美は力‐2339‐

阿倍野区を庚申街道(こうしんかいどう)で移動していると、十字架のある塔が見えてきました。

日本基督教団南大阪教会です。

大阪が誇る巨匠・村野藤吾のデビュー作で、塔の部分は1928(昭和3)年に完成した、

当初から塔はRC造でしたが、会堂のある平屋部分は木造でした。

平屋部分が傷んできたので、1981(昭和56)年に改築されています。亡くなる3年前の完成でした。

村野の真骨頂、有機的な造形が冴えわたります。

柔らかい外壁のテクスチャーに、夏の鮮やかな花が良く似合うのです。

敷地の調査もあって最近このあたりをよく通ります。

古い住宅が結構残っているのです。

どちらの住宅も、昭和初期の建物でしょうか。

だとすれば、RC造でなくても約100年持っていることになります。

こちらも阿倍野区にある大阪府立工芸高等学校本館です。

1924(大正13)年の完成で、大阪市指定有形文化財に指定されています。

学校のWebサイトには以下の解説がありました。

1世紀前に遠くドイツの地で起こった芸術運動が、大阪の地に引き継がれていることに感動すら覚えます。

モダニズムの源流がバウハウスにあるなら、村野もその流れを汲んでいることになります。
彼らをお手本として生きてきた私達も、支流の水路くらいの流れを汲んでいると言ってもよいかもしれません。

バウハウスが、芸術学校として機能したのはわずか14年ですが、最後の校長であるミース・ファン・デル・ローエに代表されるように、装飾的ではない、機能的で、合理的な美を追求していきます。

その思想を汲んだ建築の美しさは、世界に衝撃を与えたのです。

「翼をください」等の作曲で知られる村井邦彦さんが、新聞で「美は力」という言葉を紹介していました。

美しい建築はそれ自体が力をもっています。そして、人に力を与えてくれます。

建築設計を生業としているのですが、本当にいい仕事をさせて貰っていると思います。
と同時に、その頂の高さに圧倒されることもしょっちゅう。

それでも前に。倦まず、弛まず、一歩ずつ、です。

■■■7月5日 NHK『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』「回遊できる家」が紹介されました■■■

■■5月8日『ミラタップ』のカタログ「ドッグランのあるタイル床の家」の写真が掲載されました■■

■10月1日『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」が掲載されました■

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やらなわからしまへんで‐2338‐

近くの神社で、夏祭りは生國魂神社からスタートします。

谷町9丁目の交差点の南西にありますが、土曜日の夕方にのぞいてみました。

東にある上本町側の歩道橋からアプローチすると、参道前には色々な出し物の準備をしているグループが列になっていました。

一般からの参加が沢山あるようで、種類も神輿、太鼓、獅子舞と様々。

西にある本殿へ続く参道には、屋台が建ち並び、もの凄い熱気です。

串焼き、りんご飴、金魚すくいなどの定番と共に、サザエさんのスマートボールがありました。

今どきの子供でも遊ぶんだと、軽く感激しました。

人波の流れに乗って、鳥居の前までやってきました。

境内の中でも、沢山のグループが準備しています。

東から参道を上ってくるグループと、西に参道を下っていくグループがあり、ひっきりなしに行きかっています。

入口で準備していた子供獅子舞がやってきました。

交代交代に獅子舞の中が入れ替わるので、本当に子供が演じていることが分かります。
誰もが大汗でした。

一通り雰囲気を味わったあと、妻が何か食べたいと、タイムセール中400円(ほんまに?)の「大阪名物!はしまき」を食べると。

色味がかなり魅力的で、秒殺されていました。

祭りの屋台以外で買うことは無さそうですが、今どき400円はなかなか無い価格です。
かつ、なかなか美味しい。

まあ、粉もんにソースが掛かっていて、美味しくないものはこの日本にはありませんが。

こちらの屋台、店主と手伝いという感じの2人オペレーションでしたが、手伝い君のほうに、ちょっと意地悪な質問をしてみました。以下そのやり取りです。

守谷:はしまきって大阪名物なんですか?

手伝い君(店主に聞く):大阪名物なんですか?

店主:もちろん大阪名物やがな!

手伝い君:大阪名物です

いくたまさんの夏祭りを満喫して帰ってきました。

先の大鳥居には、大きな茅の輪が掛かっていました。

境内側から見ると「サントリー ウヰスキー 本舗 株式会社 壽屋 鳥井信治郎」とあります。

壽屋はサントリーの前身で、1921(大正10)年に設立されています。
そして1963(昭和38)年にサントリーに改称しました。

反対側が、幟でみえにくかったのですが昭和32年とあるようです。
サントリーとなる寸前に寄贈されたものでした。

鳥井さんの建てた大鳥居だったのです。

大手飲料メーカーの本社は全て東京です。

サッポロとあるサッポロビールでさえ東京本社の中、かたくなに大阪本社であることは大阪人としては嬉しい限りです。

サントリーのWebサイトにも、創業者、鳥井信治郎の口癖として紹介されています。

確かに、鳥居を寄贈した人にしか分からない幸福感、達成感があるのだと思います。

「やらなわからしまへんで」響きとは対照的に、厳しい言葉でもあるのです。

■■■7月5日 NHK『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』「回遊できる家」が紹介されました■■■

■■5月8日『ミラタップ』のカタログ「ドッグランのあるタイル床の家」の写真が掲載されました■■

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青と緑の大阪‐2337‐

7月に入ったばかりですが、昨日近畿地方は梅雨明けしました。

昨年は6月中に明けましたが、今年も平年より11日早い梅雨明けだそう。

夏の花も一気に咲きはじめました。青紫のアサガオに、薄紫の花はデュランタのようです。

天神橋から、中之島越しに大川を望みます。

いきなり快晴が続くようで、今年も暑い夏がやってきました。

例年なら梅雨時に開催される夏祭りも、今年は傘不要のようです。

夏祭りの開催日を見ていると、近くの神社で被らないようになっているのが分かります。

保育園、小学校、中学校の運動会が被らないようにするのと同じでしょうか。

できるだけ沢山の人に来て貰うための工夫なのか、はたまた的屋を手配する都合なのかもしれません。

天神橋の南詰めまでが天神橋筋で、その南は松屋町筋です。

松屋町筋には個性あるビルが色々あります。

大塚グループ大阪本社大阪ビルは、日建設計の設計で2014年の完成です。

三角形のカーテンウォールは、構造と一体化したダイヤゴナル(斜め)・フレームとなっており、執務空間は柱が無いそうです。

現代的な洗練されたオフィスビルの佇まいですが、一度内部も見てみたいものです。

こちらは、少し北に上がった、天神橋南詰にあるアクアタワービル。

以前から何だか気になっていたビルで調べてみました。

1992年の完成で、施工は大林組のようですが、設計者は分からずでした。

形はやや特徴ありくらいの感じですが、色使いが面白いのです。

淡い青の外壁に、同系色のエメラルドグリーンのカーテンウォールをもってくるあたりが、只者ではない感が漂っています。

また、アクアタワービルのネーミングもいかしています。

水都、青と緑の大阪を象徴する建物と書けば、持ち上げすぎでしょうか。

2011年の11月にアメリカの東部をまわりました。

いくつも感激した建物はありましたが、そのひとつがレバー・ハウスです。

ニューヨークのマンハッタンに建つ、最初期のカーテンウォール構造の高層建築で、SOM(スキッドモア、オーウィングス&メリル)の設計です。

1952年に完成しました。

ブルーグリーンのガラスに覆われたこのビルは、街に輝く宝石のようでした。

興奮のあまりピンボケの写真しかないのは痛恨の極み。再訪したい建築のひとつです。

補色の関係なら、互いが引き立てあうのでデザイン的には簡単です。
同系色で洗練された表現をするのは何倍も難しいのです。

海外旅行もコロナ前の2019年香港行きからどこにも行けていませんが、この夏は近場に出掛けてこようと思います。

建築にしても、街にしても、その場に立ってみなければ感じられないことばかり。いくつになっても海外行きはワクワクしかありません。

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NHK初登場と松下幸之助起業の地‐2336‐

7月5日(日)の18:05からNHKで放送があった『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』

お金をテーマにした番組ですが、昨日の放送は「瓦」がテーマでした。

その中で、ガラス瓦を取り上げるので「回遊できる家」の写真を使わせて欲しいと連絡があったのは4月の中頃でした。

アシスタントプロデューサーの方と数度やり取りして、画像を番組で使用することに承諾しました。

2ヵ月半も前から、そんな準備までしているとは、さすがNHKだと納得もしました。

ただ、キャプションにアトリエmと入れて欲しいとお願いすると「会社名はだめなんです」と。

それはそうかと納得し、私の名前だけ入れてもらいました。

NHKで露出したのは初めてだったので、一応リアルタイムで観ました。

どんなことでも、取り上げられるのは嬉しい事ですから。

「回遊できる家」の屋根上部にガラス瓦が使われているのが見てとれるでしょうか。

さすがにNHKはお目が高い。

しかし、この作品は本当に良くメディアに取り上げられます。

最高の孝行息子なのです。

週末は、晴れ間を狙って少し遠くまで走ります。

千日前通と疎開道路の交差点が「玉津3」です。

千日前通を西に戻ると鶴橋なので、ザ・下町と言ったところ。

東に進むと、南側は古い町屋が多く残っています。

反対に、北側は新しい建物が混在していました。

こちらは、理容店のカンバンのようです。

「さすがは大阪!」という声が聞こえてきそう。道頓堀へ行かずともこのクオリティなのですから。

更に東へ行くと、『松下幸之助起業の地』という看板を見つけました。

2分歩くと、お寺の前に石碑と案内板がありました。


1894(明治27)年生まれの松下幸之助は、9歳で親元をはなれて大阪で丁稚奉公をはじめます。

15歳で大阪電灯株式会社の配線工となり、1917(大正6)年、22歳の時にこの場所で独立します。

「松下式ソケット」を事業化するためですが、四畳半と二畳の借家の小さな工場で、妻と義弟の井植歳男が工夫と努力を重ね、多くの困難を乗り越え、世界的大企業とする基礎が培われたのです。

東成・生野(旧・猪飼野)は、古代から先進的な技術者の集まった土地で、幸之助がここで業を興したのも、新しい産業を受け入れる土壌がこの地にあったからにほかならない、という説明もありました。

テレビ、ハードディスクレコーダー、髭剃り等など、我が家でもPanasonicはいたるところにあります。その全ての始まりの地を見れ、何だかテンションが上がったのです。

松下幸之助は本当にケチだったと聞きます。

「回遊できる家」も本当に予算がない、でも明るい家にして欲しいというリクエストから、苦肉の策で、ガラス瓦を採用したのです。

私も1996(平成8)年に天王寺の四畳のワンルームマンションで起業しました。

同列で扱うのはおこがましいですが、大阪の土壌があったからこそできたのだと思います。

「無い」は「工夫」を生み、「違い」を生みます。

何でもそうですが、高い方が良いという人は居ません。

どんな大変も「ネタ」に。私の物づくり人生はまだまだ続くのです。

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6月晦日に祓い、あげる‐2335‐

seven dreamers Ginza Tokyoの動画を【Works Video 】<Public>にUPしました。

2019年にseven dreamersと共に無くなってしまったこの店舗ですが、銀座のど真ん中での仕事で、思い入れもひとしおでした。よければご覧ください。

サッカー日本代表の北中米ワールドカップですが、6月30日に終戦しました。

6月15日(月)5:00開始のオランダ戦から、6月30日(火)2:00開始のブラジル戦まで16日間。

夢を見させてもらいました。

と、同時に、真のワールドクラスの選手が、本気になった時のパフォーマンスには圧倒されるだけでした。

グループリーグの第3節。アルゼンチン対ヨルダン戦で、後半15分に投入されたメッシ。

ペナルティエリアすぐ外からの直接フリーキックでしたが、左足を一閃。低い弾道の強烈なシュートを叩き込みました。

守備はせずとも、あんなシュートを打つ日本人は……

サッカーとは奥行きの深いスポーツです。

サッカー日本代表戦や、大谷翔平選手出場のドジャース戦を見るのはリビングのテレビです。

かなり前に買った液晶テレビで、37インチ位だったでしょうか。

最近の大型に比べると見劣りしますが、十分満足しています。

ソファは「キャブ チェア」で知られるマリオ・ベリーニがデザインした「ティルブリー ソファ」。

サイドテーブルはアイリーン・グレイの「E-1027」です。

プロスポーツが日々に活力を与えるものだとしたら、建築の役割も重なるところがあるはずです。

日々の暮らしを守り、快適に過ごしてもらうのが第一義ですが、そういったものにもなり得ると思っているのです。

その要素として大きいのが家具や照明といった空間に加えられるモノ。

お気に入りの愛車に乗った時や、アクセサリーを着けた時のように、心をあげてくれます。

本当に色々あったアトリエm移転計画「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」ですが、古ビルをフルリノベーションしました。

金額的にはかなり抑え込んでいるので、床はコンクリートに塩ビシートを貼っただけ。

間口が3.6mなので、家具の選択も限られ、慎重にセレクトしました。

ダイニングテーブルは、アルフレックスのアウロラで、チェアはヴィトラのゼロスリー。アウロラはとても気に入っていますが、残念ながら廃版になってしまったようです。

スタッフとサッカーについて話しているとこう言われました。

「所長が見られるワールドカップは、もう数えられるくらいですよね。それまでに日本は優勝しますかね?」

55歳の私が、仮に80歳まで生きたとしても見れるのは6回。

次回、2030年のワールドカップ時には59歳、もしかすると60歳かもしれません。ついに還暦も視野に入ってきました。

日本の優勝はあるのか、ないのか……

6月30日は、半年間の穢れを祓う「夏越の祓(なごしのはらえ)」。「はらい」ではなく「はらえ」です。

祓うが名詞化したようですが、命令形にも見えます。

スポーツの敗戦は穢れではありませんが、6月晦日(みそか)のことはその日に祓い、2026年の後半、そしてその後の3年半を大切にしたいと思います。

物語の続きは4年後です。

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だから私は嫌われる‐2334‐

昨日は、昼過ぎからフラッと京都へ。

大阪-京都は新快速で29分。スピードならやはりJRです。

妻は三十三間堂に行ったことがないらしく、6年振りの再訪です。

私は3回目くらいでしょうか。

大雨の後だったので、緑は生き生きとしています。

正式には「蓮華王院」。

後白河上皇が、1164年に平清盛に命じて作らせましたが、現在の本堂は1266年に再建されたものです。

三十三の柱間があるので三十三間堂と呼ばれますが、長さ120mあるので、一間は3.6m程になります。

一般的な一間の1.8mではありませんでした。

本堂自体が国宝で、内部空間も仏像も素晴らしいのですが、残念なのは内部撮影が全て不可であること。

本尊の千手観音座像はじめ、1001体ある千手観音立像は全て国宝です。

雷神・風神像や、観音二十八部衆像も全て国宝。

水晶をはめ込んだ「玉眼」は、仏像に命を与えているかのようです。

五眼を持つ音楽神、「摩睺羅像」は音楽神だけに琵琶のような楽器を持っています。
その特異さと躍動感に少しの間、立ち止まって眺めていました。

「摩尼跋陀羅像」は満賢と共に大衆を守る善神。
そのハンサムさに、ほれぼれする程です。

何とか、フラッシュ禁止などで応対してもらえないものでしょうか。

日本の文化の深さを世界に示すことになると思うのですが。

西側に回ると、「通し矢」の舞台となった「西縁」があります。

南端から北端まで射通した矢の数を競う「大矢数」は、江戸時代に大変な評判になりました。

一昼夜24時間、矢を射続けるのですが、中央あたりの垂木に1本の矢が刺さっていました。

これは当時のものなのでしょうか。

矢の飛んでくる方向にだけ、柱や肘木に鉄板が貼られています。

本堂の柱や軒を守るため、徳川家光が付加したものです。

ここで、片肌脱いだ侍が一心不乱に矢を射ていたと思うと、ちょっとコミカルな感じもするのです。

閉館時間になったので、三十三間堂を後にしました。

帰り道、すぐ近くにあった和菓子屋さんに入りました。

インバウンド価格かなと入ってみたのですが、そうでもなく、和菓子を購入し帰路につきました。

帰りは京阪七条から乗ったので、ちょっとぜいたくプレミアムカー。

500円が高いか安いかは別にして、何ともありがたいシステムです。

うつらうつらしながら車窓を眺めていると、守口市駅を過ぎたあたりで黒煙が見えました。

淀川の北あたりでしょうか、かなりの高さまで煙が立ち上っています。

日曜日の夕方。最もリラックスしている時間帯だろうに、大変なことです。

先週、青森と山梨で大きな地震がありました。
ベネズエラでもマグニチュード7を超える地震がありました。

地球の内部はマグマですから、いつどこで何が起こってもおかしくありません。

天災を語るとき、その警句がよく引用されるのが、物理学者であり、文学者である寺田寅彦です。

こんな言葉も残していたようです。

何度か紹介しましたが、10cm程の小さな催涙スプレーです。

飛距離が2~3mで、護身用の唐辛子スプレーですが、別に熊専用もあります。2つは持てないし、唐辛子スプレーなので熊にもある程度効くのではと勝手に思っています。

山間部に出掛ける時、家族が持てるよう4つ購入し、高音が出るホイッスルと共に常備しています。

ゴルフをする人、山間部でキャンプをする人には、何か熊対策をするよう勧めるのですが、多くの人は「ハイハイ、分かりました」というリアクションです。

自然の中で、人ほど弱いものはそうありません。
それゆえ、槍、弓矢、銃などを発明、改良してきました。そして、弓矢の腕を磨いたのです。

「こんなところまで」という場所に熊がでています。

笑われても、狂人扱いをされても構いません。
本当に熊がでたら、もしそれで自分が大けがを負ったとしたら家族は……と考えて貰えればと思うのです。

勿論、私が万全という訳ではありません。
ただ、無抵抗のまま熊にやられる訳にはいかないと思っているだけです。

妻には、「そんなことばかり言ってるから、嫌われるのよ」と言われます。
自分でも、そうなんだろうなと思いますが。

先の土産物屋さんで買った「お茶々餅」。864円でした。

こしあんを餅で包み、宇治の抹茶きな粉で仕上げた和菓子です。
値段も含めて満足できました。

面倒な話しをしましたが、意外に安いお土産情報に免じて許してください。

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父?‐2333‐

今日から梅雨入りだなと思っていたら、6月4日に梅雨入りしていたようです。

月初に雨が続いた時期ですが、その後は晴れが多く、気付いていませんでした。

それくらい、過ごしやすかったのですが。

昨日、見覚えのない送付先から届け物がありました。

開けてみるとTシャツでした。「父」とあります。

長男からの、父の日のプレゼントのようです。

折角なので着てみました。

「父」と誰にアピールしているのか、そのあたりは不明ですが、有難く着させて貰います。

ただ、どんなシチュエーションで?
そこは考える必要がありそうです。

父、お父さん、親父……

本田宗一郎はこう言っています。

街中で、ツバメの巣を見かけました。

一緒に暮らしている時は、まがりなりにも父という意識はありました。

しかし、子供達が2人とも東京で暮らす今、特に父と感じることはありません。
やはり記号に過ぎないのでしょう。

ただ、私が父であるのは2人の子供に対してだけで、ミクロの世界だけに通用する記号ということになります。

父やおじさんに何故だか風当りの強い世の中になりましたが、全く問題ありません。

「父強し」

昭和の時代、誰もが信じていた言葉です。

しかし、もしかするとアイロニカルなユーモアだったのかも。
真相は、38年前に闇に葬られ、誰も知ることができないのですが。

強いか弱いかは別にして、いずれにしてもありがとう。

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1998年6月、天王寺のワンルームマンションにて‐2332‐

昨日は早朝から雨でした。

昼前からは一転して晴れ。
夏至の太陽がジリジリと照りつけてきます。

4階の屋上部分に日除けネットを張ってみました。

どのくらい効果があるか、この夏は様子を見てみようと思います。

朝のうちに用事を済ませ、11時からは大谷翔平選手と山本由伸選手が出場するドジャースの試合をダイニングのテレビで観戦。

13時からは、サッカーワールドカップの日本対チュニジア戦を隣にあるリビングのテレビで観戦。
重なっている時間帯は2画面体制でした。

大谷選手は、第2子誕生を自ら祝う16号ホームラン。

サッカー日本代表は過去最多の4得点で快勝。
4点目となった上田綺世選手のヘッドは本当に凄かった。

フワッと柔らかいセンタリングを、遠いサイドのゴール奥隅にループで決めるという……

頭で捉えた後、テレビの前で「何して……」と声がでました。クロスバーの上に外したと思ったのです。

日本人があんな決め方をしているシーンを見たことが無かったからですが、欧州リーグ得点王の実力は伊達ではありませんでした。

先日のことですが、敷地調査へ行った帰りに天王寺を通りました。

ハルカスの並びにある都シティ大阪天王寺の正面あたりに、北へ抜ける陸橋があります。

JRの大和路線、環状線を越えて、阪和線手前のスロープで下るという複雑な陸橋なのです。

阪和線をくぐり、線路沿いに西へ進むと。

JRの施設が見えてきます。

ネットフェンス越しに「リラックスステーション天王寺」の文字が見えています。
以前この建物は、JRの社員食堂でした。

30年前は一般の人も入ることができ、定食が400円くらいだったと思います。

この近くのマンションでアトリエmを創業しました。
当然お金はなく、この食堂を大変重宝したのです。

そのまま、すぐ北の玉造筋に出てきました。

南北に走る玉造筋が西向きに方向を変え、天王寺動物園にぶつかるすぐ手前あたりです。

北側には中規模のバスターミナルがあるのですが、その後ろに3棟のマンションが見えています。

中央の背の低いマンションの5階に、小さな部屋を借りました。

当時、左右のマンションはなく、あたりには「高層マンション反対!」の幟が建っていました。

右手前に見えるホテルは当時のままですが、バルコニーは南向きでとても明るく、全く違った環境でした。

エントランスのある北側に回ってみます。

当時は立ちんぼが立っていたので、お世辞にも良い環境とは言えませんが、駅チカと家賃を優先しこのマンションにしました。

1996年の6月から、3年をここで過ごしたので本当に懐かしい。

1993年の「ドーハの悲劇」あたりから、サッカーの日本代表戦を観るようになりました。
1997年の「ジョホールバルの歓喜」を経て、1998年のフランス大会で初出場を果たします。

アルゼンチン戦、クロアチア戦、ジャマイカ戦と全敗しますが、27歳の私は、4畳しかない部屋に17インチくらいのブラウン管テレビを持ち込み、仕事の合間にかぶりつくように観ていました。

どんな年だったかを思い出す時、作品の年表で振り返ることが大半です。

1998年は「 白馬の山小屋」

「Spoon cafe」が完成しました。

その時、どんな苦労をしたか、どんな喜びがあったか、それを見れば一瞬で思い出せるからです。

それと同じように、ワールドカップの記憶と共に、自分の人生を振り返ることができます。
だからこそ、世界最大のスポーツの祭典となったのでしょう。

当時、発展途上にある日本代表に自分を重ね、勇気を貰っていたのだと思います。

1997年、中田英寿選手が低い弾道のシュートで時代をこじ開け、1998年、ゴン中山選手がヒザで押し込んだ1点から28年が経ちました。

本物の点取り屋がいる日本の次戦はスウェーデン。
金曜日は楽しみしかありません。

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味は本場、値段は町中華 上町界隈の名店⑦「純華楼 上本町店」‐2331‐

屋上から西を望むと、長堀通と上町筋の交差点「上本町1丁目」の信号が見えます。

その南東角に建つ雑居ビルの2階にあるのが「純華楼 上本町店」です。

玉造に本店がありますが、すぐ近くなのでいつか行こうと思っていました。

2階へ続く階段には、餃子の写真が掛かっています。

空芯菜の写真も。

それぞれの金額が、実際には583円と1188円なのはご愛敬です。

17時開店で、17時30分頃着いたのですが、その時点ですでに4組くらいが着席していました。

「早めに来たつもりだったのにな」と思いながら、すぐに3品をオーダー。

一番初めにでてきたのは「ピータンと豆腐の冷菜」。

それをあてに飲み始めました。

ちょっと甘めで、これだけ美味しいピータンは食べたことがない、というくらい美味しかったです。

「空心菜の炒め」も看板が掛かっているだけに看板メニューのお味です。

そして「手作り餃子」がでてきました。

看板に偽りなしで、小籠包かと思うくらい肉汁があふれ出てきます。

それなのに皮はパリッと香ばしく。

2人で6個は少なかったかな……
いやいや、食べすぎは禁物……

心の中で葛藤が続くくらいの絶品でした。

「イカ下足の唐揚げ」と「砂ズリと白ネギの和え物」。

特にイカ下足が美味しい。

他にも色々食べましたが、締めに「五目チャーハン」。
からっと仕上がったうえに、玉子の味が際立っていました。

ビール2本を飲んで、2人で6500円程。

1時間半程で引き上げましたが、大満足の夜でした。

壁には、芸能人の色紙も飾ってありましたが、『ごぶごぶ』のステッカーも。

ハマちゃんがマッチをもてなす場にこの店が選ばれたとは、何とも粋なセレクトです。

店で働く人は、おそらく全員が中国人で、中国語がとびかいます。
本場の雰囲気も味わえるのです。

中国本土は未体験ですが、2019年に訪れた香港を思い出しました。

「町中華」なる言葉を時々耳にしますが、昭和の雰囲気が残る、日本人の好みに合わせた、安価な中華料理店という感じでしょうか。

味は本場、値段は町中華。

こんな申し分のない店が近くにあるのは幸せ以外の何物でもありません。

打ち合わせに見えていたクライアントが、帰り際、お子さんに「〇〇で食べて帰る?」というと、「もっと普通の店でいい」と。

〇〇は高級なタイプのお店で、私なら小躍りしてしまうかもしれません。

「純華楼 上本町店」とアジフライの美味しい「橋の湯食堂」をお勧めしてみました

「橋の湯食堂」を訪れた時は、まだ『上町界隈の名店』というコンセプトができていなかったので、そのタグを付けていません。

いずれ再訪して、またここでUPしたいと思います。

さてお2人は、どちらかの店を訪れたのか、そことは違う店になったのか。

次回打ち合わせ時に聞いてみたいと思います。

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トータルフットボールの先にある景色‐2330‐

昨日の午後は、バスで大阪駅まで出ていました。

どんどんいかつくなっていく大阪メトロのバス。

何かに変身しそうな勢いです。

曇っていたので、スカイビルあたりまで散歩。

先週はあまり運動できなかったので、その埋め合わせのつもりです。

グランフロントまで戻ってくると、何やら花の香りが。

植え込みのプレートには「沈丁花(じんちょうげ)」とあります。

クライアントの要望で、沈丁花を植えたこともありますが、これほど強い香りを発するとは知りませんでした。

大阪駅の中央改札のすぐ前に、サッカー日本代表公式グッズストアができています。
6月11日(木)に、サッカーのワールドカップ北中米大会が開幕しました。

日本は初戦のオランダと2対2で引き分け、勝ち点1を獲得しました。

朝5時からテレビで観戦していましたが、2度目だったビハインドを試合終了間際に小川航基のヘディングで追いついた時、本当に日本は強くなったんだなと実感しました。

ショップの店員さんが来ていたユニフォームは、上田綺世の18番。
お願いすると、快く写真を撮らせてくれました。

今期のオランダリーグで得点王となり、前回ワールドカップ以降の最多得点者である彼は、次戦も先発するのか、それともオランダ戦のヒーロー小川航基に変わるのか。

こんなことを考えられるのも、日本が強くなった証です。

「NYタイムズ」は、この試合を「非常に価値あるゲームだった」とし、「オランダ代表より『トータルフットボール』に近いことをしている」という記事を掲載しました。

流動的なポジション変更によって、全員で攻撃し、全員で守備をするという考え方は、オランダ代表監督リヌス・ミケルスと、「空とぶオランダ人」ヨハン・クライフが1974年のワールドカップ西ドイツ大会で世に知らしめたものです。

近代サッカーの源流ともいえるこの戦術を、発祥の国であるオランダよりも体現できているとは……

最高の景色を見せて貰えるかもしれません。

2022年に亡くなった元日本代表監督のイビチャ・オシム。

2018年ロシア大会でベルギーに惜敗した際に、彼の以下の言葉を紹介しました。

もの静かな知将は、こんな時代がくることを予感していたのかもしれません。

これは大阪で最高の景色、かどうかは分かりませんが、6月21日(日)のチェニジア戦が、楽しみでなりません。

■■■5月8日『ミラタップ』のカタログ「ドッグランのあるタイル床の家」の写真が掲載されました■■■

■■10月1日『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」が掲載されました■■

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