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繊細なゴリラ、大雑把な人間‐1544‐

 近鉄特急で行く小旅行は今回で5回目。

 娘に拒まれた名古屋の動物園行きですが、本を買うことと、オムライスの昼食で約束を取り付けました。

 移動中に読んだ本は4冊。

 名古屋で買ったのも含めてですが、本当に本好きです。

 東山動植物園は名古屋市東部にあります。

 名古屋駅から地下鉄で15分程。

 目的はあまりにも軽すぎて、文字にするのも恥ずかしいのですが、イケメンゴリラを見るためです。

 10時前に到着しましたが、人気者ゴリラ君はまだ建物の中でした。

 待つこと15分。ようやく出てきました。

 ゴリラ女子なるファンまでいるというニシローランドゴリラの「シャバーニ」です。

 1996年生まれの22歳。身長1.8m、体重190kg。

 僅かながら白目があるようで、表情も豊か。

 壁にもたれてたたずむ姿は、人にかなり近いものを感じます。

 シャバーニだけを45分くらい見ていました。

 こんな話題でもなければ、なかったことだと思います。

 私が撮った中では、これがベストショットでしょうか。

 前回書いた、「ざんねんないきもの事典」から引いてみます。

 ゴリラはそのいかつい見た目とはうらはらに、とても繊細な動物。

 争ってけがをする危険を考えると、多少の怒りは我慢してしまいます。

 そのような強いストレスを感じたとき、人間と同じように下痢をしたり、わきの下に臭い汗をかいたりするのです。

 逞しい体を持ちながら、その表情だけでなく本当に繊細だったのです。

 人間とゴリラが枝分かれしたのは約1000万年前。

 人間には繊細な人も居れば、大雑把な人も居ます。そう考えると、枝分かれ時点では大雑把なゴリラも居たはずです。

 しかし、現存するゴリラが概ね繊細だとすれば、1000万年を生き抜いたのが、そういった個体だけだったということになります。

 人は脳が発達し、誰かが生み出してくれた道具で、または知恵で種を守り、増やしてきました。

 一方、自分にしか頼ることのできなかったゴリラは数十万頭を残すのみで、「絶滅危惧種」または「絶滅寸前」となっています。

 私が小学校の頃、人類は45億人と習いましたが、現在は75億人です。

 近いうちに100億人と習うことになるでしょう。

 歴史に「もし」はありませんが、今が石器時代なら、今が中世なら、自分が生き残れただろうかと考えます。

 毎朝、会社の前の道路にポイ捨てされている吸い殻を拾うとき、こんなことを思います。

 あなたは、私は、1億人時代でも、1千万人時代でも生き残れますか?と。

 昼食はオムライスから味噌カツ丼へ変更になりました。

 娘が言うには「高いお店のオムライスは、多分私の口に合わないと思う」と。

 何とも親孝行な娘ですが、味噌カツ丼は濃い過ぎたようで、ソース無しで私のロースカツ定食を食べていました。

 JR名古屋駅近くの「うまいもん通り」にある「キッチン なごや」。

 リーズナブルな店だったので、あっという間に行列となりました。

 観光地での昼食は11時半入店がやはり基本です。

 私もゴリラ同様、無用な争いをしたくないので、犯人探しをする訳でなく吸い殻を拾います。

 ただ人間なので、できるだけストレスを感じないでよいように「善行を積んだ」と考えるようにしています。

 繊細であること、清潔を求めることは、ほぼバイタリティに等しいのは、ゴリラをみれば明らかだと思うのです。

■■■毎日放送『住人十色』4月14日5:00pm~5:30pm「回遊できる家」放映
■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました

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【Events】
■4月1日「トレジャーキッズたかどの保育園」開園

【News】
大阪ガス『住まう』11月22日発行に「中庭のある無垢な珪藻土の家」掲載
『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
『関西の建築家とつくる家 Vol.2』2月1日発売「阿倍野の長家」掲載
『homify』6月29日「回遊できる家」掲載
『homify』6月2日「イタウバハウス」掲載
『houzz』5月28日の特集記事「あちこちでお茶できる家」掲載

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

世界の果てまで‐1477‐

 今週末から、ゴールデンウィークが始まります。

 中頃を除いては概ね好天に恵まれそう。
 
 昨年は東北を回ったのですが、中二になった長男と休みが合わずで、途切れ途切れの連休となりそうです。

 日帰り旅行なら、名古屋も良いかもしれません。

3月の名古屋行きの際、「南極観測船ふじ」をみて来ました。

 現役として役割を終え、体験型歴史的資料館として利用されているのです。

 地球上での最低気温-89.2℃は南極で記録されています。

 平均して厚さ2,000mの氷で覆われているため、標高が高く北極と比べても、圧倒的に寒いのが南極です。

 ふじは、昭和40年から58年までが現役の南極観測船でした。

 観測隊員の部屋が再現されていますが、南極に行くとはまさにこのようなイメージ。

 松本清張の「ゼロの焦点」は単行本でしょうか。時代を感じさせるのです。

 現在、子供たちが予約しているバラエティ番組は「吉本新喜劇」と「世界の果てまでイッテQ!」。

 この2番組を、楽しみにしています。

 「世界の果てまでイッテQ!」は、「謎とき冒険バラエティー」というサブタイトルがついています。

 2月だったか、イモトアヤコというタレントが南極大陸の最高峰、ヴィンソン・マシフへ挑戦するという放送がありました。

 遅ればせながら、その録画をみました。

 彼女は「キリマンジャロ」「モンブラン」「マッキンリー」「アイガー」等を踏破しているそうです。

 「マッキンリー」と言えば、日本人初のエベレスト登頂を成功させた植村直己が遭難した山。

 単独、冬季という言葉を外したとしても、危険極まりないことに変わりありません。

 イモトアヤコは、2014年にエベレストへも挑戦しましたが、ネパール地震の影響で断念。これらは、ニュースでも聞いた記憶があります。

 しかし、南極大陸などタレントでもなければそうは行く機会がありません。

 感動するくらい美しい景色のなか、険しいルートを登ります。

 そして、彼女は登頂を果たしました。

 辛口ご意見番ではありませんが、まさに「アッパレ!」です。

 「世界の果てまで」の看板に偽りなしでした。

 「冒険とは、生きて帰ることなのである」

 植村直己の言葉ですが、国民栄誉賞まで受賞した優秀な冒険家が、命を落とすのが登山です。

 天保山を登って命を落とすことはないので、登山が危険だということはありません。

 しかしある種の人は、より高い山を、より困難を求めます。これは、仕事においても同じです。

 エベレストへ登ってみたいと思うには、そこに近しい景色を見たことがなければ、その発想さえ沸いてこないかもしれません。

 そう考えると、必ず生きて帰れる冒険ってあるんだろうかと考えてしまうのです。

 それでも人は生きなければなりません。その葛藤こそが人生なのですが……

 まさに世界の果てまで行ってしまいました。

 私たちの世代の冒険バラエティと言えば「水曜スペシャル川口浩探検隊」でしょうか。

 今の時代、あの演出では納得してもらえないでしょうが、無理をしすぎないようにね、とは思うのです。

■■■毎日放送『住人十色』4月14日5:00pm~5:30pm
「回遊できる家」放映

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派手で見栄っ張りで何が悪い<名古屋>‐1464‐

 今日、明日と晴れ空が続くようです。

 空気の冷たい快晴は、とても気持ち良いのですが、花粉症の人には辛い時期になりました。

 娘にゴーグルを与えたのですが、結構な効果があるよう。気になる方は一度試して下さい。

 (コクミンには子供用がありました)

 昨日は、早起きして今年2回目の近鉄特急。

 今回は妻と娘の3人です。

 前回は鳥羽で、今回は名古屋行き。アーバンライナーで2時間です。

 名古屋駅から栄(さかえ)エリアまで地下鉄で2駅。

 オアシス21は、錦通と久屋大通の交差点に位置するバスターミナル等の複合施設です。

 大林組の設計・施工で2002年の完成。

 水の宇宙船と呼ばれる大屋根を、ぐるりと歩けるようになっています。

 こわごわ登ってみました。

 中央は水盤になっており、素晴らしく気持ちのよい景色です。

 ガラス手摺が少し内に傾斜しているのにも、好感がもてます。

 すぐ北にあるのは名古屋テレビ塔がまた美しい。これは後で触れてみようと思います。

 「魚がいる」と娘が言うので驚いて行ってみると、地下1階のベンチが見えました。

 デザインとは、時にユーモアでもあるのです。

 地下1階から吹抜けの空間を、ユラユラと波紋を含んだ光が落ちて行き、何とも気持ちのよい空間を形成していました。

 栄駅から西に歩くと、ルイ ヴィトン名古屋。

 1999年の完成で青木淳の設計です。

 更に南西に歩くと、三越、丸栄、松坂屋と百貨店が建ち並びます。

 丸栄百貨店は、村野藤吾の設計です。

 1953年日本建築学会賞を受賞していますが、今年の6月に閉店、解体が決まっています。

 コーナー部の処理は、コルビジェを思わせるもの。

 西面のモザイクタイルは、確かに前時代を感じさせます。

 大阪の雄、村野藤吾設計の百貨店と言えば、ミナミのそごうも解体されました。

 寂しいのは寂しいですが、時代の流れはどうにもなりません。

 昼食は、ラシックという商業施設の「竹三郎」と言う店できしめんを食べました。

 味噌カツ丼とのセットはちょっと乱暴なセレクトですが、十分に美味しかったのです。

 ここで娘と妻は名古屋港水族館へ。

 私はひとりで街歩きです。

 名古屋の栄エリアは、神戸三宮の道を広くしたような街で、とても歩きやすく、また繁華街自体が大きく、歩きごたえもあります。

 こんな建物も見つけました。

 西へどんどん歩いて行くと、突然大きな球体が現れました。

 名古屋市科学館ですが、内部は次回にとっておきます。

 その後、名古屋港水族館で待ち合わせ、3人で名古屋駅に戻りました。

 駅の上にそびえるのはJRセントラルタワーズ。

 坂倉建築研究所の設計で、1999年の竣工。

 モード学園スパイラルタワーズは日建設計の設計で2008年の完成。

 造形で言えば、このビルが群を抜いて存在感を放っていました。

 夕方4時の特急に乗り、大阪に戻ったのです。

 名古屋人を称して、派手、見栄っ張り、ケチ……となかなかの言われようです。

 一日街を歩いてみて、私にはよい印象しかありません。

 正直言って、大阪のキタやミナミを歩くより面白いのではないかと感じました。

 街角で「デザイン都市・名古屋」というポスターを見かけましたが、その名に相応しいと思うのです。

 その象徴と言えるのが名古屋テレビ塔。

 東京タワー、通天閣等も担当した「塔博士」内藤多仲の設計で、1954年に完成しています。

 330mの東京タワーが赤と白に塗られているのは、航空法による決まりです。

 180mの名古屋テレビ塔がそうなっていないのは、規制の高さまで達していないからかなと思っていました。

 大阪に戻って調べてみると、60m以上の建造物がこの縛りの中に入ります。

 しかし、航空法ができる6年前にこの塔が完成していること。また、名古屋テレビ塔株式会社初代社長が抵抗し、最上部に航空障害灯をつけることで切り抜けている、とウィキペディアにでていました。

 1889年に完成した、324mあるエッフェル塔が赤と白なら、パリの印象は全く違ったものになるはずです。

 また、そうであれば近代建築の象徴とはならなかったでしょう。

 東京タワーを初めて見たときも、「美しい」と思いましたが、銀色の名古屋テレビ塔は群を抜いた美しさでした。

 抵抗した初代社長は名古屋市出身の神野金之助。

 その名前をみても、「派手で見栄っ張りで何が悪い。言いなりにはならんぞ」と書いてあるようです。

 何故だか最近、名古屋愛が止まらないのです。

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近鉄特急で行く名古屋の旅‐1309‐

 今日は、急に車が使えなくなり、近鉄特急で名古屋へ行くことに。

 娘と2人での小旅行です。

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 朝7時のアーバンライナーはガラガラでした。

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 大阪上本町から2時間で名古屋に到着。

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 まずは名古屋城。

 「伊勢 は津でもつ、津は伊勢でもつ 尾張名古屋は城でもつ」

 「名古屋観光情報」というサイトに、三重県伊勢地方の民謡「伊勢音頭」にも歌われている有名なフレーズ、と紹介されています。

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 鯱は雨を呼ぶという伝説があり、火事除けとして飾るようになったそうです。

 しかし、残念ながら戦争の焼夷弾にはきかず、現在の天守閣は昭和34年に再建されたもの。

 大きいな、というのが第一印象でした。大阪城より一間は大きい感じ。

 プロポーションなら大阪城のほうが優れているでしょうか。

 このあたりが、秀吉が天才建築家と言われる所以です。

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 関ケ原の合戦で勝利を収めた家康は、豊臣家との対決に備え、近畿、東海の城を整えて行きます。

 尾張の中心である清州城は規模が小さく、度々水害に見舞われていました。

 そこで、北と西が断崖となっているこの地に名古屋城を築城。完成は1612年で、大坂夏の陣の3年前のことでした。

 豊臣家滅亡までの最後の布石となったのがこの名古屋城で、立派であることが重要だったです。

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 名古屋と言えばひつまぶし。 城の北西にある「しら河」という店へ行ってみました。

 電車でガイド本を見た程度のリサーチなので、早めに到着。11時にはもう一杯という感じでした。

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 本格的な名古屋が初めてなら、ひつまぶしも初めて。

 なるほど、なかなかに美味しいものです。

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 特に最後のお茶漬けがよかった。

 鰻好きの娘はペロリと平らげていました。

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 娘と来た以上、水族館は最優先です。

 名古屋港水族館は都心部に近いにも関わらず、国内最大級の大きさとのこと。

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 シャチのショーを見たのはかなり久しぶり。

 昔、白浜のアドベンチャーワールドであった気がするのです。

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 最近のイルカショーは洗練されており、シャチのショーがなくなるのも理解できます。

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 このあと栄あたりを回るつもりでしたが、時間切れ。

 先ほど大阪に戻りました。

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 明治維新が、薩長土肥によって成し遂げられたなら、戦国の世を終わらせたのは、東海地方の英雄達です。

 信長、秀吉とも偉大なリーダーでしたが、260年に渡って太平の世を治めてきたのは家康。

 政治力、忍耐力も秀でていたのだと思いますが、家康が部下にひどい仕打ちをしたという話はあまり聞きません。

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 名古屋城築城の手伝いを命じられたのは、秀吉が可愛がっていた、福島正則、池田輝政、加藤清正達です。

 石垣が美しいことで知られる熊本城の城主であり、城郭建築の名人、加藤清正が名古屋城の石垣を完成させています。

 大きな天守閣を支えるのは、立派な石垣。石の上に乗り、工事を鼓舞する像まであるのです。

 松下幸之助を「人たらし」と呼ぶように、家康はどこか憎めないリーダーだったのだと想像しています。

 実は、今年の12月で当社のマルコが辞めることになりました。

 イタリアから日本に渡ってきて3年。半年日本語学校へ行ってから、当社に来たので2年半働いたことになります。

 初めて外国人と働いたのですが、分かり合えたこと、うまく伝えきれなかったこと、どちらも沢山あります。

 もう少し規模の大きい組織事務所も経験したいという希望を、私が止める権利はありません。

 最長5年と言っていたので、彼が居てくれる間になんとかその次の世代をと思っていましたが、それもまた振り出しに戻りました。

 三歩進んで二歩下がるではないですが、成長の歩みとはなんと遅々としたものか。

 家康が天下を収めたのは60歳の時。汗かき、べそかき、365日歩を進めるしかありません。