海へ行く 昼食は

 8/26(日)は日本海に行っていました。

 そこは福井県にある小さな漁村で、白い砂浜、緑の松、澄んだ海が美しい、一番好きな所なのです。

 今回は大人12人、子供5人の大所帯。

 一足先に着いたので、魚を釣りに沖へでました。

 浅場の海ははエメラルドグリーン。30年前から変わらない景色が、ここにはあります。

 魚のほうは小物中心ですが、アジ、キス、ベラ、ガシラをぼちぼちと。

 海での食事は、釣った魚を鍋にしたりてんぷらにしたり。

 しかし、歳と共に子供も増えてきました。色々考えた末、今回はカレーを作ってみました。

 ご飯も鍋で、1升8合炊きました。これが中々に美味しそうな炊き上がり。

 お腹の大きいYちゃんは相変わらずの働きぶりで、とても助かりました。

 ツヤツヤご飯も彼女のおかげ。体の方は大丈夫だったでしょうか。

 日除けを張って、皆で昼食。最高の時間です。しかし、大失敗をしてしまいました。カレーが”中辛”で、子供達はほとんど食べられず、何の為の……

 子供は焼そばに。次は”甘口”にします。

 うちの子供は、スイカとお菓子だけ。

 小さい子供は暑いとなかなか食べてくれません。

 これも次回メニューの課題です。

 海を眺めながら、夜まで浜にいました。

 ここに来ればやっと夏。しかし気がつけば8月の終わり。

 もう一度くらいは訪れたいと思います。

 神社のお祭りで始まり、稲美町の花火を満喫し、夕暮れの浜風が涼しくなりだした今、夏も終盤。いくつになっても、行く夏を思う時、切ない気持ちになるものです。

野菜が美味しいイタリアン

 昨日は久し振りの日本海に行って来ました。

 それは次回にUPするとして、8/23(木)は妻の誕生日。

 で、地下鉄谷町9丁目にあるイタリアンレストランのモンテラートに行ってきました。誕生日の外食は、2年続けてこのお店。

 理由は、手打ちパスタが美味しい、ワインが豊富、シェフとマダムの人柄、と色々ありますが、何より野菜が美味しい!妻も”野菜なら、食べすぎを気にしないでいい”と言うのです。

 店の前に着いた時から、すでに臨戦態勢。何と戦う?

 今日の乾杯はちょっと変わったところで。マダムが泡盛のジンジャエール割りを作ってくれました。

 香りは甘くすっきりと。シャンパンより好きかも。

 泡盛は、沖縄の波照間島へ旅行した際、現地で調達して来たとの事。

 本土に持って来ると、値段は20倍になるそうです。

 まずは名物”上新粉のピザ”。パリパリ、サクサクと文句無し。

 続いて野菜少しずつの”パレット”。

 有機栽培のオクラは生のまま。トマトに水牛のモッツァレラチーズ。ウリ、ニンジン、ナス、黒トウモロコシと彩り鮮やか。

 お味は……これが目当てで来ていますから、間違いありません。

 亜麻の実が入ったパンにアンチョビソース。まわりはサクッと真ん中はモチッと。

 ヒラメとカニにトリュフを載せて。

 カモのローストは塩コショウであっさりと。絶品。

 最後はメッセージが描かれたお皿にイチジクの赤ワイン煮。

 写真を撮っていること自体不遜ですが、手打ちのパスタを撮り忘れました。キノコとトリュフのクリームソースもエクセレント!

 このコースで6千円弱は値打ちがあると思います。この日もすっかり良い気分で店を後にしました。

大和川

 奈良盆地全域の支流を集め、生駒山地南端から大阪平野に流れ込んで来る大和川。

 元々は山裾西を北上していましたが、氾濫を繰り返す為江戸時代に付け替え工事が行われました。以来、真っ直ぐ大阪湾に注ぐようになります。

 家から自転車で5分くらいなので、小さい頃は良く遊びに行きました。

 何よりの自慢は”日本で一番汚い川”。冗談みたいですが、社会の教科書に水質ワースト1で出ているのを誇らしく思っていたのです。

 私が小学生だった昭和50年代は、高度成長期を終えた直後。生産性は重視するが企業道徳、環境は後回しと言う時代の付けが、奈良県全域、大阪府の中南部から集められ、この川に注ぎ込んでいたと言えます。

 そんな川にザブザブ入って遊んでいました。捕まえたヌマエビを焼いて食べたことも。いったい何を考えていたのでしょう……

 徐々にですが水質は改善されているそうです。コサギやアオサギの姿も。

 水がきれい、汚いにかかわらず、私の原風景なのです。

気候が変われば生活変わる

 8/17(金)の日本の最高気温のが埼玉県熊谷市で更新されました。

 その気温40.9℃。

 それまでは、74年前の昭和8年に記録された、山形市の40.8℃。

 これはフェーン現象なので、今回とは分けて考えたほうが良いと思います。

 熱中症で亡くなるひとが続出する等という事は、まさに非常事態です。

 私の家では日本古来よりの優れもの”よしず”を使っていますが、気候が明らかに変わった以上、考え方を変える必要があるかもしれません。

 例えば近い将来、欧米並に夏休みは3週間が当たり前になるかもしれません。でないと、例えば過酷な条件で働く建築現場では、生死問題に発展しかねません。

 もうひとつは服装。随分乱れたと言っても、クールビズと言っても、日本人は律儀です。電車に乗るとスーツを着るビジネスマンがまだまだ多い。

 仕事をする上で”相手に失礼の無いよう”という気持ちは、大切だと思います。例えば私でも、オープンデスクの面接に来た学生が、スリッパだったりすると”学ぶ気は無いナ”と思います。実際の心の中は見えないにも関わらず。

 もし政府が主導して”ネクタイは止めましょう”と言うならばそれに変わる方法を示す必要があるかもしれません。猛暑の中に働く人々を守る為にも。

 以前も書いたのですが、日本にはもともと陰暦六月は酷暑につき、少々服装が乱れても構わないという「六月無礼」という言葉があります。「八月無礼御容赦下さい」というバッジでも配布してはどうでしょうか。

 ”気にはしてるんです”と意思表示さえ出来れば、随分ネクタイとスーツが減るかもしれません。減りませんか?

お盆

 事務所の夏期休暇は8/15まで。今日から仕事を再開です。休みには二泊三日で紀伊田辺に行っていました。

 8/13(月)の午前中に所用を済ませ、大阪を出発。阪和道が15kmの渋滞なので、高野龍神スカイラインへ。しかしこちらも高野山で大混雑。都合5時間かかりました。

 翌8/14(火)は雨の予報でしたが、晴れてくれました。

 朝から子供を連れて、海水浴に磯遊び。

 ホテルの裏がすぐ海で、砂浜と磯が入り混じり子供が遊ぶには丁度良いのです。

 ヤドカリ、ハゼ、カニなど一通り突きまわしていました。大分疲れてきたようなので、部屋に戻り昼食を取るとバタンキュー。

 そこで、灼熱の太陽と澄んだ海を見下ろしながら、キンキンに冷えたビール。もう言葉にならない、至福の一杯です。

 最終日の8/15(水)は白浜アドベンチャーワールドの早朝バックヤードツアーへ。

 ワイルドキングダム探検隊のマリンコースに参加。今回で3コース制覇しました。イルカに触ったり、シロクマを真近に見れました。

 体験ツアーを終えると開園直後にも関わらず、凄い人出。

 もったいない気もしましたが、渋滞を避けるため9:30amに白浜を出発。混むことなく大阪に帰ってきました。

 お盆と言えば、帰る途中の田辺市街で提灯を下げている家が多くありました。8/16(木)は送り火。

 玄関先にある、ナスとキュウリに割り箸のお供えものは、それぞれ馬と牛を表すそうです。

 帰ってくる時はキュウリの馬で早く帰って来れるよう。帰って行く時ははナスの牛でゆっくりと。今も残る風習には趣き深いものがあります。

加古大池花火大会へ

 世間はお盆休みの真っ只中で、土曜日は帰省のピーク。

 しかし、兵庫県の稲美町へ向いました。

 友人の会社が加古大池のほとりにあり、絶好の位置で花火が見れると、誘ってくれたのです。

 渋滞する道を、あっちへ抜け、こっちへ抜け。

 普通なら1時間半のところが約3時間。それでも見たい花火。何とか間に合いました。

 ここ東播磨はため池の多いところで、この池は兵庫県最大級だそうです。

 中央の半島状に張り出した公園がお祭りの会場であり、絶好の花火スポットなのです。

 まずは宴会。日が暮れだすと、気分は嫌が上でも盛り上がってきます。

 宵の口の一発が。思わず”た~まや~”。

 7時半頃から、本格的に始まりました。日本の花火師は世界一。色、大きさ、火の軌跡。よくもこれほどのバリエーションがあるものです。

 ほとんどの人は池の半島から見ています。なので、その方向から見れる仕掛け花火が多いのです。

 池の中に仕込まれていたのか、すぐ目の前で火が噴出しました。ちょっと怖いくらいの迫力。

 ナイアガラは数あれど”名物”と言われるだけはあります。池の水辺は、一気に炎の滝に包まれました。

 1時間に渡って、1500発の花火が打ち上げられました。いよいよクライマックスです。

 僅か400m先で打ち上げられた、最後を彩る”大物”は手が届きそうな頭の真上で炸裂しました。火薬の匂いが漂い、燃えカスが頭に落ちてくるほど。

 この特等席で見れたのは感激でした。RYUさま、来年も是非声を掛けて下さいませ。

 先月の神社のお祭り以来、夏らしいことがなかなか出来なかったので、この日はスカッと爽快でした。

 真夏の夜を、華やかに彩る儚い芸術。花火を見ると”日本の夏”という言葉が頭に浮かびます。

芸人

 最近はめっきりテレビを見なくなりました。

 しかしお笑い番組は大好きです。もう少し言えば、お笑い芸人が好きなのです。

 昨今のブームでコントや漫才が多く見れるのは何とも幸せな事。

 「吉本新喜劇」で育ち「8時だよ!全員集合」を見て”志村後ろー!”と叫び、「ひょうきん族」でビートたけしを知り、深夜ラジオ「オールナイトニッポン」を聴きました。いまでは監督「北野武」ですが、ビートたけしは初めての憧れの人。何をやっていてもファンなのです。

 で、現在の私。仕事を終えて家に帰ると、家族はすでに夢の中。

 そんな時はお笑い番組の時間です。最近でもHDDレコーダーに、週3、4本は録画しています。

 なので番組は溜まる一方。見るものにはこと欠きません。
  
 ビールを飲みながら大笑いしている時は、まさに至福の時間。散々見た後はスイッチが入ってしまい”松本人志の「ビジュアルバム」はかなり面白かったナ”などとむかしのコレクションを引っ張りだしてくる事も……

 先頃、たけしと人志の監督対決が話題になっていましたが、私はもっと芸人としての姿を見せて欲しいと思っています。

 指パッチンで一世を風靡したポール牧をご存知でしょうか。彼が好んで色紙にかいた言葉。

「ドーランの 下に涙の 喜劇人」

 芸人という、華々しくも危うい職業。何故か愛しい人種なのです。

聞こえてくるのは

 夏の音は 夜のカエルに 朝のセミ

 今年の大阪は、セミが例年より多いとの事。朝早くから大合唱です。

 ウチは大阪市内なのですが、端っこなので夜は田圃のカエルにとって変わります。

 小学生の頃、近所のおっちゃんが言っていました。”セミは7年も土の中で暮らして、出てきたら一週間で死んでしまうんやデ。

 そやからな、さみしー、さみしーって、あんだけ鳴くんやデ”と。

 日々に追われているうち、気が付けば週末はお盆。夏の折返し点です。

 そろそろ、セミの死骸も見るようになってきました。

 行く夏を惜しむ前に、海に行かねば。

夏来る ゆくひとあり

 8月に入り、いよいよ夏本番を迎えました。

 今朝の新聞に作詞家・作家の阿久悠さんが亡くなったとありました。

 毎週土曜日の朝刊に”阿久悠 書く言う”というコラムが連載されており、一番楽しみにしていたのです。

 ところが今年の6月9日を最後に告知もなく、連載が無くなりました。残念に思いながらも、あまりにストレートな表現で”新聞社と揉めたのかな”くらいに思っていたのです。

 全く誤解を恐れない痛快な批評、現在の日本を憂う気持ちが書かれる文章は、彼の美意識の結晶でした。今朝の記事には”遺書のつもりで書いている”とあったのです。

 何枚もスクラップしていますが、以前日記に書いたものをを再掲載します。

 枯れる時には枯れ、朽ちる時には朽ちる。

 それが生き物の礼儀である。

 人間は有限の生命体でしかも、消滅するのではなく衰弱するように出来ている。

 2005年 11月5日 産経新聞朝刊 ”阿久悠 書く言う”より

 尊敬の念を込め、心よりご冥福をお祈り致します。