COOL!-1066‐

 昨日は、インターオフィスのショールームへ行っていました。

 自邸で使う、娘のイスを見に行ったのです。遅々とですが計画は進んでいます。詳しくは「現場日記」で。

01

 ショールームは、四ツ橋の交差点から西へ3分程。

 3月まで、グランフロントの伊勢丹にhhstyle.comの店舗がありました。 しかし3月に撤退。

 インターオフィスはその親会社で、関西ショールームはここだけになりました。

 入口を入ると、家具のミニチュアが並んでいます。

 ボールチェアは1963年、フィンランド人デザイナー、エーロ・アールニオの作品。手前にあるパスティルチェアは1967年の作品です。

 2004年頃だったか「webサイトを見た」とオファーがありました。

 住宅兼店舗といった建物で、家具のショップが主。ミッドセンチュリーの名作から、更にコンセプトを絞ったセレクトショップで、旧店舗にアールニオのバブルチェアがありました。

 ボールチェアのクリア版と言えば分かりよいでしょうか。

 この計画は結局頓挫します。建築に詳しい親族が「図面だけ描いて貰えば十分。現場監理は不要」という意見だったのです。私は「現場監理なしで、引き受けることがはできません」と伝えました。

 オファーをくれた夫妻は、悩んでおられたようですが、結局断りの手紙が届き、その中に5万円が挟まれていました。

 こちらのご主人、日本人離れした魅力がありました。

「RED-Lab」のどれかの写真を指し、「守谷さん、クールやわー」と繰り返します。

 10年前のことで書いてしまいます。

 免許取り上げ中にも関わらず、車を運転して来所したのです。サングラスに長髪をなびかせ、アメリカングラフィティーから飛び出して来たような人でした。

 「滋賀の家」の施工会社の社長が、私を知っていたと聞いたのは地鎮祭の後。本人も時期は覚えていようですが、一度「設計協力の相談」に来所したそうです。

 その時も「下請けはやっていないのです」と答えたのだと思います。若い分、多少血気盛んではあったはず……

 世の中は意外に狭いもの。その場限りはないのです。

やってみる、などない‐1065‐

 大阪は昼前から雨が降り出しました。

 植え込みのツツジも、雨濡れて尚鮮やかに。

 この3月、プリッカー賞の発表がありました。建築界で最も権威あるされる賞で、今年の受賞者は坂茂でした。

 1979年にハイアット財団によって設立された同賞を、日本人は7名が受賞しています。

1987年 丹下健三
1993年 槙文彦
1995年 安藤忠雄
2010年 SANAA(妹島和世、西沢立衛)
2013年 伊東豊雄

 坂茂の作品では、阪神淡路大震災のあと、神戸に紙管で作られた教会が記憶に残ります。建築は、権力者のためだけのものであってはならない、という哲学が貫かれているのです。

 新聞で彼がこう語っていました。

 世界でも稀なことに、日本人の学生は授業をさぼる。学生時代は楽しく過ごし、社会に出れば鍛えてもらえるとでも思っている。

  考えてみてほしい。野球でもサッカーでも、プロを目指す人は日々、厳しいトレーニングをする。建築も同じ。繰り返し課題に取り組みトレーニングをしなければ、プロにはなれない。

 真剣勝負を繰り返している彼からすれば、学生の態度が目に付くのだと思います。

 しかし、どのような基準をもってプロとするのか。何をもって真剣勝負と呼ぶのか。自分で決める他ないのです。

 先日、入所試験に来た若者は、2日目で辞めました。このようなことを繰り返していると「間違っているのは自分なのか」と思えてきます。一方、27歳のイタリア人は、黙々と穏やかに仕事を進めていきます。

 「12ダンメマデ、カイダン、チョクセンデスカ?」

 イタリア、スイスで2年の実務経験があり、コミュニケーションこそ片言ですが質問は的確です。反対に、建築設計図面は世界共通だと、私に分からせてくれるのです。

  Do, or do not. There is no try. – Yoda
   「やる」か、「やらない」かだけだ。「やってみる」などない。

 銀河系を守るなら、このぐらいの言葉が必要なのです。

 では、私たちの目指すところは。勿論、やる以上は一番を目指します。

あの花、シランかったん?‐1064‐

 5月の初め、「Shabby House」のクライアントと、庭木を見に行っていました。

 正面に植えたのはプンゲンストウヒ。

 ヨーロッパではクリスマスツリーとして使われる樹です。

 しかし、昨夏の猛暑に耐えられず、枯れてしまったのです。

 数本で影を作りあえれば良かったのですが、日本の日差しは厳しかったようです。

 この樹も、河南町にある古川庭樹園で探しました。

 こちらの専務、この世界では名の知られた人。

 広大な畑を案内し、唯一無二の1本を一緒に探してくれます。

 この日も運命の1本と出会えました。嫁いでくる日は、見に行こうと思っています。

 前回、庭先の花について書きました。

 すると、親戚からメールが。

 カタツバキはアヤメと間違うほど似ています。シランの葉っぱは、笹の葉のようで、丸まっています。あの写真はシランだと思います。

 しかも、義父から妻が貰った花でした。

 この仕事を始め、庭樹は詳しくなりました。しかし花となると……知識の浅さが露呈していまいました。お恥ずかしい限りです。

 人生の先輩からの指摘だけあって、気遣いも嬉しい限り。

 ブログを読むたびに、知的で、哲学的な内容に感じ入っております。

(中略)

 実物と図鑑で確認してください。あの花、シランかったん?

イタリアンがやってきた‐1063‐

新緑がまぶしい季節。

庭に咲くこの花は「かきつばた」のようです。

先の住人が残していたったもので、花弁が細く、美しい花。

沖縄入梅のニュースもあり、限られた季節を満喫したいものです。

先週は「遠里小野の家」の3ヶ月点検でした。

中庭のヤマモミジも青々とした葉をつけていました。その前を泳ぐ鯉のぼり。 四万十川でみた景色を思い出します。

今月初め、1年2ヶ月働いたスタッフが退職しました。入れ替わるように、2人の若者が入所試験中です。

1人は年始にイタリアから来日。現在日本語学校と掛け持ちです。

もう1人は、2年間アメリカへ留学していました。

これを機に、事務所の公用語を、英語に変えようと思います。冗談ですが。

先日、オープンデスク中の女子学生が私に模型を見せに来ました。「ここがちょっと汚いね」と修正を求めました。

すると「これから直すつもりでした」と、プイッとむくれてしまったのです。これでは、流石に事務所に置いておく訳にはいかず、丁重に辞めてもらいました。

イタリア人の彼は、カルロ・スカルパが学長をしたことのある名門大学出身。イタリアの建築士免許も所得済みで、模型も修正しれくれます。

日本人のようと言えば、イタリア人に失礼ですが、やる気さえあれば言葉の壁など、越えられると思っています。

宮大工、西岡常一は法隆寺改修で知られ、「鬼」と呼ばれます。その弟子、小川三夫はこう教えられました。

「諸々の技法は神徳の恵みなり、祖神忘るべからず」
「人に任せ、人に譲ることで、伝統は生きたものとしてつないでいける」

伝えられる伝統を持っているかは分かりませんが、仕事は分かち合ってこそ。2人の若者に期待しています。

自分の名前が好き嫌い‐1062‐

 子供の頃、親へ名前の文句を言ったことがあります。

 「何でこんな名前なん?漢字が女の子みたいやん」と。

 親は「お祖父ちゃんが付けてくれた、とってもいい名前なんだ」と説明してくれました。長男の名前を考えるとき、漢字の謂れを調べ、今は祖父に感謝しています。

 時代は繰り返されるので、同じように子供から言われました。

 「何でこんな名前なん?友達に、ニン『ジン』ってからかわれるやん」と。

 「凄く考えて付けた名前で、いい名前なんだ。その意味は……」
んっ。前はスラスラと出てきたのに。

 「仁(じん)」は「人と人が出会って初めて湧き上がる、慈しみのこころ。愛情」という意味です。

 儒教では、人の常に守る道徳を五常と呼び、その中から選びました。

仁- 孔子の提唱した道徳観念。礼にもとずく自己抑制と、他者への思いやり。
 義- 利害をすてて条理にしたがい、人道・公共のためにつくすこと。
 礼- 社会の秩序を保つための、生活規範の総称。仁を行動に移したもの。
 智- 物事を理解し、是非・善悪を弁別する心の作用。
 信- 欺かないこと。言をたがえないこと。まこと。

 広辞苑で調べてみると、現代に欠けていないかを省みることになります。

 長男はすぐに友達を作ってきます。先週サッカーの合宿で、他校の生徒との相部屋でした。夜中の2時半まで遊んでいたそう。褒められたことか分かりませんが。

 非の無い名前などありません。良いところだけみればよいのです。

 しかし「名は体を表す」か、とも思います。ことわざの精度に驚かされるのは、40歳を過ぎてからなのかもしれません。

ビッグママ‐1061‐

 昨日は、1年振りに奈良の池原ダムへ。

 このダム湖での釣りが好きな事、一時、狂ったように通っていた話を昨年書きました

 大阪から車で運んだボートを、施設で降ろして貰います。

 小さなボートですが、バス釣り専用の装備を備えています。

 船上はフラットで動きやすく。

 足で操作できるエレキモーターが船首にあるのが一番の特徴です。

 ロッド、リール、ライン、ルアーと、無限の選択肢があります。

 季節感、水温、水質などから判断し、今日使う道具を選ぶのです。

 池原ダムは広大なダム湖です。

 どの場所で釣りをするかが、成果を大きく分けます。
 
 特にこの時期、バスは産卵を意識し、浅場にあがってくるのです。

 警戒心の強い大型の固体を、狙って釣れる可能性があるのです。

 水温は17.5℃。近くに新鮮な水を供給する滝のあるエリアを選択しました。

 透明度は5m位で、何とか産卵にからむバスを目視できそうです。居ました。

 ボートの陰を見るとすぐ逃げますが、また戻ってきます。明らかに、自分の気に入った産卵場所を意識しての行動です。

 60cmはあろうかという彼女と、一騎打ちする事に決めました。

 自分の知識と想像力をフルに働かせて、何度もアプローチします。

 15分程かけて、何とかフックアップ。

 強烈な締め込みを繰り返しますが、やり過ごしやり過ごしネットイン。もう、最高の瞬間です。

 3匹目の60cmオバーかと思いましたが、やや足らずの55cm、2kg。計測だけすませ、リリースしました。

 ここ池原ダムでは、日本記録を更新出来る可能性が、誰にも残されています。

 いい歳をした大人が、心ときめかせる、釣りの聖地なのです。

 夕方まで釣りをし計10匹の釣果。満足して池原を後にしました。

 バス釣りの是非は、昨年の記事に譲ります。

 作家・開高健はこう言いました。

 「釣った魚は、逃がしてあげなさい。そうすればあなたの心を泳ぎ続ける」

 この時期、もっとも大きいのはメスの固体です。これを、バス釣りの本場アメリカでは、ビッグママと呼びます。

 ビッグママとの真剣勝負に勝った、いや付き合って貰った帰り道。何度ももその光景を思い浮かべます。

 ラジオから「今日は母の日特集」と流れてきました。すっかり忘れていたので、吉野の葛餅だけ買って帰ったのです。

 ビッグママ。母はいつも偉大です。

竜馬、鰹、過去未来‐1060‐

 GWの愛媛、高知の旅。

 前回は、四万十川を巡るところまで書きました。

 東へ車を走らせると、高知市内に入ります。やはり竜馬は外せないので、まずは桂浜へ。

 司馬遼太郎好きですが、「竜馬がゆく」を読んだのは30歳の頃。その頃、私は仕事を1年休み、海外へ出掛けたりしていました。

 彼の人生は32年です。

 激動の人生を駆け抜けた様を知り、焦りを覚えました。今も焦りはありますが、日々ベストを尽くす他ないと腹はくくっています。

 高知出身の先輩に「地元の人間もひろめ市場はよく行く」と聞いていました。

 南国特有のおおらかな空気を感じます。ベトナムやタイの市場を思わせる雰囲気もあり、気分は盛り上がります。

 中でも、明神丸の鰹は絶品でした。

 GWの混雑でしたが、席を譲ってくれた家族がいました。

 「あれは食べた方がいい」と勧めてくれました。

 鰹のハランボは売り切れごめんだそう。

 トロのような部分なのか、脂がのっていて、別次元の美味しさでした。

 塩たたきは、その名の通り塩だけで頂くもの。

 この粗塩が、新鮮な鰹の味を引き立てます。1本釣りの鰹だけを使っているそうです。

 美味しいとは聞いていました、ここまで違いがあるものかと、圧倒されました。

 これだけでも、高知へ来た甲斐があります。

 最終日、フェリー乗り場のある愛媛へ戻ります。

 別子銅山のことを知ったのはこの1月。祖母の葬式の際でした。その近くにある、神社が祖母の親の出身だと聞いたのです。

 以来気になっており、「東洋のマチュピチュ」というフレーズを知りました。

 標高750mに広がる、日本最大級の銅山跡で、産業遺産として保存されているのです。

 ただ、ここ至るまでの道が極めて狭く長い。

 もしこの道幅を知っていたら、行かなかったかも。その位、離合が大変でした。

 昭和43年に閉山されたのですが、多くの建物が残っています。

 変電所跡も当時のまま。

 壁が剥げ落ちてはいますが、ぬっと人がでてそうな雰囲気です。

 最盛期はこの山奥に3600人の関係者家族が暮らしていました。

 ここは住友が民間一社で採掘をしていた稀な銅山で、小学校、中学校もありました。子供たちをしっかり教育すれば優秀な人材が生まれ、何代にも渡って、彼らが住友を支えてくれたそうです。

 床に転がるビールの空き缶。

 「子供の頃見た、アサヒビールのロゴはこんな感じだったな」と思い出します。

 旅は、自分の過去と向かい合い、未来を見つめなおす機会でもあります。次にまとまった休みを取れるのはお盆でしょうか。

 家族旅行、47都道府県制覇を目指します。

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最後の清流に見る‐1059‐

 今年のゴールデンウィークは、愛媛、高知を回っています。

 四万十川沿いを走っていると、鯉のぼりの群れ。

 今日は端午の節句。

 子の健康と成長を願うのは、誰しも同じです。

 3日(金)の早朝、フェリーは東予港に到着しました。

 松山までは高速で1時間かかりません。

 3千年の歴史を誇る道後温泉は、夏目漱石らも愛した古湯です。

 松山は、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の舞台でもあります。

 そのミュージアムは、安藤忠雄設計です。

 その晩は、宇和島泊。

 藤原純友が考えたとも言われるのが鯛めし。

 刺身を生卵の入った出汁にからめて、ご飯と一緒に。ようは海賊料理なのです。

 翌日は、四万十川を遡りながら、高知を目指します。

 最後の清流、四万十川。何ともノスタルジックな響きです。

 沈下橋のある景色で知られますが、最も美しいとされるのが岩間沈下橋。

 これらは生活道路です。

 大雨の時に流されないよう、欄干がありません。

 しかし、はるか上空に建設すれば、こういった形状にする必要はないのです。

 少し走れば多くの沈下橋を目にします。

 上流部にある向山橋は、昭和38年架橋とありました。

 これほど薄い橋は見たことがありません。

 機能美と言えるところまで昇華しており、自然と融和しているように見えるのです。

 ミニマリズム、簡単に言えばもったいない主義。

 自然との共生を、最後の清流に見た気がします。

ウロウロするのは男だけ‐1058‐

 4月29日は昭和の日。長男と釣りへ行こうと思っていました。

 しかし関西は強い雨。断念して、大山崎山荘美術館へ行きました。

 大山崎山荘は、1917年に建った洋館です。

 持ち主の手を離れ、1990年頃マンションの計画が持ち上がります。

 建て主の加賀正太郎はニッカウヰスキ-の設立に参加。

 同じく、アサヒビールもその設立に参加していました。地域の強い要望もあり、アサヒビールがその縁から、買い取り、美術館へと生まれ変わったのです。

 改修、設計を託されたのが安藤忠雄です。

 1996年、半分地中に埋まった円形の「地中館」が完成。美術館はオープンしました。

 この一室空間の主役はモネの「睡蓮」。その他、ミロ、シュザンヌ・ヴァラドン等が展示されていました。

 シュザンヌ・ヴァラドンと言えば、ルノワール、ロートレックのモデルとしても有名。

 「白の画家」モーリス・ユトリロの母でもあります。その父が誰かは分かっていませんが、ロートレックという話しもあります。

 「睡蓮」より、こんな物語に私は惹かれるのです。

 雨に誘われ、カタツムリが柱を這い登っていました。

 コンクリートはセメント、砂、石、水を混ぜたもの。また、セメントの成分は、石灰石、粘土、けい石等です。

 本来、全てが材が国内でまかなえる安価な物なのです。

 安藤はその美しさにこだわり、独自の表現へと高めて行きました。しかし元はと言えば「大空間を安く作るための苦肉の策だった」と懐述しています。

 私もその魅力に魅せられた一人ですが、好きなのは男性だけというケースが圧倒的。よって家として実現するのは「あなたが好きなら」というケースが殆どです。

 今週初め、ラジオでこんな事を言っていました。

 電話をしながらウロウロするのは男性が殆ど。女性がそのような行動をとることは無い。男性は本来会話が苦手で、その不安を紛らわせるため、ウロウロと立ち歩く。女性は会話を楽しめるため、そのような必要が無い。

 私用の電話など、私もかなりウロウロします。会話が苦手で、不安を紛らわせていたとは……

 男と女。漫才コンビではないですが、こうまで違うのかと、軽いショックを受けたり受けなかったり。