令官室。

漆喰が施されています。

ここは下士官兵員室。

スリット状に影が見える部分に、元は木の支柱がありました。

下士官は、立錐の余地なく立ったまま眠ったそうです。

ツルハシの跡が生々しく残るこの空間で、立ったまま眠り、戦に勝てる訳などありません。

そして幕僚室。

壁に残るのは幕僚が手榴弾で自決した際、飛び散った破片の跡です。

生々しく残るその跡を、正直、真正面から見ることは出来ませんでした。

責任は自決してとる。

その場にいればそれが正しいと私も思ったかもしれませんが、どんなことがあっても生きてこそです。

それを分からなくするのが戦争でしょうか。

もう1ヶ所は糸数アブチラガマ

那覇から南東へ10km程いった小高い丘の中腹にあります。

先の戦争で、沖縄への上陸は本島中部、読谷村(よみたんそん)あたりから開始されました。

アメリカ軍は徐々に南下してきたため、本島南部は最終の激戦地となりました。

「ガマ」とは沖縄方言で、洞窟やくぼみを指します。

「アブ」は深い、「チラ」は崖をさします。深い、深い、とても暗い洞窟でした。

以前は撮影を許可していたそうですが、現在はガマの手前まで。やはりネット社会は難しとのことでした。

内部には照明はなく、懐中電灯を手に1時間程かけて案内をしてくれます。

この糸数アブチラガマは、もとは集落の非難指定豪だったのが、陣地豪となり、病院の分室となりました。

病院分室となってからは、ひめゆり学徒もこの地に配備され、負傷兵の治療にあたります。

トイレなどないので、糞尿を一斗缶に入れ、夜の間にガマの外へ捨てに行くのも彼女達の仕事だったそうです。

衛生状態が悪いので、負傷兵の手や足が切断されたものも、彼女たちが外部へ捨てにいきました。

人はそんな悲惨な日常にも慣れてしまうそうで、高校生くらいのひめゆり学徒も「これ○○さんの足だから、重くてかなわないね」とような会話を交わすようになっていったのです。

人が人でなくなる。それが戦争なのではないでしょうか、とガイドの方が言っていました。

最終的に軍からの撤退命令がでると、歩けない負傷兵と地元の人だけがここに残りました。

アメリカ軍は入り口からガソリンを流し込み、火を放ちましたが、湿気が多い為全体へは広がらなかったそうです。

それでも、ガマ内の天井は黒く焦げ、爆発したドラム缶の一部が、濡れた紙のように天井にへばりついていました。

それはこの出口からすぐそこで起こったこと。地元の方の何人かが、そこで命を落としたのです。

本土決戦に備える時間稼ぎのために「沖縄は捨て石にされた」と糸数アブチラガマのwebサイトにはあります。

更にこうあります。

 沖縄戦で、日本兵6万6千人、沖縄出身兵2万8千人、米兵1万2干人、一般住民9万4千人が亡くなりました。

 当時の沖縄県の人口は約50万人でしたから、沖縄県民の4人に1人が亡くなったことになります

日本で唯一、地上戦を経験した沖縄。

アメリカ軍、日本軍、沖縄県民が入り乱れた、終戦間際は地獄絵図だったといいます。

スパイを疑われ、殺された県民もいたとのことでした。

沖縄戦で亡くなった日本軍の中で、沖縄の次に多かった出身地は、北海道だそうです。

ガイドの方が「内地という言葉があるとおり、やはり沖縄、北海道など、地方の貧しい人達の多くが命を落としたのかもしれません」と言っておられました。

大阪に住んでいて、「内地」という言葉を使うことはありません。

その音には、ある種の不公平感が含まれていることを、私達は認識しなければなりません。

サトウキビ畑の中にぽっかりと空いた、糸数アブチラガマ。

案内の途中で「いちど全て懐中電灯を消してみましょうか」と言う場面がありました。

多くの負傷兵が見捨てられ、出入口をアメリカ軍に塞がれ、火を放たれ、真っ暗闇のなかで沢山の人が亡くなっていきました。

日本の終戦は8月15日ですが、このガマでの終戦は8月22日。それまでここに立てこもっていたのですが、アメリカ軍に収容され、負傷兵も数名が命をとりとめました。

身動きできない真っ暗闇の中で聞こえるのは、わずかに残る負傷兵のうめき声と、自らの傷口をウジが食う音だけだそうです。

そんな断末魔の世界を、なぜ多くの市民が経験しなければならなかったのか。

作家・司馬遼太郎は青年期にこの戦争を経験しました。

18歳で学徒動員されますが、栃木県の地で終戦を迎えます。

召集を受け、一旦は死さえ覚悟した若き日の司馬遼太郎は、戦争が劣勢になってくると理不尽な場面にでくわします。

本土決戦を前にした日本の軍部は、命をかけて国民を守るどころか、最終的に自らの保身を優先するような命令を下すのです。

そのとき彼は「日本人というのは、こんな国民だったのか。いやそうではかったはずだ。戦国時代は、江戸時代は、せめて明治時代以前はそうではなかった・・・・・・」と憤ります。

それから日本が少しでも良くなればと、戦国時代、江戸、幕末の志士を描くことになるのです。

戦争に導いた人達をリーダーとよんで良いのか分かりません。

それでも、国にしろ、組織にしろ、リーダーの判断は、多くの人達に良くも悪くも影響を与えます。

アブチラガマでは、指令室になる予定だったところは、ガマの奥深くで、敵の侵入を防ぐため様々な工夫がされていました。

一方、地元住民があてがわれたスペースは、出口からすぐのところ。

一番奥が駄目、入り口側が良い、というような単純な問題ではありませんが、覚悟と愛情のないリーダーは組織を不幸にします。

ガイドの方の言葉にトゲや恨みは感じませんでした。

しかし、現実に捨て石にされたという事実と記憶が変わることはありません。

美しく、やはり痛い、はじめての沖縄だったのです。

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あなたは絶対幸せになる‐1356‐

 土曜日はOhanaへ行っていました。

 私が設計させてもらった写真スタジオです。

 2009年の秋に竣工したので、現在8年目に入りました。

 京阪萱島駅から徒歩3分ですが、住宅街の中にあり環境はとても静かです。

 何度も通った京阪萱島駅。

 「近畿の駅百選」に選ばれています。

 この大クスノキは萱島神社の御神木で、神社と御神木ありきの駅なのです。

 元の店舗は、この駅の高架下にありました。

 丁度その向かいに、細い路地があります。

 そこを抜けるとOhanaが見えてきます。

 エントランスの黄色い扉も、床材のピンコロも、全てに思い入れがあります。

 竣工時は2m程度だったオリーブ。

 現在は4m程に成長しました。

 予算が厳しかったので、古川庭樹園までクライアントと一緒に買いに行き、一緒に植えたものです。

 「センスの良い知人宅のリビング」と設定したレセプション。

 緑も増え、まさにOhana色に染まっています。

 2階スタジオからもオリーブが見えるようになり、「ようやく背景として使えるようになってきたんですよ」と。

 クライアントは、保育園のアルバム撮影もしています。

 目指すのは、130名全員が笑顔のアルバム。

 撮影前の遠足では、笑わせるのが難しそうな園児と積極的に遊ぶそうです。

 そして撮影当日。

 その時の「仲良し」を武器に、懇親のギャグを連発するのです。

 同業の人が「どうやったら、全員笑顔の顔写真がとれるんだ」と聞いたそうです。

 これが私のクライアントだと胸を張りたくなりました。

 今回はある相談で伺いましたが、そのお題は、決して簡単なものではありませんでした。

 しかし「この人のためなら何とかしよう」と思います。

 そんな人とばかり仕事をしてきたので、私も成長できたし、幸せな仕事人生だと心から思うのです。

 その後、予約してくれていた京橋の焼き鳥屋さんへ移動しました。

 トイレへの通路は極めて狭いですが、最高に美味しい店だったのです。

 その席で、長男の合格祝いを頂きました。そして、この日がクライアントの誕生日だったことを思い出したのです。

 まったく、こういったことに気がつかない私ですがこれだけは言えます。

 あなたは絶対幸せになる。ならなければおかしい。

 偉そうですが本当にそう思うのです。

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建築家にとって一番大切なもの‐1355‐

 今月の初め、建築家・高松伸さんとお会いする機会がありました。

 あるホテルで、フレンチをご一緒させて頂いたのです。

 高松伸さんは京都大学の名誉教授で、私達の年代から見れば、レジェンドと言ってよい存在です。

 2年前、母校での文化祭に呼んでもらいました。

「卒業生によるプロフェッショナル相談会」というイベントに参加するためです。

 そこに参加していた大先輩から「高松先生と食事をするけど、ご一緒してみる?」と声をかけて貰ったのです。

 先日行った沖縄の浦添市にある「国立劇場おきなわ」。

 2003年の作品です。

 何と言っても目を引くのが反りかえった外観です。

 竹を編んだような外皮はプレキャストコンクリート製で、軒下空間をつくっています。

 これは沖縄の民家をコンセプトに取り入れたものでした。

 2007年完成のナンバ・ヒップス。

 これは知っている、という人も多いのでは。

 現在は無くなりましたが、道頓堀と心斎橋筋商店街の交点にあった、キリンプラザ大阪も1987年の作品です。

 2015年のシルバーウィークは長崎、佐賀をまわりました。

 長崎港ターミナルは、1995年の作品。

 グラバー邸から見下ろした景色ですが、出島エリアでも存在感を放っています。

 島根県伯耆町にある、植田正治写真美術館も1995年の作品。

 2013年の夏季休暇旅行で訪れました。

 逆さ富士ならぬ、逆さ大山が水面に映ります。

 京都駅から歩いて行ける東本願寺。

 その参拝接待所は地下に埋められています。

 こちらも高松伸さんの設計で1998年の作品。

 スケール感、造形の自由さ。間違いなく日本の建築界を牽引してきたトップランナーです。

 子供みたいな質問をして、場をしらけさせないようにと思っていましたが、どうしても聞きたいことを質問してみました。

 「ご自身が一番納得しているのはどの作品ですか」

 「それは、今設計している作品ですね。未来の作品がそうだと思っています」

 即答でした。

 台湾でも、ビッグプロジェクトが完成、また進行中とのこと。

 そのヒストリーを聞くと、仕事の成功とは本当に青天井だと感じます。

 高松伸さんは食事会のあと京都に帰られましたが、会でご一緒した方と朝方まで飲んでいました。

 何をして成功と言うのかは、人によって違うかもしれません。

 しかし、誰がみても成功という成功は間違いなく成功です。

 カリスマやレジェンドという言葉を軽々しく使うつもりはありまあせんが、そういった人達のみに許される呼称なのでしょう。

 それらを分ける分岐点は、やはり日々の行いのような気がします。

 「仕事とは整理整頓に尽きると所員には教えていますよ」と仰っていました。

 もうひとつの質問です。

 「建築家にとって、一番大切なものは何ですか」

 「クライアントですね」

 クライアントの希望をかなえてこそ建築家だものね、と。

 成功、成長と感謝は同じカテゴリーにない言葉だと思っていましたが、どうもそうではないようです。

 トップランナーが発する言葉の中で「感謝」は最も頻度の高い言葉だと思います。

 最高にモチベーションが上がった夜だったのです。

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【News】
■10月29日『住人十色』毎日放送(MBS)「松虫の長屋」放映■

『建築家カタログ2016』8月29日発売に「遠里小野の家」掲載
『住まいの設計07・08月号』5月21日発売に「松虫の長屋」掲載
『住まいの設計05・06月号』3月19日発売に「野洲の家」掲載

『homify(韓国)』1月18日「柏の家」掲載
『homify(韓国)』1月17日「細工谷の家」掲載
『homify(インドネシア)』11月12日「イタウバハウス」掲載
『homify(韓国)』11月2日「紫竹の家」掲載
『homify』10月27日「紫竹の家」掲載
『homify』9月1日「池を望む家」掲載

3月23日フジテレビ『みんなのニュース』「灘の高台の家」紹介

メディア掲載情報

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すきすき大スキー‐1354‐

 すきすき大スキー

 わたしはスキーがすきだ

 だから今年もお父さんに行きたいとたのんだ

 だけどお父さんは

 今年はお兄ちゃんのべんきょうがあるからむりや

 わたしはがっかりした

 娘が書いた4連からなる詩のでだしです。

 先生から褒められたとノートをみせれくれました。

 それほどスキーが好きだとは私が分かっておらず……

 久し振りに行ってきました。

 昨年の正月、御岳山のふもとにある開田高原へ行って以来です。

 高鷲スノーパークはトリコロールカラーのゴンドラがトレードマーク。

 良い天気に恵まれました。

 向かいには昨年は滑っていた、霊峰・御嶽山が見えます。

 中級コースまでなら、家族4人で滑れるようになりました。

 娘がこけたのは、2回くらいか。

 だいぶ安定感がでてきました。

 長男は2014年の3月からずっとスノーボードでしたが、この日は久し振りにスキーをしたいと。

 急斜面を滑っているとき、パラレルターンのきっかけをつかんだようです。

 急斜面ではハの字に開くボーゲンでは滑りにくく、スキー板を平行にしてターンするきっかけを掴みやすいのです。

 「それっ!」みたいな感じで伝えました。

 スキーは私が教えられる数少ないものなので、何とかここまで滑れるようにしてやりたいと思っていました。

 この日が「楽しい」の分水嶺になれば良いのですが。

 「白馬の山小屋」のクライアントの長男さん(ややこしい表現ですが)は私の6つ先輩です。

 クライアントが亡くなられてからは、白馬まで頻繁に足を運び、山小屋を守って下さっています。

 関西で競技スキーをしていて、この方を知らない人は居ないのですが、今年はお子さん2人が大阪府代表の国体選手に選ばれました。

 長男さんは国立大学へ通い、中学3年生の娘さんも希望の高校に合格したようです。

 親子3人での国体行きを目指してしたのですが、お父さんは100分の3秒だったか届かずだったそうです。

 2005年に、四天王寺にあった「欧風カレー工房 チロル」のファサード改修計画を手伝いました。

 店主は、若い頃から一緒にスキーをしてきた仲間でした。

 その後、そのお店は飛騨高山へ移転したのですが、メディア等でも取り上げられる人気店です。

 飛騨高山の自然に惚れて、越していきましたが、もうひとつの理由がスキーです。冬の間は店を閉め、競技スキーに打ち込むのです。

 昨年だったか、全国クラスの大会で、優勝していたと思います。

 高校野球の指導者に、「どんな選手が伸びますか」と聞くと、多くは「野球が好きな子」と答えるそうです。

 30歳近くまで、私も本気でスキーに取り組んできたつもりですが、この2人を見ていると、その「好き」には及ばないなとはっきり分かります。

 特に、6つ上の先輩の長男さんは、関西の国立大に通っています。まさに文武両道。

 お子さん2人がこの結果を出す程、お父さんの好きが凄いのだと想像するのです。

 娘がもし、本気でスキーをしたいと言ったら、はたして応えてやれるだろうか……

 自然の中でのスポーツは本当にいいものです。

 すきすき大スキー。

 なかなかいい題です。

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【News】
■10月29日『住人十色』毎日放送(MBS)「松虫の長屋」放映■

『建築家カタログ2016』8月29日発売に「遠里小野の家」掲載
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『住まいの設計05・06月号』3月19日発売に「野洲の家」掲載

『homify(韓国)』1月18日「柏の家」掲載
『homify(韓国)』1月17日「細工谷の家」掲載
『homify(インドネシア)』11月12日「イタウバハウス」掲載
『homify(韓国)』11月2日「紫竹の家」掲載
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『homify』9月1日「池を望む家」掲載

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