今回は、この日記は1111回目。
つぎのゾロ目は2222で、10年と8ヵ月後。54歳のときです。その次は65歳。この位になってくると、ちょっと想像できません。
朝晩は冷えるようになりましたが、近くの杭全神社では、モミジが色づき始めています。
読書の秋。ここ最近で、最も感じ入った本の話です。
中村天風の口述を作家・宇野千代によって文章化された「中村天風の生きる手本」。
1876年生れの中村天風は、当時死の病であった結核を患い、人生を深く考えるようになりました。
真理を求め欧米を歴訪。その帰り、カイロでヨガの達人と出会います。真の健康は「心」と「体」両方の問題であると教えられ「心身統一法」として実践哲学を確立するに至るのです。
バルチック艦隊を撃破した東郷平八郎。「財を残して下、事業を残して中、人を残して上」と言った、初代東京市長の後藤新平。松下幸之助、稲盛和夫など。多くの識者にその「天風哲学」は支持されました。
師との出会いの挿話をまとめてみます。
肺を患う天風は、カイロの宿で「おまえを助けてやるからついて来い」とあるインド人に言われます。
3ヶ月もあちこちに寄り道をし、ヒマラヤ山麓の村に到着します。更に2ヶ月が過ぎても、一向に何も教えて貰えません。
ある日「いつになれば、私が助かる方法を教えてくれるのですか」と詰め寄ります。
「私はここに着いた次の日から教える準備ができている。しかし、おまえの準備が出来ていない」と言われます。
そんなことはない、私はずっと準備ができていたと反論する天風。
そのヨガの達人が「では教えてやろう。その器に水を一杯に注ぎなさい」。更に「もう一つの器にお湯を一杯に注ぎなさい」。
「水の器の上から、お湯を注ぐとどうなる」と問われます。
「文明の民族は、水が一杯に入った器にお湯を注げば全てこぼれることを知っています」と毒づく天風。
医学も学んでいた中村天風は、インドを少し下にみていました。屁理屈がいっぱいに詰まった頭では、何を教えてもこぼれるだけと、教えられたのです。
ヨガの達人は「ようやく分かったようだな。今夜から俺のところに来い。生まれたての赤ん坊のようになって来いよ」と言ったのです。
入る余地がなければ、新しいお湯が貯えられることはない。限りなく単純なこの真理。
中村天風師にとって、ここが人生の分岐点なのだとしたら。大変なことを聞いてしまったような、ワクワクするような……