関東大学探訪+日本の交差点を見て来春を思う‐2202‐

先週の土曜日は、朝から妻、娘と一緒に横浜へ向かいました。

新幹線の新横浜駅から、相鉄(そうてつ)に乗って、横浜国立大学へ。

最近の大学は、緑化をした建築が主流です。

しかし、それらが全く不要なくらい、緑あふれるキャンパスでした。

もう、森の中に大学があると言っても良いくらいです。

気温も20度を超え、完全に春の陽気でした。

娘は4月から高校3年生になるので、横浜、東京の大学を見て回ることにしたのです。

昨年春の東北大学視察は、残念ながら私だけ直前キャンセルでした。

今回は何とか参加できました。危ないところでしたが。

私が通う訳ではありませんが、流石国立大学という、ゆったりしたキャンパスはかなり好印象です。

今度は、ブルーライン、東急東横線と乗り継いで渋谷まで移動です。

国際連合大学大学の向かいにある青山学院大学までやってきました。

青山学院は文系の大学なので、私は初めて訪れました。

ミッション系の大学でもあり、立派なチャペルがあります。

あわせて、150年の歴史も感じます。

しかし、渋谷のど真ん中にこの空間は、ちょっと別世界です。

食堂が安くて美味しいのもかなり高得点。私は関係ないのですが。

先の国連大学のすぐ横に、岡本太郎の「こどもの樹」という作品がありました。

アートの香りが漂う街は、良い街と言えます。

バルセロナにあった、ミロのオブジェを思い出します。

最後の目的地を目指して、京王井の頭線の渋谷駅に向かいます。

渋谷109が見えてきました。

駅周辺が工事中で、もの凄い混みようです。

何とかJRの高架を抜けると、忠犬ハチ公像はチラとだけ。

ようやく渋谷109前までたどり着きました。

さすがの活気です。

「世界の交差点」をニューヨークのタイムズ・スクエアとするなら、「日本の交差点」と言って良いでしょう。

この活気こそが、東京の生命線なのだと感じます。

「渋谷109」の設計者は竹山実。

ポストモダン建築を最も平易に、世の中に伝えた建築家と言えます。

開口部ではなく、外壁のアルミパネルだけで、縦動線が納められた円筒とキューブの造形を表現しました。

完成は1978年なので、半世紀に渡って日本の顔となっているのです。

最後は、明治大学までやってきました。

明治は建築学科があるので、私は2回受験しています。2回落ちたのですが。

もう30年以上前なので、どこのキャンパスだったか忘れましたが、懐かしくはあります。

我が家の子供は、大阪が嫌いという訳では無いのですが、2人とも東京志向です。

金銭的には厳しいものがありますが、悔いを残すことだけはして欲しくないので、そこは全て尊重しています。

そう思わせる活気が、東京にあるのも間違いないと思いますし。

朝一番、新横浜に到着した時、娘が「受験にきたら、あの新横浜プリンスに泊まっていい?」と聞くので、「それは無い!」と即座に却下しておきました。

私がはじめて東京で仕事をした時は、格安のYMCAに泊まっていたくらいですから、ビジネスホテルでお願いします。

先週、甥っ子が志望大学に合格したと書きました。

来年のこの時期、娘もそうなると嬉しいのですが、神頼みで結果がでることもありません。

寒い冬から、いやもっと言えば、花が散った直後から、粛々と準備をしているからこそ、春花は咲くのです。

受検に失敗した親が言うのも何ですが、娘にとって、我が家にとって、勝負の1年が始まります。

■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

誰よりモノが好き‐2201‐

アトリエm移転計画「上町のアトリエ付き住宅 〈リノベーション〉」【ゲンバ日記チャンネル】Episode4を、一昨日公開しました。

ちょこちょこ書いていますが、笑ってしまうくらい色々なことが起こり、まだ完成には至っていません。

それでもようやく外観があらわれました。よければご覧ください。

今日は春分の日。上町から西へ行くと谷町6丁目です。

「上」と「谷」が表す通り、周辺はかなりアップダウンがあります。

生活の基盤は、まだ完全に移せていないのですが、娘が越して来たらすぐに通学に使えるよう、電動自転車が要るねという話になっていました。

妻と娘で、からほり商店街のすぐ南にある「vianova 谷町店」ですでに購入済みとのこと。

引取りと支払いに行くようにと、司令がありました。

若い店長さんが、テキパキと準備をしてくれました。

子供を乗せられる自転車が何台か置いてあったので「このあたりは坂が多いので、電動自転車の需要は多いでしょう?」と聞くと、「はい、そうなんです」と。

「ただ、自転車の値段が上がって、なかなか大変です」とも。

確かに電動自転車は10万円くらいからなので、なかなかの金額です。

娘の自転車ですが、難波宮跡あたりから森ノ宮を回ってみました。

私が電動自転車に乗ることはあまり無いと思いますが、なるほど坂道はかなり快適です。

その後、再びからほり商店街に戻って、頼まれた買い物も済ませます。

このスーパー、野菜がかなり安い。

魚はこだわったものが多い感じでした。

ワクワクしてきます。

折角なので、新車の写真を撮っておきました。

私は基本的にモノが大好きです。

少しでも格好よく撮っておきたいので、難波宮跡まで行ったのです。

モノの中でも最も大きいと言える、建築をつくるのが私の仕事です。

より美しく、より快適なモノをつくりたいという気持ちだけで約30年働いてきました。

自分の家を建てる、またはリノベーションをするという事になり、改めて建築に対する期待はこれほど大きいものかと感じています。自分の心を通して。

現実は小説より奇なりと言いますが、この言葉も正しいと心底思います。

ただ、この状況を楽しんでいるだけでは駄目なので、来月の中旬までには必ず決着したいと思います。

誰よりもモノが好きな私のプライドにかけて、です。

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傘寿の祝いにサクラサク‐2200‐

昨日はしとしと雨でした。

昼前から、車で実家近くの木曽路へ。

父の傘寿を祝う会食でした。

東京で暮らす我が家の長男を除いて、弟家族と合わせて10名が集まりました。

詩聖、杜甫が詠んだ詩「人生七十古来稀なり」を由来とする古希。それをさらに10歳越えた訳です。

古希までは中国の風習が伝わったものですが、喜寿(77歳)以降は、日本で生まれたものだそう。

傘の略字が八と十であるのが由来と聞けば、確かに日本らしい感じもします。

間もなく両親とも80歳になるので、これからは外食にしようとなったのです。

今日は、午後から「ドッグランのあるタイル床の家」の3ヵ月点検でした。

クライアントは元パティシエで、お手製のマドレーヌをご馳走になりました。

手前から、紅茶、抹茶、チョコレート味。

流石のお味でした。

コーヒーはデロンギのコーヒーメーカーで煎れてくれた本格的なものです。

積もる話もあり、本当に幸せな時間ですが、その後に所用があり1時間半ほどで失礼したのです。(それでも1時間半ですが)

所用とは、車のタイヤ交換とメンテナンスでしたが、今回の代車はプリウスでした。

はじめて運転したのですが、何と燃費が21lkm/L。

預けた私の車の5倍です。

好きで燃費の悪い車に乗っていますが、技術革新は凄いものがあります。

私が80歳になるのは4半世紀先です。

初代プリウスの発売は1997年ですから、ほぼそれと同じ時間が経っていることになります。

もうその頃になれば、ドローンに乗っているのかもしれません。

ドローンの燃費は?

いや、リチウム電池で何時間飛べる?という世界でしょうか。

そうそう、甥っ子は1年の浪人を経て、志望校の国立大学に合格しました。

色々なことが起こるのが春ですが、こういった知らせは格別です。

サクラサク

日本語の粋、ここにありなのです。

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怒?、恕!‐2199‐

寒かったり、暖かかったり、晴れたり、雨が降ったり。

目まぐるしく天気が変わる時期です。

上町のアトリエ周辺は、タワーマンションも結構建っています。

長堀通りの北の住所は上町か玉造なのですが、清水谷の名称が残っている古いビルもあります。

明治時代には、清水谷のエリアがもっと広かったようです。

現在も清水谷町のままのエリアは結構小さいのですが、清水谷高校が結構な面積を占めているのです。

バス停の名前も高校の名前。

年始に玉造神社を参った際、利休井の説明に清水谷のことがでてきました。

この辺りは玉造清水と言われる名水が得られ、利休が茶の湯に愛用していたという記録が残っています。

そう聞くと、清水谷町が小さいのは勿体ない気もしてくるのです。

清水谷高校の塀に「愛と恕(じょ)」という横断幕がでていました。

はじめ見た時は「愛と怒(ど)」かと思い驚きましたが、 「恕(じょ)」 は全く反対の意味でした。

「相手を思いやって許す」という意味だそう。漢字とは奥深いものです。

実はこの一週間、正直怒りまくっていました。

アトリエは引越したのに、一向に大した写真が上がっていないことに大きく関係があります。

その顛末は、いつか洗いざらい書くつもりですが、その時は全て許せているのだろうか……と考えます。

もしかすると、そんな時だから「恕」と出会ったのかもしれません。

「恕」には「他人の立場や心情を察すること」という意味もあるようです。

許せても、立場や心情を察するのはちょっと無理かもしれません。

その私の心情を、今はお察しください。

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人生を変えた?東三国‐2198‐

この自由の女神を見てどこの駅か分かる人は、御堂筋線で北摂から通勤している人か、本当の大阪通だと思います。

答えは東三国でした。

新大阪の一駅手前、キタにも近く便利なところですが、降りたのはおそらく20年振りだと思います。

この和菓子屋さんは当時からありました。

結婚する前に、妻が駅の東側にあるマンションに住んでいました。

特に2002年は、1年間アトリエmを閉めていたのでよく遊びに来ていたのです。

今回は駅の西側に所用があり、周辺を歩いてみました。

御堂筋沿いにはうどん屋さんが。

ミニ丼セットが680円。

このくらいで食べれる店が本当に少なくなりました。

東西の道を西へ向かって歩くと、特に商店街となっている訳でもないのに凄い活気です。

こちらの「若水(わかみず)」は、あまり食べ歩かない私でも知っている街中華の人気店。

思わず並ぼうかと思いましたが、昼食は少な目にしているのでそこは我慢です。

相乗効果なのか、他にも行列ができている店が3つ、4つありました。

そのまま歩き続けると、今度は商店街が見えてきました。

こちらは「サンティフルみくに」の看板が上がっています。

ところどころシャッターは下りていますが、健闘している感じ。

中学高校の同級生がこの商店街に住んでいたので、40年前にこちらも訪れたことがあるのです。

西端まで歩くと、阪急の三国駅に着きました。

40年経っているので記憶はあいまいですが、随分と景色は変わったのでしょう。

1999年の2月頃から2002年3月までの約3年、酷い鬱に苦しんでいました。

28歳から31歳にかけてのことですが、最終的に仕事に復帰できたのは、2002年を完全に休んだことが大きいと思います。

そして、2002年の終盤から2003年に掛けては、バックパックだけを背負って海外へでました。

はじめて訪れた国の、知らない街を歩いていると、緊張感とワクワク感で、自分が鬱だった事さえ忘れていったのです。

本当に思い悩んでいる人には、思い切って休むこと、そして環境を大きく変えることをお勧めします。

海外への貧乏旅行は大きなターニングポイントになったと思います。「貧乏」がポイントですので、そこは間違いのないようお願いします。

ただ、その旅にでるまで、半年以上大阪でぐずぐずしていました。

東三国に遊びに来た時は、時間だけはあるので、よく神崎川沿いを走っていました。

焦燥感に駆られながら、真夏に汗だくで走っていたことを思い出します。

その後の楽しみと言えば、時々カラオケに行ったり、レンタルDVDを観ることくらい。

多分、この建物の2階にツタヤがあったと思います。

2階のツタヤに入って行く、31歳の私の後ろ姿が見えた気がしました。

人生は何度でもやり直しがききます。ただ生きていればこそです。

もしかすると、東三国は人生を変えた街だったのかもしれません。

生まれが平野だからか、何とも下町にご縁があるようなのです。

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ザ・天王寺、いっかい入ったら 慣れますよー‐2197‐

前回は、日曜日にリニューアルオープンした大阪市立美術館を訪れたと書きました。

かなり久し振りで、天王寺動物園の入口脇にできたてんしばイーナも初めてみました。

一番奥には、アドベンチャーパークなるものがあります。

かなり本格的なフィールドアスレチックのような感じで面白そう。子供が小さかったら、必ず来ていたと思います。

建物内には、オリンピック種目になったクライミングの設備が色々見えていました。

松原スケートパークよろしく、史上最年少金メダリスト、第2の西矢椛(にしやもみじ)選手がここから生まれるかもしれません。

そのまま、あべのキューズモールまで戻ってきました。

日用品の買い物を済ませると丁度昼時に。

キューズモール北側、ヴィアあべのウォークで店を探してみました。

建物外と建物内のどちらにも飲食店があります。

グリルマルヨシが入っているのは知っていました。

しかし、以前の裏路地の奥にあり、安価に子牛の脳のフライを食べさせてくれた店とは、かなり雰囲気が変わっている感じ。

どうしようかなと歩いていると、なかなか賑やかな店がありました。

「花屋*カフェ*ビストロ」ニコ フラワーガーデン。

その前に「入りにくい? 大丈夫‼ いっかい入ったら慣れますよー」とコメントが。

ちょっと笑ってしまいました。

夜は、ワインや日本酒にも力をいれているそうです。

妻はパスタランチ1100円(バケット無し)。

ビフカツ、クリームコロッケのランチが990円。

リーズナブルな上、この上なく美味しかったのです。

ビフカツ、クリームコロッケ共最高でしたが、パスタの味が濃厚なこと……

完全に「当たり」です。

私達が入ったタイミングでランチは品切れで終わり。

最後の客になったので、スタッフの方に了承を得て撮らせてもらいました。

実際、入った瞬間になれました(笑)

開業して7年目と聞いたと思いますが、「順調なんですよね?」と尋ねると「いえいえギリギリですよ~」と。

謙遜なのか本音なのか分かりませんが、海鮮にも力が入っているようで、3拍子も4拍子も揃った店に見えます。

これは夜も是非来てみたいと思える店でした。

そうそう、キューズモールの戻ってすぐに、人だかりができていました。

のぞいて見ると、大阪プロレスが観戦無料のイベントを開催しています。

選手名は分かりませんが、覆面レスラーがマッチョタイプの選手にウラカンラナを決めると、ひと際大きな歓声が上がっていました。

あきらかに普段プロレスを観ていなさそうな人が、あんなに驚くんだというのは、昔からのプロレスファンからすると嬉しい限りです。

ちびっこプロレス教室も開催されたようなので、第2のスペル・デルフィンがこの地から生まれるかもしれません。親としては喜ばしいのか微妙なところですが。

安くて美味しい洋食と大阪プロレス。ザ・天王寺を満喫しました。

最近テレビで頻繁に流れるACジャパンの広告に、お笑いタレント、さらば青春の光の森田が出演している「ありがとー。って、ええなぁ。」があります。

大阪地域キャンペーンだそうです。

でも「いっかい入ったら慣れますよー」は、より大阪的かもしれません。

大阪って、ホンマええなァ、と。



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名品珍品大公開‼の中に、本当の名品見たり‐2196‐

昨日は小雨の降る中、天王寺に寄ってきました。

ハルカスに春霞、はまだ気が早いでしょうか。

3月1日(土)にリニューアルオープンした大阪市立美術館。

オープニングイベントは「What’s New! 大阪市立美術館 名品珍品大公開!!」です。

東は天王寺動物園を見下ろし、鳥の声ならぬ動物の声を聞き、通天閣を眺めるアプローチは圧巻です。

これはリニューアル前から変わりませんが。

かなり久し振りなので、エントランスホールが以前とどう変わったのかが分かりません。

それでも、気持ち良い空間なのは間違いありません。

今回、画期的なのは一部を除いて撮影可なのと、ラベリングしてあることです。

佐伯祐三の「教会」はもちろん「名品」。

上村松園の「晩秋」も勿論のこと「名品」。

多くの「名品」が出展されていましたが、北大路魯山人の黄瀬戸もありました。

「珍品」は、平野区から。

6世紀とあるので、その創造性に驚きます。

こちらは「鳥人」ならぬ「羽人(うじん)」。

このイベントのマスコット的存在です。

「名品」「珍品」のダブルラベルとは、なかなか楽しませてくれます。

そもそも、アートにラベリングするという発想が凄いのですが。

非常に多彩な展示会ですが、陶器も充実していました。

こちらは、樂家三代目の道入(どうにゅう)。

別名「のんこう」として知られる、樂家随一の名匠です。

赤樂の深い色合いと、手びねりの風合いが特に椀の端部に表れています。

九代目、樂了入(りょうにゅう)の黒楽も並んで展示されていました。

その艶めかしさは際立っています。

京都の樂美術館には何度か通いましたが、一度で良いので手で触れてみたいものです。

ここまでは、以前から好きなものが大半でしたが、この青磁には思わず見入ってしまいました。

その美しさが、写真では伝わらないことに、逆に迫力を感じます。

大正10年(1921年)富本憲吉の「青磁 長頸瓶」とあります。

楽焼とは対照的に、厚みをもち、しっかりエッジの効いた口まわりが品格を漂わせています。

紹介を見ると、「自らの理念・思想を実現するために陶芸家を志した」とあります。

昭和55年(1980年)に人間国宝認定第一号となった陶芸家でした。

美しいはずです。

赤い九谷の絵皿も圧巻でした。

焼き物は、楽焼や備前焼が好みでしたが、こんな多彩な人がいるのかと感心しました。

展示会の魅力は、自分の好きなもの以外を見れることだと痛切に実感したのです。

あわせて、アート全般に興味を持っていたつもりですが、人間国宝第一号をしっかり見たことが無かったことにも、若干のショックを受けました。

今回のチケット、実は貰い物。

ただ、一見の価値ありとお勧めいたします。

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いよいよ新アトリエ始動‐2195‐

2月12日(水)に中央区の上町に引越したので、生活基盤も一から作り直しです。

ガソリンスタンドも気になっていた点で「中央区は高いんだろうな」と思っていました。

なのですが、平野より安いところを見つけました。

しかもセルフではなく、窓ふきサービス付き。

玉造側に行けば安いスタンドが結構あることも分かりました。

これでガソリンのことは解決です。

引越したと告知していますが、実際は4階の仮事務所でしのいでいる状態でした。

しかし、現場チームも遅れ取り戻すよう、遅くまで頑張ってくれています。

昨晩には1階の塗装も始まり、工事が多く残っていた、1階、3階部分もようやく終わりが見えてきたのです。

今日は引越し第2弾。

先ほど、ようやく旧アトリエの荷物を全て運び出しました。

掃除はしましたが、拭っても拭いきれない、22年間戦ってきた痕跡が残っています。

この空間でどれだけの時間を過ごしたのか考えると、やや感慨深いものがあるのです。

そして、段ボールは山積みですが、2階の新アトリエにほぼ全ての荷物を運びこみました。

先に帰った妻が、写真を送ってくれました。

いよいよ新アトリエ始動です。

初めて施主となり、何千万というお金を出した上での、不安、期待、憤り、喜びと、様々な感情を嫌と言うほど体験しました。

これは、これからの仕事に必ず活かせると思います。

引越しは、第3弾で終わる予定。全面始動まではあと数日です。

ひとりでこの日記を書きながら、建築の醍醐味は、やはりダイナミズムなんだなと実感しているところです。

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雪しぐれの夜に‐2194‐

アトリエm移転計画「上町のアトリエ付き住宅 〈リノベーション〉」【ゲンバ日記チャンネル】Episode3を、昨日公開しました。

未だ仮事務所にて営業中です。

今朝も、谷町6丁目から歩いて出勤しました。

上本町1で、上町筋を横断しますが、近鉄の上本町店が南に見えています。

上本町6なので6丁目分離れている訳です。

見上げると、朝早くなのにヘリコプターが低い位置で爆音を響かせています。

そう言えば、大阪マラソンの立て看板があちこちにでていました。

近くを通るので通行規制もあるようです。

昨日ですが、昼からアトリエや家の備品を揃えるために、近鉄百貨店まで歩きました。

上町筋にも結構色々な店があります。

今回の引越しには、長男も東京から帰ってきてくれました。

なのですが、一部しか引越しできずで、手伝い甲斐のない帰阪になってしまったのです。

友人も一緒に手伝いに来てくれたので、昼食でもご馳走してあげてと少し小遣いを渡しておきました。

妻に聞くと、学生時代からお気に入りのラーメン店が近くにあるそうで、とても満足したとのこと。

せめてそれなら良かったです。

歩いて15分弱で到着。

上本町店はかなりコンパクトですが、さっと用事をすませるなら十分です。

テキパキと買い物を済ませて帰ってきました。

一日、溜まっている仕事を済ませると、遅い時間になってしまいました。外にでると小雨模様です。

平野まで帰ってくると、雪しぐれに変わっていました。

かなり湿気を含んでいたので、かなり雨よりの雪。これが顔に当たると、冷たくて痛い。

仮事務所につき、暖房の効いた快適な空間がどれだけ恵まれているか分かります。

とは言え、テントと比べれば至極快適とも言えます。

人って、本当に贅沢になっていくんだな、などと思う雪しぐれの夜でした。

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再びはじまる‐2193‐

昨年の12月に、設備設計に現場を説明した「ささき整形外科クリニック」

西国街道は京都と下関をつなぐ重要なルートです。


そのすぐ南に位置する「ささき整形外科クリニック」ですが、東隣にあるプールのある「ささき整形外科デイケアセンター」の設計に続き、増築計画も依頼してもらいました。

院長の佐々木さん、建築会社、そして私の三者が集まり、無事築工事請負契約が無事締結されました。

JR網干駅につく頃にはすっかり日が暮れていました。

普通電車で姫路駅まで移動。

上り、下りの両ホームにある、姫路名物えきそばに惹かれます。

ホームからは、ライトアップされた姫路城が浮かび上がっていました。

この日は、えきそばを我慢して、そのまま新快速で大阪に向かったのです。

工事請負契約は民々のことなので、条件が合えば契約に至れます。

しかし、建築基準法を軸とした建築関係の法規は、消防、福祉のまちづくり条例、保健所、そして緑化条例など、多くの関係省庁のチェックをクリアしなければなりません。

それに加えて、増築は新築に比べてかなりハードルが上がるのです。

体感的にですが、2倍くらいの時間を費やしたと思います。

かなり早めに、各所との事前協議を始めたのですが、それでも何とか決裁が下りたのが着工寸前だったのです。

建築工事は目に見えますが、これらは担当している私達しか分からない仕事です。

なかなか陽の目を浴びないのですが、今回は全ての決裁が下りるまで、提案した建物が必ず建つという保証はありませんでした。

それでも、提案を気に入ってもらい、計画を進めて行くなら突破するしかないので、右往左往しながらなんとかこの日を迎えたのです。

人手不足につき、完全に1人で解決するしかなく、仕事人1年生に戻ったように、我武者羅に働きました。

そんなこともあって、こんな日の晩酌は格別なのです。

再び、兵庫県太子町の地で、クリニックの仕事ができることに意気に感じているのです。

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