還暦から3年勝負!のち、葛城の古民家で、十割そばと絶品天ぷら‐2056‐

奈良盆地の西端を走る県道が山麓線です。

東に奈良盆地を見下ろしながらの景色が気に入っています。

二上神社前、当麻寺と南に下ります。

南阪奈道路の葛城ICを越えたら、すぐ左手に「十割そば 玉竹」の駐車場が見えてきます。

駐車場脇の竹林には、趣のある石段が。

そこを下ると、立派な古民家が見えてきました。

立派な門屋。

燕さんじょう亭、そば処 玉竹

ちょうど1年前、橿原市の信号で止まった時に偶然見えたそば屋さんが「蕎麦屋 玉竹流」でした。

IT企業を60歳で退職し、3年前に開業したという大将。3年目で立ち退かなければならない場所で開業したそう。

「3年あれば、自分の仕事が認められるか、認められないか見極められると思いました」と。

その時、今年の4月に移転すると聞いていた場所がここなのです。

門屋をくぐって中庭へ。

立派な母屋の前にはすでにお客さんが。

11時開店の前に到着しましたが17人目。何とか1回転目に入れました。

80~90人前のそばが無くなった時点で閉店とあります。

チラと厨房をのぞくと、大将の他に5、6人のスタッフが働いている感じ。間違いなく繁盛しているようです。

女性スタッフの方に、新潟の「燕さんじょう」と関係あるのか聞いてみると、「元は新潟と関係のある薬商だったと聞いています」と、教えてくれました。

前店舗に行った旨も伝えると「あのブログを書いてくれた方ですか!」と。

大神神社の帰りに偶然寄ったことまで覚えてくれており、何とも嬉しい限りです。

雲丹小丼とざるそばのセットに、天ぷら盛り合わせを追加しました。

2700円です。

前回の燻製鮭小丼も美味しかったのですが、今度はこちらを頼もうと決めていました。

以前はなかった天ぷら。

いつか提供しようと、こちらも鍛錬を重ねていたのでしょうか。すばらしく美味しかったです。

えびも美味しかったですが、特にかぼちゃが絶品でした。

そして、何と言っても十割そば。

昨年聞いたときは、長野県小諸産とのことでした。朝霧がでるこの地域のものが甘いと教えてもらったのです。

天ぷらも頼んだので、1合盛りにしましたが、せめて2合にしておけばよかったかなと。

普段から小食の妻でも「1.5合にしておけば良かったかな」と言っていたくらいですから。

そのくらい美味しかったのです。

お客さんが帰る度に、厨房の奥から「ありがとうございました!」と、誰よりも大きな大将の声が聞こえてきます。

還暦からの3年勝負を制した、元IT企業の大将。

大繁盛につき、とてもお話をする時間は無さそうでしたが、応援しています。

香り高い十割そば、絶品天ぷら、濃厚な雲丹、最高のロケーション、趣ある古民家、そして人柄。

これだけ条件が揃うことは、そうない無い気がします。

私がする必要は無いかもしれませんが、絶賛お勧めしておきます。

■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

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晩ごはん何?‐2055‐

10月も終盤になり、公園の木々も色づきはじめました。

谷村新司さん、もたよしのりさん、BUCK-TICKのボーカル、櫻井敦司さんと、この秋は立て続けにミュージシャンの訃報が届きました。

特に谷村新司さんは、深夜ラジオ「ヤンタン」で随分楽しませて貰いました。

心からご冥福をお祈りします。

私の祖父母は4人とも長寿を全うしましたが、3人は秋に亡くなっています。

夏の疲れがでる頃。自身の体調には十分注意したいものです。

夏から秋にかけて、クライアントから色々なお土産を頂きました。

この久世福商店「あんバター」、パンに塗るともう止まらない……

私は1回しか食べていないのに、この瓶があっと言う間に空になっていました。

こちらの桃、皮の色からしてもう宝石です。

和歌山産とのことで、果汁があふれてきます。

食べ物と言うよりは、もう飲み物に近いレベル。

大変に美味しゅうございました。

そして、「千葉の家」のクライアントが毎年送ってくださる「しろいの梨」。

沢山あるので、アルバイトに来ている女の子も一緒に頂きました。

梨が大好物だそうで、「過去一かも!」と、興奮気味だったのです。

「あんバター」に加えて「七味なめ茸」まで頂いたり、お中元に毎年スーパードライを送って下さるクライアントがいたり。

美味しいのは勿論ですが、「これなら喜ぶんじゃないか」という気持ちが嬉しいのです。

実は、もう1つ紹介したいお土産があったのですが、少し事情がありまた今度にします。


代わりに、一緒に上げようと準備していたヒマワリの写真だけUPしておきます。

あるクライアントのお母さまが、仕事帰りの娘さんから必ず「晩ごはん何?」とメールがくるという話を私にしてくれました。

娘さんはバレエダンサーで、「流石に、食に対してのこだわりが強いんですね」と2人で笑っていたのです。

しかし、最近私が妻に送るメールの大半は「晩ごはん何?」です。

全く同じ状況になっており、我ながら笑ってしまいました。

楽しみがそれくらいしか無いとも言えますが、世界では戦争、内戦、貧困に悩まされる人々が多く居る中、最高の幸せとも言えるかもしれません。

「これから新米が美味しい季節やもんねえ~」と言っているクライアントもいました。

とても実感がこもっており、微笑ましい気分になります。

私も、食欲の秋を、過ぎない程度に満喫したいと思います。

ちなみに、今晩は「牡蠣のアヒージョ シュウマイ アジのお刺身」との情報が上がってきました。

ヨシッ!今日は早めに帰ろう。


■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

■10月11日『homify』の特集記事に
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ススキ、夕焼け、秋の奈良‐2054‐

週末、奈良へ行く用事があったので、平城京跡へ立ち寄りました。

近鉄電車の西大寺駅を越え、すぐ北のエリアにあります。

京都の平安京と違って、平城京は広大な敷地が歴史公園として保存されています。

北端あたりに再現されているのが第一次大極殿です。

奈良では曾爾高原がススキの名所ですが、かなり遠くまだ行ったことがありません。

秋になったので行ってみたいと思っていたら、平城宮跡がススキの名所だと知り、行ってみたのです。

日没は17時15分頃で、16時頃からは晴れる予報でした。

黄金に輝くススキを期待してきたのですが、厚い雲の間から時々日が差す感じ。

16時から待つこと1時間。

一瞬パッと周囲が明るくなりました。

厚い雲と生駒山の僅かな隙間から、日が差し込んできたのです。

何とかススキ越しの第一次大極殿の撮影に成功。

太陽光の角度が低く、完璧とはいきませんでしたが。

それでもススキだけの写真は、穂が黄金に輝く、美しい写真が撮れました。

駐車場の閉門が17時でした。

ギリギリの時間に夕日が差してくれたことに感謝しながら、平城京跡歴史公園を後にしたのです。

公園の南側へ回ると、朱雀門と若草山にも夕日が差していました。

奈良は京都よりも景色が穏やかなところが好きです。

更に日が沈むと、空はより濃い橙色に。

ススキ、夕焼け、平城京跡と、駆け足で秋の奈良を満喫してきました。

奈良で黄金に輝くのススキを撮るために、数年内にまたトライしてみたいと思います。

曾爾高原へ行くべきか、平城京跡を再訪するか、悩ましいところです。


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天体望遠鏡で、星を見る‐2053‐

前回、海塚墓地まで友を訪ねたことを書きました。

この墓地の立て看板に「岩橋善兵衛の墓がある」とでています。

岩橋善兵衛は、この近くで生まれ、手先が器用だったことからレンズ磨きで生計を立てていました。

蘭学を学び、1756年に岩橋式望遠鏡を完成させます。

伊能忠敬の日本地図製作にもこの望遠鏡が用いられたそうです。

「善兵衛ランド」なるものがあると知り、行ってみました。

南海電鉄貝塚駅の東隣にあるのが水間鉄道の貝塚駅。

海沿いから東の山間部に伸びており、全長5.5km。

「善兵衛ランド」は一駅手前ですが、終点の水間観音駅まで乗ってみます。

駅から5分程歩くと、行基が奈良時代に建立した水間観音が見えてきました。

古くから厄除け観音として知られるそうです。

名前通り、水の豊富な古刹で瀧から竜が現れたと伝わります。

また、愛染堂には「お夏清十郎の墓」がありました。

身分の上下を乗り越え、恋を成就させたという言い伝えから縁結びの神様として祭られているようです。

私の年代にはちょっと縁がありませんが。

一駅分西に戻って、ようやく 「善兵衛ランド」に到着です。

善兵衛作、3m弱もある本物の望遠鏡です。

大きさ、装飾とも圧巻でした。

善兵衛さん、こんな人だったようです。

その善兵衛さんゆかりの貝塚市が「生涯学習のシンボル施設として、昼夜共に活用できる天文台として広く一般の方々に公開しています」の言葉に偽りはありませんでした。

しかも、無料なのです。

ドームが開き、巨大な天体望遠鏡が星を探す姿には感激します。

こちらは太陽を見ているところ。

太陽の縁にある炎のようなものが見てとれるでしょうか。

水素ガスが吹きあがっている光景で、その高さは地球よりもはるかに高いのです。

プロミネンスと呼ぶそうです。

金星、そして牛飼い座のアークトゥルスも見せてもらいました。

1等星のアークトゥルスは37光年離れているので、37年前の光を見ていることになります。

本格的な天体望遠鏡で星を見るのは初めてで、正直感動ものでした。

できれば子供が小さい時に連れて来たかった。

この施設、床がフローリングだったり、手摺が住宅感満載だったりと、何だか可愛いのです。

案内してくれた「先生」と呼ばれる初老の方も、サービス精神たっぷりでした。

貝塚の街もかなりあちこち歩き回りました。

いたるところに水路があり、水が豊かなのが印象的。

稲刈りが終わった田も多かったですが、街中にも適度に緑や池が残り、とても良い感じでした。

駆け足で紹介してみました。また墓参りを兼ねて、遊びに来たいと思っています。

星に願いをかけ忘れたので、善兵衛ランドも再度訪れたいのです。

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海塚墓地へともを訪ねる‐2052‐

日曜日は、早起きして南海電車に。

新今宮駅から乗りましたが、南海本線、高野線、そしてJRの環状線が交差する賑やかな駅です。

途中、乗換時にラピートと遭遇しました。

昭和世代にとっては、最高に格好いい電車です。

ちなみに、デザイナーは建築家、プロダクトデザイナーの若林広幸さん。

貝塚駅で降りると、すぐ前に貝塚中央商店街がありました。

海側へ向かって西に歩きます。

日曜日の朝で人通りは少ないですが、旧家が多く目につきます。

大通りまで出ると、和泉名物の村雨を売る「塩五」を発見。

上品な甘さで、独特の触感です。妻が好きで何度か買いに来たことがありました。

ですが、まずは目的地へと急ぎます。

目的地は龍雲寺の横にある海塚墓地です。

後輩がここに眠るのですが、ようやく訪れることができました。

ただ、立て看板に「龍雲寺と墓地は一切関係ありません」とあります。

墓地内のどこにあるかは知らなかったのですが、来れば何とかなるだろうと思っていました。

江戸時代から続く墓地のようで、間違いなく千以上はあります。

しかも、苗字は分かっていますが、名前も上の文字だけしか知らず……

それでも、端から端まで探すのみ、と腹をくくって墓地内へ。

しかし彼が導いてくれたのか、5分もしないうちに見つかりました。

彼とは不思議な縁があり、小学6年生の時、一緒にSAJ(全日本スキー連盟)のスキー検定を受けたことがあります。

その場は、彼のお父様が教師を務める中学校の修学旅行に同行するという、ちょっと今では考えられないシチュエーションでした。

私が全くの我流であることを父が危惧し、スキーショップの知り合いに無理やりお願いし実現したのです。

そこで初めてSAJの3級を受けたのですが、無事合格しました。ただ5年生の彼は、2級に合格しました。

大阪生まれで、初めて自分より上手い子供と出会い、私なりに衝撃を受けたのです。

そこから約10年後、大学のスキー部時代に再会します。

ともに大阪府の国体選手を目指しており、私は予選で負けて、彼は国体選手となりました。

それでも、たまに顔を合わせると「先輩、先輩」と可愛げのある後輩で、卒業後は警察官になりました。

しかし彼も鬱を患ってしまったのです。

どこかで私も鬱であることを聞き、2000年頃に当時天王寺にあったアトリエを訪ねてくれました。

その時、お互いの状態を包み隠さず話したことを覚えていますが、「調子の良い時もあります」と言っていました。

見つけた墓石を見ると、行年31才平成13年の6月となっています。

2001年なので、話した翌年ですが、理由も分からない、突然死だったと聞きました。

現在でいう年齢なら30才。ご家族も居り、本当に無念だったと思います。

人づてにこの墓地の場所を聞き、墓参りに行くと決めてから5年も経ってしまいました。

私も今日人生を終える可能性はあります。しかし2001年を機に私の鬱は完全に治り、2002年から第二期アトリエmをスタートしました。

色々なことがありましたが、それまでの人生と比べると、驚くほど順調だったと思います。

墓参りは、故人を弔い、己の生を明確にしてくれる、尊い機会です。

なぜ彼の人生がそこで終わり、私が生かされているのかは、誰にも分かりません。

彼の人生を私が生きれる訳ではありませんが「ともよ導きたまえ」と声を掛け、秋晴れの貝塚墓地を後にしました。

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建築家・守谷昌紀TV プールがある通所リハビリテーション施設「ささき整形外科デイケアセンター」【ルームツアー】

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楽しむではなくて、面白がることよ by 樹木希林‐2051‐

昨日、今日と秋晴れが続きました。

家庭菜園なのか、近所の小さな畑では立派なピーマンがなっていました。

ナスビ。

イチジクも、間もなく収穫でしょう。

実りの秋です。

きききりん=樹木希林

「悠木千帆」の名で、すでに人気女優でしたが、34歳の時にテレビの企画でこの芸名を競売で売却することになりました。

プロデューサーらと相談し、「樹や木が集まり稀(まれ)な林を作る」の意味で、「キ・キ・キと音が重なるのは好き」というご本人の意向もあって、この芸名が誕生したそうです。

その彼女の言葉を集めた『一切なりゆき』。

157のタイトルに簡潔な解説がついているのですが、単語で表せば、ユーモア、脱力、達観、がしっくりくるでしょうか。

失礼ながら、文筆家ではない女優さんから、これだけのことばがでてくるのかと驚きました。5つ程ピックアップしてみます。

①物を買わない、持たない希林さんの最高傑作

私の下着はみんな前が開いてるの(笑)

買うのは靴下だけという生活を何年も続け、友達の旦那が亡くなる年でもある。下着はゆるゆるがいいので貰ってくるそう。

②希林さんそうなんです。ちょっとだけ違和感があったんです。

楽しむではなくて、面白がることよ

楽しむというのは客観的。中に入って面白がるべきだと。「楽しむ」ということばが大安売りの世の中。最も腑に落ちました。

③至言

自分が一番トクしたなと思うのはね、不器量と言うか、不細工だったことなんですよ

※原文を抜粋

私は、普通だと思っているけど、他人がそういうふうに見るから、ああ、そうなんだなあと思って見ているうちに、器量よしばっかり集まる芸能界に入っちゃったんですよ(笑)。

(中略)

ま、だから、自分が不器量だということに早目に気がつかされちゃってね。

それでね、案外自分としては、男を見誤らないできたという確信があるんですよ。要するに、見誤らないというのは、自分がこうだと思ったとおりなんです。それを選ぶか選ばないかは、自分の縁ですからね。

だから、不器量であるために、他人が私に関心を寄せないから、こっちが自由に人を判断できる。今日まで、いろんな男の人との出会いがあって、中には、うーん、ねえっていうのもありますけど(笑)、それも含めて納得しているんですね。不器量のトクな点だなあと。-

④生死感

もう人生、上等じゃないって、いつも思っている

- ※原文を抜粋

人生が全て必然のように、私のがんもまったく必然だと思っています。

(中略)

今日になって明日っているのは困るけど、1週間あれば、まあ整理できちゃう。がんってのは準備ができるからありがたい。それは悲壮でもなんでもないんです。-


郷ひろみとの「林檎殺人事件」、ピップエレキバンのCM、フジカラーの「美しい人はより美しく、そうでない方はそれなりに」など、時代々々に大きな足跡を残した女優さんでもあります。

フジカラーのCMでは撮影前まで「美しい人はより美しく、美しくない方も美しく」だったのが、希林さんの提案で変わったそうです。

ご存じの通り、希林さんはミュージシャンの内田裕也さんと再婚するも、すぐに別居。しかし離婚はせず、ほぼ一人で娘の也哉子(ややこ)さんを育てました。

最後は、その也哉子さんに掛けた言葉です。

⑤娘、也哉子さんへ

おごらず、他人と比べず、面白がって、平気に生きればいい

この言葉に、人生観の全てが凝縮されているようでもあります。

面白がって、平気に生きたいと思えました。

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17年前の恥ずかしい自分‐2050‐

先週の土曜日、大阪府建築士会のイベント ■HOUSE DEVICE-建築士会の建築家と家をつくろう ■ に参加してきました。

秋晴れに恵まれた大阪市立住まい情報センター。

5階の研修室は4階の図書館からもアクセスできます。

ちなみにこの図書館、建築雑誌がかなり充実しています。

建築家12人が集まってのイベントでした。

建築家自身による主催で、画期的な試みと言えます。

以前、建築家紹介会社に登録していた時は、こういったイベントに良く参加していました。

香川や島根へも行ったことがあり、とても楽しかったことを思い出します。

残念ながら、午前中に訪れた方は居らずで、昼食時に付近を少し歩いてみました。

大阪一賑やかな天神橋筋商店街はこの人出です。

久し振りに訪れましたが、変わっている店もありました。

折角ならちょっと足を運んでくれればと思いますが、客引きをするようなイベントでもなく……

結局昼からの来場もなく、残念な結果に終わりました。

しかし、同業者と会う機会は本当に少ないので、情報交換をさせて貰うだけでも価値があります。

比較的お若い方にご挨拶すると「随分前にお会いしたことがあるんです」と。

聞くと、17年前にアトリエmのオープンデスクに参加したことがあるとのことでした。

思い出せないので「20日間完走されましたか」と聞くと、「3日で辞めたんです」と。

理由は、弁当を持って来ないことを私が怒ったのが要因だったそうです。

当時は学生は手弁当が基本だと思っていたのと、何より35、6歳と言えば最も血の気の多かった頃で……

「それくらいで怒って酷い所長やね。本当に済みませんでした」とお詫びしました。

オープンデスク卒業生で、工務店をしている人は居ますが、設計事務所を経営している人は初めてで、更にかなり大きな仕事もされていました。

「怒られてトラウマになっていませんか?」と聞くと「それは無いです」とのことでした。

17年前の自分を思い出させてもらいました。火が出る位恥ずかしい自分ですが。

正しいと思っても(このケースは間違っていますが)、そう簡単に怒らないようにしようと肝に銘じたのです。

今回のイベントはこのような結果でしたが、またトライするとのこと。

その時も参加してみたいと思っています。

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Pride of Japan「富岳」と「大谷」‐2049‐

■HOUSE DEVICE-建築士会の建築家と家をつくろう ■

・日時:2023年10月7日(土)10:00~16:00
・場所:大阪市立住まい情報センター 5階 研修室
※入場無料・予約不要

先月は、ドローンの国家資格取得のためにポートピアアイランドへ3回通いました。

NCN DRONEの講習会場、KOBEモビリティフィールドは人工島の南端にあります。

毎回早めに行って、コツコツと島内を見てまわりました。

更に南にあるのは神戸空港島。

その名の通り、神戸空港があります。

行先の掲示板です。

新千歳、長崎、羽田、下地島、那覇。

下地島は行ったことがありません。
調べてみると宮古島でした。

コロナ前のインバウンド最盛の頃、宮古島で本格的なヴィラ建築の相談を受けていました。

その他の宿泊施設も数件。

コロナがなければという気持ちもありますが、それはそれで人生です。

空港に来るといつもそうですが、今すぐ旅にでたくなります。

今年、来年くらいにはそろそろ……

会場から最寄り駅の計算科学センター駅すぐ北には、こちらもその名の通り 理化学研究所計算科学センター があります。

STAP細胞で一躍有名になった小保方さんも、こちらの研究員でした。

しかし最も知られるのはスーパーコンピューター「富岳」でしょう。

入ってすぐのところに、模型が展示されています。

誰でも見学できる展示コーナーがエントランスのすぐ横にあるのです。

計算科学センターのミッションは「ハイパフォーマンス・コンピューティングで未来を拓く」とあります。

富士通と共同開発した初代のスパコンの「京」は2011年に運用が始まり、2019年にシャットダウンされました。

そのCPUなどは研究機関や、寄付者に贈呈されたそうです。

要するにもうないということです。

そして「富岳」は2021年から本格運用が始まりました。

しかし、整備期間中の2020年4月、完成前ですが新型コロナウイルス対策に使うことが決定されます。

飛沫がどのように広がるかや、どうやって飛沫を防ぐかの動画を私もニュースで見た記憶があります。

2021年の運用開始とともに、「TOP500」「HPCG」「HPL-AI」「Graph500」の4部門で世界ランキング1位を獲得します。

また、新型コロナウイルス対策の研究によって、2021年ゴードン・ベル賞の「COVID-19研究特別賞」に選ばれました。

まさにその力を「いきなり見せつけた」のです。

先で計算科学センターのミッションを紹介しましたが、サブタイトルには「計算の 計算による 計算のための科学」とありました。

???

ちょっと一般人の頭では理解できそうもありません。

スーパーエリートが集う場所なので、そのくらいで丁度良いのだと思いますが。

ちょっと小賢い大人が集まれば「日本は駄目だ」「グローバルな視野をもたなければ」と言います。

そうなのかもしれませんが、大谷翔平はMLBでホームランキングのタイトルをとり、富岳は世界一になりました。

大谷のタイトル獲得に対して、世界最多ホームランを記録した王貞治が以下のコメントを出していました。

我々の時代は(メジャーを)見上げていたんだけど、彼は逆に見下ろしてるんじゃないかってくらい

やはり憧れるだけでは駄目なようです。

見下してしまうくらいの努力あってこそだと思いますが、日本も日本人も、絶対に誇りに思ってよいと思うのです。

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Z世代 VS 元新人類、完敗‐2048‐

■HOUSE DEVICE-建築士会の建築家と家をつくろう ■

・日時:2023年10月7日(土)10:00~16:00
・場所:大阪市立住まい情報センター 5階 研修室
※入場無料・予約不要

土曜日は第2の仕事場と言ってもよい、梅田のショールーム回りでした。

インバウンドは更に加速している感じ。

ルクアとルクア イーレをつなぐアトリウム広場もこの賑わいです。

アトリウム広場から陸橋を渡ってグランフロントに入るのですが、なぜかいつも目がいくHEP FIVEの観覧車。

1998年11月のオープンですが、乗ったことがあるのは1回だけ。

2014年8月24日のことです。

長男が小学4年生、長女が小学小学1年の時でした。

私は高い所が大の苦手で随分拒んでいたのですが、何故かこの日乗ることになってしまいました。

子供達2人は、もうノリノリです。

若い頃はそうでもなかったのですが、30代の半ばあたりから、飛行機、ジェットコースター、そして高い所がだんだん駄目になってきました。

上昇を始めた時から緊張していましたが、梅田センタービルの高さを超えたあたりからもう窓際にはいられないほど。

最高地点あたりで撮った写真はほぼブレブレで、これが一番ましな写真。

この日記に使おうと頑張ったのですが、腰が引け引けだったのです。

それで上げていなかったのですが、今回初だしです。

地上(といってもHEP FIVEの屋上ですが)に戻った時の安堵感は忘れもしません。

観覧車には二度と乗るまいと心に誓ったのです。

話は逸れましたが、この日も夕方まで時間一杯打合せをして帰ってきました。

その前日は、満月の中秋の名月でした。

今月初め、スーパーブルームーンをiPhoneで上手く撮れたという記事を上げました。

「月」を2回はアップしないかなと思い、あまり気合を入れて撮っていなかったのが上の写真です。

長女が学校から帰ってくるなり「お父さんのiPhone貸してくれる?」と。

月を撮りたいとのことで、「いいよ」と渡しました。

それがこの写真。

私の中秋の名月より、 スーパーブルームーンより数段上です。

どうやって撮ったのか聞くと「オートフオーカスを長押しでロックして、ここを調整して……」と教えてくれました。

彼女はiPhone11ですが、iPhone14PROにしかない機能なので、私のスマホで撮りたかったそうです。

そして「エアドロ(AirDrop)で送って」と。

Z世代と言う言葉をよく聞きます。

自分の子供がそうだという認識はなかったのですが、間違いなくスマホネイティブのZ世代でした。

40年前、私たちも新人類と呼ばれたのですが、30代の半ばあたりから、色々なものが苦手になってきました。

それは、子供ができた年齢と一致します。

守りに入ったつもりはありませんが、どこかで「絶対に死ねない」という気持ちもあります。

チャレンジ精神があり、勇気をもって、知らないことにもどんどんトライすることはとても重要です。

しかし今は、攻めるところは攻め、守るところは守る。そんな感じだと思います。

家族や社員をもつと、自然とそうなっていくのでしょう。

ただ、Z世代 VS 元新人類。「月」の写真勝負は完敗でした。 iPhone の勉強はもっと頑張ります。

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