イラストレーター

 ここではアプリケーションでなく、イラストを描く人の話です。

 ノンフィクション作家・沢木耕太郎が好きで、ほとんどの作品を読みました。その中にこんな話がありました。

 彼は懇意にしているイラストレーター、黒田征太郎とラジオの対談番組に出演しました。観覧者からの質問コーナーでの事です。

 ある若者が「あなた位のイラストなら、僕でも少し練習すればすぐ描ける」と発言します。

 応えて黒田征太郎は「じゃあ、今、ここで描いてみろ」と言います。威勢の良かった若者は「少し練習すればと言ったので……」と尻すぼみなっていきました。

 黒田征太郎と言えば、ミナミ、アメリカ村のビルの壁一面に「人」のようなイラストが有名です。FM802のロゴも彼の作品。確かに一見素人っぽく見えます。

 「もし」や「たら」では無く、今、ここで。「いつか」とか「出来そう」に意味はないのです。

 現在、オープンデスクの学生が1人来ています。コンペ等も重なり、大変助かっているのですが、本来は2人が交互にくるように予定を組んでいました。

 一方の女の子が、一日目の出勤のあと「都合で行けなくなりました」と短いメールが来たのです。それは構わないのですが、決めたことはやり遂げないと本人の為には良くないと思っています。しかし実際に面接をし、採用しても、半分近くが3日程で辞めるのが現実です。

 私が特に厳しいとは思っていません。ただ、嘘や適当な事は言わないようにしているだけなのです。

 これから夏休みに入り、学生の動きが活発になる時期です。参加を考えている人に求めるのは「真面目」と「本気」だけ。情熱ある若者なら喜んで受け入れます。

 最後に、7月2日(土)のセミナーの案内もしておきます。

 読売新聞「マイベストプロ大阪」が主催、「1000万円台で納得の注文住宅を実現させる交渉術」という題名で講演をします。

 今日は「イタウバハウス」を取り上げます。

 こちらの建築工事費は1865万円。この秋にテレビ番組でも取り上げられる予定です。

 クライアントはTRUCKの家具が好きで、今回も何点か買い足していました。

 建築工事には何を含むかによって、若干表示金額の差はありますが、ローコスト住宅には間違いありません。
 

 クライアントの了解を得て全ての金額の内訳を公開しています。その理由は、夢はかなうと知って欲しいから。

 どうやってその夢を実現したか、出来る限り伝えたいと思っています。

 アンケートも署名も不要ですので、良ければ遊びに来て下さい。

7月2日(土)はセミナー1

 webサイトでも告知していますが、今週土曜日、7月2日のセミナーで講師をします。

 昨年末に「マイベストプロ大阪」というサイトに登録しました。

 読売新聞が、地域に根差しこだわりの専門家を紹介するというサイトです。読者から「インターネットが便利なのは分かるが、選択肢が多すぎて何を基準に選んで良いのか分からない」という声が設立の動機だったとのこと。

 登録者は新聞社の基準で審査をされているのです。

 「初めてセミナーを開くので講師を募ります」という連絡があったのが、先月はじめ。どうせなら第一回目にと手を挙げたのです。

 朝刊と夕刊に1度ずつ告知が掲載されました。

 しかし先週の話では申込み者は6名。定員35名に対して寂しい人数です。

 題名は「1000万円台で納得の注文住宅を実現させる交渉術」。

 ちょっとキャッチーすぎて、怪しく感じるのかもしれせん。

 手前味噌ですが、ローコスト住宅の特集に取り上げて貰った実績もあります。

 「城陽の家」と「イタウバハウス」を実例に、どうやって1000万円台で実現したか、本気で伝えるつもりでいるのです。

 今日は「城陽の家」を取り上げます。

 こちらの建築工事費は1700万円。

 竣工は2004年と少し時間が経ちましたが、適正な金額を出す基本はいつも同じです。

 クライアントのセンスが存分に活かされています。

 建築工事には何を含むかによって、若干表示金額の差はありますが、ローコスト住宅には間違いありません。

 いずれの物件も、クライアントの了解を得て内訳を公開しています。

 アンケートも署名も不要ですので、良ければ是非遊びに来て下さい。

 話は変わりますが、昨日は朝からザリガニ釣りに行ってきました。

 6月6日の雪辱戦です。

 惨敗を受けて、さらに調査してみると、有望なポイントが見つかりました。

 噂は本当でした。

 ひっきりなしに、アタリがあります。

 長男は緊張しながら、ファーストコンタクト。

 無事バケツに入れていました。

 2匹目からは、アミをかぶせてから掴んでいました。

 「なんでそんなことしてるの?」と聞くと「こうやって掴むといいって、図鑑に書いていたから」と。

 2匹目から実践とはなかなか、と感心していました。

 6匹ほど釣ったので、帰り支度をしていると小学生3人組がやってきました。

 手慣れたもので、聞くと「昨日は100匹釣った」と言います。

 小さいのは逃がし、3匹だけもって帰りました。

 興奮気味の長男と、35年ぶりに飼ってみます。

 この場所は書くつもでしたが、止めておきます。

 ちょっと近所の小学生気に悪き気がして……

 気になる人はメール下さい。

寄り添うことはできる

 昨日は夏至。

 当たり前の事ですが、一年で一番太陽が長く出ている日です。

 小学生が夏休みに育てるのは、ヒマワリとアサガオです。

 我が家でも、随分大きくなってきました。

 ヒマワリは向日葵と書きます。いつも太陽の方を見るように、私達も常に希望を見て生きて行きたいものです。

 玄関で子供が育てるのはカブトムシの幼虫。ついにサナギになりました。

 植物も、虫も明るい日の下に出るため、暗い土の中で過ごしている期間があります。

 人にとって、明るく前向きであることは一番大切な事です。しかし、反対の出来事からも学べる人が、更に奥行のある人へなって行くのかもしれません。

 作家の伊集院静が、テレビでこんなことを言っていました。

 「小説が人の人生を変えられるとは思っていない。ただ寄り添うことは出来る。誰しもこんな悲しみがあるんだな、とか。そういう小説を書きたい。なかなか書けないけどね」

 伊集院静は最後の無頼派と言われ、無類のギャンブル好きだそうです。

 ギャンブル小説の最高峰は阿佐田哲也の「麻雀放浪記」でしょう。学生の頃、もう熱中して読みました。本名の色川武大名義では「怪しい来客簿」や、直木賞作品「離婚」などの純文学も書く多才な作家でもあります。

 彼を師事し、晩年まで同じ卓を囲んでいたのが伊集院静でした。
 
 広告代理店のCMディレクターから始まり、近藤真彦の「愚か者」「ギンギラギンにさりげなく」の作詞と、多彩なキャリアを誇ります。直木賞作家でもあり、以前から気になる作家でしたが、まだ作品を読んだことは無いのです。

 前妻の夏目雅子が亡くなった時の事も語っていました。

 「金があれば海外で移植を受けさせられたかもしれない、と考えた。しかしそれは叶わなかった。それからは、金なんかに左右されない人生を、ビクともしない人生を歩んでやると決めた」

 ドリームズ・カム・トゥルーの吉田美和も今回の震災をふまえ「音楽が誰かを助けられるとは思っていない」と発言していました。

 「私の時も、そうだった。ただ、思っているほど、人は弱くない。ただ、音楽はそこにある事は出来る」と言っていたのです。

 共に、自身のパートナーを失った経験を語っています。その世界で上り詰めたと言っていい2人が、行きついた答えは同じものでした。

 仕事において「幸せのために」を追及して来たつもりですが、「寄り添える」という言葉を聞いた時、何の違和感もなく体の中に入って来ました。

 寄り添うことはできる。

浜名湖

 週末は旅行に行っていました。

 友人が浜名湖のホテルを取ってくれたのです。

 仕事終わりに現地で落ち合ったので、土曜日は夕食のみ。

 翌日は朝からウォットという水族館へ出かけました。

 入館料300円で魚や貝を触ったりできるのです。

 浜名湖は汽水域なので(淡水と海水が混ざっている)、多くの海産物がとれます。

 新幹線から見る景色も、ダイナミックでとても気になるエリアでした。見どころも沢山ありそうです。

 とは言え、小学1年生どうしの長男達は、とにかく遊びたいのです。

 次に行ったのは舘山寺という温泉街にある遊園地パルパル

 一応上限を決め、2人で考えるように言いました。そもそも、2人いれば何だって遊び道具になるのですが。 

 6歳で身長1m10cmを超えると、子供達だけでも結構乗れるものです。

 そう考えると、随分大きくなったなとも思えます。

 親の楽しみと言えば、やはり食事。土曜日の夜はまずウナギ。

 蒲焼、鰻重とも、間違いのない味。

 子供も沢山食べたのがウナギの白焼。

 パリッと焼きあがっていて、わさびと生姜を少しつけて醤油たれで食べるともう……

 娘と取り合うこうくらいの美味しさでした。お店は「かねりん鰻点」

 雰囲気も応対もとても良い感じでした。

 http://www.kanerin.net/

 B級グルメなどは、最近よく聞く言葉ですが。

 浜松のご当地グルメは餃子のようです。確かに住宅街にも、ポツポツと店があるのです。お持ち帰りで買ってみました。

 お店は「喜慕里(きぼり)」

 1人前500円程。甘めのタレでかなり美味しかったです。

 日曜日の昼は、舘山寺温泉街にて。

 目当ての店が一杯で「うなぎ湖畔食房舘山寺園」へ。

 ウナギも勿論美味しかったのですが、しらす丼をお勧めします。

 釜揚げのしらすの上に生のしらすが載っていて1500円。最後は出汁茶漬けに。これはかなり満足できました。

 段々飽きてきた子供達は足元で遊び出しました。

 1000円上限割引の最終日というのもあり、この店を出て帰路につきました。

 結論でいうと「浜松は食べ物が抜群に美味しい」です。

 東海道の要所、新居の関所があり、海産物豊富な浜名湖があり、家康の御ひざ元。

 これくらい条件が揃えば、必然かもしれません。今回は浜松大橋や、新居の関所などにも行けなかったので、また行ってみたい街です。

ポテイト

 先週の土曜日、クライアントが来所した際にジャガイモを持ってきてくれました。

 自家製なのです。

 本業ではありまませんが、代々農業を営んでいる家系。

 クライアントである若夫婦も田植えと稲刈りの時期は手伝うのです。

 今年も、6月の初旬に無事田植えが終わりました。

 翌週の打合せの時に持ってきてくれたのがこのジャガイモ。前週まで、田んぼに植わっていたのかもしれません。

 細長いのが、メークイン、丸いのが男爵です。

 女性スタッフに聞くと、細長いメークインは煮崩れしにくく、ねっとりとして、カレーやシチュー向き、男爵はホクホクしているが煮崩れしやすく、コロッケやマッシュポテトに向いているそうです。

 ジャガイモの起源はアンデス山脈。16世紀にスペインがヨーロッパに持ち帰ります。コルテスやピサロの時代ですが、寒さに強く、肥料も少なくて済むので、ヨーロッパでの栽培は爆発的に広がりました。

 ジャガイモやトマトなどを南米から持ち帰ったのは大航海時代です。長い航海の間、どうしても新鮮な野菜が足りず、ビタミンCが不足します。その結果、壊血病という病気になり、多くの人が命を落としていました。

 その救世主がジャガイモでした。ジャガイモやサツマイモは加熱しても多くのビタミンCが残るという性質を持っていたのです。

 16世紀のヨーロッパの人口爆発に一役かっていたのもジャガイモ。日本には17世紀初頭に持ち込まれたようですが、江戸時代に起こった度々の飢饉の際にも、重宝されたようです。

 そう考えると、麦、米に加えて、ジャガイモこそが近代人の胃袋を、最も満たしてきた野菜だったと言えるかもしれません。

 こちらのクライアント「農業はあまり好きではないんですが……」と言っていました。

 しかし、奥さんが横から「歳がいったら、絶対するんじゃない?」とも。

 子供達が独立したら、庭先で小さな菜園。その光景は幸せな景色と言えますし、そんな街はとても住みやすいと思うのです。

アンリ・マティス

 昨日は『SUMAInoSEKKEI』の取材でした。

 「イタウバハウス」だったのですがずっと雨の予報。昼過ぎまでなんとかもって、無事撮影が終わりました。今日は「Shbby House」の撮影です。詳しくはまた現場日記で。

 先月末、カンディンスキーの展覧会へ行きました。

 それもあって、クライアントから新聞の切り抜きがfaxされてきました。「抽象画の創始者に迫る」という題で、その中に抽象画が生まれた瞬間というエピソードがありました。

 ある夕暮れ、カンディンスキーは自分のアトリエで、信じられないほど美しい絵画に惹きつけられます。誰が描いた絵画だろうと思い見ると、自身が描いた絵を横向きに立てていただけだった、という話です。

 カンディンスキーが画家を志したのはモネの「積みわら」を見てでした。強い感銘を受けたが、何を描いてあるのかは分からなかったともありました。

 この絵は、事務所に飾っているアンリ・マティス。

 1995年の夏、初めて設計の依頼を貰いました。「羽衣の家」のクライアントは大学時代の先輩のお父さん。

 その時社会に出て2年目だったので、勤め先の担当者として仕事をさせて貰うことになっていました。
 
 しかし所長と微妙な行き違いが生まれ、独立することになります。

 事情を話すと、先輩のお父さんは、にこやかに僕に任せると言ってくれたのです。大変温厚な精神科医でした。

 1996年の年末あたりに、食事に誘って貰いました。行き着けのミナミの串カツ屋さんでしたが、プレゼントも貰ったのです。それがマティス。

 マティスはカンディンスキーとほぼ同時代を生きています。1869年フランスに生まれ、当初の写実的な絵から、荒々しい筆遣いと大胆な色彩のフォビズム(野獣派)と言われる絵に変化していきます。更に、単純な線、単純な色を求め最後には切り絵に行きつきました。

 調べていると、この絵の題名が分かりました。『Christmas Eve』

 美しいと感じることを「美しい」と言う、自分が良いと思うものをプレゼントするのは勇気のいることです。
 
 この絵が届いたのはクリスマス前だったかもしれません。14年経ち記憶が定かではありませんが、そんなことを思いながらこの絵を見ています。

Let’s Go To The Dentist! (歯医者へ行こう!)

 昨日、初めて「つるみ歯科クリニック」で診察して貰いました。

 設計を始めたのが2003年の3月で、開院が2004年の9月。院長と知り合い、8年目にして初めて歯を見て貰いました。先々週あたりに親不知が腫れ、ちょっと気になっていたのです。

 30歳くらいまでは、時々歯科医院に通っていました。その頃「治療しても進行を止めるだけ。歯は良くならないんだ」と、やっと気付いたのです。

 前歯3本の神経はなく、差し歯も1本あります。

 その後10年、歯科医院のお世話になっていません。

 それには32歳の頃仕事をさせて貰った吉松歯科医院の院長に、歯の磨き方を教えて貰ったことも、大きかったと思います。

 以来、子供に、スタッフに「歯磨きは貯金!」としつこく言って来たのは、自戒の念からなのです。

 ところが、10年も行っていなかった結果、結構色がついていたり、歯垢がついているとの事。コーヒーなどで着色が起こると、初めて知ったのです。

 また、残念ながら1ヵ所だけ虫歯も見つかりました。院長と治療の流れを相談しました。

 「歯の掃除」→「虫歯の治療」→「ホワイトニングの型取り」→「親不知の抜歯」

 折角なので、ホワイトニングもやってみることにしました。

 まずは「歯の掃除」。これは、削るのではなく超音波の振動で歯垢などを落とし、磨いてくれます。

 私にとって、治療というのは「痛いのを我慢して削る」ものでした。

 このネガティブな部分を、少しでも和らげようようと、歯科医院の設計に取り組んで来ました。

 しかし「歯の掃除」はこの対極にあります。

 歯垢はとれ、ホワイトニングをしなくても、かなりの白さを取り戻せました。

 削る為だけにあると思っていた道具の中には、美しくする為、まさに審美の為の物も混在していたのです。

 来た時より、歯はツルルツになり白く美しくなるのですから、エステに行くのと全く同じなのです。

 エステに行ったことはありませんが。

 実際に治療を受け、改めてこのクリニックの試みには価値があったと思えます。

 自画自賛になりますが、とてもいい空間で、飽きません。

 院長の奥さんもドクターで、少し話をしていたのですが、欧米では歯のメンテナンスをするのは当たり前だそうです。

 歯も建築も全く同じです。

 設計をしていた当初、看板にこんなキャッチフレーズを入れませんか?と提案していました。
 
 『Let’s Go To The Dentist!』

 「歯医者へ行こう!」という意味ですが、今まさにそんな気分です。

 これを機に、私も定期健診に行くことにします。治療でなく行くのはとても楽しいのです。

ザリガニ

 梅雨入り時は雨が続きましたが、今日も気持ち良い天気です。

 中休みなのか、今年は空梅雨気味なのか……

 昨日も雨は降らず、長男の小学校へ授業参観へ行っていました。 

 母校でもあるので、少し早めに行き歩いて回りました。

 この学校は、緑が結構多いのです。

 大阪市内の南東端にありますが、辺りは完全に住宅街です。

 私はこの学校が出来て2年目に入学しました。

 とても新しい学校でしたが、当初から敷地の一角に「自然園」というエリアがありました。

 おそらく里山のような風景をイメージした造られたのだと思いますが、30年以上の時間が経ち、更に木々は生い茂り。
 
 森に近いよう雰囲気さえ醸しだしていました。

 当時は大変珍しいということで「ズームイン朝」という番組でも、取り上げられました。

 リハーサルでは、リコーダーを吹きながら、小路を歩く練習などをしたものです。

 授業自体は国語と体育。

 前に立っての音読がメインイベントという感じでしたが、皆上手にできていました。

 長男も上手く読めたのですが、2時間目の体操服を忘れていたらしく、私が出た後先生から電話が掛かってきたそうです。

 3月生れというのもあり、なんとも頼りない所もありますが、普段の風景を見て少し安心しました。

 授業参観が終わり昼食を食べてから、約束していたザリガニ釣りに向かったのです。

 図書館の図鑑で見たようで、飼ってみたいと。

 私が小さい頃は、大和川付近にため池が沢山あり、そこで取っていたのですが今はもう埋め立てられています。

 それで、あちこちを回り、小学5、6年の子供達に聞いてみると、JR久宝寺駅前のドブ川がいいと。

 早速自転車で行き、竿を出すも駄目。こんどは久宝寺緑地へ行き、子供に聞いてみると園内の池より、これも近くのドブ川がいいと。

 自称「学校一の釣り名人」の彼が「ちょっと竿貸してみぃ」とレクチャーしてくれました。しかし残念ながらこれも空振り。思っていた程簡単でないようです。

 子供の頃は池の中に入り、手当り次第に手を突っ込んで捕っていました。そう考えると、スルメで釣り上げる方が一段ハードルが高いかもしれません。

 これで当面の休日の課題が出来ました。

すきま

 6月に入って2日目。雨は降ったり止んだり。

 子供達も家の中で遊ぶ機会が増えます。この時期、特に縁側の有難味を感じます。

 我が家は築38年の木造住宅。庭に面して、2.7m×0.9m の縁側があります。

 縁側から、雨に濡れる草木を見るのは、この季節ならではの楽しみ。

 長男は何故か踊りながら……

 どうも学校では「おちょけ」で通っているようで、ふざけたり、踊ったりで人を笑わせるのが好きなのです。

 私達にはあまり無い要素で、一体誰に似たのかと思ったり。

 縁側には25cm程の隙間があり、子供達はこぞってここに入ります。

 お隣の子供も来ると、総勢4人。

 障子を閉め、ひしめき合って遊んでいるらしく、その結果は必然です。

 誰かがのぞいていると、それを取り合い、更に穴は広がる一方。

 長嶋茂雄は国民的スターですから、家は田園調布にある豪邸です。

 子供が小さい頃、壁は落書きだらけで、それを叱ったことがないと聞きました。

 のびのびと育てるのも大事、躾も大事。どちらかが正しという答えはありません。

 確か長嶋家には3人のお子さんがいます。うち2人はテレビ関係の仕事をしているので、私達も知っています。自由な子育ての結果と言えば叱られますが、それを知る事が出来るのは、稀有なケースかもしれません。

 お子さん2人を見て、それもふまえ「障子を破らないように!」とは言いますが、あまり叱らないようにしました。

 建築に関わるものとして、物を大切に、良い空間を良い状態で保って欲しいといく気持ちはあります。

 しかし小さい頃は誰も、すきま、端っこ、秘密基地、そんな所が好きなものです。その楽しみを奪うのはどうかと思いますし、家の中にそんなところは必要だと思っているのです。
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