絶品アジフライin谷六‐2209‐

エレベーターのあるリハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」【ゲンバ日記チャンネル】Episode1を、昨日公開しました。

4階建てになってくると、かなりの高さです。

ドローンで撮った、鳶の職人技と合わせてご覧ください。

地下鉄、谷町六丁目駅の東側は、戦争時の空襲から逃れた住宅が結構残っています。

空堀商店街を中心に、そんな住宅街の中にもポツポツと飲食店があります。

未だ、平野と上町の2拠点生活が続いており、急遽谷町六丁目あたりで外食することになりました。

「橋の湯食堂」はアジフライが人気のお店。

アジ好きの娘は絶対行きたいというだろうなと、引越し前からリストアップしていました。

カウンター席とテーブル席が2つ。

並ぶかもと思っていたのですが、1つ残っていたテーブル席に座れました。

銭湯のような雰囲気をテーマにしているそうで、壁の画もいい感じです。

グラスはサッポロですが、スーパードライが無かったので、マルエフを初めて頼みました。

1986年からあるアサヒの生ビールブランドだそうですが、なかなか飲みやすいビールでファンになりました。

おばんざい的なメニューも豊富。

まずは有機ほうれん草のおひたしを頼んでみました。

出汁がしっかり効いていて、かなりいけます。

看板メニューは、長崎の松浦港産のアジフライ。

塩とタルタルソースを頼みましたが、まずは塩から。

ざっくりとしたパン粉はカリッと揚がっています。間違いのない味です。

タルタルソースは、期待を遙かに上回る美味しさ。

私的には、塩よりタルタルソースでしょうか。

刺身とカルパッチョ。

トマトの和風ロールキャベツ

豚の角煮。

妻と娘はアルコールを飲んでいないとは言え、3人で1万円はかなり満足です。

「上町のアトリエ付き住宅 〈リノベーション〉」計画ですが、少しずつ前進しています。

アトリエなどの一部を使いながらのリノベーションは、引き継いでくれた工務店もやはり大変です。

私達家族もなかなか落ち着きません。

そんな時のために、『あまから手帖』の「谷町1から9」を購入しました。

この本を眺めながら、完成後の楽しい暮らしを思い描いて頑張っています。

■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

博覧会の時代の後‐2208‐

昨日、関西万博が開幕しました。

それを記念して、ブルーインパルスが大阪城上空を2回通過するとのこと。

近所の方も、難波宮跡公園へ向かっているようです。

予定時刻は11時50分と、11時56分。

時刻が近付くにつれて、雨がやや強くなってきましたが、「関空を離陸したよ」という声も聞こえてきました。

ワクワクして待っていると、今度は「中止になったみたい」と。

徐々に、皆が帰路についたのです。

大阪では35年振りと聞いていたので残念です。また機会を作って貰えると嬉しいのですが。

直前まで、万博の盛りあがりをあまり感じていませんでした。

しかし、折角の地元開催なので前売チケットを買ったのは先週のこと。

高島屋東別館で「EXPO 博覧会の時代」という企画展があると知り、のぞいてみました。

難波の大阪高島屋から言えば、南西にあたる堺筋沿いにあります。

エントランスも立派。

2020年にリノベーションし、2021年には国の重要文化財に指定されています。

タイトルからすると「博覧会の時代」と言われた、1990年代の万博の歴史を紐解く内容を想像していました。

しかしここは高島屋資料館なので、高島屋が出品した室内装飾品などの展示がメインでした。

考えてみれば当たり前ですが、こちらが万博モード過ぎていたようです。

それでも、万博に関する資料もいくつかありました。

第1回目は1851年、ロンドン万博ですが、最も知られているのは1889年のパリ万博ではないでしょうか。

フランス革命100周年を記念し、開催にあわせて完成したエッフェル塔は、現在でもパリのシンボルです。

資料には、エジソンの蓄音機が大変な人気を博したとあります。万博の果たした役割がうかがい知れます。

また、1970年の前回大阪万博では、お祭り広場と太陽の塔がシンボルとなりました。

どちらにおいても、建築は主役的な役割を担ってきました。

1970年生まれの私は、この万博が開催中に55歳になります。

建築家としても十分キャリアを積んできたつもりですが、今回の万博に全く関われなかったのはとても残念です。

大小さまざまなコンペがあったのですが、何一つ参加できていないので当然と言えば当然ですが、それでも忸怩たる思いがあるのは間違いありません。

公共建築で指名を受けたければ、実績を積み重ねていくしかないので、ひとつずつの仕事で結果を残していくしかありません。アトリエ移転もきっかけとして、ギアを上げて行きたいと思います。

高島屋東別館があるあたりは、でんでんタウンと呼ばれ、家電量販店、電気部品店等が並びますが、現在は「オタロード」なる名前も付加されています。

アニメ、フィギュア、同人誌を扱う店が多くあり、「西の秋葉原」とも言われているのです。

以前とは全く風景が変わり、メイド喫茶も沢山あります。

その店員さんが道に並んで、店の案内?客引き?をしていました。

私が学生の頃は、オーディオオタク、家電オタクが集まる場所というイメージでしたが、時代が変わればこれだけ変わるのです。

加えて言うなら、これだけ情報があふれていると、「観る」というアトラクションでは、刺激が足りないのだと思います。

USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)にしても、メイド喫茶にしても体験型です。

そう考えると、 「博覧会の時代」と言われた、1990年代後の万博は、なかなか難しいものがあると思います。

日本橋と難波の境目あたりにある、焼売(シュウマイ)の名店「一芳亭」。

黄色い皮の焼売(シュウマイ) は、美味しくかつリーズナブル。

長らく行っていないので、帰りに前を通ってみました。

体験型アトラクションの最たるものは、やはり「食べる」につきるでしょう。

向いにあるメイド喫茶には長蛇の列ができていました。

金額もそれなりだったので、時代を感じずにはいられなかったのです。

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しょうがない、はない、オシムの言葉‐2207‐

一昨日の火曜日は、兵庫県太子町の「ささき整形外科クリニック 増築計画」の現場に行ってきました。

花粉と黄砂でしょうか、道中の大阪湾を見渡すと春霞のようです。

4階建てのかなり細長い建物ですが、増築計画なので法申請ではかなり苦労をしました。

追って、ゲンバ日記のほうもUPしていきたいと思います。

ライオンに追われたウサギが肉離れを起こしますか?要は準備が足りないのです。

サッカー日本代表も率いた、イヴィツァ・オシムの言葉です。

はじめてこの言葉を聞いた時、思わず笑ってしまいました。
同時に、この人からは逃げられないな、とも感じたのです。

「オシムの言葉」は、ノンフィクション作家・木村 元彦の丹念な取材によって紡がれた一冊でした。

例年、年始に前年に読んだ本を、当社のサイトにUPしています。

昨年はあまり本を読めていなかったのですが、アトリエ移転でバタバタしていたので、4月までずれ込んでいました。

この本は、比較的早くに読んでいました。しかし、感想を書くのは簡単でないなと思っていました。その人生があまりにも重かったからです。

巻末の「解説」にはこうあります。

オシムという凄い男の底の底まで理解したい、という情熱に裏打ちされたジャーナリスト魂と、「5つの民族、4つの言葉、3つの宗教、ふたつの文字、を内包するモザイク国家ユーゴ」でサッカー選手として育ち、1989年のベルリンの壁崩壊に続くユーゴ共和国での民族主義の高揚、やがて残酷な内戦の勃発、家族離散……などに遭遇しながら、ユーゴ代表監督やギリシャのクラブ監督をつとめたオシムのサッカー魂が、見事に触れあい、火花を散らす取材の結実が『オシムの言葉』であった。

タイトル通り、オシムの言葉が中心にありますが、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の解体や、先日まで隣人だった人々同士の凄惨な内戦の様子も、オシムやオシムの妻の言葉で詳しく語られています。

実際に内戦が始まった時、オシムは現セルビア共和国の首都ベオグラードに滞在していました。当時は同じユーゴスラビア社会主義連邦共和国内でしたが、新ユーゴ連邦=セルビア側が現ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の首都サラエボを包囲した結果、妻と娘と2年半も会えなかったのです。

バルカン半島がヨーロッパの弾薬庫と言われますが、その複雑な現実を私達日本人が理解するのはかなり難しい気がしました。

ユーゴ解体の直前の代表を率いたオシムは、1990年のワールドカップイタリア大会でベスト8までチームを導きます。しかし、解体、内戦に抗議する形で代表監督を退きました。

その実績を見て、あまたのビッグクラブからのオファーがあったのですが、それらを断っていました。

理由をこう説明しています。

私はビッグクラブ向きの監督ではない。
スター選手を外したら、監督のほうの首が飛ぶ。

実際にオファーがあったレアル・マドリードについても語っています。

ビッグクラブにしてみれば、監督という人種はそういう大きな所から話が来れば、すぐに引き受けるだろうと思っているだろうが、それは違う。ジダンやベッカムやロナウドやいろんな人間を集めても、じゃあ彼らのためにいったい誰が走るんだ?だからあのチームは、スペインでもヨーロッパでもチャンピオンには成れないだろう。

2003年、ジェフユナイテッド市原・千葉の監督に就任することになりました。クロアチアリーグでプレー経験のある通訳の間瀬秀一はオシムをこう称しています。

監督をやっているんじゃなくて、監督という生き物。

そしてオシムはこう語るのです。

言葉は極めて重要だ。そして銃器のように危険でもある。 (中略) 新聞記者は戦争をはじめることができる。意図を持てば世の中を危険な方向へ導けるのだから。ユーゴの戦争だってそこから始まった部分がある。

ジェフユナイテッド市原・千葉で結果を残し、2006年には日本代表の監督に就任。そして、「考えて走るサッカー」を浸透させていくのです。

母語が異なるにも関わらず、選手の信望を得ているのは、言葉の重さを誰より知ってるからでしょう。

そして、その核心に著者・木村元彦が迫る場面があります。

-監督は目も覆いたくなるような悲惨な隣人殺しの戦争を、艱難辛苦を乗り越えた。試合中に何が起こっても動じない精神、あるいは外国での指導に必要な多文化に対する許容力の高さをそこで改めて得られたのではないか。

「確かにそういう所から影響を受けているかもしれないが……。ただ、言葉にする時は影響を受けていないと言ったほうがいいだろう」オシムは静かな口調で否定する。「そういうものから学べたとするなら、それが必要なものになってしまう。そういう戦争が……」

悲痛とも言える言葉でした。

最後に、オシムが日本人選手やコーチが使う言葉で嫌いだと言ったものを取り上げます。

『しょうがない』と『切り替え、切り替え』です。それで全部誤魔化すことができてしまう。『しょうがない』という言葉は、ドイツ語にもないと思うんです。『どうにもできない』はあっても『しょうがない』はありません。これは諦めるべきではない何かを諦めてしまう、非常に嫌な語感だと思います。

私も『しょうがない』で自分を慰めるのは止めようと思います。

日本代表監督に就任した2年目、オシムは脳梗塞に倒れやむなく退任。その後を引き継いだ岡田武史監督が、2010年ワールドカップ南アフリカ大会で、はじめて決勝トーナメントに進出したのは誰もが知るところです。

2022年に亡くなった際には、ドラガン・ストイコビッチ、巻誠一郎など、多くの教え子が追悼のメッセージを発しました。

惜しみ、惜しまれ、逝ったオシム。その言葉は、世界各国で語り継がれるでしょう。

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生涯一、又兵衛桜‐2206‐

昨日の日曜日は、雨のち曇りの予報だったのが、意外に晴れています。

前日には諦めていましたが、急遽桜を見に行くことに。

南阪和道から桜井市の渋滞をかわし、166号線で宇陀市大宇陀へ。

ようやく目にすることができた、満開の又兵衛桜です。

2012年の4月に一度訪れたのですが、その時はかなり散っていました。

流石に凄い人出で、一旦車でアプローチしたのですが、大渋滞で諦めました。

こういった時は急がば回れ。

2kmほど離れた、道の駅に車を止めて歩くことにします。

のどかな景色を見ながらなので、20分くらいはあっという間でした。

入口で協力金の100円を支払い中にはいります。

ちょっと安過ぎる気もしますが。

夕方4時頃ですが、どんどん人がやってきます。

真下から撮った又兵衛桜。

見事な咲きっぷりです。

満開に青空。

これ以上望むものはありません。

背面にも回ってみます。

こちらから見ると、石垣との関係がよくわかります。

生えている位置が絶妙で、そのコントラストがとても美しい。

最後は正面に回ってきました。

桜と下草、スイセンと石垣。

桜ですが、桃源郷のような美しさでした。

一度は訪れる価値ありだと思います。

出店も控え目で、そこも奈良らしくて好感がもてました。

帰りは、渋滞を避けて名阪国道で帰ってきました。

本郷の瀧桜とも呼ばれますが、又兵衛桜は樹齢300年、幹回り3mの枝垂れ桜です。

その名は、戦国武将、後藤又兵衛から取ったもの。

彼は、最後まで豊臣家のために尽くしましたが、司馬遼太郎や、池波正太郎等の歴史小説にも度々登場します。

真田幸村らと共に、最後まで徳川方を苦しめ、夏の陣で自刃しました。

しかし生き延びたという伝説も残っており、その地のひとつがここ大宇陀なのです。

その後藤家の屋敷跡で、毎年見事に咲き誇る又兵衛桜。

300年の間に、どれほどの人を楽しませてきたのでしょうか。考えると気が遠くなります。

これまでにも色々な桜を見てきましたが、間違いなく最も美しい一本桜でした。

春に桜。日本人である特権です。

時間がない、時間がないなどと言っておらず、毎年一度は必ず桜を見に行くべし。

そう心に誓ったのでした。

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原曲『赤とんぼ』から醸し出される郷愁‐2205‐

JR大阪駅から姫路駅までは新快速で1時間です。

乗り換えまで時間があったので、久し振りに姫路の「えきそば」です。

店内が空になったタイミングでメニューを撮っておきました。

今回は、ごぼう磯部揚げえきそば530円。

黄そば+和風出汁を、たまに無性に食べたくなるのはなぜでしょう。

間もなく開幕する万博では、「究極のえきそば」が3850円だそうです。

流石に私は食べないと思いますが。

姫路には世界遺産の姫路城があるので、インバウンド客も多いのです。

ただ、日帰りが殆どで姫路に泊まってくれないと地元の人が言っていました。

「他では何が美味しいですか?」と聞くと、「生姜醤油で食べるおでんは、なかなかいけますよ」と。

私もまだ未体験ですが、インバウンド客の皆さんも、宿泊のうえ是非お試しください。

姫路駅はハブ駅で、新幹線をはじめ多くの路線と繋がっています。

今回は、岡山県の新見駅とを結ぶ姫新線(きしんせん)に乗り換えます。

PiTaPaでタッチすると、アラーム音が鳴りだし少し慌てました。

播磨新宮駅までは交通系ICカードが使えるのですが、事前にチャージが必要でした。

ディーゼル列車の単線のようです。

2両ある車内は、出発前にはほぼ満席となりました。

最近は、廃線のニュースを良く見ますが、こちらは採算が取れているんだろうかと気になります。

姫路から離れると、所々にため池がある、東播らしい風景が広がります。

はじめて来たのに懐かしく感じるのはなぜでしょうか。

途中の本竜野駅には童謡『赤とんぼ』の歌碑がありました。

『赤とんぼ』はたつの市出身の詩人・三木露風が作詞をし、山田耕筰が作曲をした、誰もが知る童謡です。

1921年(大正10年)、 三木露風 が33歳の発表ですが、幼少期を過ごした、たつの市へ風景を思い浮かべながら作ったそうです。

少し調べてみると、 同志社女子大学のサイトで興味深いコラムを見つけました。

発表当時は、題名も歌詞の内容も少し違っていたそうです。

・発表時

赤蜻蛉

    一 夕焼、小焼の、山の空、負はれて見たのは、まぼろしか。

    二 山の畑の、桑の実を、小籠に摘んだは、いつの日か。

    三 十五で、ねえやは嫁に行き、お里のたよりも絶えはてた。

    四 夕やけ、こやけの、赤とんぼ、とまつてゐるよ、竿の先。

・現在

赤とんぼ

    一 夕焼、小焼の、あかとんぼ、負はれて見たのは、いつの日か。

    二 山の畑の、桑の実を、小籠に、つんだは、まぼろしか。

    三 十五で、姐やは嫁にゆき、お里の、たよりも、たえはてた。

    四 夕やけ、小やけの、赤とんぼ。とまつてゐるよ、竿の先。

題名がひらがなになっている他、一番の「山の空」が「あかとんぼ」に変わっていたり、一番と二番の最後の詞が入れ替わっていました。

負はれて見たのは、まぼろしか。

童謡の出だしとしては、表現が少しきつい気がしますが、元の詞の方がより郷愁を感じさせる気がします。

三木露風が詠んだ100年前の詞に、日本の原風景を感じることを不思議だとも思いますし、当然のようにも感じます。

何より原曲から醸し出される郷愁に感じ入ってしまいました。

いくつかの単語が入れ替わるだけで、これほど印象が変わるのが日本語です。

本当に奥深いものだと思うのです。

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