続・梅田ダンジョン④<大阪駅前第1ビル地下2階は設計ミス?編>‐2216‐

昨日の日曜日は、自転車で梅田へ。

大阪城の西側にある大阪府警察本部の前を横切り、谷町筋へ向かってゆるやかに下ります。

庁舎は2008年の完成で、設計は黒川紀章。

黒川は2007年に亡くなっているので、完成を見ていないのです。

天神橋を渡り、大川の北側にでます。

天満橋のOMMビルが東に見えていますが、このビルがランドマークになっているのがよく分かります。

西にキタのビル群が近づいてきました。

このあたりが丁度真ん中です。

2号線沿い、大阪駅前第3ビルの南側までやってきました。

のんびり走って20分くらいだったでしょうか。

目的は釣り道具の補充でした。

平野からは、フィッシングエイト本店に通っていましが、上町からはここが一番近い系列店になります。

第3ビルの西隣は第2ビルです。

「seven dreamers Umeda Osaka」は、2019年の経営破綻で閉鎖されました。

その場所を訪れると、現在はクリニックが入っていました。

渾身の仕事だっただけに寂しいことですが、致し方ありません。

丁度、動画をUPしたところだったので、ここにも貼っておきます。

はす向かいにあった大阪マルビル跡も、関西万博会場行きのバスターミナルになっています。

昨年の2月に、梅田ダンジョン①<大阪駅前ビル編>を書いた時には解体中だったマルビル。

時代の趨勢は誰にも止められないことを実感するのです。

ですが、昭和の香り漂う第1ビルの地下2階で、昼食でも取ろうと店を探してみます。

第1ビルの地下2階だけ天井がかなり低く、通路が極めて狭いのには訳があります。

元々、地下2階は倉庫等に使う予定で、店舗用には設計されていないのです。

しかも、JR大阪駅からは地下1階で接続する予定だったのを、後で地下2階で接続するよう計画が変更されました。

大阪駅と繋がるディアモール大阪の勾配が、かなり急で長いのはそのせいです。

梅田界隈は地盤が弱く、広大な地下街を作るには強度の問題から、より深くする必要があると後で分かったからのようです。

それを証明するように、第1ビルの地下2階は、大阪駅に最も近い北側中央には空間がありません。

店舗にするなら、その場所こそが最も人が訪れるのは間違いないのに、です。

第2ビルの地下2階で、日曜日にも関わらず定食を750円や800円で出している店を見つけました。

「金明飯店」の麻婆麺ミニ炒飯セットは800円。

豪華とは言いませんが、金額を考えるとかなりお得で、十分美味しかったです。

3回シリーズで一旦終わった「梅田ダンジョン」シリーズ。

またネタがあれば、「続・梅田ダンジョン」シリーズでUPしてみたいと思います。

昨日は母の日。

妻に長男からこんなLINEが届きました。

20歳になった長男から、こんなプレゼントがある訳ですから、時代が変わっていくのは必然で、昭和は遠い昔になっていきます。

少し寂しさを感じたあなたは、 大阪駅前第1ビル第2ビル の地下2階へどうぞ。

ほぼタイムマシンですから。

■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

私の根っこはどこに‐2215‐

2025年のゴールデンウイークも終わりました。

私にとっての初日は5月3日(土)、憲法記念日でした。

この日は久しぶりの三宮へ。

懐かしの阪急三宮の西口を出て、いくたロードを北にワンブロック上がります。

神戸らしい景色で、何だか得をした気分になるのです。

西の裏路地にある「ひつじの一休」が集合場所でした。

その名の通り、ラム肉の専門店です。

中高の映画研究部、通称「映研」の3人会に混ぜてもらいました。

1人は同じバンドのメンバーだったのが縁で、声を掛けてくれたのです。

店を聞いた時「ラム肉とはしぶいセレクトだなあ」と思っていましたが、抜群に美味しかったです。

一番はこのラムチョップ。

これだけが「時価」となっていましたが、びっくりするような値段ではなかったと思います。

もし行くなら、これは頼んだ方が良いと思います。

「映研」の3人は本当に仲が良く、羨ましいくらい。

文化祭の時に、深夜まで掛かって作品を作ったことを、本当に楽しそうに話していました。

そのタイトルは「ブレス・オブ・サタン」。

内容は忘れてしまいましたが、私がタイトルを覚えているのが凄いとも言えるのです。

幹事役をしてくれたH君が連れて行ってくれた2軒目は「金山園」。

お勧めの「汁ビーフン」でこの日の会を締めました。

「根っこがあるのは羨ましいよなあ」と思っていたら、随分前の「北予備の行方」という記事に、コメントがついていました。

昨日のことですが、私が大阪北予備校を卒業したのは1990年。

コメントしてくれた方は1984年とあるので6つ先輩です。

残念ながら北予備はマンションに変わってしまいましたが、私の記事にシンパシーを感じて貰えたなら、本当に嬉しい限りです。

確固たるものが何も無い時間の拠り所として、 北予備はとても良かったのだと私も思うのです。

昨年の年始に、長男を連れて西宮市山口町にある、美與志堂(みよしどう)まで行ってきたと書きました。

「縁あって去年の6月にラーメン屋になりました」というコメントに衝撃を受けて、です。

衝撃は受けたのですが、何より予備校時代の仲間に久し振りに会いたいと思ったのが一番の動機でした。

訪問時に、彼の定休日前の夜に、必ず飲みに行こうと約束し、連絡ができずにすでに1年4ヵ月が経過。

本当に言うだけ番長です。

この1年4ヵ月の間に、有りすぎるくらい、色々なことがあったのですが、言い訳に過ぎません。

ただ、今度は本当に実行に移したいと思います。でなければ、今、何とか分かっている連絡先も、いつか分からなくなってしまうかもしません。

「私の根っこはどこにあるのだろう」と考えます。

できの良かった小学校?できの悪かった中学高校?大阪北予備校?出稽古のように通った甲南大学スキー部?それともマグロ大学?

答えはいつも霧の中なのです。

■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

コロナも、169号線の通行止めも乗り越え、何とか再訪、池原ダム‐2214‐

ゴールデンウィーク後半は、昨年の8月以来の池原ダムへ。

約9ヵ月振りですが、5月らしい天気になりました。

トボトスロープでボートを降ろすと、知った顔も見かけ、なんだかホッとするのです。

「下北山村の古民家〈リノベーション〉」も、9月以来ですが少しのぞいてきました。

黒の外観が、新緑に映えています。

外から見せてもらうだけで、と伝えていたのですが、アイスコーヒーをごちそうになりました。

ご主人から、奥さんへデロンギのコーヒーメーカーをサプライズでプレゼントする際の相談は受けていたのですが、金額は分かっていませんでした。

最上位機種だったそうで、その辺のカフェなら負けないくらい美味しかったのです。

裏の物置が無くなり、石垣がいい感じです。

と言っていたら、晩御飯までごちそうになることに……

何と、昨年の9月に続いて私が最も好きなエビフライ。

そしてチヂミまで。

ご主人は飲まないのに、ビールを2本も頂いてしまいました。

当然ですが飲酒運転は厳禁。

車中泊して、朝一番からポイントへ急行です。

季節的には最上流を一応チェックします。

魚は見えますが、透明度が高いだけになかなか口は使ってくれません。

防水カメラを買ったので、水中も撮ってみます。

ジンクリアの美しさがいまいち伝わらず……

これから使い方を工夫してみようと思います。

実は、前日も少しだけ湖上に出たのですが、なかなか厳しい感じでしたs。

サイズはともかく、何とか早い時間帯に1本獲ることができました。

ただサイズはあがらず……

昼休憩をはさんで、昼からは大物狙いに。

何とかかんとか47cmを1本獲ることができました。

午前中に当たりをつけていたエリアでした。

バスフィッシングは、自分の読みが当たったとき、最高に気分が良いのです。

しかし、久し振りだったのでかなり疲れました。

早めにバンガローに戻り、この日記を書きました。

「下北山村の古民家〈リノベーション〉」 は、丁度コロナをまたいでの計画になりました。

コロナによる計画のスローダウン、ワーケーション+現場監理、169号線の通行止めによる十津川村へ迂回……

本当に色々なことがありました。

この計画の相談を受けた時、「下手な仕事をしたら、一生池原ダムに来れないかも……」などと考えましたが、何とか杞憂に終わってくれました。

30年通った、バスフィッシングの聖地、池原ダム。

自宅が中途半端なこともあり、なかなか腰が重かったのですが、来てみるとやはりここが好きなんだなと分かります。

明日は雨のようですが、午前中だけ釣って帰ろうと思います。

皆さんもよきゴールデンウィークを。

■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

必見、世界遺産・二条城での アンゼルム・キーファー展‐2213‐

4月29日は昭和の日。

二条城で開催中の アンゼルム・キーファーの展覧会へ行ってきました。

東大手門にの前にも案内がでていました。

正確には「アンゼルム・キーファー:ソラリス」展

「ラー」  940×950cm  2019年

受付を過ぎると、いきなり巨大なオブジェ「ラー」が現れます。

パレットから羽が生えている!

9.4m×9.5mとサイズ感も圧倒的でした。

アンゼルム・キーファーは1945年、ドイツ生まれの80歳。

現代で最も重要な重要なアーティストの1人と紹介されていました。

ナチス、戦争、神話と作品のモチーフは変化しますが、ヘビも色々な所に登場しています。

二条城、二の丸御殿台所・御清所に入っていきます。

「オクタビオ・パスのために」380×950cm 2024年

キャンパスに岩石などを貼りつけ、立体的な作品です。

この作品は、この展示会のために製作した作品で、原爆投下が題材です。

詩人、オクタビオ・パスの詩が引用されています。

またゴッホにも影響を受けているという点も納得できます。

「ボソン開放弦」 280×380cm 2023年

キーファーは、この展示会で会場となる二条城にある狩野派による障壁画にもインスパイアされ、金を多用したようです。

谷崎潤一郎は「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」の中で、軒の深い日本家屋の奥深くで、金襖や金屏風がほのかに光るさまに、美を見出しました。

その精神性は、かなり日本人に近いのかもしれません。

「ダナエ」 242×120×91cm 2018-24年

今回の展示は、本格的な照明設備が設置できないので、基本は自然光です。

それが、より金色の輝きを際立たせています。

ダナエはギリシャ神話に登場する、美貌の女王。

クリムトも同じタイトルの傑作があります。

その淫靡な空気感や、金色の使い方はクリムトの影響も受けているのかもしれません。

「ウルズ、ヴェルザンディ、スクルド−ノルンたち」 210×121×50cm 2014年

「ウルズ、ヴェルザンディ、スクルド−ノルン」は、北欧神話の最も有名な女神の3姉妹でした。

電線に使われる碍子(がいし)をワイヤーで縛ったもので、なぜ女神たちを表現したかったか分かりませんが、そんなことを、スマホでいちいち調べながら見て回りました。

アートに浸る時、そういった機器は邪魔になると考えていましたが、今回は全く逆でした。

会場に入ると、QRコードで作品リストがダウンロードできるのです。

それを見ながら、かつ調べながら観て回るのは極めて楽しかったのです。

「マアト=アニ」 188×150×124cm 2018‐24年

極めつけはこの作品。

「マアト」は古代エジプトの「法」「真理」「正義」を司る女神のようでした。

「アニ」はテーベの書記官とありました。

石膏のドレスの上で、分銅と羽が釣り合っているというこの構図。

土間での展示だったので、風が吹きこみ、羽が舞い上がった時にその意図がある程度理解できたのです。

作品であり、もうエンターテイメントです。

「モーゲンソー計画」 部屋いっぱい 2025年

戦後、アメリカの主導により、荒廃したドイツを農業国化するという「モーゲンソー計画」。

部屋いっぱいに砂が敷き詰められ、麦畑があらわれました。

そして、一番奥まで行くと、国宝、二の丸御殿との間の中庭にも、数多くの作品がありました。

これだけ面白かった展示会はなかなか経験がありません。

会場は、二条城とだけ書きましたが、正確に書くと、重要文化財「台所/御清所(おきよどころ)」です。

要するに、台所なのです。

天井はこの小屋組みです。

また、クリムトに同題があるといった「ダナエ」の奥に見える台は、見張り台のようです。

そこで、毒が混入されないように見張っていたとのこと。

アンゼルム・キーファーの極上のアートと、徳川の威光にもうお腹一杯でした。

この後、京都を散策したのですが、それはまた機会があれば書いてみたいと思います。

「アンゼルム・キーファー:ソラリス」展、控えめに言って最高でした。

■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

見てるだけ~‐2212‐

1週間前はつぼみ混じりだったツツジもすっかり満開です。

合わせるようにハナミズキも。

周辺のマンションは、植栽に多くの面積を割いている建物が多いです。

マンションは緑化が義務付けられていますが、街に緑が増えるのはとてもよいことです。

最長11連休というゴールデンウイークが始まりました。

休みの日に、魚が食べたいなと思い立つと、海沿いの産直市場的な所へは色々行きました。

お肉が安い所ってないのかなと探してみると……ありました。

大阪市生野区巽南2丁目1−1にある「肉のはや志」。

位置的には東部中央卸売市場のすぐ東です。

業務用ミートセンターとありますが、一般の人も全く問題ありません。

リサーチ通り安い!

タンはスライスと共にブロックもあります。

「すじ肉のみのお買い上げは御遠慮ください」というくらい安いのでしょう。

1160円の半額ということは、ステーキ1枚580円!

ただ、本日はモツ鍋とのことでシマ腸以外は全て却下。

現在、仮住まい中につき冷蔵庫が小さく、当日食べられる量しか買えないのです。

豚の頭まで売っていました。

なんと2000円。

週末まで残っているのは珍しいそうです。

「見てるだけ~」というカタログショッピングのCMがありましたが、調べてみると30年前でした。

住居部未完成につき、食料最少、服も家具もまだ購入できません。

豚の頭はそれで十分ですが、1ヶ月半「見てるだけ~」の生活が続いているのです。

少しずつ、少しずつ進んでいる「上町のアトリエ付き住宅 〈リノベーション〉」ですが、ささやかな夢があります。

それは七輪で、ひとり焼肉をすること。

そのために、屋上のある古ビルを探していたと言っても過言ではありません。

「肉のはや志」 で、 ステーキ、バラ、タンを大量に買って、思う存分焼いて、思う存分食べてやる。

それが叶ったらどれだけ幸せか……

とても54歳の夢とは思えませんが、これが本当に、今現在の私の夢なのです。

■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

そこは快速の列、こっちが新快速の列‐2211‐

今日は第4木曜日なので、「ささき整形外科クリニック」リハビリ棟増築計画の定例会議でした。

会議が始まるまで現場を見て回りますが、4階まで上がると風がとても心地良い。

周辺の小高い丘も、緑がいっそう濃くなってきました。

JR大阪駅から姫路までは新快速での移動です。

打合せの予習をしながらも、うららかな景色と日差しに、ついウトウトしてしまいます。

ここ数年、インバウンドによって日本の景色がかなり変わりました。

今年になってから、更に加速した気がします。

姫路へ向かう車内は、3割くらいが外国人のこともあります。

帰りは、3駅西の網干駅から乗ることもあるのですが、先日は、その車内がすでに外国人で溢れていました。

網干より西と言えば、相生でカキを食べてきたのか、備前で焼き物を体験してきたのか、岡山から大阪へ戻る途中なのか……

これまで、インバウンド客をあまり見ることが無かった街にも、多くの外国人が訪れています。

観光立国を目指す日本としては、喜ばしい限りです。

大阪駅では、新快速のために並ぶ列と、快速のために並ぶ列が、マークと色で区分けされています。

姫路までは新快速で1時間掛かるので、少し早めに行って並ぶことにしています。

すぐ横に快速用の列がありますが、日本人でも間違っている人が居るくらいなので、外国人の多くは「こっちが空いてるわ」くらいの感じで、そちらに並ぶことが多いのです。

新快速が到着すると、乗車口の左右に分かれ、降車客を待ってから乗ることになります。

私が乗車口の左に行こうとすると、その左にある快速の列に並んでいた外国人のカップルが「なぜ私の前に乗るの?」みたいな感じで私を見てきました。

どうしようかなと思ったのですが「違うんですよ。そこは快速の列で、こっちが新快速の列なんですよ」と、片言の英語で伝えました。

すると、分かったような、分からなかったような感じだったのです。

結局どちらも座れたのですが、そのカップルは私の隣の席に座り「さっきは、何を伝えようとしてくれたんだい?」と聞かれ、またまた片言の英語で説明してみました。

ある程度伝わった感じで、彼女に「どうやら、乗る電車によって、待つエリアが違うみたいだ」のような説明をしていました。

英語が得意ということはありませんが、海外旅行くらいならそれほど困ったことはありません。

しかし、今日ほど英語をもっと勉強しておけば良かったと思ったことは無かったのです。

さらに、知らない間に新快速に「Aシート」なる、有料指定席ができていました。チケットレスなら600円です。

京阪、阪急、そしてJRと、インバウンドのことを考えても、有料席はさらに増えていくことでしょう。

降車客を待てないような下品な人にはなりたくないし、席を取るのに駆け込むような真似も当然したくない。

かといって、並んでいない日本人に「どうぞどうぞ」と言えるくらい1時間は短くありません。

また、「Aシート」 払えない額ではないが、早めに並べばほぼ座れるし……

夏まで続く姫路経由、太子町通い。私の悩みは尽きないのです。

■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

小屋根リングin森ノ宮‐2210‐

万博が開幕し、色々な情報が入ってくるようになりました。

入るのに時間がかかる、この入口なら混まない、あの館が面白い……

開幕直前にチケットを購入し、5月18日に訪問する予定ですが、3回は変更可能なようです。

情勢をみながらいつ行くか決めたいと思っています。

開幕日が悪天候で、中止になったブルーインパルスの展示飛行

多くの人が待ちぼうけを食ってしまった難波宮跡公園。

平日は極めてのんびりした風景です。

すぐ北に、阪神高速東大阪線が東西に通っていますが、この付近は高架になっていません。

難波宮跡公園を過ぎた所から、再び高架になります。

法円坂料金所から森ノ宮出入口のあたりまでが、遺跡の上を横切っているので、地盤を荒らさないよう平面道路になっているのです。


急に景色が開けるので、大阪城も良く見えるのです。

そのまま東へ行くと森ノ宮のキューズモールがあります。

このあたりまでは自転車圏内なのでアトリエの備品を買いに行ってきました。

正確には、もりのみやキューズモールBASEというようです。

阪神高速東大阪線に沿うように、東西に長い施設です。

規模的には、あべのキューズモールよりはかなりコンパクトです。

ただ、日本国内の商業施設で初めて屋上に本格的なランニングトラックを設けた点は、画期的な試みといえるでしょう。

その存在は知っていましたが、近所に越してきて初めて上ってみました。

正式には「エアトラック」という名称で、無料で走ったり、歩いたりできるのです。

それぞれ、レーンが区分けされています。

大阪城を望む景色はなかなかのものです。

阪神高速と同じ目線で走れる場所はなかなか無いかもしれません。

少し先から、高架から平面へ向かって下がり始めているのも分かります。

案内図をみると、施設の外周をぐるりと回っていますが、1周300mなので、400mトラックよりひとまわり小さいというサイズ感です。

開業は2015年の4月27日なので、施設ができてすでに10年が経っていました。

なかなか無いコンセプトだなと感心しました。

万博の大屋根リングも、鉄と木の違いはあれど、同じようなコンセプトです。

サイズが違うのでこちらは小屋根リングでしょうか。

大屋根リングも楽しく、感銘を受けるのか、近いうちに現場検証をしてきたいと思います。

なんだかんだ言っていましたが、行くと決めたら楽しみになってきました。

■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

絶品アジフライin谷六‐2209‐

エレベーターのあるリハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」【ゲンバ日記チャンネル】Episode1を、昨日公開しました。

4階建てになってくると、かなりの高さです。

ドローンで撮った、鳶の職人技と合わせてご覧ください。

地下鉄、谷町六丁目駅の東側は、戦争時の空襲から逃れた住宅が結構残っています。

空堀商店街を中心に、そんな住宅街の中にもポツポツと飲食店があります。

未だ、平野と上町の2拠点生活が続いており、急遽谷町六丁目あたりで外食することになりました。

「橋の湯食堂」はアジフライが人気のお店。

アジ好きの娘は絶対行きたいというだろうなと、引越し前からリストアップしていました。

カウンター席とテーブル席が2つ。

並ぶかもと思っていたのですが、1つ残っていたテーブル席に座れました。

銭湯のような雰囲気をテーマにしているそうで、壁の画もいい感じです。

グラスはサッポロですが、スーパードライが無かったので、マルエフを初めて頼みました。

1986年からあるアサヒの生ビールブランドだそうですが、なかなか飲みやすいビールでファンになりました。

おばんざい的なメニューも豊富。

まずは有機ほうれん草のおひたしを頼んでみました。

出汁がしっかり効いていて、かなりいけます。

看板メニューは、長崎の松浦港産のアジフライ。

塩とタルタルソースを頼みましたが、まずは塩から。

ざっくりとしたパン粉はカリッと揚がっています。間違いのない味です。

タルタルソースは、期待を遙かに上回る美味しさ。

私的には、塩よりタルタルソースでしょうか。

刺身とカルパッチョ。

トマトの和風ロールキャベツ

豚の角煮。

妻と娘はアルコールを飲んでいないとは言え、3人で1万円はかなり満足です。

「上町のアトリエ付き住宅 〈リノベーション〉」計画ですが、少しずつ前進しています。

アトリエなどの一部を使いながらのリノベーションは、引き継いでくれた工務店もやはり大変です。

私達家族もなかなか落ち着きません。

そんな時のために、『あまから手帖』の「谷町1から9」を購入しました。

この本を眺めながら、完成後の楽しい暮らしを思い描いて頑張っています。

■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

博覧会の時代の後‐2208‐

昨日、関西万博が開幕しました。

それを記念して、ブルーインパルスが大阪城上空を2回通過するとのこと。

近所の方も、難波宮跡公園へ向かっているようです。

予定時刻は11時50分と、11時56分。

時刻が近付くにつれて、雨がやや強くなってきましたが、「関空を離陸したよ」という声も聞こえてきました。

ワクワクして待っていると、今度は「中止になったみたい」と。

徐々に、皆が帰路についたのです。

大阪では35年振りと聞いていたので残念です。また機会を作って貰えると嬉しいのですが。

直前まで、万博の盛りあがりをあまり感じていませんでした。

しかし、折角の地元開催なので前売チケットを買ったのは先週のこと。

高島屋東別館で「EXPO 博覧会の時代」という企画展があると知り、のぞいてみました。

難波の大阪高島屋から言えば、南西にあたる堺筋沿いにあります。

エントランスも立派。

2020年にリノベーションし、2021年には国の重要文化財に指定されています。

タイトルからすると「博覧会の時代」と言われた、1990年代の万博の歴史を紐解く内容を想像していました。

しかしここは高島屋資料館なので、高島屋が出品した室内装飾品などの展示がメインでした。

考えてみれば当たり前ですが、こちらが万博モード過ぎていたようです。

それでも、万博に関する資料もいくつかありました。

第1回目は1851年、ロンドン万博ですが、最も知られているのは1889年のパリ万博ではないでしょうか。

フランス革命100周年を記念し、開催にあわせて完成したエッフェル塔は、現在でもパリのシンボルです。

資料には、エジソンの蓄音機が大変な人気を博したとあります。万博の果たした役割がうかがい知れます。

また、1970年の前回大阪万博では、お祭り広場と太陽の塔がシンボルとなりました。

どちらにおいても、建築は主役的な役割を担ってきました。

1970年生まれの私は、この万博が開催中に55歳になります。

建築家としても十分キャリアを積んできたつもりですが、今回の万博に全く関われなかったのはとても残念です。

大小さまざまなコンペがあったのですが、何一つ参加できていないので当然と言えば当然ですが、それでも忸怩たる思いがあるのは間違いありません。

公共建築で指名を受けたければ、実績を積み重ねていくしかないので、ひとつずつの仕事で結果を残していくしかありません。アトリエ移転もきっかけとして、ギアを上げて行きたいと思います。

高島屋東別館があるあたりは、でんでんタウンと呼ばれ、家電量販店、電気部品店等が並びますが、現在は「オタロード」なる名前も付加されています。

アニメ、フィギュア、同人誌を扱う店が多くあり、「西の秋葉原」とも言われているのです。

以前とは全く風景が変わり、メイド喫茶も沢山あります。

その店員さんが道に並んで、店の案内?客引き?をしていました。

私が学生の頃は、オーディオオタク、家電オタクが集まる場所というイメージでしたが、時代が変わればこれだけ変わるのです。

加えて言うなら、これだけ情報があふれていると、「観る」というアトラクションでは、刺激が足りないのだと思います。

USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)にしても、メイド喫茶にしても体験型です。

そう考えると、 「博覧会の時代」と言われた、1990年代後の万博は、なかなか難しいものがあると思います。

日本橋と難波の境目あたりにある、焼売(シュウマイ)の名店「一芳亭」。

黄色い皮の焼売(シュウマイ) は、美味しくかつリーズナブル。

長らく行っていないので、帰りに前を通ってみました。

体験型アトラクションの最たるものは、やはり「食べる」につきるでしょう。

向いにあるメイド喫茶には長蛇の列ができていました。

金額もそれなりだったので、時代を感じずにはいられなかったのです。

■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

しょうがない、はない、オシムの言葉‐2207‐

一昨日の火曜日は、兵庫県太子町の「ささき整形外科クリニック 増築計画」の現場に行ってきました。

花粉と黄砂でしょうか、道中の大阪湾を見渡すと春霞のようです。

4階建てのかなり細長い建物ですが、増築計画なので法申請ではかなり苦労をしました。

追って、ゲンバ日記のほうもUPしていきたいと思います。

ライオンに追われたウサギが肉離れを起こしますか?要は準備が足りないのです。

サッカー日本代表も率いた、イヴィツァ・オシムの言葉です。

はじめてこの言葉を聞いた時、思わず笑ってしまいました。
同時に、この人からは逃げられないな、とも感じたのです。

「オシムの言葉」は、ノンフィクション作家・木村 元彦の丹念な取材によって紡がれた一冊でした。

例年、年始に前年に読んだ本を、当社のサイトにUPしています。

昨年はあまり本を読めていなかったのですが、アトリエ移転でバタバタしていたので、4月までずれ込んでいました。

この本は、比較的早くに読んでいました。しかし、感想を書くのは簡単でないなと思っていました。その人生があまりにも重かったからです。

巻末の「解説」にはこうあります。

オシムという凄い男の底の底まで理解したい、という情熱に裏打ちされたジャーナリスト魂と、「5つの民族、4つの言葉、3つの宗教、ふたつの文字、を内包するモザイク国家ユーゴ」でサッカー選手として育ち、1989年のベルリンの壁崩壊に続くユーゴ共和国での民族主義の高揚、やがて残酷な内戦の勃発、家族離散……などに遭遇しながら、ユーゴ代表監督やギリシャのクラブ監督をつとめたオシムのサッカー魂が、見事に触れあい、火花を散らす取材の結実が『オシムの言葉』であった。

タイトル通り、オシムの言葉が中心にありますが、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の解体や、先日まで隣人だった人々同士の凄惨な内戦の様子も、オシムやオシムの妻の言葉で詳しく語られています。

実際に内戦が始まった時、オシムは現セルビア共和国の首都ベオグラードに滞在していました。当時は同じユーゴスラビア社会主義連邦共和国内でしたが、新ユーゴ連邦=セルビア側が現ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の首都サラエボを包囲した結果、妻と娘と2年半も会えなかったのです。

バルカン半島がヨーロッパの弾薬庫と言われますが、その複雑な現実を私達日本人が理解するのはかなり難しい気がしました。

ユーゴ解体の直前の代表を率いたオシムは、1990年のワールドカップイタリア大会でベスト8までチームを導きます。しかし、解体、内戦に抗議する形で代表監督を退きました。

その実績を見て、あまたのビッグクラブからのオファーがあったのですが、それらを断っていました。

理由をこう説明しています。

私はビッグクラブ向きの監督ではない。
スター選手を外したら、監督のほうの首が飛ぶ。

実際にオファーがあったレアル・マドリードについても語っています。

ビッグクラブにしてみれば、監督という人種はそういう大きな所から話が来れば、すぐに引き受けるだろうと思っているだろうが、それは違う。ジダンやベッカムやロナウドやいろんな人間を集めても、じゃあ彼らのためにいったい誰が走るんだ?だからあのチームは、スペインでもヨーロッパでもチャンピオンには成れないだろう。

2003年、ジェフユナイテッド市原・千葉の監督に就任することになりました。クロアチアリーグでプレー経験のある通訳の間瀬秀一はオシムをこう称しています。

監督をやっているんじゃなくて、監督という生き物。

そしてオシムはこう語るのです。

言葉は極めて重要だ。そして銃器のように危険でもある。 (中略) 新聞記者は戦争をはじめることができる。意図を持てば世の中を危険な方向へ導けるのだから。ユーゴの戦争だってそこから始まった部分がある。

ジェフユナイテッド市原・千葉で結果を残し、2006年には日本代表の監督に就任。そして、「考えて走るサッカー」を浸透させていくのです。

母語が異なるにも関わらず、選手の信望を得ているのは、言葉の重さを誰より知ってるからでしょう。

そして、その核心に著者・木村元彦が迫る場面があります。

-監督は目も覆いたくなるような悲惨な隣人殺しの戦争を、艱難辛苦を乗り越えた。試合中に何が起こっても動じない精神、あるいは外国での指導に必要な多文化に対する許容力の高さをそこで改めて得られたのではないか。

「確かにそういう所から影響を受けているかもしれないが……。ただ、言葉にする時は影響を受けていないと言ったほうがいいだろう」オシムは静かな口調で否定する。「そういうものから学べたとするなら、それが必要なものになってしまう。そういう戦争が……」

悲痛とも言える言葉でした。

最後に、オシムが日本人選手やコーチが使う言葉で嫌いだと言ったものを取り上げます。

『しょうがない』と『切り替え、切り替え』です。それで全部誤魔化すことができてしまう。『しょうがない』という言葉は、ドイツ語にもないと思うんです。『どうにもできない』はあっても『しょうがない』はありません。これは諦めるべきではない何かを諦めてしまう、非常に嫌な語感だと思います。

私も『しょうがない』で自分を慰めるのは止めようと思います。

日本代表監督に就任した2年目、オシムは脳梗塞に倒れやむなく退任。その後を引き継いだ岡田武史監督が、2010年ワールドカップ南アフリカ大会で、はじめて決勝トーナメントに進出したのは誰もが知るところです。

2022年に亡くなった際には、ドラガン・ストイコビッチ、巻誠一郎など、多くの教え子が追悼のメッセージを発しました。

惜しみ、惜しまれ、逝ったオシム。その言葉は、世界各国で語り継がれるでしょう。

■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

建築家がゲツモクに綴るブログ、動画。人、建築、街、自然・・・・・・ぜひご覧ください