神戸 Old & New‐2003‐

先週末、竹中大工道具館に「イサム・ノグチ TOOLS」を観に行ってきたことを書きました。

昼をかなり過ぎていたので、「順徳」の焼飯も考えましたが、ひとまず三宮まで戻ることに。

途中、道の先に山を望む景色が、なんとも神戸らしい。

北野坂の先に風見鶏の館が見えています。

歓楽街が広いのも三宮の特徴です。

駅に近づくにしたがって、行列のある店が増えてきました。

JRの高架下の狭い通りに飲食店が密集するこのエリア。

東南アジアのような活気があります。

そして南の阪急側に抜けると、随分景色が変わっていました。

歩行者天国になっていたのです。

大学時代、甲南大学のスキー部にお世話になっていたこともあり、本当によく来たエリアです。

その変わりように驚きましたが、いつからこうなっていたのか……

とてもよいことだと思います。

更に阪急の高架をくぐり、南にある「さんちか」へ。

こちらも観光客がかなり戻っています。

13時半にも関わらずこの行列です。

長田名物のそばめしやぼっかけそばの店のよう。

かなり惹かれましたが、そこまで並ぶのも……

空いていたので「金蘭」の坦々麺にしました。

焼飯がついて880円。

競争が激しい三宮で、長年店を構えているだけはあります。

オーソドックスですが、誰もが好きな間違いのないお味でした。

久し振りの三宮を満喫し、阪神電車の駅に向かったのです。

A14とある地下への入口がありました。

これがかなり小さく、かつ古いのです。

まるで防空壕の入り口のよう。

仕上げや形状を見ていると、戦前、戦中あたりにつくられたのではと思います。

古いものと新しいもの。

Old & New

新旧入り乱れてこそ、街は魅力的なのだと、神戸は教えてくれるのです。

『建築家・守谷昌紀TV』 ■

■■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演
■■6月9日 『住まいの設計チャンネル』 「おいでよ House」公開
■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載
■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

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イサム・ノグチと道具と技術‐2002‐

土曜日は天気予報通り、とても良い天気に。

三宮まで足を延ばしてきました。

私世代は新神戸オリエンタルホテルのほうがピンときますが、現在はANAクラウンプラザホテル神戸。

ダイエーの総創業者、中内功肝いりのプロジェクトで、竹中工務店の設計施工でした。

1988年の完成当時は関西一高いビルでしたが、規模だけでなくフォルムも素晴らしいのです。

新神戸駅の東まで歩き、竹中大工道具館に行ってきました。

現在「イサム・ノグチ TOOLS」という展覧会が催されています。

竹中工務店の元本社後に建つ軒の深い建物は、新緑にまぶしいばかりです。

イサム・ノグチは、1904年、詩人・野口米次郎と作家・レオニー・ギルモアの間にロスアンゼルスで生まれました。

父は彼の誕生前に日本に戻ってしまい、女手ひとつで育てられますが、2歳の時に父を頼って母子は来日します。

母 レオニー は感受性の強かったイサムの能力に気づき、地元の指物師のもとに見習いに出しています。

そこで、木工用の道具に親しんだことが、ものづくりに目覚めるきっかけとなりました。

その後、母の勧めで13歳の時に再びアメリカに戻ります。

苦学しながらも彫刻家として生きる決意をしたイサムは、22歳の時に彫刻家・ブランクーシに弟子入りします。

そこで石彫を学び、その才能が開花していくのです。

晩年は日本の香川県にもアトリエを構えています。

勿論のことですが、石彫のための道具はひと際多く展示されていました。

イサムはより硬い石、玄武岩の作品を多く作るようになっていきます。

硬い石の彫刻の際は、目を守ることが必須だったと思います。

色々あった道具の中でゴーグルが特に印象に残りました。

岐阜へ立ち寄った際に見た提灯に興味をもち、和紙と竹でつくる照明「あかり」を発表します。

20世紀初頭、アメリカ人にも日本人にもなりきれない自分にイサムは思い悩んでいました。

しかし、それらの経験も全て創作によって作品へと昇華したのだと思います。

柔軟な考え方で様々な素材と向かいあい、どのような道具も使いこなした器用さと技術が、孤高の天才彫刻家を支えていたのです。

この 竹中大工道具館には、子供達は何度か連れてきたのですが妻は初めてでした。

思いのほか面白かったらしく、しっかり見て回っていました。

特別展示と別のフロアには、常設展示もあるのですが、その質も大変高いのです。

大正の名工、千代鶴是秀の残した鑿(のみ)は、吸い込まれそうな美しさでした。

同時に、背筋が寒くなるような妖艶さまで漂わせています。

イチローのバットづくりも担当していた、元ミズノのバット職人、久保田五十一さんは落合博満元監督にこう教えられたそうです。

商品は人が手にして喜ぶもの。道具は人が手にして使うもの。遊びはいっさい不要。

本物の道具を見た時、いつもこの言葉を思い出すのです。

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決してひとりじゃない‐2001‐

日本には四季があり、どの季節にも旬の食べ物があります。

それは日本人として、最高の幸せかもしれません。

最近お気に入りのホタルイカとブロッコリーのアヒージョ。

これにバケットと白ワインがあれば、もう何も要りません。

妻がママ友とランチへいった際に出てきたそう。こんなレパートリーが増えるなら、より気持ちよく送り出せるというものです。

私は仕事をしていましたが(笑)

そしてこちらはスイカ。

旬には早いのですが、ふるさと納税の返礼品だそうです。

私の知るスイカの甘味とは、レベルが違いすぎました。これはもうメロンです。

食べたのは一切れだけで、その他は娘と妻の胃袋へ消えていきました。

2人が喜んでくれれば十分です。決して嘆いている訳ではありませんので。

前回の日記は2000回目で、30歳の時に2ヵ月程、精神科病棟に入院したことを書きました。

その翌日、中高の同級生であるK君からメッセージが届きました。要約してみます。

精神科病棟への入院を初めてブログで知った。

当時、私がうつ病に羅漢していると、中学野球部時代のチームメイト、T君から相談があった。(私は中学野球部出身で、T君も医師で大学で基礎研究をしています)

K君の父が勤める病院を紹介した方がいいかなと、2人で相談していた。

風の噂で、インドへ放浪の旅にでて回復したと聞いたけど、これはガセかな……

K君は精神科医でしたが、20年前にアメリカの大学へ留学しました。

今回のやり取りで、その大学の精神医学部門で研究室運営を任されていることと、本年度1月から終身教授になることが分かりました。

研究資金獲得競争は激烈だけど、定年を気にせず研究できるのはとても有難いとあったのです。

立派な同級生2人が、これ程心配してくれていたことを知り、心から感謝しました。

最後はこう結ばれていました。

うつ症状が遷延する人々が多くいるなかで、今の守谷の見事なお仕事やご家族も含めた社会生活のご様子、精神科医(もはや元精神科医というべきか)としては、感慨深いものがあります。

きっと、入院を経験されたことも、人としての優しさとか器とかに大きく影響したのかなと、勝手ながら思いました。

当方は、うつ病の生物学的研究をしていますが、正直なところ、なかなか道のりは遠いです。

とはいえ、現役の間に、本当の意味で患者さんの役に立つところまで辿り着くべく頑張ってまいりたいと、守谷のブログを見て、気持ちを新たにしました。


「現役の間に、本当の意味で患者さんの役に立つところまで辿り着くべく頑張っていきたい」という言葉に仕事人としての矜持を感じます。

そして、彼が東海岸にある名門大学の終身教授まで上り詰めた理由を垣間見た気がしたのです。

2012年、『大改造!!劇的ビフォーアフター』に出演させて貰ったおかげで、母校の第1回のホームカミングデーで講演をさせて貰いました。

迷惑しか掛けたことのない母校に初めて恩返しできると、家族も連れて24年振りに訪れたのです。

変わった所もありましたが、中庭はほぼ当時のまま。

懐かしい駅前通り。

思い出深い食堂。

当時のままのおばちゃんが作ってくれた、最高に美味しいラーメンです。

そういえば、姫路名物の黄そばを書いたとき、「母校のラーメンも黄そばだったね」とコメントをくれたのも同級生I君でした。

2019コロナ直前の文化祭にも参加させてもらいましたが、ついにここまで変わってしまいました。

同じ時期に、同じ場所で学び、さぼり、悪さをしていただけで、なぜこんなに心の結びつきができるのだろうかと考えます。

学生時代は、学校に何の愛着もなかったのに、です。

成人という文字は、人に成ると書きます。

人以前であるその期間が与える影響はとてつもなく大きいのかもしれません。

子供達に、自分の母校を目指して欲しいと思い、連れていったのですが、兄妹とも見事に違う学校へ行きました。

そんなことは構いません。行きたい学校を見つけてくれたことが一番嬉しいことです。

長い人生の間には、本当に色々なことが起こります。

「もうどうしようもない」と思ったとしても、決して諦めてはなりません。

どこかで誰かが見ていて、必ず応援してくれているのです。

私のように付き合いの悪い、友達の少ない人間にでも、こんなことが起こるのですから。

K君のようなプロ中のプロに褒めて貰えたことは、本当に嬉しく、本当に自信になりました。

そして、誰も決してひとりじゃない。そう思えるのです。

こんな日は、ゆっくりお酒でも飲みながら考え事をしたいものです。

美味しい旬のアテがあれば最高ですが。

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精神科病棟‐2000‐

日曜日の朝、車で郊外へと出かけました。

田畑の畝には、野花が咲いています。

この辺りを歩いたのは31歳の頃……

2004年3月30日この日記をスタートして、今日で2000回目となりました。

1年は52週なので、「月」と「木」にUPすれば1年でおよそ100回。

ほぼ20年書いてきたことになります。

2013年10月10日の1000回目は「カミングアウト ‐1000‐」としました。

節目は普段書かないことをかこうと思い、28歳から31歳にかけての約3年、重い鬱に苦しんでいたことを書きました。

実はその期間中に、精神科病棟に入院したことがあります。

その病院を約20年振りに訪ねてみたのです。

名称は変わっていますが、場所は合っているはず。

こんな病院だったかなと考えていると、一緒に行った妻が「確か渡り廊下があったはず」と。

周辺を歩いてみると……ありました。

何度か見舞いに来てくれた妻が言うには「渡り廊下でタバコを吸いながら、楽しそうにおしゃべりしてた」と。

当時はタバコを吸っていたのですが、入院患者と仲良くなり、ここでおしゃべりしていたようです。

解体され、無くなってしまった病棟は、「閉鎖病棟」と言われるもので、夜になると鍵が掛かるので自由に出入りはできません。

自殺、自傷の行為の恐れがあったり、アルコール依存症であったりと、そういった治療が必要な人達が入院する施設なのです。

25歳の時、先輩のご両親から大きな仕事を頂きました。

その後も、知人、友人から続けてオファーを貰いました。

信じられないくらい恵まれていたのですが、実力がそれに追いついておらずで、鬱になってしまいました。

引き受けていた仕事は何とか全て終わらせ、一旦アトリエmを閉めたのが2001年の春でした。

当時は考え事をし始めると「死んだら楽になるのだろうな」という結論に至ってしまいます。

明日生きている自信がなく、その時に診察をして貰っていた先生に「入院させて貰える施設はないですか」と相談したのです。

その病院には、本当に色々な人がいました。

病室は6人くらいの相部屋で、隣のベッドは中肉中背でゴルフ焼けをした40歳代の男性。

大手アパレル会社の総務を取り仕切っている方で、「僕は年に1度、ここにピットインすることにしているんだ」と言っていました。

精神的に弱いところがあることを自分で理解し、そのメンテナンスを毎年ここでしているのです。

多弁な方ではありませんでしたが、本当に色々な話をしました。

女性の入院患者も多くいました。

病室を自由に出入りはできませんが、談話室のようなところへ行けば誰とでも話ができます。

入院した私が言うのも何ですが、見るからに病んでいるという人はあまり居らず、普通に見える人ばかりでした。

女性陣のリーダー格に、40歳くらいの姉御肌の方がいました。

色白で背が高く、大変美人でしたが、飲食関係の仕事をしているとのことでした。

談話室で話しをしていた時、「そう言えばあんたの彼女、メッチャ美人やなあ!」と、褒めてくれたりしたのです。

細身の方でしたが、ストレスが溜まると拒食症気味になるそうで、繊細なところはあったと思います。

同い年くらいの専業主婦の方と話をしていると、何の問題を抱えているのか全く分かりませんでした。

しかし、あるきっかけで自傷行為を繰り返してしまうそうで、子供達に申し訳ないと泣いて話していました。

消灯時間ギリギリまで話していた翌日、「あの2人デキてるで」と噂を立てられてこともありました。

社会人になってすぐの25歳、体育会出身のがっしりした男性や、ややぽっちゃりした飲食店を経営する眼鏡のママもいました。

建物のない敷地を見て、皆どうしているんだろうと、当時を思い出していました。

植え込みのツツジは花が開き始めていました。

藤も紫の花を咲かせ始めていました。

4月に入院したので、藤が盛りの頃に退院したのだと思います。

吹けば飛んで無くなってしまいそうな私でしたが、今も元気に生き、働いています。

妻が言うには「僕の居るところではない」と退院してきたそうです。

丁度、鬱になった時期から付き合い始め、結婚し、今事務所を手伝ってくれているのは彼女だけ。喧嘩もよくしますが、心から感謝しています。

今は無き、その精神科病棟に入院させてくれたのは、私の初めてのクライアントでした。

近所の心療内科医に通い始めたのですが改善の糸口を見つけることができず、立派な国立大学の精神科を出ておられたクライアントを頼ったのです。

アーロン・ベックの「認知療法」を教えて貰ったり、歌人・斎藤茂吉の長男、斎藤茂太の「“うつ”もまた楽し」なども教えて貰って読んだ本です。

「うつもまた楽し」なんてその時は全く思えませんでしたが。

ごく普通の私の人生でさえ、これだけ多くの幸運と助けがあってこそ、成り立っていることが分かります。

私が精神科病棟に入院したのは、現実から逃げ出したかったからです。

もし、精神的に追い詰められている人がいたら、この2つだけは伝えたいのです。

「命より大切なものはない」

そして、

「逃げていい」

ということです。

仕事で命を取られることはありません。元気でさえいれば、必ず挽回のチャンスはやってきます。

もし25歳の私に会えたとしたら、同じことを伝えると思うのです。

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2月27日「照明計画」
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建築家・守谷昌紀TV 四代に渡って住み継ぎたいと思える「薪ストーブのある入母屋の家」〈リノベーション〉

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日本最速気動車特急列車「スーパーはくと」‐1999‐

月に2、3回はJRに乗って姫路の向こうまで出張です。

昼前に大阪駅を出る新快速は空いており非常に快適。

姫路駅で普通へ乗り継ぐ間に、姫路名物「えきそば」を掻き込みます。

「てんぷらえきそば」420円。

「きつねえきそば大盛」480円。

高菜の入った「とり天えきそば」520円。

最近は「とり天えきそば」が一番気に入っています。

姫路駅から北東に伸びるローカル線が姫新線(きしんせん)です。

播州新宮行きはパンタグラフがありません。よって電車ではないのです。

調べてみると、思った以上に非電化区間が多くあることが分かりました。

ディーゼルエンジンのような内燃機関で動く車両を気動車というそうです。

仕事が終わり、網干駅から大阪へ向かいます。

打合せが遅くなった時に、大阪駅で「スーパーはくと」を何度か見かけました。

エンジン音や、排気ガスのにおいが、電車のそれとは全く違います。

日本最速の気動車特急列車だとわかりました。

昔、信州へバスでスキーに行っていた頃、松本のサービスエリアは多くのバスでごった返していました。

その時と同じにおいがしました。

省エネルギー化が求められる中、いずれは水素エンジン等に置き換わるようですが、気動車を何とも愛しく感じたのです。

化石燃料を使い果たし、温暖化が進む中、内燃機関のにおいが愛しいと言うのですから、私は罪深い生き物です。

初めて「スーパーはくと」を見かけた時、音が全く違ったので、駅員さんに訊ねてしまいました。

「電気で動いているんじゃないんですね?」

「ええ、ディーゼルエンジンで動いているんですよ」

その表情が、やや誇らしげに見えたのは気のせいでしょう。

水素エンジン化はすべきことだと思います。

ただ、あの振動、熱、においと共に日本が成長して来たことは間違いありません。

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真実はそこにあった?‐1998‐

先週の水曜日、プールがある「ささき整形外科クリニック デイケアセンター 」の【ゲンバ日記チャンネル】Episode2を配信しました。

院長も監督も喜んでくれました。

内容は文化祭レベルですが、地道に配信して行きたいと思います。

阪神高速松原線が通行止めになっていることは、以前にも触れました。

問題があったのは瓜破の交差点上。

その部分はすでに撤去され、新しい橋梁が上に乗っています。

建築も高速道路も、一番面白いのは間違いなく現場です。

先週の木曜日、 『かんさい情報ネットten.』に出演しました。

「お役に立ちます」という 浅越ゴエさんのコーナー です。

人気があるようで、結構な数の方から「急に出てきてびっくりしたわ!」と連絡がありました。

こちらは文化祭ではないので、当然本気です。

視聴者の困りごとを解決するコーナーで、今回は「ベランダから洗濯機を取り出して!」というものでした。

新しい洗濯機を購入したのですが、配送にきた量販店の人が「これは搬出できません」と帰って行ったそうです。

丁度、オープンデスクの学生が2人来ていた時期でした。

「是非、撮影の現場を見てみたい!」というので、一緒に連れて行ったのです。

私の役どころは、浅越さんとテレビ電話でやり取りし、洗濯機を搬出するルートを模索するというもの。

洗濯機上の防水コンセントを取れば可能だろうと伝え、電気屋さんを連れて現地へ助けに行くという流れでした。

随分いろいろな場面を撮ったのですが、最後はアート引越しセンターの精鋭部隊が活躍し、洗濯機を無事搬出できたのです。

依頼者さんもかなり喜んでおられました。

いつも感じるのは、テレビは本当にマンパワーで成り立っているメディアだということです。

この日もかなりの人数のスタッフが現場に居られました。

ADさんから帰りもタクシー代が出ると聞き、学生2人を近くの駅まで送って、急いで会社に戻ったのです。

帰りの阪神高速から、安藤忠雄が監修した心斎橋のホテル、W大阪が見えました。

Wの文字がなぜか浮いています。

いつかホテルも設計したいと思いながら……

1人の学生は「真実は現場にしか無い」という私のメッセージを見て、オープンデスクに参加したそうです。

仕事場、建築現場、撮影現場と連れて行きましたが、どんなことを感じたのでしょうか。

対話型AIが世間の話題を独占しています。

使えるものは使うべきだと思いますが、感じる心を一番大切にして欲しいとは思うのです。

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コロナ2019は麦踏みだった‐1997‐

■■■本日4月6日(木)『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演 ■■■

第2部の18:20頃放送予定です。よければご笑覧下さい。


前回は、5年振りの墓参りについて書きました。

岡山の倉敷市、香川のまんのう町の順に回ったのですが、その間に讃岐うどんの名店、「やまうち」を訪れました。

鷲羽山の麓から瀬戸大橋を渡ると、香川県の坂出市に入ります。


坂出ICで高速道路を下りました。

そのまま讃岐平野を南下。

のどかな農道を走っていると、ため池に桜が素晴らしく映えていました。

里山風景と桜もさらに見事。

菜の花。

そしてレンゲ。

日本の原風景ここにあり、といった景色が続きます。

土佐と讃岐を結ぶ土讃線の脇を、山中に入ったところに「やまうち」はあります。

以前のような行列はありませんでした。

それでも店内に入ると、複数のお客さんが居てほっとしました。

初めて紹介した2004年は、特大が350円だったので100円上がりました。

天ぷらの選択肢が減ったのは寂しいですが、それでも変わらぬ美味しさです。

一番人気の「ひやあつ(めん冷、だし熱)」を食べ終えると、店主が「しょうゆうどんもおいしいよ!」と。

追加で頼んでしまいました。

純粋にめんを楽しむならこちらかもしれません。

強い腰と、旨味を抑えたシンプルな醤油がよく合っていました。

厨房内では、数人の店員さんがテキパキと働いています。

こちらの釜は薪が熱源です。

都市ガスはありませんし、プロパンガスも安くはありません。

手間は掛かるでしょうが、山間のうどん店がゆえの工夫だと思います。

何度かあった讃岐うどんブームですが、コロナ2019では間違いなくダメージを受けたはずです。

初紹介時の行列と比べれば違いはあきらか。それでも、こうして変わらず営業していることの凄みを感じました。

飲食店は原価が安いとは言え、うどんは日持ちがしません。

折角打ったうどんを、余らせるのはもったいないと、しょうゆうどんを勧めてくれたという側面もあるでしょう。

讃岐のうどんが美味しいのは、この地で良質の小麦、醤油、いりこがとれ、そして塩田があったからだと言われます。

麦類は麦踏みを繰り返すことによって丈夫になり、多くの実をつけることは良く知られています。

讃岐うどんの名店にとって、そしてアトリエmにとっても、「コロナ2019は麦踏のようなものだった」と言えるようにしなければなりません。

なかなかそう思えませんでしたが、今年の春はそう思えるのです。

そうそう、2004年から2018年までに7店舗を訪ねた「讃岐うどんの名店シリーズ」。よければこちらもご笑覧下さい。

讃岐うどんの名店Ⅰ ひやあつの「やまうち」
讃岐うどんの名店Ⅱ 元祖ぶっかけの「山下」
讃岐うどんの名店Ⅲ 釜揚げの「長田」
讃岐うどんの名店Ⅳ 元祖しょうゆうどんの「小懸屋」
讃岐うどんの名店Ⅴ 純手打ちうどん「 よしや」
讃岐うどんの名店Ⅵ かまたまの「山越えうどん」
讃岐うどんの名店Ⅶ そこまでセルフの「なかむら」

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兵庫県太子町/プールがある「ささき整形外科クリニック デイケアセンター 」‐4‐【ゲンバ日記チャンネル】EPISODE2

■■■4月6日(木)『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演 ■■■

第2部の18:20頃が放送予定です。よければご笑覧下さい。

「ささき整形外科クリニック デイケアセンター 」のゲンバ日記チャンネルのEpisode2配信しました。

空撮。

ドローン。

躯体が出来あがっていく過程を、つぶさに撮影しました。

建築現場は本当に面白いところです。

是非ご覧ください。

『建築家・守谷昌紀TV』 ■

■■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演
■■6月9日 『住まいの設計チャンネル』 「おいでよ House」公開
■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載
■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

メディア掲載情報

岡山、香川、5年振りの墓参り‐1996‐

中国道、山陽道と乗り継いで、岡山へ向かいます。

週末は墓参りに帰っていました。

倉敷市の海沿いに、父方の祖父母が眠る墓があります。

墓地の中でも、一番見晴らしのよい場所です。

その景色を空撮でも撮ってみました。

桜も満開です。

皆の健康と、すでに東京へ旅立った長男の合格を報告してきたのです。

材木商で財を成した祖父が準備してくれる食事は、いつも豪華でした。

93歳まで生きた祖母は、50台の時に胃を全摘出していたにも関わらず、最後の最後まで自分の足で歩いていました。

祖父母が暮らしていた家がそのまま残っており、小さい頃の記憶が蘇ってきます。

そのまま瀬戸大橋を渡り、母方の郷里へ向いました。

まんのう町あたりは、のどかな農村風景が広がります。

田んぼに囲まれた墓地で、同じく手を合わせてきたのです。

海の神様、金刀比羅宮がある像頭山を望むこの地に祖父母は眠っています。

真面目一筋の祖父、スーパー働き者の祖母が大好きでした。

倉敷に負けず劣らず、こちらの景色も素晴らしいのです。

帰りは大鳴門橋を渡って大阪へ向かいました。

鳴門の大渦は、見えたか、見えなかったか、微妙なところでした。

今は亡き4人の祖父母は、戦争、敗戦、食糧難、そして高度経済成長と、激動の時代を生き抜きました。

人はタンポポのように、風に乗ってどこからかやって来て、勝手に育つことなどはできません。

紡がれた生に感謝できる、この機会を大切にしたいと思います。

今回は約5年振りでしたが、こうして自由に往来できる雰囲気になったことが一番嬉しいことです。

なかなか全員が揃うことはありませんが、できる限り訪れたいと思います。

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