タグ別アーカイブ: 近鉄特急

「ひのとり」で行く名古屋旅<後編>プレミアムシートで挽きたてコーヒーを‐2079‐

えべっさんも終わり、松の内も終了。

2024年の1月も、あっと言う間に後半戦に突入です。

近鉄特急「ひのとり」で行く名古屋旅はクリスマス前の12月23日。

ひつまぶしを食べた前編で終わっていました。

少し時間が空きましたが、後編は名古屋市役所前からスタートです。

熱田神宮から地下鉄で名古屋城まで戻りましたが、以前は「市役所前」という駅名だったと思います。

それは分かりやすくて良いのですが、有料エリアに入らないと、名古屋城があまり見えないのは残念。

ゲートの隙間から、まるで盗み撮りです。

東へ歩いて行くと、ネオ・バロック様式の名古屋市市政資料館が見えてきます。

以前は裁判所だった建物ですが、この前にある信号が凄いのです。

普通、押しボタン式信号は結構待たされるもの。

ですがこの信号、ボタンを押した瞬間に、赤に変わりました。

何かの間違いかなと思い、もう一度試しても同じ結果。

右折の早曲がりで知られ、「名古屋走り」という言葉もありますが、せっかちな名古屋人でも、この信号ならイライラする必要もありません。

かなり衝撃的でした。

このあたりは、武家屋敷が立ち並んでいたエリアでもあります。

「文化のみち二葉館」は、「女優第1号」と言われる、川上貞奴と「電力王」福澤桃介が暮らした和洋折衷住宅です。

福澤桃介は福澤諭吉に気に入られ、婿養子となった人。

川上貞奴は人気の芸妓でしたが、海外公演をきっかけに、日本初の女優となりました。

有名人同士のビッグカップルということになりますが、2人に相応しい、華やかな建物でした。

周辺には、古い建物が多く残っています。

こちらは自動織機で知られる、発明王・豊田佐吉の弟が住んだ豊田佐助邸。

1923年の完成ですから大正12年。

カトリック主税町教会の聖堂は1904年の完成なので明治37年。

このあたりは、戦争時の空襲が少なかったのでしょうか。

夕方になり、名古屋駅まで戻ってきました。

向かいに建つ、モード学園スパイラルタワーズは2008年の完成。

設計は日建設計ですが、いつ見ても圧巻です。

まだまだ紹介したい建物が多くありますが、またの機会に。

帰りの「ひのとり」がホームに入ってきました。

帰りは、プレミアムシートが予約できたのです。

レギュラーシートがプラス200円で、プレミアムシートが900円。

これだけゆったりしていたら、その価値は十分あると思います。

すぐ横にコーヒーサーバーがあり、挽きたてコーヒーが200円。

慣れた人は、マグボトルで購入している人もいました。

私的にはスタバよりこちらの方が好みです。

名古屋を16時に発ち、ゆっくり大阪まで帰ってきました。

子供が小さい時は、車一辺倒でした。

最近は夫婦2人で移動するなら、電車もいいなと思っています。

車は全てが自由ですが、電車には時間の自由はありません。しかし、空間の自由があります。

フェリーなどもそうですが、この魅力は大きいものです。

次に出掛けられるのは、2月の連休どちらかかな……などと夢想しています。

折角寒いので、久し振りに雪山もいいなと思ったり。そうなると車になりますが。

いずれにしても、「ひのとり」はとても気に入りました。

何より格好良いので、動画も上げておきます。

■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

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ひのとりで行く名古屋旅<前編>ひつまぶしを食す‐2072‐

クリスマス前の22日土曜日。

たまには妻孝行をと、近鉄特急で行く名古屋旅です。

上本町を朝7時3分に発つひのとりを予約しました。

レギュラー席なら特急料金プラス200円で乗車できます。

全席にコンセントがついているので2時間の電車旅がより快適です。

9時に名古屋駅に到着。慌ただしく地下鉄を乗り継ぎます。

足早に向かったのは、宮の渡し歩道橋すぐ近くの「あつた蓬莱軒」本店。

9時47分にはこれだけの行列ができていました。

到着すると45番目。

10時10分頃から整理券の配布が始まり、11時30分で予約できました。

南に300m程下ると、歩道橋の名前にあった宮(熱田)の渡しがあります。

東海道では唯一の海上ルートで、桑名の宿まで七里の海路を指して、 七里の渡しと呼ばれることも多いよう。

城下町の玄関口でもあり、多くの旅籠屋も集まって大変栄えました。

常夜灯の先に伸びる堀川を遡っていくと、名古屋城につながっています。

物資の輸送路としての役割も大きかったのです。

昼食までの間に、熱田神宮を参拝してきました。

お店から北に1km程度です。

名古屋城あたりから南に延びる、標高8~15mの熱田台地の南端にあり、以前はすぐ目の前が海でした。

中国では東に蓬莱島があり、不老不死の仙薬があるとされていました。

熱田神宮はその蓬莱だと考えられていたようです。

大阪にも蓬莱はありますが、縁起のよい名前として使われるのでしょう。

大阪と名古屋の蓬莱ではかなり値段が違いますが。

途中にある信長塀。

桶狭間の戦いの前に戦勝を祈願し、見事に今川義元を討ち倒しています。

信長躍進のきっかけと言っても良い戦になりました。そのお礼にこの信長塀を寄進したのです。

創建は113年。

三種の神器の1つ、日本武尊を救ったという草薙神剣が祀られています。

伊勢神宮に次ぐ、重要な神宮とされているそうです。

時間になったので、いそいそと戻ってきました。

いやが上にも期待は高まります。

それ程の待ち時間なくでてきました。

明治6年から継ぎ足されたタレに浸け、備長炭で焼き上げられた「ひつまぶし」です。

食べ方もメニューに記載されていました。

まず、うなぎで一杯のおひつをしゃもじで4等分します。

1膳目は、そのままうなぎの味を堪能。

2膳目は、薬味を加えて。


3膳目はお茶漬けに。

お茶漬けといっても、出汁茶漬けです。

そして最後はお好きなように、と。

もう何も言う事はございません。

カリフワで大変美味しゅうございました。

私的には、薬味全部乗せプラス山椒と、出汁茶漬けが双璧でしょうか。

じゅんさいの入ったお吸い物も、とても美味しかったです。

4600円の価値は十分あると思います。

ちなみに日曜日の方が空いているそうですが、12時頃に来た人も1時間先くらいの予約を確保できていました。

うなぎは匂いで売れと言いますが、大きな排気口から出る匂い付きの煙が、あたりに充満しています。

江戸時代、東海道を旅してきた旅人たちはもう我慢できなかったでしょう。

現在で言えば、いつまで私たちはうなぎを楽しむことができるのでしょうか……

熱田神宮と、鰻だけで随分長くなってしまいました。

次回、もう少し名古屋旅を書いてみたいと思います。

皆さん良きクリスマスを。


■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

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「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

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伊勢神宮、外宮前にて‐1961‐

今朝は4時半起きでした。

6時頃、大阪上本町から近鉄特急の賢島行きに乗りました。

大和川を通過した頃は日の出前。

眠くはありますが、時間的には得をした気分になります。

宇治山田駅には8時前に到着しましたが、電車で伊勢に来たのは初めて。

初期相談があり、建築法規などの調査にやってきたのです。

遠方の場合は特にですが、時間切れとならないよう、早め早めの行動が鉄則です。

ただ、知らない街を歩くのは一番好きなことです。

戦前に活躍した伝説の名投手、澤村栄治誕生の街とありました。

まずは、土地の情報を集めるために法務局へ向かいます。

最近はインターネットでかなりのことが調べられますが、現地で聞いておきたいことがあったのです。

係の人に相談すると色々なことを教えてくれました。ここまで足を運んだ甲斐があったというものです。

移動の途中に、伊勢神宮の外宮前を通りました。

「げくう」と読みます。

内宮「ないくう」と合わせて、正式には地名を冠しない「神宮」です。

全ての神社のなかで、別格として最高位にあるのです。

伊勢の名物は赤福です。

外宮前店は開店前から長蛇の列でした。

今日は平日でしたが、人通りも多く、駐車場も満車が多かったです。

本当に人出の多い街だなと感じます。

次は建築確認申請などを担当する部署のある、三重県伊勢庁舎にやってきました。

ここでも必要な資料を入手。しかし、市役所で確認する課題もでてきました。

建築行政は、県が権限をもっていることと、市が権限をもっていることが分かれていることが多々あります。

一本化して欲しいとは思いますが、言っていても始まらないのですぐに市役所へ向かいます。

朝一番に寄った法務局の向かいあることは調査済みでした。

ここまでで、最低限の調査は終えました。

相談者の方と、JR伊勢市駅前で待ち合せていたのです。

その方の車で計画地に移動し、色々と思いを聞かせて頂きました。

まだ、何も書けないのですが、かなり大がかりなプロジェクトでワクワクする施設です。

発表するまで少し時間は掛かると思いますが、これまでの経験を全て活かせそうと感じています。楽しみがまたひとつ増えました。

2時間半ほど打合せをし、JR伊勢市駅前に戻ってきました。

駅前から外宮前を結ぶ参道は500mほどあります。

なかなか趣きのある店も。

昼を過ぎていたので、軽く伊勢うどんでも食べましょうか、という話になりました。

こちらも伊勢名物です。

伊勢神宮に来たのも、伊勢うどんを食べたのも10年振りくらいでしょうか。

今日は寒かったので、アツアツで甘めの伊勢うどんが最高に美味しかったのです。

帰りのチケットも予約していましたが、30分程時間があったので外宮を参ってきました。

10年前は内宮だけだったと思うので、外宮はさらに久しぶりです。

豊受大神宮とも呼ばれ、衣食住をはじめとし、あらゆる産業の守り神とのこと。

文字を見ているだけでもご利益がありそうです。

季節的には初冬ですが、外宮前の雰囲気は晩秋といった感じでした。

インターネット予約のチケットレスなら片道300円の割引があります。

往復で言えば600円ですから、かなり得をした気分です。

夕日の右にあべのハルカスが見えています。

17時頃、大阪上本町に戻ってきました。

帰りの近鉄特急では、「プシュ」と缶ビールを開ける音が聞こえてきました。

「ちょっと飲みたいな」と言う気持ちにもなりますが、そこは我慢です。

今、調査のまとめを終え日記を書き終わりました。

「守谷に任せてみたい」と思って貰いたければハードワークあるのみです。

早起きしたので眠たくはありますが、何だかご利益のありそうな1日でした。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載

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繊細なゴリラ、大雑把な人間‐1544‐

 近鉄特急で行く小旅行は今回で5回目。

 娘に拒まれた名古屋の動物園行きですが、本を買うことと、オムライスの昼食で約束を取り付けました。

 移動中に読んだ本は4冊。

 名古屋で買ったのも含めてですが、本当に本好きです。

 東山動植物園は名古屋市東部にあります。

 名古屋駅から地下鉄で15分程。

 目的はあまりにも軽すぎて、文字にするのも恥ずかしいのですが、イケメンゴリラを見るためです。

 10時前に到着しましたが、人気者ゴリラ君はまだ建物の中でした。

 待つこと15分。ようやく出てきました。

 ゴリラ女子なるファンまでいるというニシローランドゴリラの「シャバーニ」です。

 1996年生まれの22歳。身長1.8m、体重190kg。

 僅かながら白目があるようで、表情も豊か。

 壁にもたれてたたずむ姿は、人にかなり近いものを感じます。

 シャバーニだけを45分くらい見ていました。

 こんな話題でもなければ、なかったことだと思います。

 私が撮った中では、これがベストショットでしょうか。

 前回書いた、「ざんねんないきもの事典」から引いてみます。

 ゴリラはそのいかつい見た目とはうらはらに、とても繊細な動物。

 争ってけがをする危険を考えると、多少の怒りは我慢してしまいます。

 そのような強いストレスを感じたとき、人間と同じように下痢をしたり、わきの下に臭い汗をかいたりするのです。

 逞しい体を持ちながら、その表情だけでなく本当に繊細だったのです。

 人間とゴリラが枝分かれしたのは約1000万年前。

 人間には繊細な人も居れば、大雑把な人も居ます。そう考えると、枝分かれ時点では大雑把なゴリラも居たはずです。

 しかし、現存するゴリラが概ね繊細だとすれば、1000万年を生き抜いたのが、そういった個体だけだったということになります。

 人は脳が発達し、誰かが生み出してくれた道具で、または知恵で種を守り、増やしてきました。

 一方、自分にしか頼ることのできなかったゴリラは数十万頭を残すのみで、「絶滅危惧種」または「絶滅寸前」となっています。

 私が小学校の頃、人類は45億人と習いましたが、現在は75億人です。

 近いうちに100億人と習うことになるでしょう。

 歴史に「もし」はありませんが、今が石器時代なら、今が中世なら、自分が生き残れただろうかと考えます。

 毎朝、会社の前の道路にポイ捨てされている吸い殻を拾うとき、こんなことを思います。

 あなたは、私は、1億人時代でも、1千万人時代でも生き残れますか?と。

 昼食はオムライスから味噌カツ丼へ変更になりました。

 娘が言うには「高いお店のオムライスは、多分私の口に合わないと思う」と。

 何とも親孝行な娘ですが、味噌カツ丼は濃い過ぎたようで、ソース無しで私のロースカツ定食を食べていました。

 JR名古屋駅近くの「うまいもん通り」にある「キッチン なごや」。

 リーズナブルな店だったので、あっという間に行列となりました。

 観光地での昼食は11時半入店がやはり基本です。

 私もゴリラ同様、無用な争いをしたくないので、犯人探しをする訳でなく吸い殻を拾います。

 ただ人間なので、できるだけストレスを感じないでよいように「善行を積んだ」と考えるようにしています。

 繊細であること、清潔を求めることは、ほぼバイタリティに等しいのは、ゴリラをみれば明らかだと思うのです。

■■■毎日放送『住人十色』4月14日5:00pm~5:30pm「回遊できる家」放映
■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【Events】
■4月1日「トレジャーキッズたかどの保育園」開園

【News】
大阪ガス『住まう』11月22日発行に「中庭のある無垢な珪藻土の家」掲載
『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
『関西の建築家とつくる家 Vol.2』2月1日発売「阿倍野の長家」掲載
『homify』6月29日「回遊できる家」掲載
『homify』6月2日「イタウバハウス」掲載
『houzz』5月28日の特集記事「あちこちでお茶できる家」掲載

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

どんな街も一目千軒、一目千夢‐1484‐

 近鉄特急で行く小旅行も、今回で4回目になりました。

 第1弾は名古屋城とひつまぶし。第2弾は、ジュゴンの居る鳥羽水族館。第3弾はテレビ塔に感激し、名古屋人の意気地を知ったのです。

 昨日は、鶴橋から乗ってみました。

 片道2時間半の電車旅。それはそれで貴重な時間です。

 今回は志摩スペイン村のパルケエスパーニャへ。

 大阪市立の小学校は、修学旅行がここになっており、長男から「楽しかった」と聞かされ続けていたのです。

 フェイスペインティングは500円と良心的。

 何より、近鉄特急とセットになっているチケットが、破格と言ってよい値段です。

 電車代だけでこの金額を超えており、利益があるのか心配してしまいます。

 ペイントのあとは、ジェットコースターへ一目散。

 こちらのジェットコースター「ピレネー」は、吊り下げ式タイプです。

2月のUSJ行きで、ジェットコースター卒業宣言をしました。

 しかし、今回は父娘2人旅。再度付き合わされることになってしまいました。

 振り回され、ひっくり返され、揺さぶられで、またも完全ノックアウト。その後は1人で乗ってもらいましたが。

 ストリートミュージカルという出し物があったのですが、これらは南国のお祭りムードを盛り上げます。

 もう少し観客が多いと、パフォーマーも遣り甲斐があるのでしょうが、全体的に人は少なめでした。

 アトラクションはどこもそれほど変わりないので、この園の特徴を少し。

 パルケ(=パーク)+エスパーニャ(=スペイン)なのでスペインの公園という意味です。

 建物はレンガ造りだったり、塗り壁だったりと、しっかり造りこまれ、好感がもてます。

 田舎街を再現しているエリアも良い感じです。

 建物だけで、南欧の気分になれるのだから不思議なものです。

 園の中央にある建物はアントニ・ガウディ風。

 子供用ジェットコースターのデザインもどこかで見たことがあるような……

 こちらもガウデイが設計した、バルセロナのグエル公園でした。

 スペインは2012年の夏に訪れました。

 ガウディ設計のサグラダ・ファミリアは、100年を経た今も建築中。

 また、カサ・ミラ風はみることがあっても、ここまでの建築は他で見たことがありません。

 これだけ有機的な建物をつくるには、多くの時間、お金、職人が必要です。

 また、一歩裏路地に入ると、突き出した洗濯物が見えます。

 これはこれで、街の心地よい風景です。

 知らない街を歩き回ることは、野外へ出掛けることと併せて、私にとって人生の両輪です。

 あるインタビューで、「なぜバックパックの旅が好きなのか」と質問がありました。

 街は建物の集合体です。建物が草木のように勝手に生えてくることはありません。

 思い入れの差こそあれど、誰かの夢や希望の産物です。

 「一目千本」は桜の名所、吉野を指しますが、どんな街も「一目千軒、一目千夢」と言えるかもしれません。

 誰かの夢を見渡しているのだから、ワクワクしない訳がありません。

 あるクライアントが、「僕は人がつくったものが好きなんですよ」と言っていました。

 本、絵、音楽等なども同じでしょう。人の考え、夢や希望に興味があるのだと思います。

 この園では、スペインの文化についても色々な展示がありました。

 長くなってしまったので、また機会を改めて紹介してみたいと思います。

■■■毎日放送『住人十色』4月14日5:00pm~5:30pm
「回遊できる家」放映

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建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
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派手で見栄っ張りで何が悪い<名古屋>‐1464‐

 今日、明日と晴れ空が続くようです。

 空気の冷たい快晴は、とても気持ち良いのですが、花粉症の人には辛い時期になりました。

 娘にゴーグルを与えたのですが、結構な効果があるよう。気になる方は一度試して下さい。

 (コクミンには子供用がありました)

 昨日は、早起きして今年2回目の近鉄特急。

 今回は妻と娘の3人です。

 前回は鳥羽で、今回は名古屋行き。アーバンライナーで2時間です。

 名古屋駅から栄(さかえ)エリアまで地下鉄で2駅。

 オアシス21は、錦通と久屋大通の交差点に位置するバスターミナル等の複合施設です。

 大林組の設計・施工で2002年の完成。

 水の宇宙船と呼ばれる大屋根を、ぐるりと歩けるようになっています。

 こわごわ登ってみました。

 中央は水盤になっており、素晴らしく気持ちのよい景色です。

 ガラス手摺が少し内に傾斜しているのにも、好感がもてます。

 すぐ北にあるのは名古屋テレビ塔がまた美しい。これは後で触れてみようと思います。

 「魚がいる」と娘が言うので驚いて行ってみると、地下1階のベンチが見えました。

 デザインとは、時にユーモアでもあるのです。

 地下1階から吹抜けの空間を、ユラユラと波紋を含んだ光が落ちて行き、何とも気持ちのよい空間を形成していました。

 栄駅から西に歩くと、ルイ ヴィトン名古屋。

 1999年の完成で青木淳の設計です。

 更に南西に歩くと、三越、丸栄、松坂屋と百貨店が建ち並びます。

 丸栄百貨店は、村野藤吾の設計です。

 1953年日本建築学会賞を受賞していますが、今年の6月に閉店、解体が決まっています。

 コーナー部の処理は、コルビジェを思わせるもの。

 西面のモザイクタイルは、確かに前時代を感じさせます。

 大阪の雄、村野藤吾設計の百貨店と言えば、ミナミのそごうも解体されました。

 寂しいのは寂しいですが、時代の流れはどうにもなりません。

 昼食は、ラシックという商業施設の「竹三郎」と言う店できしめんを食べました。

 味噌カツ丼とのセットはちょっと乱暴なセレクトですが、十分に美味しかったのです。

 ここで娘と妻は名古屋港水族館へ。

 私はひとりで街歩きです。

 名古屋の栄エリアは、神戸三宮の道を広くしたような街で、とても歩きやすく、また繁華街自体が大きく、歩きごたえもあります。

 こんな建物も見つけました。

 西へどんどん歩いて行くと、突然大きな球体が現れました。

 名古屋市科学館ですが、内部は次回にとっておきます。

 その後、名古屋港水族館で待ち合わせ、3人で名古屋駅に戻りました。

 駅の上にそびえるのはJRセントラルタワーズ。

 坂倉建築研究所の設計で、1999年の竣工。

 モード学園スパイラルタワーズは日建設計の設計で2008年の完成。

 造形で言えば、このビルが群を抜いて存在感を放っていました。

 夕方4時の特急に乗り、大阪に戻ったのです。

 名古屋人を称して、派手、見栄っ張り、ケチ……となかなかの言われようです。

 一日街を歩いてみて、私にはよい印象しかありません。

 正直言って、大阪のキタやミナミを歩くより面白いのではないかと感じました。

 街角で「デザイン都市・名古屋」というポスターを見かけましたが、その名に相応しいと思うのです。

 その象徴と言えるのが名古屋テレビ塔。

 東京タワー、通天閣等も担当した「塔博士」内藤多仲の設計で、1954年に完成しています。

 330mの東京タワーが赤と白に塗られているのは、航空法による決まりです。

 180mの名古屋テレビ塔がそうなっていないのは、規制の高さまで達していないからかなと思っていました。

 大阪に戻って調べてみると、60m以上の建造物がこの縛りの中に入ります。

 しかし、航空法ができる6年前にこの塔が完成していること。また、名古屋テレビ塔株式会社初代社長が抵抗し、最上部に航空障害灯をつけることで切り抜けている、とウィキペディアにでていました。

 1889年に完成した、324mあるエッフェル塔が赤と白なら、パリの印象は全く違ったものになるはずです。

 また、そうであれば近代建築の象徴とはならなかったでしょう。

 東京タワーを初めて見たときも、「美しい」と思いましたが、銀色の名古屋テレビ塔は群を抜いた美しさでした。

 抵抗した初代社長は名古屋市出身の神野金之助。

 その名前をみても、「派手で見栄っ張りで何が悪い。言いなりにはならんぞ」と書いてあるようです。

 何故だか最近、名古屋愛が止まらないのです。

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小トリップ日本一、近鉄特急‐1452‐

 日曜日の朝6時半、「さあ出掛けようか」と娘を起こすと、「頭と喉が痛いからやめとく」と。

 妻、長男が風邪気味で、2人で鳥羽へ行くことにしていたのですが、体調不良なら仕方ありません。

 予約した席をキャンセルしました。

 しかし、8時頃に起きて来たあと、それ程辛そうでもなく……

 で、結局10時からの出発となりました。

 鳥羽までは、上本町から近鉄特急で2時間。

 近鉄電車は、JRを除けば路線の長さ日本一です。

 地下鉄に乗っている間に、スマホであたふたと再度予約しました。

 便利と言えば便利な世の中になりました。

 奈良盆地を横切り、伊賀上野、三重の高原地帯を抜ける景色は、小旅行と呼ぶにぴったりです。

 途中、沈下橋がありました。

 四万十川まで行かずとも見れることに、軽い感動を覚えます。

 「鳥羽水族館」は鳥羽駅から歩いて7分程。

 ミキモト真珠島を越えたところにあります。

 キャッチフレーズは「飼育種類数 日本一」。

 確かに種類は凄いものがありました。

 研究室のような雰囲気も、最近はやりのモダン系とは対照的。

 私は好感がもてます。

 ただ、「詰め込み過ぎ感」は正直否めませんが。

 人魚と間違われたと言われるジュゴン。

 胸ビレの感じが、手のようにも見えます。

 日本で飼育されているのはここだけです。

 ラッコブームは、この館から火がついたはず。

 セイウチ笑(ショー)は、なかなかに笑わせてもらいました。

 触らせてくれるのですが「思っている以上に臭いので、しっかり手を洗って下さい」と飼育員。

 笑いをとっていたのですが、若干可哀想かなとも。

 出発が遅くなったので、現地滞在は約3時間。

 帰りの電車は、ビスタカーの2階席を取りました。

 近鉄特急は帰りが混むので、予約しておく方が無難です。

 電車での行き帰りが合計5時間。

 どちらかと言えば、こちらがメインなのです。

 「車は本が読めないので、電車なら出掛けてもいい」というのが娘の意見。

 持ってきた本、4冊を全て読了しました。

 ときどき近鉄特急に乗るのですが、電車マニアでなくとも、なかなか個性的な車両が多いと分かります。

 私たちが乗ってきた「伊勢志摩ライナー」の他に、「さくらライナー」、観光特急「しまかぜ」という、豪華特急もあるようです。

 プロ野球のオーナー企業は、ひと時代前なら、鉄道会社が大多数でした。

 しかし、IT企業が増えてきたことに時代の流れを感じます。

 映画監督の井筒和幸さんがそれらを指して「虚業」としたことに、堀江貴文さんが反論したという記事を読みました。

 「ITを虚業と馬鹿にするな」という意見はもっともです。しかし、実体験は全てに勝るという思いもあります。

 長男が、スマホのゲームから離れられないという現実をみて、危機感も覚えるのです。

 機器が高性能になり、表現も多彩になっていきます。適度な困難と、適度な達成感を配置してあったとするなら、電車旅の方が面白いと納得させるのはかなり困難です。

 時間がある時、あの手、この手で誘いますが、年をおうごとに、難しくなっていくことを実感します。

 昼寝が気持ちよかった。車窓からの景色が良かった。駅弁が美味しかった。思った以上にセイウチは臭かった。

 何でも良いので、出掛けてみたいと思える情景を思い浮かべさせられるか。

 子供と私の知恵比べは続くのです。

 「ことりっぷ」は、 働く女性たちが週末に行く、2泊3日の小さな旅を提案するガイドブックです。

 我が家は日帰りなので、小トリップといったところか。

 近鉄特急を勝手に小トリップ日本一に認定します。

近鉄特急で行く名古屋の旅‐1309‐

 今日は、急に車が使えなくなり、近鉄特急で名古屋へ行くことに。

 娘と2人での小旅行です。

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 朝7時のアーバンライナーはガラガラでした。

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 大阪上本町から2時間で名古屋に到着。

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 まずは名古屋城。

 「伊勢 は津でもつ、津は伊勢でもつ 尾張名古屋は城でもつ」

 「名古屋観光情報」というサイトに、三重県伊勢地方の民謡「伊勢音頭」にも歌われている有名なフレーズ、と紹介されています。

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 鯱は雨を呼ぶという伝説があり、火事除けとして飾るようになったそうです。

 しかし、残念ながら戦争の焼夷弾にはきかず、現在の天守閣は昭和34年に再建されたもの。

 大きいな、というのが第一印象でした。大阪城より一間は大きい感じ。

 プロポーションなら大阪城のほうが優れているでしょうか。

 このあたりが、秀吉が天才建築家と言われる所以です。

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 関ケ原の合戦で勝利を収めた家康は、豊臣家との対決に備え、近畿、東海の城を整えて行きます。

 尾張の中心である清州城は規模が小さく、度々水害に見舞われていました。

 そこで、北と西が断崖となっているこの地に名古屋城を築城。完成は1612年で、大坂夏の陣の3年前のことでした。

 豊臣家滅亡までの最後の布石となったのがこの名古屋城で、立派であることが重要だったです。

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 名古屋と言えばひつまぶし。 城の北西にある「しら河」という店へ行ってみました。

 電車でガイド本を見た程度のリサーチなので、早めに到着。11時にはもう一杯という感じでした。

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 本格的な名古屋が初めてなら、ひつまぶしも初めて。

 なるほど、なかなかに美味しいものです。

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 特に最後のお茶漬けがよかった。

 鰻好きの娘はペロリと平らげていました。

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 娘と来た以上、水族館は最優先です。

 名古屋港水族館は都心部に近いにも関わらず、国内最大級の大きさとのこと。

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 シャチのショーを見たのはかなり久しぶり。

 昔、白浜のアドベンチャーワールドであった気がするのです。

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 最近のイルカショーは洗練されており、シャチのショーがなくなるのも理解できます。

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 このあと栄あたりを回るつもりでしたが、時間切れ。

 先ほど大阪に戻りました。

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 明治維新が、薩長土肥によって成し遂げられたなら、戦国の世を終わらせたのは、東海地方の英雄達です。

 信長、秀吉とも偉大なリーダーでしたが、260年に渡って太平の世を治めてきたのは家康。

 政治力、忍耐力も秀でていたのだと思いますが、家康が部下にひどい仕打ちをしたという話はあまり聞きません。

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 名古屋城築城の手伝いを命じられたのは、秀吉が可愛がっていた、福島正則、池田輝政、加藤清正達です。

 石垣が美しいことで知られる熊本城の城主であり、城郭建築の名人、加藤清正が名古屋城の石垣を完成させています。

 大きな天守閣を支えるのは、立派な石垣。石の上に乗り、工事を鼓舞する像まであるのです。

 松下幸之助を「人たらし」と呼ぶように、家康はどこか憎めないリーダーだったのだと想像しています。

 実は、今年の12月で当社のマルコが辞めることになりました。

 イタリアから日本に渡ってきて3年。半年日本語学校へ行ってから、当社に来たので2年半働いたことになります。

 初めて外国人と働いたのですが、分かり合えたこと、うまく伝えきれなかったこと、どちらも沢山あります。

 もう少し規模の大きい組織事務所も経験したいという希望を、私が止める権利はありません。

 最長5年と言っていたので、彼が居てくれる間になんとかその次の世代をと思っていましたが、それもまた振り出しに戻りました。

 三歩進んで二歩下がるではないですが、成長の歩みとはなんと遅々としたものか。

 家康が天下を収めたのは60歳の時。汗かき、べそかき、365日歩を進めるしかありません。