中庭の家の裏庭で焼肉

 昨日は、お昼から京都に行っていました。

 昨年竣工した、切妻と中庭の家に招待して貰ったのです。

 5家族13人が、裏庭で焼肉です。

 こちらのクライアント、実は同級生なのです。それで、子供達の年恰好も、似たような感じ。

 やはり焼肉は炭火に限ります。

 網の焼き後が入った肉は、何故あれほど美味しそうに見えるのでしょうか。

 一通り、食事が終わったら、子供たちと野球の練習です。

 大汗をかくまで遊びました。

 最後は大人同士もプラスティックバットで真剣勝負に。


 家の中、外。それぞれが、好きな場所で、食べ、飲み、遊び。

 長女はダイニングでハヤシライスを。

 カレーは辛さ設定が難しいので、ハヤシライスにしたとは、奥さんの弁。なるほどと思いました。

 昨日は、webサイトの下書きも持って行きました。

 大筋OKの返事を貰ったので、今週中にはUPしたいと思います。

上げ膳、据え膳

 昨日、一昨日は、白浜へ。友人家族が、会社の保養所に招待してくれました。

 出産が同じ時期で、長男はほとんど同じ誕生日。子育ての苦労も共有出来るのが、妻にとっては何よりです。ご主人も含めて、年に1、2回はお会いするのです。

 共に朝5時頃大阪を出発して、まずはアドベンチャーワールドへ。

 私達が行った中では、過去最高の人出でした。

 朝一番のマリンライブは立ち見まで。

 何とか2家族、6人分の席を確保出来ました。

 サファリ内を回る列車は2時間待ち。

 父親2人が、車内でダウンしている間、4歳児とお母さんは、歩いてサファリを回ってきました。

 2時半頃まで十分遊んだ後、今日の宿へ。

 白良浜のすぐ近くで、大人が一泊2食付きで5000円弱。流石に大きな会社は違います。

 しかも料理は美味しいし、ビールは一瓶350円。

 値段の事ばかりで何なのですが、やはり嬉しいものです。

 翌朝近所をジョギングすると、日本3大古湯だけあって、趣きある温泉ばかりです。

 岬の先端にある「崎の湯」は、まだ開業前でしたが、早くも入浴客が待っていました。

 日本最古との看板も。

 こちらは「牟婁の湯(むろのゆ)」の源泉のひとつ、行幸源泉(みゆきげんせん)。

 「日本書紀」や「万葉集」にも登場するだけあって、情緒があります。

 白良浜には朝早くから散歩する人の姿も。

 朝食の後、白浜を見下ろす位置にある、平草原のフィールドアスレチックへ。ここは無料です。

 4歳の2人には難関でしたが、2km、18アトラクションの行程を、2時間かけて踏破しました。

 小さい頃、兵庫の神鍋高原にある、アスレチックに行ったのを思い出しました。

 コースから少し外れると、旧白浜空港の滑走路が。

 立ってみると、今まで見たことのない景色でした。

 クワガタムシがいたり、何か起こるのが野外の良いところです。

 帰りは田辺IC近くにある秋津ガルテンで食事をしました。

 小学校の校舎を利用した、バイキングで大人900円、子供450円。

 家庭料理のようなメニューを中心に、コーヒー、梅ジュースまであって、特に女性は楽しいと思います。

 帰りの渋滞部のみ、下道を走って、3時間程。

 大阪には4時頃帰って来ました。1泊2日、白浜の旅。天気も予想より良く、子供達は満足してくれたと思います。

 妻が一番嬉しいのは上げ膳、据え膳なのです。

内野安打

 今日は敬老の日。朝から、爽快な秋晴れです。

 岡山と香川で暮らす2人の祖母。亡くなった祖父達。そして代々命のたすきを渡してくれた全ての先祖に感謝します。

 先週はじめ、イチローが9年連続200本安打を達成しました。長いMLB(メジャーリーグベースボール)の歴史の中で、誰もがなしえなかった記録です。

 この記録が、アメリカではほとんどで取り上げられていないと伝わってきますが、そんな事はどうでも良い事です。彼が日本人であるだけで、誇らしいのですから。

 その特集番組を録画していました。一昨日それを見て、拳に力が入ると言うか、自分に激を飛ばしました。彼がずば抜けた結果を出すのは、能力は勿論ですが、その考え方から来ていると痛感したのです。

 2004年の年間262安打は世界記録と言って良いでしょう。この記録こそ、イチローが世界一のヒット職人であることを示しています。

 その彼は番組内で言いました。

 「唯一、数字で目標をあげるとすれば、安打数、200本ということになるでしょうか。もし打率を目標にすると、この打席は立ちたくない、向かいたくないと言う場面が必ず来ると思います。しかし、安打数を目標にすれば、そんな気持ちにはならない。打席に向かいたくなる。いつも楽しく野球が出来る」

 彼のヒットのうち、1/4近くが内野安打です。一般的に内野安打とは、投手に打ち取られ、詰まった打球になり、一所懸命走った結果それが安打になったという感じです。

 しかしイチローは、詰まらせてヒットにする技術があると言います。事実、難しい球はそうやってヒットにしているのです。

 ボールを捉える技術、一塁まで掛け抜けるスピード、共にメジャートップレベル。その彼が、誰もがその感覚を嫌う、詰まった当たりの内野安打までも、積極的に狙っていったなら……

 一本でも多く安打を打つのが目的なら、イチローにとっては当たり前の事なのかもしれません。しかし彼は、世界で初めて、本気で内野安打をも狙った一流打者では、と思ったのです。

 そう考えると、年間262安打、9年連続200本安打も、必然のストーリーなのかもしれません。彼はこうも言います。

 「重圧には弱いほうだと思います」

 今年3月にあったWBCの不調を指しての言葉でしたが、それでも最後には結果を出しました。何故この記録が達成できたかという記者の問いに

 「野球が好きだった事と、常に今がベストだと言える状況で、臨んでいる事が僕の強みでしょうか」

 と答えました。

 あらゆる可能性を捨てず、限界まで追求する。これを実行するのは、簡単ではありません。

 5年程前に、MLB経験のある現、楽天の中村紀洋選手がイチローに「セーフティーバントみたいな、せこい事をするな」とメッセージを送っていました。彼の意見も分からなくはありません。しかし、どちらが目的に純粋かは明らかです。

 彼は、常々準備が大切と言います。「ベストの状態で臨んでいる」と発言する事は、「言い訳しない」と言っていると同じことです。彼こそ侍。

 MLBの100年を超える歴史の中で、誰よりも目的に純粋だったのがイチローだったのでは、と思ったのです。

オリーブ

 間もなく竣工を迎える「Ohana」。前庭に植える木を、買いに行って来ました。

 

 当事務所でクライアントと待ち合わせ、309号線を車で南下します。

 葛城山のふもとにある古川庭樹園 までは40分程。

 簡単言うと庭木を売っている会社なのですが、まずは広大な敷地に圧倒されます。

 この日も案内してくれた専務は、情熱とこだわりの人で、その話を聞くだけでも、楽しいのです。

 

 クライアントと、あちこちにある木々を見て回りました。 

 

 そして出合ったのが一本のオリーブ。

 色、立ち姿とも素晴らしいものでした。

 オリーブの花言葉は「平和」と「知恵」だと教えて貰いました。

 

 この会社、カフェも経営しています。

 肩肘張らずに、庭を眺めながら食事のできる、優しい空間でした。

 定休日にも係わらず、仕事に熱い専務は「お店も見て行ってよ」ということで、アイスコーヒーをご馳走になりました。

 氏は、イギリスでガーデニングを学び、英国風をそのまま持ち込むのでなく、日本の里山文化と融合させたような、庭作りを出来ないかと、模索してきたのです。
 
 クライアントとも意気投合して、お昼時も忘れて、会話が弾んでいました。

 

 その後、オリーブを車に積んで持ち帰り、無事植樹を終えました。

 詳しくはこちらのサイトで。

 2人は何に意気投合したのか。

 専務からすれば、合理主義のから言えば、無駄に見えるかもしれない前庭を、なんとか確保し、植樹する姿勢。更にその木を探しに、わざわざ来てくれた事でしょうか。

 クライアントからすれば、僅か一本の木を探しに来たのに、これが良いか、あれが良いかと、一緒に探し回り、庭や木々に対する熱い思いを聞かせてくれた事、だと思います。

 一所懸命仕事をしている人と出会い、スイングした時ほど幸せな時はありません。食べる糧としてだけでなく、仕事を通して何か出来ないか

と、考えている人はどんな時も情熱的です。

 「Ohana」が、いつまでも街の人々に愛される写真スタジオになる事を、心から祈ります。そして、その一旦を担わせて貰った事を誇りに思うのです。

いつかここで

 週末、今年2回目の日本海に行って来ました。8月終わりと同じ、敦賀半島の小さな漁村です。

 晴れた晩夏の海ほど、気持ちよいものはありません。

 気温こそは26℃くらいですが、水は澄み、水温も一番高いのです。

 まずは波止で小アジを釣って、ゆっくり昼食の準備です。

 今回は、大勢で行く予定でしたが、娘が風邪をひき、何やかにやで、友人家族と父、私、長男の6人になりました。

 沖にも出ましたが、天気とは裏腹に、うねりが高く、キスを2匹釣っただけ。

 私は生まれた時から、ここに連れられて来ています。

 どうみても漁師にしか見えないのが、父の友人、Sおっちゃん。

 このおっちゃんが40年以上前、良いところは無いかと探していたところ、悪路の山道を越えると、この小さな漁村があったそうです。

 その頃民家は10数件で、波止は有りませんでした。

 以来、この地を愛してやまず、ほとんど毎週末ここに居ます。それで、私もここ一筋なのです。

 おっちゃんが、どれくらい愛しているか。

 村の漁師と仲良くなり、浜に民家を一軒借りています。

 別荘と呼ぶのは似合わない、この建物がなんとも良いのです。

 返り際に上がらせて貰い、話をしていました。

 2階からは越前半島が一望です。おっちゃんが、この民家を出る時は、私が引き継ぎたいと頼んであるのです。

 大家さんがOKしてくれ、その家賃を私が払える場合の事ですが。


 週末に、ふらっと浜の小屋へ海を見に行く……。そんな日が来るのかどうか分りませんが。

 ここに来ると、どんな時も「海っていいよなア」とつぶやきたくなるのです。

かゆみ止め

 夏の間、一番良く使う薬はかゆみ止めです。何故か、よく蚊に刺されます。
 
 これから涼しくなれば、蚊も減りますが、夏の間は絶対に離せません。ムヒとかウナがいたるところに置いてあるのです。仕事机の引き出し、食卓のそば、仕事カバンの中、車の中、旅行用カバンの中等など。
 
 誰でもそうでしょうが、かゆみは本当に苦手です。集中力はそがれるし、イライラするしで。結果、かなりの頻度でかゆみ止めを使ってしまいます。妻に、香水代わりやね、と言われるくらい。
 蚊だけでもやっかいなのに、最近、どうも現場でダニにも噛まれているようなのです。これが強烈にかゆく、しかもしつこい。あまりの痒さにムヒアルファーEXというハイグレード版を890円もだして買いました。
 蚊は血を吸った上に、何故ご丁寧にもかゆみ毒を注入するのか。刺した時、獲物に気付かれないよう、麻痺させる為だそうです。
 血はあげるから、もっと上手に麻痺させてくれよ、と思います。その針を消毒してくれればの話ですが。

小料理

 本日、クライアント宅へ打合せに行っていました。天王寺のど真ん中なのです。

 天王寺は、当事務所設立の地で、25歳から30歳までの間、ほとんどそこに寝泊りしていました。

 西側のエリアは再開発の為、迷路のような商店街が更地になりました。

 寂しい限りですが、東側のエリアはまだまだ路地が残ります。

 話しの流れから「この近くの小料理屋さんへ、たまに来ていたんです」というと「ああ、すぐ裏ですよ」と。いつも6時頃から一杯ですよ、とも。

 よく見れば、ま裏。天王寺から移転して9年。すっかり土地勘が鈍っていました。

 しかし懐かしい限りです。値段はそこそこでしたが、こじんまりした上品なお店で、もとは知り合いがアルバイトをしていたのです。

 創立した頃は、何せ仕事のスピードが遅いので、お金もあまり無く、自然と自炊するようになりました。

 空腹を満たすのに、納豆ご飯をおかずにして、大盛の白ご飯を食べたりしていました。

 何とか一つの物件が竣工した夜には、ちょっと奮発して外食していたのです。それが年に1回か2回。楽しみにしていた店だったのです。

 よくある苦労話になってしまいました。しかし、小料理屋とはなんと控えめで奥ゆかしい日本語なのか。

港・横浜150年

 火曜、水曜と、横浜へ出張に行っていました。

 新大阪-新横浜は新幹線で約2時間。

 JR、地下鉄と乗り継いで、みなとみらいというエリアへ。日本丸越しに、インターコンチネンタルホテルが見えます。

 このあたりは、日本一高いランドマークタワーや、パシフィコ横浜など、大きな商業施設が建ち並びます。 

 今年は横浜開港150周年で、そのイベントが開かれていました。

 鎖国中の日本に、1853年ペリーの黒船来航。1858年ハリスとの日米修好通商条締結。そして1859年の開港となったのです。

 その際に開港されたのは、長崎、函館、新潟、神戸。ここから少しずつ開国は進んで行ったのです。

 その雰囲気は街並みにも見て取れます。

 これは中心部の馬車道通りにあるガス灯を模した街灯。

 1872年、日本で初めて、ガス灯に火が灯ったのはこの地。他にも、新橋-横浜間に初めて蒸気気機関車が走りました。

 これらの話しは、全てタクシーの運転手に聞きました。

 関東のタクシーは愛想が……などとも聞きます。今回乗った2台は、ともに気さくな人でした。

 運転手がムスッとしていると、知らぬ街に来たワクワク感も台無しです。距離が短かい時は、こちらも申し訳なく思っているのですから、せめて普通でお願いしたいのです。