40歳

 なるものはなる、準備は出来ている、と一応は思っていました。

 昨日の7月28日。40歳になりました。

 スタッフの女性が、チーズケーキを焼いて、プレゼントしてくれました。

 仕事で時間の無い中、本当に嬉しい限りです。とても美味しかったです。

 自分自身としては、前日と目に見えて違うくらい、成長していれば嬉しいのですが、当然の事ながらほぼ同じ。

 しかし、この歳を迎えるにあたり、意識していた言葉もあります。

 一つは、孔子の言う不惑。

 われ、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従えども矩をこえず。

 論語を習うのは、中学校の古文でしょうか。しかし実際に「不惑」を意識したのは1988年、私が18歳の時です。

 門田博光は、ソフトバンクホークスの前身、南海ホークスのスラッガーでした。当時、門田は40歳。数年前、アキレス腱断絶の大怪我を克服しカムバックしていました。南海ホークスが無くなるこの年、ホームラン王、そしてMVPに輝くのです。

 当時は、今ほど息の長い選手は少なく、全打席ホームランしか狙わないずんぐりむっくりのおじさんが、44本のホームランを打ちに打ちまくる姿に、感激というか、驚きました。彼をを見に大阪球場へ足を運んだのです。

 その頃、紙面に踊っていた文字が「不惑の大砲」。あんな歳で、一番になれるなんて……と思っていたのです。

 もう一つは「男は40歳になったら、自分の顔に責任を持て」

 奴隷解放宣言で有名な第16代アメリカ大統領リンカーンの言葉です。

 もし、惑わず、自分の顔に責任を持てるようになったか、と問われれば、はい、と答えます。今から別の人生を歩むこともありませんし、アンパンのように顔は付け替えられませんから。

 事務所を設立した25歳から、昨日までの15年間を修行の期間と位置付けます。

 これからの15年間は成長の期間とし、55歳からの15年間は収穫の期間としたいと思います。

 更にその先があるなら、社会への恩返しの期間にしたいと思っているのです。

 いつまで生かされるかは、神様が決めること。人生の折り返し点を通過する今、1日を過ごすでのでなく、生きたいと思うのです。

ナンダーランド

 もうすぐ南港のATCで開催されるイベント「ナンダーランド」。

 その名の通り、子供の好奇心をくすぐるイベントです。

 スーパーのマンダイが協賛しており、プレオープンのイベント入場券が当ったらしいのです。

 上から落ちてくる王冠を触るとはじけて消えます。

 目の錯覚で、大きさが分からなくなる部屋。

 仮面ライダーショーも。

 5歳の長男は、相当に喜んでいるのだと思ったら「あの悪モンは人が入ってるデ」と。

 「何故そう思う?」と聞くと「悪モンは、マイクは使わへんデ」と。
 
 その通りです。

 直後に「でも、仮面ライダーは本物やで」とも。何とも複雑な年頃です。

 そのまま、関空近くのアウトレットまで移動。

 あまりの暑さか、店員の人も「今年で一番人が少ない」と言っていました。

 今日は横浜に行っていたのですが、新幹線には子供連れの乗客が目立ちました。

 春にも、冬にも休みはあるのに、「夏の思い出」となるのは何故でしょう。

 大人にとっても子供にとっても、夏は特別なもの、なのです。

 勿論私にとっても。

住まいの設計 2010年9月・10月号

 ゴールデンウィーク明けの5月9日。雑誌の取材がありました。

 「サロンのある家」だったのですが、昨日発売の『住まいの設計 2010年9月・10月号』に掲載されました。

-そう、欲しかったのはこんな暮らし 家にいるだけで幸せになれる家 CASE:1 料理を楽しむ、お気に入りのキッチンがある家-

 これが「サロンのある家」の副題です。

 こちらのクライアントはタレントさん。紙面には料理をする姿も映っていますので、是非ご覧下さい。

 家を建てる時、どんな方法で、誰をパートナーに計画を進めるのか。一番悩むところだと思います。出来るだけ多くの情報を公開し、比べて貰い、その上で「相談してみたい」建築家でありたいと思います。

 しっかり時間をかけ、対話し、家創りの過程を、存分に楽しんで貰いたいと思うのです。

 この雑誌も、多くの方に見て欲しいと思います。そして、また同じ目標に向かって、全力で仕事が出来るクライアイントと出会えることを楽しみにしています。

P.S. webサイト版『SUMAInoSEKKEI PLUS』では、公認コラムニストに認定してもらいました。良ければ一番上を見てみて下さい。

この海が……

 ゴールデンウィーク以来の、南紀田辺にやって来ました。

 長かった今年の梅雨も、ようやく終わり。

 青い空、青い海、照りつける太陽。いよいよ夏です。

 昨日、今日は磯遊びとプールを交互に。子供は疲れ果てて寝ています。

 現在、帰りの高速は25キロの渋滞。

 御坊で高速を降り、42号線をのんびり走ります。携帯で日記を書けるという事は、妻の運転。

 エアコンの効いた車内から、流れる車窓をぼんやり眺めながら。

 次の連休はお盆。また田辺に来る予定です。

 今度は船を持って来るつもり。昇降サービスを見つけたのです。

 海賊が取り合った、この豊かな海がまるで自分のものになったような……

 今から楽しみにしています。

線香花火

 先週末から月曜日にかけて、平野区にある杭全神社の夏祭りでした。

 だんじりは、大阪府内で岸和田につぐ規模を誇ります。

 先々週にも近所の夏祭りに行ったのですが「もう一回スーパーボールすくいを!」とか「お面が欲しかった!」とかぐずっていました。

 文句ばかりなら、もう来ない!!……と言いたいのですが、普段はあまり面倒を見ていない引け目もあり、日曜日の夜、再度杭全神社へ。 

 楽しみにしていただんじりまでは結構な時間があり、今年は諦めました。

 夜は保育園の友達と、公園で花火。

 友達の彼は、5歳にして線香花火が一番のお気に入りと言います。

 見ていると、火の玉を落さず、小さな松葉の火花がでるまで、辛抱強く待っています。

 天気予報を見ると、長かった梅雨も今週末まででしょうか。

 連休は夏空が広がるのを期待して。

奥様は

 「光庭の家」は2006年12月の完成です。3年半が過ぎました。

 伺うのも2年振りくらいでしょうか。以前から、自分でも撮影してみたいと思っていたのです。

 当日は天気予報も覆す快晴。ついていました。

 竣工時、雑誌の取材と、撮影は今回で3回目。メインカットは決めていました。

 ダイニング、キッチン、リビング、光庭が映るこのアングルです。 

 撮影にあたって、いくらか片づけをして貰ったと思うのですが、これがほぼ普段の様子。

 実は奥さんの仕事がインテリアコーディネーター

 インテリアや整理・収納の講師までしているのです。

 完璧なはずです。 

 竣工時から、お子さんが1人増えました。 

 朝から3時頃まで居たので、眠かったと思いますが、お姉ちゃんと仲良く遊んでくれました。

 さらに、トイプードルも加わりました。

 いつもと違うところでカットしたので、あまり可愛く切れていないとは、ご夫妻の弁。

 お昼までご馳走になりました。

 これがもう抜群に美味しかったのです。仕事でなければ、ビールが飲みたくなるくらい。

 帰りに「延命酢」というお土産まで貰いました。もう全く反対です。感謝の言葉しかありません。

 今回、伺うことに決めたのは、コンテストに応募しようと思ったからです。

 テーマはエコロジー。現代建築とは切っても切れないテーマです。

 こちらの家に、特別な設備がある訳ではありません。密集した住宅地で、日が当たりにくいという環境にあったのですが、リノベーションを選択しました。

 前面道路が狭いなどの条件も加味してそうなったのですが、家に手を加えながら、楽しく暮らし続けるのは、最も環境に良い事だと思うのです。

 その結果はいかに。良い報告ができば嬉しいのですが。

ジャングルに潜水艦

火曜日に「南米のエクアドルで、麻薬密輸用の潜水艦が見つかった」というニュースがありました。

 長さおよそ30m。

 ジャングルの奥深くに密輸専用の潜水艦とは絶句します。そんなものが、非合法に、裏社会で作れるものなのでしょうか。

 中央アジア、南米の麻薬の生産は、国際社会の暗部です。

 その莫大な利益に群がる輩の気迫たるもの、正気の沙汰ではないと言うとことでしょう。

 南米を舞台に書かれた「山猫の夏」という小説があります。

 ある日本人が、ブラジル北東部のある街に現れます。

 山猫と呼ばれる彼は、対立する街の有力者に私兵として雇われ、非合法な仕事をするという船戸与一の作品です。

 ディティールは随分忘れましたが、南米の蒸し暑さ、裏社会の息苦しさが、伝わってくるような、小説だったことは良く覚えています。

 高校時代、浪人時代、冒険小説を良く読みました。

 志水辰夫の「裂けて海峡」、ジャック・ヒギンスの「鷲は舞い降りた」 、ギャビアン・ライアルの「深夜プラス1」、ディック・フランシスの「反射」などなど、何れも刺激的で、当然勉強そっちのけで読みました。

 船戸与一を誰に紹介して貰ったかさえ忘れましたが、もしかすると、内藤陳の「読まずに死ねるか!」で知ったのかもしれません。

 コメディアンでもある彼は、1981年に日本冒険小説協会を設立して会長に就任。冒険小説の紹介をライフワークにしていたのです。

 南米のジャングル奥深くに潜水艦。

 このニュースを聞いて、冒険小説をかく作家は、皆ソワソワしているのでは。

イターリアより 2010

日曜日は朝から、京都の青少年科学センターへ行っていました。

今年もイタリアより、妻の友人家族が遊びに来てくれたのです。

雨予報だったので、いろいろ考えた結果ここにしました。

プラネタリウムが初めてだったようで、子供達は随分喜んでくれました。

一番上が小学校3年生、続いて小学校2年生。

一番下が5歳で長男と同い歳です。

地震体験マシーンはかなり気に入っていました。

夕方の4時頃まで目一杯遊んで、一旦平野の自宅に戻ります。

夕食は中華の店屋物ですませ、今度は神社の夏祭りへ。

それぞれが、金魚すくい、スーパーボールすくいなど、思い思いの屋台へ。

それが終わると「もう一回したい」「本当はお面が良かった」とグズリ始めたので、そろそろと家へ戻ったのです。

グズッて、怒られてまで含めてお祭りです。


お参りは皆で揃って。2礼2拍1礼も教えました。

全員甚平姿ですが、こちらからのプレゼントでなく、ウチの子供がお下がりを貰って着ているのです。

全く反対ですが。

更に、長男にはサッカーのイタリア代表のユニフォームまで。

 今回のワールドカップ。イタリアは、まさかの一次予選敗退でした。

「喜んでもらえると思って用意していたのに」と怒っていましたが、そんなことは関係あません。

海を越えてやってきた本物のアズーリ(イタリア代表の愛称)。この上なく嬉しいものです。

妻の友人にとっては、年1回の帰郷です。ご主人は3年に一度くらいの感じでしょうか。今年は終盤にご主人も来日するかも、とのこと。会えれば4年振りです。

今まで、話したことがあるのは彼だけですが、イタリア人はとても感じの良い人達なのです。

文人も愛したミナミの洋食

 火曜日の対パラグアイ戦は、生中継で観れました。

 残念ながらPK戦で力尽きましたが、決勝トーナメントで互角に渡り合う姿など、想像したことも無かったので、いい夢を見せて貰いました。

 試合直後、元日本代表の中田英寿は「パラグアイは出し切ってこのサッカー、日本はデンマーク戦のような攻めが出来れば、早い時間に得点が出来た」と。むしろ日本の実力が上、という発言をしました。

 かねてから世界と戦えると主張していた、彼の言葉を信じたいものです。夢の続きは4年後のブラジル大会で。

 昨日は、「Shabby House」の工事契約がありました。

 大阪ミナミのスイスホテルで待ち合わせ、署名、割り印等。無事契約完了です。

 その後、ご主人とお昼に行ったのですが、その前に南海通へ向かいました。

 入ってすぐのところにある書店が、奥さんのご実家なのです。

 正確に言うと住居は近くにあるのですが、実際にこの場所で暮らしていました。

 場所が場所だけに、戦前の人気作家、「夫婦善哉」で有名な織田作之助もお客さんでした。

 売れない頃、波屋書房によく本を買いに来ていました。

 お金がなく商家に嫁いだお姉さんが、時折こちらを訪ねては「弟には好きな本を渡してあげてと」お金をつけ届けていたそうです。

 織田作之助が作品にも登場させるのは、混ぜカレーで有名な「自由軒」ですが、書店からすぐ近くの洋食屋の「重亭」も彼のお気に入りでした。

 「剣客商売」で知られる、池波正太郎も贔屓にしていたとのこと。

 古き良きたたずまい。

 ショーケースも前時代的で、過不足ない店構えです。

 名物はハンバーグ。

 皿一杯の大きなハンバーグに、しっかりした味のソース。

 キャベツの千切りも細かくて瑞々しく。ライスをつけて1250円です。

 とても美味しかったです。説明はwebサイトを。

 場所は元精華小学校、現在は精華小劇場のすぐ前。

 後ろに見えるのはスイスホテルとマルイです。

 ミナミの真ん中で暮らしていたと聞いた時、宮本輝の「道頓堀川」を思いました。なんて刺激的なんだろうと。

 「繁華街の真ん中で危ないだろうと言われるけど、朝方まで人の目が多いので、危険なことはあまり無かった」と言われていました。

 更に子供の頃から「○○屋の□□ちゃん」と呼ばれ、実家の屋号を背負っているので、悪い子供も少なかったと。

 ミナミへ行った際には、文化の香り漂う洋食屋さんへ。