■■■プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」8月1日オープン ■■■
8月も今日で終わり。
昭和世代なら、夏休みの宿題に追われている光景を思い出す日でもあります。
しかし最近は夏休みの終わりが早く、高校生の娘は8月25日に2学期が始まりました。
私立だけなのかなと思って聞いてみると、公立もすでに始業しているそう。週休2日なら、そのくらいしないと勉強が追い付かないかもしれません。
この暑さはかわいそうではありますが。
今日でこの日記も2039回目になりますが、最も読んで貰っているのが以下の記事です。
2005年の10月に書いた「阪急梅田駅の歴史」。
ムービングウォークの南にある広いコンコースが、初代阪急梅田駅だったことを書きました。
その南端にあった通称・レトロドームは、旧駅の待合室。
平安神宮や築地本願寺などを手がけた建築家・伊東忠太によるものですが、現在は阪急百貨店内のレストランに移築されてます。
中学から予備校まで7年通った通学路で、愛着もひとしおだったのです。
クライアントとショールームを回る際、このような話をすると、喜んでくれる人が結構います。
梅田のことは大概知っているつもりでしたが、6月放送の『ブラタモリ』は流石の密度でした。
ダンジョンと言われる地下街。
南北は北新地から阪急三番街、東西は泉の広場から西梅田。
こちらは庭のようなものですが、大阪駅の高低差については全く知りませんでした。
地下鉄東梅田駅から地上に出て、大阪駅のある北へ歩きます。
大阪駅へは、地下鉄3路線、阪神電車、阪急電車でアクセスできます。
大阪駅の南東角にある、御堂筋南口の前に地下鉄梅田駅から上がってくる階段があります。
これが、上がって来たにも関わらず、いきなり3段下るのです。
変だなとは思っていたのですが……
中央口、桜橋口へと西に向う通路はこの通り。
1階なのにこの高低差です。
南にある大丸梅田店へのアプローチもこの通り。
東梅田から大阪駅に向かう時、出張で大きなキャリアーを持っている時は、この通路は使いません。
大阪駅は、明治時代に鉄道が引かれるまで、湿地帯で何もないところでした。
機関車は火の粉をまき散らすので忌み嫌われ、当時の中心地だった中之島から遠く離れた梅田に新駅が建設されたのです。
梅田は埋田の当て字ということは良く知られています。
しかし、駅建設によって一気に街は発展。多くの建物が建設されました。大量の地下水をくみ上げたことで、激しい地盤地下を起こしたのです。
その痕跡が、この高低差。
大阪に生まれて53年、もう感動に近いものがありました。
それで、コツコツと写真を撮りためるのに、3ヵ月近く掛かったのですが。
番組内で、地盤沈下の様子が良く分かる場所が紹介されていたので、見に行ってきました。
入場券140円を買って駅構内へ。
3番線・4番線ホームを上がります。
宝塚線、神戸線の西行きのホームですが、反対の東向きへ歩きます。
東は阪急百貨店側。
ありました。
1本北にある5番線ホームの東端です。
右から左へ下がるように、旧ホーム跡が見えています。
これだけ分かりやすく地盤沈下を目視できるところが、大阪駅にあったとは……
ただの熱烈な『ブラタモリ』ファンになっていますが、私はお出掛けが大好物です。
この夏は、我ながら本当に良く働きました。
どこかへ出掛けたい願望がもうマックスなのです。
■■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演
■ 『ESSE-online』にコラム連載
10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
◆メディア掲載情報