釣り道具が

 昨日は日本海へ行って来ました。今年初です。

 現地で大学時代の後輩と待ち合わせ。

 港から船を降ろします。1回3,000円でスロープを使わせて貰えるのです。

 すっかり日が高くなってしまいました。

 釣りは朝夕が良いときまっているのです。

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 ポイントに着き竿を手にして、さあと思うと無いのです。

 生まれて初めて、釣りに来て釣り道具を忘れました。

 もう情けないやら……

 それでも、エサは買っていたので、ライフジャケットに常備している、針とオモリでなんとかスタート。

 何匹かは釣り、後は潜ってヤスで突きました。何とか食料は確保。

 港に戻ると、もう一家族も到着していました。

 今回は皆で10人。うち半分が子供です。

 子供は釣りより海水浴です。

 友人家族の次男、9歳は波止からの飛びこみに初挑戦です。

 下は砂地で安全ですが、高さは結構あります。

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 行こうか、止めようか、何度も躊躇しながら、ついに飛び込みました。

 彼にとっては冒険だったでしょう。

 食べながら、あれやこれやと、話は尽きません。

 徐々に日が傾き、浜風に吹かれていると、何とも言えないほどいい気分です。

 片付けを終え、現地解散。

 海沿いの帰り道。この景色をみるとまた来たくなります。

 次回で今年は最後。2週間後の予定です。

溶接工業所

 先週行った溶接所に再び行ってきました。

 新しいカメラが届いたので、今度は写真ありです。

 溶接はスチールが最も一般的ですが、ここはステンレス、アルミの溶接を得意にしています。

 疎開道路を北上し、千日前通りを東へ。新平野川までは500m程です。

 川の西岸にあります。

 ちなみに、疎開道路は戦時中、空襲を受けた際に火災が広がり過ぎないよう、住宅を壊して拡張した道路。

 新平野川は大阪城あたりにあった軍事工場へ、機材を運ぶ運河でした。

 このあたりは関係の工場が多く、よって無差別に爆撃を受けたようです。

 粕山溶接工業

  http://www.yousetsu.com/index.html

 物作りをしている工場には、油のにおいが似合います。

 ステンレスより、更にアルミ溶接を嫌がる人が多いそうです。

 アルミの場合、溶接する時に母材が逃げていくらしいのです(丸まっていく)。

 溶棒をどのタイミングでいれるかの経験は必要。だけど、基本は同じと言っていました。

 何でもそうですが、姿勢が前向きな人とそうでない人とでは、話している顔が違います。

 元々の専門は、ダムの水門関係。これらは、どうしても冬の減水期に仕事が集中します。

 それで、他の仕事を求めてwebサイトを開設。今までとは違うジャンルにもチャレンジしているのです。

 溶接時の光は絶対見てはいけません。見てしまうと夜まで光が残り、寝つきが悪くなるのです。

サーカス

 今日も夏空が広がりますが、セミの鳴き声も随分衰えてきました。

 気温に変わりはありませんが、季節は確実に秋へ向かっています。

 日曜日は、朝から難波に行っていました。

 なんばパークスの緑が目に入るだけで、気持ちが全く違うものです。

 木々も随分成長し、完全に街の景色となっていました。

 目的は、ボリショイサーカス

 「ボリショイ」は日本語で「大きな」や「偉大な」を指します。本国での名称は、ロシア連邦サーカス公団。

 日本用の名前だそうですが、確かに「ボリショイサーカス」のほうが見に行きたくなります。

 前にサーカスを見に行ったのは、小学校6年生だったか、おなじボリショイサーカスでした。30年振りのサーカス。この非日常感はなかなか良いものです。

 熊、馬、犬から、空中ブランコ、シーソーアクロバット、ピエロまで。十分に堪能させて貰いましたが、そこまでしなくても!とヒヤヒヤしてしまうのが、時間の流れでしょうか。

 2歳の娘は、暗くなったり、熊が出てきたりで怖がりましたが、いつの間にか手拍子を始め、自然に拍手もするようになりました。

 鍛錬を重ねた芸が凄いのですが、生身の人間の迫力と、ライブの一体感というものは、子供にも伝わるのだなと感じたのです。

 昼過ぎに終わったので、その後は長男が見たいという「劇場版メタルファイトベイブレード」を観に、TOHOシネマズなんばへ。

 子供用アニメですが、ベイブレードというのは昔のベーゴマを、回し易くしたいおもちゃです。

 ベーゴマは回し難いことに意味があるのですが、それでも体を使って遊ぶ点で、救われる気がします。

 ベーゴマで地球を救うという感動ストーリーは、大人が入り込むのには……あくまで子供用です。

 1日に2つはちょっと贅沢でしたが、サーカスにしろ、映画にしろ、その場所へ、決まった時間に出向く事に意味があります。

 そうすることによって、心地よく身を委ねることが出来るのです。

デジカメ

 今日は午前中から、大阪市東成区にある溶接所へ行っていました。

 溶接といえば、スチールが一般的ですが、ここではアルミやステンレスの溶接が可能です。親子2人で働く仕事場は、町工場の古き良きたたずまいを残しており、とても雰囲気がありました。

 建築で外部に金属を使う場合、サビの事を考える必要があります。その点でアルミは秀でているのですが、鉄より柔らかいので、色々な制限も受けます。溶接所の人の話を聞いていると、更なる可能性を感じる事ができました。やはり迷ったら動け、です。

 その後2つ現場を回り、事務所に向かう途中、カメラがない事に気付いたのです。最後の現場まで戻り、道中も探したのですが見つられませんでした。
 
 先代のカメラは2009年5月10日に海に落としたので、今回は1年3ヶ月の付き合いでした。

 PENTAXの「OPTIO P70 シルバー」

 小さい、シャープ、広角27.5mm、色が自然等の理由でとても気に入っていました。大事な物を無くした時の気分は、初めて車をぶつけた時の気持ちと同じです。

 「もし~していなければ、こうはならなかったのに」
 現実に「もし」はありません。悔いても、元には戻らないのも同じです。
 次のカメラは、更なる愛情をもって2年以上を目指します。

2010年 夏休み

 今年の夏休みは、金曜日から今日までの4日間。ずっと紀伊田辺にいました。

 ずっとにしたのには訳があります。いつも泊まるホテル近くの港から船が降ろせることがわかり、海に出ることを楽しみにしていたのです。

 ところが、気を利かせて準備をしてくれていた父が、途中でボートを落としてしまったのです。舳先は大破。私の夢は海の藻屑となったのです。

 結局、延々と子供達と泳いで泳いで過ごすことに。結果的にそれで良かったのですが。

 初日は大阪を早朝に出て、白浜あたりで釣り。

 その後はホテルのプールで3時間泳ぎました。

 2日は、ちょっと遠出をということになり、熊野古道を東へ向かい川湯温泉へ。

 冬の仙人風呂が有名ですが、子供連れの川遊びには最適です。ちょっと体が冷えれば、川底を掘れば温泉が出てくるので、すぐに温まれるのです。

 ただ温泉が良く出る場所はあり、自然とそんな場所は混雑してきます。

 各々の掘った温泉はさながら都会のテラス付きマンションのような状況になるのです。

 子供達には十分のサイズですが。

 3日目は、白浜にある京大水族館へ。

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 その後は混雑覚悟で白良浜へ。

 ピークが過ぎたとは言え、駐車場は満車ばかり。

 道端で、1000円のウチワを振るおじいちゃんが。自転車について来いという仕草。どんどん住宅街の中へ。

 ついていくと、確かに駐車場がありました。

 とっても良い感じのおじいちゃんで、一瞬でも疑ったことを恥じるのです。

 流石に凄い人でしたが、人気スポットにはそれなりの理由があると思えました。

 子供と泳ぐにはシャワーあり、温泉あり、飲食店有りでとても良いのです。

 混雑も見ておかないと、夏休み気分を味わえない、と言えば変わっているでしょうか。

 最終日は、白浜エネルギーランドへ。

 3Dシアター、ジュラ紀探検などが面白かったのですが、その他にも目の錯覚を利用した、アトラクションが多くありました。

 レストランが白浜を見下ろす場所にあり、眺めが抜群でした。

 昼過ぎに大阪へ向かい、3時頃帰って来たのです。

 こうして、私の夏休みは終わりました。

 成果は、長男は浮輪をつけずにシュノーケリングが出来るようになったこと。ボートが壊れたお陰かもしれません。

 小学校になれば、皆携帯ゲームを持って出かけると聞きました。

 ゲームより泳ぎに行きたい、といつまで言ってくれるか。こちらも真剣勝負です。

ブラックボックス

 昨日の新聞に、日航機墜落事故から25年が経ち、残された家族の談話が載っていました。何とも言いようのない、非常に厳しい現実が綴られていました。

 25年前の今日はとても暑い日で、私は中学3年生。帰省先の岡山で一報を聞いたと思います。そんな事を思っていると、ふと先月読んだ記事を思い出しました。

 『2010年7月19日 航空機のフライトデータレコーダー発明者、85歳で死去』

 内容は「1956年に初のフライトデータレコーダー(いわゆるブラックボックス)を発明した、オーストラリア人のデビッド・ウォーレン博士が亡くなった」というものです。続きを読み、なんとも言えない気持ちになりました。
 
 同氏は9歳のときに父親を航空機事故で亡くしている。父親から最後にもらったプレゼントは鉱石ラジオセットで、それが電子工学に関心を持つきっかけになったという。現在フライトデータレコーダーは世界中の旅客機に採用されており、「ウォーレン博士のフライトデータレコーダーは世界の航空安全に計り知れない貢献をした」とオーストラリア国防省は述べている。
 
 「怒りや憎しみを、行動の動機にしてはいけない」と考えます。

 しかし、ウォーレン少年は、父親を奪った航空機事故、もしくはその航空会社を憎まなかったとは考え難いと思うのです。その少年が、フライトデータレコーダーの発明に至るまで、どのような心の変遷があったのでしょうか。

 憎しみつくし、悲しみつくし、最後は今生きていることに感謝し、いつしか「人類の安全の為に、何か出来ないか」そんな動機に変わり、研究へ……全てはあくまで想像ですが。

 お盆は、故人が戻ってくる期間。今の生に感謝し、祖父、祖母を含めた全ての故人へ、の冥福を祈ります。彼らがいてこそ、今の私達があるのですから。

友ヶ島

 日曜日は、父、弟家族と友ヶ島へ行きました。

 早朝に岸和田を出港です。
 
 子供達は眠そうですが、船酔い対策は食べるのが一番なのです。

 朝方は釣りをして、日が高くなれば海水浴の予定。

 快晴にも係わらず、この日は釣りも好調でした。サバもなかなかのサイズ。 

 マダイの子供はチャリコ。

 このサイズは、勿論リリースです。

 タコはテンヤという、伝統的な疑似餌で釣ります。

 皆で15匹は釣ったでしょうか。子供達はタコに一番はしゃいでいました。

 まずは海と遊ぶのが目的。

 父親手製のボートは、長男同士の頭文字をとって「悠仁丸」というのです。

 ひとしきり泳いだ後は、友ヶ島に上陸しました。

 砲台跡を一度見たかったのです。

 海岸線にあるのは第二砲台跡。

 かなり崩れており、内部は立ち入り禁止でした。

 すぐ近くの山肌には、コンクリートの建造物が。

 探索していた人が、上陸してくる敵を狙い撃つための銃眼では、と言っていました。

 第一砲台は山を登り、灯台の足元にありました。全て明治時代に建造されたもののようです。

 この大阪湾に敵艦が入ってくることなど想像したくありませんが、気分は一気に幕末へ。

 友ヶ島は無人島ですが、加太港から渡船が出ています。散策している人も結構いました。

 砲台もさらに5つほどあるようなので、夏休みの探検なら友ヶ島へ。

思考の整理学

 昨日は横浜へ行っていました。

 車窓からは、街あり、海あり、田圃あり。日本の景色は変化に富んでいて、飽きることがありません。

 帯に「東大・京大で一番読まれた本(2008年大学生協調べ)」とあるのが「思考の整理学」。

 順番を少し後ろにしていましたが、読み出すと、エッセイとしても面白いのです。

 しかし、出だしの章から強烈です。「グライダー」を要約してみます。

 人間には、受動的に知恵を得る『グライダー能力』と、自分でものごとを発明する『飛行能力』がある。

 前者を欠いていては知識を習得できないので、独力で飛ぼうとするとどんな事故になるか分からない。

 現実的にはグライダー能力が圧倒的で、飛行能力はまるでなし、という「優秀な」人間がたくさんいる。

 そういう人も「翔べる」という評価を受けている。

 学校はグライダー人間をつくることには適しているが、飛行機人間を育てる努力は少ししかしていない。教育が整備され、ますますグライダー人間を増やす結果になった。

 また、

 プロの棋士には、中学までの義務教育がじゃまになっていると言う人もいる。

 一番頭の発達する時期に、学校でグライダーの訓練なんかさせられては、ものにならないという。

 著者の外山滋比古さんは大学の教授で、教授の書いたこの本を、東大生と京大生が最も読んでいる。

 この現実をどう考えれば良いのか。ちょっと悩みます。

 しかし、これを物語る場面は実際に起こります。例えば、新卒の学生が当事務所に入って来た時。概ねこんな感じです。

 どんなことにも、正解がある。それを一つずつ、教えて貰おう。

 仕事に正解なんかありません。自分が正しいと思う所へ向かうだけです。その葛藤こそが人生で、その軌跡が仕事の結果なのです。
 
 でも心配いりません。全ては現場が教えてくれます。あとこの本が。

花火は近くで

 昨日から8月。

 葉月の通り、木々は暑ければ暑い程、活き活きとしてみえます。

 昨日は夕方までに所用を済ませ、PLの花火でも見に行こうとなりました。

 ただ、動き出しが遅かったので、自転車にしました。自宅は大阪市の南端。富田林を目指し、どこまで近づけるか挑戦です。

 大和川を超え、309号線を下るつもりでしたが、子供2人の自転車の重さに、大和川上流を目指す方針に変更。

 石川との合流点あたりで、丘のある公園を見つけたので、そこから観ることに。

 寝苦しい夜に一服の清涼剤。

 つい写真を撮りたくなるものです。

 距離にして、8kmくらいでしょうか。

 最後は花火というより、爆発に近い感じでした。しかし見事なものです。

 人は少なめでよかったのですが、出来ればもっと近くで見たいものです。

 来年は穴場探しに終始せず、あの大渋滞の中へ入って行きたいと思うのです。