梅田のこれから、これからの買い物

 先週の木曜日は10月25日。現場の帰りに梅田を通りました。

 長らく工事中だった阪急のコンコースが、ようやく開かれていたのです。

 少しのぞくと、阪急百貨店も結構賑わっている感じです。

 広角カメラを持っていたので、写真を数枚撮りました。

 このコンコースは、初代、阪急梅田駅のホームだったところです。

 映画「ブラック・レイン」では、松田優作がバイクで登場しました。

 梅田の発展と共に、変遷を遂げて来た場所なのです。

 今回の工事に入った時に、その歴史をまとめてみました。興味のある方は2005年10月31日の記事を。この風景が、梅田の、大阪の顔となりえるのか。また7年経ってから、何か書いてみたいと思います。
 
 翌日、新聞を読んでいると、百貨店のリニューアルオープン初日だったと知りました。

 記事には、朝早くから多くの人が列を作り、かなりの混雑だったとあります。しかし、私が通った夕方は、そこまでの特別感はありませんでした。

 JR大阪駅界隈は、百貨店のオープンが相次ぎ、人出は増えましたが、実際の消費は目で見てとれる程、冷え込んでいると感じます。

 人口が減り、高齢化社会が進み、安い労働力を求め企業が海外移転を進める中、以前のような消費型社会に戻る可能性はないはずです。では、日本はどこへ向かうのか。

 作家、曽野綾子が新聞に以下のような発言をしていました。

 自立の気構えが全ての基本。自分達にかかる費用は払い続ける。シルバー割引を使わない。健康保険も使わない。

 ここまで出来る人が、何パーセント居るかは別にして、その考え方には惹かれるところがあります。彼女の考えは、高齢者をイメージしての事だと思いますが、これまでの「買う」に対しての警鐘とも言えます。

 相応の対価を、納得して払う。得をするから、今買わないと損をするから、ではない。

 そんな事だと感じるのです。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました

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手土産のすすめ

 前回、後輩とそのフィアンセの事を書きました。

 すると、私の所に「お祝いを伝えて」というメールが届きました。新しい仲間が増える、良い事が起こるのは、やはりい良い事です。

 お祝いにシャンパンを持って行っていたのに、渡すのをすっかり忘れていました。すぐに送っておかないと……しかし、手土産というのは意外に難しいものです。


 少し前ですが、伊勢の地ビールを頂きました。

 飲みやすく、のど越しも軽く、とても美味しかったのです。本当に有難い事だなと思います。

 こういうことに手慣れた人は、さらっとそういう事ができ、ホスピタリティーに溢れている人が多いと思います。

 反対に、私が知人宅を訪問する時。妻に「お土産はどうする」と聞かれます。ほとんどの場合、何も考えていません。全く駄目なのですが、少し理由もあるのです。

 働き始めた時の給料は10万円位でした。仕事も出来ないので、十分有難いと思っていました。

 その2年後独立しますが、更に経済的な厳しさは増します。とりあえずお腹が一杯になれば良いという考えで、納豆ご飯をつくり、それをおかずに、白いご飯を食べる。そんなことをしていたのです。

 開高健はそんな暮らしを「手から口への生活」と言いました。それは30歳過ぎました。

 全く苦はありませんでしたが、誰かの家に呼ばれたとき、正直「何か買っていかないと」という考えは、浮かばなかったのです。


 そんな考えが、違っているなと思うきっかけになったのは「サロンのある家」のご夫妻と会ってからです。

 この夏も、久し振りに招待頂きました。

 この日もご馳走になった上、子供達には「レゴ」のプレゼントまで。

 その時間をどう楽しいものにするか、もてなすか。ご夫妻、お子さんも含めて、そういう心根になっているのです。
 
 今までにどんなストーリーがあったかは、もし良ければ2008年4月の話を。


 ビールを冷やすだけでも、違います。

 美味しそうなのです。

 先日扶桑社より発売された、『MY HOME100選 Vol.11』には「サロンのある家」が掲載されています。

 表紙に屋上でシャワーを浴びている写真があるのですが、それがご主人です。撮影は5月だったのですが、カメラマンのリクエストに快く、むしろ乗り気で応えてくれたのです。

 結局「どう思われるか」に拘っていて「何をしてあげたいか」とう考えが無かったのだと、夫妻をみて分りました。

 手土産初心者は中級レベルを目指します。
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青春から朱夏へ

 昨日は福井県の敦賀半島まで行っていました。

 大阪は快晴だったようですが、日本海側は晴れたり曇ったり。

 9月に会った後輩から、婚約者を紹介して貰うことになっていました。

 それなら、よく行った海を見ながら昼食でも、となったのです。

 私達は朝一番に大阪を出て、食材確保に向います。

 例年、9月末に海へ来て、我が家の夏は終わりです。

 よって、この時期に来たのは初めて。

 波止に集まる魚も、感じが違うのです。

 釣り上げるとアイゴの群れでした。

 アイゴはヒレに毒があるので扱いは要注意です。

 しかし、トゲの部分だけ切り落とせば、とても美味しい魚。

 小さなグレを「こっぱグレ」と呼びます。

 こちらは年中居ます。

 彼らが来るまでに、釣った魚の下ごしらえを済ませ、炭がいこっているイメージでした。

17 - コピー

 まずはパスタ、次に焼肉。

 その後、トン汁と釣った魚の唐揚げ、最後にうどんでも、と考えていました。

 実際に、出来たのはパスタと焼肉だけ。

 子供の相手も含めてバタバタしており、写真を撮るのも忘れていました。 全ての片付けが終わり、帰る前に撮ったこの写真だけ。

 20歳の頃から、30歳頃まで、彼と良くこの海に来ました。

 

 潜って、突いて、釣って。

 食べて、飲んで。

 何をしていても楽しい年頃だったのだと思います。

 先日テレビで、PRINCESS PRINCESS 再結成、という番組を観ました。

 ちょっと引いて観ていたのですが、不覚にも涙してしまいまいした。1983年デビューで1996年解散。初めて武道館公演をし、最も成功したガールズバンドと紹介されていました。

 最大のヒット曲は「Daiamond」、その他「M」「19GROUWING UP」などありますが、やはり「世界でいちばん熱い夏」です。

 ♪ 世界で一番大きな太陽  いつまでも夏を焼き付けて ♪

 私は1970年生れ。後輩は2つ下。私達の青春時代と完全に一致します。夏になるといつもCDチェンジャーに入れていました。

 中国では、季節に色を付けます。青春、朱夏、白秋、玄冬。

 青春時代という言葉があるなら、現在私達は、朱夏時代真っ只中です。少し歳のいった新郎だけど、彼女を幸せにする為、全力で頑張れ。僕も頑張ります。

 婚約者の彼女には「貰ってくれて有難う」と伝えました。先輩風を吹かすつもりはありませんが、これが偽らざる気持ちです。

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秋のセミナーシリーズ 5回戦

 8月の終わり。天王寺に建設中のあべのハルカスが、日本で一番高いビルになりました。

 設計は竹中工務店で、外観はシーザー・ペリがデザインしています。

 シーザー・ペリは高層ビルも得意としているアメリカの建築家で、中之島のある国立国際美術館も彼の作品です。

 竹をモチーフにしたというこの挑戦はなかなか刺激的です。

 天王寺は事務所創業した場所で、私も一家言持っています。

 ハルカスの北側はJR天王寺駅で、東隣は天王寺MIO。間の道がそれほど広くないのです。

 以前建っていた、村野藤吾設計の近鉄百貨店。それらを配慮して高さを抑えていたのかは分かりません。

 しかし300mという高さは、完全にスケールアウトしていると思います。

 建築は街の一部で、街を構成する要素です。

 在る物、これから出来て行くものは、出来るだけ肯定的にとらえたいと思いますが、チンチン電車の走るこの街に、日本一高いビルが要るのかなと思うのです。

 完成すればまた違う印象を持つのか。注目しています。

 話は変わって、今週土曜日はすまいcafeでのミニセミナーです。その後も、人前に出る機会が何度か続きます。

■10月20日(土) 13:30~15:30
LIXIL大阪水まわりショールーム
第47回すまいcafe『幸せな家って?新築orリフォーム』
http://showroom-info.lixil.co.jp/kinki/osaka_wt/
■10月27日(土)、28(日) ASJ建築家展に参加
泉の森ホール 1F・ギャラリー
大阪府泉佐野市市場東1丁目295番地の1
11:00~18:00(入場無料)
■11月3日(祝・土) 11:50am~12:00pm
高槻高校でセミナー
■11月17日(土)
山口県岩国市で建築関係者向けセミナー
■11月18日(日)
ASJ岸和田スタジオでセミナー

 私は始道塾という経営の勉強会に参加しています。

 その塾長である恩田さんに、話をする際に心掛けている事を聞いてみました。恩田さんの講義は、分かり易く、かつ面白い。素晴らしいのです。

1. 自分が思っているより、何倍もゆっくり話す。出来ればその映像を撮ってみてみる。
2. 間をおき、反応を確認。
3. 重要なフレーズは何度でも。
4. 聴いている人が良くなりますように、と思う。
5. 共通の土壌をつくる。

 早口な私は、1.はまず注意しないといけない所です。2.が最も欠けているのかなと思います。自分の立てたタイムスケジュールをこなすような話し方では、何か伝わる事はなさそうです。

 3.は1、2割の人が「しつこい」と思ったとしても、大半に伝わっていないと思えば、何度も繰り返して良い。4.は間違っても、自分が恰好良くなどと思わない事、と。これもよく分ります。何故か、上手く、恰好よくやりたいと思ってしまうのです。

 皆が同じ土壌ではない、結婚式のスピーチは、5.の土壌作りが難しいのだと分りました。

 今月末の建築家展はセミナーではありませんが、私にとっては5回シリーズ。野球のプレーオフではないので、勝ち負けはありませんが、進歩できるのか。

 全て終われば総括したいと思います。

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小さな説

 私の住む平野区は大阪市の南端。いくらか田んぼも残っています。

 概ね稲刈りも終わり、ハトが落ち穂をついばんでいました。

 日に日に秋は深まって行きます。

 知らぬ間に冬になったと言わないで良いよう、どこかに出かけたいところ。

 しかし昨日は子供のソフトボール、サッカーがありどこにも行けず。DVD、読書とインドアな一日でした。

 この秋に読んだ本については、また書こうと思っているのですが、作家・開口健は「大きい説ではなく、小さな説を書いて飯を食うてます」と言いました。

 同じ出来事を体験したとしても、それをどう切り取るからで「説」は大きく変わります。

 開高健をノンフィクションライターとしてとらえるなら、沢木耕太郎、二宮清純は正統な系譜と言えるかもしれません。二宮清純が自身のwebサイトに再掲載したコラムにその実力が余すところなく発揮されています。

 題材は、1988年ソウル五輪。背泳ぎで鈴木大地が金メダルをとった場面です。

 鈴木大地は、決勝までライバルに大きく水を開けられていました。

 もし、メダリストではなく、金メダルを取りに行くなら、スタートから水中を潜水しながら進む「バサロ」のキックの回数を増やすべきではという結論を、コーチの鈴木陽二が導き出します。

 前半に体力を消耗しすぎると、後半のスピードが伸びない。経験から21回と決めていた水中でのキックを、リスクを覚悟で25回にしないかと鈴木大地に提案します。

 それに対して鈴木大地は「いや27回でいきましょう」と応えました。結果、3人がほぼ同時にゴールした大混戦を制し、鈴木大地は金メダルを獲得しました。

 二宮はこの話の前後から、4つの切り口で語ります。

1. コーチ鈴木陽二が言う「プレッシャーを楽しんでしまえばいい」とは、子供がピクニックを楽しむというようなものではない。世間をあって言わせてやろうと、絶え間なく脳細胞を働かせ、創意工夫を重ねる事だ。

2. 「あとは開き直ってやるだけ」という発言をする選手が、予想以上の成果をだすことはない。これは思考停止という現実逃避で、そのような愚か者に、神様が至福の瞬間をプレゼントすることはない。

3. 「負けはしたが、練習通りできたので満足している」や「教えた通りにやってくれた」と言う選手や指導者にも魅力を感じない。プロセスは大切だが、結果が伴ってこそ評価。なぜ選手をいたわるのかいうと、自分の満足に協力してくれたという考えに他ならない。

4. 「選手たちを褒めてやりたい」「選手たちに感謝している」と涙ながらに話す指導者も同様。こういったセリフは自らが主人公だと勘違いしているからつい口にでてしまう。

 これらの解釈は、冷徹にも見えますが、奥底にある真実だと感じます。また、スポーツをする者、またそれ以外の人へ向けても、成長の糧とするよう促している、大きな愛情も感じます。

 これ程シャープで手厳しい説を見る事はまれです。何らかの説を唱える時、真実を真っ直ぐに見る目と、非難を恐れぬ覚悟が必要なのは間違いありません。

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ホームカミングデー&すまいcafe

 来週、土曜日の10月20日。

 「幸せな家って?新築orリフォーム」というテーマで、同級生の建築家、奥和田さんとミニセミナーを開催します。

 JIA(日本建築家協会)のすまいcafeというイベントで、会場は大阪の本町にあるLIXL(リクシル)のショールーム。

 セミナーは30分ずつで、そのあとはお茶を飲みながら雑談というイベントです。良ければ気軽に遊びに来て下さい。

 今度、奥和田さんとあったとき、どっちが先に話すか決めないといけないのですが、このあたり同級生というのは、気が楽なものです。

 また、11月3日(祝・土)文化の日には、母校の高槻高校で講演をする事になりました。

 今年から開催される、ホームカミングデーというイベントで「少し話をしてくれない」と、先生から連絡を貰ったのが8月下旬。テレビの件があっての事ですが、勿論1つ返事で引受けました。

 6年一貫教育の高槻中学、高校は母校というのを割り引いたとしても、なかなかの進学校です。昨年の成績は特に良かったようで「週刊ダイヤモンド」2012年5月19日号で、中高一貫校の「大学合格力」&「医学部合格力」の全国ランキングで11位だったのです。

 これで私が東大の建築学科でも出ていれば、完全に嫌味ですが、現実は浪人して近畿大学の建築学部。中学、高校と完全にお荷物生徒だったのです。

 270人の生徒の中で、成績は下から2、3番。体も小さいのに喧嘩っぱやく、先生、親と一緒に謝りに行った事も2度ありました。

 中学の時は野球に燃えていたので良かったのですが、高校は丸坊主が嫌という理由で野球をせず。

 高校1年の化学の授業中のこと。

 先生に「守谷、高校って義務教育じゃないんで、勉強嫌なら学校を辞めてもいいんやぞ」と言われたことがあります。

 「そうか、別に辞めてもいいんや。そういえば、なんで毎日学校に来てるんやろう」というレベルでした。勉強が嫌いという訳でもなかったのですが、全く興味がなかったのです。

 普通なら、高校へ上がるときに、外へ出されそうなものです。では何故残して貰えたか。

 30年も前の事なのではっきり書きますが、学校はそこまで受験勉強に熱心でなかったと思います。にも関わらず、それなりの成績を学校が出していたのかと言うと、理由があるのです。

 当時私立中学の入試日程は、関西では全て同日でした。その中で、唯一高槻中学だけ1週間ずれていたのです。
 よって、私立の第一志望を落ちた生徒がほぼ全てで、入学時からすでに失敗体験を持っています。これが、やる人間は自主的にやるという校風を育んでいたのだと思うのです。

 建築家になりいとは思っていたのに、何故しっかり勉強していなかったのか、自分でも良く分かりません。しかし、25歳で事務所を設立してからは、それなりに世間の荒波にもまれてきたつもりなので、そのあたりを熱っぽく話そうと思っていました。

 すると先生から「参加者は卒業生の方が多いのと、最近の学生はそういった話を聞く機会が多いので、もう少し楽しい感じで……」というような感じのメールが。

 よってタイトルは『「大改造ビフォーアフター」匠の舞台裏』となりました。気楽な楽しい話を心がけますので、高槻高校OBのみなさん、良ければ是非参加下さい。

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勝つ価値、負ける価値

 今日は体育の日で、運動会シーズン真っ只中です。

 長男の小学校は先週、娘の保育園は昨日でした。長男のほうは見に行けなかったのですが、今年の徒競走は初めての1位。さて娘は。

 まずはお遊戯の出番待ちを見つからないよう、撮りに行きました。

 やや緊張の面持ちか。

 保育園の運動会は、異様なまでに熱気に包まれます。

 そいう言う私も、その1人ですが。

 年中組のお遊戯は ♪アイウォンチュー♪ AKBです。

 小2の兄とも、ダンスはとっても好きなようです。

 動きにもキレがあり、ばっちり決まっていました。

 徒競走は、同じく組に早い子がいると、聞いていました。

 スタートダッシュはまずまずの2位。

 1番手の子はグングン前に行き、激しい2番手争い。

 ん!今、手で押された!!進路妨害じゃないか!!!

 結果は惜しくも3位。でも良く頑張りました。

 運動も勉強も、勝ったり、負けたりしながら、自分に何が出来るのかを知って行くのだと思います。

 その中でも、一生懸命やって負ける事が大切だと思うようになりました。

 「自分らしいとは少々の困難があってもやり遂げたいこと」

 と聞きました。この考えが正しいなら、人に勝ることが、自分らしいとは言えません。負けても、困難でも、長く挑み続けられる。それが自分らしい事になります。人生は一
瞬の勝負ではないのです。

 先週、就職希望の若者がオープンデスクに参加することになりました。2日目の朝、出所時間を過ぎて、オープンデスクを辞退するというメールが届いていました。

 20日間のオープンデスクを完走する学生が、この数年、かなりの確率で減りました。概ね5、6割といった所でしょうか。

 辞めたい人に来て貰う理由はないので、一向に構わないのですが、私達がよほど理不尽な応対をしたのでない限り、そんなことを何度繰り返しても同じだと思います。

 辛い、大変だという過程を経ないと、自分らしい事が何かは解らないからです。

 先月あるクライアントに、私の成長を最も即したのは、スタッフを採用したことでは、と言われました。そう言って貰ったのが、まずは嬉しい事ですが、もし必要でなければ、または事務所の目標になければ、人を育てる事などやっていなかったと思います。

 私の経営理念は「人類の幸せと、文化的、文明的発展に貢献する建築を創造すると共に、逞しく活力ある仕事人を育成する」です。

 何度も若者を採用しては辞め、また採用してと繰り返しているのは、案外自分らしい事なのかもしれません。

 自分らしい。得意は好きの近くにある。荒行は続きます。

 辛いと大変と経験したい若者へ。事務所の門戸はいつも開いています。

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社会見学 遠州 ヤマハ編

 昨日は、JIA(日本建築家協会)の例会でした。

 朝7:30amの新幹線で浜松へ。

 総勢20人がバスに乗り換え、まずは天竜市の秋野不矩美術館へ。

 女性画家、秋野不矩(あきのふく)の出身地に建つこの館は、藤森照信の設計です。

 子供が絵に描いたような独特の建物。

 インドなどを描いた柔らかいタッチの画を、プリミティブな空間が優しく内包しています。

 氏の建築は、非常に許容範囲が広いということが、ここでも証明されています。

 昼食は浜松に戻り「新角」という店へ。

 流石は鰻の街です。

 さくっと焼き上がった鰻に甘めのタレがしっかり掛かり。

 噛みごたえもしっかりしており、素晴らしい味でした。

 鰻の入ったしゅうまいも名物のようで、さっぱりとした食感で、とても美味しかったです。

 昼からはヤマハの工場で、キッチンの制作過程を見学します。

 残念ながら工場内は撮影禁止でした。

 しかし、国内で初めに人工大理石を用いただけあり、その拘りが伝わってきました。

 特に350℃までのフライパンを置いてもOKという点においては、唯一無二のレベルと言って良いと思います。

 その秘密は、熱に強い材を使うのではなく、素早くその熱を拡散できるような素材が混合されているという事でした。

 材料化学の世界では必然の発想なのかもしれませんが、問題を解決する際にはこういった考え方が必要なんですよ、と教えらるようでした。

 ヤマハと言えばやはりピアノ。

 ピアノ塗装と言われるその技術は、工芸品の域と言ってよいものです。

 扉のカラーバリエーションは114色。

 全て自社で出来る技術があるからこそのラインナップと言えます。

 最後は、人工大理石のコースター造りの体験コーナーへ。

 これらは、一般の社会見学コースにあるのか、私達専門職の人だけのものなのかは、確認し忘れました。

 最後は、ヤマハの関連施設「葛城北の丸」へ。

 北陸の古民家を再生した宿泊施設なのですが、2002年日韓共催ワールドカップに際に、トルシエジャパンが宿とした事で知られます。

 館内にも中田英寿らがサインしたユニフォームが飾られていました。

 トルシエがここを拠点としたいきさつは、どのようなものだったのでしょうか。

 日本人にはこの場所が最も合っていると感じたのか、もしくは通訳を務めていた彼が勧めたのか、もしくは本当に青い目のサムライだったのか……

 2時間ほどかけて、先輩建築家と食事を共にし、帰途についたのです。

 秋野不矩美術館のすぐそばには、本田宗一郎の生家があるそうです。

 個人で行っていたなら、是非見て見たかったのですが、それは叶いませんでした。

 日本人は、失敗ということを恐れすぎるようである。どだい、失敗を恐れて何もしないなんて人間は、最低なのである。

 やろうと思えば人間はたいていのことができると私は思っている。

 当時、一生懸命がやたらと尊ばれた。たんなる一生懸命には何ら価値がないことを為政者は教えなかった。

 だから国民は一生懸命が価値を持つためには、正しい理論に基づくことが前提条件だということを悟らなかった。

 ヤマハ、河合楽器、トヨタの創業者が静岡の出身です。物創りに欠かせない何かが、この地には受け継がれているのか。

 なかなか訪れる機会のない遠州。いずれゆっくりと回ってみたいと思います。

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岸和田だんじり祭り

 昨日の台風17号は、日本列島を縦断。午前中に三陸沖へ抜けたようです。

 土曜、日曜はイベントがあり、ASJの岸和田スタジオに行っていました。その前を、だんじりの試験曳きが通りました。

 台風が最も近畿へ接近した昨日の昼過ぎ。

 雨であれ、風であれ、祭りの男たちには関係ありません。

 交差点をかなりのスピードで曲がる「やりまわし」。

 岸和田だんじりならではのハイライトです。

 屋根の上で舞っている人は、大工方と言います。彼らが踊る間は、直進。曲がるときに合図を送るのがその役割だそうです。いわば、指揮者なのです。

 考えてみれば数トンもあるだんじりに、ハンドルがついる訳ではなく、曳き綱をだけでコントロールするのが、簡単なはずがありません。方角は「山、海。大阪、和歌山」で表現するそうです。

 山→東、海→西。北→大阪、南→和歌山。

 なるほど、この街と限定すれば、そので暮らす人が聞けば、最も間違いがなさそうです。曲がり角手前で一旦待機。合図と共にスタートし、見事成功させました。

 時にはけが人が出る程で、緊張感が漂っていました。方角の表現も、間違えば大事故となりかねないからこそ、伝統が息づいているのでしょう。一度本番を観てみたいものです。

 常に危険と隣り合わせ。そんな緊迫感が、より生を強く感じ、人を熱狂させるのではないかと思います。

 経営コンサルタントの石原明氏は「一生懸命仕事をすれば成長し、より多くのお金が貰える。成果を出さないとお金を貰えなくなるのが資本主義社会の良い所」と発言していました。

 実社会では「わりまわし」のような場面はなかなか無いとも言えます。反対に、いつもそうだとも言えそうです。

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