カテゴリー別アーカイブ: 02 ことば・本

高島野十郎が描く、やるせないほどの美しさ‐2314‐

日曜日は、3月初め以来の完全オフ。

のんびりと、大阪中之島美術館の『没後50年 髙島野十郎展』へ行ってきました。

天気はもうひとつでしたが、暑くもなく寒くもなく。

髙島野十郎は、昨年の夏放送されたNHKの『日曜美術館』で知りました。

絵画はやはりブランド力が大きくものを言います。
誰も知らない絵を観る機会はほぼ無いからです。

しかし、テレビを通してでも感じ入るものがありました。
存命中は無名だったと知り、とても気になっていたのです。

「絡子をかけたる自画像」 大正9(1920)年

高島野十郎は、明治23(1890)年に福岡県久留米市の裕福な酒造家の5男として生まれます。

そして中学生の頃、絵に目覚めます。
東京帝国大学農学部水産学科を主席卒業するという秀才ですが、皆が驚くなか、画家の道を選ぶのです。

独学、独身、美術団体にも属さない、孤高の人でした。

「壺とりんご」 大正12(1923)年

「世の画壇とまったく無縁になることが小生の研究と精進です」と知人への手紙に書き残しています。

明治末期には様々な西洋絵画の情報が日本に入ってきました。

雑誌『白樺』が盛んに紹介したこともあって、多くの若い画家がフィンセント・ファン・ゴッホの影響を受けます。
野十郎もそのひとりでした。

「イーストリバーとウィリアムズブリッジ」 昭和5(1930)年

昭和5(1930)年にヨーロッパ視察の旅に出ています。

その前に立ち寄ったニューヨークで描いた1枚ですが、印象派の影響も色濃く受けていることを感じさせます。

「ひまわりとりんご」 大正時代(1912~1926)頃

ゴッホの象徴とも言えるひまわりに、りんごを加えているところも何だか愛らしいのですが。

「からすうり」 昭和10(1935)年

しかしその筆致はここまで進化します。

遺構ノートが見つかったことで、彼の考えを言葉で知ることができます。

「からすうり」はやるせないほどの美しさでした。

学生時代は魚類の感覚に関する研究を行っていました。

その時のスケッチが公開されていました。

食材としても高級魚のオニカサゴ。もう美味しそうでさえあるのです。

左:「雨 法隆寺塔」  昭和40(1965)年  右:「法隆寺塔」  昭和33(1958)年

詩人だった兄の影響からか、仏教に深く傾倒していました。

写実的な描写が慈悲の実践と考えていたので、絵を描くこと自体が仏の教えに迫ることだったのです。

「積る」 昭和23(1948)年以降

一方、その画風は多彩を極めます。

点描画のような表現が、雪の軽さと、豪雪地帯の雪の過酷さを同時に表現しているようです。

解説には、好んで通った山形である可能性が高いとありました。

最後の展示エリアは、凄い演出でした。

野十郎が生涯に渡って書き続けた、「蠟燭」と「月」が、ほぼ真っ暗な中で展示されています。

「蝋燭」 昭和23(1948)年以降

「蝋燭」 はかなりの点数が展示されていましたが、個展で発表されることもなく、親しい友人や知人に感謝の気持ちとともに手渡された贈り物でした。

「満月」 昭和38(1963)年頃

光を描くという意味では同じ主題ともいえる「月」。

最初は月夜の風景を描いていたのが、晩年はただ闇夜に輝く満月だけを描くようになっていきます。

主役は闇でした。

存命中はほぼ無名だった野十郎ですが、没後5年経った昭和55(1980)年の「近代洋画と福岡県」という展覧会で評価がはじまります。

そして没後50年の、この展覧会に至るのです

独学、独身、孤高ということばで語られますが、不思議と悲壮感は全く感じません。
そこは育ちの良さと、頭の良さからくるのでしょうか。

展示作品は約150点にも関わらず、ほぼ全ての作品に解説があり、全く飽きることはありませんでした。
この展覧会を主催した人達の熱意も伝わってきます。

撮影可能な作品をいくつか紹介しましたが、実物はこの比ではありません。

6月21日(日)まで会期があるので、まだの方に絶賛お勧めしておきます。

孤独ではない孤高の人。

何だかヒントを貰ったような気持ちになりました。

「月」 昭和37(1962)年

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

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心の庭にまく水は、感謝か称賛か承認か‐2310‐

4月に入り、街ゆく人たちの動きも軽やかに見えます。

最近、アトリエ内には緑が増殖中。

子育てが終了した妻の癒しだそうです。

毎日霧吹きで水をやり、日当たりの良い場所に動かし、甲斐甲斐しく世話をしています。

アトリエで多くの時間を過ごすので、緑はもちろん大歓迎です。

打合せの花瓶に活けてあった桜の枝は、あっという間に満開になりました、

月初からの入社試験を軽くクリアした彼は24歳です。

大学の建築学科を卒業して2年。様々な経験を積み、当社の門を叩いてくれました。

1996年の創業以来仕事も増え、2020年頃まではスタッフも育っていたと思います。

しかし新型コロナあたりを境に入社希望者が減り始め、年々それは顕著になっていきました。

同業者に聞いてみると、多くは同じようですが、仕事とスタッフ育成の、どちらも上手くやり遂げている会社もあります。

2025年の2月に上町に移転し、第3期アトリエmをスタートしましたが、チームの拡充は最優先課題です。

緑は道ゆく人からはどう見えるのでしょうか。

仕事も、見るとするとでは全く違うものになります。

単に甘やかすことはNGですが、やはり「育てる」という心構えが大事なのだと感じています。

京セラ創業者の稲盛和夫さんに盛和塾で教えて貰った、哲学者、ジェームス・アレンの言葉です。

心の庭に種を蒔き、毎日雑草を抜き、手入れをしなければ美しい花が咲くことはないのです。

また、子供に愛情を注がない親はいません。

考えてみれば、同じことを社内でも実践するだけです。

ということは、妻に学ぶべき?

心の庭にまく水は、感謝か称賛か承認か……

同じ轍を踏まぬよう、成熟したチームとなるよう、何とか前進したいと思います。

何より、この会社を選んでくれたことに報いなければなりません。


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ありたい‐2307‐

春分を過ぎ、陽が長くなってきました。

天満橋から見る大川ほとりの樹々も、葉が元気を取り戻してきました。

谷町筋は天満橋で終わり、北側は天満橋筋に変わります。

最近気づいたのですが。

大川の北側を歩いていると、凛とした打ち放しのビルを見つけました。

すぐ南に川と緑がある、絶好のロケーションです。

見たことがあるなと思っていたら「TSビルディング」と表記がありました。

安藤忠雄の設計で1986年の完成です。

作家・堺屋太一のイニシャルをとってTSビル。

2019年にお亡くなりになっていますが、今も研究室のプレートがありました。

1階にはカフェが入っていますが、早朝の時間帯なのでCLOSED。

それで写真が撮りやすかったのは幸いでした。

アール状の軒が、写真で見るより美しかったのです。

最上階の6階は天井が高くなっています。

側面の屋外階段もダイナミックで、内部空間がとても気になります。

昨年の夏に、堺屋太一が織田信長と明智光秀を描いた「鬼と人と」を読みました。

経済企画庁長官まで勤めた、極めて多才な文化人ですが、この場所にアトリエがあったら筆も進むはずです。

本当にいい場所にあるなとジョギングしていたら、またまた見たことがある打ち放しの建物が。

2012年完成の上方落語協会会館。こちらも安藤忠雄の設計です。

この建物は、竣工寸前に日本建築家協会近畿支部だったかの見学会に参加しました。

現場監督が、安藤事務所と仕事をする苦労を繰り返し語っていたことを思い出します。

設計者と現場は利害が反対になることが多々あるので、どちらの言い分も分かります。

その中で、最大のパフォーマンスを出すことこそが仕事の神髄と言えるのですが。

しかし、流石安藤は良い場所に作品を残しています。

実は、1枚目の天満橋から撮った写真にTSビルディングの最上階が写っていました。

阪神百貨店の地下に人気のお惣菜店が集まるように、便利の良い場所には質の高い建築が増えるのが鉄則です。

都心部の風を感じ、自分のレベルを、組織のレベルを上げるために、中央区に越してきました。

1年が経ちましたが、果たして少しでも成長できたのか……

1949年(昭和24年)に日本初のノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士の言葉です。

氏の言葉の「ありたい」という部分に謙虚さを感じます。

願うことが、全ての始まりにあるということも。


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青は「希望」の色‐2306‐

日曜日は、快晴かつ暖かい朝になりました。

散歩日和で中之島の東洋陶磁美術館へ。

すぐ西にある中央公会堂の存在感がありすぎて、あまり見ていなかったのが正直なところでした。

ただ、この増築部は凄いのひとことでした。

1982年に完成した部分も、2024年に完成したエントランス部分の増築も、日建設計の仕事でした。

元の館の西端を覆うようにガラスの箱が増築されています。

エントランス部は元外部です。

薄い屋根を、鉄筋コンクリートのR状の壁だけで支えています。

接している部分以外は全てガラス。

その解放感は別次元でした。

昨日まで特別展が開催されていましたが、見応え十分でした。

新石器時代・紀元前2600~2300年前、中国西北部の壺です。

4000年前の物がこの状態で保存されていることに、焼き物の凄みを感じます。

こちらは後漢時代・1~2世紀の焼き物です。

古代中国では、建物の焼き物がかなり多く作られたとありました。

豊作、富の象徴だったのでしょう。

北斉~髄時代・6世紀前半の色鮮やかな椀です。

西アジアのガラス椀を模したものだそうです。

確かにあまり見ないほどの色鮮やかさでした。

明時代・宣徳(1426年-1435年)景徳鎮窯の皿。

重要文化財とありました。

日本の物で言えば、黒樂も1つありました。

江戸時代・17世紀、樂道入(ドウニュウ)(1599-1650年)の黒樂です。

樂吉左衛門家の三代目・道入は「ノンコウ」とも呼ばれる名人。

彼の黒樂は、京都の樂美術館まで見にいきましたが、中之島でも見れるのは嬉しい限りです。

重要文化財数点と国宝も2点展示がありました。

南宋時代・12-13世紀の天目茶碗です。

かつては関白・豊臣秀次が所有していたとありました。

そこまで焼き物が分かる訳ではありませんが、流石にレベルが違うのは十分伝わってきます。

宋代の喫茶文化では、最高級の茶が白色とされたことから、黒い茶碗が歓迎されたと説明がありました。

この妖しい輝きが、時の権力者を魅了したのでしょう。

すこしフワッとした展示コーナーがあり、「鼻煙壺」が並んでいました。

「鼻煙」はたばこの葉を粉末状にして香料を加え、鼻から吸引する喫煙法です。

中国では18世紀に流行しました。

それらを保管する小さな壺が沢山展示されていたのですが、主に「青」と「緑」でした。

現代では「青」と言えば「ブルー」を思い浮かべますが、古代中国では植物の色も「青」と表現したため、ブルーとグリーンの両方を含んでいました。

「青信号」や「青野菜」はこの名残だそうです。

なるほどと、腑に落ちたのです。

ブルーはラブスラズリやトルコ石で、グリーンは翡翠や玉で表現されました。

ただ、やはり「青」は特別な色だと思います。

昭和初期の建築家、白井晟一はエッセイで「青」への思いを書き綴り、こう結んでいました。

やはり、希望の色でした。

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漂えど沈まず、祝チャンネル登録1000人‐2305‐

昨晩の雨で、寒さがまた一段階緩みました。

ユキヤナギが小さな花をつけ始めるともう春の雰囲気です。

八重桜でしょうか。

せわしなくつついているのはヒヨドリ。

花や蜜が大好物です。

NHKの『おかあさんといっしょ』でよく流れていた「赤い鳥小鳥」。

作詞は、短い言葉で多くの名作を残した北原白秋でした。

ヒヨドリが赤いのは、ほっぺただけですが。

YouTubeチャンネルの登録者数が1000人になりました。

2021年の8月に開設し、100人に到達したのが2022年の2月。

その時は「1年くらいで1000人になれば……」と呑気なことを書いていますが、実際には4年掛かったことになります。

新型コロナの閉塞感を打破するため、何か始めなければと思い、見よう見まねで始めたのが「建築家・守谷昌紀TV」です。

2週間ほど前に、移住して住む、築100年の「下北山村の古民家」『 建築家・守谷昌紀TV』にUPしました。

YouTubeは再生回数で語られます。

【ルームツアー】【ゲンバ日記チャンネル】と違って、純粋な動画ではありませんが、13日間で192回の再生がありました。

これは、これまで配信した180本の中で、13日間では2番目の記録です。

しかし、5日目あたりで再生回数の伸びが止まっています。

こういう状態になると、急に回数が増えることはほぼありません。

1カ月前、洗濯物だけは思い切り干したい、ウンテイのある2世帯住宅「四丁目の家」をUPしました。

2週間ほど掛けてじわじわと750回を超え、現在は976回まで伸びました。

2012年に東京で完成した14年前の作品ですが、何が受け入れられるのかは全く分からないものです。

特徴は何と言っても「ウンテイ」。

一般的な天井高さの子供部屋からスタートします。

そのままリビングを横切ります。

窓を越えて、バルコニーまで出れるのです。

運動好きのご主人が、少しでも家の中で運動できればという要望から考えました。

ただ、検索エンジン的には「洗濯ものだけは思いきり干したい」というワードが良かったのかもしれません。

検索ワードありきになると、それも違う気がしますが、ネットの海の中で見つけて貰おうと思えば、全く無視する訳にもいきません。
難しいところです。

本職のユーチューバーとは比ぶべくもありませんが、1000人の人が登録チャンネルの片隅にでも置いてくれたことには、感謝しかありません。

開高健が愛したことばですが、16世紀から存在する、パリ市の紋章にある標語だそうです。

本質を見抜く目を備え、常に行動する、最も好きな作家のひとりです。

当事者は「時代は大きく変わった」と言いますが、果たして氏はどんな眼差しを現代に向けているのか……

沈んではいけないのは、どんな時代でも同じ。

まだまだ漂い続けたいと思います。

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「既にあるもの」に光を当てるのが、感謝‐2279‐

空堀商店街は谷町6丁目駅の東西に延びています。

名前の由来は、秀吉が築城した大阪城にあった空堀からきているのは良く知られたことです。

この段差も、おそらく空堀跡です。

谷町筋の東側ですが、結構な高低差なのです。

そこを降りてみると、古い民家を使って営業している惣菜屋さんがありました。

メニューには、コロッケ100円、仙台牛メンチカツ750円など、魅力的な文字が躍っています。

歯のメンテナンスへ行った帰りに見つけたのですが、急いで妻に報告しました。

あわよくば買ってきて貰おうと、です。

先週末、一緒に買い出しに行ったのですが、店頭に揚げ出し豆腐が売っていました。

それを見ると妻が「お豆腐から作ってみようかな」と言い出しました。

おつまみが増えるのは、ただただ嬉しいことなので「それはいいんじゃない」と、絹ごし豆腐と木綿豆腐を買って帰りました。

木綿豆腐は、売り物と遜色ない出来栄えです。

絹ごし豆腐は、若干崩れているところがあるものの、中がトロッとしていて抜群に美味しいのです。

正直、ここまで上手くできると思っていなかったので、あっという間に平らげてしまいました。

これは御堂筋沿いにある古ビルです。

梅田新道を南に下ってすぐのところにあるのですが、妻が若い頃に通っていたクッキングスクールが入っていました。

現在は営業していないようですが、サインがそのまま残っているので、通る度に「懐かしい」と言っています。

ジェンダーフリーが浸透する中、「料理は妻がするもの」と言ったら、普通の市民としては認めて貰えなさそうです。

一方、多くの女性、妻、母が料理をしているのも事実です。妻もそういったことを考え、ここに通っていたのだと思います。

日々の食事は誰が作るのか。

その問いに答えなど勿論ないのですが。

ただ、作って貰っている身としては、美味しかった時は、どう美味しかったかをしっかり伝えることは心掛けてきました。

それに加えて、最近感謝することにしました。

「今ごろかい!」というツッコミが聞こえてきそうですが、今ごろなのです。

理由は、尊敬する恩田塾長の以下の言葉を読んだからです。

成長、進歩するのに反省は必須だと思いますが、「既にあるもの」にフォーカスするのが感謝なのか……

感謝を伝えるのは難しいことだと思っていました。しかし、それが何かの殻を打ち破れずにいる理由なのかもしれません。

良いと思ったことはすぐに行動。

そうして来たつもりですが、出来ていないことが本当に沢山あるものです。

2026年は、50代後半に入りますが「ありがとう」をテーマにしたいと思っています。

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この世に生を受けたこと。それこそが、最大のチャンスではないか‐2275‐

天神橋は、中之島の東端をまたぐ3連のアーチ橋です。

橋を渡り、北に向かって歩いていくと大阪天満宮に突き当ります。

11月末に通りかかった際は、工事用のシートで覆われていました。

来年8月まで、1年かけての屋根の葺き替え工事が行われるようです。

こちらは6月に訪れた際、掲示板にあったことば。

あなたのような才能があれば……ということばが出そうになりますが(書いてしまっていますが)、人生は自分の身ひとつで、最大のチャンスを活かすしかないのです。

私の最大のチャンスは、ものづくりの機会に他なりません。

Webサイトに2作品をUPしました。

1つは住宅。

もうひとつはクリニックです。

住宅は「ドッグランのあるタイル床の家」です。

ご主人が言う「ちょっと変わった家族」は、タイ人の奥さんと2匹のチワワ兄妹が暮らします。

ドッグランを備えているのはそのためです。

ホテルライクな恰好よい空間を目指しました。

吹き抜けを介して、寝室からLDKの様子をうかがい知ることができます。

バンコクでの暮らしが長いご夫妻は、全ての空間でタイル床を望んでいました。

金額的には高めになりますが、やはりタイルの質感は他には代えがたいものがあります。

とくにバスルームは生活感を排することを考えました。

毎日の散歩のあと、ドッグランの足洗い場で綺麗にしてもらうのです。

この家の計画を「最後の夢」と位置付けていたクライアントからの期待は、大変に大きいものでした。

クリニックは「ささき整形外科クリニック リハビリ棟」です。

向って右にある「ささき整形外科 デイケアセンター」が完成したのは2023年の8月でした。

新型コロナの流行が拡大し始めた2020年の4月に相談があり、世の中の情勢を見極めながらの計画でした。

そして、デイケアセンター竣工の1カ月後に、リハビリ棟増築の相談を受けたのです。

増築は法的なハードルが高く、かなり苦労しましたが今年の8月に完成しました。

2つの施設の間に建つリハビリ棟は、中立的な意味合いを込めて真っ白なキューブとしました。

その上で、開口から入ってくる光を制限し、外壁に光をできるだけ当てないよう、4枚の庇を外周に巡らせています。

1、2階にはベッドが10台程入るリハビリ室があります。

法の要求で必要となった、2mの既存クリニックとの離隔距離は、逆手にとって中庭として活かしました。

3階にはスタッフがリラックスできるよう、カフェのような空間を設けています。

広いカウンターがあり、仮眠スペースにはリクライニングチェアも備えました。

屋上は雨除けも備えているので、どんな天候でも、体を動かしたり、西播磨の穏やかな風景を楽しめるのです。

全てバリアフリー化するため、エレベーターが4つのフロアを繋いでいるのです。

工程において、院長からの要望は「通常のお盆休み以外診療を止めない」でした。

診療を続けながら増築棟を完成させ、僅かに立入禁止区域を設けて、2棟を接続。

5日間のお盆休みで、既存受付の動線を改善する工事と、新たな診察室を2部屋つくるという神業的な工程だったのです。

学生時代が、F1ブーム真っ只中の私達世代は、いまだにT-SQUAREの『TRUTH』が流れてくると、ついアクセルを踏み込んでしまうという人も多いでしょう。

3度のワールドチャンピオンに輝いたセナは、1994年5月1日、サンマリノグランプリでコンクリートウォールに激突し帰らぬ人となります。34歳でした。

史上最高のドライバーは、全盛期のままその生涯を終え、伝説となったのです。

私のような普通の人は、時に自信を失い、時に立ち止まってしまいます。

しかし、大きな期待をかけ、計画を託してくれるクライアントがいる以上、嘆いていても、卑下しても、何の意味もありません。

勇気をもって前進するしかないのです。

ものづくりの一番よいところは、結果が実際に見れるところです。自信を失った時、前に進めなくなった時は、作品を見返します。

これが私の年表です。

普通の人間が、精一杯生きてきた証しなのです。

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疲れてしまった時、水面を‐2274‐

今日から12月に入りました。

誰もが同じだと思いますが、12月に入ると、急にするべきことが増えるのは何故でしょうか。

大阪城公園のイチョウは今が見頃。

濃い黄色が眩しいほどです。

公園の北西角に「大手前」という交差点があります。

正門である大手門の前なので大手前。

交差点の歩道橋から南を見ると、丁度真ん中あたりにあるのが、大手前高等学校です。

府立高校の雄といってよいでしょう。

歩道橋から反対の北を見ると、私立の追手門学院大手前中高等学校があります。

幕末までは追手門とも呼ばれていたことが関係しているようです。

西外堀が目の前に広がる景色は、このあたりの見所のひとつ。

どちらの学校も、誰もが羨むロケーションなのです。

約20年前、初期相談に来られたクライアントが、高校時代の経験を語ってくれました。

「疲れてしまった時、水面をずっと眺めていました。見ていていると落ち着いてくるんです」と。

そして、水面が見える土地を探してこられ、住宅を建てました。

それが「池を望む家」です。

リビングが、北側の池に向かって大きく張り出しています。

3方が天井までガラスになっており、視野は180度以上。

そこからの景色は素晴らしいものでした。

勉強家のご主人から、池を望みながら勉強できる机が欲しい、という要望も貰っていました。

1階廊下の突き当り、対岸の桜も愛でることができる勉強机をデザインしたのです。

水面を愛でる暮らしの素晴らしさを、教えて貰いました。

水は命の源です。
そして植物は、命を持続する酸素の源と言ってよいでしょう。

掘と色付いた樹々を眺めていると、私も心が落ち着いていくことが分かります。

建築家・出江寛は「建築とは哲学すること」と言いました。

約30年、クライアントと一緒に、私なりに哲学してきました。少しずつでも成長してきたと思いたいのです。

年末にかけて、更に色々な計画が動き出しました。

日々、その真価を問われますが、落ち着くべき時は、水面を見に行くのです。

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忘れられた日本人‐2271‐

ぐっと気温が下がってきました。

晴れの日差しが、いっそうありがたい季節です。

昨日、山形県の天童から届け物がありました。

箱にある通り、りんごでした。

2023年に偶然ご縁を頂いた宮城の社会保険労務士の方からです。

普段は仙台で社会保険労務士として働き、週末は果物を育てるという日々を送っておられるとのこと。

「おいしい山形」

そのロゴがなんとも良い感じです。

いにしえからの、働き者の日本人像そのものなのです。

少し前になりますが、宮本常一の『忘れられた日本人』を読み終えました。

この書籍が取り上げられた文章を何度も見ていたので「いつか読もう」と思っていました。

民俗学と言えば『遠野物語』を書いた柳田国男がよく知られます。遠野地方に伝わる説話・民間信仰をまとめたものです。

宮本は、昭和初期から昭和30年くらいまでの、庶民の生業、日常、慣習などをまとめました。

大半が農民で、狭い社会の中で生きるムラ社会では、問題は全て「寄りあい」で話し合われました。

問題が解決するまで、ゆっくりと、とことん話し合われた様が描かれています。

また農業を主とする社会では、田植え、収穫などの時期々々にいろいろなイベントがあります。

農村のくらしは決して閉鎖的なものではありませんでした。特に、女性の「性」においては、現代よりむしろ奔放とも感じます。

世間を知らない娘は嫁のもらい手がないとされ、年頃の娘を旅に出したり、経験を積ませるシステムがあった村さえありました。

「土佐源氏」という章は強烈でした。

高知の檮原村で、橋の下の乞食小屋(原文ママ)で暮らす、歯が一本もない80歳をかなり超えた盲目の老人の話です。

父無し子で、母者へ夜這いにきた男の種を身ごもり生まれたとあります。

小さい頃の性の話、ばくろうに弟子入りしその親方が亡くなったあとの後家さんまで引き継いだ話、役人の奥さんに手をだした話、庄屋の高貴な奥さんに手を出し航海した話……基本、「性」の話なのです。

極道の限りをつくした結果、三日三晩目が痛くなり盲目になってしまいます。

実は彼には妻がいて、今さらながら彼女の元に戻ると泣いて喜んでくれたのです。そして妻は、夕食が済むと百姓家へあまりものをもらいに行きます。雨が降っても、風が吹いても。

最後はこう語っています。

「目の見えぬ30年は長うもあり、みじこうもあった。かまうた女のことを思い出してのう。どの女もみなやさしいええ女じゃった」

「庶民」を通して宮本常一が各地で話を聞いた日本人は、ただノスタルジーに浸るだけではないものでした。

どこにでもあった、小さな歴史を丁寧に描くことで、生き生きと当時の生の日本を伝えています。

名著が何を指すのかは難しいところですが、日本の中世に興味がある人なら、読むに値する書籍だと思います。

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■■8月1日(金)患者さんでなくても立ち寄ってほしい「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」JIA(日本建築家協会)のトップページに掲載されました■■

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大谷劇場第一幕完結、歴史街道高槻で言葉は洗って使うを知る‐2262‐

もう2日が過ぎましたが、10月18日(土)の大谷翔平選手の活躍は、凄まじいものでした。

7回途中無失点、10奪三振、3ホーマー、うち1本は場外弾。

報道し尽くされているので、新たな形容はありませんが、画面越しとは言え、リアルタイムで観れたことを幸せに思います。

人のことなのに、思い返すだけで幸せな気持になれるのですから。

大谷劇場第一幕完結編といったところでしょうか。

彼のピーク時を見逃すまいと、昨年SPOTV NOWに加入しましたが、この日はNHKの地上波放送がありました。

様々なコンテンツが有料化するなか、ポストシーズンでの二刀流をテレビで観れるのは本当に嬉しい。

ネット配信と比べると、画像が圧倒的に美しいからです。

NHKは地上波とはいえ有料ですが、時々中継してくれるなら、本当に安く感じます。

テレビというメディアの力を改めて感じたのでした。

昨日は、阪急高槻市駅に集合。

保健組合のウォーキングイベントに参加しました。

高槻中学・高校に通っていたので、駅前から東へ抜けるこの道は数えきれないくらい歩きました。

しかし、駅の南方向は、ほぼ行ったことがありませんでした。

まずは、真南に位置する本行寺(ほんぎょうじ)へ。

高槻城内にあった高麗門が移築されたようです。

門をくぐってすぐに、高槻銭洗弁財天がありました。

「洗うとお金が増える」とは書いていませんが、「何かよいことがありますように」とお金を洗いました。

南西へ少し歩くと、カトリック高槻教会があります。

キリシタン大名として知られた高山右近の名を冠した聖堂がありました。

右近は家康によってフィリピンへ追放されます。

生涯を終えたマニラ市郊外のアンティポロにある聖母大聖堂を模して設計されたとありました。

さらに南へ行くと、「高槻城公園芸術文化劇場」が見えてきました。

2023年の開館で、設計は日建設計。

2025年の日本建築学会賞の作品部門を受賞しています。

かつての高槻城跡に建ち、「回遊性のある、公園と一体となった劇場」をコンセプトに設計されたとありました。

日本建築学会賞といえば、2025年の日本一の作品といっても過言ではありません。

劇場内部も凄いようですが、正直、外観はあまりにも愛想がない気がしました。

その後は、すぐ東にある「しろあと歴史館」へ。

高槻城は、芥川の扇状地端部に立地する平城です。

1569年に和田惟政(これまさ)が周囲に堀をめぐらせました。

1573年に城主となった高山右近は、外堀を掘り、町屋を取り込んで大きく拡張します。

江戸時代においては北摂唯一の城郭で、北に西国街道、南に淀川を控え、水陸の交通の要衝だったのです。

東へと抜けていくと、旧家も沢山残っています。

立派な蔵が、往時を偲ばせます。

まさに歴史街道です。

更に東へ抜けると、母校、高槻中学・高校が見えてきました。

これらの遺構が、6年も通っていた母校のすぐ近くにあったにも関わらず、全く知りませんでした。

ただ、当時から水路の多い街だなと思っていました。

扇状地の端部にあると分かり、大いに納得したのです。

初めに訪れた、 高槻銭洗弁財天 ですが、こうありました。

言葉は洗って使えとよくいわれます

お金もきれいに使いましょう

もうけることは動物でも出来る業です

しかし使いこなせるのは

知のある人だけなのです

全てのことは必然だと思います。

大谷翔平選手が、100年の歴史を紐解いても、誰も成し遂げたことのない結果を残し続けるのもやはり理由があります。

81マスの目標達成シートも、「ここにも運が落ちていた」といってゴミを拾う習慣も、続けているからこそ、現実となるのでしょう。

いつだったか、こんな話をしていました。

「イラっとしたら負けだと思っているので」

記者会見の質問でも、中には失礼な質問もあります。

仕事として、意図的にそういった質問をせざるを得ないインタビュアーもいるでしょう。

それでもイラっとしたら負けなのです。

失礼な営業電話、繰りかえされる同じような質問、自分のことしか考えていない電車内での会話……

それでもイラっとしたら負けなのです。

彼がそう言っている以上は、イラっとしたこともあった訳です。

それなら、努力すれば私でも出来るはずです。

その活躍に敬意を表し、その成果に畏敬の念を持って、何かあった時は一呼吸おき、言葉は洗って使おうと思うのです。

■■■8月1日(金)患者さんでなくても立ち寄ってほしい「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」JIA(日本建築家協会)のトップページに掲載されました■■■

■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■

■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
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