昨日も暑い一日でしたが、上本町駅発、8時3分の近鉄特急に乗車します。
ひのとりで一路名古屋へ。
そのままJR東海道本線の岐阜行きに乗り換えました。
清洲までやってきました。
那古屋城で生まれた信長は、織田家内の争いにも勝ち、清洲城を天下取りへの足掛かりにします。
清洲城の正確な位置は分かっていないようで、更に信長が清洲に居たころは天守閣は無かったとされています。
なのでこの清洲城は完全に復元ですが、それでもテンションが上がります。
先日、堺屋太一の「鬼と人と」を読み終えたばかりだからです。
武田氏討伐から、本能寺の変までの約3ヵ月が描かれています。
天下統一へとひた走る革命児、織田信長と、格式と伝統を重んじる明智光秀が、同じ場面を交互に独白するというスタイルが貫かれています。
全く同じ現実を見ているにも関わらず、2人の心が離れていく様子が、繊細に描かれているのです。
詳細な調査があっての小説でしょうが、作者の想像であるのは間違いありません。
それでも、大いに納得できる展開でした。
信長の武将としての優秀さや特異さは、色々な本で読みましたが、堺屋太一らしく、経済面での手腕に何度もフォーカスしていました。
金銭で武士を雇う事をいち早く始めたことと、やはり楽市楽座です。
占領地で楽市楽座を布告し、免税、税の公平化、街道通行料の無料化など、国を潤すために、商人を非常に大切にしたのです。
清洲城近くにある清洲公園には、信長とその妻、濃姫の銅像がありました。
この信長がなかなかに格好がよく、炎天下の中、わざわざ写真を撮りに行ってきました。
隣国、美濃国の大名だった斎藤道三の娘が濃姫ですが、義理の姉、お市の方と共に大変美しい女性として描かれることが殆んどです。
このあたりは、司馬遼太郎の「国盗り物語」が滅茶苦茶に面白いので、熱烈推薦しておきます。
名古屋への戻りは、新清洲駅から名鉄にしました。
名鉄の車両を見ると、名古屋、岐阜にきた感じがするのです。
金山で地下鉄に乗り換え、大須商店街へ。
今回の名古屋行きは「大須商店街がおもしろいらしい」と妻が言いだしたことに始まります。
実際に行ってみると、東西南北に何筋も商店街があり、規模が大きく、かなかなの活気です。
屋根が架かっているのと、店から冷気が流れ出しているからか、結構涼しいのです。
食べ歩きできるような店が多いのも人気の秘密でしょうか。
旅先の楽しみは、勿論昼食です。
あまり探さずに入ったのですが、かなり美味しかったです。
妻は親子入味噌煮込みうどん(鶏肉と卵入り)、私はきしめんの味噌鍋にしてみました。
噌煮込みうどんは専用の麺を生から煮るのが、味噌鍋との違いとのこと。 よってコシがかなり残っています。
圧倒的に親子入味噌煮込みうどんに軍配です。
郷に入っては郷に従え、でした。
あとで調べてみると、将棋の藤井名人が勝負飯に食べたという、老舗の名店でした。
あちこちに「頑張れ、武蔵川部屋」と書いた幟が立っていたのですが、店のすぐ横に土俵がありました。
そう言えば、朝、ひのとりに乗った瞬間から、4人で向かい合わせに座り、ビールで乾杯していた家族がいました。
千秋楽を楽しみにしていたのでしょう。朝8時から、隣ではガンガンビールを飲みながら盛り上がっています。
静かに読書という訳には行きませんでしたが、それも旅の味わいです。
帰りはプレミアムシートが取れたので、いたって快適。
妻は2時間ずっと寝ていましたが。
私はかなりの旅好きですが、近い遠いに関わらず、移動すること自体が大好きです。
昨年の冬からこの夏にかけては、 「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」 に時間を取られたので、あまり出掛けられませんでした。
もう少しだけ工事は残っていますが、ようやく終わりが見えてきました。
今日は7月28日。55歳の誕生日です。
よって、ゴーゴーな1年にしたいと思います。
■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■
■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■
■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■