昨日、食卓にさくらんぼが並んでいました。
このあいだ田植えが終わったと思ったら、いつの間にか夏至も過ぎ。
2017年もあっという間に上半期が終わります。
お札やお守りをゴミ箱に捨てるのは気が引けるもので、近所の神社へ奉納してきました。
杭全神社は平安時代に創建され、府社の社格をもちます。
門の脇に、六月三十日夕刻に大祓式(夏越祓)とあります。
横には「茅の輪神事」とも。
門の手前に、「茅の輪(ちのわ)」が設置されていました。
初めて見たのですが、以下はその案内文です。
昔から六月と十二月の晦日に大祓いといって今まで半年間の罪祓いを人形に託して流し祓い清め(雛祭りの起源)生々きした生命力の復活を祈願しました。
(中略)
とくに病気にかかりやすい真夏を迎える六月の大祓(夏越の祓)には、疫病神を追い払う霊力をもつ「茅の輪(ちのわ)」をくぐって心身を祓い清めるのが昔からの古い伝承であります。
水無月の夏越の祓する人は 千年の命延というなり(古歌)
神道は、自然崇拝を基本としたものですが、穢れと祓いの概念が中心にあるといえそうです。
生きるということは穢れるということであり、祓いによってそれらは取り除かれる。
非常に寛容な精神文化ともいえるのです。
織田信長が、今川義元を討った桶狭間への出陣の朝。「敦盛」を舞った話は有名です。
敦盛は「人間五十年、化天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」で始まる能の演目。
ある番組で、この舞によって信長は呼吸を整え、冷静になっていったのではないか、という説が紹介されていました。
「穢れ」をネガティブな感情、考え方とするなら、「祓い」を儀式と置き換えてもよいかもしれません。
信長を例にとるまでもなく、成功者は例外なくこの儀式を持っている気がします。
瞑想、座禅、ジョギングなど方法は様々ですが、いずれもそれは時々でなく習慣となっています。
脳科学的にも、人の感情は、意思で制御するより、行動で導く方が簡単だそうです。
「茅の輪(ちのわ)」をくぐってきたので、半年の穢れが全て祓われました。
6月の晦日を過ぎれば、清い体で勝負の下半期へ突入です。
穢れは儀式で祓う。
当たり前ですが、誰もが舞う必要はありません。
入浴でも、読書でも、ヨガでも、自分がそう思いこむことが何より大事なはずなのです。