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『華氏451度』名著・戦慄・ネタバレ‐2357‐

消防士は英語で”fireman(ファイヤーマン)”か”firefighter(ファイヤーファイター)”。

しかし『華氏451度』の中でのファイヤーマンは……

『華氏451度』は1953年にレイ・ブラッドベリが発表したディストピア的未来を描いた小説です。

華氏451度は摂氏に換算すると約233度。
紙が自然に発火する温度です。

ディストピアはユートピアの対義語。
理想郷の反対なので自由のない暗黒社会等を指します。

小説や映画は、前向きなものを好んで選ぶので、手に取るにはハードルの高い本でした。
しかし、SFの傑作という論評もよく目にし、ずっと気になっていたのです。

思い切って手に取った表紙は重々しい。

前半はやや苦戦しましたが、後半は本当に凄かった、というのが感想です。

舞台は、書物が禁止された世界。

書物を焼き尽くす仕事「昇火士(ファイヤーマン)」として働くモンターグという男が主人公です。

まず「ファイヤーマン」を「昇火士」と訳しているところから度肝を抜かれました。
これは翻訳家の力量ですが。

焚書は、秦の始皇帝やナチス・ドイツが行った、卑劣な思想弾圧です。

それを実行し、異端者を探すことを仕事とする「昇火士」モンターグですが、書物を焼き尽くすうちに、違和感を感じ始めます。

となりに越してきた、クラリスという17歳の少女の「あなたは幸せ?」という質問によって、さらにそれは加速しました。

「昇火署」での上司であるベイティー署長は、モンターグの異変を感じ、何度も諭す場面があります。

その言葉は、シェイクスピアや聖書などの一節を次々と引用し、何とかモンターグを現実社会に留まらせようとするのです。

ただ、その博学さは、大変な読書家を想像させるところが、何とも言えず奥深い……

ベイティは、書物を隠し持っていたモンターグの自邸を焼き払うよう、本人に指示しました。
しかし、モンターグは「昇火器」を最終的にはベイティに向け、焼き殺してしまいます。

そして都市から逃亡することになるのです。

政府から追われる身となったモンターグは、元教授のフェイバーのもとへ逃げ込みました。
そこで「本に書かれた考えを自分の中に残すことが重要だ」と教えられました。

川を伝って都市から逃れたモンターグ。
森の中で同じく政府から逃れる知識人達と出会います。

彼らは本を暗記し、歩く本となってそれらを残していこうとしている集団でした。

戦争状態となった社会は、最終的には崩壊しました。

彼らが静かに都市へと向かうところで物語は終わります。

中盤、ベイティーがこの世界の成り立ちを語る場面がありました。

この世界は、弾圧によって始まった訳ではなく、「考えさせられるもの」を排除していった結果に生まれた世界だったのです。

名著は示唆に富んでいます。

しかしこの行は、そのレベルで読み流して良いものではない、うすら寒いものを感じました。

インターネットが登場した際の衝撃はかなりのものでした。
AIの登場はそれに優るとも劣りません。

輝かしい情報収集能カを持っていることにどんな価値があるのか……

レイ・ブラッドベリが危惧したこと、伝えたかったことを、私が僅かに感じれたとしても、世の中がそう変わることはありません。

ただ、感じ取れる機会が極めて少なくなっていることを、更に危惧させられました。
まぎれもない名著だと思います。

特に若い人にお勧めしたい一冊です。

■■■7月5日 NHK『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』「回遊できる家」が紹介されました■■■

■■5月8日『ミラタップ』のカタログ「ドッグランのあるタイル床の家」の写真が掲載されました■■

■10月1日『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」が掲載されました■

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大腸、すい臓異常なし。そのまま絶品焼肉へ‐2356‐

阪急園田にやってきたのは、ほぼ2年振り。

駅の北口を出て徒歩3分。

工事中には何度も通った「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」にやってきました。

2024年の9月17日の一粒万倍日に開業したので間もなく2周年です。

蔵書は院長の江口さんとご縁のある方からの寄贈です。

現在、大阪中之島美術館で展示されているフェルメール「真珠の耳飾りの少女」の作品集が増えていました。

今回は私自身が検査を受けるための来院です。

胃カメラ、大腸カメラの経験はありますが、超音波内視鏡は初めて。

前日の夜から当日の昼までに、規定の下剤も全て服用し、準備万端です。

喉の麻酔がちょっと苦かったですが、「前処置スペース」にあるリクライニングチェアの座り心地は非常によく、リラックスして待っていました。

内視鏡室に移動し、超音波内視鏡によるすい臓、胆道の検査、その後大腸カメラによる検査を行います。

検査自体は、それぞれ15分ずつの30分程。

鎮静剤が徐々に効いてくるので、気が付いた時には全て検査は終了していました。

検査自体の苦痛は全くありませんでした。

検査後、鎮静剤が醒めるまで1時間ほどリカバリーエリアで横になって過ごします。

妻も同じ検査を受けたので、その結果を説明してもらいました。

大腸の検査は10年前くらいに一度しました。

最近大腸がんのことをよく聞くので「大腸はとっても綺麗ですよ」と聞くと、まずは一安心。

すい臓がん、胆道がんは初期症状が殆どなく、発見が難しい病気です。

発見が難しい理由は、すい臓と胆道は胃の後ろにあり、検査する方法がかなり限られているのです。

超音波内視鏡は、内視鏡にエコー(超音波)がついており、胃のすぐ後ろにあるすい臓や胆道を胃から画像で診察することができるのです。

院長の江口さんは、これらの医療に長く携わってきた専門家。
夫婦とも問題無しとのことで、さらに安心しました。

ただ「保証期間は2~3年という感じでしょうか」と。

超音波内視鏡と大腸カメラを合わせて1万4千円くらいなので、やはり定期的に受けるべきだと感じました。

至って健康と分かり、そのまま会食へ。

今回は、クリニックのすぐ近くの「焼肉まる喜」さんを予約してくれていました。

まず、ナムル、キムチとセンマイを頼みます。

「花乃牛」とブランドの札がついています。

「大和牝牛」。

こちらは「鳥取いなば万葉牛」。

母の祖父の血統までついていました。

どれもが最高級の黒毛和牛の雌牛で、美味しい以外想像ができません。

ただ、一番驚いたのは焼き方の概念にまで踏み込んでいることです。

この遠赤外線無煙ロースターは、細いパイプに高温の熱湯が流れており、適温で肉を焼き上げていきます。

煙も出ず、焼いた際には起こり得る過剰な焦げは全くできません。

香ばしさを楽しむのではなく、本当の牛肉の旨味を極限まで引き出すことを今もずっと考えていると、店長は言っていました。

極上の焼き肉を頂いた締めは冷麺。

美味しいお肉のフルコースとワインまで飲んで4人で5万2千円程。

もう楽しすぎる夜でした。

ただ、前日の21時から絶食していたからか、かなり酔ってしまい……

店長も一緒に入って貰いましたが、私は完全に酔っぱらいの顔。
お恥ずかしい限りです。

計画時から、絶対に大繁盛クリニックになると信じていましたが、2年が経ちそれが現実となっています。

美味しい料理を食べながら、そんな話しが聞けるのは至福の時間。

その上、健康の後押しをして貰ったので気分的には最高です。

超音波内視鏡は非常に高価なもので、民間のクリニックで備えているところはそう多くないと思います。

オーバーホールではありませんが、一日食事を抜いて、体内の全てを出し切って、検査をして貰うのはとても気分が良いことだと分かりました。

今回の体験をもとに、また江口さんに話を聞き『 建築家・守谷昌紀TV』で配信したいと思います。
ここでお知らせするので、良ければご覧ください。

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台湾の旅③ <台中から台北、フォトジェニック九份編>‐2349‐

8月8日(土)から8月11日(祝・火)の台湾の旅。

今回は3日目、8月10日(月)の台中から台北編です。

早めに目が覚めたので、予定より1本早いバスを待ちます。

前日は、台湾高速鉄道(THSR)の台中駅から路線バスで中心街に入りました。

1時間くらい掛かりましたが、調べて見ると、急行のようなバスがあることが分かりました。

前日の夕方、念のため下調べに行くと、専用のバス停があるようです。
この格好いい停留所から、「151延」が出発しているのを確認しておきました。

一番前に並んでいたので、乗車する際に「High Speed Raiの駅まで行けるか?」と運転手に聞くと「No!」と。

「んっ?」となりましたが、やむなくその便をやり過ごします。

どう考えても間違ってないよなと思い、次の「151延」という表示の次のバスに乗ると、20分くらいで台湾高速鉄道の台中駅に到着。

英語が通じなかったのか、答えないという意味なのか未だに「No!」の意味は分かりませんが。

無事、予約していた便に間に合ったので良しとします。

台湾は九州くらいの大きさで、ユーラシアプレートの下にフィリピン海プレートが潜り込む所に位置します。

その運動によって盛り上がった山地が概ね東側にあり、西側が平地という構図になっています。

川の流れは緩やかな所が多く、ゆっくりと山肌を削られたような地形も多かったです。

台湾高速鉄道の台北駅に到着すると、観光地である九份へ向かうバス停を探します。

台北近くまで来ると台湾高速鉄道は地下にはいります。
Googleマップには100mと出ているのですが、地下にいる時はGPSが効きません。

それで「バスステーション」の案内板をたどっていくと、台北のバスターミナルに行きつきました。

受付で聞くと、「そのバス停はTHSRの台北駅のすぐ上にある」と言っているよう。
地上ルートで、殆ど同じ場所まで戻ってきました。

Googleマップを有効に使うには、すぐ地上に出るに限ります。

台北から東へ40km程行ったところにある九份まで、急行バスで1時間弱でした。

都心部から高速道路に乗ってアプローチするのですが、郊外の街並みも望むことができます。
首都である台北とは全く違った風景に変わっていきました。

九份はかつて金鉱山として栄えましたが、1971年に閉山すると街は廃れていきます。

しかし1980年代後半に映画の舞台となったことから、人気観光地となります。

斜面に貼りつくような街並み、美しい山と海を望む景色、石段のある風景は、極彩色の尾道といったところでしょうか。

レトロな建物が人気ですが、最も人が集まっていたのがここでした。

細い坂道や階段が山肌を縫うように広がっており、歩きごたえは十分です。

夜も更に美しいようですが、1時間程歩いて、フォトジェニック九份を堪能しました。

再びバスで台北に戻ります。

台北の中心街を通り過ぎ、西側に位置する西門までやってきました。

台湾エキスパートから、同性ラバーの聖地と聞いてきたのですが、それを感じることはできませんでした(笑)

「阿宗麺線」で昼食を取ります。

小が70元で大が85元。

出汁が効いた素麺のような感じです。

日本人が食べやすいお味でしたが、プラスチックレンゲは麺が跳ねまくり。
やはり麺は箸が一番です。

その後、台北101エリアを回ったのですが、天気がもうひとつだったので翌日再訪しました。
翌日は晴れたので、次回の写真をUPします。

ねじれマンションが本当に凄かったのです……

ホテルにチェックインし、夕食を取るために再度街へ出ます。

夕方からスコールのような激しい雨が降ってきたので、「人気店でも空いているかも」と、遠東そごうの台北復興館へ向かいました。

阪急うめだ本店にも支店のある鼎泰豐(ディンタイフォン)。

言わずと知れた小籠包の名店です。

元々あった本店は、テイクアウト専門になったようで、最後の夜くらいはとのぞいてみました。

閉店30分前でこの列でした。
聞くとすでに予約番号を持っている人だけでこの人数。

見立てが甘すぎたと思い、さっさと退散しました。

私には屋台で十分と寧夏夜市まで移動。

到着する頃には、雨も小降りになってきました。

お腹が減りすぎていたので、まずは豚肉丼?80元。

甘辛く炊き込まれた豚肉はとろけるようで、一瞬で完食。

もう1軒と思い今度は店に入りました。

妊婦の店員さんが「カキのオムレツがとても美味しいよ」と言っている感じだったので頼んでみました。

見た目はこんな感じで、全く愛想なし。

味は、悪くはないかなというレベル。

台湾ビールは、昔タイで飲んだシンハーやベトナムで飲んだ333と同じ系統の飲み口。軽くて飲みやすい。

何本でもいけます。店で飲めば100元くらい。スーパーなら30元くらいでしょうか。

ビール2本を含めて300元くらいでした。

そのまま屋台で買い食いして、ホテルに戻りました。

最後の夜なので、ちょっと良いものを食べようかと思ったのですが、それは叶いませんでした。

前日の夜に次の街のリサーチレベルなのでそれも仕方ありません。

知らない街の空気を吸い、地元の屋台で安い食事をするのが一番楽しいので、来られただけで満足です。

2004年にこの日記を書きはじめて、20年以上になりました。

「写真」にはこだわってきたつもりですが、SNS時代に入り、文章の重要度は下がり「写真」「動画」の一発勝負になった感は否めません。

これだけ長い文章を書いているということは、時代にはついていけていないと思っています。

でもいいのです。伝えたいことがあるうちは、何でも書いてみようと思うのです。

長かった4回シリーズですが、次回が最終回。よければもう1回お付き合いください。

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台湾の旅② <高雄から台中、一番美味的「肉圓」15元編>‐2348‐

8月8日(土)から8月11日(祝・火)の4日間で台湾を旅してきました。

今回は2日目の高雄、台中編です。

高雄の中心街をはずれた建物は、こんな感じですが1階の道路に面したところには、回廊のような空間があります。

「騎樓(チーロウ)」と呼ばれるものですが、車やバイクが置いてあったりして、通り抜けられない場合もあります。

そのあたりの曖昧さが、何とも台湾らしいと感じます。

高雄は特に多かったですが、信号の上に待ち時間が表示されているものがほとんどでした。

やはり大阪的、セッカチ気質なのでしょうか。

2日目も早起きしてMRTの美麗島駅へ。

真っ赤にライトアップされた夜景は前回紹介しましたが、地上部は高松伸の設計です。

一駅北の高雄駅から、赤い提灯で知られる三鳳宮のすぐ近くの三民第一公有市場まで歩きます。

うっかりしていると見逃しそうな入口が、雑居ビルの1階にありました。

市民が利用している市場は、一番気になります。

奥に抜けると、通り両脇にもずらっと店舗が並んでいます。

「肉圓」の文字がある屋台を見つけました。

実は台湾エキスパートに、いくつかアドバイスを貰ってきたのですが、その店のようです。

初めに頼んだのは、魚の団子スープ30元だったようで、追加で「肉圓」を1個だけ頼みました。

この「肉圓」はとろっとした触感の皮が独特で、中には餃子の具のような物が入っています。
醤油ベースの餡も合わせて素晴らしく美味しかったです。

合わせて45元ということは「肉圓」は15元。
全部で450円くらいです。

台湾は安くて美味しい国のようです。

高雄の中心部と違って、少し裏路地に入ると、質素な暮らしも垣間見えます。

最後に訪れる台北郊外の高級マンションと比べると、かなりの所得差があるのは間違いないようです。

どの国も、大なり小なり同じ問題を抱えているのですが。

今回からスマホを使えるようにしたのですが、その中で一番価値があったのはやはりGoogleマップ。

海外でバスに乗っている時、今どこに居るのかが分からないのが普通。

それで、運転手のすぐ後ろに居て「このバス停は〇〇か?」としつこく聞くことになります。

それがどこを移動しているのかが分かるので、もう劇的に違います。

しかし台湾のバス事情はややローテクで、乗りたい時は大きく手を挙げないと止まってくれないし、呼び鈴を押していたのに、1駅過ぎて止まったこともありました。

そのお陰で降車することになった中央公園駅付近。

一駅戻るために歩いていると、公園内でリス?に遭遇。

良いこともあるものです。

中央公園駅から、高雄市の東に位置する「衛武営国家芸術文化センター」までやってきました。

2018年の開業でMRTの高雄駅も設計したオランダのメカノーが設計しています。

しかし規模が大きすぎて、裏まで回る気力がなく……

着陸寸前の飛行機から撮った写真です。

初見でしたが、おそらく「衛武営国家芸術文化センター」だろうと分かるくらいの大きさだったのです。

お楽しみの昼食は中心街に戻る途中の「阿霞焼肉飯」で。

11時過ぎに着いたので、まだ混んでいない感じ。

焼肉飯と蛤のスープで100元。

スープ物はどこでもそうでしたが、かなりあっさり目で、生姜が効いているとても優しい味です。

焼肉飯は豚肉を甘辛く味つけて炭火で焼いたもの。

びっくりする味ではありませんが、日本の〇〇屋よりはこちらが好みです。火で炙っているひと手間でこちらに軍配なのです。

昨日、MRTからは見えたのですが、実際には写真を撮れていなかった、「高雄港クルーズターミナル」を再訪しました。

Reiser+Umemotoと、台湾の宗邁建築師事務所による共同設計で2024年に開業しました。

遠目に見ただけですが、そのフォルムに魅了されてしまいました。

MRTは、主に地下を走る路線と地上を走る路線がありますが、地上を走る路線は、電気を供給する架線が基本ありません。

駅の所にだけあり、そこでパンタグラフが上昇し充電しているよう。
最新のシステムなのでしょうか、ちょっと驚きました。

高雄市は西側が海なのですが、巨大建築が目白押しな上に、海岸地域によくある猥雑さを全く感じません。

早めの昼食は取りましたが、近くに小籠包が美味しいという「龍袍湯包」があったので高雄飯の仕上げです。

看板にカタカナが振ってあるくらいなので、日本人を十分意識しています。

台湾はクレジットカードを使えないところが、思いのほか多かったです。

屋台ばかり行っているというのもありますが、ここはカードOK。それどころか、QRコードで注文しました。

150元の価値は間違いなくありましたが、私的には15元の「肉圓」のほうに旅情を誘われるのです。

駅の方に歩いていると、ロータリーにそった形が面白い巨大建築が。

日本に戻って調べてみると、オランダのUNスタジオが設計した「大立デパート」で1997年完成のようです。

で、「MRT中央公園駅」は、プリツカー賞を受賞しているリチャード・ロジャースの設計。

2008年の開業です。

地下に向って、エスカレーターと滝が下っていく景色は、なかなか見れないものです。

台湾版新幹線の台湾高速鉄道は Taiwan High Speed Rai でTHSRと表記されていました。

台湾高速鉄道の左営駅から台中へ向かいます。

1時間弱の快適な移動でした。

台中は特にですが、台湾高速鉄道の駅は中心街から離れていることが多いのです。

バスは鉄道と違って、聞ける人運転手しかいないので、英語が通じる人と、通じない人とでは、得られる情報が全く変わってきます。

台湾は漢字圏なので何とか通じるのかなと思っていたのですが、発音が日本と全く違うので、会話で伝えるのは、ほぼ無理でした。

Googleマップは漢字表記とアルファベット表記が混じっているので、見せても分からないことも多かったです。

ただ、何番のバスに乗るかがでるので、その数字頼みという感じです。

南国のスコールのような激しい雨のなかを1時間くらい掛けて市内までバス移動。

どうやら路線バスだったようで1時間ほど掛かりました。

それでも、無事「台中国家歌劇院」までたどり着きました。

伊東豊雄の設計で2016年の開業です。

音の洞窟をコンセプトに外部と同じく、内部空間も曲面によって構成されています。

壁と柱の境のない構造ですが、緩やかに立ち上がる壁の際に水路を通し、動線を処理している点は秀逸でした。

その足でホテルにチェックインし、「逢甲國際観光夜市」にくりだします。

座って食べれそうな、台湾おでん?らしき屋台があったので、ここで遅めの夕食にしました。

具もひとつ30~40元くらいで、自分で選びます。

筋肉、てんぷら、キャベツの肉巻きのようなものまであります。

良く見る半透明の細い麺を店員が「入れるか?」と聞いてきたので、「入れて」と。
全く伸びる様子もなく、何でできているのでしょうか。

旅にでると不足がちになる野菜もたっぷり補充できました。

暑い中、知らない街の屋台で、雑踏の中で取る夕食が、私にとって一番のご馳走なのです。
お代は占めて250元。

本当に安上がりな人間なのですが、台中の夜は更けていきます。

この日で一番おいしかったのは「肉圓」1個15元でした。
屋台のおばさんは英語での金額も理解してもらえなかったですが、人柄が滲みでていました。

次回は、いよいよ台北へ。


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国宝・犬山城と街グルメ‐2341‐

前回、ちらと書いたのですが、海の日は愛知県犬山市を訪ねました。

名鉄名古屋駅から特急で犬山庭園駅まで30分程。

15分くらい歩くと犬山城が見えてきます。

小高い丘を登って、天守閣の下までやってきました。

石垣は自然石を積んだ野面積みです。

この日は結構混んでいて、天守閣に入るまで1時間程並びました。

急な階段を3層登ります。

この角度なので、降りる時は後ろ向きの人もいました。

3階には国宝5城の写真が展示されていました。

松江城、姫路城、彦根城、松本城と犬山城ですが、 最も古いのが犬山城です。

室町時代の天文6(1537)年に織田信長の叔父である織田信康によって築かれました。

最上階の4階まで上がってきました。

国宝5城の中でも、最上階の外に出て一周できるのは犬山城だけです。

その手摺の低さも強烈。

髙い所が苦手な私には罰ゲームレベルです。

眼下に木曽川を見下ろす眺めは絶景でした。

建築の専門家として言わせて貰えば、あの手摺のまま、誰もが回廊に出られることが、ずっとは続かない気がします。

行くなら早め、犬山城です。

すぐ東にある、有楽苑にも寄ってきました。

建築家、堀口捨己氏が監修した日本庭園ですが、園内には、こちらも国宝の如庵があります。

織田信長の弟、織田有楽斎(うらくさい)が京都で建てた茶室で、待庵、密庵と共に、茶室として国宝に指定されています。

年に数回ある特別見学会では内部を見ることができます。

そのためだけでも来る価値がありそうです。

その後、城下町を歩いて名鉄犬山駅に向かいました。

城下町に漂う、食欲を刺激する匂いの全てを我慢して、駅前の「角屋」までやってきました。

自家製麺のきしめんは650円。

ボリューム満点の味噌かつ定食は1400円。

きしめんは、関西風の出汁より魚の味がしっかりしています。
何杯でもいけそうな優しいお味でした。

味噌かつは、甘めのタレでご飯が進み過ぎます。

特にきしめんの出汁が素晴らしかったので、店員さんに「この出汁、味がしっかりして、凄く美味しかったです。何で取ってるんですか?」と聞いてみました。

「ありがとうございます。ただ、出汁は企業秘密なので言ってはいけないことになってるんです、すみません」と。

それはそうだなと納得しました。

帰り際に、女将さんがでてきてくれたので、出汁が美味しかったことを伝えると「〇〇と〇〇でしっかりめに取ってるんですよ。創業昭和26年で、微調整はしますが基本的に全く変えてないんです」と。

あれっ、教えてくれるんやと(笑)

やっぱり旅は、食と人です。

大満足の犬山城と犬山街グルメでした。

犬山城を訪れたなら、車の人も駅前の「角屋」を絶賛、お勧めしておきます。

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だから私は嫌われる‐2334‐

昨日は、昼過ぎからフラッと京都へ。

大阪-京都は新快速で29分。スピードならやはりJRです。

妻は三十三間堂に行ったことがないらしく、6年振りの再訪です。

私は3回目くらいでしょうか。

大雨の後だったので、緑は生き生きとしています。

正式には「蓮華王院」。

後白河上皇が、1164年に平清盛に命じて作らせましたが、現在の本堂は1266年に再建されたものです。

三十三の柱間があるので三十三間堂と呼ばれますが、長さ120mあるので、一間は3.6m程になります。

一般的な一間の1.8mではありませんでした。

本堂自体が国宝で、内部空間も仏像も素晴らしいのですが、残念なのは内部撮影が全て不可であること。

本尊の千手観音座像はじめ、1001体ある千手観音立像は全て国宝です。

雷神・風神像や、観音二十八部衆像も全て国宝。

水晶をはめ込んだ「玉眼」は、仏像に命を与えているかのようです。

五眼を持つ音楽神、「摩睺羅像」は音楽神だけに琵琶のような楽器を持っています。
その特異さと躍動感に少しの間、立ち止まって眺めていました。

「摩尼跋陀羅像」は満賢と共に大衆を守る善神。
そのハンサムさに、ほれぼれする程です。

何とか、フラッシュ禁止などで応対してもらえないものでしょうか。

日本の文化の深さを世界に示すことになると思うのですが。

西側に回ると、「通し矢」の舞台となった「西縁」があります。

南端から北端まで射通した矢の数を競う「大矢数」は、江戸時代に大変な評判になりました。

一昼夜24時間、矢を射続けるのですが、中央あたりの垂木に1本の矢が刺さっていました。

これは当時のものなのでしょうか。

矢の飛んでくる方向にだけ、柱や肘木に鉄板が貼られています。

本堂の柱や軒を守るため、徳川家光が付加したものです。

ここで、片肌脱いだ侍が一心不乱に矢を射ていたと思うと、ちょっとコミカルな感じもするのです。

閉館時間になったので、三十三間堂を後にしました。

帰り道、すぐ近くにあった和菓子屋さんに入りました。

インバウンド価格かなと入ってみたのですが、そうでもなく、和菓子を購入し帰路につきました。

帰りは京阪七条から乗ったので、ちょっとぜいたくプレミアムカー。

500円が高いか安いかは別にして、何ともありがたいシステムです。

うつらうつらしながら車窓を眺めていると、守口市駅を過ぎたあたりで黒煙が見えました。

淀川の北あたりでしょうか、かなりの高さまで煙が立ち上っています。

日曜日の夕方。最もリラックスしている時間帯だろうに、大変なことです。

先週、青森と山梨で大きな地震がありました。
ベネズエラでもマグニチュード7を超える地震がありました。

地球の内部はマグマですから、いつどこで何が起こってもおかしくありません。

天災を語るとき、その警句がよく引用されるのが、物理学者であり、文学者である寺田寅彦です。

こんな言葉も残していたようです。

何度か紹介しましたが、10cm程の小さな催涙スプレーです。

飛距離が2~3mで、護身用の唐辛子スプレーですが、別に熊専用もあります。2つは持てないし、唐辛子スプレーなので熊にもある程度効くのではと勝手に思っています。

山間部に出掛ける時、家族が持てるよう4つ購入し、高音が出るホイッスルと共に常備しています。

ゴルフをする人、山間部でキャンプをする人には、何か熊対策をするよう勧めるのですが、多くの人は「ハイハイ、分かりました」というリアクションです。

自然の中で、人ほど弱いものはそうありません。
それゆえ、槍、弓矢、銃などを発明、改良してきました。そして、弓矢の腕を磨いたのです。

「こんなところまで」という場所に熊がでています。

笑われても、狂人扱いをされても構いません。
本当に熊がでたら、もしそれで自分が大けがを負ったとしたら家族は……と考えて貰えればと思うのです。

勿論、私が万全という訳ではありません。
ただ、無抵抗のまま熊にやられる訳にはいかないと思っているだけです。

妻には、「そんなことばかり言ってるから、嫌われるのよ」と言われます。
自分でも、そうなんだろうなと思いますが。

先の土産物屋さんで買った「お茶々餅」。864円でした。

こしあんを餅で包み、宇治の抹茶きな粉で仕上げた和菓子です。
値段も含めて満足できました。

面倒な話しをしましたが、意外に安いお土産情報に免じて許してください。

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上町界隈の名店⑥「大阪の味 割烹とんぼ」‐2312‐

実施設計の最終段階にはいったプロジェクトが「どんな日でも遊べる家」です。

クライアントから、CG公開のOKを貰ったのでUPしてみます。

なぜどんな日でも遊べるかを、良ければご覧ください。

昨日の昼食は、近所にある「割烹 とんぼ」へ行っていました。

創業180年の老舗割烹に行ったのは、日曜日の昼食くらいは贅沢しようと決めたので……というのは冗談で、町内会の総会があったからです。

集会場が少し遠く、町内にある「割烹 とんぼ」で昼食を取りながらが恒例だそうです。

こちらに越してきてすぐに買った「あまから手帖」の2025年1月号。

表紙がこの店の料理だったので、とても楽しみにしていました。

豆ごはんセット2420円、かき天丼1760円、うなぎ丼2750円のメニュー札が掛かっていました。

嫌が上でも期待は高まります。

2階の堀ごたつ形式の和室で、18名での会食でした。

ほたるイカからスタート。

お造り。

煮物と続きます。

そして鯛の煮付け。

煮物はどれも甘めで、箸が進みます。

男性陣は飲んでいる人が大半でしたが、戻ってから仕事があるので、ここはグッと我慢です。

両隣りは面識がありましたが、ほぼ皆さん初対面です。

長くこの地に住んでいる方が大半で、上品な方ばかり。

私達でも「若い」部類に入るということで、とても暖かく迎えてもらいました。

店前のメニューにかき天丼がありましたが、かきの天ぷらは味が凝縮した感じで、大変美味しゅうございました。

「包丁一本晒にまいて」で始まる「月の法善寺横丁」のモデルはこの店の先代だという話や、作家・藤本義一がこの店を贔屓にしていたとか、江夏豊など阪神の選手もよく来ていたとか、面白い話を沢山聞かせてもらいました。

女将さんに「何が一番お勧めですか?」と聞くと、「タコの桜煮です」と。

あまから手帖の表紙になるくらいなので、それはそのはずです。

タコの煮ものがあったのは分かっていたのですが、おしゃべりに夢中で、写真を撮り忘れてしまいました。

痛恨の極みですが、来年も参加する理由ができました。

クライアントから新築しするための土地探しから相談を受けることもありますが、「ご近所さんは選べないので、できれば頑張ってコンタクトを取ってみてください」と伝えます。

しかし、自分が購入した時は、言ったことを全く実行していませんでした。

雰囲気を見ただけで、絶対に良い人ばかりに違いないと確信していました。

自分が住む街を好きな人が多ければ多いほど、街の雰囲気はよくなります。それを実感できた町内会の総会でした。

本の中では4ページに渡って、由緒が紹介されています。

現在の大将は5代目で、息子さんである6代目に引き継ぐのもそれ程先ではなさそうです。

大阪の味を繋ぐ「割烹 とんぼ」。

私の手絡では全くありませんが、そんな店が町内にあることを誇らしく思います。

帰り道も、街の説明をしてくださるご近所さん。

私の直感が正しかったことを確信できた日になりました。

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

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30km地点、まさに正念場‐2290‐

昨日は朝から大阪城公園を偵察してきました。

12時頃スタートする、大阪国際女子マラソンの準備がすでに始まっています。

同時に開催される、大阪ハーフマラソンは大阪城公園がスタートで、長居公園がゴールです。

こちらには戻ってこないので、手荷物トラックがそれらを運んでくれるようです。

そのトラックが並ぶ姿は壮観。

太陽の広場は、参加者、スタッフでごった返していました。

1kmごとの目印のようです。

言ってみれば1日だけの即席コースですから、運営に関わる人は、大変な数になることがよく分かりました。

昼前になってくると、警察官の姿も増えてきました。

前回、同じブロックに中間点があると書きました。

その場所に計測器をセットしています。

タイムの掲示板も設置されました。

12時前には車通りもなくなり、準備万端です。

13時24分頃、白バイの先導で先頭集団がやってきました。

黄色のゼッケンはペースメーカーで、赤のゼッケンが招待選手です。

1位はパリオリンピック7位、ウガンダのチェサン選手。

2位はマラソン初挑戦の矢田みくに選手。

その後ろには大会2連覇中の、エチオピアのエデサ選手。

更に、上杉真穂選手、エチオピアのヒルパ選手、伊澤菜々花選手と続きます。

この時点で2位の矢田みくに選手ですが、この後、2時間20分を切っている外国人選手の前に出て、果敢にレースを引っ張ります。

解説の女子レジェンドランナー達も、驚くようなレース展開になっていきます。

30km手前までは、全く上体がぶれず、笑顔さえ見せていたのです。

結果はご存知の通り、初マラソン日本最高タイムの2:19:57で4位。歴代でも6位という凄い試合でした。

と、ここまで書いたということは、最初から最後まで、中継に釘付けでした。

特に、35kmを過ぎたあたりで海外勢がスパートをかけた後、一旦離されます。

パリオリンピック7位の実力は流石で、ウガンダのチェサン選手が他の選手を引き離しトップで長居公園のスタジアムへ。

しかし、そこから盛り返して2位、3位争いを最終のトラックまで持ち込んだ姿は、感動しました。

解説の女子レジェンドランナーの誰が言ったかは覚えていませんが「ここまで粘った日本人を見たことがない」と涙ぐんでいたのです。

その矢田みくに選手は元トラック競技の選手。沿道の声援という、トラック競技にはない雰囲気が「キツい中でも幸せでした」と。

ロスオリンピックへ向けて、ワクワクするような選手が現れました。

前回、私が唯一名前を知っていると書いた大阪出身の松田瑞生選手。

思ったように体が動かず、2:26:16で7位。

号泣し、「親友」と語る監督の胸を叩く姿が何とも……

中盤から遅れはじめ、厳しい1人旅となりましたが、諦めず走り、オリンピックへの挑戦権は手にしました。

ただ、今後どうするかは未定とのことでした。

勝負の世界は、情け容赦がありませんが、無いからこそ、達成感、充実感が別次元になるとも言えます。

まだ30歳、悔いを残さないような結論を出して欲しいですし、自分のために良い結論を出して欲しいものです。

多くのスタッフ、ボランティアの皆さんが居てこそ成り立っているはずです。

私も微力ながら、市民ランナーが給水後にすてたペットボトルだけ回収しておきました。

すでに来年の日程が気になっています。

ニューヒロインの矢田みくに選手は26歳、30kmを過ぎると流石に苦しそうな表情になりましたが、それでも、世界の強豪選手の前に出ようとする姿は、凛々しく、本当に格好良かった。

偶然目の前を走ると知って見たマラソンですが、全て見たのが初めてなら、目頭が熱くなったのも初めてです。

いっぺんに矢田選手のファンになりました。

マラソンはよく人生に例えられますが、私の人生に置き換えてみれば、25kmから30km地点あたりでしょうか。

まさに正念場ですが、とても大きな勇気を貰いました。

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大阪国際女子マラソン中間点‐2289‐

一昨日、「ささき整形外科クリニック リハビリ棟」【ルームツアー】<Public>を公開しました。

2021年の8月17日に『建築家・守谷昌紀TV』をスタートして、最も視聴されているのが「H型プランの平屋」【ルームツアー】で5万6千回。

最も少ないのが先の動画で31回(投稿時調べ)です。

どんな内容が一番求められているのか、未だに全く分かっていませんが、それでも4年半掛けて、登録者が997名になりました。

できれば、区切りの1000人に到達したいものです。

先日、御堂筋を通ると大阪国際女子マラソンの立て看板がでていました。

この日曜日に開催される、日本代表選考にも関わるG1グレードの大会です。

コースや通過予想時刻も詳細に発表されています。

往路が赤線で、長居公園を12時18分にスタート。大阪城北あたりをぐるっと回って南下します。

玉造まで戻ると、長堀通を右折し西へ向かいます。

復路は青線で、その中間点が丁度アトリエの前あたりでした。

左に見える大きなベージュのマンションの奥に少し見えているのがプラウド天王寺清水谷。

中間地点と記載されている建物です。

大阪国際女子マラソンは、比較的アップダウンが少なく、高速コースなのだそうです。

しかしその中でも、往路(赤)と復路(青)のつなぎ目、中間点前後に大きな高低差があることが分かります。

20km地点の玉造から登りはじめ、21km附近の上町筋(上本町1丁目)で上町台地を越え、22km地点の松屋町まで一気に下ります。

文字通り中盤の山場なのです。

上町筋あたりから玉造のある東を見た写真ですが、ここまでずっと登りが続いているのです。

長堀通の北側を通るなら、アトリエのある2階から、直下の選手を応援できます。

南側なら反対車線側ですが、それでも十分近い距離です。

折角なので、応援したいと思っていますが、あの小さい旗はどこかで配っているのでしょうか。そこがとても気になっています。

レース中は、駐車・停車も禁止。それはそうでしょう。

ただ、長堀通の北側車線(アトリエ側)はオレンジの片側通行規制となっており、車を出すことは無理のようです。

また、歩行者や自転車での横断は、地下通路か歩道橋のみとあり、実質オレンジの枠の中に軟禁状態です。

年に1回、この日は絶対打合せを入れては駄目な日があることが分かりました。

出場選手を見てみると、名前を聞いたことがある選手は、自己ベスト2:20:42の松田瑞生選手くらいでした。

住吉区の遠里小野が出身で「なにわの腹筋女王」と呼ばれているとありました。

13:24から13:47が、通過予想時刻。

高い所から失礼して、応援しようと思っています。

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1983年3月6日中学入試‐2288‐

昨日は同級生と一緒に高槻へ行ってきました。

京都と大阪の真ん中にあり、大学の誘致にも成功しているとあって、阪急、JRともに駅前は活気があります。

母校へも足を伸ばしてみました。

私達が通っていた頃とは、すっかり様変わりしています。

立て看板を見ると入学試験の当日のよう。

流石に入るのは遠慮しておきました。

「高校は別日程なんだろうね」と同級生に言うと「今は誰も出ていかないので、高校で補充はしていないよ」と。

私達が受験した1980年代は、関西の私学の中で、唯一試験日程がずれており、受検を失敗した学生の受け皿となっていました。

どこかを不合格になって入学しているので、第1志望にしていた学生は皆無。それで、高校に上がる時点で、1割くらいの生徒が、高校受験に挑んでいました。

灘や洛南などに再度挑戦し、合格した同級生が結構いたのです。

現在は、もっと人気校になっていると聞き、卒業生としては嬉しい限りです。

かなり減った年賀状ですが、11月・12月には、喪中はがきが5通ほど届きました。

そのうちの1枚が、毎回同窓会に参加して下さった、理科のT先生の奥さまでした。

「昨年お亡くなりになった」と、この日記で報告すると「中学高校で3回も担任をして貰ったので、ご自宅へお参りに行こうと思う」と、同窓会の世話役をしている同級生から連絡がありました。

それならと同行してきたのです。

ご丁寧にも、奥さまと、ご子息まで出迎えて下さいました。

71歳という若さで、夫を亡くした奥さまの気持ちはいかばかりかと思います。一方、しっかりした、品のあるご子息家族が近くに住んでおられ、心強いだろうなと感じたのです。

すぐにお暇しようと思っていたのですが「英語のA先生、数学のY先生とは仲が良く、よく飲みにいっていた」という話や、某情報番組の「ほろ酔いさんインタビュー」的なコーナーにA先生と2人で出たことがあるという、とびきりの逸話までお話し下さったのです。

2024年末の同総会の少し前まで入院しておられ、「何とか行けそう」と世話役に連絡があり、参加下さいました。

お亡くなりになる5カ月前なので、大変だったと思うのですが例年通りスピーチもして下さいました。

同級生がその動画を奥さま、ご子息にお見せすると、お2人で熱心に見ておられたのです。

1983年の3月のカレンダーを見ると、6日が日曜日でした。3月7日が試験日だった気もしますが、この日が試験日だったのでしょう。

試験は1日で、算数・国語・理科・社会で、配点は100・100・50・50だったと思います。

理科社会は配点が半分ですが、この2教科があったから、高槻に滑り込めたのは間違いありません。

入学後の不勉強は、何度もネタに書いてきました。

一浪後も、国公立、MARCH、関関同立の建築・土木学科は全て不合格。

近大の岡山だったか、広島だったかの3次募集的な試験で、かろうじて大学生となりました。

その理由も、おそらく物理が満点だったのが理由だと思います。英語、数学は全くできませんでしたから。

そう考えると、いわゆる理系に身を置いていますが、いつも理科社会がピンチを救ってくれたのです。

T先生の「学生時代、どうにもならなかった彼(守谷です)でも何とかなったんだから、ここに入学してくる君たちは絶対大丈夫」というメッセージを胸に、しっかり頑張りたいと思います。

1983年3月6日(日) 大阪
最高気温: 13.5℃
最低気温: 4.3℃
曇り一時晴

丁度今日の気温と同じくらいです。

当日、12歳の私は何を思っていたのでしょう。その時の私が、今の私を見たらどんな事を思うのでしょうか。

「ここまで行けたんだ!」と思って貰えるような自分を目指したいと思います。

そして、中高では迷惑ばかり掛けた先生方には我慢して頂き(退学とせずに頂き)、本当にありがとうございます。心から感謝したいと思うのです。

レベル低っ!

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