偉そうな人は嫌いだけど、偉い人は好き‐1329‐

 11月25日(金)、「大改造!!劇的ビフォーアフター」のレギュラー放送終了という記事がでていました。

 出演した私が言うのも何ですが、終わるかもなと思っていました。

 記事には、東日本大震災や東京オリンピックの影響で、工期が遅れ気味になり、レギュラー放送が難しくなったとありました。

 それが一番なのでしょうが、番組製作費がどんどん削られる中、あれだけの人と時間を投入して、番組をつくるのは大変だろうな、と思っていたのです。

 民放に勤めている知人が、民放とNHKとの違いについてこう言っていました。

 「あの会社(NHK)は、お金とか時間のことは考えていない」

 これは羨望半分、敬意半分だと思います。

 となれば、あのような番組はNHKが製作するしかないのかもしれません。冗談半分、本気半分ですが。

 昨日は、奈良の学園前に行く用事がありました。 ついでに、駅の南にある大和文華館に寄ってきました。

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 学園前の南は歩いたことがなかったのですが、かなり大きな家が建ち並んでいます。

 前庭というか、小山の上に山があるというか。これは、正真正銘の豪邸です。

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 住宅街にある緩やかな丘を登って行くと、大和文華館はみえてきます。

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 写真で伝わりにくいかもしれませんが、東西にかなり長い建物で、40m近くあるでしょうか。

 広角レンズを持って行けばよかったのですが後の祭り。

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 吉田五十八の作品は、上野の日本芸術院会館くらいしか見たことがありません。

 数寄屋建築を自らの解釈で、近代建築に取り入れました。

 誰でも真似ができそうで、誰にも真似ができない。それが吉田五十八だという気がします。

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 展示室は撮影禁止でしたが、エントランスホールもガラスを使いながらも、和を強く意識させます。

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 展示室を抜けると、池に望むテラス。

 ここには出られませんでしたが、池を望むロケーションは素晴らしいもの。

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 裏に回るとテラスの形状が良く分かります。

 建物は持ち上げられ、中央が地面と接しているのですが、この部分に竹林があります。

 展示室の中央が外部となり、全方向からその竹が見えるというダイナミックなプランになっていました。

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 外壁のデザインは、漆喰によるなまこ壁を強調したとでも言えばよいでしょうか。

 これだけ思い切って単純化するのは、デザインを生業とするものとすれば、かなり勇気のいることです。

 エメラルドグリーンを選択しているにも拘わらず、奇をてらった感じは一切なく、逆に薄味な感じさえしてきます。

 昭和初期に活躍した吉田五十八は、その功績が称えられ、彼の名を冠した賞が創設されています。

 近代建築の発展に大きく寄与したことに加え、プロが尊敬できる建築家だったのではと想像しているのです。

 偉そうな人は嫌いですが、本物は大好きなのです。

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 アプローチには、雨に打たれて寒椿が寒そうに咲いていました。

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  現場近くでは、サンゴジュが赤い実を。

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 近所の公園に出るだけで、見事に色づいたイチョウが見れます。

 ある建築家が「これだけ多くの観光客が日本に来てくれるのは、四季があるからだと感謝しなければならない」と言っていました。

 同じ場所でも、四季によって違った景色を持っている。これは、そこに暮らす私達にとっても、大変豊かなことです。

 そう考えれば、日本人が偉い訳ではなく、日本の自然が偉いことになるのです。

秋の根来寺‐1328‐ 

 昨日は勤労感謝の日でした。

 世のお父さん、お母さんは感謝して貰ったでしょうか。

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 年賀状の家族写真がないと、慌てて紅葉狩りへ。近場で探したところ、根来寺にしました。

 しかし、色づき始めの情報通り、少し早かったようです。

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 緑があるのも美しいのですが、やはり紅葉は晴れに限ります。

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 根来寺のwebサイトにはこうありました。

 高野山の学僧でもあった覚鑁(かくばん)上人によって開創された新義真言宗の総本山。

 興教大師の御廟(お墓)を守り続けております。開山以来、約900年の伝統を誇り、山内には日本最大の木造の『大毘廬遮那法界体性塔』(だいびるしゃなほっかいたいしょうとう)通称「大塔」のほか、大伝法堂には重要文化財の本尊大日如来(だいにちにょらい)・金剛薩埵(こんごうさった)・尊勝仏頂(そんしょうぶっちょう)の三体が奉安されています。

 また、こうもあります。

 空海が入定後、約300年後高野山で真言密教を修めた覚鑁は、教学復興の拠点として現在の位置に根來寺を開かれました。

 その後、多くの大徳が覚鑁の教えを守り、その学風は隆盛を極められた。天正の頃、勢力の拡大を恐れた豊臣秀吉に攻められ多くのお堂や経文、宝物を焼かれてしまいました。

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 1585年の秀吉の攻撃によって、根来一山はほとんどの建物が焼失しましたが、この大塔は戦禍を免れました。

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 1547年に完成した、高さ36mに巨大な木造建築で、国宝に指定されています。

 「勢力拡大を恐れた豊臣秀吉に攻められ」とありますが、秀吉とて、ただ信仰に厚いだけの寺を攻める必要はありません。

 根来寺では、根来衆と呼ばれる僧兵集団が形成されていました。

 更に西、紀の川河口あたりを拠点とする雑賀衆とともに、いち早く鉄砲を取り入れたことで、傭兵集団として何度か戦国史に顔を現します。

 寺院に傭兵集団は褒められたものではない気がしますが、信長、秀吉を恐れさせた寺があったなど、痛快な気さえします。

 信仰、信念、使命感など、心が人をそこまで強くするのでしょう。

 もう20年以上も前、当時流行っていた動物占いで、「馬」は「仕事」を表すと聞きました。

 言い得て妙だと思います。

 その馬が、道産子であれ、ポニーであれ、ロバであれ、自分の仕事を信じ、駆け抜けると決めるしかありません。

 信じるものは救われる。

 信じた全員が救われるかは分かりませんが、信じないものが救われないのは間違いありません。
 

さらば、緑のディスカバリー‐1327‐ 

2011年5月に、20年乗り継いだハイラックスサーフを乗り換えました。

2代目サーフにも10年乗り、そろそろ故障が発生しだした頃でした。その時、日本での生産終了を知りました。

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ゴールデンウィークの九州行きは、サーフへの感謝の旅のつもりでした。

阿蘇の草千里の中で、写真を撮りたかったのです。

サーフ以外で私が乗りたいと思っていた車は、この時点で1車種しかありませんでした。

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ランドローバー社の最上級モデル、レンジローバーは、英国王室ご用達のオフロードカーです。

1989年に発表されたディスカバリーは、その次のモデルにあたります。

ランドローバー社は、1948年に創設された世界唯一の4WD専門のメーカーで、オフロード性能世界一を追求しているとアナウンスしています。

垂直に切り立ったボディーは、大きな内部空間を生みます。

その走破性能と、四角いボディーを見事にデザインしていると思っていました。

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この車の魅力は、なんと言ってもラゲージスペースの大きさ。

海、湖、山へ出かけた時の積載量は圧倒的です。

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また、私に貰われてきた以上、船も積まれます。

普段はガレージに眠り、たまの休みに叩き起こされ、重い荷を積んで遠出するのです。

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2011年8月の鹿児島。

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2012年1月の蓼科。

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2013年5月の伊勢。

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2015年1月の富士山。

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2015年5月の北海道。

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2011年、娘は3歳でした。

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現在は8歳。子供の成長に5年の月日を感じます。

先日、ディーラーへ行くと「ディスカバリーがフルモデルチェンジするんですよ」と。

2017年から販売されるニューディスカバリーは、私が思うには、全く違う車種です。四半世紀に渡るデザインポリシーを全く引き継いでいません。

ディーラーの人が「今までのディスカバリーが好きな人の駆け込み需要で、現行モデルが品薄なんですよ」と。

ちなみにと、私の欲しい色のを聞いてみると、すでに日本に1台しかなく、現在商談中だとも。

これが嘘の営業トークならもう誰も信じられませんが、何とかならないかと頼み、おさえて貰ったのです。

緑のディスカバリーには、40歳から46歳までので5年半乗りました。

色々ありましたが、総じて言えば良い5年だったと思っています。とてもゲンの良い車でした。

出来れば、最後にもう一度遠出したかったのですが。

今度くる車にもう代わりはないので、50代半ばくらいまでは乗るだろうと思います。

discovery=発見

本当に好きだと思える車を、2台も見つけることができて良かったと思っています。

建築も車も物ですが、機能という血管に、愛情という血液が流れだした瞬間、心が通い始めるのです。

さらば、緑のディスカバリー。

いい人に貰われろよ。

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一見さんお断り‐1326‐

 今日は天満橋から京阪電車の乗り、打合せに行っていました。

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 大川沿いの桜が、真っ赤に色づいていましたが、この季節の京都は、凄い人出でしょう。

 現在、京都で設計しているオフィスがあります。

 鉄骨3階建ての面白い建物なので、また時期がくれば紹介したいと思いますが、これまで京都では5件ほど仕事をしました。

 実施図面が完成し、さあ競争見積をスタートというタイミングで、2~4の建築会社に声を掛けます。

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 競争見積とは言え、私達は仕事を紹介する立場とも言えます。

 しかし京都の場合、初めて連絡をした際は、断りベースの会社が多いのです。

 祇園で言えば、一見さんお断り、といったところでしょうか。

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 それでも長く仕事をしてきたので、パートナーと思っている会社が、京都、滋賀にも何社か出来ました。

 中でも、一番多く仕事をしてきたのは、京都ではかなり大きな建築会社です。

 2000年に完成した「紫竹の家」を設計していた頃、同級生が就職していたという縁だけで電話を掛け、まず見積を引き受けて貰いました。

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 この見積を担当してくれたのが当時60歳くらいの方で、工事部長の肩書だったでしょうか。

 私は設計という立場だったので、常に柔和な笑顔を向けてくれましたが、仕事に厳しい、また、部下にも厳しい顔をもったプロだと感じていました。

 「紫竹の家」は私にとっては4作目。まだまだ分からないことだらけで、随分助けて貰ったのです。

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 私のクライアントには失礼な言い方ですが、それほど規模の大きくないマンションのリフォームや、その建築会社では安さのあまり伝説になっているという、1千万円台前半の超ローコスト住宅まで。

 色々な仕事を引き受けてくれました。

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 最後に仕事をしたのが、2008年の「切妻と中庭の家」

 その後も何度か見積りを依頼しましたが、金額が合わずなどで、以降仕事は遠のいていました。

 この建築会社は、本来はかなり大きなマンションや公共建築を施工する規模の会社です。

 マンションの施工だけでは、現場監督の力が付かないという思いもあったのだと思います。

 また、若かった私を応援してくれていたのだと今は思っています。

 今回も営業部長に見積を依頼すると、「人手不足で辞退させて頂きたいです」との返事でした。

 当社までお詫びに足を運んでくれたので少し話をしていると、その幹部の方がこの年末で勇退するとのことでした。それもあっての辞退だったようです。

 私の嘆き節は2パターンで、「友達が居ない」「先輩に可愛がって貰えない」です。

 友達はほぼ居ませんが、ライバルは沢山いますし、先輩に可愛がって貰った記憶はありませんが、京セラの名誉会長、稲盛和夫さんのような、尊敬する師を持つことは出来ました。

 しかし考えてみれば、今年で勇退されるこの方のように、それこそ「仕事の鬼」というような大先輩には、結構可愛がって貰ったのかもしれません。

 この方が現役の間に、京都でもう一件くらいは一緒に仕事をし「いや~先生、この建物は素晴らしいですねえ」と言わせたかったと言うのが今の気持ちです。

 人も社会も変化こそが常。また初心に戻り、新たな出会いを求めて行動を起こさなければなりません。

 「今忙しいので」と、軽~く断った建築会社の人達には、そちらの仕事が無い時に、頭を下げに来て貰うイメージです。

 言っていることが小さいかもしれませんが、反骨精神も、私のモチベーションの1つではあります。

人類は進歩などしていない‐1325‐

 11月も中旬に入り、山間部では紅葉が見頃でしょうか。

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 昨日は万博公園に寄りました。

 盛りの一歩手前というところでした。

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 それでも、日当たりの良い樹は見事な朱に染まっていました。

 現在太陽の塔を管理する大阪府から、内部公開を可能にする為、改修工事に入いるとアナウンスがありました。

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 最後の内部公開の様子が新聞に載っていましたが、出来ればオリジナルの内部をみておきたかったというのが本音です。

 後悔先に立たず、です。

 すでに、足下には柵ができていました。

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 太陽の塔には3つの顔があります。

 頭頂部の顔は「未来」を表現しています。

 特殊な金色のフィルムが貼られており、上に伸びるのは避雷針です。

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 万博開催時には、レーザー光線が目から出ていたそうです。

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 正面の顔は「現在」を表します。

 この顔は、先日も紹介した全自動洗濯物折り畳み機を発表したセブンドリーマーズのグループ会社、スーパーレジン工業が製作したものです。

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 赤のライントはイタリアのガラスモザイク。

 一体これが何を表しているのか分かりませんが、躍動感を与えています。

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 そして、背面の顔は「過去」を表します。

 こちらは信楽焼きのタイルで表現されています。

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 切れ長の目で、薄く微笑んでいるようにも、怒っているようにも見えます。

 過去の顔は、初めてまじまじと見てきました。

 控えめに盛り上がる鼻筋など、見入ってしまう程の美しさ。太陽の塔は大きいので、なかなか裏まで回る機会がなかったのですが。

 1970年、大坂万博のテーマは「人類の進歩と調和」でした。

 しかし、岡本太郎はこれを真っ向から否定しました。

 「人類は進歩なんてしていない」

 「縄文土器より、土偶より美しいものを現代人はつくっていない」

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 お祭り広場を設計した丹下健三は、すでに世界的な名声を手にしていました。

 巾150m、長さ350mの世界でも類をみない大屋根を設計し、その下にパビリオンを収める計画でした。

 現在もお祭り広場の位置に、その一部が保管されています。

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 しかし、岡本太郎はその屋根を突き破る、高さ70mの巨大な塔を提案しました。

 岡本太郎は「本当の調和とは、フェアにぶつかりあうことだ」と考えていたのです。

 お祭り広場にある地下トイレは、おそらく当時のままだと思います。

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 46年の年輪を感じさせます。

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 壁に、当時の写真が飾られていました。

 現在、万博公園に残るのは太陽の塔だけです。

 建築設計に係るものとしては一抹の寂しさはありますが、丹下はそれも理解の上、岡本案を受け入れたのかもしれません。

 人の能力は石器時代より衰えているとも言います。

 毎日が生きるか死ぬかの戦いをしていた彼らより、現代人の能力が落ちるのは、至極当然かもしれません。

 当時より、生きることは容易くなったかもしれませんが、幸せや充実は増しているのか。

 岡本太郎が言いたかったのはそんなことなのかもしれません。

 情熱を爆発させるのに、条件も時代も場所も関係ないのだと彼の声が聞こえるようです。

 知った風なことを言うなと怒鳴られそうですが。

押し、押し、押しの一手だ‐1324‐  

 ドナルド・トランプ、アメリカ合衆国大統領が誕生しました。

 「第二次・安倍内閣誕生」と一面にあっても驚きませんが、今朝の新聞は二度見してしまいました。

 新聞コメントの揚げ足をとるのが趣味ではありませんが、アメリカ人タレントが「アメリカの経済をリセットして欲しい」とコメントしていました。

 実行力のある、強いリーダーは必要です。しかし人類とは誕生した時から綿々と受け継がれてきた命ですし、経済活動もまた同じ。

 ゲームではないので、リセットなど勿論できません。

 良い所は活かしながら、負の遺産があるなら、現在生きる私達が補うしかありません。誰かが解決してくれる訳ではないのですから。

 トランプ氏の話はまた最後に。

 先週の日曜日は、年内2日しかない長男の休日でした。

 どこに連れていこうかと考えた末、四日市まで出掛けることに。

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 三重県四日市市は、県庁所在地である津市を凌ぐ人口をかかえます。

 名古屋からも近く、室町時代にはすでに「四」の付く日に、市が立っていたとあるとおり、交通の要所でもありました。

 私達の目的は、鈴鹿山脈の麓に広がる、四日市スポーツランド

 「東海アスレチック部門、第2位」の文字に惹かれました。

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 身軽な小学生2人。

 段々、ついていくのがやっと、という感じに。嬉しい反面、情けなくもあり……

 1周50分。歯ごたえ十分のアスレチックでした。

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 昼食は炉を借りてバーベキュー。

 園の人に「四日市って、どんな町ですか」と聞くと、「お茶が有名かなあ」と。

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 伊勢茶で知られる通り、あたりの水沢(すいざわ)地区は、「被せ茶」が有名なようです。

 「被せ茶」とはその名の通り、収穫前に日光を遮り、渋みを減らす生産技術。

 抹茶や玉露なども、この方法で作られるそうです。

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 もうひとつは、「やはり、四日市ぜんそくなんだろうね」とも。

 四大公害は、熊本の「水俣病」、新潟の「第二水俣病」、富山の「イタイイタイ病」、そして「四日市ぜんそく」です。

 1960年代、四日市市には日本で初めて本格的な石油コンビナートがつくられました。

 石油精製にあたり発生する有害物質が、深刻な喘息を引き起こし、犠牲者は1000人にのぼりました。

 福島原発の問題も、四日市ぜんそくも、私の住む大阪に、直接の被害があったとは言えません。

 しかし、同じ地球で暮らす以上、空も海も繋がっています。実数値は別にして、やはや影響はあります。経済活動で言えば、確実にあったと言えます。

 アメリカ国民が決めた結論を日本人の私がとやかく言う権利はありません。

 近所の住民と家族のどちらが大事かと言えば勿論家族ですが、ご近所さんも、親類も二の次でという考え方が、輸入輸出で成り立っている現代社会ではたして成立するのか。

 2012年発売の「人生はワンチャンス!」という本にトランプ氏の言葉が載っていました。

 経験と実績がない場合、エネルギーと情熱を売り込むべきだ。

 求めるものを手に入れるためには押し、押し、押しの一手だ。

 -ドナルド・トランプ-  アメリカの不動産投資家 

 本の中では不動産投資家だった肩書が、「アメリカ合衆国第45代大統領」に変わりました。

 松下幸之助翁も「この世に起こることは全て必然で必要、そしてベストのタイミングで起こる」言っています。

 自らの言葉を地で行き、アメリカンドリームを手にした70歳の富豪を称賛すべきなのでしょうか。

 批判が目的ではありません。醜い舌戦はここまでにして、そのバイタリティを(多少お下品でも)アメリカの、世界の明るい未来に活かして欲しいのです。

施政者、太閤・秀吉を見習うべき‐1323‐

 ブラブラ、タモリが歩くからブラタモリ。

 なんとも安易なタイトルですが、楽しみにしている番組です。

 先週土曜日は大阪でした。

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 NHKによる圧倒的なリサーチと、専門家によるアテンドで、面白いに決まっているのですが、私が理想とする街の歩き方でもあります。

 地形、歴史から街を解き明かしていく過程が、最高に面白いのです。

 大阪のスタートはあべのハルカスからでした。

 60階の展望台から、上町台地を望みます。

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 縄文時代の地形と合わせ、上町台地の両岸が海だったという説明がありました。

 大坂城は上町台地の先端に建っています。

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 この地形が分かると、大阪の街歩きは更に面白いのです。

 これらのことは何度が触れたことがありますが、ここからの展開が流石でした。

 秀吉が整備した城下町は、天満橋、北浜へと西へ広がっていきます。

 これらの町は、通りを挟んだ南北が同じ町名になっています。町の境界は建物の背中側になっているのです。

 通りとの反対、背の部分に町の境界があるので「背割」。

 そこに通っていた下水が「背割下水」または「太閤下水」というのです。

 言葉は知っていましたが、理由を聞きいて、「流石は太閤・秀吉」と膝を打ちたくなりました。

 向かい同士で同じ町名のほうが一体感がでるだろうし、見せたくないものを裏手に回す、都市計画だったのです。

 現在工事中で、このような条件の現場があります。

 元々通りの反対側に、下水があったそうです。

 その道の専門家ではありませんが、地域的にみても太閤下水だった可能性もあるのではと思っています。

 この建物、現在の法の下では新築もままならない中、何とか躯体を残しフルリノベーションをしている最中でした。

 しかし、市から「敷地境界を越境しているのではないか」とストップがかかりました。

 確かに公図を調べると、裏路地は市の所有となっています。

 しかしクライアントに聞くと、官民の境界など元々なく、慣習で路地を残しているとのこと。

 元の通り建てるだけなので勿論越境などありませんが、境界が明確でないのに越境とはどういうことなのか。

 最終的には、現状を説明し、問題なく工事を再開したのですが、行政とはいったい何なのかと思います。

 倒壊の危険がある建物を何とかしたいというクライアトを助ける為、現場は懸命に動いています。

 しかし、簡単にクライアントや現場を呼び出し、ストップをかけます。

 そもそも、税金を払っているのはこちら側で、足を運ぶのはそちらではないかと思うのです。

 豊洲市場の問題は、新聞以上のことは知りませんが、石原慎太郎が「東京は伏魔殿だ」と言ったとありました。

 また、田中真紀子元議員も「外務省は伏魔殿」と言いました。

 誰が正しいのかは分かりませんが、伏魔殿とは、広辞苑にこうあります。

 悪魔の隠れている殿堂。悪事・陰謀などが陰で絶えずたくらまれているところ。

 本当にそうではないと、市民、都民、国民が思えるとよう、本気で考えて貰いたいのです。

 繰り返しますが、その給料は一般市民が払っている税金からでているのです。

 信長も秀吉も、楽市楽座の通り、少しも多くの商人を、城下町に集める為、知恵を絞ったはずです。

 施政者、太閤・秀吉を見習うべきだと思うのです。

美濃に燃ゆ、信長の野望‐1322‐ 

 11月に入り、今年も残すところ2ヵ月となりました。

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 今日、文化の日は朝一番の新幹線で岐阜羽島へ。

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 車では通過するものの、本格的に岐阜に来たのは学生時代以来でしょうか。

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 赤い車両の名鉄に乗り、岐阜の中心へ向かいます。

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 まずはアクア・トト ぎふへ。

 世界最大級の淡水水族館です。

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 淡水ゆえ、派手さはありません。

 しかし、それはそれでのんびりした雰囲気も悪くありませんでした。

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見せ場はやはり世界最大の淡水魚ピラルクー。

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 その深いシワは老人のようでもあり、なかなかの迫力。

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 エサやりタイムは更に迫力がありました。

 魚の切り身を食べる姿は、まさに獰猛なワニそのもの。

 肉食魚で、作家・開高健はルアーで釣り上げていましたが、これは引くでしょう。

 アクア・トト ぎふは、かなり良い評判を聞いていたので、正直言えばもっと期待していました。

もうひと押しを期待したいところです。
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 ここからは私の趣味に娘に付き合ってもらいます。

 長良川沿いに建つ、長良川国際会議場。 安藤忠雄の設計で、1995年の完成です。

 安藤の提案していたアーバンエッグは鹿児島大学だけで実現したのだと思っていました。

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 外観はモザイクタイルが貼られていましたが、これは竣工当時のままなのか。

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 鹿児島大学の稲盛会館のように卵型の空間があるのかは確認出来ませんでした。

 それはやや残念でしたが、存在感は圧倒的でした。

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 そこから長良川を挟んで見上げる金華山。

 その頂上に見えるのが岐阜城です。

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 ロープウェイで登れるのですが、標高329mにまさにそびえたっています。

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 山頂駅を降りてからも険しい階段が続き、こんなところを、攻め落とせる訳がない気がしてきます。

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 1567年、信長はこの城を攻め落とし、美濃を制定しました。

 そして「天下布武(てんかふぶ)」の印を使い始めます。

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 地名も「岐阜」と変え、武力で天下統一を果たすという意思を世に示したのです。

 長良川と濃尾平野を見下ろす景色は、まさに天下統一を目の前に、信長が見た景色でした。

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 司馬遼太郎の「国盗り物語」は、一介の油売りから身を起こした斎藤道三が、美濃の国を盗み取るのが前半。

 後半は、娘婿となった信長が、天下統一への道をひた走るという歴史小説です。

 司馬遼太郎作品の中でもベスト3に入る面白さだと思っていますが、岐阜は間違いなく日本の中心だったのです。

 一日岐阜を回り、本当に美しい、豊かな町だと感じました。

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 見渡す限りの広大な平野に、突然緑深い山が現れます。

 その間を縫うように、長良川が流れる景色は、由緒正しき日本と言えます。

 広く、美しく、水が美しい。

 海運だけがウィークポイントでしょうか。

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 金華山はもとは青葉山と呼ばれていました。

 燃えるような夕日を浴びた姿をみて、金華山と改めたそうです。

 私なりに、美濃に燃え立つ、信長の野望を感じた旅でした。

 名古屋にしろ、岐阜にしろ、なんとも魅力的な街でした。東海地方もなかなか面白い。