橋の中の橋、「大坂橋」‐2256‐

暑かった夏も一段落し、朝夕は本当に気持ちのよい気候になりました。

ジョギングするにはもってこいの季節です。

最近、大阪城公園を北に抜けて、京橋あたりまで足を伸ばしています。

夜の京橋もよいですが、朝の京橋もなかなかです。

このあたりの地形は本当に面白いのです。

京橋へ向かう時は、大阪城公園の北西角を北に抜けると京橋(こちらは橋の名前)にでます。

その上には、人道橋が架かっているのですが、ここからの景色が抜群なのです。

大阪ビジネスパークのシンボルと言ってよい、クリスタルタワーが最も美しく見える場所だと思います。

タグボートが台船を引いて右手の第二寝屋川を上っていきました。

この橋は「大坂橋」。

大阪城築城の翌々年、天正13年(1585年)に架けられた元の大坂橋は、その後の消息は定ではありません。

大正末期に東横堀川を浚渫した際に、末吉橋と九之助橋の間の川底から「大坂橋 天正拾三年」(1585年)の銘が刻された銅製の擬宝珠が発見されました。

この擬宝珠は、昭和6年に再建された大阪城天守閣に保存され、市民に公開されていました。

しかし、終戦の混乱期に行方不明になり、橋の所在と共に幻の擬宝珠となってしまいます。

昭和48年、その由緒をしのんで、土偏の坂を用いて「大坂橋」と命名されたのがこの橋なのです。

縦横の河川と運河が大阪の水運を支え、天下の台所と呼ばれた大阪。

八百八橋と呼ばれる程、多くの橋がありますが、「なにわの三大橋」と言えばライオン橋で知られる「難波橋」、天満の天神さんのすぐ南にある「天神橋」、そして「大坂城」建設の際に架橋されたと言われる「天満橋」です。

橋の上からは、最も東にある「天満橋」が見えています。

三大橋を上回る景色と名前を持つのがこの「大阪橋」でした。

本気のランナーは、大阪城公園を猛スピードで駆け抜けていきますが、私は街の中を北へ西へと、歩くようなスピードで巡るのが健康法で、毎日の楽しみなのです。

■■■8月1日(金)患者さんでなくても立ち寄ってほしい「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」JIA(日本建築家協会)のトップページに掲載されました■■■

■■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催■■

■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■

「ささき整形外科クリニック」内覧会で5年におよぶ計画も一区切り‐2255‐

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今週日曜日は「ささき整形外科クリニック」内覧会です。

ゲンバ日記にも書きましたが、日曜日には写真撮影に行っていました。

大阪から向う途中は雲が多かったのですが、何とか外観撮影時は晴れてくれました。

そのタイミングを逃さないよう、ドローンからも色々な角度で撮影します。

写真家のカットがメインですが、何か撮り漏らしがあってはと、自分でも撮って回ります。

あっという間に日没を迎え、撮影が終わりました。

2023年に完成した 「ささき整形外科デイケアセンター」 との間にある、新病棟の位置関係は空撮が分かりやすいでしょうか。

「クリニックの東に、プール付きのデイケアセンターを建てたい」と相談を受け、現地を訪れたのが2020年の4月2日。

新型コロナの緊急事態宣言が発令される6日前でした。

院長の佐々木さんの思いを聞き、計画はすぐにスタート。

しかし、「ささき整形外科デイケアセンター」が完成したのは3年後の2023年の8月でした。

コロナの影響を見計らいながら、スケジュールを調整したのですが、その間も月1回の打ち合わせは続けていました。

これは、相談を受けた際にとったリハビリ室ですが、後にこの空間と新病棟を接続することになるとは……

実は、夕景撮影まで少し時間ができたので、ふらっと網干港をのぞきてきました。

基本、海は大好きですし、この5年のあいだに、この豊かな海の恩恵を大いに受けてきました。

美味しいものを食べて回ることを楽しみにしていたのです。

網干港では、名物のあなご、貝、カキフライ。

カキフライとトコブシが絶品でした。

少し足を延ばして、「道の駅 みつ」では岩ガキと真ガキの食べ比べセット。

またまたあなご丼。

そしてあなごにゅう麵も。


帰りに、明石焼きを食べに、魚の棚に寄ったこともありました。

出来るだけ電車で通っていたので、JR姫路駅のホームにある、えきそばも楽しみのひとつ。

姫路の商店街でそばを頼むと「普通のそばと、黄そば、どっちにしましょう!」と聞かれたことにも驚いたのです。

撮影が終わると、院長からお土産を頂きました。

姫路の老舗、伊勢屋本店の詰め合わせでした。

手前の玉椿は白餡で、奥の塩味饅頭は、塩づくりが盛んな播州地方の塩を活かしてつくられた姫路城下の銘菓だそうです。

院長は「どちらも好きなんですよ」と。

そして「5年にもわたって、ありがとうございました」と言って下さったのです。

始まりあれば、終わりあり。日曜日の内覧会で一区切りとなります。

「ささき整形外科デイケアセンター 新築計画」  打ち合わせ回数 47回 現地訪問 29回

「ささき整形外科クリニック 増築計画・改修計画」  打ち合わせ回数 36回 現地訪問 21回

5年という年月は、この場所に愛着を生むのには十分でした。

最後は食べ物の話ばかりになってしまいましたが、2つの施設が、地域の人に愛され続けることを心から祈っています。

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大阪最古の神社、いくたまさんはお得感半端なし‐2254‐

谷町9丁目あたりも、何となく生活圏なのでよく出掛けます。

谷町筋から西をみると、難波へ向けて下っているのがよく分かります。

千日前通との交差点が「谷町9」の交差点ですが、すぐ北にある緑のビルは、フィリップ・スタルクの設計です。

1992年完成の「バロンヴェール」。

学生時代はスタルクがお気に入りだったので、すぐ見に行きました。

少し錆びているのと、塗り直した部分の色が違うのがかなり残念。

千日前通りを難波へ向いて下っていくと、松屋町筋との交差点の南側に鳥居が見えてきます。

生國魂(いくたま)神社の鳥居です。

大阪最古とありますが、その足元がかなり気になっていました。

「崖縁占(がけっぷちうらない)」とあるのです。

近くはよく通りますが、参拝したのは初めてだと思います。

谷町筋から100m程西に入りますが、一段高い敷地はかなり広大です。

その広い敷地を活かし、本殿の北側には、上町台地の縁をなどるように段差を活かしながら、10程の社があります。

ぐるりと回れるように「いくたま参り道」が整備されているのです。

皇大神社、精鎮社、稲荷神社、源九郎稲荷神社、鴫野神社。

城方向(きたむき)八幡宮、鞴(ふいご)神社、家造祖(いえづくりみおや)神社、浄瑠璃神社。

ぱっと見渡しただけでこれだけあるのです。

ここで4千句を読み上げたという井原西鶴像。

生國魂神社近くで生まれたという織田作之助像も。

大阪の偉人大集合なのです。

そして西の端、まさに上町台地崖っぷちでようやく発見しました。

「崖縁占(がけっぷちうらない)」です。生玉鑑定所ともあります。

その音に惹かれてやってきたのですが、ちょっと想像とは違ったので、看板だけにしておきます(笑)

気になる人は直接確認ください。

大阪最古の神社、いくたまさんは、そのごった煮感が凄かったのですが、合わせてお得感も半端ありませんでした。

ただ、上本町駅から西に延びる参道は、谷町筋で完全に遮断されています。

歩道橋こそありますが、信号や横断歩道はありません。

谷町筋東側も、趣がある参道が残っています。

神社の格式、立地、エンターテイメント性も含めて、間違いなく大阪の宝と判断しました。

これは何とかならないものかと思うのです。

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あがる街、箕面でカルピスを生んだ偉人を知る‐2253‐

通勤ラッシュの少し前に、阪急梅田から宝塚線に乗車します。

石橋阪大前で乗り換えます。


多くは学生でしょうか、降車ホームは人でびっしり。

箕面線に乗り換えたら、のんびり座れると思っていたら、そこでも学生が列を作って並んでいました。

学生の朝は、予想以上に早かったのです。

箕面までやってきました。

ホームが空くのを待って撮った写真ですが、これだけ「あがる」駅はなかなかありません。

ホームの先には箕面の山が見えており、なんとも清々しい景色です。

駅前も、今どきの駅にはない落ち着きが感じられます。

電車で箕面に来たのは初めてかもしれません。

駅の西にでると、箕面大滝から流れてくる箕面川が流れています。

その先に見えるのは箕面観光ホテルと箕面スパーガーデンです。

小さな橋が、優しい風景を演出しています。

新築計画の候補地があり、やって来ました。

山手を目指して歩きます。

一気に高低差を稼いでいるので、坂道は結構な角度でした。

傾斜地に開発されて住宅地特有の、段差、擁壁も多く見かけます。

しかし、この景色はそれらが生んだ賜物です。

汗をかきかき上ったご褒美でした。

冒頭に紹介した箕面観光ホテルと箕面スパーガーデンですが、現在リニューアル工事につき閉館中です。

設計はコルビュジエの弟子である坂倉準三が設立した坂倉準三建築研究所で、完成は1968年です。

大阪支所長もつとめ、後に坂倉建築研究所の代表にもなった、西澤文隆が担当しました。

コルビュジエの流れを汲むモダニズム建築ですが、これだけの規模で現存しているものはあまり無いかもしれません。

ただの懐古趣味ではなく、その良さを残したうえでリニューアルされればと願います。

箕面駅にカルピス模様の自販機があり、その横にこのようなパネルが設置されていました。

カルピスを生んだ三島海雲は箕面市の出身だとあります。

1878年に教学寺に生まれ、西本願寺文学寮で学んだあと、1902年に中国大陸に渡ります。

中国で教師をしていたのですが、事業を行うことになりました。

内モンゴルに入る機会があり、遊牧民が飲んでいた酸っぱい乳を飲むと、その美味しさと健康効果に驚きました。

この乳酸菌で発酵させた「酸乳」が「カルピス」の原点となったのです。

そして「初恋の味」のキャッチフレーズと共に、国民飲料となったのです。

海雲は、生涯をかけて「国利民福」-国家の利益となり、人々の幸福につながる事業を成すこと - を生涯の目標としたそうです。

カルピスのWebサイトにはこの言葉がありました。

私心を離れよ、そして大志を持て

ものづくりの中でも、建築は多くの責任を負っていると思います。

色々なことを感じた箕面探訪でしたが、海雲のこの言葉、胸に留めておきたいと思います。

ほとんどお菓子も甘いものも食べないのですが、晩酌が終わり就寝前に最後に飲むのは、薄めのカルピスです。

「人々の幸福につながる事業」の恩恵を、毎日受けているのでした。

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ばれてない!富田林寺内町‐2252‐

日曜日は、産直市場で野菜でも買おうかなと思い、富田林まで出かけました。

近くに、大阪で唯一「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている富田林寺内町(じないまち)があると知り、寄ってみました。

こちらの杉田家住宅は油屋を営んでいましたが、18世紀後半の建物とありました。

屋根の最上部には特徴的な「煙出し」が見られます。

特に街の中央を南北に走る城之門筋は、江戸時代から昭和初期までの建物が多く残っており、その規模は想像をはるかに超えていました。

本当にタイムスリップレベルなのです。

寺内町とは真宗の寺を中心に発展した町をいいます。

興正寺別院を中心に発展したのですが、後に幕府の直轄地となります。

石川の水運と東高野街道と千早街道が交差する陸運にも恵まれ発展していったのです

この交差点は約90cmずれているのですが「あてまげ」と言い、敵が進入した時に見通せないようにしています。

豊かであったと共に、自衛のため色々な工夫がされているのです。

「忍返し」も沢山見ましたが、木製なのが良い感じです。

完全に江戸時代にタイムスリップレベルです。

ところどころに、店舗もあります。

こちらのお店で、なぜか娘にシャインマスカットを買って帰ることになりました。

寺内町でも一番古いとされるのが「旧杉山家住宅」で、重要文化財に指定されています。

NHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』の撮影にも使われたそうです。

元は造り酒屋だったようです。

中央に見える大黒柱は「四方柾」といわれる、最高級品が使われていました。

立派な茶室も備えています。

この欄間は、大岡春卜という画家のデザインですが、何ともモダンなしつらえです。

一番驚いたのは天井裏でした。

一部がのぞけるようになっているのですが、藁すさ入りの土で塗られているのです。

いまで言う防火仕様ですが、江戸時代からこういった対策がなされていたのにはびっくりしました。

町の南端まで行くと、石川がはるか下に見下せます。

この町が高台に作られていることがよく分かりました。

昼食をと探していると、いい感じの蕎麦屋を見つけました。

「手打ちそば うら田」

創業して2年目の若い主人が毎朝打った蕎麦をだしてくれます。

この日は栃木県産の蕎麦粉とのことでした。

ざるの大盛りで1600円

天ぷら盛り合わせが800円。

十割蕎麦はのど越し良く、てんぷらの衣は薄いのにサクサク。

特に汁が甘すぎず、非常に良かったです。

蕎麦湯を全て飲み干し、大満足でした。

インバウンドが居ると駄目という訳ではないのですが、この日見たのは欧米系の女性1人。

これだけ日本らしい風景が、まだ世界にはばれていないようです。

大阪近郊の方は、是非早めにお願いします。

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心の旅‐2251‐

9月11日。

2001年にアメリカで同時多発テロが起こった日です。

24年が経ちますが、日付の印象とは強いものがあります。

アメリカと中東の小競り合いは今も続きますが、ただただ平穏を祈るだけです。

9月に入り、日の出前にジョギングへ出ることが多くなりました。

天満橋から見ると、真東にOBPの高層ビル群があり、日の出はやや遅くなります。

少しずれれば、朝日を拝めるのですが。

西の中之島方向を見れば、都心部ならではの反射日の出も見れるのです。

今週のはじめまで、オープンデスクに参加している学生がいました。

延べ2週間程ですが、竣工写真の撮影、リノベーションの現場調査、その図面起こしと、色々な仕事を経験してもらいました。

中でも一番時間が掛かるのは模型作成です。

本来は参考にしてもらう模型が沢山ありますが、まだ引越しが完全に終わっておらず、現アトリエには数個しかありません。

数少ない模型の中には「千葉の家」がありました。

その「千葉の家」のクライアントから、今年も梨を頂きました。

「白井の梨」を農園から直送してくれるのです。

学生にも少しお裾分けしたのですが「びっくりするくらい美味しかったです」と。

彼女は大学2回生で、大学院にも行く予定とのことで、就職のイメージはまだ湧かないかもしれません。

大学に入り、卒業し、就職し、クビになり、創業し、休業し、移転しと、本当に色々なことがありました。

2001年は、長らく悩まされた鬱で休業していた年ですが、海外に出るつもりにはしていました。

テロによって出発を延期しましたが、最終的には東南アジアを巡る旅に出たのです。

体調のこともあり、出発は億劫でしたが、旅にでて本当に良かったと思っています。

今日はカンボジアで見た、アンコール・ワットの日の出を思い出していました。

どんな街にも等しく日は昇ります。

それは、どんな問題もいつかは解決する、という受け取り方もできます。

反対に、規則正しく、変わらず過ぎていく時間を思うと、焦る気持ちが募ることもあります。

あるクライアントが、体調を崩していると聞き、とても心配しています。

無用なアドバイスは余計な負担になるかもしれませんが、私にとっての旅は、体調が好転していく大きなきっかけになりました。

その人にとっての、心の旅が見つかればと祈っているのです。

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能登半島をめぐる、街、宿、食‐2250‐

8月28日(木)の夕方から8月31日(日)まで、災害復興まちづくり支援に能登半島を訪れていました。

最終回は、街、宿、食を書いてみたいと思います。

8月28日(木)は、21時頃金沢駅に到着。

駅近くの、日航ホテルに泊まりました。

早めに取ったので1万2千円くらいでした。

29日(金)は17階からの日の出を楽しんで、早朝に金沢を発ちます。

9時半頃に能登町に到着。

役場のある街、宇出津(うしつ)の海沿いには「みなとのニワ」があり、イベントに利用されているとのことでした。

29日(金)、30日(土)と、5件の相談者の自宅や店舗を回ったのですが、土塁のような場所を見かけました。

2005年に廃止された「のと鉄道」の穴水 – 蛸島間のようです。

廃止されてゆく地方の公共交通は切実な問題ですが、遺構のようなその風景は何とも物悲しいのです。

廃線となったエリアにある道の駅「イカの駅 つくモール」です。

九十九湾の最奥にありますが、名物はこのオブジェ「イカキング」です。

イカで有名な港街ですが船凍イカが食べられます。

1500円くらいだったと思います。

普段アイスクリームは食べませんが、名物・イカスミソフトを食べてみました。

これが、コクがあってかなりいけます。

しかも400円代でした。

29日(木)は、能登町の「ラブロ恋路」という宿に泊まりました。

男ひとりで泊まるには、ロマンティックすぐる名前ですが、すぐ近くにある恋路海岸から取ったようです。

約700年前から伝わる、ある若者と娘の悲恋伝説から付いた名前でした。

聞くと第三セクターとのこと。


こういった夕食がでてきた時、味に期待する人は少な目では。


しかし、見事に期待を裏切ってくれました。


豚肉の豆乳鍋、地魚の刺身、付け出しのイカの麹付けは絶品でした。

朝食にはカレイの一夜干しをあぶって頂きます。

朝からご飯を3杯も食べてしまいました。

こちらは2食付きで1万3千円。お得感はあります。

2日間の活動を終え、再び金沢に戻ったのが30日(土)の21時頃でした。

三井ガーデンホテルは、食事なしで1万3千円程。

最上階にある大浴場の景色が素晴らしく、コストパフォーマンスの高いホテルでした。

夜ご飯をと、近くにあった近江町市場を歩きますが、概ね閉まっています。

「ラストオーダーまで20分ですがいいですか?」と言われた居酒屋で、すぐに頼んだ刺身の盛り合わせ。

急いで追加のクエの刺身。

夕方から、能登半島をぐるりと回って金沢に戻ったので、夜は時間切れでした。

ビール2杯で5千円程。次回はゆっくり寿司でも楽しみたいものです。。

翌31日(日)は、朝から金沢市内をまわりました。

「金沢の夜」片町にある、金澤名物とあります。

かなり混むだろうと思い、閉店1時間前の14時に行くと「14時半までですが大丈夫ですか」と。

全く同じパターンで、急いでおでん盛り合わせをオーダー。

6種入っていましたが、赤白の蒲鉾「赤玉」が名物のようです。

「車麩」と「魚団子」が美味しかったです。

「梅貝」。

はんぺんより歯ごたえのある「ふかし」、「タコ」もかなりいけました。

食事のみで4千円でした。

夕方、北陸新幹線の「はくたか」に乗車。

金沢から敦賀までは約1時間です。

敦賀でサンダーバードに乗り換えると、大阪まで1時間半程です。

一番スムーズな乗換は、8分に設定されています。

もし駅弁などの買い物を楽しみたい人は、一本ずらすことをお勧めします。

行きは買えなかった「鯛鮨」を千円ちょっとで購入。

お土産にしましたが、家族の評判は良かったです。

司馬遼太郎も愛した湖西の景色。

湖西線から琵琶湖を望む景色は、全く飽きません。

座席は「D」一択です。

1時間半で大阪まで帰ってきました。

電車は、チケットレスで購入すれば、大阪-金沢で片道8500円。

レンタカーは初めて利用したトヨタカーシェアなら、朝6時でも夜の23時でも店舗へ行く必要は無し。

スマホが車のキーになります。

とても便利でしたが、2日で2万6千円。

普段レンタカーをしないので、これは高いのか安いのかは分かりません。

お金のことばかり書きましたが、一番の復興支援は、やはり人が訪れること。

言い方が難しいのですが、普通の店、宿で食べても、魚介類はどこでも素晴らしく美味しかったです。

旅行に行った時には、少し奮発してみようかと思ったのです。

少しでも出掛けてみようかと思ってもらえたら、これ程嬉しいことはありません。

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金沢の街を一日で歩き尽くす‐2249‐

患者さんでなくても立ち寄ってほしい「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」JIA(日本建築家協会)のトップページに掲載 されました。

掲載されることは聞いていましたが、時期は分かっておらずで昨日気づきました。

8月1日から11月30日までの掲載だそうです。

1年を3期に分けているのですが、2期においては、作品紹介ページで上から2番目でした。

順番は関係ないとはいえ、大変嬉しいことです。

早速、院長の江口さんに報告したのですが、とても喜んでくれました。

前回は、地震発生から1年9ヵ月たった能登半島へ、災害復興まちづくり支援のボランティア活動の詳細を書きました。

土曜日は金沢で一泊。

翌日曜日は、市内を回ってきたので、そのことを書きたいと思います。

金沢に前回来たのは2012年なので13年振りです。

まずは金沢らしい景色を求めてひがし茶屋街へ。

石畳の通りに、出格子と座敷を備えた現役の茶屋が続く風景は、江戸時代から大きくは変わっていないよう。

ところどころにある、柳が涼しげです。

ひがし茶屋街の脇を浅野川が流れますが、金沢は川の多い街でもあります。

800円でバスの一日券があるのも嬉しいところ。

このマップを見ても、観光に力が入っているのが伝わってきます。

私は、スマホ版を購入したのですが、バスを降りようとしたときにログアウトしてしまったので、紙版の方が無難かもしれません。

そのバスに乗って、兼六園までやってきました。

実は訪れるのは初めて。

言わずと知れた日本三大庭園のひとつです。

重要文化財に指定されている、石川城の石川門の向かいにありますが、もとは城の見張り台だったとありました。

園内の景色は見ごとなものですが、そのロケーションも特別なものだと分かります。

江戸末期につくられた、日本最古と言われる噴水がありました。

瓢池(ひさごいけ)は、最も古いといわれる箇所で、加賀百万石の粋を感じさせるのです。

兼六園に隣接するいしかわ生活工芸ミュージアムです。

谷口吉郎の設計で、1959年の完成です。

金沢での目的のひとつが、地元出身の建築家、谷口吉郎・吉生親子の建築をめぐることでもあります。

エントランスまわりは、手が入っていないようで、往時の空気感を感じさせてくれます。

そのまま兼六園の外周を回るように、時計回りに百万石通りを下ります。

坂は景色を変化させるので、強く記憶に残るのだと思います。

日曜日は酷暑の一日だったので、汗をかきながら、普段と違って、ゆっくりゆっくり歩きました。

坂を下りきると金沢21世紀美術館が見えてきました。

妹島和世と西沢立衛の元子弟コンビの設計ユニット、SANAAの最高傑作のひとつと言ってよいでしょう。

真円のシンプルなプランに街に開かれた美術館は、酷暑の夏で、より多くの市民がこの景色を楽しみ、涼んでいました。

建築家である以上、こういった仕事をしたいといつも思わせられる建築です。

当日は35度くらいあったので、できるだけバスで移動しましたが、鈴木大拙館までは歩いてみました。

15分くらいだったでしょうか。

こちらも、兼六園のある小高い丘の裾あたりに建っていますが、そのロケーションの活かし方が秀逸でした。

館としては地元出身の哲学者、鈴木大拙を紹介し、その功績を知ってもらい、思索する場となることを願って開館したとあります。

息子である、谷口吉生の設計で2011年に完成しています。

これは、鈴木大拙館の後に行った、谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館のファサードです。

代表作である、豊田市美術館などでみられるような、これぞ谷口吉生という空間構成でした。

しかし鈴木大拙館は、谷口吉生の違った一面を見せてくれました。

撮影可能な場所は限られているのですが、氏の建築ではめずらしい、方形の独立棟がぽつんと置かれています。

そこから見る水盤に、ときおり「ボコッ」という音とともに水紋が広がるのです。

無言にして雄弁とも言える、空間が広がっていました。

谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館まで移動したのですが、名前は親子が並列されていますが、子・谷口吉生の父・ 谷口吉郎へのオマージュと言って言ってよいと思います。

この空間は、父・吉郎が迎賓館赤坂離宮和風別館を再現したものです。

実際は池に面しているのですが、それを子・吉生は水盤で表現しました。

父・吉郎は犀川の横にあった、九谷焼の窯元の家に生まれました。そこにこの館が建っています。

親子とも東大卒でもあり、いろいろなことに圧倒されてしまいました。

前の通りの名前は蛤坂。

何とも美味しそうな名前です。

金沢は高低差があるので坂が多く、函館や長崎と同じように、これらが旅情をさそう景色を形作っていると感じます。

川が多い上に山も近く、街と自然の距離感がとても近い街でした。

長くなってしまったので、次回、食、宿などを書いて完結編としたいと思います。

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能登半島地震、復興まちづくり支援。一歩前へ‐2248‐

8月28日(木)夕方の大阪駅です。

18時10分発のサンダーバードに乗車しました。

湖西線を抜けて、1時間半程で敦賀に到着。

北陸新幹線に乗り換えて更に1時間。

金沢までやってきました。

そのままホテルで一泊し、翌朝レンタカーでのと里山海道を北上します。

能登半島地震発生から1年9ヵ月経ちますが、北に向かうにつれて、道路はいたるところで復旧工事が行われています。

かなり余裕を見て6時半に出発したのですが、途中渋滞があったり、下道では片側通行があったりで、能登町まで3時間近く掛かりました。

能登町役場があるのは宇出津という街です。

「うしつ」と読みますが、見ての通り天然の良港で、北前船の寄港地として栄えました。

現在でも内浦地区の経済の中心となっています。

本当に美しい港だなと思って海沿いまで行くと、その水面の高さに驚かされます。

湾に注ぐ川べりを見ると、水面の高さが分かるでしょうか。

災害復興まちづくり支援のボランティア団体から、建築士の参加を広く募っていると知り、参加させて貰いました。

前回の熊本地震と違う点は、弁護士と建築士がチームになって回ることです。

弁護士がコーディネーターとしての役割と、支援金制度などについてもアドバイスしてくれるのは、素晴らしい試みだと思います。

能登町も大きな被害を受けていますが、徐々に復興は進んでいるように感じました。

ただ、地震後1年9ヵ月経ってからの相談依頼なので、大きな問題を抱えている方が大半でした。

2日で5件回ったのですが、同じ班になった建築士の方の意識も高く、非常に遣り甲斐がありました。

能登半島の先端部は、北側の外洋に面する輪島市や珠洲の北側周辺を外浦と呼びます。

南側の、能登町、穴水市、七尾市周辺を内浦と呼びます。

外浦周辺は最大4m隆起した場所があり、内浦は30cmから50cm下がったとの言われた方もいました。

能登半島の先端は、北側が大きく隆起し、反対に南側は沈下したのです。

相談内容はここでは書きませんが、2日間の相談・調査の後、能登の先端をぐるりと回ってきました。

宇出津から少し北の白丸地区は津波の被害を受けています。

海沿いにある白丸郵便局は、震災遺構となると弁護士から聞きました。

シートの中は、津波の被害がそのまま残っています。

少し北上すると、珠洲市に入ります。

見附島は軍艦島とも呼ばれていましたが、地震で大きく崩れ、その形状が変ってしまいました。

「えんむすびーち」とありますが、復興と共に観光客も取り戻したいところです。

ただ、見附島から北のエリアの被害は甚大でした。

右に左に倒れる電柱や、ぐにゃぐにゃと曲がる鉄製の柵が、凄まじい揺れを物語っています。

手つかずの建物も多く残っていました。

そして珠洲市役所までやってきました。

震災発生の際に、リアルタイムでその様子を映していたのは屋上のカメラでしょうか。

一番驚いたのは、内浦では特にですが、震災後も多くの家は黒瓦で葺き直しています。

揺れに対しては軽い屋根が強いので、金属板で葺き直す方が有利なのですが、ほとんどそういった家は見かけませんでした。

その黒瓦が艶やかで、日本の原風景とも言ってよい、甍の続く街並みを残しているのです。

そのあたりは、住んでいる人たちの覚悟のようなものをヒシヒシと感じたのです。

そのまま能登半島を横切り、輪島へ向かいます。

内陸部の道路は大きな被害を受けた跡が、まだまだ残っていました。

輪島の朝市通り周辺は、火災の被害が最も大きかった場所です。

能登町の方が「輪島、珠洲の方が揺れは酷かった」と言っていたことも理解できます。

火災が起こったエリアはほぼ手つかずで、焦げ跡だけが残っていました。

ポツンと残った黒焦げの木が、夕日を浴びてなんとも物悲しい風景だったのです。

輪島から南下し、何とか陽のあるうちに、黒島地区までたどり着きました。

宇出津と同じく、北前船で栄えた黒島は江戸時代に幕府の直轄地となっています。

黒瓦と下見板が張られた街並みが、当時の繁栄を感じさせますが、倒壊した建物も多くあります。

被害は甚大だったようです。

すぐ目の前にある海が繁栄をもたらしました。

しかし、最大4m隆起したと言われる外浦地域では、多くの港が干あがり、港としての機能を失っています。

堤防の下半分が白っぽくなっていますが、そこまで海に浸かっていたのです。

海が隆起したことで海岸線が後退しますが、その景色は、今まで日本では見たことのないものでした。

何とも言えない、虚しさを感じたのです。

そろそろ沖に漁火が見えだしたので、黒島を後にしました。

ある相談者の女性は、地震発生時に、近くにあったテレビ台にしがみついたそうです。

激しい横揺れで、テレビ台ごと1.5m程海岸側にずり動かされました。

その横揺れの後、最後に「ドーンと地面が落ちたと」語っておられました。

内浦地区のことなので下がった方向は南側です。前の道路とは、50cm程の段差ができていました。

全てが地震の動きと合致します。

そのテレビ台は小さく2ヵ所、塗装がはがれている箇所がありました。

揺れに耐える際、女性の爪が食い込んだ跡だったのです。

なぜ、大地震はこれ程美しい場所にばかり起こるのでしょう。

全ての相談を終え、そんなことを感じていたのです。

今回の、弁護士と共に活動する復興支援は、とても良い試みだと感じました。

コーディネーターの弁護士さんに「なぜこの活動をしているのですか?」と聞くと、「天災は重大な人権侵害がおこります。基本的人権を奪いかねないからです」と。

それを聞いて納得できました。確かに、人としての尊厳を保てないような生活を強いられている人を多く生んでいるのです。

震災後、1年9ヵ月が経過しているにも関わらず……

その状況が過酷な人もおり、少しでも職能を活かせるなら、積極的に参加したいと思いました。

そして、その現状を伝えると共に、是非現地への観光も促したいと思っています。

次回は、能登、金沢の魅力を、たっぷりお伝えしたいと思います。

ある公民館の、小便器の前にあった貼り紙です。

どんな状況でも、ユーモアは忘れないようにしたいものです。

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