タグ別アーカイブ: 盛和塾

何を食べるか、誰と食べるか‐1952‐

稲盛和夫さんが逝去されたのが8月末でした。

若手経営者を指南して下さった経営塾、盛和塾は2019年末に解散したのですが、そのことについても書きました。

以前は盛和塾<東大阪>に所属していたのですが、現在も後継塾があります。

近鉄八戸ノ里 まで行ってきました。

毎月の勉強会に、久し振りに参加してきたのです。

住宅、工場が混在した街を歩きますが、夜の第2寝屋川はなかなか美しいものです。

世話役の代表をして下さっている方の会社までは、駅から15分ほど。

この春に新社屋を建設されるくらい、非常に好調な会社なのです。

半導体に関連する部品を製作しています。

半導体 は不足しているくらいですから、残業しても追いつかないほどの受注量だそうです。

以前の工場よりも更に効率化され、無駄がなくなったとも。

盛和塾生の頃から分かっていましたが、こういった世話役を引き受けておられる会社ほど、やはり業績はよいものです。

私も世話役をしていたことがあるのですが、物理的に人手がたりずで、どうしても時間が作れなくなりました。

またそのような時間が作れるまで、まずは本業を頑張るしかありません。

2階の会議室で稲盛塾長の講和を見てからディスカッション。

2時間の勉強会でした。

その後、久し振りの懇親会にも参加しました。

会社のすぐそばにある鉄板焼き。

できる社長は、先に何皿か注文までしてくれています。

そして皆で乾杯。

一杯やりながら、経営談義が続くのです。

もつ鍋など食べたのはいつ以来か。

こちらは「赤鍋」。

そしてこちらは「白鍋」だそうです。

締めにラーメンをいれて貰い、懇親会が終わりました。

同じような志を持っている人達と会話をするのは、やはり前向きになれます。

今週末、ニューヨークから友人が帰ってくるので、梅田のある店に電話をすると「すでに予約で満席です」と。

飲食店も、ソロリと通常運転に近づいているようです。

今日はハロウィン。

ソウルで痛ましい事故が起ってしまいました。

長らく抑えてきたものが、下敷きにあったのかどうかは分かりませんが、ようやく雰囲気が変わってきた矢先のこと。

残念ですし、事故の規模に呆然としてしまいます。

コミュニケーションにお酒は不要という意見もあります。

しかし、美味しい物を食べながら、気の置けない仲間とやる一杯は、胸襟を開かせてくれるアイテムでもあります。

そういえば、稲盛塾長がこんなことを仰っていました。

「私は全く気取った食事でなくていい。8千円もするホテルの食事を食べる人の気がしれない。近所の商店街で売っている500円のお好み焼きで十分美味しいのだから」

オーナーだった京都パープルサンガに、ラモス瑠偉選手を迎える時も、吉野家の牛丼で接待したそうです。

流石塾長!という感じです。

何を食べるかより、誰と食べるかが、一番重要なのですから。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

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稲盛塾長‐1935‐

8月24日に京セラを1代で世界的メーカーに育て上げた、稲盛和夫さんが逝去されました。

1984年には電気通信事業の自由化の際に第二電電企を設立。現在のKDDIに至ります。

2010年には政府の要請からJALの再建を無報酬で引き受け、わずか2年で航空業界の中で、最高収益をだすところまでV字回復させました。

経営の神様とも言われる稲盛さんが、ボランティアで若手経営者を指南下さったのが盛和塾です。

私は縁あって、2007年に入塾させて頂きました。

それで、私にとっては稲盛塾長です。

はじめの写真は、2010年の盛和塾世界大会のもの。

JAL再建の真っただ中にもかかわらず塾生に講和をして下さったのです。

盛和塾は2019年末で解散しましたが、年に一度、世界から塾生が集う世界大会は約5千人の参加がありました。

懇親会に至ってはこの広さの会場です。

京都や大阪の塾長例会でも1000人以上の参加がありました。

懇親会の後、全員で輪になって塾長が好きな「故郷」を歌うのです。

その謦咳に接しようと、いつも塾長の回りは人だかりでした。

盛和塾の塾長例会も、いくつかのスタイルがあるのですが、私は塾長が直接話をして下さる「塾長講和」が大好きでした。

静かな空間の中でメモをとるのですが、合せてスケッチもします。

そうしていると、日々の仕事の中でささくれだった心が、徐々に穏やかになって行く気がします。

実体験に基づく経営の講和ですが、それ以上にその空間に身を置いているだけで心洗われる気がするのです。

今でも十分な結果を出せているとは言えませんが、盛和塾に入塾していなかったら、「設計事務所なんて、維持できているだけでも大したもの」などと言っていたと思います。

塾長は、「あなた達も経営者なのだから、懸命に働き、利益を出し、しっかり納税する事で世の中の役に立ちなさい」と、塾生をいつも叱咤激励していました。

表紙の金文字がかすれてしまっていますが「京セラフィロソフィ 稲盛和夫」と書いてあります。

稲盛さんが考えだした経営手法「アメーバ経営」もよく知られていますが、その前に「フィロソフィが最も大切」といつも仰っていました。

全く素人だった電気通信事業で成功をおさめることが出来たのも、2人の部下だけを連れJAL再建を成し得たのも、全ては「フィロソフィのおかげ」だと。

全ての判断基準となるものがフィロソフィですが、儲かる儲からないでなく「人として何が正しいか」を常に基準としてもつべきだと 京セラフィロソフィの冒頭にあります。

そんな、真面目でストイックな塾長を尊敬していましたし、大好きでした。

2019年末の解散まで36年におよび、稲盛塾長は「あなた達のような、中小企業の社長が頑張れば世の中は必ずよくなる」と、盛和塾活動に多くの時間を割いて下さったのです。

まだまだ至らない元塾生ですが、教えて頂いた「経営の原点 12カ条」にあるとおり、誰にも負けない努力をし、立派な会社となるよう骨身を惜しまず働きます。

本当にありがとうございました。

そして心からご冥福をお祈りいたします。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

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多士済々、週5机寝社長‐1634‐

 日曜日は、夜7時前には家に帰って準備万端です。

 勿論ラグビーワールドカップを観るためです。

 しかし、残念ながらの日本代表の挑戦はここで終わりました。

 南アフリカは非常に強く、日本は田村のキックによる3点のみ。

 しかし、ボディコンタクトのあるスポーツで、日本がここまで勝ち上がってきたことは、素晴らしいの一言につきます。

 「このチームが大好き。負けたことよりもW杯が終わった悔しさがある」というコメントもありました。

 最高レベルにある仲間と、世界の舞台で戦う姿を見せて貰ったことに感謝しかありません。

 次は自分が頑張る番です。

 先週の金曜日、石切にある「ホテルセイリュウ」へ行ってきました。

 石切は東大阪市の東端。

 生駒山の麓にありますが、登りに入った近鉄奈良線が目の前を通ります。

 いつ建ったのかは確認できませんでしたが、2007年に亡くなった黒川紀章設計とのことでした。

 代表作は、中銀カプセルタワービル、ミッドタウンにある新国立美術館。ラグビー日本代表がサモアを撃破した豊田スタジアムも彼の作品です。

 クアラルンプール国際空港などもそうで、世界レベルで活躍した建築家なのです。

 何と言っても、大阪平野を見下ろすロケーションが素晴らしいホテルでした。

 年末で解散が決まっている「盛和塾」ですが、塾生は基本的には各支部に属しています。

 私は縁あって「盛和塾<東大阪>」に所属させて貰いました。

 本体が解散なので勿論支部も解散しますが、形を変えて存続する支部も有ります。

 今後どうするかも含めての、合宿勉強会に参加させて貰いました。

 京セラ、KDDIの創業者である、稲盛和夫塾長の謦咳に触れたく集まった同志でもありますし、12年間所属したので愛着はあります。

 先輩塾生の「解散は『自立せよ』という塾長最後の教えである」という言葉もあり、今後は自分で勉強していくべきかなと考えていました。

 自分の会社であり、自分の人生です。いつまでも誰かが教えてくれるという甘えは捨てなければならないと思っています。

 東大阪塾は規模的にかなり小さいのですが、土地柄もあり、実に多士済々のメンバーが集まっています。

 創業者、2代目、3代目、4代目、メーカーに士業にサービス業。

 中でも、休み以外は殆ど机の上で寝て、風呂だけ家に入りに帰るという塾生も。

 「それは効率悪いよ」という意見もありましたが、その会社はその人が経営者になって、売り上げが4倍になりました。

 同じ能力なら、テンションを維持できれば、沢山働いた方が結果は上です。

 仕事はマラソンなので、体調を崩してはなんにもなりませんが。

 稲盛塾長の教えに「誰にも負けない努力をせよ」があり、私もそうは人に負けないくらい働いてきたつもりでしたが、週5をデスクの上で寝ているとは……

 もう絶句し、何か一回りして皆で大笑いしていました。

 仕事の効率化、余暇の充実が叫ばれ、実際、日本人の労働時間はそう長いほうではなくなっています。

 ただ生き残りたければ、勝ちたければ、誰にも負けないくらい働くしかありません。

 スポーツでトップになろうと思えば、体格なり、運動神経なり、ある程度の素養が必要です。

 しかし、週5机寝さんの結果を見て、改めて仕事に才能は関係ないと思いました。

 決して才能がないという意味ではありませんので。

 「これぞ日本男児」と言えば語弊があるかもしれませんが、色々な国へ行ってみて、粘り強さはやはり日本男児のストロングポイントだと思うのです。

■■■『suumoリフォーム 実例&会社が見つかる本 関西版』2019年9月30日発売に「回遊できる家」掲載

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【News】
『大改造!!劇的ビフォーアフター』7月21日(日)BS朝日で「住之江の元長屋」再放送
『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました
『homify』5月7日「碧の家」掲載
『houzz』4月15日の特集記事
「中庭のある無垢な珪藻土の家」が紹介されました
『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

うつりこんで横浜‐1606‐

 謦咳に触れるという言葉があります。

 立派な人なら、咳ばらいでも聞く価値があるという意味です。

 7月18日(木)は、稲盛塾長最後の講和を聴くために横浜に居ました。

 今年いっぱいでの解散が決まっている「盛和塾」

 京セラを創業、一代で一兆円越えの企業へと成長させた稲盛和夫さんに学びたい人たちが集う場所です。

 2007年に入塾させて貰い、ほぼ毎年参加してきた世界大会ですが、人数が増え2008年からパシフィコ横浜が会場となりました。

 インターコンチネンタルホテルの左にあるのが、会場となる国立大ホール。

 ホールはいつも熱気が溢れていました。

 今年は、約4800名の塾生が世界各国から集まりました。

 私の席は、端ではありますが前から12列目。直接塾長が見える距離で講話が楽しみです。

 毎年の恒例行事でもあるので、横浜の建物も見て回りました。

 当時は日本一高かったランドマークタワーです。

 横浜球場の後ろに見えるのは横浜市庁舎。

 1959年の完成で村野藤吾の設計です。

 階段を大切にした村野らしいディティールです。

 飴色になった木の手摺が妖艶でさえあります。

 しかし新市庁舎が建設中で、来年の6月には移転の予定。

 始まりがあれば、必ず終わりがあるのです。

 87歳となった稲盛塾長は体調がすぐれずで、残念ながら欠席となりました。

 講話は代読となりましたが、その中で「経営について、私の考えは語りつくしたという気持ちが強い」とありました。

 もう十分に教えて貰ったので、これからは自分の足で立ち、歩いていかなければなりません。

 私が最も印象に残ったのは次のような行です。

 世界中を塾生の皆さんと一緒に旅をし、酒を酌み交わしたことが思い出として残っています。

 皆さんのおかげで、素晴らしい人生を送ることができました。
 
 それは塾生の皆さんが私に与えてくれたのです。

 人はここまで謙虚になれるのかと思います。

 塾長の言葉に全く嘘がないことは、直接薫陶を受けた人なら誰もが分かるのです。

 反対に言えば、ここまで謙虚でなければ、ここまで心を高めることはできないのだとも思います。

 寂しくもありますが、新たな闘志をもって、横浜から帰ってきたのです。

 翌7月19日の日経新聞にも、記事がでていました。

 記事は「盛和塾が幕を閉じても、一人でも多くの人を幸せにするという経営者の使命に変わりはない」と結ばれていました。

 このアングル、どこかで見たことが……

 探してみると、一番左下に居ました。

 自分の記事ではないので、喜ぶつもりはありませんが記念にはなりました。

 稲盛さんは言います。

 舗装された歩きやすい道は、エリートが歩いて行く。そうではない者が、前に行きたければ、ぬかるんだ道を行くしかない。

 泥んこになっても、靴が脱げてしまったらそれを何とか引っこ抜いてでも、行くしかない。

 何度も聴かせて頂いたので、骨の髄までしみ込んでいます。

 何があろうと、ネバーギブアップの精神で前に進んで行く覚悟です。

 最後におまけです。

 日曜日に、友達から「再放送みてるよ」とメッセージがありました。

 『大改造!!劇的ビフォーアフター』の私の担当回が、BSで再放送されていたようです。

 プライベートサイトの情報ですが、全300回以上ある中で、2番目に多く再放送されているようです。

 やっぱり「本当は大賞だったんじゃないか」と思っているのですが、それでは謙虚さが足りないか。

■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』7月21日(日)BS朝日で「住之江の元長屋」再放送
■■■『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載

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【News】
『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました
■『homify』5月7日「碧の家」掲載
『houzz』4月15日の特集記事
「中庭のある無垢な珪藻土の家」が紹介されました
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました
大阪ガス『住まう』11月22日発行に「中庭のある無垢な珪藻土の家」掲載
『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
『homify』6月29日「回遊できる家」掲載

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人生道場、終焉‐1541‐

 火曜日は本当に暖かい一日でした。九州では夏日になった所も。

 異常気象という言葉を使えないほど、色々なことが起りますが、それでも12月に夏日とは……

 昨日、私が所属している「盛和塾」が、来年をもって解散するという発表がありました。

 私は2007年に入塾させて貰いました。

 初めて参加した塾長例会は、4月の宝ヶ池プリンスホテルでの開催でした。

 1983年、京セラ、DDI(現KDDI)の創業者、稲盛和夫さんに教えを請いたいという勉強会が発端となっています。

 1989年に盛和塾と改名され、日本のみならず、アメリカ、ブラジル、中国なども合せて、現在は1万人以上の塾生が在籍しています。

 2010年には経営破綻したJALの再建を政府から託されました。

 京セラを1代で1兆円企業にまで育て上げたその経営手腕を求められてのことです。

 78歳でJALの会長に就任、2年で世界最高収益を上げる航空会社へと復活させたのです。

 昨日、稲盛塾長から塾生へ向けてメッセージが発せられました。

 冒頭にはこうあります。

 私は来年(2019年)1月で87歳になります。今までにお伝えしたい事はすべてお話ししてきたつもりです。私は力の限り盛和塾に心血を注いでまいりました。

 「すべて」お話しして貰ったのです。

 何度も何度も話して貰わなければ背筋が伸びないは、完全にこちらの甘えです。

 そして、こう結ばれていました。

 是非今まで学ばれた事を実践し、社員の方々を幸せにし、社会のために尽くさます事を切に望みます。皆さんが利他の心をもって、世のため人のために貢献されますことを祈っています。

 2010年の5月。

 大津プリンスホテルでの勉強会後、懇親会では塾長と同じテーブルで食事をさせて頂く機会にも恵まれました。

 近年は塾生が増え、年で最も大きな勉強会はパシフィコ横浜での開催となりました。

 夏の時期が多く、日差しが痛かったのです。

 稲盛さんは経営の神髄をボランティアで話して下さいます。

 真髄とは方法論ではありません。

 この自由経済社会の中で、ぼろ儲けなどありえない。リーズナブルな利益を営々と積み重ねるしか、企業が成長、発展することはないと言い切っています。

 その当たり前のことを、誰にも負けない程やってこられた結果が、京セラ、KDDI、JAL再生の結果なのです。

 夏がくれば秋がやってきます。

 山は極彩色に。

 落葉樹は葉をおとし、冬へと向かいます。

 いつかこの日がくることは分かっていました。

 「人生哲学」と「経営哲学」を学ばせて頂いた人生道場は来年で終焉を迎えます。

 道場無しで、トレーニング無しで人が成長するのは不可能です。

 これからは自分が小さな道場の主として、研鑽を積まなければなりません。

 誰よりも働き、教え、世の役に立ってこられた塾長には、静かで穏やかな冬を過ごして頂きたいと心から願います。

 そう思える存在を持たせて頂いたことに、心から感謝するのです。

■■■毎日放送『住人十色』4月14日5:00pm~5:30pm「回遊できる家」放映

■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
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『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
『関西の建築家とつくる家 Vol.2』2月1日発売「阿倍野の長家」掲載
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苦渋はなめつくす‐1437‐

 12月に入って、よい天気が続いています。

 昨日は、大阪ビジネスパーク(OBP)へ行っていました。

 ビジネスパークなのでビル建築ばかりですが、それを背景にした紅葉も美しいもの。

 奥にのぞいている濃いグレーの建物は「大阪東京海上日動ビルディング」。

 OBP側からはちらとしか見えませんが、1990年完成の名建築といってよいと思います。

 構造のフレームを外部に追いやり、自由な平面を実現しています。

 鹿島建設の設計施工。

 振り返って西をみると、左に1990年完成の松下IMPビル。

 そして中央も同じく1990年完成のクリスタルタワー。

 竹中工務店の設計施工ですが、高層ビルのひとつの到達点ではないかと思っています。

 2011年1月、『住まいの設計3・4月号』に「地元建築家がガイドする名建築 大阪編」というコラムを寄稿しました。

 その際も、このビルを取り上げました。

 OBP行きの目的は、ニューオータニで開催された盛和塾の勉強会でした。

 盛和塾は、京セラの名誉会長であり、KDDIの創設者、経営破綻したJALを、2年で世界最高収益航空会社へと回復させた稲盛和夫さんから経営を学ぶ場です。

 昨日も1400名以上の参加者があり、ロビーは熱気であふれていました。

 「経営を学ぶ」と書きましたが、この日の講和は西郷隆盛(南洲)の遺訓から学ぶという内容でした。

  命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。この仕末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成し得られぬなり。

 そういう人しか、リーダーはつとまらないし、リーダーになってはならない、というものでした。

 命も、名も、名誉も、お金も全く要らないとまではいえませんが、気持ちとしてはそのつもりです。

 幾たびか辛酸を歴(へ)て志始めて堅し

 これは多くの人がうなずいていたと思います。

 仕事をしていると、本当に色々なことが起ります。

 幾度も辛酸をなめ、それを越えていかなければ、志は固まらないのです。

 ミスタープロ野球、長嶋茂雄はこういっていました。

 「日々を丁寧に生きる。そして苦渋はなめつくす」

 華やかに見える成功者は、これらの過程を経てその立場にいます。

 成長したい、成功したい。しかしその覚悟があるのかという問いに、改めて身を引き締めざるをえないのです。

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