米米クラブは1997年に解散していたそうです。
学生時代はあれほど聞いていたのに、全く知りませんでした。
しかし2006年に再結成。活動を再開していました。
米米クラブのボーカルは、言わず知れたカールスモーキー石井こと、石井竜也。
彼が出演する番組を観ました。
ファーストシングルは1985年発売の「I・CAN・BE」。私が中学3年の時で覚えています。
ビッグバンドさえ珍しいのに、徹底的にショーアップされたステージで、一気に人気グループになっていきます。
しかしジェームス小野田の衣装はいつも凄かった!
1992年発売のアルバム「Octave」に収録されている「君がいるだけで」は、289.5万枚を売り上げます。私もカラオケで、かなり歌わせてもらいました。
元々画家になりたくて東京にでてきた石井は、絶頂期であるこの頃から、映画監督やアーティストとしての活動に力を入れはじめました。
1996年に監督として2本目の映画「ACRI」が上映されます。しかしこれが興業的には失敗に終わり、10億円の借金を背負うことになりました。
それらが原因でバンドは、1997年に解散へ至ることになるのです。
何と言っても私が一番好きだった曲は「浪漫飛行」。これもかなり歌いました。
1988年発売の「KOMEGUNY」に収録されていた曲が、1990年にシングルカットされました。
ライナーノーツがこのサイズでした。
レコードと兼用していたのかもしれません。
JALのコマーシャルでの採用が決まり、初のミリオンセラーに。
デビュー間もないころ、自転車さえ持っていなかった石井は、まだ歌詞もない「浪漫飛行」をcharに聞いてもらう約束をしていたそうです。
その約束に遅れないよう、急ぎ足で歩きながら考えていたら、あのリズムになったと語っていました。
その1曲で、石井竜也、また米米クラブの人生が変わってしまうのですから、面白いものです。
バンド活動再開のきっかけは、音楽活動のスタート時からお世話になっていたChar、50歳のバースデーパーティでの演奏だったそうです。
何がきっかけになるか分かりませんが、人との縁は大切にしたいものです。
ダブルミリオンと、10億円の借金も経験した人はそういないと思います。実際に、死にたいと思ったこともあったそうです。
しかし、一番心に残った言葉は興業的には失敗したと言われる映画に対してのコメントでした。
「掛かったお金と、興行収益にこれだけ差があるので失敗と言われますが、自分的には失敗と思っていないんですが」
監督1作目の「河童」は何となく覚えていますが、2作目の「ACRI」は全く記憶にありません。
調べてみると出演者が凄い。江口洋介、浅野忠信、藤竜也……これはお金もかかるはずです。
文芸評論家・谷沢永一は「人の世は評判の市」と語っています。
それは間違いないのですが、もし評判が悪かったとしても、それを覆すチャンスは誰にでもあるはずです。
久し振りに彼が歌っている姿を見ましたが、さすがに上手かった。また、皆が歌いたくなるような曲をいつか作ってくれるでしょう。
何だか久し振りにカラオケに行きたくなりました。
■■5月13日『住まいの設計6月号』に「おいでよ House」掲載
■6月16日 『ESSE-online』に「おいでよ House」掲載
■ 『ESSE-online』にコラム連載
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」
■■1月6日『Best of Houzz 2022』を「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞
■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載