悔しいのは本当に悔しい‐1277‐

 休日、どこにも行けなかった時は銭湯に限ります。

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 家の近くで、良く行っていたのが「湯の町温泉」

 勿論「温泉」ではありません。

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 大阪で一番雰囲気があるのは、生野区にある「源ヶ橋温泉」

 勿論私の独断です。

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 勿論こちらも「温泉」ではありません。

 一般的には、何歳から娘を男風呂に入れないべきか。

 小学生になってからは辞めようかとなり、めっきり行く回数が減ってしまいました。

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 先日「湯の町温泉」の前を通ると、解体用シートに覆われていました。

 銭湯のシンボル、煙突が寂し気です。

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 ついに煙突もなくなり、名残を残すのは看板だけ。需要不足なのか、経営者の高齢化なのか。

 最近行っていなかったことに悔いが残ります。しかし全て後の祭り。

 5月中旬のことですが、日本建築家協会(以下JIA)近畿支部の関西建築家新人賞が発表されました。

 私も応募していたのですが選外。

 受賞者は30代中頃の建築家2人で、共に住宅の設計は2件目だそうです。この賞は45歳までなので、私にとっては最後の機会でした。

 まずはクリアしたいと思っていた賞なので、とても悔しいのが正直なところです。

 今回は19作品の応募があったそうですが、現場審査の6作品にも入りませんでした。どの作品で応募したかは、控えておきます。

 写真家には、応募したいという旨は伝えていました。目的が変われば、写真の撮り方も変わるからです。

 落選したと伝えるとこんなメールを貰いました。

 賞はオマケ程度に考えた方がよいと思いますよ。

(たぶん、守谷さんもその程度と考えていると思いますが)

 守谷さんの仕事にクライアントが満足して、守谷さんも満足出来れば、それで十分でしょう。

 僕が撮影にうかがった守谷さんの物件はどれもお施主さんが満足して幸せそうなのが印象に残ってます。

慰めもあると思いますが、普段お世辞など言わない人なので、有り難い言葉だと受け取っています。

 また、先日『住まいの設計』に掲載された、「松虫の長屋」の奥さんからメールを貰いました。

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 昨日、扶桑社さんから『住まいの設計』を送って頂きました。

 パソコンで1度目は通してはいましたが、実際雑誌に掲載されているのを見ると他人の住居の様に感じました。こうして掲載していただくとアトリエmさんとの打ち合わせの日々を思い出し、本当に楽しい時間だったなと心から思います。

 1度の人生で100パーセント満足できる家に住めるなんて私達家族はどれだけ幸せものなのか。

 子供達が自立して家を建てる時も守谷さん田辺さんマルコさんのいるアトリエmさんでお願いします。 私は口を出せないのが辛いです(たぶん出します!)が、今から楽しみです!

 次男の○○のこんな真剣な顔を見たことがありませんでした。ずいぶん長い時間見ていました。どの様に感じているのでしょうね。

 長男君が33歳で家を建てたなら、その時私は70歳。まだまだ現役のつもりです。

 本当にそんな時がくればいいなと思いますし、80歳、90歳になっても現役でいたいと思っているのです。

 しかし、いくら働きたいと言っても、需要がなければ仕事を続けることは出来ません。また、健康であることも必要条件です。

 最も求められる建築家、クライアントの幸せを必ず実現出来る建築家を目指し、研鑽して来たつもりなので、賞が前にある訳ではありません。

 また、関西建築家大賞、JIA新人賞、JIA建築家大賞とまだまだ大きな賞があります。

 いずれも年齢無制限。必ず取って、世界遺産を目指します。

 しかし、悔しいのは本当に悔しいのです。

リアリティは無いが、リアルを求めるリアリスト‐1276‐

 先週日曜日は、京都を巡りました。

 世界遺産2つ東映太秦映画村。なかなかのギャップでした。

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 映画が娯楽の王様だった時代、太秦には、4、5社の撮影スタジオが集中していたそうです。しかし現在は東映と松竹のみに。

 互いにライバルではありますが、今は映画を盛り上げようと、物、人の貸し借りが行われているそう。

 映画村とは言え、実際の撮影にも使われるので、街並みはなかなかのものです。

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 坂本龍馬に扮した、井上さんという俳優が村内を案内してくれました。

 吉原の遊郭は、時代劇なら定番のシーン。

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 テーマパークのようなアトラクションもありますが、一番面白かったのはチャンバラショーと忍者ショー。

 どちらもプロが出演し、迫力十分です。

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 チャンバラショーは、新選組の沖田総司が(何故か女性)、人切り以蔵と対決するという設定。

 客イジリあり、殺陣ありと、十分に楽しませてくれます。

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 村内にある劇場、中村座での忍者ショーは更なる迫力。

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 柳生宗矩の家来、服部半蔵が豊臣秀頼を捉えます。

 それを豊臣方の忍び、佐助が助けに行くというストーリー。

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 服部半蔵役の俳優が、客席を睨みつけての客イジリのシーン。

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 見えた目は怖いが、実はフレンドリーという設定で、安田大サーカスの「クロちゃん」と同じ流れです。

 ですが私の目はごまかせません。役者一筋40年(おそらく)。迫力がもうにじみ出していました。
 
 ビートたけしは、客イジリは芸としては下と言いました。簡単に笑いが取れるからです。

 しかし、これが結構盛り上がるのも事実ではあります。

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 おそらく全員がアクション俳優で、身のこなしが素晴らしい。爽快なショーでした。

 ディズニーランドも、USJも楽しいですが、いい歳をした俳優達が体を張ってのエンターテイメント空間。

 入村料2,200円ですが、これは見る価値ありです。

 私は結構なプロレスファンでしたが、よくあったのが「プロレスって八百長だよね」という会話です。

 確かに勝ち負けに関しては、真剣勝負ではないかもしれません。しかし、観客の心や感情に向けての、真剣勝負だとは言えます。

 忍者ショーに出ている俳優は忍者ではありません。しかし、体を鍛え、技を磨き、観客を楽しませることに対してのプロフェッショナルです。

 リアリティーはないが、リアルな感情を引き出すことに対してのリアリストといったところでしょうか。言葉遊びですが。

 劇を見たので、先日亡くなった、演出家・蜷川幸雄の言葉を探してみたくなりました。

 自分の力で状況を判断し、人とコミュニケーションをしたい欲求を持ち、勉強する人間になってほしい

 高度情報社会になり、世界は小さくなった言いますが、本当でしょうか。

 もっとリアルに触れるべきでは。そんな事を考えさせてくれる、東映太秦映画村です。

枯れて石庭、燃えて金閣‐1275‐

 昨日の午前中、北摂のクライアントの自宅へ伺いました。

 計画のスタートから1年以上掛かってしまいましたが、ようやく工事請負契約が成立。

 私は、監理者として判を押しただけですが「一仕事終えた」という気分になるものです。その足で京都へ。

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 新緑萌える京都。昨日は30℃を超えました。

 季節が良いだけに、混雑を予想していましたが、龍安寺はそれ程でもなく。

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 アプローチにある鏡容池(きょようち)はハスの花もちらほら。

 いやが上にも気分は盛り上がります。

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 大切なのはファーストコンタクト。

 なんとも言えない感嘆の声を上げますが、訪れたのは20年振り位でしょうか。

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 この日は、姪っ子も一緒に連れて行きました。

 子供達は、こういった所をあまり喜びませんが、関西は日帰り圏内に沢山の世界遺産があります。

 先日、ル・コルビュジエの国立西洋美術館が世界遺産に登録されたというニュースがありました。

 コルビュジエの作品群の一つとして登録されたのですが、東京では初だそうです。

 京都、奈良、熊野、姫路城、法隆寺と、多くの世界遺産がある関西に、海外からの観光客が集中するのは、当然なのかもしれません。

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 禅寺の庭園、枯山水は 「枯れ」の通り、水を白砂や白石で表現されます。

 中でも石庭は、石と砂のみで表現されたもの。この石庭は1500年頃に出来たと言われます。

 絵画でも、古典主義から写実主義、そして抽象画へと変化していったように、突き詰めれば突き詰める程、単純化されて行くのです。

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 25m×10mの石庭は、2方を檜皮で葺かれた土塀で囲まれています。

 この土塀には菜種油が混ぜられ、時と共に変化を見せます。

 利休は、庭木は塀によって幹を隠すのが良いと言いました。太い幹をみせず、軽やかな葉、花だけをこの土塀によって切り取りとるのです。

 背景、間合いにある、「余白の美」こそが、日本独特の美意識なのです。

 衣笠山の麓を2km程北西に上がれば鹿苑寺(金閣)。

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 長男によると、テストでは金閣寺は×で、金閣が○とのこと。一般的には金閣寺ですが。

 晴れの日の金閣は圧巻でした。

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 夕方に来たのは初めてですが、西日を受け、燃えるように輝いています。

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 東から見れば、床の照り返しを受けた軒が、まさに燃えているよう。

 三島由紀夫の「金閣寺」は、その美しさにとりつかれた学僧が、放火するという小説です。

 その気持ち、少し分かる気もします。

 黄金には、人を変える何かがあるのでしょう。

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 世界遺産だからと言っても、子供は喜びません。実は、先に太秦の映画村へ寄ってから来ました。

 映画村も思いのほか面白かったので、また回を改めて書こうと思います。

 枯れて石庭、燃えて金閣。これらは対極にある美です。

 金箔貼の天守閣を持つ安土城を築いた織田信長。金の茶室を作った豊臣秀吉。

 足利義満と同じように、権力者は金を目指します。

 一方、市井の人の代弁者として、禅寺や利休の存在はあったのかもしれません。

 ただ、誰にでも出来そうなものは難しく、腕の差が出るのは、いつも同じ構造です。

 石庭をみると、常に気が引き締まるのです。

 最後に、5月21日発売の『住まいの設計07・08月号』に「松虫の長屋」が掲載されました。

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 リノベーションの掲載は4ページですが、詳細な工事金額も載っています。

 小さくですが、私の顔写真も掲載されました。勿論、主役はクライアントです。

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 webサイトの写真も、子供さん2人は頑張ってくれましたが、この撮影の日もアクセル全開でした。

 良ければ是非手にとってみて下さい。

イタリアより父きたる‐1274‐ 

■■■5月21日(土) 3:30pm~6:00pm 京都BAL 地下2階
丸善<京都本店>にて「無料相談会」に参加■■■

 先日、奈良へ行った際、ツバメの巣を見つけました。

 パン屋さんの軒先です。(コンビニではない)

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 写真を撮る私に、不審な目を向けるツバメの親。

 しかし、次に訪れた時は、巣が反対の軒先に移っていました。

 店の人が言うには「カラスがヒナを喰った」と。カラスも生きるのに必死。しかし、ツバメに同情してしまいます。その差はなんなのか。

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 先のゴールデンウィーク前、マルコのお父さんが来社してくれました。マルコが入社して2年。イタリアはラヴェンナからの訪問です。

 高校生の時から知っているという、マルコの彼女が案内して来てくれました。

 ラヴェンナはイタリアの東岸、アドリア海に面した古都で、ヴェネティアとフィレンツェの中央辺りに位置します。

 以下はマルコの写真です。

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 これがラヴェンナの中心街。

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 古代ローマから中世にかけて発展した港町で、現在は体積、埋め立てによって、内陸の町になりました。

 サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂の完成は549年。

 初期キリスト教建築群は、世界遺産にも登録されています。実に1500年前の建築です。

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 壁面に施されたモザイクタイルは、トルコ以外なら、ヴェネツィアかラヴェンナにしかなかったそう。

 そのことからも、当時の隆盛が伺えるのです。

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 これは、ゴート族の王テオドリックが520年に建造した廟。西ローマ帝国、東ゴート王国が首都を置いた町なのです。

 ラヴェンナは古都だけあり、劇作家オスカー・ワイルドや、ヘルマン・ヘッセなども滞在しています。

 また、ダンテはフィレンツェでの政争にやぶれ、1317頃からこの街に滞在しました。そして、イタリア古典で最も重要な「神曲」を完成させたのです。

 イギリス、ロマン派の作家、バイロンは1819年から1821年までラヴェンナで暮らし、「ドン・ジュアン」と「ラヴェンナ日記」を書いのです。「ドン・ジュアン」の中でこう語っています。

 男にとっての恋愛は人生の一部でしかないが、女のそれは人生全てである

 バイロンの言葉に、恋愛を考えたのは遠い学生時代のこと。

 一方、オスカー・ワイルドはこう言います。

 夫婦の愛情というものは、お互いがすっかり鼻についてから、やっと湧き出してくるもの

 どちらも真実か、どちらかだけが真実なのか。

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 仕事終わり、皆で食事に行きました。

 美と食の国、イタリアから来たお父さんは「しめ鯖」まで美味しいと食べてくれました。

 愛情注いで育てた子供が、日本で働く気持ちはいかばかりのものか。

 人の親として、またトップとして、改めて気持ちを引き締めなおすしかありません。

 教育は結構なものである。

 しかしいつも忘れてはならない。

 知る価値のあるものは、

 すべて教えられないものだということを。

 皮肉屋、オスカー・ワイルドの言葉は、いつもウィットに、示唆に富みます。

 親が子に、リーダーが部下に全て教えられないことは知っています。それでも、伝え続けるしかありません。

 ツバメの子は生後何カ月で、自立していくのか。我が子は、マルコは……

 退かないと決めれば、未来は常に明るい。後は決めるだけなのです。

ようこそ阿倍野の長屋へ<光庭シリーズ第三弾>‐1273‐

 昨日は「阿倍野の長屋」の見学会でした。

 4月23日に行った、大阪市住まい情報センターでのセミナー。『建築家とつくる住まい入門』と連続講座になっていました。

 セミナー参加者から24名の申込がありましたが、当日は16名の参加。3班に分けて案内することになりました。

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 まずは、建物外で全体像を説明。
 
 そして、私が説明しながら建物内を廻ります。

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 延べ面積が36坪ですから、それ程小さい訳ではありませんが、思った以上にいっぱいな感じ。

 同時にこの人数を案内したのは初めてかもしれません。

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 案内が終わったら、住宅情報センターからのアンケートを記入して貰います。

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 その間、ご家族はこんな感じ。

 新たな、光庭の使い方を教えて貰いました。

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 キッチン前には、長男君からのメッセージが。

 この心遣いが訪れる人の気持ちを和らげますし、私達もどれだけ救われたことか。

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 最終班の見学が終わったのが16:15。ここからは番外編です。

 このイベントのポスターを見て、どうしても見せて欲しいという女性が1人時間外で参加。加えて、家族も呼んでいました。

 弟君はご主人と仕事場へ出掛けており、子供達3人でサッカーを始めました。

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 うちの子供にも「松虫の長屋」は評判が良いのです。

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 その理由は、楽しそうだから。

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 メインイベントはやはりここ。長男君と、長男が一緒に登りました。

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 続いて娘も登頂成功で、私も肩の荷がおりました。

 長男のスケジュールが私よりタイトになって行く中、何度こんな機会があるのか分からないからです。

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 参加者の皆さん、一様に感心してくれましたが、やはり月見台に出た時は、感嘆の声を上げていました。

 この街中でこの解放感、といった感じでしょうか。

 今週末発売の、『住まいの設計』にも掲載されます。

 良ければ手に取ってみて下さい。

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 「住之江の元長屋」の見学会に参加してくれたのがきっかけで、仕事をすることになったのが「阿倍野の長屋」です。

 リノベーションにおいての「光庭シリーズ」。今回は第三弾で旗竿型光庭。進化形だと考えています。

 先月のセミナーでも取り上げたのですが、今度は「光庭シリーズ」の系譜をまとめてみたいと思います。

オペは神戸で‐1272‐

 母の里が香川で、帰郷のあとはフェリーで神戸に戻りました。

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 明け方、市章と錨形の電飾が見えてきたら旅の終わりを実感したものです。

 昨日、神戸の中央市民病院でオペを受けました。少し切っただけで経過は順調、至って元気です。

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 三宮からポートライナーに乗って15分程。

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 新築なのか改修なのか、とても清潔な病院でした。

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 私の病室は北向きでしたが、とても明るく、暑すぎない良い部屋。寝室の北、東の開口は、やはり良いなと実感します。

 「唾石症」と言う、唾液腺の中に結石があると分かったのが昨年の12月。結石とはカルシウムが石状に固まったもので、尿管結石と同じもののようです。

 つるみ歯科クリニックへ定期クリーニングに行くと「舌の下に大きな唾石がありますよ」と、院長に教えて貰いました。

 確かに、触ってみるとパチンコ玉の半分位の塊があります。

 唾液の出を悪くするので、出来れば切開して摘出した方が良いとのこと。紹介状を書いて貰い、ある総合病院へ行ったのが1月でした。

 担当医師は「切開しか方法がありませんね。入院は1週間くらい」と。

 何の支障も無いのに、ましてや1週間も休む時間など無く、他の選択肢は無いですかと訊ねました。

 「神戸の中央市民病院が、内視鏡の手術をしているかも」と聞き、再度紹介状を書いて貰いました。

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 全部で3つの唾石があり、舌の下にある唾石が大きくなりすぎているので、内視鏡での手術は難しい。

 しかし、口の中からの手術なら一泊の入院で可能。その場合は、一番奥の唾石は摘出が難しかもしれないという見解でした。

 2回目の診察の前に、出口にある唾石がポロッと取れ、一度、内視鏡でもトライしてみましょうかという話になったのです。

 私と同年代の、とてもはつらつとした先生で、この人にお願いしようと決めました。

 今回、一番驚いたのは麻酔の話です。

 全身麻酔での手術だったのですが、麻酔中は自分だけで呼吸をしていないそうです。

 「呼吸を忘れるくらいの麻酔をしていると考えて下さい」と。その説明を聞いた時はゾッとしました。

 2012年に、痔瘻の手術をしました。

 この時 「もし今が原始の世界だったら、完治する事は無かった」と書きました。今度は、生きていなかったと書かざるを得ません。

 原始の世界ならオペなどないのですが。

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 先程会社に戻ったのですが、口の中を2ヶ所程切っているので、話し辛く、何かを飲み込むのはかなり痛いです。

 もう少し軽く考えていたのですが、やはり手術など、しないに越したことはありません。

 病室からは六甲山系が見えました。今朝は快晴で、その景色にホッとしたのです。

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 三宮駅前の植え込みも、満開の花。

 海、緑、花と、やはり自然はパワーの源です。

 体にガタは来ていませんが、いろんな事が起こる歳になりました。しかし、人生を困難克服・成長ゲームと考えれば、それらの課題も楽しむだけです。

 そう考えるとこの日記が、どれだけ私の助けになっているか。全てが話題になるのですから。

 一番変わったのは、2日間会社を空けても、仕事にブレーキが掛かっていないことだと思います。

 災い転じて福となす。全ては考え方なのだと思うのです。

お天道様はいつも見ている‐1271‐

 今日から3日間、雨予報です。

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 道端に咲く草木も、緑が目に痛い程だったので少し残念。

 土曜日に、弟がプレゼントしているのを見て「母の日」だと気づきました。毎年のことながら情けない限り。

 母は「カーネーションが一輪あればいい」と。

 出先で花屋を探していると、吉野の国道沿いで見つけました。

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 古き良き花屋といった趣きです。

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 古き良き、女将さんが出て来てくれました。

 生花は、売り物として店に並ぶのは10日程。仕入れは大和高田市まで車で30分。お客さんは主に近所の人達だそうです。

 経営は大変だろうと聞いていると、セレモニーホールが前にあり、とても繁盛しているとのこと。

 現在は子世代が継いでいますが、この日はお母さんが店番だったのです。

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 カーネーションも赤以外に、桃、濃桃、赤紫、緑、白、黄と様々な色がありました。

 バラ等も本当に色鮮やか。黄色いバラの花言葉は嫉妬だったか。

 今は亡きケリー・フォン・エリックというプロレスラーが愛していました。誰も知らないと思うので聞き流して下さい。 

 花屋など滅多に入らないので「花に囲まれていい仕事ですね」と言うと「皆さん、そう言ってくれるんですよ」と。

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 カーネーション5色と、吉野にも自生するというユリ科の花をセレクトし、ラッピングして貰いました。

 話好きなお母さんで、四方山話を20分程していました。

 先日、近所のお寺に説教師さんがみえ「お天道様」の話をしてくれたそうです。

 良い行いも、悪い行いも、いつもお天道様が見ていてくれる、という話しです。「昔は良く聞かされたのに、最近は孫にもしていないわ」と言っていました。

 私はこの考え方が好きです。誰かに見られているからとか、道徳観では早くに限界が来るからです。

 例えば、公衆便所のブースで、少し汚してしまったとします。その中は誰も見ていません。しかし、お天道様はみています。

 お天道様とは、自分の良心なのです。

 子供にも分かる平易な言葉で伝えた、まさに日本人の知恵の結晶です。
 
 初夏のお天道様は本当に気持ちがいい。早く顔を出して、照らしてくれますよう。

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雲を捕まえたい‐1270‐

 今日は子供の日。

 小さい頃は、雲を捕まえてみたいと思ったものです。

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 僅かに残る薄雲。

 勿論掴めるはずはありません。

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 朝靄の立ち込める池原ダム。

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 ゴールデンウィークの最後に、娘とやって来ました。

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 彼女は年に2、3回しか来ませんが、引きが強いのです。

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 今回の最大サイズを釣りあげました。

 他の人なら、素直に喜べるかどうか……

 しかし、娘なので楽しいと思ってくれるだけで十分。

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 自然、については何度か書きました。

 私がよりどころにしているのは、概ね以下の2つの言葉です。

 自然は美しいね。なぜだと思う。自らに責任を持っているからだよ。

-前川國男- 建築家

 美の源泉は自然にある。自然なら美しいか。
 花を雨、日で育てるのも自然。
 木を一瞬にして焼き払うのも自然。
 自然がなにを目指し何を行わんとするか。 
 けだし我々人智のよく量りえるところではない。
           
-北大路魯山人- 書家・陶芸家

 魯山人はそう言いますが、やはり考えます。

 もし、この世が快晴の日だけなら、晴れが気持ち良いという感情は生まれないかもしれません。

 美とは、永久でない、失い得る、そして覚悟に関係があるのではと考えています。

 建築の創造を通して、美を探究するなど、まさに雲を掴むような話です。

 しかしそのお陰で張りのある毎日があります。

 前回に続けて、開高健のことばで終わります。

  かくして

  魚の命は終わった。

  釣り人もやがて死ぬ。

  しかし

  河は眠らない。

  開高健『河は眠らない』

 彼の言葉は本当に美しいのです。

悠々として急げ‐1269‐

 前半は天気に恵まれた、今年のゴールデンウィーク。

 熊本行きがキャンセルとなり、今日は会社に来ています。

 3日、4日と少し雨が降るようですが、今年のGWは概ね良い天気が続きそうです。

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 1899年に鳥井信治郎が独立開業した現サントリー。

 1988年に東京へ本社を移すまで、堂島が本社でした。大阪の企業が、東京に移転して行くのは寂しいですが仕方がありません。

 イタリアなら、ローマに全てが集中している訳ではなく、とくにミラノはデザインの街として、ローマ以上に活気があります。

 大阪に魅力があれば、全ての企業が東京に行く必要がなくなるはず。これは見習う必要があります。

 そのサントリーのウィスキー事業、ビール事業を成功させたのが、2代目社長の佐治敬三です。

 トリスブーム、生産量世界一のサントリーオールドとヒット商品を連発していくのですが、それを支えたのが広告部にいた開高健です。

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 北康利の著書「最強のふたり」は「どうです佐治はん、私とあんたが組んだ仕事はことごとく大成功でっせ!」の言葉通り、社長とヒラ社員の友情を描いています。

 また、佐治家との養子縁組の話しや、開高の女性関係にも触れられています。

 その中で、作家としてすでに成功を収めた開高の別荘を、佐治が訪れた際のお礼の手紙が出てきます。

 古語に《フェスティナ・レンテ》と申します。悠々として、かつ、急げの意です。今後のウィスキー会社のプレジデントにはまさにうってつけの座右銘ではございませぬか

 その手紙の一節にあるこの言葉を、開高はその後も好んで色紙に書きます。

 ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの言葉とされるこの言葉を「急がば回れ」等と月並みの言葉にしなかった、と著者の北は書いていました。

 傍から見ていると、ただ羨ましく、あこがれの存在でしかない作家が、愛人問題で詩人である奥さんに詰め寄られ、しかも重度の鬱だった。

 平坦で、安定した人生など無いのだと納得する他ありません。

 彼は「週刊プレーボーイ」で1983年から人生相談の連載をもっていました。

 その編集長が編集部に貼っていたという、開高の「出版人マグナ・カルタ」が秀逸だったので掲載しておきます。

①読め。
②耳をたてろ。
③両眼をあけたままで眠れ。
④右足で一歩一歩歩きつつ、左足で跳べ。
⑤トラブルを歓迎しろ。
⑥遊べ。
⑦飲め。
⑧抱け。抱かれろ。
⑨森羅万象に多情多恨たれ。
右の諸則を毎日三度、食前か食後に暗誦、服用なさるべし。
御名御璽

 森羅万象に多情多恨たれ。あらゆるものに興味を持つ。感じやすいが故、恨みも抱く。

 そうなんですよね、開高さん。

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