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土曜日は、近鉄上本町駅すぐ南の病院で、人間ドックでした。
結果は後ほど送られてくるのですが、片側の視力が1.0を切ってしまったのが、一番のショックだったのです……
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それはさて置き、検査終わりで少し周辺を歩いてみました。
駅の北側に出ると、シェラトン都ホテル大阪が見えてきます。
設計は近鉄グループではお馴染みの、巨匠・村野藤吾です。
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ただ村野色をしっかり感じさせるのは、エントランスまわりの曲面壁くらいでしょうか。
ややおとなしいデザインと言えます。
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千日前通の南側、手前には近鉄百貨店上本町店が見えています。
上本町6丁目の交差点は、上町台地の稜線付近にあたります。
千日前通を東へ下れば鶴橋。
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西に下れば難波。
フリーフォールのあったナンバヒップスが中央あたりに見えています。
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南のあべのハルカスもかなり下がっているのが分かります。
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時代が時代なら、見晴らしがよかっただろうなと思いながら歩いていると「熊野街道」の石碑を見つけました。
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谷町9丁目と上本町6丁目の中央あたりで北を見ています。
白いビルのすぐ東側が、熊野街道だったことがわかりました。
うろうろしながら写真を撮っていると「阿倍野の長屋」のクライアントとばったり出くわしたのには驚きましたが。
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北へ向かって、熊野街道を歩いてみることに。
こういった曲がった道は、新しい道にはない景色です。
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ところどころに石碑が建っています。
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提灯屋さんがあったり。
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古い町屋が残っていたりと、旧街道だった面影が残っているものです。
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「桃谷湯」と見えます。
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現在は駐車場になっており、奥の壁にはタイルが残っているのが見えました。
それほど古そうには見えませんが、廃業したようです。
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このあたりから大阪城へ向かっては、更に標高が上がります。
かなり急な坂が出て来ました。
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ここを左に曲がると、空堀ど~り商店街。
ここで大きくクランクしているのです。
そうせざるを得なかった理由が何かあるはずです。
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そのまま北上すると、東側がかなり低くなっているのが分かります。
このあたり、桃谷だったり清水谷だったりと、谷の名が残っている通り、上町台地に河内潟が切れ込んでいる場所が沢山ありました。
先程のクランクも、そのあたりが理由なのかなと考えていました。
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そして谷町6丁目に到着。
西を見るとこちらも大阪湾に向かって下っていくのがわかります。
高低差は、地図では一番分かり難いですが、実際に歩くと本当によく分かるものです。
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途中、旧家の玄関に手書きで「上汐町」という表示がでていました。
「うえしおまち」と読むのですが、歩いている時は「ここまで海がきれこんできていた名残では?」と勝手に確信していたのです。
しかし帰って調べてみると、大阪市のWebサイトに説明がありました。
上汐(うえしお) … 菅原道真が左遷される途中、潮待天神(潮待寺)において引潮を待ったという故事に由来する。冠称の「上」は南船場に所在した「塩町」との混同を避けるために冠したことによる。
残念ながら、私の推理は外れでした。
そんなことを調べていると、もう少し北へ行けば暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)との交差点があったことも分かりました。
上町台地をあるくシリーズで、また勝手な推理でレポートしてみたいと思います。
■6月16日 『ESSE-online』に「おいでよ House」掲載
■ 『ESSE-online』にコラム連載
10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
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