昨年の秋、ENGINEという雑誌から「誕生35周年企画「私のディスカバリー ストーリー」という企画があるという案内が届きました。
なぜメールアドレスを登録していたのか覚えていないのですが、ざっと内容を読むと「私の為にあるような企画」と勝手に思い、締め切りをメモしていました。
締め切り日になったので、バタバタと書きはじめると、写真1枚、文章は400文字とあります。
私のディスカバリー愛を綴るには少なすぎる……というのが正直な気持でした。
折角なので送ってみたのですが、先週金曜日に公開されていました。
【誕生35周年企画「私のディスカバリー ストーリー」 epilogue】
しかし、実際に取材となった3件には選ばれませんでした。
ちょっと残念なので、イメージしていた「私のディスカバリーストーリー」をUPしてみます。
はじめてディスカバリーがやってきたのは、2011年の5月。40歳の時でした。
20年に渡って、2台のハイラックスサーフを乗り継ぎました。
若いころ大好きだったハイラックスサーフの後は、この車しかないと思っていたのです。
1989年に誕生したディスカバリーは、この型で第3世代になります。
この世代のフロントまわりのフォルムを見ると、最高に心ときめきました。
ENGINEにもある通り、「比類なきオフロード性能」を早速フルに発揮してもらいます。
2011年1月の蓼科高原です。
2012年の9月。
ハイラックスサーフと同様、キャリアーを取付け、ボートを積んで日本海へ。
海を見ながら、現地で獲れたものを食べるのは最高なのです。
2015年6月の池原ダム。
後部がフルフラットになるので、子供がかなり大きくなるまで、2人で十分寝れました。
この広さは、角ばったボディと背の高さが必要です。
それを、美しさ、運転性能とともに成立させているのが、ディスカバリー最大の魅力だと思っています。
5年乗った緑のディスカバリーは、乗り換え時に「さらば、緑のディスカバリー‐1327‐」という記事をUPしました。
なので、軽めにしておきます。
そして、紺色の第4世代がやってきたのが2016年12月。
2017年5月。すぐにボートを積まれ、奈良県の七色ダムへ。
2018年の1月、「家族で47都道府県制覇」のために、大雪の蔵王へ。
かなりマナーの悪い車とでくわし、あやうく大事故になりそうな場面もありました。
2018年にバスボートを購入し、今度は牽引に変わりました。
流れは忘れてしまいましたが、ナンバープレートを貰うため、南港の近畿運輸局まで行ったこともありました。
2019年の1月は木曽福島へ。
オフロードカーは、やはり自然が良く似合うのです。
その後すぐに出掛けた伊豆半島の旅では、路肩にタイヤをぶつけてしまい、JAFにタイヤ交換して貰ったこともありました。
2024年8月、南紀白浜です。
ついに長男が免許を取りました。
初心者マークが付き、長男に運転して貰うことがあるとは、全くは想像していなかったのです。
子供達も、6歳、3歳からの付き合いなので、もやは家族のようなものです。
ディスカバリー誕生から35年。
そのうちの14年だけですが、40代、50代には常にディスカバリーがありました。
海、湖、雪山、そして仕事でも、撮影機材などを沢山積んで移動します。
心からディスカバリーを愛し、これだけその性能を必要としているのです。
ただ、最新の第5世代があまり好みでなく、現時点では動かなくなるまで乗ろうと思っています。
車を乗り継ぐ時は、感謝の気持ちをここで綴るのですが、その風景が全く想像できないのです。
ディスカバリー乗りは、縮めて「ディスコ」と言ったりします。
私のディスコ愛、伝わったでしょうか。
物づくりが仕事だからか、物に対する愛情はただならぬものがあります。
車やボートは、真の意味での相棒だと思っているのです。
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