マイベストはマイベスト‐1435‐

 先日、杵で餅つきをするのを見かけました。

 今日で11月も終わり。

 明日からいよいよ師走に入ります。

 10月の初めのことですが、以下のようなメールが届きました。

 あらゆるジャンルのモノやサービスに関して、その選び方やおすすめ商品の紹介などをメインコンテンツとしており、今では月間約700万人ほどが訪れるサイトとなっております。

 弊社サイトでは、これまで基本的に編集部で調査・執筆していたのですが、今後、その道のプロフェッショナルの方々に取材をさせて頂き、ご意見やご見解を紹介することで、より一層の価値ある情報を提供していきたいと考えております。

 そこで、取材をさせて頂けるプロフェッショナルの方を探しており、守谷昌紀様へ是非ともお願いしたく、ご連絡させていただきました。

mybestというサイトで、今週月曜日に私の記事がUPされていました。

 ページビューをみると64viewsとなっています。

 トップページにある化粧品などは、4万、6千となっているので、それと比べれば、私のベストアイテムは大して参考にならなかったのかもしれません。

 「建築家が愛用する仕事を楽しく快適にしてくれるアイテム」ですから、参考になる対象人数が少なすぎるのでしょう。

 以下の3つは、竣工間際の現場にある造作ものです。

 「山本合同事務所」のムービングキャビネット。

 デスクの横で書類を立てておくものですが、 既製品はスチールやプラスティック等で製作されます。

 緑を囲むオフィスなので、木製のオリジナルをデザインしました。

 家事動線がコンパクトな「白のコートハウス」の階段は、壁に小窓が見えます。

 この後ろに洗濯室があるのです。

 写真の右が主動線。左は身長158cmの奥さんがキッチンから抜ける通る動線です。

 それが可能になるよう、階段を設計しています。

 「碧の家 」のハシゴは、3~7段目にディスプレイできるように考えました。

 これらは、クライアントの要望を何とか叶えるために設計したものなので、誰にも役立つものではありません。

 1点ものばかり設計し、創ってきた私にできるアドバイスがあるのかは、かなり怪しくなってきますがよければ一度のぞいてみて下さい。

 一番最後にあげたのが、レーザーポインター。

 手元に1つ、打合せスペースに1つ、現場行きカバンに1つ入れてあります。

 現場に行った際、これがなければ慌ててしまうほど重宝しています。

 本当に便利なので、施工会社の監督には結構勧めましたが、誰も使っているのをみたことがありません。

 マイベストはマイベスト。

 結局勧めても誰も使わないじゃないと、ちょっと思っているのですが。

姿勢には、その人の人生が ‐1434‐

 前回、大阪はイチョウが見頃と書きました。

 春になると、桜の木がこれほどあったのかと驚きますが、秋もまた同じです。

 今日は、鉄骨の製品検査に堺まで行ってきました。

 鉄骨造の柱や梁は、工業製品の部材を加工し製作していきます。

 中でも溶接は、技術、精度が求められ得る工程。

 これは錆び止め塗装をしているところです。

 今日は監理者として検査に行ったのですが、活気のあるこんな現場をみるのはとても楽しいのです。

 鉄の比重は7.85ton/㎥。

 500mlのペットボトル大で重さが約40kg。

 40kgのバーベルが、足に落ちれば大けがです。

 しっかり教育されているからか、危険を伴う現場で働いているからか、工場の人達の動き、応対には大変好感がもてました。

 部材の寸法を読み上げてくれるこちらの担当者。

 スケールの数字を正確に読み取ろうとする姿勢が真摯なのです。

 夏は暑く、冬は寒い工場での仕事は過酷でしょう。そんな中で、真面目に働いてきたのだと想像します。

 姿勢には、その人の人生がでます。

 今日はなぜか、清々しい気分になれたのです。

氷ばかり艶なるはなし‐1433‐

 今日は、所用を済ませにミナミへ。

 御堂筋のイチョウは、黄色より緑が多め。

 来週あたりが見ごろでしょうか。

 道頓堀を西へ歩き、御堂筋を超えると少し人通りも減ってきます。

 更に西へ進めば湊町。

 湊町リバープレイスが見えてきます。

 ミナミの繁華街の南西角に建つのは元「D-HOTEL」。

 現在は「Continent Vijoux」という名前に変わっていました。

 現在は京都大学の教授である竹山聖の設計で、1989の作品です。

 ミナミによく行く人なら、この辺りの雰囲気を想像してもらえるでしょうか。

 いかがわしいと言えばよいのか、健康的と言えばよいのか、まあそういったエリアです。

 竹山聖の出世作といえるこの建物ですが、元はコンクリート打ち放しだけの表現でした。

 緩やかにカーブを描いた壁に、クレバスのような裂け目が入っており、非常インパクトがありました。

 現在は裂け目の下がタイルの壁で塞がれ、エントランスとなっているようです。

 最頂部にもタイルが追加されています。

 こちらの方が沢山人が集まると言われれば、それが正解なのかもしれませんが、街には凛とした建物があってもよいと思うのは私が創り手だからでしょうか。

 しかしそのフォルムは健在です。

 カーブした壁の先端は、厚みが2.5cm。

 間違いなく限界値でしょう。

 室町時代の僧、心敬は『ひとりごと』でこういいました。

  氷ばかり艶なるはなし

 心敬は氷に、冷たい、艶めかしい究極の美を求めたのです。

 そう考えれば、この元「D-HOTEL」こそ、この地に最も合った建物と言えるかもしれません。

 所用は、12月を控えスタッドレスへの交換でした。

 ディーラーは、なにわ筋沿いにあり、ミナミから歩いて15分程。

 こちらのイチョウは丁度見ごろでした。

 感想、発言は全て主観に基づいています。よって公正な意見などありません。

 しかし、他者の支持がなければ、仕事としては成立しません。

 働くとは、仮説の答え合わせにほかならないのです。
 
 今日は勤労感謝の日。

 今年も沢山の仕事を頂いたことにまずは感謝し、また1年、答え合わせの旅にでます。

けいこ不足を、幕はまたない‐1432‐

土曜日の夜、娘と大阪を発ちました。

助手席で寝ているあいだに、奈良県下北山村に到着。

日曜日は1月並の寒波到来で、寒い1日になりました。

早朝は2度くらいだったでしょうか。

娘と2人で釣りにやってきましたが、防寒対策はスキーウェア。

こんな中でも付き合ってくれるのです。

日中は晴れ間が広がり、良い天気になりました。

奈良県下北山村は常緑樹が多いのですが、ところどころにあるヤマモミジが真っ赤に染まっています。

釣りのほうは、何とか午前中に1匹手にすることができました。

しかしこの時娘は休憩中。

朝は一緒に出船したのですが、やっぱり寒いからと一旦車に戻っていました。

休憩時は本を読むんだと、沢山の本を持ち込んでいます。

寝袋に入り、サンルーフのシェードを開け、青空を見上げながらの読書タイム。

本当に本好きで、飽きることなく読んでいるのです。

折角ここまで来たのだからと、昼食後、再び一緒に出船しました。

で、何とか1匹釣りあげました。

外道(狙っていた対象ではない魚)のニゴイでしたが、これが45cmの大物。

娘は大満足で、これにてストップフィッシング。帰路についたのです。

帰り道は2時間半のドライブですが、いろんな話をしました。

とても成長したなと思ったり、小学4年生もなかなか大変だなと思ったり。

面と向かい合って話すより、流れる景色を見ながらのほうが、気楽だし話が弾むものです。

1983年、梅沢富美男の『夢芝居』という曲がヒットしました。

『夢芝居』 歌:梅沢富美男 作詞・作曲:小椋佳

 けいこ不足を 幕はまたない

 恋はいつでも 初舞台

恋だけでなく、子育ても同じです。

娘の父をするのは初めてですし、もし次女がいたとしても、次女の父をするのも初めてです。

子供は2人目ですが、全くパーソナリティが違います。

そう考えれば、何事も全て初めてとも言えそうです。

初めてなので、間違ったり、正解したりしながら親子とも生きていくのです。子には申し訳ないのですが、全問正解はないのです。

仕事においても、フレッシュな目で見たほうが、よりよい判断ができるのではと最近思うようになりました。

経験から経験を捨てることを学んだような気がします。

「夢芝居」の作詞作曲は小椋桂でした。

けいこ不足を 幕はまたない

これぞ小椋節。いい詞だなと思うのです。

チャーミング‐1431‐

ここのところ、週の半分は現場を回っている感じです。

竣工間際の現場が3つと、着工したばかりの保育園があり、3、4ヶ所回るならやはり車が便利。

秋から冬にかけては、景色が変化するときでもあり、移動時の楽しみでもあります。

大阪、北摂、京都と回っていると、あっという間に夕暮れ。

本当に日が短くなりました。

家事動線がコンパクトな「白のコートハウス」は、外壁を左官で仕上げます。

最近の住宅は、サイディングというパネルがほとんどですが、継ぎ目のない大きな壁はやはり美しいもの。

現場前にあるのは、言ってみれば小さなプラントです。

ここから、2階、中庭へと、練りあがったモルタルがホースで供給されるのです。

それを職人がコテで塗り付けていくのですが、やはりこういった手仕事は見ていて楽しいもの。

また、好き嫌いだけでなく、工場生産のパネルには大きさの限界があります。

現場の手仕事だからこそ、継ぎ目の少ない大きな壁をつくることができるのです。

「ねるねる」は駄菓子の商標だったか。

親方がここで「ねるねる」する姿をチャーミングと言えば怒られるでしょうか。

しかし、こういったチャーミングな職人が減ったと思うのは私だけでしょうか。

もう少し具体的に言えば、50代中頃以上の人は「媚び」を持っている人が多い気がします。

「媚びる」と言えば、悪い印象が先に立ちますが、ある部分に媚びが含まれていないと、コミュニケーションは成り立ちません。

そこには、良く思われたい、良い関係を築きたいという気持ちが含まれているからです。

九鬼周造の書いた『「いき」の構造』は芸術論の名著といわれます。

日本独特の美意識を表す「いき」という言葉を紐解いていくのですが、こう定義されています。

 垢抜して(諦)、張のある(意気地)、色っぽさ(媚態)

さらに、その媚態をこう説明しています。

 媚態とは、一元的の自己が自己に対して異性を措定し、自己と異性との間に可能的関係を構成する二元的態度である。

簡単に言えば、男女関係においてもベタッと一緒になってしまうのではなく、相手があり、緊張感とある距離感を保っているから媚態があると。

男女関係だけでなく、仕事においても全く同じだと思います。

絶対服従する訳でなく、ただ反発する訳でなく、よい関係を築き、よい結果をだしたい。そこには、媚びや、サービス精神が含まれているはずです。

先日、独立した時から世話になっている建設会社の社長が挨拶にみえました。

今年で82歳になるといいます。

この年の先輩に、チャーミングと言えば失礼になるかもしれませんが、ぶつかり合いもしましたが、やはり魅力的な人だと思います。

チャーミングといって貰ったことはありませんが、「飲んだら笑顔がすてき」といってもらったことが1回だけあります。

飲んでなくても、すてきと言われる人間を目指して頑張るのみなのです。

あなたもよくなれ、わたしもよくなれ、みんなよくなれ‐1430‐

 昨日は天六にある大阪市立住まい情報センターでの、セミナーでした。

 天神橋筋商店街のすぐ東にある、10階建ての立派な建物です。

 8階から10階の「大阪暮らしの今昔館」は江戸時代の街並みが再現されており、なかなか見応えがあります。

2008年に子供達と訪れましたが、現在は外国人に大人気のスポット。

 エレベーターはいつも外国人でいっぱいなのです。

 今回の会場は5階にある研修室。

 4階にある「住まいのライブラリー」と吹抜け階段で繋がっています。

 昨年の4月、他団体の主催でしたが、3階にあるホールが会場でした。

 その際は60名の申込があり、40名の参加がありました。

 この日は14名の申込があり、参加は7名。

 1人のお母さんが赤ちゃんを抱っこしていたので8名とも言えますが。

 昨年4月も、人数を気にしても仕方がないと書きましたが、折角なら参加が多い方が嬉しいのが本音です。

 しかしこれは全て私の問題。自分の集客力のなさを思い知り、訴求力が足りていないと痛感するのです。

初めて講師をしたのは2011年7月2日のことでした。

 この時は新聞広告が入ったにもかかわらず申し込みは15名、参加は8名でした。

 それなりに出来たように書いていますが、正直、内容は全くでした。あがっていた訳ではないのですが、早口、抑揚がなく、内容を詰め込みすぎ。

 実は、大学時代の後輩がひとり参加してくれたのですが、この日記ではそこにも触れていません。

 ようは散々だったのですが、参加者の方には申し訳ない気持ちしかありませんでした。

 セミナーは今回で数えて16回目。初めて合格点がだせるかなと思っています。

 セミナーのあと、相談希望の方と1時間くらい話しましたが、とてもよい笑顔で、楽しかった、ためになったと言ってくれました。

 回を重ねるごとに、構成、話しかた、タイミングなどを改善してきたつもりですが、それらはテクニックでしかありません。

 一番大きいのは「参加してくれた方に幸せになってもらう」という気持ちが多少なりとも持てるようになったからだと思います。

 昨日、こんな場面がありました。

 セミナーが始まってすぐに、参加者の方が質問をされました。

 司会の方が気を遣って「質問の時間は後でとりますので、セミナー中は控えて頂けますか」と。

 その方は「人数がこれだけしかいないのだから、もっとフレキシブルでもいいのでは」と。

 セミナーは始まったばかり。ここで、押し問答をしていても仕方ありません。

 その方、また参加者の方にとって、一番よい方法は何かと考え「途中で質問頂いても大丈夫です。ただ、できれば挙手頂けますか」と答えました。

 それで納得されたようで、最終的に途中の挙手はなく、最後にまとめて質問されました。

 私の尊敬する経営者、恩田さんが主催する勉強会があります。

 ボランティアで経営を教えていただくのですが、勉強会が始まる前にトイレで「今日お見えの皆さんの、決算書がよくなりますように」とつぶやいてから講義を始めるそうです。

 そんな仙人のようなことは自分には出来ないと思っていたのですが、これが驚く程効果があるのです。

 仕事は好きで、楽しくしているつもりですが、中にはシビアな打合せもあります。

 そんな時ほど「○○さんに幸せになってもらえますように」とつぶやいてから打合せに入ると、思った以上に良い方向へ展開していくのです。

 考えてみれば当たり前です。

 逃げ腰で、こわごわ話すのと、少しでも幸せになってもらえるよう、改善策を探るのとが、同じ結果であろうはずがありません。

 あなたもよくなれ、わたしもよくなれ、みんなよくなれ

 この恩田さんの哲学に何度も救われた気がします。

 仙人になることはできません。しかし、1人だけで幸せになることは不可能なのです。

 人生はいつも総懺悔です。

 前回まで参加してくれた全ての参加者に頭を下げたい気分ですが、出来ればまた参加して貰えると嬉しいのですが。

はやきこと風のごとく‐1429‐

 一昨日、11月7日発売の『ESSE』という女性誌に、「松虫の長屋」の写真が掲載されました。

 『快適で「楽しい!」家づくり』というテーマで3ページにわたり、8軒の家が紹介されています。

 写真が1枚だったのは残念ですが、選んでもらった嬉しさもあります。

 表紙は仲間由紀恵さん。もしよければ手に取ってみて下さい。

 先週末の埼玉行きですが、連休の渋滞予測もあり、夜遅めに大阪に戻るイメージでした。

 11月5日(日)ライン下りを終え、10時半頃に長瀞を出発。

 秩父から甲府へ抜ける国道140号線は通行量の多い道路。早めの出発で、昼過ぎの甲府着を目指します。

 峠では間もなく紅葉のピークといった感じでした。

 甲府まで約2時間半。

 駅前の駐車場に車を停めて、徒歩でウロウロします。

 駅北の広場では、山梨ラーメングランプリなるイベントが開催中。

 全国から味自慢のラーメン店が集まり、1杯800円で投票が行われるそうです。

 凄い行列で、うちの子供達は屋台のたこ焼きと肉まんを食べていましたが。

 駅前に建つ山梨文化会館は 丹下健三の設計。1966年の完成です。

 何本かみえる筒状の部分には、縦動線が収まっているのでしょう。コンクリートの強さ、自由な造形を活かした建物です。

 その隣に建つのは山梨県立図書館。

 高さはかなり抑えられ、時代の気分を感じさせます。

 明るく、開かれた図書館で、多くの市民が利用していました。

 駐車場が1時間無料となっており、このあたりの配慮には好感がもてます。

 2階は、受験生が多く勉強しているようでした。

 入試まであと2、3ヵ月。ピリピリとした空気感が伝わってきますが、ここで勉強できる甲府っ子は幸せにみえます。

 駅の南にある武田信玄像。

 甲府城跡も駅南にあります。

 これは豊臣が築いた城で、信玄がここで采配を振るったわけではありません。

 しかし、天守閣跡から甲府盆地を見渡せば、その美しさは他に類のないものです。

 盆地の向こうには富士山も見えます。

 戦国最強とうたわれた武田軍は、三方ヶ原の戦いで、織田、徳川連合軍を打ち破りました。

 歴史に「たられば」はありませんが、信玄がもし早世していなければ、という話はよく聞きます。

 ここ甲府が日本の首都になっていた可能性も十分にあった訳です。

 今回は11月4日(土)は青→草津、黄緑→諏訪、5日(日)はオレンジ→長瀞、赤→甲府、黄→大阪と1100kmの旅。

 大阪に戻ったのは深夜12時でした。

 土曜日は、草津で大きな虹が見えました。

 ぶつぶつ言いながらも子供が着いてきてくれるうちに、少しでも沢山の景色を見せておきたいと思います。

 年末は、夏休みにキャンセルした47都道府県最後の宮城への旅の予定です。

 冬の東北ですが、一番好きなフェリーの旅で完結したいと思っています。

 風林火山は言わずとしれた武田家の旗印。

 今度は何とか出掛けられるよう、疾(はや)きこと風のごとく正しい判断を積み重ねるのみです。

現実はいつもひとつ<埼玉長瀞編>‐1428‐

 今週末はセミナーの講師をします。

■11月12日(日) 2:00pm~4:00pm セミナー開催
「リフォーム・リノベーションの極意」■

天六・住まいの情報センター5F

 リノベーションに興味のある方は、是非遊びにきてください。

 11月5日(日)は朝6時に諏訪湖畔のホテルを発ちました。

 前日の夜、仕事終わりで諏訪まで移動してきました。

 家族で47都道府県制覇が当面の旅のテーマですが、埼玉県は通過しただけの県となっていました。

 夏に「ブラタモリ」で長瀞(ながとろ)が紹介されており、機会があれば行ってみようとなっていたのです。

 諏訪湖から中山道を北東に向かい佐久へ抜けます。

 途中、「御柱祭」の「木落し」の会場という案内板が見えました。

 これは死傷者がでてもおかしくない急斜面です。

 浅間山をみながら、軽井沢あたりの高原地帯をさらに東へ向かいます。

 2時間程で埼玉県に入りました。

 長瀞ラインくだりの発着所に着いたのは9時過ぎ。

 早朝に発ったかいあって2番船に乗れました。

 20人ほどが木の船に乗りますが、船頭は前後に2人。

 動力はなく、竿だけで操船します。

 10月の台風で増水しており、営業を開始したのが金曜日だそうです。

 それもあってか思った以上に流れが速い。

 亀の子岩を過ぎたあたりから、更に流れが加速します。

 船底に岩がゴンゴンとあたり、結構な衝撃があります。

 船べりを越えて、水もかなり入ってきます。

 正直、結構怖いのです。

 10分程下ると流れが緩やかになり、左岸に「秩父赤壁」が見えてきました。

 ブラタモリでは、この断層が長い直線の緩やかな川を生んだと紹介されていました。

 長い瀞(流れの緩やかな場所)エリアにつけば終点です。

 右岸に続く岩畳がみえています。

 下船後、こちらも歩いてみました。

 石畳は「片理」と「節理」が生んだ景観で、この奇岩の景色が続きます。

 子供達は断崖絶壁の上からの景色を楽しんでいました。

 家族で高所が苦手なのは私だけです。

 中学1年の長男が、多くの観光客が訪れると聞いて「なんで川下りだけで、それだけの人がやってくるんだろう」と言っていました。

 しかし、実際に川を下ると納得していました。

 何より天気が良かったのが一番ですが、娯楽の少なかった時代なら、川下りとこの景観は最高のエンターテイメントだったでしょう。

 これで、子供達も埼玉へ行った実感を持ってくれるでしょうか。

 最後にあまり気分のよい話しではありませんが、少し書いてみます。

 行きの名神高速でのことです。

 遅い時間に出ていたとはいえ、連休中で交通量は多め。

 養老ICの少し手前あたりで、渋滞はしないまでも車の密集度が増してきました。

 全体的にスローダウンしたそんな時、私の車のすぐ左に、突然車が現れました。

 私は2車線道路の追い越し車線を走っていました。走行車線にも普通に車が走っています。

 センターラインをまたぐかたちで、その隙間に割り込んできたのです。バイクではなく車が、です。

 高速道路でやや車線が広いとはいえ、僅かでもハンドルをきれば、確実に接触する距離でした。

 その先も、そうやって車の間をすり抜けながら前に進んでいくのです。

 あまりに滅茶苦茶な運転で、一瞬なにが起こったのか分かりませんでしたが、状況が分かると、怒りが爆発しそうになりました。

 しかし、こんな愚か者に怒りを爆発させても意味はないと思い、急いで警察に通報したのです。

 自分達の居る位置、車のタイプくらいは記憶していましたが、それ以上のことは伝えられず、捕まったのかどうかは分かりません。

 そのあと娘が「コナンだったら、絶対ナンバーを覚えてるで」と。

 子供達の普段の楽しみは「名探偵コナン」のDVD。沈着冷静な小学生探偵、江戸川コナンのことです。

 本当にその通りです。

 危険運転が問題視されるなかです。出来る限り冷静になって、ナンバーを先に確認するべきでした。それが唯一社会に役立てる方法だったと思います。

 怒り、不安など、ネガティブな感情を抑え込むには、前向きな行動をとるしかありません。

 何を感じようと、現実はいつもひとつ。

 改善策の手を打ち続けるしかないのです。

<目指せ、家族で47都道府県制覇>
46/47 【】はまだ

北海道

青森 岩手 【宮城】 秋田  山形 福島

茨城 栃木 群馬 埼玉 千葉 東京 神奈川

新潟県 富山 石川 福井 山梨 長野 岐阜 静岡 愛知

三重 滋賀 京都 大阪 兵庫 奈良 和歌山

鳥取 島根 岡山 広島 山口

徳島 香川 愛媛 高知

福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島

沖縄

はじめての光庭‐1427‐

 大阪市生野区は、大阪市の東端に位置します。

 密集した住宅街が続き、まさに下町の代表格のような地域。

 私が「生野の家」を設計・監理していたのは、2000年から2001年にかけて。29歳から30歳にかけての頃です。

 私にとって6つ目の作品で、初めての鉄骨造。1年間休業する前の最後の作品でもあります。

 約10年ぶりに訪れましたが、外壁が塗装されていました。

 暑さ対策に遮熱塗料を塗ったとのことでした。

 敷地一杯に建っているので、庇を付けられなかったのですが、今ならまた違った提案が出来たかもしれません。

 自分の作品をこういっては何ですが、なかなか魅力のある建物だと思います。

 屋根の納まりに粗さも見えますが、丸窓は随分悩んでプロポーションを決めました。

 リビングの開口部は、階段に沿うように三角形+長方形の台形としました。

 この窓も、大きさ、位置とかなり悩んだことを覚えていますが、その窓の横には光庭を配置しました。

 正直に言えば、最も仕事が怖かった時期でした。

 創業して5年目。本当に自分の判断は正しいのだろうかと、不安で不安で仕方なかったのです。

 そして、その後1年自分を見つめなおす時間を持つことに決めました。

 今回は、先の台風で雨漏りが発生してしまい、工事担当者に同行して対策を話し合ってきました。

 問題はないにこしたことはありませんが、起こってしまったなら、それに対して手を打つしかありません。

 その手に効果がなければ更に改善策を考え、手を打ち続けるしかありません。

 そんな簡単なことが、20代の頃は分からなかったのです。

 29歳の自分と向き合っているようで、プランを見直してみました。

 ここで初めて建物に切れ込んだ光庭を採用したことを思い出します。

 都心部での暮らしに、光庭が果たす役割は大きいのではと考え、3階から1階まで光が届く中庭を提案しました。

 この経験から密集した環境の際に、光庭を挿入することをはじめたのです。

2006年「光庭の家」 大阪市生野区

2012年「住之江の元長屋」大阪市住之江区

2015年「松虫の長屋」 大阪市阿倍野区

 これらは、全て「生野の家」からの系譜なのです。

 クライアントの期待を背負い、実際の現場で経験したことは何物にも代えがたい経験です。

 それが自分の中で醸成し、ある場面において噴き出してきます。

 そうなればしめたもので、自然に手が動き納得できるプランが出来上がるのです。

 ただ、当時は明るく元気だったお母様は今年の2月に96歳の長寿を全うされたとのこと。

 無精をしていた非礼を心からお詫びしたい気持ちです。

 また、建築というものが、生まれ、成長し、成熟し、没する全ての場面に関わることを改めて実感します。

 心からご冥福をお祈りいたします。